明日は明日のホラを吹く

2004年から2011年まで投稿を続けていましたが5年間休眠しました。

ウリ・アブネリ氏は1923年ドイツ生まれのユダヤ人で2018年に亡くなるまでパレスチナとの共存を訴えた平和活動家であった。氏のパレスチナ情勢に関する証言は以下の3つの時期のものに大別できる。1933年の移住当時−アラブの国で、アラブ人とユダヤ人では言語・宗教・文化・背景・ものの見方など異なる点が多く没交渉だった。統治していたイギリスも両者の分断を煽っており、結果としてユダヤ人が力を持つようになった−この証言からシオニストが理想とした「地に足の着いた社会」はアラブ人の排除を伴っており、パレスチナ問題はイスラエル成立以前から既に始まっていたことがわかる。第2次世界大戦時−65万人いたユダヤ人の産業が英本国から遮断された50万人もの在埃英国軍からの軍需で急成長した一方、約2倍120万人いたアラブ人には知識・技術がさほどなく、ユダヤ人とアラブ人の経済格差が拡大した−ユダヤ人は引き続き「移民した貴族」であり続けた。B茖閏|翕貔鐐荵−開戦当初のイスラエルには歩兵・特殊部隊しかなく、大砲・空軍・戦車等の武器もなかったため、ユダヤ人の1%6,500人が戦死する苦戦を強いられたが、ソ連邦からの武器援助を得ると攻勢に転じた。勝利を確実にすると秘密命令を下し大多数75万人のアラブ人を追放し、土地を接収、欧州から流入した数百万人のユダヤ人難民に与えた。アラビア語で「大惨事」の意のこの「ナクバ」でアラブ人は20万人まで減少し、この人口構成が現在まで続いている−1)イスラエルはソ連邦からの武器援助がなければ勝利できなかった2)ナクバは、例えば自然発生的な暴動等ではなく、イスラエルが実際に秘密指令を下して実行したものである、の2点をユダヤ人で特殊部隊にいた氏が明確に証言し、「我々の勝利はパレスチナ側の惨事でした」と認めている点で、特に重要である。(800字)

パレスチナ問題 (放送大学教材)
高橋 和夫
放送大学教育振興会
2016-03-01

戦争がなぜ起こり繰り返されるのかについてはこれまで多くの説明が提示されてきた。シュンペーターは『帝国主義と社会階級』で、古代エジプト・アッシリア・ペルシア帝国から19世紀に至る諸帝国主義を検討し、いずれにも共通な基本的特性があること、すなわち^戝鏡錣い鮴原箸箸垢襦崟鏤粒級」が創出されるとその階級が自らの生存理由を守るため戦争を求めること強い軍隊が育つと指導者が戦争という選択の誘惑にかられがちになること、を指摘し、これらが具体的・合理的理由のない戦争を生む理由であると論じた。実際彼のこの議論は今なお多くの戦争をもよく説明する。例えば1)ベトナム戦争で強力になったベトナム軍が国土統一後カンボジアに侵攻した2)秀吉の全国統一後戦国大名が文禄・慶長の役で朝鮮に侵略した3)明治期倒幕で働きのあった武士団が新政府樹立後西郷隆盛を担いで西南戦争を起こした4)日清・日露戦争で勝利した大日本帝国軍部が強大化し日中・太平洋戦争を起こして後、戦局を野放図に拡大した5)人口・国土が数倍する強国イランと戦い強大化したイラク軍がイラン・イラク戦争後クウェートに侵攻した6)ブッシュ(息子)大統領が湾岸戦争での圧倒的な勝利の後、同時多発テロに対しアフガン戦争を起こしてターレバン政権を壊滅させ、虚偽の大量破壊兵器保有疑惑を捏造してイラク戦争を起こしフセイン政権を壊滅させた等である。これは同時代のレーニンが『帝国主義論』で帝国主義を特殊な段階に達した資本主義であるとし、戦争の原因を帝国主義列強による世界分割と断じたため、中ソ・中越間他社会主義国間の戦争の勃発によりその議論を根底から覆されており冷戦後の戦争を説明できないのと好対照である。戦争が起こる背景は複雑で、全ての戦争をシュンペーターの議論だけで説明することはできないが、国際政治の予測において、また戦争を防ぐ手段を考える際に、彼の分析は今なお貴重な示唆を与えている。(800字)

現代の国際政治 (放送大学教材)
高橋 和夫
放送大学教育振興会
2018-03-01

ノルウェーとイスラムとの交流は比較的新しく、1960年代パキスタン・トルコなどから単身男性のイスラム教徒が流入し、北海油田開発の労働力不足を補った。75年の受入停止後も戦争・内戦地域からの政治亡命者や難民は受け入れたし、移民の家族の呼び寄せや自然増もあり、今やノルウェーで生活するイスラム教徒は16万3千人・国内モスクは129か所を数えており、総人口に占める割合は日本の約25倍にも及ぶ。2011年には移民に寛容な労働党を憎む民族主義者による連続テロ事件が起こった他合法な反対運動もあるが、イスラム教は白夜・極夜における断食時間の選択、髪を覆わない白人女性信者の許容、若者の間でのスーフィズムの流行等、世界宗教にふさわしい柔軟性もっており、ノルウェー社会にはよく溶け込んでいると評価できる。日本とイスラムの交流は歴史こそ古くノルウェーの倍・幕末明治以降1世紀を数えるが、戦前までの関わりは、中国内陸部や東南アジアにおける有効な植民地政策を探る必要があった等の理由から総じて「上から」「官製」であり、終戦とともに絶えた。戦後はやっと80年代になって、バブル経済・円高・ビザ免除協定等を背景に、イスラム諸国から労働者が流入したが、ハラール食品の入手が困難で、礼拝施設もほとんどなかったため、信仰に基づいた生活は極めて困難であった。90年代特にパキスタン人が日本の中古車の輸出で経済的成功を収めると、草の根のモスクの建設が急増したが、子女を教育する施設はいまだ極端に乏しく、土葬が可能な霊園は山梨県に一箇所あるに過ぎない。これまでの日本の事例は、いくら交流が長くとも、また国家が政策レベルで「交流」を進めようとも、草の根レベルで没交渉のまま多数派が少数派を理解しなければ共生することはできないことを示している。「郷に入っては四に従う」というイスラム教徒の譲れぬ残り一は何なのかは今後多数派の日本人の側が理解し尊重すべきである。(800字)


 サマータイムとは毎年3月の最後の日曜から10月の最後の日曜まで間、時計の針を1時間進めることである。超党派の国会議員による「サマータイム制度推進議員連盟」(会長・平沼赳夫前経済産業相、190人)は4月22日の総会で、サマータイム制度を導入する法案を了承したのをご存じだろうか。
 この法案は過去10年の間に95年、99年と2度も提出が見送られた法案であるが、その時に指摘されていた問題点はきちんと解決されたのだろうか。また、実現されれば国民生活に広範囲で多大な影響が出ると思われるが、そうしたインパクトの割には余りにも議論が不足しているのではないだろうか。釈然としない点が多い。
 実は、95年の議員立法提出の前に、当時の通産省主導で、政府からこの法案を提出しようという動きがあった。この動きは、関係省庁の抵抗に遭って頓挫(とんざ)したが、私は、その時に警察庁で実務を担当し、その後転身してマスコミや政界も体験した異色の人物(M氏)に接触、94〜95年当時と今とではこの法案をとりまく情勢がどう変わったか、見解を聞くことができた。

――まず、サマータイムそのものについてはどう思いますか。

M  そもそも、これは北海道くらいの高緯度の地域で採用されているもので、日本全国でやるのは無意味なんです。それでもやろうというのは、こういう話が大好きな経済産業省の役人とか、一部政治家とか財界人とかの手柄と利権欲しさのためでは?というのが私の基本認識です。

――現在のサマータイム法案提出の動きについてどう思いますか。

M  何だか亡霊に出会ったような気分です。役所に勤務していた1994年ごろに通産省から法案の協議が来て、その際、警察庁としても反対したのですが、そのとき、現場で直接折衝に当たったのが私でしたので。

――当時のサマータイム法案のいきさつはどのようなものだったのですか。

M  私の記憶では、94年当時に、通産省が政府提出で法案を成立させようと原案を作成し、関係する各省庁の意見を聴いたことがありました。しかし、警察庁だけでなく、他省庁も反対したものとみえて、この話は立ち消えになりました。
   内容的にどうも怪しいために、政府部内の賛同を得られないような法案を、関係する国会議員にお願いして、議員立法という形で提出していただくということはありがちなことなので、この場合も、その後95年に、話を政治レベルに上げてやることにしたのでしょう。
   通常、そうした法案は、特段の問題もなく成立するのですが、この話が通らなかったのは、当時、通産省が主張していたサマータイム実施の主目的が「消費の拡大」ということにあったので、実施に伴う悪影響を勘案すると、政治家たちには、余りメリットがなかったからだと推測されます。

――当時、警察庁では、サマータイムに反対ということになったということですが、なぜだったのでしょう。

M  実を申しますと、直接の原因は、警察庁交通局でのこの案件の担当者の私が、朝寝坊だったからです(笑)。これ以上、早く出勤するのは、かなわんと。
   あと、ご存じのように、霞ヶ関では、深夜まで残業をするわけで、何が「余暇の充実」だ、よた話もいい加減にしてくれ、という空気はありましたね。
   もちろん、公式的には、そんなことは言えませんので、実施に当たっての具体的な問題として、例えば、交通管制のシステムに重大な影響が出るというような主張をしました。身近なところで言えば、青信号や赤信号の長さというのは、どこでも24時間一定というわけではなく、場所により時間帯ごとに細かく設定してあるのです。
   サマータイムを実施すれば、単純に交通量がシフトするというわけでもないでしょうから、そういう設定を全部、一斉に見直さなければならなくなります。

