新潟県糸魚川市果樹栽培勉強会

2015年、会社退職を機に専業でキウイフルーツ等果樹を育てながら、これ以上里山 を鳥獣の楽園・原野にしたくないと、『果樹栽培勉強会』を作り、果樹で「豊かな糸魚川」を目指し、害虫や雑草、くず葉づる等と戦う日々を記録し報告するブログです。

2017年01月

1) 里山保全や果樹栽培について関心のある方は、遠慮なくメールにて連絡ください。ただし農業初心者なので、栽培についての詳細な技術的疑問については、十分にお答え出来ない事があるかと思いますので、ご容赦願います。
2) 今後の活動・勉強会は当面、技術講習会とそれに伴う情報共有ができたら良いかと考えています。
3) 勉強会を通して、当地に果樹栽培への理解が深まり、少しでも「豊かな糸魚川」作りに貢献できればさいわいです。
4) 今後、農作業に全力で当たりますが、高齢のため、万一、精神的、身体的に作業又はブログ継続が不可能になった場合には、申し訳有りませんがお許し下さい。又、急に死ぬことも有り得ますので、予め心おきの上ご容赦下さい。

原発に最も近い病院 高野病院院長を忍んで

       原発に最も近い病院 高野病院院長を忍んで
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 平成29年1月28日(土)NHKテレビドキュメンタリー ETV特集「原発に一番近い病院 ある老医師の2000日」という番組を見ました。81才の現役院長・高野英男医師に長期日々密着。昨年12月30日の病院敷地内の自宅での火災で亡くなられましたが、今は亡き、師のご冥福をお祈り申し上げますと共に、先生の奮闘ぶりを広く世に知らせ、顕彰したいと思い、筆を執りました。

 先生の功労に想いを馳せて
 高野病院は昭和55年に開設以来、長きにわたり福島県双葉郡広野町に有り、地域医療に貢献してきました。平成23年3月11日の東日本大震災とそれに続く東京電力福島第一原子力発電所の事故の混乱に際しては、双葉郡内の他の全ての病院が機能を失い、避難をした中で唯一避難をせずにそこに残り、100人余りの入院患者を一人も失うことなく守り通しました。原発よりわずか22kmの距離ですが、混乱の中で移動させればむしろ患者の健康を守れない、という院長の判断が有りました。その後も双葉郡内で唯一の病院として、救急患者を受け入れ、ただ一人の常勤医師として毎日24時間頑張り続けられました。81才の高齢に有り、入院患者よりもむしろ弱いような様子で、時には院内でよろめいて転倒して、他の人に助けて起こしてもらう様な有様でした。
 急逝に当たり、細かい事情は分かりませんが、とりあえず長い間御苦労様、安らかにおやすみ下さい。と申し上げたいと思います。先の近藤亨師といい、この高野英男医師共々、高齢にもかかわらず、ひたすら社会に尽くすその姿に感銘を覚え、わが身に置き換えて勇気と力をいただきました。有難うございます。

 病院の写真をお借りいたしました。ここにお礼を申し上げます。

ネパールに生涯を捧げた新潟の偉人=近藤亨 師を悼む!

     ネパールに生涯を捧げた新潟の偉人=近藤亨 師を悼む!
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 昨年12月31日の新潟テレビ(Teny)の放送「命のかぎりムスタンに生きる~最終章 近藤亨」を見てその努力に驚くと共に、涙さえも禁じえませんでした。新潟にもこんな立派な人がいたとは、いいえ、新潟だけでなく日本国全体にとって、世界に誇る事が出来る偉大な人を見つけてただ感動するばかりです。

 近藤亨 師の経歴と業績
 1921年現新潟県加茂市に生まれ。新潟県立農林専門学校(現:新潟大学農学部)を卒業後、新潟大農学部助教授、新潟県園芸試験場研究員を経て、55才の時JICAからネパールに派遣された。JICAを退職後1991年(H3)6月18日、70才の誕生日に先祖伝来の家屋敷、山林まで手放して活動費を作り、ネパール・ムスタンへと旅立った。同年、地域開発協会(MDSA)を発足。
 同地域はヒマラヤの南風の通り道で1年中10~20mの強風が吹き荒れ、年間降雨量もわずか200mm程の乾燥地帯。作物は主食が裸麦、ライ麦、ソバだけ。平均寿命は45才位、住民の多くは近隣諸国への出稼ぎの生活で、貧困状態にあった。当地の開発にアメリカの団体が5年間植林に取り組んだが失敗。ネパール政府がりんご栽培や畜産に取り組んだが失敗して放置されていた。

