2006年06月

2006年06月30日

ルーツ探しの旅

ロベルト・カイ・マルティネス
今日は、ヤング・メキシカンのルーツ探しの旅日記です。
* * * * * *
ハーイ、僕の名前は ロベルト・カイ・マルティネス‥メヒコです。
昨年、イギリスのリーズ大学に留学したとき、僕と同じ苗字を持つハポネス ( 日本人 ) 留学生と出会うことができました。
両親から何度も聞かされていた話ですが‥、むかし2万人ものハポネスが、メキシコまでやってきて‥、そのまま僕の国に留まって‥その内の一人が、僕の曽祖父なんだそうです。
僕の体の中に、ハポネスの血がながれているからでしょうか、イギリス留学中にできたガールフレンドも、ハポネス・アイチャンです。
また、ハポネス・カイとも友達になることにより、血が騒ぎ出して、急に先祖のことが知りたくて仕方なくなってしまいました。
「 甲斐 」 というラスト・ネームは、ハポンではポピュラーなのかと尋ねたら、決してそうではない‥ということです。
ハポンは、小さな島国と聞いています。
めずらしい姓なら、ルーツ探しも、それほど困難なことではないかもしれません。
そして今回、アジアに来る機会があったので、ハポネス・カイとも連絡を取って、いよいよ本格的に僕のルーツの旅が始まることになったのです。
僕の曽祖父の名前は、既に 「 ミキゾウ・カイ 」 ということがわかっていました。
東京の国会図書館で調べたら、なんとミキゾウの名前があるではないですか。
出身は、九州のクマモト‥ということも分かりました。
ところが、クマモトには 「 甲斐 」 という姓は、非常にポピュラーなことが分かって、膨らみかけた期待も、少し空気が抜け始めました。
それと、日本は意外に大きかった。
東京から九州までは、距離があって、友達の自転車では、とても無理です‥。
それで、飛行機でクマモトまで飛んで、手始めに 「 シヤクショ 」 というところで、聞いてみることにしたのです。
シヤクショの2階には 「 カイ 」 という人がいるので、それなら一度話でも聞いてみたら‥ということになりました。
ここで、ミラクルが起きたのです。
2階から降りてきた 「 カイ 」 というオバサンと、写真や資料を見ながら話していたら、 “ それは、私の家のことだ‥。 ” と言い出したのです。
こういう場合、日本では 「 鳥肌が立った。 」 と表現するそうです。
僕は、生まれて初めて 「 鳥肌 」 を経験しました。
「 探偵ナイト・スクープ 」 も真っ青です。
(注) この番組は、メキシコでは放映されていません。
もう、静かだったクマモト・シヤクショは大騒ぎです。
オバサンは、ただちに親戚中に連絡を取って、その夜は BIG PARTY

リーズ大学に留学して、同じ姓のハポネスに巡り合い、ほとんど一直線にルーツにたどり着いたことになります。
奇跡は、起きたのです。
* * * * * * *
( 小屋の管理人・注 ) ハポネス・カイ は、ボクの次男のことです。

2006年06月29日

もったいない

赤い漬物・日野菜のゴルフ場
「 わ 」 くんのネタ続きで恐縮だが‥、今日も一緒にゴルフに行った。
滋賀県は琵琶湖の東側、 「 日野ゴルフ倶楽部 」 の優待券の期限が、月末で切れて流してしまうのは、もったいないので‥、というお誘いがあった。
もったいない 」 は、昨年からブレークした世界の流行語だ。
そして、赤い漬物の 「 日野菜 」 は、この地の名産で、全国的に有名である。
日野町は、芦屋から120キロ、車で2時間ほどかかる。
交通費と所要時間を考えれば、割引料金とどっちが得なのかわからないが、ボクたちには、そんな理屈に合わない行動は、よくあることで‥別に珍いことではない。
いつもより早く起きなければならないので、ボクでも少しは緊張していたらしい。
4時ごろに目が覚めてしまった。
トリ眼‥といって暗闇では鳥は目が見えないといわれているが、それは誰かの勝手な思い込み‥カラスは薄暗いころから、活動を始める。
カァカァ‥と鳴き声がうるさい、カツカツ‥鉄板の屋根を歩く音も気になる。
近ごろ、何かとカラスと比較される、 「 わ 」 よりは、早起きのようだ。
6時に起床して、一応パソコンのメールボックスをチェックした。
な、なんと、「 わ 」 の事務所から、4時10分にメールが到着している。
‥例によって、たった2行だけれど。
送信し終わるまで、最短10分はかかるので、彼は、未明の3時半には、すでに家を出ていることになる。
相撲の取り組みでいうと  ○ 「 わ 」 (早起き) カラス ●
カラスを意識して行動しているのだろうか。

梅雨の合間のゴルフは‥、目の前が黄色くなるほどの蒸し暑さだった。
彼とは別組だったので、特筆すべきことは何もないので、面白くない。
今日は、スラックスのベルト通しに、もれなくベルトが通過していた‥面白くない。
ブランド物のベルトは、往きも帰りもプレー中も使われていて、気の毒なほど酷使されていて、いつもかわいそうだなぁ‥と同情しているのだが。
昼の休憩には、冷麺を注文した。
彼は、よく食べ物をこぼす。
それは、入れ歯の関係なので仕方ないのだが、‥麺をスラックスに落とした。
‥さらに観察していると、それを指でつまんで、慣れた手つきで、ヒョイと口に運ぶではないか。
いくらもったいないとは言え、それでは、よく腹を壊すはずだ。

え〜、ただいま臨時ニュースが入りました。
さきほど、次男のメキシコ人の友人が、わが家に現れました。
スペイン語訛りの英語と神戸弁では、ぜんぜん会話になりません。
ということで、接待に専念しますので、今日のブログは中断。
ミラクルな話があるので、詳しくは明日投稿することにします。

2006年06月28日

山がナメクジになった

今日の甲山
エライことです。
最近は、ブログを投稿するにも、気をつけなければならなくなった。
理由は、 「 わ 」 が、パソコンを使えるようになったから。
今までの彼は、どんなに悪口を書かれようとも、話題に置いてきぼりを食おうとも、友人にプリントアウトしたものを FAXしてもらうしかなかった。
‥人の助けなしには、ブログに到達することは、あり得なかった。
お節介な友人が、 「 お気に入り 」 に追加したので、毎朝 「 たてきの小屋 」 にアクセスするワザを覚えてしまった。
そして‥2〜3行づつであるが‥毎朝、コメントをメールしてくるようになった。

しかし、まだセンスの悪いところが山ほどある。
アラ捜しをして笑いのネタにするなら今のうちだ。
ポインターが思ったように動かなくても、パソコン本体を動かすことはなくなった。
キーボードの配置が頭に入らないので、いまだに迷い指。
右手の人差し指が、3周くらい輪を描いてから、音をたててキーに落下する。
このままだったら、ノートパソコンは華奢なので、永くはもたないと思う。
まず、電源スイッチは、グリグリっと、5秒くらい押す。
画面が安定するまでが、待てない。
待ちきれずに、マウスを動かしたり、クリックしたり‥落ち着きがない。
昔から、やったらイカン!といわれると、余計するタイプだった。
先生の話が終わらないうちに、ゴソゴソするのは、いつも彼だったなぁ。
‥アウトルック・エキスプレスを呼び出すのに、2,3回かかる。
ダブル・クリックが、うまくいかないからだ。
下手くそな場合も、運が悪いときもある。
「 わ 」 と、機械とは相性が悪い‥ということにしておこう。
「 返信 」 はできるが、すぐ隣にある 「 全員に返信 」 ができない。
さて、標題と本文を打つのが‥これがまたタイヘン。
「 半角/全角/漢字 」 キーを押さずに始めるので、ローマ字しか出てこない。
毎回、この間違いを2度3度失敗してから、やっとパソコンの作業がはじまる。
その点、ボクんちのカラスは、2度同じ間違いは犯さないから賢い。

それでも彼は、わずかとはいえ、一日に2通ほどメールを送ってくる。
1メール2行なので、合計4行。
複数に送れないので、ひとりづつ送信していると思われる。
山のように動かなかった彼が、ナメクジのようにユックリ動き出した。
もう大丈夫‥と思うのはまだ早い。
前の日教えたワザが、翌日全部忘れて、一から出直し。
おかげで、お節介くんもボクも、ずいぶん辛抱強くなった。

2006年06月27日

試合デビュー

panda 画伯のあじさい
ボクの 「 テニスの試合デビュー 」 は、中学1年生の夏休みだった。
ボクは熱心でない部員だったので、ランクも低くかった。
1年生は人数が多いので、オマケみたいに、ダブルスだけ申し込んでくれた。
もしも、部員数が奇数だったら、ボクが半端になってはみ出す役だったかも‥。
そうなったら、デビューは、あと1年待たねばならなかっただろう。
パートナーは、タケヒコくんに決まった。
タケヒコくんは、度のきついメガネをかけて、勉強もボクと一緒くらいよくできた。
話題も豊富で、漫画もウマイ、それに、いいヤツだったので、ボクはうれしかった。
2面しかないコートには、中高の部員がひしめき合っていた。
だから、1年生には、練習試合をする順番は、回ってこない。
練習がOFFのときに、近辺のテニス倶楽部で、自主練習していたが、練習試合では、勝率も悪くなくて、それほど下手でなかったと思う。
ただ、試合になると、タケヒコくんの動きが遅くなるのが気になった。宇宙遊泳