最終閲覧日 2005年04月25日14時05分
提供:PJニュース
文責:私

北海は海底油田の開発が技術的に可能になった1960年代から、その大陸棚の分割が議論され始めた。64年発効の大陸棚条約は、大陸棚分割について中間線の原則を定めており、分割交渉は当初基本的にこの原則に則って比較的早期に合意した。例えばノルウェーは近海に海溝を抱えているため、水深200mまでとする定義を認めることができず批准していなかったが、中間線の原則による境界線を相手国イギリス・デンマークが認めたため不利にならず合意に至った。しかしながらドイツは、中間線の原則で得られる大陸棚が狭いことを理由に大陸棚条約を批准せず、隣国オランダ・デンマークとの交渉では、中間線の原則よりも自国に有利な合意を提言する国際司法裁判所の助言を得てこれを元に交渉を進めることに成功したため、両国にそれぞれ数千平方kmもの後退を受容させた。71年1月のこの合意は、今度はデンマークを著しく不利にするものだったが、イギリスが直ちにデンマークとの再交渉に応じ、既に合意されていた境界線も連鎖的に修正されていった。結果、同年11月に新たに3つの合意が署名され、78年にはイギリス・ノルウェー間の合意をもって北海全域の分割が完了した。北海の大陸棚がかくも迅速かつ平和裏に分割された主な理由としてはヾ覿箸海洋開発に必要な莫大な資本を投下できるようにし石油・天然ガスの利益を一刻も早く得るため欧州諸国が協力した欧州は2度の世界大戦の反省から紛争の平和的解決に熱心だったA憾鮠鳥臆湛颪政治的に安定した民主主義国家であり、NATO加盟国で、ノルウェー以外は欧州統合運動に関与していた同盟国であったことが挙げられる。大陸棚の考え方は後に82年国連で採択された海洋法条約の排他的経済水域という概念として結晶したものの、東アジアでは各国の利害対立の多くが未だ調整されず長期間膠着状態にある。関係各国の外交の成熟によって迅速かつ平和裏に調整されることが期待される。(800字)


北方領土とは、北海道の東北の海上に浮かぶ国後島・択捉島・色丹島・歯舞群島をいう。日本はロシアに先んじ、遅くとも19世紀初めには四島の実効支配を確立していたが、第二次大戦末期に至り、ソ連は対日参戦による早期終結を望む米国から、戦後の千島列島領有の確約を得て(カイロ・ヤルタ両会談)日本に宣戦し、北方四島も占領した。日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏し、「主権は本州、北海道、九州、四国と連合国側の決定する小島」に合意した。1951年のサンフランシスコ平和条約で日本は、国後・択捉については「南千島」として放棄したものの、歯舞・色丹については56年の日ソ共同宣言で平和条約締結後に引渡す旨ソ連が約したため、以て日ソ間の領土問題は解決したかにみえた。しかし冷戦期にあって日ソ接近を警戒する米国が、日本を沖縄不返還を仄めかして脅迫し、四島一括返還要求強硬論に主張を変えさせた。ソ連もその後「領土問題は解決済み」としたので以降北方領土問題はほぼ棚上げとなった。冷戦が終結しソ連が崩壊した際には、日本の経済協力を得られるよう東京宣言(93年)やイルクーツク声明(01年)を出して、ロシアが態度を表面上軟化させたこともあった。しかし日本の世論においては、日本史教科書の記述の歪みや、一部を除くメディアの権力に無批判な報道のためか、何が日本のMy Wayなのかが正しく検討されず、概して解決を求める気運に欠けている。政府も米国に盲従する冷戦時代と変わらぬ未熟な外交政策を漫然と続けている。そのような日本を尻目に現職の第4代プーチン大統領は世界的なエネルギー価格の上昇という僥倖を得て、「強いロシア」を掲げ、国内の民族主義的感情の高まりに応えて高い支持を得た。10年以降NATO・米国がロシアを敵として扱わないことを決定したことから、ロシアの対日政策に米国の反応を考慮する必要が薄れたこともあり、積極的に北方領土の固定化を目指している。(799字)

※途中なぜMy Wayなのか、は『国際理解のために』放送教材該当回をお聞き下さい。

国際理解のために (放送大学教材)
高橋 和夫
放送大学教育振興会
2013-03-01

「人は、生と悪、光明と暗黒、神の道とサタンの道の選択を迫られる。世の終りが来て救済者が現れる。死者は生き返り裁判にかけられる。正義の道を歩んだ者には天国の門が開かれて永遠の生命が与えられる一方、サタンの道を選んだ者には地獄が待っている。」ゾロアスター教の教義は、以上のような二元論・終末論・救済論の三本柱からなるが、これはユダヤ教・キリスト教・イスラム教のいずれにも採用された。紀元前6世紀、アケメネス朝ペルシア帝国のキュロス大王が、バビロン捕囚下のユダヤ人を解放し、勅令で信仰の自由を保証するなど被征服民を寛容に扱う革命的統治方法を採用したことが、円筒印章などで明らかになった。こうした統治方法は以降パルチア・ササン朝と続くイラン系の王朝でも継承されたので、ユダヤ教徒は長くゾロアスター教の影響力の強い帝国の臣民であった。キリスト教はそのユダヤ教から生まれて、イスラム教はユダヤ教とキリスト教をともに神の教えを伝えた聖なる宗教として尊重した。これらの歴史的背景にゾロアスター教が多大な影響を与えた理由をみることができる。教義の他、『新約聖書』の「マタイによる福音書」の「東方の三博士」がゾロアスター教の神官であると考えられる点や、『旧約・新約聖書』の「天国」の語源が古代ペルシア語に求められる点なども影響の証である。仏教は、インドから中国・朝鮮・日本に至る東アジアへの伝播の過程で中央アジア的なものを吸収しながら発展したので、当時現地で隊商貿易の利権を独占していたイラン系ソグド人の多くが信仰したゾロアスター教(中国名・祆教)の要素を取り込んだ。火を背中に浮き彫りにした火焔仏は、火を神聖視して拝火教とも呼ばれたゾロアスター教と仏教のシンクレティズムの結果とみられる。また毘沙門天は、ゾロアスター教の主神アフラ・マズダの下位神ミトラ神が漢訳されて仏教に取り込まれ、日本に至ったものと推定されている。(800字)

国際理解のために (放送大学教材)
高橋 和夫
放送大学教育振興会
2013-03-01

東山線の車内で流れるアナウンスは

東山線名古屋駅到着時車内アナウンス

日本語・英語・韓国語・中国語・ポルトガル語の順です。
特に中国語は日本語にない音がたくさんあるので、
そのままカタカナにするのは無理がありますが、
一番近い日本語表記にすると以下の通りになります。

まもなく、名古屋、名古屋。お出口は右側です。
桜通線、あおなみ線、JR線、名鉄線、近鉄線ご利用の方は、お乗り換えください。
This is Nagoya. Please change here for the Sakura-dori, Aonami, JR, Meitetsu, and Kintetsu Lines. (英語)
사쿠라도리선, 아오나미선, JR선, 메이테츠선, 킨테츠선을 이용 하실 손님은 갈아타시기 바랍니다. (韓国語)
サクラドオリサン、アオナミサン、JRサン、メイテツサン、キンテツサニリヨハシスニムン
カラタシギバラムニダ


换乘樱通线,青波线,JR线,名铁线,近铁线的乘客,请在本站换车。(中国語)
ファンチャンイントンシェン、チンボーシェン、JRシェン、ミンティエシェン、
ジンティエシェンダチャンカー、チンザイベンチャンファンチャー


Passageiros que utilizarao o metro da linha Sakura-dori, a linha Aonami, a linha JR, Meitetsu, e Kintetsu, facam a troca nesta estacao. (ポルトガル語)
パサジェイロスキュティリザロ ウメトロダリナ サクラドオリ、アリナアオナミ、アリナJR、
メイテツ、オ キンテツ、ファサマトロカ ネステスタソン


さあ全部言えるようにして忘年会のヒーローになろう!

*2019年5月12日追記・・・この記事を書いた後、ポルトガル語のアナウンスがなくなり、その代わりに台湾語のアナウンスが追加されましたが、普通語と同じ文章だったので普通語だけで十分とされたためか、台湾語のアナウンスもなくなって現在に至っています。

地震の予知は難しくこれも結果論との誹りは免れないとはいえ、
3月9日から震央と大きさの分布をとって時系列で見てみると、
以下の通り。



素人目にも9日頃から活発化していることが明確に見てとれる。
念のため原発を止めるくらいのことはできてよかったのではないかと
思えて仕方がありません。これから9日頃から警鐘をならしていた専門家はいないか
探してみたいと思います。

今、落合洋司先生のブログで、
刑法学者の中山研一先生が亡くなられたことを知りました。

数年前から「中山研一の刑法学ブログ」を愛読させていただいており、
戦争・平和憲法・死刑制度・官僚等について全くぶれることのない主張を
丁寧に繰り返しておられたのが印象的でした。
僭越ながら私にとって、戦中・戦後を生きた方の言葉として最も信頼に足る言葉を
綴っておられた方々の一人でした。

一度ブログのコメント欄で、裁判員裁判における専門家の扱いについて、
ごく初歩的な質問をしてしまったのですが、とても優しく教えて下さいました。

ご冥福をお祈り申し上げます。
ありがとうございました。

小松左京さんのご冥福をお祈り申し上げます。
私に科学と文学の楽しみを教えて下さいました。



今週はとてもうれしいできごとがありました。ビジネス英語に関する素晴らしい著作を出し続けておられていてずっと尊敬していた有元美津世さんにお声がけいただきました。

日本語で考えるときは発想の仕方まで日本語に沿って発想しているので、日本語で言いたいことを考えてそれを対応する単語に分解して翻訳した内容を話すということをしていると、

     「理屈から考えてあなたの言いたいことは全く理解できないわけではないけれども、
      とにかく事実として、ネイティブはそういう言い方はしない

という英文になってしまい、全く聞いてもらえないのですが、それでも構わず必死で話し、やはり全く何も伝えられないで沈黙に沈むということを、我々は21世紀になった今もやっている。ビジネス英語の指南書の類書の善し悪しはこういう英文がいかにないかで見ているのですが、全く無縁なのは有元さんの著書だけだと思います。圧巻とはこのことです。履歴書/面接について、日本の資格の英訳などそもそも英米人はほとんど気にしないところ苦労されたのではないのではないかと思うのですが、かなり細かい資格まで対応しておられます。




最新刊は「プレゼンの英語」。まだ拝読していませんが楽しみです。

平成23年3月28日ニューヨーカー紙「東京からの絵はがき」大江健三郎
http://www.newyorker.com/talk/2011/03/28/110328ta_talk_oe


--------------------------------------------------------------
【訳】

 偶然だが、私は地震の前日、数日後の朝日新聞の朝刊に掲載された記事を書いていた。
その記事は1954年のビキニ環礁における水爆実験で被爆した漁師に関する記事だった。
私が彼のことを聞いたのは19歳のときだった。後に彼は核抑止力の神話とそれを支持する
人々の傲慢さを批難するのに生涯を捧げた。あの大震災の前日にあの漁師を思い起こすことに
なったのは一種の悲しい予兆だろうか。彼はまた原子力発電所とそれがもたらす
危険性とも戦った。私は日本の近年の歴史を次の3つのグループの人々の視点を通して
見る方法について熟慮を重ねて来た。つまり、広島や長崎の原子爆弾で亡くなった方々、
ビキニ環礁の水爆実験で被爆した方々、そして核施設の事故で犠牲になった方々である。
日本の歴史をこうした事件を通して考えれば悲劇は自明である。
今日、原子炉の危険性は現実になったのを確信することができる。今全貌が明らかに
なりつつあるこの災害がどのように終わろうと、私は克服しようとする人々の努力には
全幅の敬意を払っているが、この災害の意義はどう考えてもあいまいではあり得ない。
日本の歴史は新たな段階に入った。そしてもう一度我々は核の力の犠牲になった人々の
視点に立たねばならない。苦しみながらも勇敢さを見せた男性たち、女性たちの視点に。
現在の震災から何を学ぶかは、この震災を生き延びる人々が過ちを繰り返さないと
決意するかどうかにかかっているのだ。

