2017年09月10日

保科正之!その2

1643年(寛永20年)、保科正之は陸奥国・会津若松23万石へ移封され、同時に、会津南山5万5千石の幕領も預かります。
この時、正之は、
「大身になり家臣団も増えるのだから、国家(藩)の法令も改正しなければならない!」
と考えました。
そして、家老衆を集めて評議をし、正之が書き記した法度の条文を見せながら、
「これはいかがか?」
と感想を求めたのです。
その草案の中に『口論かたく停止為るべし』と書いてあるのを見て、
重臣・安西八郎右衛門が、
「口論停止というのはいかがなものでしょうか?軍事はもちろん、何かあった時に、重役や古参の者達が道理に合わない取り計らいや発言をしても、軽輩の者や新参の者達はその非理なる事に反論できずに従わなければなりません。そうなれば、政治にも非理の事ができてきます。政治が非理となるのは国家が乱れる元です。」
と自らの意見を述べました。

すると、それを黙って聞いていた正之は、
「これは私の誤りである。」
と言って、その条項に筆で黒い墨を引いて消したとのことです。

千駄ヶ谷・聖輪寺の住持・増誉(真田増誉)が江戸中期に書いた見聞集「明良洪範」にある逸話。

君子豹変・・・教養や徳の高い立派な人物は、自分の過ちに気づけば即座にそれを改める。

流石ですね!

ほしなまさゆき1











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