2009年05月16日

ベーシック・インカムへの取り組み

このブログでは珍しく、五木さんとは直接関係のないお話をさせてもらいます。

私が五木さんに関心を持つ大きなきっかけとなったのは『大河の一滴』(このブログでの記事)でした。

貧弱なライ麦が命を支えるために11,200kmもの根を伸ばしてゆく生命力の神秘を讃える箇所が、うつ病に苦しんでいた当時の私を助けてくれました。貧弱に見えるライ麦でさえ、生きるのにそれだけ懸命になっていると切々と訴えるフレーズが、生きていていいのだと私を力づけてくれました。

しかし、かたや社会に出ると、マスコミが猛々しく「自己責任」を唱え、自助努力して生きることができない奴は死んでしまえというメッセージが蔓延していました。そして、貧困のために生活保護を申請しても「水際作戦」で断られたり、アルバイト生活をしていては雇用保険に入ることができなかったりして、貧弱なライ麦を踏み潰さんばかりの残酷さを目の当たりにしました。

労働組合を頼っても、当時は正規雇用の労働者を守ることにしか関心がありませんでした。非正規は人にあらずという空気が充満していました。貧弱なライ麦はどこに生息すれば良いのか、とため息をつかんばかりでした。

うつ病の人には「がんばれ」と言ってはいけないというのがコンセンサスになりつつありましたが、その一方でがんばらなくては生きていけない社会体制が厳然として立ちはだかっていて、「がんばらなくてよい」というのは、まさに絵に描いた餅でした。

私はその後、残酷な社会体制には深い関心を持たずに現実逃避して、ほめ屋活動など自分の好きなことを追求していましたが、ベーシック・インカムという魅力に満ちた制度があることを、かなり後になって知りました。つい2年ほど前のことです。





ベーシック・インカムとは「基礎所得」の意味で、生活保護のように条件を問うことなく、無条件で1人あたり、例えば月8万円を給付するという仕組みのことです。これは、誰もが飢え死にすることはないし、自殺者が激減することが予想されので魅力ある制度だと思いました。しかし、1億2千万人×8万円×12ヶ月で100兆円を超える財源は、国家予算の一般会計が数十兆円であることをふまえれば、あまりにも無理があるのではないかと思い、それ以上の興味がもてませんでした。

ところが、去年から金融恐慌が深まり、日本を支えてきた自動車産業が大きな危機を迎え、年越し派遣村で見られたような雇用崩壊の現実を目の当たりにして、私はベーシック・インカムの可能性を再検討することにしました。

その中で、今年の3月8日に東京で行われた講演会で、関曠野さんがベーシック・インカムについて話してくれることを知り、それに参加しました。

関曠野さん講演録「生きるための経済」全文

その中で分ったのは、利子がつかない公共通貨を発行し、正当価格でインフレを調整すれば、ベーシック・インカムは決して不可能ではないということです。用途が不明確な「政府紙幣」ではなく、ダグラスという経済思想家が提起したこの枠組みの中で循環する公共通貨を発行すれば、私たちにもお金が循環するのです。

今回の金融バブルとその崩壊で話題になった金融商品は、レバレッジ(てこの原理)で信用を膨らますことで成り立っていたことが明らかになりつつありますが、その信用創造の機能をマネーから剥奪することで、無用なバブルを膨らますことがなくなり、お金は切符のような交換手段として機能することができるのです。

いろいろ金融の歴史を調べると、高橋是清が世界恐慌後の1930年代に、日銀に国債を引き受けさせて景気を回復させるなど、紙幣の発行が国を恐慌から救う事例があることも分ってきました。同時代人のダグラスはこの政策を評価していたようです。

残念ながら、高橋是清の時代はその使途を定めていなかったために、戦費に転用され、日中戦争が始まるきっかけになった上に、彼は二・二六事件で暗殺されるなど、悲劇の結末を迎えてしまいましたが、ベーシック・インカムという意味合いの中で公共通貨を発行すれば、私たちのために大きな利益をもたらしてくれると思います。

生活保護や雇用がほとんど機能しなくなった現在、このベーシック・インカムは実現の必然性が日に日に高まっていると思います。派手なニュースこそないものの、身近な伝統ある会社に民事再生法が適用されたり、工場の操業が週に3日になって給料も4割カットになったという話はざらにあります。

そんな中で、「ベーシック・インカムは私の価値観には合わない」とか「働かざる者食うべからずだ」とかいった昭和の景気が良かった頃の価値観が根強いのもまた事実です。

五木さんは連載小説の『親鸞』を執筆していますが、今の状況はまさにあの戦乱の時代に近似しつつあります。もちろん、生活水準は当時とは比べ物にならないくらいに良くなりましたが、貧困のために餓死する人や自殺者が多発する状況は、当時に匹敵する「地獄」であることは間違いありません。

そんな中、こんな折にも相変わらず、「食えない状況に至るまで努力しなかった奴が悪い」などと自己責任論を唱える人は、「自力作善」を信じ込んでいる鼻持ちならないパリサイ人のように思われてなりません。工場で長年腕を磨いてきた職人さんでさえも容易に給料カットの憂き目にあうのです。こんな異常な時代だというのに、そんな時代認識ができないだけでなく、苦境で悩む人たちを見下す発言は撤回してもらいたいものです。

「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」ではありませんが、貧困の人にも生存権があることを訴えるベーシック・インカムは社会制度にしかすぎませんので、浄土真宗とは何の関係もありませんが、どこか親鸞の精神を引き継いでいるような気がしてなりません。

ちょっと空想めいた話で脱線して恐縮でしたが、上記の関さんの講演を主催した「ベーシックインカム・実現を探る会」では、7月12日にも勉強会が開催されます。私も出席します。

次回の勉強会のご案内


私もまだ分っていないこと、認識できていないことも多々ありますので、ともに学んでいく方がおられれば、それに勝る喜びはありません。何と言っても世界中のどの国でも、「負の所得税」という類似した制度を除けば、いまだ実現したことのない制度です。

時代をさかのぼれば、律令国家において田畑を均等に分配した均田制はベーシック・インカムのようなものだという説もありますが、それにしてもあまりにも時代が遠すぎて、私たちの価値観からは遠く隔たったものであることには間違いありません。とにかく、「生きていることは大変なことだ」という実感に見合った社会制度を、手探りで探していく必要があります。

私も、日々勉強の精神で行きたいと思います。


ベーシック・インカム入門 (光文社新書)
ベーシック・インカム―基本所得のある社会へ




itsuki_hiroyuki at 22:55│Comments(2)TrackBack(0)自己紹介 

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この記事へのコメント

1. Posted by 大浦静子   2009年05月18日 10:44
ほめ屋さん
いつも「はてな検索」にリンクしてくださってありがとうございます。
ブログを時々のぞいてくださっているのでしょうか。

「親鸞」をあのように断続的にとりあげること、意味あるのかなあと思うこともあるのですが。

「ベーシック・インカム」
これから関心を持ちたいです。

mikutyan
2. Posted by ほめ屋   2009年05月29日 10:42
大浦さん

いつもブログを拝見しています。

私のほうが停滞気味になってしまいましたが、連載記事は手元にありますので、必ず更新します。

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