 この震災は、劇的な方法で、2つの事象を結びつけている。日本の地震に対する脆弱性と、
核エネルギーに代表されるリスクに対する脆弱性である。前者はこの国がもとより
直面してこなければならなかった現実である。後者は、地震や津波によりもさらに
壊滅的であることがあきらかになるであろうが、人災である。日本は広島の悲劇から
何を学ぶであろうか?2008年に亡くなった現代の日本の偉大な思想家の一人、
加藤周一は、原子爆弾と原子炉に言及して、千年前に清少納言という女性によって書かれた
「枕草子」の一節を引き、「とても遠くにあると見えるものも、実際には、とても近い」
ものだと言っている。核の悲劇も、遠く非現実的な仮説に見えるかもしれないが、
その可能性はしかし常に我々の身近にあるのである。日本人は核エネルギーを
工業的な生産性の文脈で考えるべきではない。広島の悲劇から経済成長の「レシピ」など
引き出すべきではない。地震、津波、そしてその他の自然災害のように、
広島の経験は人類の記憶に深く刻まれるべきである。人の手で生み出されたからこそ
自然災害よりもはるかに悲劇的なのである。原子炉を建設することで人間の命を
あからさまに蔑視する過ちを繰り返すのは、広島の犠牲者の記憶に対する、
可能な限り最悪の裏切り行為である。

 日本が戦争に負けた時私は10歳だった。その翌年新しい憲法が公布された。
私はその後何年にもわたって、我々の憲法に明記された、戦力の不保持や
後の非核三原則(もたず・作らず・持ち込ませず)を含む平和主義が、
戦後日本の基本的な理念の正しい表象たり得ているかを自問し続けてきた。
実際には、日本は段階的に再軍備をし、1960年代の密約でアメリカ合衆国が
核兵器を持ち込むことが可能になったため非核三原則は無意味になってしまったが、
戦後の人間の尊厳の理念は完全に忘れられたわけではない。亡くなられた方々は
我々がそうした理念を尊重するよう監視しているし、亡くなられた人々の記憶があるから
我々は政治的現実主義の名のもとで核兵器の破滅的な性質を過小評価するわけにはいかない。
我々は分裂している。現在の日本があいまいに見えるのはそのためである。
アメリカの核の傘に守られた平和主義者の国なのだ。福島原発の事故で、
日本人が再度、広島や長崎の犠牲者と連帯し、核の危険性を認識して、
核の賛成派が提唱する核抑止力の幻想を払拭することが望まれている。

 成熟したと一般に見なされる年齢に至って、私は『我らの狂気を生き延びる道を教えよ』
という小説を書いた。今晩年に差し掛かって、私は『最後の小説』を書いている。
私がこの狂気を何とか生き延びることができれば、その本の冒頭で
ダンテの『神曲』の最後の一節、「そして我々はもう一度星々を見るために外に出た」を
引くつもりである。

【訳 itobun】

【平成23年5月8日追記】
4行目 「高慢」の誤字を「傲慢」に修正

【平成23年8月7日追記】
第2段13行目 「生活」を「命」に修正


--------------------------------------------------------------


今日、マグニチュード7.9だった関東大震災すら凌ぐ、
マグニチュード8.8、明治以降の観測史上最大の地震が発生しました。
私は名古屋市内の建物の2階にいて、震度2程度ではあるものの、
尋常でない長さの横揺れを感じ、ネットのニュースで東北の地震と知り大変驚きました。

無事です。ありがとうございます。

小学校4年生の頃、僕は元気で友達の多いやんちゃ坊主でした。
当時は時間を見つけてはみんなで集まって、野球をして
楽しくあそんでいました。

7月になり、先生が「もうすぐ学校で初めてプールの授業がありますよ」と言ったので、
クラスが「わーい」と大騒ぎになったのですが、僕はひとり憂鬱な気分でいました。

僕の体にはみんなと違うところがあるからです。
右の胸に20センチ四方の大きな火傷の痕があるのです。

前にいとこの子達と温泉に旅行に行った時、この火傷の痕は
誰にでもついているものではなく、僕にしかないものだと知っていました。

自分で鏡で見ても異様にただれていて気持ち悪いのに、
友達に「病気だうつる!」とか言われて嫌われたらどうしよう?、
一緒に野球してもらえなくなったらどうしよう?と
不安でいたたまれなくなりました。

それでプールの授業の前に、生まれて初めて母親に聞いてみました。

     「ねえ、おかあさん。僕の胸ってなんでこうなっているの?」

すると母親は、(ああ、とうとうこの質問が来た!)というような、
今まで見たことのないおびえたような顔をしましたが、
静かに姿勢を正して丁寧に説明してくれました。

     「それはね、お前が2歳のときに、台所ではしゃいだので
      お湯を沸かしていたやかんが倒れて、お前がその沸騰したお湯を
      頭から浴びてしまったの。全身大火傷になったので
      慌てて服を脱がせて、水かけて病院に連れて行って、
      顔や首の火傷は治ったんだけど、
      服を着ていたところは痕が残っちゃったの。
      お前をちゃんと見ていなかったおかあさんが悪いの。ごめんね」

自分の言葉に嘘がないのを、ひとつひとつ自分で確かめながら話すような、
そんな話し方でした。

     「ううん、いいの。別に痛いとかじゃないし。
      もうすぐプールだから、皆にどうしたのって聞かれたら
      どうしよう、と思っただけ」

子供心にもこれ以上この話をしたら、
母親に辛い思いをさせるだけだ、まずい、と思ったのを覚えています。
すぐに話を打ち切って外に遊びに行ってしまいました。

その頃父親は鉄道会社で働くサラリーマンだったのですが、
夜遅くまで飲んだくれては、月々の生活費を家に入れないということを繰り返していて、
生活が苦しいので、母は給食のおばさんとして働こうと決意していて、
僕と妹と3人だけの夕食を済ませると、連日夜遅くまで応募の作文を書いていました。

父が泥酔して深夜に帰ってくる頃には、僕と妹は子供部屋で寝ていましたが、
毎日喧嘩しているのは知っていました。そして父が一度怒鳴ったとき、

     「子供に大やけどさせるような母親に子供なんか面倒見させられるかっ!」

と言ったのも、壁越しに聞いていました。それで、

     (ああ、やっぱりあのやけどって、僕の胸のやけどのことなんだ・・・)

とわかりました。

そしてとうとう、初めてのプールの日が来てしまいました。

えいっ、勇気を出して更衣室でシャツを脱ぎ、上半身裸になりました。
自分が思っていた程みんなには気づかれず、何も言われなかったので
そこは少しホッとしたのですが、
2、3人のいつも野球で仲良く遊んでいた友達は、
やはり、「え〜何それ」と気味悪がりました。

     「別にもう痛くないし、みんなにうつったりしないから」

と言ったのですが、やっぱり僕って気持ち悪いんだ、と思い
大変なショックを受けました。

しかし意外にもそうしてしょげている僕の元へ、
絵はクラスで圧倒的にうまかったけれど、
運動が得意ではなかったために普段あまり遊ぶ機会のなかった、鈴木君がやってきて、
僕の胸をまじまじと見てこういいました。

     「おお、かっこいい〜!俺もそういうの欲しい!」

僕は心の底から驚きました。まさかかっこいいなんて、
言われるとはみじんも思っていなかったからです。

すぐには何のことかわかりかねている僕に、彼はマンガの
ブラックジャックやキャプテンハーロックにあこがれていて、
男の体の傷は勲章なんだよ、傷がある程かっこいいんだよ、と言いました。

あまりに嬉しくなったので、その夜初めて鈴木君の家に遊びに行って
彼がもっているマンガを見せてもらいました。
本当に、顔や体に大きな傷をもった主人公達が活躍しているマンガばかりでした。

僕は夢中になって彼の持っているマンガを読むと、
こんなに励ましてくれた鈴木君に、お礼を言って家に帰りました。

いつもより遅い帰りに母親は心配していましたが、
僕が心の底から嬉しそうに楽しそうに帰ってきたので
ホッとしたようです。

さらに同じ日の夜。深夜12時頃だったでしょうか、
また父親が泥酔して帰ってきて、夫婦喧嘩を始めました。
ずっと寝たフリをして父親の帰りを待っていた僕は、
妹を起こさないようにそっと起き上がり、生まれて初めて、
夫婦喧嘩をしている現場の居間に入って行きました。

ぐでんぐでんに酔っぱらった父と、父に泣きながら
生活費を入れるように懇願している母がいました。

2人とも驚いた顔をしてこちらを見ました。

僕は部屋でシャツを脱いで、上半身裸になっていました。
そしてその火傷の痕のある胸を父に見せながら、こう叫びました。

     「お父さん!もうお母さんをいじめるのやめてよ!
      この火傷のことなら僕は全然気にしていないんだから!
      これは僕の男の勲章なんだから!
      僕のことでおかあさんをいじめるのやめてよ!」

母親は号泣して「わかったからもう寝なさい、もう寝なさい」と僕をなだめ、
子供部屋に連れて行きました。

何年も続いていた夫婦喧嘩は、その日を限りに止みました。
学校から帰って、晩ご飯を食べ終わっても母がいつもする作文の勉強をしません。

     「あれ?今日は作文書かないの?」

すると母は静かに僕の頭に手を置いてこう言いました。

     「もう書かなくてよくなったの」



「中国語はおもしろい」(新井一二三著 講談社現代新書)90〜94ページを読むと、中国近現代史における尖閣諸島の意味が見事に説明されており、今回のような騒動が再度起きることも予言されている。長くなるが引用させていただこう(太字引用者)。



