Kaoryの雑感

2007年06月10日

師匠のこだわりと主張(サランギ サンギット5)

 さて、バクタプルでのサランギのコンサートの翌日は私のサランギのレッスン
の日だったので早速、師匠に感想を話してみました。。

すると、師匠は居住まいを正して「一言だけ、言わせてくれ。」と曰く・・・
「今のネパールには悲しいかな、これがネパールの音楽だ! 素晴らしい!という感動を与えられる音楽家がほとんどいない。彼の音楽については云々言うつもりはないが、しかしだ、あの衣装はなんだ?(注:クルタでの演奏でした)。長髪も?。あれじゃ、ネパール音楽もインド音楽も同じものだと思われるだろ?。以前彼は現代音楽のパフォーマンスだと言っていたが、それは違う(オレハミトメナイゾ)・・・云々」


 演奏では国民服のドゥルワスルワルをきちんと着こなして、正統派ロークギートの道を行く師匠。 若手奏者としてフ積極的にフュージョンを手がける彼について、いろいろと言いたいことはあるだろうな。と感じた一幕。

 
 私は、日本の島唄や津軽三味線、マレーシアのディキールなども然り、伝統音楽も時代の変遷とともにその流れを受け入れつつ、流行歌の中に取り入れられることで、その本流も生き残っていくと考えていた。

 でも、ここは師匠の主張に一理ありの  ハズール  

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2007年05月20日

日本は・・・(と目を遠くに向けながら思う)

便利だった。・・・・何もかもが。

ネパールに帰ってきてそれを痛感している。

 先週から職場の電話が通じない。
聞くことによると、この辺一帯の電話線が盗まれたそうだ。
電話線に使われている、高品質の銅がお金になるのでネパールでは珍しいことではない。

1週間経っても復旧しない。電話は携帯他有るからどうにか事足りているが、ダイヤルアップでつないでいたインターネットはかなり不便。昼になるとちょっと離れたところにあるホテルへ行ってLANに繋がせてもらう。一回60RP

 それはそれで良いのだけど、やはり、停電も停電話もガソリンが無くなったりすることも、バンダになったりすることもない日本って便利だなぁ。


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2006年09月02日

夏休み

何となく疲れた・・・・
考えてみればここ半年以上、バンダの日もデモの日も抗議活動の日も、週休1日でまじめに働いてきたじゃあないか!!

そうだ!夏休み取ったっていいんだ!!
夏休みを取ろう!!

そして 今この状況にかけているのはだ!! ネパールには有り得ない海に行って、海に向かってネパールの悪口を言おう!!
 
と言うわけで今日からタイランドのビーチに行ってきます。

海だシーフードだ買い物だ熱帯だ
たのしみ。

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2006年07月24日


シュールな蛙雨期になり毎日雨が降るようになり、当然ながら傘を使っている。
濡れた傘を玄関に立てかけておくのもなんなので、橋のたもとの素焼きの置物を
売っているお店に、傘立てを買いに行った。

そこのあったのはシュールな宇宙人みたいなカエルの傘立て (写真は後ほど)

これはちょっとなぁ・・・・・と言うことで他を探している。

追伸:ご要望にお応えして写真を撮りに行ってきました。
店先では、下のような状態でデスプレーされてました。雨期も終わりかななぁ。
置物たち

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2006年07月22日

KRRISH !!