さて、夏休み‥待望の公式戦だ。
試合は、近畿中学選手権、‥会場は、名門・甲子園テニス倶楽部。
雲ひとつない晴天、デビュー戦を飾る舞台としては、何の不足もない。
どんな相手だったか記憶にないが、下手ッピだった。
タケヒコくんは、まっさらの白いウェアに、愛用のスラゼンジャーの白いラケットを持って現れた。
真夏なのに‥、顔も青白い。
タケヒコくんには悪いが、足が地に着かないというか、宇宙遊泳みたいなテニスだった。
肝心の時には動かない、余計な時に出てきては、失敗する。
勘も悪ければ、運も悪い。
こんなに楽しい晴れ舞台に、宇宙旅行士とテニスするとは思わなかった。
さりとてボクには、パートナーの不調をカバーする能力なんてない。
二人して悪循環の迷路に迷い込しまった結果、イイとこ無しの敗戦だった。
‥かくして、ボクのほろ苦いデビュー戦は、終わった。
タケヒコくんの姿は、いつの間にかテニス部から消えていた。

この前の同窓会のとき、久しぶりに参加したタケヒコくんと再会した。
会話は、自然に、テニス部時代の想い出に流れてゆく。
試合が終わってから、 “ あの時、お前がビビらんかったら勝ててたのに‥。 ” って、そんな気遣いのない発言が、ボクの口からもれたらしい。
覚えはないけれど、ボクだったら言いそうな言葉だ。

「 他人に厳しく、自分に甘く 」
ボクのテニス人生は、タケヒコくんを踏み台にして、始まったことが判明した。

2006年06月26日

ホタル合宿2日目

梅雨です。
「 ホタルの郷 」 合宿二日目。
年寄りは、夜更かしをしても朝は早い。
昨夜、泥酔して別人格になった人も、果てしない循環会話に付き合った人たちも、みんな早起きだ。
ボクが、W杯サッカーのニュースで目を覚ましたときには、すでに朝食が並んでいた‥、いつもながらのシェフの早業だ。
マグロとサーモンの海鮮サラダ、お粥、赤だし ( インスタント ) ‥、パン食の人たちにも、それなりの豪華なメニューだった。

テニスは、車で30分のところの 「 グリーンピア三木 」 のインドアコート。
そう、グリーンピアは、ボクたちの年金を、好き勝手に使い放題無駄遣いして建設した、悪名高き 「 年金福祉所業団 」 の置き土産だ。
最初からアラ捜しの態勢だったが‥、あったあった、書ききれないくらいあった。
そもそも、梅雨時の日曜日に、直前になってからでも、2面しかないインドア・コートを確保できるくらいだから、何をか言わんや‥。
よっぽど利用者が少ないに違いない。
「 グリーンピア三木 」 は、広々とした敷地に、有り余る予算を無制限に使ったうえ、せせこましく無駄な設計を施した施設だ。
ゲートでいったん停止。
「 60歳以上の利用者は‥ 」 という張り紙がある。
窓を開けて、大きな声で “ この人とこの人‥61歳、この人だけ62歳! ”
“ そんなに指差して、詳しい説明せんでもエエやん。 ” とか仲間割れをしたけれど、駐車料金は、3台とも無料だった。
‥チョット待てよ、 今までこんな広い敷地のレジャー施設で、駐車料金を徴られたことはあったかな?
雨の中、駐車場から、施設内バスでコートまで移動。
当日は、トライアスロン開催中で、コート前はサイクリング・コースになっている。
そのため、予定のバスストップに停まれない。
ということは、雨の中、荷物を持ちながら、100メートルほど歩かねばならない。
誘導員は、自転車の危険を回避するためだけで、張り紙もなければ、ボクたちに、“ ご迷惑かけます。 ” の一言もない。
年金無駄遣い

右側の赤い鉄パイプが、開閉装置
表層も、ラインもボロボロ


テニスコート‥立派な鉄骨の三角屋根の3面コートだ。 ( 内1面は卓球用 )
側面総ガラスだが、薄暗い。 写真で見るより暗い。
明り採りの開口部が、打球の背後にあってボールが見えない。
ベースライン後が、白い塗装の壁なので、これもボールが見難い原因。
おまけに、硬い壁のままなので、ボールがコート内に跳ね返ってしまう。
極めつけは、側面の総ガラスを全開するための、大規模な油圧開閉装置。
その装置は、開業後に数回も使用されたとは思えない。
道楽にしても、対費用効果は限りなくゼロに近い。
コートは汚い。 トイレはもっと汚い。
それで、利用料金は、3,200円 / 1面 / 時間。
ボクたちしか利用者がいない理由が分かった。

もっと、悪口を書きたいが、コートのことだけで、長くなってしまった。
ボクは、特にコートの設計にはウルサイよ。
作るときは、いつでも相談してください。

2006年06月25日

ホタル合宿1日目

闇夜のホタル
昨日の夕刻から、「 ホタルの郷合宿 」 へ出発した。
3時集合なので、2時から風呂へ入って、ブログをスピード投稿した。
‥大急ぎのため、お粗末なものでした‥、悪しからず。

宿泊所は、友人の別宅、場所は西脇。
西脇‥と言うと、まず駅伝の西脇工業を思い出す。
昔は機織りの町、いまは 「 日本のヘソ 」 で売り出し中。
‥別宅から、徒歩10分のところに 「 緑風台・古窯陶芸館 」 があるとのこと。
西脇の焼き物‥聞いたことがないが、古窯といわれると、素通りできない。
説明によると、分焔柱を持つ穴窯が特徴で、時代は丹波の立杭より古く、平安初期に栄えた古い窯址である。
時代背景については、午前中に御影のギャラリーにて、焼き物の年表で勉強していたところなので、胸を張って聞くことができた。
ただ、同行したのは11名、大半が興味のなさそうな顔をしていたので、残念ながら、超特急の見学だった。
西脇の別宅は、平成の始めに分譲されたハイレベルの住宅地だった。
土地の人は、おそれ多くも 「 西脇の芦屋 」 と呼んでいるそうだが、芦屋のことを知らない人が、名付けたとしか思えない。
シーサイド・タウンが芦屋だと思われては困る。
六麓荘や平田町を、見てから命名してほしい。
芦屋と違うところは、静かな住宅地にかかわらず、表通りを歩く人の姿が目立つ‥、そして、歩く人、すれ違う人‥かならず声を出して挨拶してくれること。
ついでに付け加えると、犬まで愛想がいい。
日本の中心?
‥ところで、合宿の話。
庭でバーべキューをしたあとは、泥酔の一人を残して、ホタルの郷めぐり。
時機が遅れたので、乱舞というわけにはいかなかったが、立派な蛍狩り。
蛍スポットは、闇夜で誰が誰だかわからない。
中に、やけに詳しい一人がいるな‥と思ったら 「 ホタル同好会 」 のプリントシャツを着た男性‥( 暗いので、年齢不詳 )
説明する仕事より、不届き者のホタル泥棒の監視が目的なんだそうだ。
途中の 「 西脇温泉・へその湯 」 で、昼間の汗を洗い落としてから、宿舎に帰り、飽きもせず、同じ話の繰り返しで、自然睡眠。
( 以下、明日以降 )

2006年06月24日

鮎の季節

3分スケッチ
ラジオで 「 鮎釣り 」 について、コメントしていた。
鮎釣り‥というと、思い出すことがある。
ボクが、サラリーマン時代だったコロ。
マジメに仕事をしていなかったので、仕事の想い出は、ほとんどない。
サボって楽しかったことばっかり。
勤務地は、京都営業所‥おとなりの滋賀県も営業範囲内だった。
上司の課長と、彦根かどこかに行ったとき。
琵琶湖に流れこむ小さな川で、釣り人が糸を垂らしている。
何の仕事で行ったのか思い出せないが、お天気は、よかった。
近くの釣具店に寄って、3人分の道具を買い求めた。
課長とボクと運転手さんの分。
たくさん釣れても心配ない‥、車のトランクにはバケツが積んである。
ヤッパリというか、そんなに甘くない‥というか、まったく引きがない。
それでも1時間ネバった。
‥横っちょを見たら、学校帰りの悪ガキどもが、素足で川に入って、手づかみで、ビニール袋をイッパイにしていた。
ボクたち大人3人は、陽の傾く湖畔を横目に、うなだれながら帰りましたとさ。
おしまい。