 標高2750mのネパール・ムスタン・ティニ村で世界最高地での稲作に取り組み、3年間「しいな」しかできなくて失敗を続けた。後に助言者より、稲穂が出る時に15度C以下になると実にならない、というアドバイスを受けて、水田にビニールをかぶせて保温し、ついに1998年10月、4年目に成功し収穫に至った。
 その後、標高3600mの高冷地、ガミ農場では水田の周囲を石垣で囲い、泥で隙間を埋め、ビニールの代わりに上にポリエステル波板を張る方法でこしひかりの栽培を成功させた。

 2003(H15)年4月、NPOネパール・ムスタン地域開発協会設立。
ハウスの中で、葉物野菜やトマト、ナスや冬野菜なども作った。山羊を飼育し、たい肥やきゅう肥を肥料にして野菜を作った。特にリンゴはブランド化されて市場で高価に取引され、村をうるおし、干しリンゴやジャムの加工品の作り方も教えた。雪水を利用してニジマスや鯉の養殖もした。
 各村に小中高校を建設し教育にも貢献し、ネパールで初めて完全学校給食も実施した。ガミ村の高地には病院も建設し、出生時死亡率減少にも貢献を果たし、地域医療で村人を助けた。

 近藤亨 師の死を悼む
 
高齢の中で脳梗塞を発症し日本へ帰国、がんも発覚して療養に励む。しかし2016年(平成28年)6月9日に東京都青梅市の病院で肺炎のため亡くなりました。94才のことです。師のご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 おわりに 
 身近なこの新潟県に、かくも立派な偉人が存在していたことを今迄知らなかったとは、不覚でした。特に偉いと感じるのは、70才から家庭をも犠牲にして世界に貢献する事業を始めようというその気力です。70才といえば普通の人は現役を既に離脱して、普通は死ぬ準備をする年齢と思います。余りにも大きな違いに驚嘆するばかりです。それに比べて何も社会に貢献できない自分が情けないですが、どうしようもありません。これから師の書いた本を図書館で借りて読み、少しでも師の心に近づくべく勉強したいと思います。そして子や孫にも師のDVDを作って、私の熱い感激を伝えたいと考えています。
 最後に本ブログの記事は長くならないように手短にまとめたもので、又、他の人のホームページの引用もあります。引用を陳謝申し上げますと共に、感謝申し上げます。もっと詳細に知りたい方は他の人のホームページも参照してください。皆様のご健勝をお祈り申し上げます。

日本の財政は大丈夫?(その5)(最終回)

     日本の財政は大丈夫?(その5)(最終回)

 
昨年10月21日の続きです。

 1回目には藤原健史氏の日銀の異次元の金融緩和政策の遂行により、ハイパーインフレが起こって日銀が倒産に至るのではないか、という懸念を指摘しました。2回目では国の借金の現状を説明しました。3回目には三橋貴明氏が日銀と日本国は倒産しないと説明していることを書きました。そして4回目には三橋氏の説明には問題が有ることを指摘してきました。
 2017年の新年に入り、最終回となりましたが、ここで締めくくりとして、再度日銀と日本国財政の現状をまとめ、私達一般の個人はどう考えてどのようにすれば良いか、私見も含めて対策を考えてみたいと思います。

 日銀と日本国財政の現状
 2013年4月から日銀による異次元の金融緩和により、年間50兆円の国債を購入し、14年10月からは80兆円に増額して購入してきました。年2%の物価上昇を目指して導入してきましたが、国民の節約志向が続いていまだ達成できていません。この日銀による大量購入により国債の需給はひっ迫し、国債の利回りが急降下して、沢山の国債を発行している日本の財政は、金利負担が減少して大いに助かりました。
 異次元の金融緩和が始まる前の2013年3月末の日銀の国債保有残高は130兆円で、国債全体の1割強に過ぎませんでした。それが2016年10月には残高が400兆円を突破し、全国債発行高1100兆円の4割を占めるまでになりました。その間に銀行の国債保有率は4割弱から2割強に下げています。日本のGDP(国内総生産)は約500兆円ですが、2018年中には日銀の国債保有率は50%を越え、年間GDPも超えるとみられています。

 日本国財政の問題点
 
日銀の国債保有率が50%を越えて買占めが進むと、流動性が低くなり、暴落する危険性が大きくなります。「暴落」の意味は、国債の価値がほとんど無くなり、金利が暴騰することを言います。その時には現在国債格付けがA以上になっているのが、「ジャンク債」にまで落ちているでしょう。「ジャンク債」とは「投機的格付け債」の意味で、早く言えば紙屑同然になっても仕方ないと見られる債券です。この国債価格暴落と金利高騰、日銀倒産によりハイパーインフレが起こります。

 
私達個人はこれからどう対処したらよいでしょうか?
 