 
 広い世界における中国語についてさまざまな角度から見てきた章を終えるにあたり、国際語としての中国語の地位と日本の関係について考えてみたい。
 現在、国連の公用語は六種類あり、英語・フランス語・スペイン語・ロシア語・アラビア語に並び、東アジアの言葉としては唯一中国語が選ばれている。一九七一年に、それまでの中華民国に代わって中華人民共和国政府が国連代表権を獲得。二年後に中国語は本会議と安保理の作業用語に加えられた。一口に六種類の公用語と言うが、実際には英語とフランス語で国連業務の大部分は行われており、中国語に与えられたのはそれに次ぐ地位である。
 とは言うものの、インターネット上で国連本部のサイトを開けば、最初のページに現れる六つの「ようこそ」のうち一つはまぎれもなく簡体字の「欢迎」、つまり「歓迎」である。そして、本会議での席上、中国の代表は堂々と自国語で世界に向けて発言する権利を持つわけで、外国語である英語に頼る必要がある日本語と地位が違うことは明白だ。
 これは中国の人口が多いことに加え、第二次世界大戦では戦勝国の一つで、国連の創設メンバーの一員であることにも関係しているようである。ただし、当初は中華民国が代表権を有していたのがのちに中華人民共和国に替わったことは、すでに述べた通りだ。
 中国語が公用語の一つに選定された時、国連本部には、中国代表部とは別に、新たな中国語セクションが設けられ、通訳や翻訳業務にあたることになった。そこで当初から四半世紀にわたって勤務した四人と、ニューヨークの中国料理店で一緒に食事をしたことがある。聞けば、アメリカの大学で博士課程にいたころ、中国語セクションを始動するための大量求人があり、中国語に堪能で中華人民共和国のパスポートを持つ彼らが採用されたのだという。
 だが、もとをたどれば、四人が四人とも、一九四九年の内戦に敗れて大陸から台湾に逃れた国民党政権の上層部につながる家系の出身だった。当然、中華民国パスポートでアメリカに留学したのである。それを共産党政権のパスポートへ切り替えたことに、実は日本が大きく関係していた。
 中国が国連代表権を獲得した一九七一年、日本では翌年五月に控えた沖縄返還に向けて着々と準備が進められていた。その過程で、戦後沖縄とともにアメリカの統治下に置かれていた尖閣諸島が日本に一括返還されることが発表されると、北米の中国系留学生の間で激しい反対運動が展開された。彼らは中国語で钓鱼台[デャオユィタイ]と呼ばれるこれらの島々が、明代からの地図に記載されていることなどを根拠に、中国の領土だと主張したのである。そして、この問題について、台湾の国民党政権が日本に対して弱腰だと見られたことから、在米留学生たちの帰属感は大きく揺らぎ、一挙に共産党支持へと傾いた。国連の中国語セクションで働く彼らも、この時、転向の決断をして、北京政府のパスポートを申請したのだった。
 それはたいへん重大な決断だった。なぜなら当時、国民党と共産党の間では冷戦状態が続いており、台湾にはまだ戒厳令が敷かれていた。政治的に対立する共産党政権のパスポートを取得することは国家に対する反逆行為とみなされ、実際にその後長い間、家族のいる台湾に足を踏み入れることはできなくなった。
 今でも一九七一年の尖閣諸島事件は、在外中国人の政治地図を大きく塗り替えた事件として記憶されている。この時の学生運動を中国語では、釣魚台防衛という意味の「保衛釣魚台[バオウェイデャオユィタイ]」を略した「保釣[バオデャオ]」と呼ぶ。その語幹は日本語の「全共闘」に似ており、「全共闘世代」にあたる中国語として「老保釣[ラオバオデャオ]」という単語もある。世界の学生運動と共振した全共闘運動よりも三年遅れて起きた「保釣」だが、参加者の多くが大学院に籍を置く留学生だったこともあり、日本の全共闘世代よりは多少年齢層が高く、また幅もあるのが特徴だ。
 さて、ちょうど四半世紀のちの一九九六年、今度は中国への返還を翌年に控えた香港で再び尖閣諸島の領有権を巡る激しい反日運動が起きた。この時、ちょうど香港に住んで中国語メディアの仕事をしていた私は、日本人だという理由でとばっちりを受け、連載をすべてやめなければならなくなったばかりか、日常生活にも差し障りが出て、しばらくは近隣のマカオに避難したほどである。
 運動の参加者は、二十五年前の「老保釣」から若い世代にまで広がり、日本国総領事館に突入するなどの実力行使を経て、ついには中心メンバーらが香港から漁船で尖閣諸島に向かう事態となった。海上保安庁の巡視船に行く手を阻まれ、「中国人の海で中国人が泳いで何が悪い」といきなり水に飛び込んだ年長者が溺死。重苦しい雰囲気の中、香港に戻った遺体を中華人民共和国の五星紅旗が包み、愛国者の殉死を悼んだ。その七年前に起きた天安門事件以降、北京政府に反感の強かった香港で,「老保釣」一名の犠牲を経て、赤旗に対する名誉回復が行われたように、当時の私には見えた。
 この時も前回と同じように、香港返還に伴って人々の帰属感が揺らぐ時期だったのは、単なる偶然の符合とは言い切れない感じがする。日本を侵略者という立場に置くことで、中国人の民族意識が高まり、結果的に中央政府への支持が確認されるという歴史的なパターンがあるのではないか。近代中国における大規模学生運動のはしりとなった一九一九年の五・四運動が、第一次大戦の集結に伴って、山東省青島の租借地がドイツから日本に譲られたことに反対して起きたことも想起される。これらの歴史的事件は、中国語を話して暮らす人々にとって、単に共有された記憶であるにとどまらず、政治行動を引き起こす記号のような意味を持つのではないか。二〇〇四年の春に起きた上陸事件も、突発的事態としてではなく、こうした歴史的な枠組みの中に置いて考える必要があると思う。
 また、尖閣諸島の中国語名は「釣魚台[デャオユィタイ]」だが、そもそも中国語の成語に「穏坐釣魚台[ウェンズオデャオユィタイ]」という表現があり、政権が安定している様子を表す。また北京の迎賓館には「釣魚台賓館[デャオユィタイビングワン]」という名がつけられている。これらは本来、領土紛争の焦点になっている小さな島とは直接関係のない事柄ではある。が、小さな島にその体にはふさわしくないほど大きな影響力をイメージさせる名前がついていることが、この島に対して中国系人が激しい反応を示す一つの理由ではないかと、政治的にではなく、文化的に想像するのである。



中国の安田講堂のようなものか。中国共産党はこの「钓鱼台」で何匹目かのどじょうを釣っているのであって最早過剰反応には及ばないお祭りの類いであろう。1919年の100年後、1949年の70年後にあたる2019年も注意が必要であろう。





日本の英訳名は、the United States of Japan となるため、
国の略号は、 "JPN" から "USJ" に変更されます(嘘)。

#なかなかお気に入りのホラになりそうな予感。
#これで一気に若年層の道州制支持を上げる作戦はいかがでしょうか。
#まともにその長所短所を街頭で論じるより、
#そんなのウェブかチラシで読んでもらって、
#日本をUSJにしよう!って端的に(毛沢東的に)叫ぶだけにした方が
#効果的だったりするかもよ。

考えてみると面白そうな事態が発生している。
どういうことだろ。



授業サービスを請負って来ている外国人助手には
労働法の厚い保護が及ばないところ、
日本人の先生が指示をすると雇用関係にあるとみられて
請負が雇用の偽装とみなされる、ということでしょうか。
雇われているような形にならなければいい、と。

あ、してみると、これ、はっきり言って
私の働き方にど真ん中で関わる話ですな。
私は授業サービスという無形のものを請負っている訳ではないので、
雇用と疑われるようなことにはならないし、ならないようにしてますが。

みなさんが正しくお察しの通り、私が自営にしたのは、
労働法の厚い保護が邪魔だったからです。労働ダンピングだと自分では自覚していますが、
さすがに個人でやっている人をそういうキツい言葉で糾弾する暇な人はいなかったおかげもあって、
同業他社と比較してまだまだ見られた私のリテラシー不足を
仕事しながら埋めることができたのでまあキツかったがよかったのではないかと。
ただし他のみなさんがなんとなく、勝算なしにやるのは全くお勧めしません。

名古屋で仕事取るのは、東京での仕事の取れ方を知っている私にしてみれば
相当厳しい。名古屋にずっといる人はそんなに凄いかね、東京って、とか言ってますが。

ところでこの記事は、asahi.comの転載用フォームを使って
ライブドアブログに直接ログインしないで間接的に書きました。
ここまで用意してくれるならなかなか便利かも。
著作権のことでドキドキしなくていいし。

asahi.comのフォームで記事を書くだけで、
asahi.comの望む形式で掲載でき(広告つき)
しかも同時にtwitterで記事アップがつぶやかれるので、
asahi.comの記事を使ってブログを書くときには、
シングルサインオンがほぼ実現したわけですね。

まあ、細かい調整しにまたlivedoor blogに
ログインしにくるのだけれど(笑)。



ツイッターで理系のみなさんが物笑いの種にしていた
東工大の貼り紙。

ã??ã?¤ã??ã?¼é¬¼ç??ã?¿ã?¤ã? <br>
 on Twitpic

私は文系なので物理化学実験をやったことはないが、
貼り紙の文言から察するに、レポートはほぼ全員、
「最小自乗法を使え」という指示を無視し、
好みのデータを選んで高校数学の代数で解いたのであろう。
暴力的にまで投げやりなレポートと言ってよかろう。

そりゃ「誤差」(本来あるべき値からのずれ)など
求めようがない。統計学の「と」の字も理解されていない。
理系でデータいじるのに統計処理できなきゃこの先どうするのか。
他の論文のデータも読めなかろう。

先生の絶望感たるや、察するに余りある。
半年間の苦労が徒労以外の何者でもなかったことが
完全に知らされたからだ。この学生たち、
今からやりなおして間に合うのだろうか。

理系の人間と職場で絡む文系人間にとっては
こんなもんかと勇気付けられたところもぶっちゃけあるのだけれど(笑)。

【追記】

この記事をアップした後、当事者の学生さんから
ツイッターでご説明をいただきましたのでご紹介します。

「ボクも見直してる途中なのでうまく言えませんが、
XYのグラフがあって直線を引くというような単純な最小二乗法じゃないです。
ただ、データを捨ててしまっているという点には変わりはないのですが…
二つくらいの勘違いを経てこうなってますね。 (v・∇)v」

ちょっと言い過ぎだったようで、その点お詫びして
彼らの健闘を祈りたいと思います。
頼むよ私の恩師の母校の後輩諸君。



山口先生がリツイートしていて知った冗談です。
最近知った冗談の中では圧倒的に面白いです。
いわく、

     「ディズニーランドの衛生管理は完璧なので
                  ねずみ一匹いません」

(笑)。嘘つけー、いつも少なくとも
2匹はいるじゃねえか、と(笑)。



Youtubeにアップロードする動画に字幕がつけられるようになったそうです。



あとはある国で違法なコンテンツ(ドイツのナチ物とか)の扱いとか、就職/インターンの方法とか。

実際にYoutubeで働いている人たちを見たのは初めてなので印象的でした。
しかしなんで途中に出てくるお姉ちゃんのボディまで映すんですかね(笑)。
緩いシャツ着てるけど、なんか狙ってないか?と。

・・・

ああ、そういうところに目が行く
俺みたいなのが狙われているのか(苦笑)。






残念だなあ。僕より下の世代から、こういう人、
とてもじゃないが出そうにない。もっとも、
人間の幅なんて私の予見の域を超えていて、
いつでも生まれているのかもしれないけれど。

