2007年01月09日

流浪一天 第二章 (三十六)

 丁度その頃、范撞達三人も紅門飯店の方までやって来た。鏢局の人間は皆屋敷に居り、隠れる必要も無い。朱不尽が外をうろついている筈も無かった。
「凄えなこの人だかりは。こんだけ人気あったらそりゃあ紅門飯店も儲かるはずだ」
中には老婦人が幼い子供の手を引いて、人の隙間から前を覗いている。常連客であろう男達が大声で騒いでいた。


「泣くなよ恥ずかしいな!お前の女房が見てたら殺されるぞ!」
「何だと!?紅葵はこの街の宝だ!嫁が何と言おうと俺は紅葵を忘れる事は無いぞ!」
「だがこの先は口を慎む事だな。これから紅葵は傅夫人だ。いきなり夫人だぞ?紅葵はすぐに貴妃になるに決まってる。下手な事を言うととっ捕まるからな」
「そんなことは分かっておるわ!おお、紅葵よ・・・」
「・・・向こうはお前の事など知らんわ」
「お前は何とも思わんのか!?お前は情も何も無い畜生だ!」
「何だとこの!」
人が一杯で立っているだけでやっとであるというのに男達は取っ組み合いを始めてしまい、あっという間に騒ぎが周辺に伝播する。范撞達は騒動を眺めながら辺りをうろついたが余り前が見えそうな所は無かった。
「紅葵さんはこの店で何してたんだろう?昨日見た感じでは普通の料理店だけど。給仕ではないよね」
歩きながら楊迅が言う。
「あの人を給仕に使うなんて勿体無いな。何だろうな。この店、まだ上があるしな。きっとどっかのお偉いさんが来て、舞ったりするんじゃないか?・・・何だありゃ?」
「ん?」
范撞が見ている先に楊迅と田庭閑が視線を移すと、子供二人が木に登っている。しかもどちらも女の子だ。
「・・・この街の奴は子供から大人まで変わってんな」
「んーまあ今日はお祭りみたいなものだろ?」
「違うだろ!ただ嫁入りがあるだけじゃねえか」
「フン、そのただの嫁入りをわざわざ見に来る緑恒の人間が居るんだからな」
田庭閑はずっと腕を組んだまま冷やかな目で辺りを見回していた。范撞達が木の近くまで来た時、人だかりの先の方でどよめきが起こった。 
「ちょ、ちょっと何よ!もう出るっていうの!?」
木の上から見ていた傅紫蘭が慌てた様子で枝から勢い良く飛び降りる。自分の背丈よりも遥かに高かったが、全く平気な様だ。
「ちょっと!どいて!」
傅紫蘭は前の人だかりに強引に入って行き、すぐに姿が見えなくなる。木の下に居た男もすぐに追いかけて行った。
「何だ?出てきたか?」
范撞達は背伸びをして入り口の方を窺うと傅千尽の姿が見える。他には迎えに来た一隊の責任者だろうか、鎧を着ている髭面の大男が入り口から出てきた。
「何だよあの男は。あの格好、もう少し考えろよ」
楊迅の方は范撞よりも背が低い。見るのに苦労しているようだ。前方では兵士が店の入り口を囲むように整列し、店の前に押し寄せた人々を睨みつけている。
「出てきたか?おっ・・・」
范撞は何か言おうとしたが言葉が続かない。楊迅も黙って目を見張っていた。傅紅葵がゆっくりと店の前に姿を見せる。首全体を覆うような高い詰襟に全体がゆったりとした赤の旗袍で身を包み、結上げた髪を眩しく光る金の飾りが包んでいる。やはり白粉の類は殆ど付けていないようだが玉の様に白い顔に鮮やかな紅が浮かんでいる。しかしその姿はすぐに車の陰に隠れてしまった。傅千尽が何か話しかけていたが、その顔には全く表情が無い。
「見えたか?」
范撞が田庭閑に言った。
「ああ」
「それだけか」
「・・・まあ、いい女だな」
田庭閑はそう言った後、楊迅の方に顎をしゃくる。楊迅は背伸びをやめて、まるで前に居る男の背中を見つめるように何か考えていた。范撞は楊迅を僅かに見たが、何も言わずに辺りの人間の反応を窺う様に周りを見渡した。手を合わせて拝んでいる老女まで居るではないか。范撞は笑いが込み上げて来そうなのをなんとか押さえ込む。隣の木の上にもう一人居た事を思い出し、首を回して見上げた。
「どうだ?そこから良く見えたか?」
「わ、わかりません」
傅紫蘭が居なくなってたった一人木の上に居た少女は、もう周りを見るどころでは無い様だ。降りる手段が無いのだ。涙こそ見せてはいないが、その表情は殆ど泣いていた。



itom2 at 20:33│Comments(0)この記事をクリップ!流浪一天 第二章 

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小説注意書き
只今連載中の小説「流浪一天」は、武侠小説風ということで国や文化、地名人名は中国を模して書いておりますが、殆どが架空のものであり実在する名称等とは一切関係ありません。
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