日銀は急に国債の購入を控えると、国債価格が暴落して金利が上昇して、国の財政が成り立たなくなるので、このまま国債を買い続けるより仕方ありません。日銀と政府は一体なので、日銀が破綻すると、政府も借金を払わずに棒引きとなりますが、日銀の50%は踏み倒しできても、後の50%は民間又は外国人が保有していますので返済せざるを得ません。日本円の暴落の中で国民は大増税となり、政府の借金に振り回されそうです。

 誰もハイパーインフレと国家破綻を望んでいる訳ではないので、そうなるとは決めつけられませんが、少なくとも、これからの大増税と社会保障の切り下げは必須だと断言できます。そうしないと政府の財政破綻と日銀の崩壊が避けられそうにもありません。そのように覚悟していてください。

 これからはインフレの進行とともに円安も進む恐れが有ります。一時的に円高になることは有っても、長続きはできないでしょう。日本円のみで保有しているとハイパーインフレになった時に、ほとんど無一文同然になる危険性が有ります。これからは一部分を外貨で保有することも考えて、防衛することも必要かもしれません。

 世界も日本も時代の大きな転換点に差し掛かっています。私たちは70年間、平和な日本に、高度経済成長の時代を、振り返れば本当に幸せな時代を過ごすことが出来ました。が、今は世界が流動的で不確実な時代になりました。その最たるものがテロ事件の多発です。私達日本の大和民族は、古来からの武士の子孫ですので、武士道の精神を受け継ぎ、卑怯な行いは好みません。若い人たちも日本人であることを誇りに思い、強く正しく生きて下さい。

 折から、日本では少子高齢化が進行中です。人口減少も進んでいます。これからは日本も人間の国際化が進むでしょう。今迄の日本人だけの日本国でなくなっていきます。国際化の中で日本人の誇りを忘れずに、日本の国に貢献してください。折しも、もうすぐアメリカではトランプ大統領が誕生します。日本国の末永い繁栄を祈ります。

2017年 年頭のご挨拶

          2017年 年頭のご挨拶
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 2017年 新年明けましておめでとうございます。年頭に当たり、一言ご挨拶申し上げます。

 昨年はつたない私のブログを永きにわたりご愛読いただきまして、本当に有り難うございます。幾度となくもう止めようかと思いましたが、熱心に見て頂く人たちを思い、月日を重ね、いつの間にか1年にもなりました。もう、何時死んでもおかしくない年なので、急に書けなくなる事も有るかと案じていますが、もう少し続けられるか、これからの事は分かりません。皆様方におかれましては、時々当ブログを開いて、新しい記事が有りましたら生きているものと、しばしおつきあい下さい。皆様方のこれからのご健康とご活躍を祈りつつ、私のご挨拶にしたいと思います。


 
糸魚川の街の復興を目指して
 
昨年末、12月22日に発生しました糸魚川火災の災害に遭われました方々に、心よりお見舞い申し上げます。幸いにも政府により、風害による激甚災害に指定される見通しも立ちましたが、新年を挟んで、街の復興は未だこれからの状態です。関係者は勿論の事、私たちは、多くの人たちの力を借りながら、街の復興を進めたいと願っています。
 私事ではありますが、糸魚川大火災発生を知ったのは新潟労災病院のベッドの上でした。やっと25日に退院して家に帰りましたが、今も1ケ月間は重い物を持ち上げたり、無理をしない事と注意をされたままで、尚静養中の状態です。日本赤十字社、新潟県支部、赤十字安全奉仕団、糸魚川市分団の団員として、地元の災害に対して、この時とばかりに早速駆けつけるべき身に有りながら、なんとも頼りないやるせなさです。昨年に2日間、今年のボランティアは1月4日から始まる、と聞きました。4日には出られませんが、その後には、何か役に立ちたいと考えています。
 復興は長く困難な道のりになるものと思われます。少しでも力になりたいと願って止みません。

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