しんしんと雪の降り積もるなか行われた、
昭和62年度の京都大学の文系数学の試験で、
nを無限大に飛ばした極限を求めよ、という問題が出た。
試験監督は経済学部の先生と聞いていたが、
やけに受験生に気軽に話しかけるので
ちょっと驚いたのを覚えている。

0のはずだと思い、答えようか迷ったが、
無限大は文系の微積分では扱わないので、問題の不備だろうと思って
白紙で出した。しかし後日、採点をしたのが森毅先生だったらしく、
「こんな問題飛ばす奴、いかにも東大と同時受験の官僚予備軍だ、
少々高校で習う範囲超えてたって、かまわずに手前の教養で、
正解書いてみろよ」と、どこぞの本の対談で吠えておられた。

実は私がまさにその問題を飛ばし、その問題以外は全部正解だったのだった。
つまりは森毅先生に、官僚予備軍呼ばわりされた輩だったわけ。
で、その対談を偶然読んで、「いや、確かに解かなかったが、俺は官僚予備軍ではないぞ」と
少々不本意に思った思い出がある。

「官僚になどどう転んでもなっていない人生ですよ、先生。どうです?」と、
一言、我が身の名誉のために申し上げたかったのだが。
試験もコミュニケーションのひとつだから。
しかし、往ってしまわれた。



ツイッターで広瀬香美さんのつぶやきをフォローしていたら、
ハッピーターンの話題で盛り上がっていて、
セブンイレブンにだけ粉250%増量バージョンがあるそうだ。

120462802
他のコンビニは200%まで。
うーん。買ってみたい。

広瀬さん、ハッピーターンの歌も作るそうだ。
さっそく彼女の替え歌で何か投稿してみようかな、と画策。



谷岡ヤスジのあの鳥が「ツユアケー」とか叫びそうな
実にデジタルな梅雨明け。笑える。

去年の梅雨は何だったんだと思う。
いつ明けるんだ?いつ明けるんだ?と思っている間に、
確か気象庁が宣言を諦めて、今年は夏はなし、なんていう夏だったのに。

夏らしい、漫画みたいな夏になるぞ。



ざっと見て、の一般論だけれど、
その割にはいろいろなところで真なのでメモ。

何の話かというと、ここ名古屋で、いろいろな会社や工場に行って、
見ず知らずの私に職務でなくやけに親切だったりする作業員や会社員(男)がいると、
3分の2以上の確率で、宗教を信仰しておられる方か、ゲイか、
育ちのいい地元国公立大学卒である。特にかの学会に所属しておられる方が多い。

見ず知らずの第三者と特に友達になるわけでもなく、
円滑なコミュニケーションをとれるというのは、
大事な能力だと思っているのだが、話しやすそうと見える人がいると、
ああもかの学会の方だと、もう少し宗教もやっていなければ
大学にも行っていない、他の人は何とかできないものか、と思う。
毎回逃げ回る気か。

初等教育が破綻している証ではないだろうか。
何もしていないうちから、いついじめられるかとおびえていたりして、
金が絡まない人間関係を安定的に保てない人ばかりだ。

極端な場合だと、私が見ず知らずの人と普通に話せるので、
かの学会員と思われたりする。ちょっと不本意である。

ちなみに私は見知らぬお年寄りや外国人に、大変頻繁に道を聞かれる。
私と同じ年の人の中では日本一に近い回数を誇っているのではないかと思っている。
自分の方から「何かお困りですか」などと聞かなくても過去200回を下らない。
基本笑顔でいるが、つまらん奴と絡みたくないからである。
誰かともめたがっている奴にそうさせないようにする最大の武器は笑顔である。
それにここだけの話、こちらが悪いことやひどいことをするときの最大の武器も笑顔なのである。
ちなみに、驚かれるかもしれないが、十二分に笑顔を作って逃げるそぶりをしなければ、
その顔のまま、いきなり通りすがりの人を一発ぶん殴ってもトラブルにならないでいられる自信がある。
周りの人や、殴られた方すら、私の笑顔を見て、私に有利な解釈をしてしまうのだ。

まあ確かに悪いようにしたことはないし、いつもここまで
正確にわかりやすく教えてもらえるとは思わなかった、などと感謝されるから、
人選としては全く正しいと思うけれど。

ただし育ちはさほどよくないので、こんな親切、何万回しても、
いつまで経っても一文にもならねえな、と思わないでもない(笑)。
まあ、次聞かれても変わらず応対するけれど。

4、5日前には交差点で自転車を降りて信号を待っている
小学生らしい子に「すいません、今何時ですか』と時間を聞かれたのだが。
そう言っている間中、私と目を絶対に合わせないようにそっぽを向きながらしていた。
変なの。

     「9時30分ちょうどだけどさ、それよりお前、そんな聞き方があるか。
      誰に聞いてるんだと思うだろ?教えてやる気にならないぞ。
      ちゃんと相手の目を見て聞け。仮に断られても、
      笑顔でちゃんと相手に礼を言えるように聞きながら心の準備しとけ。」

といくつか言ったら、時間さえわかればいいのさ、と言わんばかりに、
さっと自転車に乗って逃げるように去って行った。ガキ相手だから本気で怒る気にはならないし、
勝手に逃げればいいのだが、あいつ、次に俺に会ったら、どうするつもりだろうか。
自分で世間を狭くする、ということも教えてやらなければならないのだが。

「一期一会」という言葉があって、人気があるが、
ちょっと言葉足らずなのではないかと思っている。
私が見るところ、人の世は、

     好きな人とは一期一会、
     嫌な奴とはそこで会ったが百年目、

である。しばしば(笑)。
まあ実時間以上に長く感じられるということでもあるけれど。



日本の業者「クラシアン」の森末慎二である。



どれほど莫大な報酬が必要か、とビビるオバマ大統領に、彼は鼻歌で

     ♪パイプのトラブル8000円

と歌い、英雄扱いされたらしい(全部嘘)。



view9633711
全日空が等身大ガンダムの描かれた
ジェットを飛ばすのだとか(時事通信社)。

着地に失敗して炎上したら歌っちゃうな。

 ♪燃え上がれ、燃え上がれ、燃え上がれ、ガンダム

そんなことになりませぬように。



きょうNHKのBShでもうすぐ「日本のいちばん長い夏」なる映画が
公開されるのを知った。
公式サイトはこちら


昭和38年(1963年)6月20日、東京の料亭「なだ万」に、日本を代表する知識人や政治家、官僚を含む28名の人々が集められた。
彼らは皆、戦争の過酷な体験を胸に秘めながら戦後の日々を生きていた。
そしてこの日、およそ5時間にわたって彼ら一人一人が語り明かしていく戦争の記憶は、ポツダム宣言に対する日本政府の対応から、原爆の投下、ソ連の参戦、そして終戦へと至る過程で起きた出来事を、それぞれの当事者たちの心理状態も含めて、次々と露にしていった。
時の日本政府がもっと慎重に対処していれば、広島と長崎の惨劇を免れることができたのではないか? ソ連の参戦を阻止することもできたのではないか? しかし、では、なぜそれが出来なかったのか? 28人それぞれから発せられる発言の数々は、そうした謎に応えつつ、聞く者を改めて痛恨の想いへと誘っていく……。


役者でない人が芝居をやっているのが面白い。
順不同で鳥越俊太郎/田原総一朗/ガンダムの富田由悠季!/国際弁護士の湯浅卓!・・・

下手だなあ、と思わせられるところも生じるだろうが、
どんな言葉をどんな語り方で語るのか、とても楽しみ。

下はYoutubeの予告編。




ワールドカップで勝敗を完璧に当てている蛸パウル君について、
「いくらなんでも当たりすぎる、何か不正をしているのではないか?」
という疑惑が持ち上がっていると聞いたパウル君の弁。

     「俺はタコだ。イカさまはしない(笑)」

もっとも私が作ったネタではなく、
西野法律事務所・雑記帳「投資詐欺」から。

いやあうまいなあ。

こういうことばかり書いているブログやっているものだから、
最初に思いつけないと、とっても悔しいのよね。
あまりに誰でも思いつくものだったら別に悔しくないんですけど、
これくらいに有名なネタでこれくらいにウマいと嫉妬します(笑)。

そして自分が日々不必要にあくせくしていて
こういう思いつきができないやわらか頭でなくなっていることを
思い知らされる訳です(笑)。ほぐさなきゃ(笑)。



少し旬は過ぎてしまったけれど、ニュースで、民主党の議員の形容の仕方として、
「小沢氏から距離をおく議員グループのひとり」という翻訳調の何とも微妙な表現が
連用されていたことがありました。私は個人的にこの変さが気に入っていたものですから、
仕事場でエレベータの中で雑談しているときにちょっとした脅し文句として
使ったりしておりました。

たとえば社長と話しながらエレベータに乗っているときに、
自分とはあまり意見の合わない社員が気まずそうに乗って来たりすると、
社長に向かって、しかし彼に聞こえよがしに、こういったりして。

     「あ、社長から距離をおく社員グループのひとり(笑)」

ギク、としている様子が、
背中向けていても伝わってくるの(笑)。社長もニヤニヤ(笑)。

加えて、小沢一郎にたとえられて喜ばない社長ってあんまりいないですから、
大方失礼にならない、と。結局何がやりたいのか、はよくわからないですよね。
本人も普通に「結局?「結局」、何がやりたいのか、なんてどうでもいい」と
言うんではないでしょうか。あっと人を驚かせて、「何を驚いているのかね、君たち」と、
お澄まし顔(つまりは「裏」どや顔(笑))をするのが趣味というか。

その時々で特に気の小さい人の人心を揺さぶるのが好きなドS、
というイメージをもっております。



バーレーンのサッカー中継が日本語に聞こえる動画があって、
抱腹絶倒です。



いちいち感極まっているところが面白いですね。



違う会社が互いの製品を販促し合うことを
「クロス・プロモーション」というそうだ、という
話をしていたら、その場にいた後輩が、

     「ああ、野球界と相撲界みたいなものですか」

という。?と思い、聞き直すと、

     「お互いに賭博で業界を活性化し合って」

ですと(笑)。皮肉としてならまだしも、と面白く思ったが、
言葉本来の意味としてはやはりズレていると言わざるを得ないだろう。

全く別の話、亀の甲羅に「カメデス」と落書きした野郎がいるという
ニュースが少し前にあったのを聞いて、かわりに贖罪の意味で
背中に「カメデス」あるいは「カメデハアリマセン」と書かれた
Tシャツ作るやついないかな、と思ったのだが、今のところいないようだ(笑)。




