2006年06月
2006年06月30日
2006年06月29日
「癒されつつ頼れる」…いいですなあ!
去年と違って今年度は学年があがったので(!)、なんだか責任のある仕事をやる機会が増えてしまった。班のリーダーだとか、M2の人の修論構想の相談に乗って授業で発表するときの司会をするとか。今日はさらに、ある勉強会のリーダーに任命されてしまった。
上の書き方からも分かるとおり、実のところあんまり気持ちがついていってない。主体性が足らないというかなんというか、リーダーとして計画的に「あれやってこれやって」っていうのが苦手で、ナンバー2以下で気楽にやるのが性に合ってる自覚があるし…。
だけど今日、あるM2の女の子に「○○さん(私のこと)って、癒されつつ頼れる感じがします」と言ってもらって、私に「頼れる」イメージを抱くのはどうなのかと思いながらもなんかその「頼れる」っていうのがとてもうれしかった。「そんなん言ってくれてありがとう!うれしいからその言葉書いとくわ!」と言って目の前で手帳に書くという謎の行動に出たくらいうれしかった。(「しかしこんなん書いて何に使うんやろか私は」と言ったら「自伝書くのに使ってください」と言われた。面白いこと言うなあ。そこでブログ書くのに使ってみた。)
そう言ってもらって、「よし。頼れるような私になろう」って思えてきた。その直後、別のM2の子の修論構想発表の司会だったから、さっそく「頼れる」を実践しようと思って、しっかりめに司会をやるように心がけた。
これからもがんばろう。
上の書き方からも分かるとおり、実のところあんまり気持ちがついていってない。主体性が足らないというかなんというか、リーダーとして計画的に「あれやってこれやって」っていうのが苦手で、ナンバー2以下で気楽にやるのが性に合ってる自覚があるし…。
だけど今日、あるM2の女の子に「○○さん(私のこと)って、癒されつつ頼れる感じがします」と言ってもらって、私に「頼れる」イメージを抱くのはどうなのかと思いながらもなんかその「頼れる」っていうのがとてもうれしかった。「そんなん言ってくれてありがとう!うれしいからその言葉書いとくわ!」と言って目の前で手帳に書くという謎の行動に出たくらいうれしかった。(「しかしこんなん書いて何に使うんやろか私は」と言ったら「自伝書くのに使ってください」と言われた。面白いこと言うなあ。そこでブログ書くのに使ってみた。)
そう言ってもらって、「よし。頼れるような私になろう」って思えてきた。その直後、別のM2の子の修論構想発表の司会だったから、さっそく「頼れる」を実践しようと思って、しっかりめに司会をやるように心がけた。
これからもがんばろう。
2006年06月27日
2006年06月26日
素晴らしき和歌山のチュー学生
ところで和歌山からの帰り、「湯浅」という駅で乗り継ぎの連絡が悪くって30分待たなければならなかったので、同行のA氏とともにそこいらを探検した。
そのとき撮影したのがこれ(悪趣味で申し訳ありません、でも載せようー)。なんとなく私の家の川を挟んだ向かいにしかいないと考えていたチュー学生が、和歌山にもいたのだった。
チュー学生がまた中学生だったことは興味深い。それくらいの年代っていうのは、赤ちゃんが「いないいないばあ」のときに手で隠された顔がほんとに消えてしまったと思うように、ひょっとしたらこういう隠れ方が実は隠れてることになってないことに発達上まだ気づいていない段階にあるのかもしれないとすら思えてくるのだった。京都のチュー学生も和歌山のチュー学生も、一応はガレージ(京都)や駅の裏側(和歌山)に「隠れて」いるので、隠れようという意思は認められるんだけれども、隠れた先が大勢の人の目に触れる場所であるということについてどうも十分に注意を向けることができていないらしい。
まあ、ほほえましいのでみんなで温かく見守ろうということで!