2006年06月23日

「この一球」−2

先日、見知らぬ人たちの集まりに招待された時の話‥もちろんテニスの。
ラリーの相手をしてくれと言われたけれど、プロとしては、素人さんより一味違うところを見せつつ、相手の実力も発揮できるようにしなければならない。
こういう場合、原則がある。
優しい球ばかり返球していていては、ラリーはよく続いて、いい気持ちかもしれないが、気合が入らないので、満足感に欠ける。
相手の力量を測って、その能力の少し上を狙うこと。
調子が出てきたら、そのレベルを徐々に上げる。
それでも着いてこられたら、レベルの上下のリズムを変える。
同じラリーでも、入れる気合によって、満足感も、習熟度も変わってくる。
言いかえれば、難易度を考慮しながら出題しているようなものだ。
いいフォームとは?
問題を出すだけなら楽だけれど、テニスの場合は、相手をしなければならない。
こっちも、しんどい時がある。
‥プロとしては、悟られてはいけない。 ( ほとんど、バレているらしいけど。 )
自分の方に返ってくるように、打てばいいのである。
それには、そうすればいいか‥って?
相手にとって適度に難しい配球をすること。
そして、その球をなるべく一定にすること‥である。
そうすれば、相手にある程度の技量があれば、いくらでもラリーは続く。
ラリーは続くが、息が続かないようになるまで。

この前の集まりのとき、チョットしんどかったので、その方法でラリーをした。
相手も満足したらしく、お褒めの言葉をいただいた。
その言葉を聞いてハッとした。
“ どんな球でも、判で押したみたいに同じフォームですね。 ”

先日、投稿した 「 この一球は、絶対無二の一球なり。 」 ほど極端ではないが、相手から来る球は、1球1球すべて違うので、ボクには同じフォームで‥という意識なんかない。
思い出したけれど、現役時代に 「 絶対入るフォームってないのかな? 」 とマンガみたいなことを夢見たことがあった。
ドラえもんの 「どこでもドア」 のような万能ラケットがあれば、話は別だけれど。
ゴルフのように、静止した自分のボールを打つならいざしらず、こちらを打ち負かそうと気迫の入った球が、相手から飛んでくるわけで、しかもシチュエーションが、すべて異なるときている。
球のスピードも違えば、回転も違う。
その球に対する相手の構えも違う。
その1球を取ろうとする執念が違う。
こちらも ( 欲も含めた ) 精神状態も違う。
だから、‥周りから見たら、そう見えるかもしれないが‥、ボクのテニスの世界では、 同じフォームなんてあり得ないと思っている。
確かに、少ない労力で、最大の効果があって、しかもミスをしない確立の高いフォームは存在する。
しかし、すべてタイミングがあってのこと。
いかに、いいフォーム(形)で打っても、仮想打点にボールが来なかったら、上手く打てるわけがない。
だから、毎回気合を入れ直して、タイミングを合わせて、‥1球1球異なった気持ちで打っている。

最後に、大きな声で言いたいのは
「 タイミングの誤りは、ほとんどが早すぎによるもの。 一番いいのは、振り遅れ寸前。 」 ‥ということだ。

“ そんなこと言われても、いつもコーチから 「 振り遅れている! 」 と叱られているんです。 ” ‥という言う声が聞こえそうだ。
そんなコーチはヤメにして、他のコーチを探しなさい。
ただし残念ながら、変えても変えても、金太郎飴みたいに、決まって同じことを言うコーチが登場すると思いますがね。

2006年06月22日

ホタル合宿

お尻が光る
、この週末にテニス合宿をしようと、誰かが言い出した。
「 ホタルの郷合宿 」 という立派な名前も付いた。
あのアウト・ドア昼飯+ついでにテニス‥の 「 散球会 」 のメンバーだ。
お祭りの好きな人は大勢いるので、こういう話はすぐにまとまる。
コートはすぐに確保できた。
宿泊先は、コートの近くに、普段は使っていない友人の別宅がある。
立派な厨房があるので、テニスのできるシェフも、腕を奮うことができる。
ただし、ホタルが観察できるのには、条件がある。
( 以下、篠山の友人からの受け売り。 )
前日に降雨があって、当日も月が見えないこと。
一晩中拝めるわけでなく、午後7〜8時の1時間だけ。
気温は高いほうがいいが、前日との温度差にも関係がある。
‥ということで、その夜の天候によって、出るかどうかわからないが、その時間は食事時、酒を飲んで騒いでいるだけなので、ホタルは名目だけ。
みんな期待も記憶もしていないと思う。
ホタルと反対で、頭が光った人間なら珍しくない。
アタマが光る
‥ところが予報では、週末は雨。
降水確率を見ると、ホタル鑑賞と宿泊だけの土曜日はマダしも、日曜日の確率は絶望に近い。
決行か中止か‥現在のところ未定だが、予定が中止になると困る人が多い。
「 散球会 」 は、何もすることのない人の集まりだから。

よーく考えてみたら、このメンバーだったら、サンデー毎日の人が多いので、無理に、土日に開催する必要はない。
そして、梅雨時を選ばなくても良い。
どーせ、ホタルなんか見ないんだから。

きっと、主催者 ( 言いだしっぺ ) も参加者も、今ごろ気が付いていると思う。
なんで梅雨時に、ヒマ人の合宿なのか‥ボクも、さっき気が付いた。
(注)主催者の名誉のために‥
さっき確認したら、別の場所のインドア・コートを確保したとのこと。

2006年06月21日

迷惑メール

サーバーまで読みに行きます
トールくんから、迷惑メール攻撃で困っている‥という相談を受けた。
ボクは、対策として N pop というフリーソフトを使っている。
リモートメールといって、パソコンに取り込む前に、サーバーに覗きに行ける。
文面を確認してから、その場で削除できる‥なかなかの優れものだ。
今日は、それをダウンロードするのを手伝った。

手伝いに行ったついでに、デジカメで顔写真を撮ってもらうことにした。
あるテニス倶楽部から、レッスンを依頼されて、経歴と写真が必要‥とのこと。
ボクたち一般人は、イザ写真撮るぞーっと、レンズを構えられると、妙に緊張してしまって、いい笑顔ができない‥いつも怖い顔。
手元に、会心の顔写真がないので、撮影をトールくんに頼んだ。
彼のパソコンでプリントしてもいいのだが、失敗すると用紙やインク代が、余計高くつくので、撮影したその足で、近くのコンビニの機械のお世話になることにした。
ところが‥二人とも、財布を家に置いてきてしまった。
こういう場合、どうするか?
トールくんは、慌てず騒がず‥、コンビニの店主を捕まえて “ 100円貸して。 ” ときた。
阪神御影の 「 百円爺さん 」 を連想してしまった。
コンビニのプリンターを使ったのは初めてなら、そこで金を借りたのも初体験だ。
ボクの美学では、決してあり得ない裏ワザだ。
ウィルスが来たぞ
閑話休題‥、N pop の件。
パスワードを入れたり、サーバー名を打ち間違ったり‥何度もやり直しをして、かなり手こずったが、なんとか顔が立った。
これで、トールくんちに迷惑メールが来ても、へっちゃらだ。
しかし‥ふと、悪い予感がした。
昨日も 「 わ 」 事務所にて、パソコンの特訓をした。
インターネットでの検索は、何とか理解できたと思う。
「 たてきの小屋 」 も、お気に入りに追加したので、読めるはずだ。
さいわい、まだメールは読めても、送信はできない。
アヤツは、機械音痴だが、口と文だけは達者で、秀でたものがある。
とくに‥あることないこと‥作話能力 ( 作り話 ) は、要注意だ。
彼からの迷惑メール攻撃が始まったら、エライことになりそうだ。
ブログだけでも、今から防衛策を打っておかねば‥と思っている。

2006年06月20日

ギャラリー

また来てしまいました
このごろ 「 ギャラリー 」 に行くことが多い。
名前に 「 ギャラリー 」 が付いても色んなところがあるのがわかった。
ボクの家の近所には、自宅を開放して、好きなときだけ、好きな作家の個展を開いたりして、ほとんど道楽としてやっておられる方もある。
JRの芦屋の駅前には、貸しギャラリー。
この前なんか、焼き物の展示会をしていたので、通りがかりに冷やかし半分に店を覗いたら‥開店直後で、任されたお手伝いの人が、たった一人でレイアウトに四苦八苦していた。
挙句のはて、ボクにまで、相談してくる。
‥よせばいいのに、30分ぐらいお節介を焼いてしまったことがある。
後日、また顔を出したら、ほとんど同じ配置のまま営業していた。
( 売り上げにどう影響したかは、不明である。 )

大阪は、北野新地の歓楽街のハズレのいい場所に ( 同時にオフィス街のハズレでもある ) 手広く営業しているギャラリーがある。
何が手広いかと言うと、絵画あり、焼き物あり、ガラスあり‥なんでもあり。
入れ替わり立ち代わり‥基本は毎週個展である。
しかも、場所がいいのか、ボクたちでも知っている名前が多い。
ギャラリーをしている限りは、新人を発掘して、育てることにも力を入れてほしいが、その気は少ないようだ。
‥というよりも、目が利くほうでないから、できないのではないかと思ってしまう。
利かないから、作家のお気に入りが、その個展の目玉‥ということになる。
作家としての逸品と、ギャラリーとしてのイチ推しが、常に一緒なのである。
先生の口から、いいと聞いたものは、全部いい作品。
‥早い話が、自分の意見がないのである。
それでも、いい場所といい客層が、ギャラリーを育てているみたいでもある。
個展ごとに送ってくる案内書を見ている限り、格の高いギャラリーと思われる。
ボクの想像だが、個展は仕入れがなくて、売れ残った分は返品できるので、リスクが少ないのではなかろうか。
だから、いつまでたっても目を磨けない‥。