テレビでタモリが言っていた。けだし名言。

     「男のロマンは、女のフマン」

中高年になってから「俺はずっとこれがしたいと夢に思って来た」などと言って、
突如お金や時間や手間がかかるが、ほとんどお金にならないつまらないことを始めて、
妻をはじめとする家族を困らせる男が多いのを受けてできたものだろうか。
ロマンとフマンで外来語と漢語と由来が違うのに、よく合っているな、と感心。

そのテレビの観客席にいた客のほとんどは女性だったが、「ほんと、その通り」と言わんばかりの
賛同のため息が各所からもれていた(笑)。みんな困っておられるのだな(笑)。



今日初めて血小板の成分献血をした。
自分の献血自体はとても順調に行ったのだが、
隣で400ml献血をしていた男性が

     「すいません、気分が悪いんですが・・・」

というなりいびきをかき出し、数十秒ほど意識を失い、
センター内に緊張が走った。

幸いすぐに看護婦が彼を呼び、意識は戻った。
彼の献血は中止され、しばらく安静にしておられたのだが、
聞くと前回もそういうことがあったのだという。
私は内心、人に献血してる場合じゃねえじゃねえか、と思ったが、
さすがに誰もそういう言い方はしなかった。当たり前か。

彼女たちが、その男性のいびきの音に
大変敏感に反応したのが印象的であった。
いたずら坊主の私はつい、献血中、目を閉じずにいびきの真似をして、
看護婦さんたちの注目を不必要に集めてみようか、
などと思ってしまったのだが、近くの看護婦さんにそんないたずらしたらどう?と聞いたら、
当然ながら「やめてください」と(笑)。

献血センターに行くと、献血センターでしか会えないような、
大変に線が細く、周囲にいる、ありとあらゆる人に、無条件に親切だが、
大変に頼りない、というタイプの人々を見かけるのだが、
そういう人々のひとりであった。

別の話だが、私はその献血センターでおでこを蚊に刺された。
献血センターに集まるなんて随分賢い蚊だ、進化の最終形か、と(笑)。

サイゼリヤのキッズメニューに間違い探しが載っていて、
10カ所あるそうだが、どうしても8カ所しか見つからないので、
携帯で撮影して宿題にすることに。

クリックすると拡大するので、お好きな方、
腕におぼえのある方は是非。


間違い探し











あ、できました!答えは以下の通り。

 1 □1 水牛→水午(これと看板が一番難しかった)
 2 □2 湯気の向き
 3 □3 乳酸菌の入れ物の形
 4 □5 柄の持ち方
 5 □5 マスクをしていない
 6 □6 入れ物のふちの線がない
 7 □7 浮いているチーズに顔がある
 8 □7から□8の矢印が緑色
 9 □8 サイゼリヤの看板が小さい
10 「モツアレラチーズができるまで」の下
   チーズのひとつが栗になっている



中3の時の担任の先生は現代社会の担当で柴田先生といった。太っておられたが、
我々のようなガキにも大人のユーモア(下ネタでない、毒のある冗談をよく言われた)をいい、
楽しそうに授業をされる先生だった。私は勉強をよく頑張っていると思っておられただろう、
市立中学ゆえ他に悪ガキも多く、私のように悪さをしない生徒は放っておかれたが
私の好きな先生だった。

それに、修学旅行の作文を書いたとき、
私はみんなが書きそうな、名所旧跡の話を一切書かなかった。
読む方がびっくりするくらい、大胆にバスや旅館での友達との交流に絞って書いて、
タイトルを「もうひとつの修学旅行」にし、
作文の最後になってやっとタイトルの訳をあかすという書き方をした。
「僕にとっては勉強よりもこういう友達とはしゃぎ合えたことの方が
修学旅行らしかった気がする」などとまとめて。
柴田先生はその構成を教室のみんなの前で全文を読み上げて褒めてくださった。
私はそれで「あ、俺、文章いけるかもしれない」などとうぬぼれてしまい、
文系に進む大きなきっかけになったと思う。

高校に進んでからも、論文や作文を書くときには、やたらに「狙って」
他の誰のでもなく自分の文章を面白がらせる快感にはまっていったからだ。

だから柴田先生に会っていなければ、
こういう文章だらけのブログを書く大人になっていたかどうか、
相当怪しい。

ああしろ、こうしろということを全然言わなくてもその風格に生徒がちゃんとついていくという
タイプの先生だったので、あまり表立って怒ったところを見たことはなかったのだが、
先生が涙を流して我々を咎められたことがあって、その場面を30年経った今でもよく覚えている。

昼食は弁当や校内販売でなく学校給食で、当時は米が余りだしたというので、
それまでずっとパンだったところ、月に1度はご飯を出すようになっていた。

とある日のご飯がわかめご飯で、結構な量が余ったというので、
給食当番が、中学生らしいガキっぽい悪ふざけから、
余ったどんぶり2杯ほどのわかめご飯を全部、
柴田先生(配膳のときは教室にいなかった)の皿に盛りつけたのだった。
太っているから喜ぶだろう、などという言い訳も用意していただろう。
ちょっとしたサプライズで笑わせようくらいのつもりだったのだろう。

しかし教室に入って来た先生はそれを見て、教室にいた全員の生徒に
涙を流して怒ったのだった。

     「先生はな、太っているのを気にしていてだな、
      糖尿病とかの病気になるから
      何とかしなきゃと思っているのにだな、
      こういう仕打ちはないだろう。ひどい。
      それにご飯をこういう悪ふざけに使ってはいかん」

まあ怒られて当たり前だし、機嫌のいいときの先生ならふざけるなよ、位で
笑ってくれたかもしれないのだけれど、その日の先生は本当に悲しんでおられて、
葬式のように静かな昼食になった。誰も先生のご飯を減らそうと近寄ることができず、
先生は静かに余計な分を残して教室を出て行かれた。
それでその後は誰もそういういたずらをしなくなったのだった。

別の話、柴田先生が自分の教え子を亡くされたときの話をしたことがあった。
その生徒は学校の帰りに自転車で車と衝突して亡くなられたらしいのだが、
そのときに先生はあまり深刻そうでもなく、

    「あっけないもんですよ。人が亡くなるときなんて。
     くちゅっ、ってなもんです」

と言ったのだが、同級生の真面目な女の子がその言い方に不快感を覚えて
先生に抗議したことがあった。ブラックユーモアを言う柴田先生らしい物言いだと思ったし、
先生が生徒を亡くされた悲しみに嘘はなかろうし、その生徒と先生の関係を知らない我々が
とやかく言うこともなかろうと思ったから私は気にしなかったのだが、
その女の子は驚いたことに、柴田先生のところへわざわざ出向いて、
「生徒が死んだというのに、くちゅっだなんて、あんな言い方はない、ひどい」と
抗議したのだった。先生は丁寧にその女の子に謝罪したそうで、
「あんなに丁寧に謝られちゃって私もやりすぎたかなって」
と笑って言った。私はそうだよと思いながら、謝らせられた先生の心中を思っていた。

で、あにはからんや、かくいう私も大人になって、
柴田先生のように、毒のある軽口を言っては、
しばしば真面目な女の子に咎められるハメになったのだ。
私は学校の先生ではないので、ほとんど謝らないのだけれど。
抗議を受けたりしたときは、よくあの女の子と先生のことを思い出してやり過ごしたりする。
どうせこいつも謝ったら謝ったで呑気に、「やりすぎたかな」くらいにしか思わねえんだろ、と思いながら。

先生や私が好きな毒や軽口は、効き目のあるアホのリトマス試験紙みたいなところがあり、
最適な人間関係における距離を「測量」するのに欠かせないと思っているので、
付き合いの浅い人にこそ言わずにいられなかったりするのだけれど。
柴田先生もこういう話をしたら、きっと笑って同意してくださったろう、と思う。

「くださったろう、」という書き方をしたのは、昨日実家に
中学時代の同級生が「柴田先生が亡くなった」という連絡をくれたのを知ったからだった。

先生、安らかに。卒業後はあまり遊びにも行かずにすいませんでした。
毒の吐ける大人がいなくなるのはほんとうに寂しいですよ。



しょーもない(笑)。日本人にすらシュラッグを連発させる力のある徹底的なしょうもなさ。しょーもないけれど、しょーもなさが目的の映画でしょうから、ならばその目的は見事に達成されているわけで(笑)。宮藤官九郎氏の脚本はしばしばしょーもなさにあふれていますが、いくらしょーもなく作っても、横着さや鈍さは全くなく(そういえば、この間の松本人志の「しんぼる」は、ところどころ大変横着でした。あんなもの公開するくらいならやめて一から別の作品を作るべきだったと思います。CGに振り回されている)、「マメ」(仕掛けが細かい)なので、いくら気の短い観客であろうと、本気で怒らせない憎めなさがあるのでした。こちらも「ゼブラーマン」というだけでは見ませんでしたが、宮藤官九郎氏が脚本を書いたというので金を払い、「ちっ、しょーもない、宮藤官九郎だなあ」と苦笑いしまくって劇場を後にしたわけなのですが、この映画のスタッフはまさにこんな反応が欲しかったのでしょうね。

ただし男向け。女性が見ているからこう修正しようという気遣いは皆無。これだけ幅広いマーケティングの裏打ちのない作品はひさしぶりなので、そこにはある種の爽快さを感じました。こういうのはこういうのでいいのですよ。男子高校生に連れと見に来て予想外のおいしい思いをさせてあげよう(制作者たちの過去の映画への恩返し?)と思って作っているような映画であります。そういうわけで、悪役の女性を撮るアングルがしばしばとても「変」で、「男には」笑わせてくれます。



健康診断が済んでから少しペースを落としていますが、相変わらず休日には映画館まで
語学のiPodを聞きながら往復20キロほど歩いて、休憩がてら映画を見て帰るということをしています。

●マイレージ・マイライフ・・・いろいろな意味で半端な映画でした。失敗作でしょう。ジョージ・クルーニーを凄い男ないしカッコいい男にするエピソードが冒頭で続くので、その線でいくのかな、と思いきや、中盤からこけて行ってしまってどないやねん、と。彼が女に会いに行ったところには苦笑しました。だいたいああいう男が血迷って会いに行くほど若いはずがない。「結局あなたは何が欲しいの」とか言われてるところが、あまりにも格好悪く、その後もずっと「まあ勝手にしろや」と思ってしまい、感情移入を続けるのが困難になりました。旅慣れているところを示すエピソードも「アジア人の列の後ろに並べ」だけじゃ少なすぎる。もっといろいろあるでしょうに。

●ダーリンは外国人・・・日本製の衣類についている、洗濯の仕方やクリーニングの仕方が書いてあるタグの意味が外国人にわからないというのは、結構話題になることで、私もとある米国人のために翻訳してあげたことがあります、など、細かなエピソードで面白いと思ったところはちょくちょくありましたが、笑いをとるための「話のもっていきかた」が上手でないために、せっかくのエピソードが死んでいると思います。いまいち笑いにくい。クライマックスがなく、不完全燃焼が延々と続く感じ。もっと面白い話たくさんあるし、面白くできるのに。