今日はやや不満げなNorbuを説き伏せて大ヒット爆進中のヒンドゥ映画、KRRISH(ストーリーは「これでインディア」参照)を観に行った。

 インド初のスーパーヒーローもの映画であるが、スーパーマンやスパイダーマンあるいはマトリクスをパクリ、日本のアニメの構図なども真似、なおかつインド映画のお約束ミュージカルとダンスシーンも入れた楽しい作品だった。、

 kaory的にはリティークローシャンの超絶ダンスと香港張りの本格的ワイヤーアクションを堪能いたしました。 ついでに、前半のヒマンチャルブラーデッシュ州(インドの山奥)で出てきたヒマラヤとヘムロックの林などはすばらしいですね。
 後半のシンガポールのシーンは悪者の基地に潜入したところで襲ってくる手下が忍者っぽい服装をしてパーラン(マレー山刀)で襲ってくるのが笑えました。
 パーランがマレーシア在勤中を思い出させてムフフうれしい。

 その他、狭いシンガポール!ロケ地のほとんは判明(と言うか観光地を網羅していた)どが解りました。久しぶりにシンガポールに行きたくなったなぁ。

 KRRISHは大ヒットしているので続品が作られるのではないだろうか?
ぜひ次は、カトマンズに来て悪者をやっつけてほしいものである。。

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2006年06月30日

ワールドカップとネパール人のアイデンティティー

Aさん「日本は負けたけど、ワールドカップに出ただけすごいよ(社交辞令)。」
 私 「(お世辞だろうけど)ありがとう。ネパールもそのうち出れるんじゃないの?」
A 「いやぁ。ネパールチームは弱いからなぁ」
 私 「でも、アンダー19は強いから将来は期待できるんじゃないかな(お世辞)」
A 「(ここで我が意を得たように)そうだよな!! インドにも勝ったしな!!」

 ココでわざわざインドが出てくるのがミソ。
 ネパールのアンダー19は南アジア大会で優勝しました

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ワールドカップと日本人のアイデンティティー 3

 ブラジル戦も終わり、ネパール人の友人からは会う人会う人「俺もアジアの国の一員として日本を応援していたのだけど、残念だったなぁ」と言ってくれる。

 うーそーつーけーーーーー!!!!
あんたブラジルの応援してただろ!!!

 と知ってはいるけど、口には出さず、「うん、がっかりしてる。」とまあ、言っておく。
 ネパールの皆様、気を遣ってくれてありがとう。


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2006年06月22日

ワールドカップと日本人のアイデンティティー (2)

 クロアチア戦のその日、私は田舎町の(一応地方都市)Baglungに出張していたけど、日本人と聞くやホテルでもTVのある部屋を譲ってもらい、見知らぬ人からも今日は日本の試合だねと話しかけてもらう。

 いやはや、ありがとう。

 ホテルの食堂で観た(わざわざ時間になったら呼びに来た)試合も、そこにいた人みんなが私を気遣って日本を応援してくれた(が、クロアチアのゴールでも歓声を上げていた)。
 私も立場があるので、今回は最後まで観ましたけど・・・

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2006年06月16日

ワールドカップと日本人のアイデンティティー

 日豪戦のその日。日本人に会う度に「今日はXXXXで6時半から観戦しますので・・・・」とお誘いを受けた。
やっぱり日本人なのでみんなで固まって応援すべきなのか??。
 しかしいつから、ワールドカップはこうなったのだろうか??

  やっぱし応援せんとかなぁ・・・

(この日は家で元サッカー少年のNorbuがTVを観るそばで寝てしまったkaoryでした。)
 


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2006年04月25日

ああ。良かった。

 昨晩は、眠れぬ夜だったけど、いつの間にか爆睡していた。
朝起きて新聞を買いにいくと、1面に赤字で大きく「PEOPLE POWER WIN」の文字。
 昨晩の王様の宣言に対しては、政党は歓迎のコメント。
よかった、よかった。 最悪の事態は避けられそうだ。

 思わず、アパートの屋上煮上がり、スワヤンブとボーダの方向に五体投地。
ありがとう ありがとう。

 もうダメだと思うところまでいって踏みとどまるネパール。
それがネパール流の必要な過程だとしても、人を一喜一憂させて離さない。


 これに引っかかってネパールが好きになってしまう人、多いのだろうなぁ。
 (特に在住者とかNGOとかの人)

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2006年04月24日

待避勧奨

 昨日からの不穏さで、ついに、長期滞在者でも大使館から国外待避をお勧めされる事態となりました。
 2人でぼそぼそと荷造り準備をしているところで、11:30から国王の宣言があるとの情報。

 期待と不安でテレビの前で正座して聞いたその宣言は短いもので、今週末金曜日に国会を開催します。(BBCは同時通訳付きで衛星中継!!すごい)

 さて、これで状況はどうなるのであろうか??
明日予定されている、大規模デモは腰砕けになるのか?