さて、御影にある焼き物のギャラリー 「 壺屋 」
商品のどれを見ても “ それ、いいでしょ! ” って声が帰ってくる。
自分の眼で選んで、自分で仕入れたものだからそれでいい。
常に個性的な作品が並んでいる。
ま、あまり褒めるのは得意でないので、チト怪しいところを紹介しよう。
店に来る人は、かならず言い訳をする。
“ 出張やから ” とか “ 通りかかったから ” など。
毎日、顔を出して、アホやと思われないように、なんやかや理由をつけるわけだ‥ボクもそのうちの一人。
出張の人なんか、本拠地は東京で、出張先が広島でも九州でも、 “ すんません。 ” とか謝りながら顔を出す。
謝ることはないと思うのだが、それで平和に収まっているのだから、それでいい。
別の人の話やけど、この前なんか、外から電話がかかってきて、内容は “ 今から行ってもエエか? ” というもの。
営業時間に来たらあかん店はない‥。
店主は、当然 “ いつでもどーぞ ” って返事する。
その人は、5分もしないうちに現れる。
近くにいるのに、なんで電話してきたのか、さっぱりわからない。
ヘンな店です。

2006年06月19日

時計の針がゆっくり進む街

この前、「 新開地の映画館 」 について投稿したら、「 時間の止まった街 」 と評した人がおられた。
その人は、ボクのブログに、好きなときに勝手なコメントしてくる人だけれど、‥「 時間の止まった 」 とは、うまい表現だ‥ざぶとん2枚。
身近にも、そういう街があった。
「 止まった 」 ではなくて「 時計の針がゆっくり進む 」 と表現しておこう。
それは、阪神電車の御影駅周辺だ。
昭和20〜30年代は、阪神沿線の中では、賑やかな街だった印象がある。
高架下の御影市場には、近辺の市場より、いい商品を取り揃えた店が並んでいたので、遠くからの客もあったし、駅前に大型スーパー・マーケットが登場したのも比較的早かった。
ついでにボクが高校2年の時、パチンコ初体験したのも、この駅前だった。
学校指定の洋服店があって、電車に乗って制服を誂えに行ったものここだ。
この街では、それらが、そのまんまの姿で残っているのである。
‥そのまま‥ではない、「 そのまま古びて 」 残っている。
この2階が「わ」事務所
そんな場所に 「 わ 」 事務所がある。
その3階建てのビル (?) の角に、黄色いペンキ塗りのベンチがあって、早朝から 「 百円爺さん 」 という妖怪が出没するというウワサがある。
通りかかった人に、 「 百円ちょーだい 」 って手を出すそうだ。
人によって金額は異なるらしいが、「 わ 」 くんへの要求額は、定額100円。
敵もさるもの、ついつい小銭入れを覗かせてしまう術を身につけているとか。
今日、ボクたち3人は、その妖怪と出会ってしまった。
妖怪は、早朝の集金作業を終えて、電柱に立ちションベンをしていた。
「 わ 」 くんが、小声で “ あれ、百円爺さん。 ” って、教えてくれた。
‥別に小声でなくても、犬みたいなジジイだから、問題はないと思うが。

ボクたちの話になるが、3人で喫茶店に行くことにした。
喫茶店 というのは、最近トンと見かけなくなったが、ここでは生き残っている。
歩きながら‥「 わ 」 は、昔流行った煙草というのを、プカプカふかしている。
時代の流れをつかめないところが、こういうところにも現れている。
道路に吸殻を捨てようとしたので、キッと睨んでやった。
ゴルフ場でもどこでも、火をつけたまま捨てるので、何度注意したことか。
( そのたび、話をすりかれられて、毎回ごまかされているが‥。 )
視線を感じたのか、慌てて二つ折りにして、火のついた部分を指先でポイ!
し慣れないことをするので、火傷しよった‥ざまー見ろ。
道路には、吸殻がたくさん落ちていたので、この街では、そんな近代的マナーなんかは、必要ないのかもしれない。

喫茶店で、長い時間、いつもと同じバカ話をして、店内の掛時計を見た。
振り子は左右に振っているが、昼過ぎやのに5時を指している。
アンティークだから、許してやる。
「 わ 」 が、教えてくれた “ まだ、1時半や。 ”
ボクのは、彼の時計より安モンだが、1時48分。
やっぱり、ここは 「 時計の針のゆっくり動く街 」 だ。

2006年06月18日

あすれ甲南堂

おいしかった

国道2号線、小路 ( しょうじ ) の交差点のところに、鉄板焼屋がある。
名前は 「 あすれ甲南堂 」 。
「 あすれ 」 は、 たぶん 「 アスレティック 」 から採った。
‥というより体育会系の客を見込んで、命名したのではないかと思う。
結論を先に書くと、美味しいのものを食べさせてくれるので、二重丸。
店主は、若い頃、お菓子メーカー ( お菓子のことぶき ) の社長をしているボクの友人のカバン持ちをしていたとのこと。
( 本人に確認したら、覚えがない‥って、言うていたけれど、そんなことウソついてもメリットないので、たぶん本当の話。 )
それに、チルドレン ( 兄妹 ) が、ボクのテニスの生徒だった。
だから、同窓会になることもよくあるくらい、テニス関係者の客が多い。

お奨めメニューを紹介しよう。
ネギにん豚焼そば ( ふわふわ卵乗せ )‥九条ねぎにニンニク、それと豚肉。
‥列挙しようと思ったけれど、たくさんあるので、邪魔臭くなった。
要するに、京野菜やら、紀州の鶏とか、ドイツの岩塩‥、材料を吟味して、それに店主のコダワリがハーモニーして、そこらの店と一味違うのである。
もともと、飲食店の経営コンサルタントをしていただけあって、そんじょそこらの店と一緒ではない。
開店前から、カレーを煮込んだので‥地方へ行って美味いもの見つけたから‥など、食べるものに関しては、いろんなめずらしいものを頂戴した。
チルドレンの妹の方は、ケーキを焼いてきてくれたりしてくれた。
いまや彼女は、辻調理師学校のパティシエの講師。

そんな関係やから、特別ヒイキするわけではない。
理由は、投稿する材料がないので、いま行ってきたばかりの店を、取り上げただけ‥でした。 

店の紹介だけでは、面白くもなんともない。
何かあったといえば‥ 「 わ 」 を連れて行ったら、慌てて 「 島ラッキョ 」 をかじって、入れ歯を壊したことくらいかな。

2006年06月17日

スズメ家の食卓

ヒマな時間が多いと、家にいる時間も多い。
ボーっとしているほどの毎日ではないが、窓の外を見ていることも多い。
真っ先に目に入ってくるのは、動きの激しいスズメ。
観察していると、興味深い。
監視中

今年生まれたのは、あまり逃げない‥ボクたちとの距離が近くなっている。
もっと友達になりたいので、毎朝食事用に米ぬかを撒いてやっている。
わかったことは、彼らは、コーナーに囲まれた狭い場所よりも、すぐに逃げられる塀の上とか、見通しの効く広い場所を好むらしいということ。
ただ、躾けがなっていない。
広い場所に撒くと、食べ散らかしが散乱する。
ついでに糞も一緒に残して行きやがる。
食卓にウンチするとは何事か!
‥ということで、土が半分残った小さめのプランターを、塀の上に置いた。
残った土も、ヌカと一緒に飛ばすので、量が減ってくる。
彼らのテーブルの高さは、だんだんプランターの奥に沈んでしまうことになる。
そうなると不安で落ち着かないようだ。
体全体、プランターにもぐりこんだら、ヌカと土が飛び散るのが見える。
そして、1〜2秒ごとに、背伸びして、心配そうに顔を出す。
これが、機械仕掛けのオモチャみたいで、ものすごく可愛い。
午前中は、その光景が見られたが、昼過ぎからはあいにくの雨。
いい映像が撮れないので、イラストでごまかしときます。

2006年06月16日

コーチ・マニュアル

テニスコーチ業界には、当然 「 コーチの心得 」 というものが存在する。
文章化したものもあれば、口頭だけのもある。
ところが、この業界は、まともな人生を歩めずに、はみ出した 「 不心得者 」 が、結構多いので、エー加減なところがイッパイある。
たとえば、「 きちっとした身なりで、他のプレーヤーの見本となるようなテニス・ウェアを着用せよ。 」 という項目がある。
ま、この見本というのが、時代とともに変るのは仕方がないとして、テニス界の先頭を切ってみすぼらしくて、だらしない身なりをしている自称コーチが多いのは、残念なことである。
ボールは瞬時に4球
今日は、そんな通りイッペンの心得でなく ( ウラ心得というほどでもなく ) 、コーチを育てるためのマニュアルがある。
一部を紹介すると‥、
送球のためのボールは、最低限、4球を一度に掴めなくてはならない。
送球のリズムが狂うこともないし、何球送ったか間違うことも少ない。
そして、送球の際は、顔は受講者の方を向いていること‥つまり、ボールを見ずに送るということ。
この4球掴みと、ボールを見ないで送球するワザにより、受講者のフォームを観察できる、次のプレーヤーが準備しているかを見ることができる、足元のボールなど、危険を察知できる‥など。
これが、新人コーチや、バイト・コーチには難しいらしい。
ボールの掴み方や、送球姿勢を見るだけで、コーチ技術はすぐ分かってしまう。

