2008年10月13日

遊行の門5

五木さんの近著『林住期』では、人生を四つの時期、すなわち「学生期」(がくしょうき)、「家住期」(かじゅうき)、そして、「林住期」(りんじゅうき)と「遊行期」(ゆぎょうき)に分けて考えた古代インドの人生観を参照して、「林住期」とは、社会人としての務めを終えた後、すべての人が迎える、もっとも輝かしい「第三の人生」のことであると五木さんは紹介していました。

人生百年として各期25年。すなわち、林住期とは50歳から75歳までの間。
そして、五木さん自身が75歳の後期高齢者になり、今年の9月30日で76歳、まさにこれから「遊行期」にさしかかった五木さん自身の境遇を指して、また、五木さんの現在進行中でもある大著『青春の門』にちなんで、『遊行の門』と命名したのでしょう。いつもながら、純粋に作品の内容にも即していますし、商業的にもうまいネーミングです。


『遊行の門』




純粋に作品の内容にも即しているというのは、作品の内容が極めて陰翳に富んでいるということです。「遊行期」は「玄冬」に相当するということで、薄暗い寂しい夜を思わせる内容でもあります。『大河の一滴』においても極めて暗い世界観を提示していましたが、このたびの認識はさらに暗いものとなっています。

とりわけ、格差社会への洞察の深さは、陰惨としかいいようがないほどに徹底しています。朝鮮半島での経験があるから、とても説得力があるのです。こんな五木さんは、私もはじめて見ました。

国はその存立にかかわる場合には、金の取引を停止させることも、金の個人所有を禁止することも可能なのだ。かつてアメリカがそれをやっているのである。

戦後は農地改革という、私有財産を解放する政策も行われた。GHQの指令にもとづき、国が農地を地主から強制買収して小作農民に払いさげたのである。

財産税や、相続税を強化することもできる。そして超富裕層階級は、それをする側にいるだろう。

要するに庶民大衆や、ふつうの富裕階級の財産など、ハナクソにすぎない。

大きな力がそれを取り上げようとすれば、なんだってできるのだ。そして、そんなことは戦後史を学べば、すぐにわかることだ。

そんな状況がいつくるかはわからない。しかし、おそかれ早かれ、破局はくる。それがこなければ、再生はないからだ。

生きているあいだにこなくても、やってくる可能性はある。そこに不安が生じるのは当然だろう。

(この世は地獄か極楽か)


確かに、今までの五木さんも言ってこなかったわけではないのですが、今の時局が五木さんの言葉に力を持たせているような気がしてなりません。


しかし、ただ薄暗い寂しい冬枯れの季節と言うことだけではなく、玄とは、玄米の玄であり、くろいという意味と童子に、幽玄の世界への回帰を暗示するのでもあります。五木さんも好む、『気の発見』の表紙にも採用されたかの長谷川等伯の『松林図』を思わせるような内容にもなっています。

卑近な話ではあるものの、誰もが心配な老後の話、たとえば「『下のお世話』を恥じることはない」の一節は、五木さんらしい洞察でした。人の手を借りずに生活がままならないという屈辱を感じる人たちに対して、非常に含蓄のあるアドバイスをします。


老いていく、とは、枯れていくことではない。それはいききした好奇心と、未知の世界へむけて触手をのばす生命の活動である。

ボケる、というのは、幽玄の世界に近づいていくことだ。知っていたはずのことを忘れてしまうのもそうだ。わがままになるのも、赤子に還るすがたである。

(遊行の門)


このように、世間的にはマイナスと捉えられているものをプラスに転化するのが五木さんの真骨頂です。



もう一つ、この作品の中ですごかったのは、「格差社会が崩壊する日」の一節です。現在進行中の金融恐慌の事態を見抜いていたとしか思えない、この予知能力も五木さんならではです。

格差社会の本当に意味は、三つの段階をへて明らかになってくる。

一つは格差の成立である。

二番目は、格差は常に進行し、その差はダイナミックに開いていくと言うことだ。

三つ目は、極端に開きすぎた格差が、弦を切った弓のようにこわれる時がくるということである。

列強先進国と小国との格差は、いま現在、ますます進行しつつある。すなわち第二の段階にあるといえるだろう。

そして、開きすぎた格差は、いつか必ずはじける。格差の崩壊である。

この三段階をまとめて格差社会というのだ。そして、いま、第二段階の格差の進行は、すでに臨界点にあと少しというところまできているのではないか。

(この世は地獄か極楽か)


いま、ついに臨界点に達し、原油バブルの崩壊、リーマンブラザーズの破綻と同時に、格差社会の崩壊の段階に入ったのではないかと思います。アメリカが主導した金融資本主義による超格差社会は、弦を切った弓のようにこわれる時をいま迎えています。


陰惨な現状認識、その一方で暗さの中にも光があると言うこと、そして金融資本主義の崩壊、すべて五木さんが認識したとおりに動いています。これからどうなるのか、崩壊と再生のストーリーについても、五木さんに語ってもらいたいなと願います。


『遊行の門』


『遊行の門』 目次

遊行の門
 遊行の門をくぐって
 命のねうち
 一億総ウツ時代の遊び方
 人生の友を見つける
 ブッダの遊行期
 遊び心で生きる季節

この世は地獄か極楽か
 家柄という格差
 金持ちになる条件とは
 地球温暖化を楽しむ
 いまは幸せか?
 格差社会が崩壊する日
 いじめの時代に生きて
 この世は地獄だ、と思うとき

ウツの時代の歩き方
 こころ萎える日々
 引きこもり、ニートは「ウツの文化」
 時代はたましいと向き合う
 疑心暗鬼がうつの本質
 明るさと暗さは人生のパートナー

きょう一日を生きる
 きょう一日の命と思う
 アンチよりエンジョイ・エイジング
 年をとることのおもしろさ
 いつか世を去るときがくる
 どこへ、どう還るのか

あとがきにかえて







itsuki_hiroyuki at 02:01│Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!軽妙洒脱なエッセイスト五木寛之 | 暗から明へと転ずる五木寛之

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