頼むから、お願いだから、のらりくらりと盛り下がってほしいものだ!!。
事態が早く好転して欲しいと切望。



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2006年04月22日

祭りの後

 さて、昨日の王様宣言でようやく外出禁止令が出なかった今朝。

朝7時半からのMTB朝練はNorbuとKirtipur方面へ。Kirutipurは今回の民主化運動で自由区まで宣言した抗争の核心地の町だけど、今日ぐらいは大丈夫だと踏んで出かける。

 昨日煙が上がっていた、Barkuの橋のそばは道路が真っ黒。かなりの量のタイヤを焼いたと見られ真っ黒な灰が道路に残っていた。
 TUを抜けるとまるで島か城塞都市のように見えるkirteipur。旧市街に入る道にバリケードが残り男たちが集まって何か張り紙を見ていた。
 バリケードを越え、旧市街の道を上りお寺を覗き、塔の下まで行って帰ってくる。冬はここからランタンがきれいに見えたが、今日は曇りで町の方も霞んでいて、行く先見えないネパールを示しているようだった。

 帰宅すると、12:00〜20:00の外出禁止令がアナンスされた。
まだ、抗議集会するとは困った人々だ。


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ついに

歴史は動く、と言われていながら盛り上がらなかったネパール。
でも、ここ数日のデモはすごかったようだ。
外出禁止令を守って見に行っていないので、その熱気にふれることは出来なかったが、家の屋上から見るとデモ隊がいると思われる方向からは黒煙ががんがん上がっ
ていて、必ずしも平和利ではなかったのかもしれない。

なぜ、ここに来てこんなに成れたのか解らないけど、王様も政権委譲の宣言を出した。

でも、大変なのはこれからだ。前途多難だろうなぁ。

 この国は誰が政権を担当しても上手くいかない時期なのだと思う。
政党が政権を渡されたけど、王様以上に蚊帳の外のマオイストはどうするんだろうか。

 早く、平和な国になって欲しい。
そうでないと私も仕事出来ないし、遊べないので楽しくないし。
あああ。

ka

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2006年04月14日

のらりくらり

 今日はネパール歴の新年。あけましておめでとうございます。

 みんなが期待していた、これで今後の情勢も変わると思われていた新年の国王のメッセージは、ここのところ使っている常套句を並べただけのような代わり映えのない、当たり障りのない内容だった。
次の動きへのきっかけを失って、がっかりした人もいるようだ。
 また、このままただらだらと今までのような状況が続くのだろうか?

 なんだか決定的な瞬間を妙に避けている、このセンスはすごいなと思う。

 思い出せば昨年の12月、マオバディの停戦が終了するその日、同時に外遊から国王が帰国する日でもあった。
空港から王宮へ向かう途中のナヤバネスワールでは反政府集会があり、これはついに、国王と反政府政党の直接対決か? と緊張したけど、国王が通過する前に集会はきっちり終了、一部盛り上がった集会参加者が皇太子の車に投石する事件はあったが、結局は大事にならないままであった。

 のらりくらり、致命的な衝突は避けているのか?
時々、ガス抜きにデモとか暴動はやるけど、それを直接対決までに持って行かない巧妙さ。
 長年、狭い国土に宗教習慣が違う民族が共存していた、この国の知恵なのだろうか。