プロテニス協会の、入会テストには 「 明るい声で ( ○回以上 ) 名前を呼ぶ。 」 という項目がある。
散髪屋へ行っても、整骨院でも‥そう教えられているから、若いモンは、忠実に守っているのであろうが、ただ名前を呼べばいいというものでもないと思う。
呼ぶ‥と言うのは、他の人と認識させるために呼ぶもので、マニュアルにあるからといって、必要もないのに、コトあるごとに、ワザとらしく、何度も呼ばれると、シマイに腹が立ってくる。
「 ここには、オレしかおらんのに、いちいち名前呼ぶな! 」 なんて、若いモンの芽を摘むようなことは、言わないのでご心配なく。
米国プロテニス協会のマニュアルには 「 相手の身体に触れて指導せよ。 」 と言うのがある。
お節介にも 「 日本人は、身体に触れることに恥じらいがある。 」 てな、補足説明まである‥ほっとけ、余計なお世話や。 
触るほうに恥じらいがあるなら、触れられるほうには、もっと恥じらいがある。
‥前、こんなことがあった。
同じマンションに住んでいる人 (オバサン) が、近所のスクールに通い始めた。
その人から相談を受けた。
「 あそこのコーチ、べたべたサワって来るんで、気持ち悪いんねん。 」
そんなん、ボクによそのスクールのこと言われても、どうしょーもない。
「 カイサン、あんた業界のうるさがたでしょ。 なんか言うてよ。 」
協会のマニュアルに、そんなんがある‥って説明できなかった。
気持ち悪かったらスクール辞めなさい。
気持ち悪がられていたら、コーチとして気が付きなさい。
それしかボクには、よう言えません。

2006年06月15日

ついに坂道のレストランへ

本格的な梅雨入り。
‥低気圧も、本格的なのが襲来しているのか、首の調子がよろしくない。
気分が重〜くて、何もしたくないくらい不愉快。
何もしなくても、やっぱり不愉快なので、夕刻になってから、鉄の腰のボクと、鉛の肩の家内と二人で、整骨院にもみほぐしに行った。
もると・ぼーの
傘をさした帰り道‥、気になっていた「 坂道のイタリアン・レストラン( 既報 ) 」 の前を通りかかった。
雨のせいか、夕食前の時間にかかわらず、客は2、3組。
いつも行列ができるくらい盛況なので、入るのは今しかない。
従業員は、ハキハキした笑顔でいい感じ。
注文した品。
スモークン・サーモンのカルパッチョ。 シェフのお薦めサラダ。
イカ墨のぺペロンティーノ。 有明海老と緑野菜のアーリオオーリオ。
イカ墨ソースなのに、エプロンの用意がない。
( すかさずチェック入れた!‥ボクは黙っていられない。 )
総評‥悪くないけれど、褒めるほどでもない。
家に帰って、机の上のオヤツの残りのアンパンを食べた。
‥美味しいアンパンでした。

2006年06月14日

新開地と温泉街

インター・ネットで調べ物をしていたら、有馬温泉にも 「 念佛寺 」 というのがあって、そこの境内の 「 沙羅の花 ( 夏椿) 」 が美しい‥とあった。
有馬温泉までは、家から30分足らず。
温泉街を探索するにも狭い街なので、目的がそれだけでは、時間をもて余してしまうのは明らか。
カビのニオイがしました
それなら‥ということで、午前中は映画を見ることにした。
60歳以上、または50歳以上の夫婦なら、ひとり1000円。
それを知ってからは、映画を見る回数が増えた。
家内が 「 博士の愛した数式 」 という分かりにくい題名の本が、面白かった‥というので、どうせ時間つぶしで成り行きなので‥それに決めた。
チョット前の映画なので、もうマイナー映画館でしか上映していない。
調べたら、神戸の新開地の 「 パル・シネマ 」 で上映しているのを見つけた。
そのあたりの人には悪いけれど、新開地‥と聞くとあまり良いイメージはない。
バイクに乗り出した頃‥50年ほど前の話だが‥ひたすら西へ走ったら、その時すでに一昔前を思わす古臭い町が、突如姿を現した。
‥本能的にタダならぬ気配を感じた記憶がある。
10年前の地震で、すっかり街の様子は変わったとも聞いていた。
駐車場は、地震で倒壊を免れた古いビルの地下だった。
急な階段を上ったら、そこは‥昔は賑やかだったらしいテナントビル。
商店街と称した1階は、半分以上のシャッターが降りている。
映画館は、その一角にあり、半世紀前の風景が、そのまま残っていて、かび臭い客席は、セピア色の風景によく似合う。
昭和を思い出したい方には、お薦めのスポットだ。
映画‥、いい映画でした。
ただし、シリアスな原作とは、料理の方針を変えて、ほのぼのとした味付けにしたので、作者も感心するほどいい映画に仕上がっていたそうだ。
温泉街の細い道
肝心の 「 念佛寺の沙羅の花 」 ‥分かりにくい有馬のマップを頼りに、細い道を観光客に遠慮しながら駐車場を見つけて、そこから急な階段を上がってやっと探し当てたら 「 花はまだ咲いていません。 」 ‥やて。
考えてみたら、家の ( まだ鉢植えの ) 沙羅の木も、一向に咲く気配がない。
したがって、気温の低い有馬のほうが、先に咲くはずがない。
有馬でただ1軒の竹細工屋も、休み。
ここも、水曜日の定休日が多い。
「 よい湯まんじゅう 」 と 「 炭酸煎餅 」 が、お土産でした。おしまい。

2006年06月13日

ボケ仲間との一日

アタマでっかち


本文とは関係ありません。
映像がない場合は、
時々こういうことがあります。

いつものメンバーとゴルフに行った。
いや、ゴルフのことは、どうでもいいのだが、朝から迎えに来てくれた 「 お節介くん 」 の顔に、早くも疲労の色が見える。
約束時間より早く姿を現すのは、いつも通りだったけど‥。
原因は、「 わ 」 事務所のパソコンらしい。
そういえば 「 登録証が見つからなかった。 」 とか 「 それを、自分が持っていた。 」 とか、エエ加減な経過説明をしていたが、結局のところ、違う書類の番号を ( 何の番号かわからないが ) 登録していたのが原因らしい。
センセイが接続した時は、うまく行った‥と言う話とは矛盾するが、とにかくお節介くんが、登録しなおしてうまく解決してやったそうだ。
その証拠に、そのアドレスから、メールが届いた。
ただし、「 わ 」 のアドレスを使って、ほとんどお節介くんが、送信した‥と言ったほうが正確な表現だと思う。
まず 「 わ 」 は、まだポインター ( 矢印マーク ) 、を思った場所に動かす技術を持ち合わせていない。
この前なんか、マウスがあまりに言うこときかないので、ノートパソコンのほうを動かしていた。 ( もちろん、マウスに責任はない。 )
ボクも、一瞬は 「 いい考えやな‥。 」 と、感心したが、ポインターは、機械の動いた同じ距離を移動しただけで、ビクともしなかった。
文章を打ちたいのに、ローマ字しか出てこない‥って、文句言っていた。
日本語モードにしていないから、当たり前や。
‥3ヶ月も教室に通ったのは、あれはなんやったのか。

あ、ゴルフの話。
3番ホールに着いたら、キャディさんが、クラブ2本足りないことに気がついた。
“ 前のホールで、ピッチングとアプローチ使いはりましたか? ”
“ うん、使ったよ‥確かに。 グリーンエッジからネ‥。 ”
ところが、後続組に確認したら、その2本は、1番ホールに置き忘れていた。
そしたら、2番ホールで、使ったはずのクラブは‥あれは、なんやったんやろ?
そのアホは、ボクでした。 1番も2番も、ダブル・ボギーでした。
このメンバーの中では、ボクが一番マトモと思っていたのに‥。
なんだか、自分でも怖くなってきた。
そのほか、またベルトを通し忘れたまま、帰りも同じスラックスで帰ったヤツ1名。
風呂の脱衣場の使用済みタオル入れに、自分の洗濯物を、全部放り込んで青い顔して探していたヤツ1名。

いろんなことがあったけれど、成績はハンディ通りの順番でした。 はい。

2006年06月12日

立杭の蕎麦屋さん

ボクのスケジュールの中でも、月曜日の昼間は、特にヒマな日のはずなのに、朝から、なんやかや‥ショーモないことで、ウロウロしていた。
そして、ショーモないことも解決したので‥さぁ昼飯。
月曜日は、丹波に蕎麦を食いに行くことが多い。
いつもの通り、バイクのタイヤをそっち方面に向けた。
新緑の甘いニオイ、いろんな種類の白い小さな花が目立つ季節である。
いつもより出遅れたし、篠山のハズレの看板のない店まで行く元気はない。
「 陶の郷 」 の入り口付近に 「 そば処 」 の看板があるのは、以前から気がついていたが‥、駐車場の空きが多いのを見て‥通り過ぎていた。

今日は、車があふれていた。
あふれていても、バイクは関係なく、どこでも停まれる。
よーく見たら、結構こだわりのある店。
名前は 「 権二朗 」 。
デジカメを持って行かなかったので、映像がとれない。
商売ッケがないのか、店のパンフレット類もなし。
だから、おっさんの働く姿を、箸袋にスケッチした。
これは、サインペンで書き直し‥オリジナルは、もっと感じが出ていたのに‥。
てんぷら揚げてます