●のだめカンタービレ最終楽章後編・・・屋根裏の作曲家のくだりは余計なんじゃないかと思いましたが、後はまあ面白かった。マンガチックな特殊効果も前編より使い方が上手で観客のみなさん、よく笑っていました。前編から随分と時間が経っていて、両方同時に前売りで買った私はチケットを保存するのに結構気を使いましたが、まあ、待ってよかったというところでしょうか。

明日は1日で映画の日なので、凄い人でしょうが、アリスインワンダーランド・矢島美容室・てぃだかんかんを見てこようかなと思っています。そうそう、てぃだかんかんの松雪泰子さん、私の一番好きな女優のひとりなんですが、なんでFlowersにいないんだと不満に思っております。演技力なら6人の誰にも負けないのに。


世界史は得意教科だったのだが、お恥ずかしい話、今の今まで、ユダヤとかイスラエルとかについては「腑に落ちた」ことが一度もなく、何を読んでも、へえ、そういうものなの、でもいつまでもピンと来ないなあ、と思っていた。どの主張を読んでもそれに反する事実/史実がすぐに挙げられる気がしたのだった。だからこれらのテーマに関する世界史の論述は出題されれば、理解してはいないまま、教科書的な記述を鸚鵡返しにしてその場をしのいで来た(そうする以外にどんな方法があろう?)。しかし、今日とあるエッセイを読んで、やっとほぼ全ての、20年来の、「もやもや」がストンと腑に落ちて大変に感動してしまった。

モントリオール大学のヤコブ・ラブキン教授(歴史学)のエッセイ「ユダヤ教徒がシオニズムに反発する理由」がそれ。

ヤコブ・ラブキン氏の略歴
45年旧ソ連レニングラード(現サンクトペテルブルグ)生まれ。レニングラード大、ソビエト科学アカデミーなどで学ぶ。カナダに移住し、73年からモントリオール大でユダヤ人の歴史や歴史学を教える。敬虔なユダヤ教徒で宗教と政治の関係に関する発言が多い。
著書『A THREAT FROM WITHIN』(邦訳は『トーラーの名においてーユダヤの内なる反シオニズムの歴史』〈仮題〉として平凡社から近刊予定)で注目される。
08、09年に来日。英、仏、ロシア、スペイン語のほか、ヘブライ語に堪能。


pdfになっているが全文を引用させていただこう。

http://www.takahashi-seminar.jp/100418e2.pdfより。

ユダヤ教徒がシオニズムに反発する理由

パレスチナの地にユダヤ人のホームランド(祖国)づくりを目指す「シオニズム」(Zionism)は、聖地エルサレム(シオン)に由来するが、宗教イデオロギーではなく、政治的イデオロギーとして19世紀後半に欧州で生まれた。戒律を守り、律法に従う人々の宗教的共同体だったユダヤ人社会に欧州のナショナリズムを当てはめたものだ。独自の言語(ヘブライ語)を持つ国民、民族として「ユダヤ人』(The Jews)を位置づけ、彼ら自身の国民国家を持つべきだという新しい考え方だった。

日本人は、お寺に参拝しなくても「日本人」という民族的アイデンティティを持つことができる。だが、世俗化した東欧系ユダヤ人(アシュケナジム)は、シオニズムによって、民族的アイデンティティーを持ち、欧州の反ユダヤ主義(anti-Semitism)に対抗して少数者としての権利を主張できるようになったのだ。イスラエルのある学者はこう述べた。「我々がこの土地を求める理由は単純だ。神は存在しない。だが、神はこの土地を我々に約束したのだ」と。この発言はシオニズムが非宗教的な政治的主張であることをよく示している。

20世紀のドイツ系ユダヤ人の政治思想家ハンナ・アーレント(1906〜75)は、自身もシオニストだったが、シオニスト国家の樹立には否定的だった。彼女はイスラエルが建国された1948年の団塊で、シオニスト国家を作れば、絶え間ない紛争が続くと見ていた。60年後、事態はまさにその通りになっている。昨年暮れ(2008年12月末)から今年初めにガザで起きたイスラエルの軍事行動は、彼女の見通した事態が現実化したものなのだ。

日本人に理解してほしいのは、中東紛争はイスラム教徒とユダヤ教徒との宗教紛争ではない、ということだ。実際には、両者は何世紀にもわたって共生、共存してきた。一握りのシオニストが武力を行使して、そこにいた居住者(パレスチナ人)を彼らの意志に反して、家から追い出した。武力で国家を樹立したために起きた、極めて単純な人権問題なのだ。パレスチナ自治政府やハマスのせいで紛争が続いているのではない。

宗教が中東和平の妨げになるとすれば、その最大の要因は、米国の宗教右派に信奉者が多いクリスチャン・シオニズムだろう。彼らにとって、この問題は純粋に宗教的な問題であり、妥協の余地がない。キリストの再臨(the Second Coming)を早めるためにユダヤ教徒をイスラエルに集めなければならない、と考えている。そして、キリストが再臨すれば、ユダヤ教徒は二つの選択を迫られる。ユダヤ教徒がキリストをメシア(救世主)ではないと考えているが、キリストをメシアと認めて、キリスト教に改宗するか、あるいは最後の審判を受けて、死ぬかだ。彼らのシナリオでは、我々ユダヤ教徒は全5幕の演劇の第4幕で消えてしまう。

極めて危ないのは、宗教右派やイスラエルロビーの影響が大きい米国やいくつかの国において、彼らが政治的に大きな力を持っているために「親イスラエル政策」をとっているということだ。米国で最も影響力のある宗教右派団体「アメリカ・キリスト教徒連合(CCA)」はブッシュ前大統領と密接な関係を保っていた。

いま、イスラエル国内にも、米国が主導する「パレスチナ国家とイスラエルとの2国家共存案」にかわり、ひとつの国の中でユダヤ人とパレスチナ人が共生する「1国家解決案」を主張する意見がある。

今日、世界中でユダヤ人がユダヤ人であることを理由に殺害されうるのは、不幸なことにイスラエル国内だけだ。世界をみれば、米国でもロシアでも、そしてイランにおいてすら、ユダヤ人はふつうに、少数者として暮らしている。だったらパレスチナでもできるのではないか。実際、この場所は何世紀にもわたってオスマントルコというひとつの国だった。議論しているのは、理想ではなく、歴史的に存在していたものなのだ。

ドイツで起きたホロコースト(ユダヤ人大虐殺)から、アーレントやアインシュタインらが得た教訓は、民族、宗教、人種の面で差別するような国家に対しては警戒しなければならないというものだった。
半面、シオニスト国家の樹立を求めるシオニストらの教訓は単純だった、我々は強くなくてはならない、というものだった。彼らはパレスチナ人との共生を望まず、民族的に「純粋な」国家を持ちたいと考えている。かつて、南アフリカや旧ローデシア(ジンバブエ)は、敵ばかりに囲まれた孤島のような国を作ったが、そんな国は長続きしない。

シオニズムに対しては、アラブではなく、イスラエル内外のユダヤ教徒の間にも極めて大きな反発がある。
 (1)ユダヤ人とは、何らかの道徳的な価値を持ち、それを守る人々の集団であるはずなのにイスラエル国家のありようはこうした原則に反する。
 (2)イスラエル国家の建国によって、ユダヤ人のアイデンティティーが「ユダヤ教徒」から「イスラエル国家の政治的支持者」に変質してしまうーというのが主な理由だ。戒律を破ってもまったくおかまいなしなのに、イスラエルを批判すると即座にひどい反応が返ってくるといった事例に事欠かない。

NYでもテルアビブでも聖地を愛することは出来る

私は学者としての見解と、個人的な意見は常に区別しているが、旧ソ連でユダヤ系ロシア人として育った私を含む宗教的なユダヤ教徒にとっては、ユダヤ教の継続性を保つことこそが重要なのだ。2000年にわたる伝統の本質とは、道徳的な価値を守るシステムなのであり、政治的、軍事的パワーとは無縁だった。自分にとって何ものにも代え難いことは、神の戒律、安息日、ヨム・キプール(贖(あがな)いの日)を守り、ユダヤ教に従った食物(kosher)を食べる。それだけだ。

宗教的なユダヤ教徒にとって、啓典宗教の始祖アブラハムが葬られている聖地ヘブロン(ヨルダン川西岸の都市)を大事だと思うからといって、占領してそこに住む必要はない。ヘブロンを愛することはニューヨークからもテルアビブからもできる。「ユダヤ教的な態度」とは常に極めてプラグマティック(現実的)で、妥協的でもある。ユダヤ教的なアイデンティティーとは、国境や領土を超越したものなのだ。だからこそ、ユダヤ人はチリでも神戸でもモスクワでも暮らせる。ユダヤ教本来の教えは、平和を探求し、協調性を求めること。よい行いをし、同情の気持ちを持つことだ。イスラエル国内には、メシアが降臨する前の聖地に暴力的なユダヤ国家が存在することは認められない、と考えるユダヤ教徒らもいる。彼らは現在のイスラエル国家は、メシアによる救済を実現する上で、神学的にも妨げであると考えている。

ユダヤ教の戒律では、他人の悪口をいうべきではないという教えがある。日本人はあまり他人の悪口を言わない。他人のことを自分よりも大事だと考えることを自然にできる。多くの文化的な面で、ユダヤ教的な考え方と極めて類似していると感じ、興味深い。中東に重要な利害をもつ日本は、国連などの場で米国の後追いだけではない、何か独自なことができるはずだ。

(訳・構成 GLOBE副編集長 石合力)


今日は日差しはしっかりしていましたが、風が強かったので昼でも寒かったですね。鶴舞公園の桜を見に行きましたが、満開に近くきれいでした。
100329_135758100329_131501100329_131840100329_131815100329_131450100329_131546100329_131621

コアラのナナコ東山動植物園に「桜の回廊」なるものができているというので、見に行きました。もう何十年も行っていなかったので、どう変わっているかも楽しみでした。写真のコアラ「ナナコ」は鹿児島の動物園から来たのですが、「ナナ」という名前だったのに同じ名前が東山動物園にいるため「ナナコ」に名前を変えられたとのこと。そのせいでしょうか、背中を丸めて凹んでいるように見えました(笑)。



世界のメダカ館「世界のメダカ館」は工事中で入れませんでした。公開再開して「池乃めだか(大阪)」が展示に加わっていたらおもろい。




コクチナシ植物園の薬草のコーナーに面白い名前の薬草を見つけました。「クチナシ」の小さいのの意味で「コ/クチナシ」だと思うんですが、「告知なし」みたいですね。



タンチョウひたすら自分の羽の手入れをするタンチョウヅル。「JALが倒産って、マークになった私の立場は?」と。東山動植物園桜の回廊「桜の回廊」はできるだけ多くの桜を集めたもので、ソメイヨシノばかり何百本も並べてあるわけではないので、迫力には欠けますね。でもめしべとおしべを初めて日本で紹介した先生のこととか、勉強になりました。