 
・・・なんてことを考えたネパール新年でした。

 でもやっぱり現状のままでは、ゆっくりとみんなで沈んでいくことにならないかなぁ。
それがとても心配。

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2006年04月11日

この1週間


 ネパール情勢を心配してココを見ている人はいないと思うので、いや、いても僅かだと思うので
日々の状況を載せることはしなかったし、これからもしないつもり。
 が、とりあえず、備忘録的にこの1週間のメモを書いておく。

4月5日(水)
 明日からゼネスト(バンダ)なので、来ネ中のM先生一行と食事に行くも、夜11時から翌朝3時にカフュー(外出禁止令)が出たため1次会で終了。運動が一番激しくなりそうな8日帰国予定の先生。無事帰ってください。

4月6日(木)
 チャトラダサイン の祝日。
朝のヨガ教室へ行くといつもより交通量が少ない。ディディが電話を寄こしパタンドカでデモが出ているので今日は来れないと。夕方のTVを見たらまさにパタンドカでデモが治安部隊と対決、古タイヤ燃やし投石していた。郵便局まで燃えている。なんてことを!!
 一日中、家の周りは車の音がしなくて静かだった。ゆっくり本を読んだりネパール語の勉強したりして過ごす。夜は雨。これで少しクールダウンしてほしいなぁ。

4月7日(金)
 朝6時半、自転車で市内を走り回る。雨上がりの街はは埃が落ちてきれいかと思いきや、あふれたドブやゴミが悪臭を発していた。それでもバンダで車の走っていないカトマンズは空気がきれいで自転車には最高!!
ラトナパークを一周した後、セトマチェンドラナートを見にアサントールへ。
初めて見る、マッチェンドラの山車は思ったより小さかったけど壮観。朝のプジャに訪れる人々でごった返していた。縁起物だと思って新年のカレンダーを買う。ネパールが平和になりますようにと思わず祈る。
 夜は昨日と同じ外出禁止

4月8日(土)
 朝10:00〜夜21:00までの外出禁止令、夜も昨同
ダラダラ過ごす。まあ一応休日だから良いかな。
正直、外に出られないので疲れてきた。しかたないので習いたてのヨガをば・・

4月9日(日)
 外出禁止は7:00〜20:00に。夜は同じ。
朝6時から近所を散歩しながら状況視察。この時間から路地の店は開いていて買い物客も多数。
人々も出歩いていて買い物したり話したりしていた。
商店街の野菜は古い物しかなく、買うのに躊躇。結局買わなかった。
 一日中家の中で仕事。飽きてレコード聞いたり。おやつが無くなったのでクッキーを焼いた。

4月10日(月)
 朝、なかなか外出禁止令のアナンスがなく、昨日並みだと信じて近所を散歩。
車は殆ど通らない。これじゃいい加減にしないと食料品等が入ってこなくて生活が破綻するぞと思う。
N国大使館近くの八百屋まで行って野菜を買う。こっちの方がかなりものが良く品数多し。
市場から仕入れた野菜を自転車で運んできた所だった。(通常は小売店はバイクか自転車で野菜を運ぶ。軽トラなんて庶民は持たないのだ)
 帰りしな、道々立ち話している人が11時からなんとかと言っているのが気になる。
顔見知りの人に会えたので、11時って何?と聞いたら本日の外出禁止令(11:00-18:00)のこと。

 かくして、5日目も家の中で過ごす。いい加減にしないと生鮮食品が入らなくて破綻するぞ!!。と思っていたら夕方のニュースで、本日政府の護衛付きでカリマティ市場に野菜入荷。買いものに走る人々の映像が。それより我が家で心配なのは水!!。バンダで給水車が来ていないのだ。
 夜は久々に激しい雨が降る。
 夜、激しい雨。おてんとさん怒ってるよ。
夜中の11頃だろうか、バチッ という大きな音とともに停電。
近所にあると言われている要人宅の襲撃でもあったか?と戦々恐々するが、単なる漏電で切れたようだ。翌朝には復旧。 

4月11日(火)