暖簾をかき分けて入ったら、青瓷 (青磁) のボウルに野イバラの枝。
店の壁に、店主の書で 「 たかが蕎麦‥‥ 」 と額の中で主張していた。
メニューは、蕎麦と天ぷらだけ。
‥期待が膨らむ。
大盛ザル 1028円を注文。
まず、ソバをカリッと揚げたのと、蕎麦茶が出てきた。
食器は、釉薬ものばかりで、立杭焼を感じさせるものはない。
蕎麦尽くしというヤツは、栄養が偏るので、あまりいいとは思わない。
蕎麦は、他の食品と組み合わされることによって、大幅に栄養素がアップされるのを知らんのか。
スノコを敷いた青瓷の浅い皿に、緑かかった細めの麺。
ツユと小さめの蕎麦チョコは、別々に出てきた‥よろしい。
薬味は、ネギがなくて、ワサビだけ‥それもよろしい。
一口目は、判ったフーして、何もつけずにそのまま。
( それで何かわかったタメシはない。 )
二口目は、ツユだけ‥ビックリした‥椎茸の味が前面に出てきて甘い。
まるで、そーめんツユだ。
味は、好き好きだから置いといて、‥この甘いツユなら、ドップリ漬けたほうが似合う、‥それにしては、蕎麦チョコが小さすぎる。
隣の人のカップルが 「 そばの実アイス 」 を注文したので、つられてボクも。
それは美味しかった、名前の通り、そばの実の入ったアイスだった。

結論‥もっと走って 「 一真坊 」 か、「 一会庵 」 にする。

2006年06月11日

昔のラケット選手権

このごろ、自分のテニスに、いささか自信喪失気味であった。
ていうか‥、最初から大した腕前ではなかったのではないかと、自分でも疑っているくらい。
体重は20貫を越えるし、腰痛もあって、踏ん張れない‥走れない。
その上、視力が落ちてしまったので、どうもいけない。
暗いアイススケート場で、テニスをしているような感じ‥というとわかるかな?

昔のラケット

ある友人が、古いラケットを持って、コートに現れた。
ウイルソンのT3000‥悪童ジミー・コナーズ愛用の後継モデルだ。
いまだに大事に保存しているだけでも変わっているのに、使用するためにバッグに入れてくるのは、相当ユニークな人物だと思われてもしかたがない。
T3000は、フランスの四銃士の一人と言われた 「 ルネ・ラコスト 」 が考案し、アメリカのウイルソン社が、パテントを買って製造・販売したラケットである。
木製の時代から、素材革命の先駆といえるモデルでもある。
別名 「 餅網 」 と言われて、見た目は良くない。
ところがコレが、なかなかの優れものだった。

現在のラケットのフェースの面積は、90〜110平方インチが主流。
当時の標準は、( たぶん ) 70平方インチ以下だったと記憶している。
T3000は、円形のため、標準より小さかったかもしれない。
だから、当然スイートスポットは小さく、位置も、ものすごく先端部に寄っている。
それに重さは400g‥現在のは、300グラム以下。
現在のラケットでしかプレーしていない40歳以下のプレーヤーには、異種のスポーツに感じるかもしれない。
ボクは、50年近いテニス歴のうち、半分は木製のノーマル・サイズだった。
( この 「 ノーマル・サイズ 」 と言う言葉は、いつの間にかノーマルでなくなったのに従い、消えうせてしまったが‥。 )
だから、平気。
早速借りて打ってみたら、それほどの違和感はない。
“ カイサン、その方がずっと似合っていますヨ。 ” なんて、おだてるものだから、ますます調子に乗ってしまう。
その場にいた、腕に覚えのある人 ( ただしボクよりずっとジーサン ) からシングルスの挑戦を受けた。
もちろん、昔のラケット 対 自分の最先端のラケット。
サービスのとき、スピンがかからないことを除いては、それほど大差ない。
もし 「 昔のラケット選手権 」 というのがあったら、若い者を蹴散らして、かなりイイ線行く自信が湧いてきた。
そんな試合、あるはずないけれど‥。

と、いうわけで、久しぶりに 「 ボクはテニスがうまいなぁ。 」 と実感できた。

2006年06月10日

「 わ 」 事務所にインターネット

79ec0638.jpg
Panda 画伯の 「 本山バラ園 」
熊谷守一の展覧会を見にいったから
こんな画風になったのかも‥。


ついに「 わ 」事務所に、インター・ネットが開通した。
ボクたちが、Eメールを始めたのが、数年ほど前。
当然 「 わ 」 にも、仲間に入れと誘った。
‥あんな機械音痴だとは、誰も知らなかった。
とにかく、携帯電話を持ったのは、‥仕事上の必要だといえ‥ボクたちの中で、彼が一番早かったから。
勧めたら、家では娘がやっているとか、家内がパソコン教室に通っているとか‥あとで考えたら、自分がすぐ始めるという返事ではなかった。
「 わ 」 の得意の変化技で‥先延ばしされただけだった。
再三の鋭い追及に、“ いま、立ち上げてんねん。 ” とぬかしやがった。
分からんクセに、専門用語を使って、わかったフーするのも、ワザの一つだ。
こんなときは、そのままにして甘やかしては彼のタメにならない。 
“ お前さん、一体何を立ち上げてんねん? ふつうメール始めるのに、立ち上げるとは言わんぞ。 ”
“ いや、バ、バンゴー取ってるねん。 ”
“ 電話番号ちゃう、あれはメール・アドレス。 ”
‥そんなやり取りをしてから、季節はイクタビ巡りめぐったことだろう。
お節介な友人が、業を煮やして自分のノートパソコンを提供して、強引に「わ」事務所に設置した。
せっかくの好意 ( お節介 ) にかかわらず、ボクたちが行くときしか、PCのスイッチを入れようとはしない。
なんでそうなるのか意味不明だが、時々コードが神隠しに遭ったりする。
そして、この2月から、マンツーマンのパソコン教室に通うことになった。
今までの成果は、B5のプリント2枚だけ。
ひな形によくある 「 ○○のご案内 」 ってヤツ2枚。
書体や大きさを変えたり、カラーの文字を使ったり、罫線をいれたり‥。
小学生だったら、一日あったら仕上げられる。
せめてインター・ネットに繋げろ‥と、お節介くんに言われた。
“ ボク知っているところがあるから、そこに頼む。 ”
この際、お節介くんに頼んだらいいのに、変なところで自己主張する悪い癖。
黒板に 「 ○○商店、インター・ネット申込み 」 と朱書大書してから数ヶ月。

要するに‥最後は、手続きもゼーンブお節介くんのお世話になって、登録証と機械らしきものが送られてきたらしい。
昨日の午後には、教室の先生の手を借りて開通させると言う話なので、わずかな期待を持って、冷やかしに行ってみた。
けど、うまいこと繋がらなかった。
それはよくあることで、いいとして‥。
“ それで、先生のおられるときは、繋がったんかいな? ”
こういう場合は、YES か NO の返事で充分だ。
“ いや、先生が、あの書類ないか‥言うから、そんなもんありません‥結局自分が持っていたんやけど‥、センセ怖い顔して、その紙見て‥( 以下略 )。”
この際、センセイの怖い顔の真似なんか必要ない。
“ 繋がったんか、繋がらんかったんか、どっちや! ”

ボクは、辛抱強くないので、大声で怒鳴ってしまいました。

その後、彼の新しい番号‥いや、メール・アドレス‥を聞いたので、初メールを入れておいたけれど、今んところ、音沙汰なしですわ、はい。

2006年06月09日

この一球は絶対無二の一球なり

マジメなテニスの話。
早稲田大学に 「 福田雅之助 」 というスーパー先輩がおられた。
氏は、下記の 「 庭球規 」 なるものを部員に残した。
よく吟味してください
古臭いのを、読みやすく書き換えてみると‥
    ----- * -----
この一球は 絶対無二の一球なり
されば心身を挙げて一打すべし
この一球一打に技を磨き
体力を鍛え
精神力を養うべきなり
この一打に今の自己を発揮すべし
これを庭球する心という
    ----- * -----
これは、氏の著書 「 この一球 」 に掲載された有名な一節である。
‥この本の発行年度は、1986年となっており、書の日付も昭和49年であるが、すでにボクたちの中高時代 ( 昭和30年代 ) に、この 「 庭球規 」 が掲載された福田氏の著書は、テニスのバイブルとして崇められていたとの記憶がある。
( 自信がないので、時期も題名も、友人に確かめた。 )
どっちにしても、一読しただけでもシンドそうな文章だ。
買って ( 借りて? ) 読んだけれど、最初の数ページで、脱落した。
もし、我慢して最後まで読破していたら、ヒョットしたらボクのテニス人生も変わっていたかも知れない。 ( ‥ゼッタイに無いよ、そんなこと。 )
‥というのは、ボクは
「 絶対無二の一球でも、次に違う球が来る。 そのときにまた頑張ったらエエ。 」
という不届きな考えの持ち主だ。
半分失っても、半分得点している限り、負けることはない‥というのがテニスだと思っている。
毎回全力を出していたのでは、精神的にも体力的にも、疲れてしまう。
だから、勝負どころを見極めて、そこだけ集中しよう‥という考え。
こういうところが、テニスというスポーツが、ボクに合っていたのかもしれない。