五条川の桜夜にヤボ用ができたので結局6時間ほどしか歩けず、五条川と名古屋城の桜だけ見てきましたが、まだ多く見積もっても5分(ぶ)弱というところで、やはり来週の土日が一番の見頃ですね。でも、週の前半に見頃になって、土日に葉桜という間の悪いことでなくて、ちょうど土日に見頃になりそうな感じです。左が五条川で、右が名古屋城。クリックで拡大します。


100327_165322


今日は東山動植物園・鶴舞公園・瑞穂運動場の桜を見て、帰って来てから今朝届いた下の写真のスギ薬局のポイント景品のフルーツパイ食べます(笑)。冷蔵庫で解凍。


2010020500914



ウォーキングは検診のあと少しペースを落としていたので今日から再開。愛知の桜の名所を回ってみようと思います。岩倉市は五条川、名古屋市は名古屋城、鶴舞公園、東山動植物園の順。地元の岡崎の桜が一番だと思うけれど。



ゴルフボール1ダースの1個1個に浮気相手の女性の似顔絵が書いてあるボールセットが売られているのが面白かった。

さて、浮気パワーが彼の仕事ぶりにどれくらい効いていたか、実験データをこれから得られるわけである。メロメロに弱くなる可能性も少なくないと睨んでいる。少なくとも私ならば、アマチュア以下に落ちぶれるであろう(笑)。

社会的に適法に、「この」エネルギーをどう制御して、男の自分の人生のデザインにいかすか、というのは常に主たる関心事であり続けている。注目せざるを得ない。



着うたの人気にかげりがあるという話を聞いて、さもありなんと納得。

少し前に、アップルのショップの店員が「iTunesより音質が悪くて高い「着うた」の方が売れてて、何ででしょうね」と言っていたのを思い出す。

彼の問題の立て方がいかにも経済学に通じている人のそれだったので印象に残ったのだった。もっとも、私の話や考え方にそういうものがにじんでいるのを察知し、私に合わせてこういう発言を引き出してしまったのであれば、少々恥ずかしいな、と。あんなところではアホに見えなきゃダメだ。



3月14日(日)がTOHOの日ということで、休日なのに1000円でしかも6本みたら1本タダになるそうなのでこの日に一気に4本見まして、私は批評家にでもなるつもりなのでしょうか(笑)。

「THE HURT LOCKER」・・・爆発物処理の任務をこなす男が主人公ということで、いつ爆発するかわからないというスリルが常につきまとうわけですが、そのドキドキシーンを使いすぎないようにしていて、観客に無用な緊張感を与えないように配慮してあるところに好感をもちました。そりゃ「アバター」よりはこちらの方がはるかにいい。戦争の原因として、映画ではこれまで指摘されてこなかった(?)新しい要素を提示するのに成功したのではないでしょうか。

「ライアーゲーム ザ・ファイナルステージ」・・・こども向きの、金の亡者が最後に滅ぶ、単純明快な勧善懲悪ものか?と、正直全く期待していなかったのですが、予想に反して大変面白かった。善人/悪人の話に時間を割いておらず人生金じゃないとか、裏切るよりは裏切られる方をとかという美談が強調されすぎていないところがよかったですし、一度裏切って干された人が、その後もゲームに参加し続けるところが面白かった。難しい芝居だったんではないでしょうか。また、焼き印や投票用紙にガンガン細工をしたりするところはちょっとどうかなと思いましたが、基本1種類のゲームでこれだけの話を作り込んだ力量には驚きました。また、前作を全く見ていないで見たのですが、それで不都合は全くなく、独立した作品として楽しめました。

「シャーロックホームズ」・・・自然科学がどこまで進んでいたのか頭の中で反芻しながら見ました。いろいろと複雑なトリックがあるのですが、1回見るだけでは全てについていくのが大変で、感動とか感心する暇がありませんでした。2回目も見たくなる映画でもない。しかしワトソンの婚約者が魅力的でした。プライベートについて鋭すぎる男は女に嫌われる訳ですよ(笑)。

「猿ロック」・・・青春映画。主演いい男ですねえ。

別の日には「花のあと」も見ました。

「花のあと」・・・ぽってり唇が井川遥さんを思い起こさせる美人新人女優・北川景子さんのプロモ映画だと思うんですけど、とても綺麗に取られていたのと、さすが藤沢周平原作、途中許婚が絡んでくる当たりから俄然面白くなりました。強い女と男社会の折り合いのつけかたとして実際こんなこともあったろう、となかなかリアルな感じがしました。



アメリカ発のドーナツ屋(クリスピー・クリーム・ドーナツ)が名古屋駅のど真ん中に出来て、10時間待ちの行列が出来たというので(金に糸目をつけなければ東京や横浜の店舗に新幹線で行って買ってきた方が、並ぶよりよほど早く手に入る、という恐るべき長さの待ち時間であります)、名古屋ローカルのニュース番組でニュースになっていました。ローカル番組のキャスターの発言に感心することなどあまりないのですが、このニュースの締めに大石というキャスターがむちゃくちゃうまいことを言って、ほとんど嫉妬しました。

     「真ん中に人がたくさん集まって、「逆ドーナツ化現象」ですね」

くそ。うまいじゃないか。俺が先に思いつきたかったな、それ、と(笑)。

それとは別のお笑い番組ですが、タカアンドトシというお笑いコンビが、お笑いビデオのコンテストに参加して言った一言もよかった。

     「自信はありません。ただ確信があるだけです」

私もどこかで使わせてもらおう、と。





聖霊病院なるカトリック系の病院で特定健診を済ませました。まあ関係なく普通の病院だろうなと思いつつ、なんとなくのイメージで避けていて、今日はじめて行ったのですが、案の定普通の、物腰がときどき丁寧すぎるところがまあ宗教系のあらわれかな、くらいの病院でした。

9時に入って、身長・体重測定・内科問診・検便提出(大腸がん検診)・血液検査(肝炎ウイルス検査)・尿採取・胃部レントゲン撮影で終了。費用はがん検診が保険給付外で、3901円(3716円+消費税)。

10時30分に終わって帰ろうかと思ったら、この病院の初診受付が11時までとあったので、ついでだし、他にかかるべき科はないかと思いつつ、受付で病院の案内を見ていたら、歯を治そうと思っていたのを思い出しました。2ヶ月ほど前に、左上奥歯にしていた詰め物が取れて、そのまま放置していたのでした。で、そのまま歯科の外来に。

先生には「レントゲンを見るとどうも少し虫歯になっているようだ」と言われてしまいました。神経の処置をして詰め物するので数回通えと。電動歯ブラシで朝晩磨いているし、液体はみがきでフッ素コートも欠かしていないので、大丈夫だろうとたかをくくっていたのですが、詰め物が取れたらすぐ行くべきでした。「取れたの持ってきてくれたらそれそのまま詰めて終了ってこともありますから」と言われてしまいました。詰め物は実は八事の日赤第二病院でしてもらっていたのですが、ぶっちゃけそのときの印象があまりよくなかったのですよ。それで足が遠のいていたのでした。詰め物も鏡で見たらあまり美しくなかったですし。不器用な感じで。かかったお金は519点(初・再診料273点+医学管理等130点+画像診断48点(歯のレントゲン)+投薬68点)の3割=1557円+初診時の地域格差を埋めるためとかっていう負担金1050円=2610円(3割負担)。

歯科で痛みが出たとき用にロキソニンを処方してもらったのですが、薬局は病院の中にはなく、外の薬屋に処方箋を持っていく方式になっていました。HPを見ると近くの病院と同様、この病院も「医薬分業」に移行したと(平成19年7月2日から)。

痛み止めは、ジェネリック医薬品にしてもらい、くすり手帳なるものを作ってもらいました。こういう手帳はいいですな。人の体に歴史あり、自分の頭で覚えていなくてもどんな薬が過去に入ったかは体が覚えていますからね。ただでさえ薬の名前は複雑で覚えにくいですし。薬代は1370円の3割で410円。

【3月24日追記】

途中「初診時の地域格差を埋めるためとかっていう負担金」とありますが、地域格差ではなく、地域の診療院等と大病院の格差を埋めるためでした。



「三寒四温」というが、今年の春は、温かい日と寒い日の差が大変に激しくて、週間予報や、朝でかける前に見る天気予報で、「今日は暖かい」と言われれば、衣替え後の春の服、「今日は寒い」と言われれば、真冬のコートで対応している。差が凄いので季節の変わり目の風情よりは、何だかばたばたした滑稽さを感じる。

明日の土曜日は、胃がん/肺がん/肝炎等の検診を含む人間ドックなので、今日は晩ご飯を食べられない。思うに健康診断というのは、受け手の健康の動学的な推移を把握してなされるべきところ、多くの場合ピンポイントで一点だけの静学的な判断しかなされないのが常々不満であったので、今回は、自分の体重/体脂肪率/血糖値/血圧に関する過去1年分のデータを、macのnumbersなる表計算ソフトで整理して、担当のお医者様に頼まれてもないのにプレゼンする予定である。さすれば体に関する知見がどの程度あるか探り探り問診されるよりも深いアドバイスをいただけるのではないかと期待している。



ウォーキングのために15kmまでを徒歩圏内とし、
時間さえあれば地下鉄を途中下車して歩いたりしているので、
今までは全く歩いたことがない2地点間を、徒歩で行くにはどういくのが最短で、
どれくらいの時間がかかるのか、調べる必要が出てきました。

そういうわけで、1ヶ月だけ携帯のGPSナビアプリ(NAVITIME)を使って、
地下鉄や車などを使わない徒歩の経路を調べまくっています。

まあだいたい想像通りの経路が多いのですが、
驚いたのは自宅から近い訪問先の会社への行きかた。。
NAVITIMEによれば、片道50分かかっていたところを、
20分も短縮できるといいます。

「あれ、そんな道、あったっけかな」と思って歩いてみると、
その最短経路とは、八事霊園のど真ん中を突っ切る経路でした。
下の動画でご覧の通りでして、数百mほどの間、見渡す限り墓石だらけ。



写るはずのない何かが写ってたりして(笑)。

確かに今までの経路はこの丘の周囲を迂回する形になっていたので、
ものすごい近道にはなりますが、真夜中にこの道を歩く勇気はなかなか出ません(笑)。

燃えるごみの日には、カラスが食べ残し入りのコンビニ袋なぞを運んできて、
墓石の上で漁ったりしてます。おそろしい。
何も知らない畜生は信じがたい無礼をしますな。

このページのトップヘ