 昨日の雨で清々しい朝。ヒマラヤもうっすら見えている。
午前中、パタンドカへ行ってみる。
店は閉まっているが、人々は平常と同じようにわさわさ歩いている。路上にタイヤ燃やしの跡多数。投石用の煉瓦もたくさん落ち、ゴミもうずたかく・・・ 困ったものだ。

 夕方、屋上からランタン・リーがくっきり見える。。市内もいつもより埃が少なくきれいに見える。
本日はランタンと夕焼けを望みながら屋上でビールを一杯。



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2006年04月03日

四月長安黄塵多シ

まさに埃だらけのカトマンズ。
わずかでもお湿りの雨にほっとした昨日でした。

 先輩方は不快な首都を一時離れトレッキングへ出かける人がボチボチ。
バンダやら日本の年度末で仕事もあまり進まないこの時期、人も少ない山に出かけるのは、賢い選択だと私も思う。

今や山の上は秋と違って花がたくさん咲いていて、桜も咲いていて
良かったよぉーーー。と言う話を聞いた、昼時でした。

 ああ、行きたいなぁ。行きたいなぁ。

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2006年04月02日

停電 2 

 毎週のように予定が変わる停電。
 今週からは昼間だけ週27時間になった。

夜間停電がなくなったのはいいけれど昼間の停電も困りもの。パソコンに頼りっぱなしの仕事が思うように進まない。

 そこで、出すべきメールの返事やらレポートなどをコシコシとノートに下書き。
普段、あまり手書きをしなくなっているのでこの感覚もまた新鮮かも。字が汚くなっているのと、漢字を忘れている自分に苦笑しながらの作業をほぼ毎日やっている。
 昔、パソコンが清書マシーンだった頃があったなぁとちょっと思い出した。

 実はこの記事もノートに下書きしている(仕事中せんかい!!)

 しかし何で、夜間停電がなくなったのか。
新聞にはSLC(ネパールの義務教育卒業試験ね。共通一次みたいな意味もある)で勉強中の学生さんたちに配慮して。と書いてあったけど、バンダを控えた昨今夜間の治安維持ではないかと言う巷の意見に賛同。

 あああ、週後半はゼネストと政党集会だ。ますます仕事できないなぁ。


 


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2006年03月20日

<本>ヒマラヤ山麓に柔道があった(文芸社)

 グル(ネパール語で師匠ね)と呼ばれる著者のKさん。
ネパールでJOCV時代から今のSVでも、悩みながらも真っ直ぐにネパールと向き合い、たぶん人生とも向き合ってきた方だと思って、尊敬している。
 飲み会でご一緒しても多くを語らず・・・ではなく多くを語るがそれが説教や含蓄ではなく、その人の思いをそのまま語ってくれる、熱い人である。いい人である。
 今回も多くの人から惜しまれて帰国される。

 さて先日、この本をNorbuが読んで、やっぱり感動していた。
おまえも、ここのとこ(→第5章)などは見習うように。 って、ホントその通りです。はい

Kaory

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2006年03月17日

首都

 昔マレーシアで勤務していたとき、任地は田舎の中都市だった。
日本食レストランも数件あったけどそのうち日本食と言えるのは1件だけ。
自炊と外食で現地食もそれなりにおいしく、研究しながら食べていた。
 日本人が少なかったこともあって現地の人と仲良くなり、いろいろと遊んだことがとても刺激的だった。。

 今はネパールといえども""首都""に住んでいる。
メイドもいて日本食もどきを作ってくれるし、きちんとした日本食レストランも豊富。何よりも日本人コミニュティーにどっぷりつかったままで生活が出来るのが、大きな違い。
 お国柄もあるかもしれないけど、日本人同士での交友が出来る分、未だに仕事外でのネパール人の友人がいないことが寂しいなと、最近、感じる。

ツーリストには人なつこいけど、もう一歩踏み込めない私のネパール
しかも今や私も所帯持ちだからなぁ。。。(え”何?)

kaory

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