しかし、そんなエエ加減な考えでは、超一流のプレーヤーはなれない。
でも、どっちが楽しいかというと、きっとボクの勝ち。
失点を悩むことはない、頑張れるときだけ頑張ったらいい。
勝負どころは、勝負したらいい。
もちろん、危険を犯すわけだから、ミスをすることはある。
勝負どころに、勝負できなかったら‥それは、ボクでも悔やむ。

ボクたちにとって、スポーツは 「 遊び 」 である。
だから、何もしないで何も起こらないよりも、余計なことをして失敗する方が、得るものがはるかに多い‥と思っている。

2006年06月08日

ETC搭載

めずらしいことに、1日に3件の予定が入ってしまった。
何もない日は少ないが、普段は、多くても朝1件、午後1件が標準パターン。
予定といっても大したことはない。
陶芸教室と、仁川の倶楽部でテニス、そして夜は駅前で、ミニ同窓会。
困るのは、合間にブログのネタを見つけて、まとめる時間がないこと。
みんな凍りついた
話題に瀕したときのお助けマンは 「 わ 」 くんだ。
ミニ同窓会の会話の中で、新しい情報を知ることになった。
彼の車に ETCが搭載されたとのこと。
( 一同、驚きの顔 )
近所をチョコチョコ走るだけなのに、はたしてETCが必要なのか‥、はなはだ疑問なのだが、追及するうちに、どうやら見栄だけで付けたと思われる。
“ ETCカードが挿入されていません、ETCカードが挿入されていません‥、って何べんもうるさいネン。 じゃかましワイ‥って、怒鳴ってるネン。 ”
“ 機械は何べんも言わへん。 普通、いっぺん言うたら終わりや。 ”
ところが 「 わ 」 くんは “ いや、そんなことない。 ” って頑張るので、キリがない。
どうでもいいので、そういうことにしておいた。
カー・ナビについては、彼には使い方がわかるはずがないので、高価な機械を取り付けても、宝の持ち腐れだ。
とりあえず、ETCだけ搭載して、一人前になったつもり。
ところが、話しているうちに新事実が判明した。
ETCカードを持っていない。 」 ということだ。
( 一同、あきれ返った顔 )
盛り上がっていた会話が、凍り付いてしまったのは、言うまでもありません。
‥おしまい。

2006年06月07日

「 カワイー 」 につられて‥

「 ソーメンが恋しい季節 」 になってきた。
違う言い方をすると 「 信号待ちするにも日陰を探す 」 ‥てなところ。
暑くなるとテニスに行くにも、最初からポロシャツとショートパンツでプレーできるので、バッグの用意もずいぶん楽になった。
今日もそんな一日だった。
練習風景
2週間に1度だけ開催する日曜日のレッスンがある。
最近メンバーに入られたオバサンがおられる。
年齢はボクよりずっと上なので、とっくの昔にオバーサンになっているはずだが、‥充分オバサンで通用する。
色々話をしているうちに、若さの秘密の一つに、大学のテニス部で学生の練習に参加していることがわかった。
テニス部といっても、強くない公立大学の女子のテニス部。
“ 下手ですけれど、みんな一所懸命で、素直で、カワイーんですよ! ”
ボクは、その 「 カワイー 」 と言うところに惹かれた。
いつものように “ わぁ、そんなところイッペン教えに行きたいわ。 ” って調子を合わせておいたら‥、ホンマに頼んできはった。
そんな外交辞令みたいな話は、たいてい立ち消えになってしまうものだが、近頃、立ち消えもせず、生き残って実現することが多くなったような気がする。
“ お金がない部なので、お茶とケーキでしかお礼できませんが‥。 ”
原価計算すると、神戸市西区の学園都市までは、往復の高速料金は1,400円、距離は70キロ程度、‥お茶とケーキでは採算が合わないが、話の成り行きというか勢いと言うか、カワイー女の子につられたと言うか‥、今日行くことになった。
女子だけ‥と言う話だったが、男子も楽しみにしているとか。
ボクは、女の子のほうが好きだけれど、 “ お願いしまーす。 ” って、明るく挨拶されたら無視はできない。
男子には、練習の要点を2つ3つ口頭で伝えておいて、“ 2回も同じことは言わへんからな。 ” と、冷たく突き放しておいた。
女子の練習の時に、横目でチラチラ観察していたが、マジメにアドバイスを守っているようだった。‥男子も素直だ。
女子は粒ぞろい‥ただし小さなチッチャな粒。
ということは、伸び代が無限にあるということだ。
まだまだ、上達は、球を打つ回数に比例する段階。
迷路に迷い込んだ選手もいないし、眼が生き生きしているのがいい。
暑い中、時間を忘れて‥、気が付いたら太陽は西に傾いていた。

一日だけのアドバイスと、時々行くときのと、毎日付きっ切りの場合では、違った教え方になるので難しいところだが、その中間くらいにしておいた。
もしも、気が向いて今度行ったとき、どうなっているか楽しみだ。
昔の空気を胸いっぱい吸って、すごーく若返ったつもりだったが……家に帰ったら、ドッと疲れが出て、オットマン ( リクライニング・チェア ) で熟睡してしまった。

2006年06月06日

自慢話

今日も、自慢話。

先日、昔のスクール生のご夫妻からのお呼ばれがあった。
いままで、大勢の生徒さんがおられるが、ご主人が本山のスクール、奥様が垂水‥という珍しいケースだ。
そのお宅は、我が家のご近所にある。
ゴルフで言うと‥、パー4の距離‥、普通にわかりやすく表現すると、徒歩2〜3分‥ということになる。

集まったのは、数人。
久しぶりに集まると、色んな話に花が咲いて‥昔話から始まって、今だから話せる真相‥、ネタが尽きると自然に自慢話になる。
ボクたちの自慢話は、有名人をどれだけたくさん知っているか‥ということになる。
自分の子どもが、中村ノリの娘と同級だとか、イマオカとスーパーで会ったとか‥とにかく先手を打ってオーバーに言うたもの勝ち。
ボクは、このメンバーの中では、テニス関係者の有名人なら誰にも負けないが、
職業柄そんなのを自慢しても面白くない。
言うて悪いが、日本選手ではスケールが小さいので、話が広がらない。
中国革命の父
ホストのご夫妻が、台湾出身なので、 「 孫文 」 のことに話題をふってみた。
孫文は、 「 中国革命の父 」 と言われた革命家で‥国の成り立ちが違うので、うまくたとえられないが‥中国の人にとっては、超偉大な人物なんだそうだ。
これは、わが家に代々伝わる自慢話だが、 ( 1911年のことだと思うが ) 孫文が極秘に日本に入国した時、闇夜の神戸港沖に伝馬船を出して迎えに行ったのが、何を隠そう‥わが祖父なのである。
その話をしたら、立ち上がって ( 実際は、ちょっと腰を浮かせただけだが ) ひとこと‥「 それはどうも‥ 」 と敬意を表してくれた。
それがどれくらいのことかは、ボクらにはわからないが、ムードからいって自慢話は、完全にボクが優位に立った。
“ そんなん誰でも良かったんちゃいますのん。 ” とか
“ たまたま、そこに居合わせただけや。 ” の反撃にも
“ そんな大事な役割は、信頼できる人間にしか任せられへんのや! ”
のひとことで、トドメを刺してやった。

たとえ自慢話でもムキになるボクとしては、心地よいお呼ばれだった。

2006年06月05日

若者のイタリアン

若いのに頑張っています

特に記事がないので 「 日記 」 を。
今日は、夜まで、これといった予定がない。
それでも、いつもの時間に起きて、いつもと同じ朝食を摂って、植物の水遣りをして、メダカと金魚とスズメの餌もいつもの場所にセットして‥。
変わったことといえば、腹の調子。
先週、町の医院に診てもらったが、処方された薬はマジメに飲み続けているのに、良くなったような、まだモタレが残っているような‥。
午前中の行事は、もう一度医院に行くことに決めた。
今日も “ 横になってください ” って、指示されたけれど、涅槃のスタイルはせずに、大人しく従った。
“ 最近、ストレスなんかありませんか? ” の問いに、“ ゼーンゼン ” て、答えたら、予期せぬ返事だったらしく、センセイは、もう一度ボクの顔を見直した。
結局、また違う薬の処方箋を手にして1階の薬局へ。
今度は2回目なので、問診票の記入の必要はない。
薬を渡すオネーチャンから、“ それで、まだお腹に違和感が‥? ” と、同じ質問を受ける。
今日は、顔見知りの人はいない。
“ それ、さっき同じことセンセに言うてきたとこ。 ” ブスッとした顔で、ボク。

