6[1]  安倍首相が、自衛隊を国防軍と名称を変えたいと言う御意見、私も賛成と言えば賛成、公明党の「そこまでは」と言えば、「その通り」だと思う。どっちなんだと問われれば、名称が軍だろうと隊だろうとたいしたことではない。必要なことは我々の安全と平和を守ってくれる自衛隊を憲法上の存在にすることだと思っている。

 かつて、長沼ナイキ基地訴訟第一審で自衛隊は違憲であるとの判決が出た(1973年)。その後の上級審で判断が変わったが、それでも合憲判決は出なかった。それほどに自衛隊の存在というのは、憲法第9条と相容れない。

 憲法第9条を忠実に解すれば日本は、当初の米国が望んだとおり、軍備を持つことはできず、社会党の主張する非武装中立論に行き着かざるを得ないと思っていた。それこそ戦争の悲惨さを思い知った日本のあるべき姿だと思っていたし、それでいいと思っていた。マルクス・レーニンにかぶれていた生意気な学生時代は、米国の思惑のまま存在する自衛隊に嫌悪感すら抱いていた。

 私の知人の息子が防衛大工学部に入学した時に、「今時、防衛大に入ってどうするんだ? 自衛隊は憲法上の存在ではない。ある意味、国民の嫌われ者だぞ」的なことを言ってしまった。その息子が暫くして、防衛大を辞めたと聞いた。もし私の言葉が多少なりとも影響しているならば、大変申し訳ないことを言ったと思う。その後彼は有名国立大の工学部に入り直し、現在日本を代表する企業で活躍している。

 さて、その後、ソ連、東欧の共産国家が崩壊していき、湾岸戦争、9.11同時多発テロ、北朝鮮の横暴を目の当たりにし、そしてまた私も年輪を重ねることにより、家族、国家を守る必要性を認識してきた。そして東日本大震災で救助に励む自衛隊の活躍を見るに付け、我が国には自衛隊の存在が絶対に必要であるとの確信に至り、国防を志す人に畏敬の念を抱くようになった。その隊員の存在に違憲判決が下り、自衛隊員に矜持を感じさせ得られないような憲法であっては絶対にならないと思っている。

 その趣旨で現在、私は自衛隊を憲法第9条に明記させ、加えて、押しつけ憲法であったが故に生じる様々な解釈の問題を一掃すべく憲法改正をしていただきたいと願っている。ただ、誤解のないように申し上げるが、日本国憲法が世界に誇れることは、それが平和憲法であることである。その範囲内での憲法改正でなければならない。

 さて、そのように憲法改正をして自衛隊を国防軍と名付けたい安倍首相は、平成24年7月憲法改正草案発表した自民党の党首であり、憲法遵守義務のある行政府の長でもある。さぞかし憲法に精通されているとおもいきや、意外と民主党小西洋之議員との憲法論議ではお粗末だった(平成25年3月29日参議院予算委員会)。

 小西議員の若干礼を失した質問態度も問題ではあったが、質問内容は憲法13条、基本的人権の大枠を定めた条文に関する基本的な質問であった。にも拘わらず、「私は憲法の権威ではない」、「憲法を学んkonosiだ学生でもなかった」、「ここは暫定予算を審議する場であり、生産性のない議論」だとかの言い逃れに終始した。
 以前、民主党の菅首相に自民党議員が、経済乗数効果の定義を質問したことがあった。うろたえていた菅首相に、勝ち誇ったかのようにせせら笑っていた自民党議員であったが、近代経済学の試験問題のような質問に、却ってその議員の質の悪さを感じた。マスコミも総じて批判的であった。しかし、今回は多少クイズ的な部分はあったとしても、憲法改正を主張する安倍総理なら答えなければ当然ならない場面であったはずだ。憲法の基本を問われているのに、あの逃げ腰には失望せざるを得ない。そして極めつけは、小野寺防衛大臣である。「内閣法制局長に回答させます。」はないでしょう。どうして自民党草案を、内閣法制局長が回答できるのか。


 憲法改正論議を推し進めていこうとする、安倍首相。憲法議論を挑まれても憲法議論で押し返す態度であって欲しいものだ。小西議員の「議事録に、総理は憲法の人権に関する包括規定を知らないと議事録に記載させていただきます。」と言われて沈黙しているのは、憲法改正を国民に説得しようとする人としては、ちょっと頼りがないのではないのでしょうか。