ささやかなストレス解消をしてしまったら、あとはすることがない。
医院のすぐ近くのトールくんに電話して、ヒルメシのお誘いをした。
先週、手術して退院したところなので、家で大人しくしていた。
彼の家から歩いて、ラーメン屋を覗いた。
‥休みなのか閉店なのか、暖簾が掛かっていない。
そこから10分歩いたところの洋食屋へ向かったが、ここも同じ。
夢の中で、トイレを探しているときと似た感じだ。
‥いいくら探しても目的地にたどり着かない‥あの感じ。
結局、彼の家から一番近いところに、小さなイタリアン・レストランを見つけた。
三十そこそこの若いシェフと、オネーチャンと2人。
先客のアベックが店を出たら、ボクたちだけだ。
味は、悪くはない。
シェフに声を掛けたら、奥から出てきてヨーしゃべることしゃべること。
店を開いた経過から、今後の抱負、ここだけの話まで、全部話してくれた。
トールくんといい勝負だった。
さっぱりとしたいいヤツだった。
つぶれないうちに、もう一度行かねばならない。

2006年06月04日

逆クロのスマッシュ

6年目にして、初めて二輪の揃い踏み。
一輪も咲かない年もあった。
ツボミのまま枯れてしまったことも‥。
睡蓮揃い踏み
今日の午前中は、レッスンだった。
太陽が照り付けて、真夏みたいに暑い。
硬いコートなので、身体にはツラかった。
寒い季節だったら、膝とか肘とか、あちこちにサポーターを巻いていても目立たないけれど、半袖・ショートパンツ姿ではそうはいかない。
腰バンドは、ショートパンツに隠れているので、見られることはない。
今日は、必要最小限にして、足首と手首だけ。

スマッシュ練習をしていて‥、スマッシュもソコソコうまいオバサンに、 “ スマッシュを打つ方向は、いつも決めてはるんですか? ” って聞いてみた。
“ ええ、クロスに決めているんです。 ” ‥それから楽になった。
楽をするつもりで聞いたわけではないが、余計な構えは必要なくなった。

そんなことがあって、昔のことを思い出した。
大学2回生のときのこと。
宿敵KG大学の1年上に、ものすごい人のイイ先輩がいた。
テニスは、‥失礼やけど大したことない‥相手にするのには手頃なレベル。
ただ、その学校の選手は、大したことはなくても、馬鹿にしたらひどい目にあう。
なんせ、昔から 「 Noble Stubornness 」 という怪しげな呪文を、ペンキで書きした看板を掲げたコートで練習している‥宗教団体みたいな連中だ。
ノーブル・スタボーンネス‥とは、 「 高貴なる粘り 」 という意味だそうだ。
ボクたちには、「 泥臭いクソ頑張り 」 と訳した方がよくわかる。
‥ある大きな大会で、安全牌とナメていたのクソ頑張りにあって、チョンボ ( 番狂わせで負けること‥失敗 ) してしまった。
屈辱的だけれど、体育会テニスでは、試合が終わったら、ヨソの学校の先輩には、その場で教えを乞わねばならない習慣がある。
人のイイ先輩は、親切に教えてくれた。
“ 君は、スマッシュがうまいけれど、逆クロ ( 右利きなら身体を捻って右 ) しか打ってこないから、その返球の練習ばっかりしてん。 ”
‥なんぼ勝って嬉しいからといって、これから何度対戦するかわからない相手に、調子に乗ってこういうことを言うのはアホです。
案の定というか、その試合に負けたばっかりに、ボクはランクが下がって、次の母校の名誉をかけた対抗戦で、彼と対戦する羽目になった。
試合前のウォーミングアップでは、スマッシュ練習は、逆クロ方向しか打たない。
しっかり意識をそちらへ向けさせて、予定通り‥と思わせて油断させておく‥。
構えている方向がわかれば、これほど簡単なことはない。
3発ほど反対方向へ決めたら、もう相手の作戦はズタズタだ。
安もんのコンピューターは、すぐに誤動作をし始めた。
もともと、負けるはずのない相手、スコアは、6-0, 6-0 ,6-2 で、ボロ勝ち。
「 喜んで手のうち明かしたら、あきまへん。 」 といういい例だ。

プロのアスリートや、監督のコメントなんか、ものすごく奥深いものがある。
試合の余韻を引きずったまま興奮状態でしゃべっていることが多いので、どこまで本音か、どこまで先を見据えた煙幕かは判断しにくいが、そのまま全面的に信じられないので、そのつもりで‥。

相手にアドバイスするのはいいけれど、今度対戦するときのことも考えてコメントしたほうがよろしい。
以上、ほとんど、自慢話でした。

2006年06月03日

贋作

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これは本物です。
ピントが合わせにくい。
‥作家の人、ゴメンナサイね。




ボクは、盗作・贋作のたぐいの話が好きだ。
読書は苦手のボクだけれど、その関係は、5冊くらい読破した。
それ以外に、途中で断念したのが2冊。
最近、借りて読み終えたのは、村松具視の 「 永仁の壺 」 。
焼き物が好きなボクには、聞いたことのある名前が出てきて、興味深かったけれど、肝心の壺が、つまらない作品だったのには、がっかりした。
そんな時、タイミングよく、贋作報道が2件あった。
一つは、ジミー・大西の贋作。
偽物を作りやすかった‥とのこと。
他方は、芸術選奨を受けた日本の画家の作品が、イタリアの作家のコピーであることが発覚したこと。
そして、まだ 「 盗作ではない。 」 と、言い張っているのが、‥往生際が悪いというか、この期におよんで‥というべきか、まことに滑稽である。
同じ被写体を、100メートルも離れたところから並んでスケッチするとか、同じ絵を2人が模写したのならいざ知らず、そうでなければ、角度が異なってしまう。
あの理屈が通用するならば、絵の具やキャンバスや、筆を取った環境が違えば、贋作にはならないことになる。
この事件で損をしたのは、‥本人は自業自得だから仕方ないとして‥、あの作品を文化庁に推薦した人。
得をしたのは、オリジナルを描いたために、陽の目が当てられたイタリア人の画家かもしれない。
ところで、あの絵は、そんないい絵なのですか?
どうしてイタリアでは有名にならなかったのでしょう?

かつて、有名作曲家同士で、コマソンの ♪ どこま〜でもゆこぉ、道は〜とおくても‥ ♪ の盗作 ( 疑惑 ) 事件があった。
疑惑を掛けられた作曲家が弁明していた。
「 あれは、こういう気持ちで作った‥。 」
いくら気持ちが違っても、画材を変えても、先人と似たもの・同じものになってしまったら、盗作だ。
にせもの

ボクの陶芸作品は、これでも人真似しているつもり。
ただ、作っているうちに似つかぬ作品になるだけで、精神的には贋作制作だ。
だれも、追及してくれないのが口惜しい。
‥「 贋作陶芸家 」 をめざす小屋の番人の独り言でした。

2006年06月02日

復旧

復旧工事中
昨日の夕刻から、ライブ・ドアのブログの関係にシステム障害が起きたらしい。
昨日は、早々と原稿も映像も、ゼーンブ用意していたのに、まる一日経過してしまうと鮮度が落ちたような気がする。 ‥だから、それはボツ。
投稿できないとなると、手持ち無沙汰になって困った。
いつ復旧するか、どれくらい時間がかかるか分からないので、覗きにいっては、跳ね返されて‥、中途半端な気持ちのまま、昨日今日を過ごした。
投稿は義務でもないし、誰も困るわけでもないのに‥。

パソコンも似たようなもので、使っていなかったときは、何の不便も感じなかったのに、一度使い出すと、故障なんかしたら‥、もう大変だ。
メールが到着していないか気にかかるし、調べ物もすぐにできない。
暇な時間が増えたこのごろなんか、パソコンがなかったら、きっと退屈な毎日になっていただろうと思う。
もし急に、この世の中から、携帯と、PCがなくなったら、退屈で退屈で、死者が出るのではないかと、心配になってくる。

ところで、「 駐車違反民営化 」 について。
マスコミ報道に、大いに異議あり。
取締官と、違反者とのトラブルばかり、おもしろおかしく報道している。
しかも、違反者側の立場に立っているようで、端末機が故障したとか、荷物の積み下ろしの現場を取り締まって、逆に逆襲を食らっている映像とか。
ボクが言いたいのは、「 駐車違反が悪 」 なのである。
まるで、取り締まる側が「悪」で、違反者が、被害者‥のような捉え方。
報道は、駐車違反をなくすのに、役に立っていない。
しかし、悪にも程度があって、迷惑度を考慮して取り締まれ‥ということだ。
近くに駐車場があるのに、平気で停める。
場所によっては、たとえ短時間といえども、駐車したら、大きな迷惑、大きな障害になるケースがあるので、単に時間の長い短い‥の問題ではない。

阪急の夙川あたり‥いくぶん駐車台数が減ったような気がする。
JR芦屋付近‥情けないことに、あまり変わらない。
その代わり、どちらもハザード・ランプを点けての駐車が多い。
あれを点灯しても、迷惑なことに変わりはない‥、あれも何の役にもならない。

公園前の交差点の横断歩道に駐車しているBMW‥。
当然、交差点の中であるし、子どもの遊び場へ行く道である。
顔は10人並み以上の若奥さん二人連れが車に向かったので、
“ これ、アンタの車? ” って聞いてやった。
それまでは、こっち向いていたくせに、急に視線を逸らせて、知らん顔。
そのくせ、“ 危ないよ ” って、子どもを叱ってやがる。
危ない原因は、お前さんじゃ。
その子が成長したら、きっと親と同じことをする。
その若奥さんの親の顔も見てみたい。