ところで和歌山のチュー学生、A氏と私がいろいろ探検して20分後くらいに戻ってきたときもまだ同じ体勢のままだった。この持続時間の長さは京都においても見られたことから、チュー学生の興味深いもう一つの特徴であると考えられよう。
そのとき撮影したのがこれ(悪趣味で申し訳ありません、でも載せようー)。なんとなく私の家の川を挟んだ向かいにしかいないと考えていたチュー学生が、和歌山にもいたのだった。
チュー学生がまた中学生だったことは興味深い。それくらいの年代っていうのは、赤ちゃんが「いないいないばあ」のときに手で隠された顔がほんとに消えてしまったと思うように、ひょっとしたらこういう隠れ方が実は隠れてることになってないことに発達上まだ気づいていない段階にあるのかもしれないとすら思えてくるのだった。京都のチュー学生も和歌山のチュー学生も、一応はガレージ(京都)や駅の裏側(和歌山)に「隠れて」いるので、隠れようという意思は認められるんだけれども、隠れた先が大勢の人の目に触れる場所であるということについてどうも十分に注意を向けることができていないらしい。
まあ、ほほえましいのでみんなで温かく見守ろうということで!
ところで和歌山のチュー学生、A氏と私がいろいろ探検して20分後くらいに戻ってきたときもまだ同じ体勢のままだった。この持続時間の長さは京都においても見られたことから、チュー学生の興味深いもう一つの特徴であると考えられよう。
素晴らしき和歌山のCさん
非常勤先のサマーキャンプ係になっているので、同じくサマーキャンプ係のA氏、事務室におられるコーディネーターのBさんと共に和歌山まで下見と打ち合わせをしに行ってきた。
まず、食堂でお昼ご飯を食べてから打ち合わせということになってて通されたんだけど、256席あるあまりにも広い食堂には誰一人食事をしてる人はいなくて、がらーんとした空間が広がってた。すかさず案内してくれてた館長Cさん、私達3人に「どこで食べてもらってもええですよ。ばらばらで食べてもらってもええし」って。私としてはツボだった。ばらばらで食べるの面白いなと思ったけど、実際にそうしようと言ったらA氏とBさん及び施設の人に変な人だと思われて社会生活上多少損をするので、結局言い出さず、3人同じところでハヤシライスを食べ、ヤクルトを飲んだ。
館長Cさんに関しては打ち合わせでもツボが一つあって、それは当日一緒に泊まるらしい「○○○研究会」っていうよその団体名をあろうことか「△△△研究会」と言ってしまうという失錯行為だった。私はまたそれがツボで、そのときも「わ、面白い」と思ったし、それからもときどき思い出して「△△△研究会って。そんな研究会と一緒に中学生を泊まらせるわけには!」とちょっと笑いがこみあげたりしてた。でも傍らのA氏もBさんも全く反応する様子はなかったし、その言い間違いを実際口に出してつっこんだら、A氏とBさん及びCさんに品のない人だと思われてやはり社会生活上多少損をするので、結局言い出しはしなかった。
でもツボだった。おなかをかかえて笑い転げるっていうのではなくて、なんか面白さの量というかさりげなさが絶妙だった。3月のお別れ合宿で別の施設に打ち合わせと下見に行ったときも担当の人がツボだったことを思い出した。犬も歩けば棒に当たる、2回目。
まず、食堂でお昼ご飯を食べてから打ち合わせということになってて通されたんだけど、256席あるあまりにも広い食堂には誰一人食事をしてる人はいなくて、がらーんとした空間が広がってた。すかさず案内してくれてた館長Cさん、私達3人に「どこで食べてもらってもええですよ。ばらばらで食べてもらってもええし」って。私としてはツボだった。ばらばらで食べるの面白いなと思ったけど、実際にそうしようと言ったらA氏とBさん及び施設の人に変な人だと思われて社会生活上多少損をするので、結局言い出さず、3人同じところでハヤシライスを食べ、ヤクルトを飲んだ。
館長Cさんに関しては打ち合わせでもツボが一つあって、それは当日一緒に泊まるらしい「○○○研究会」っていうよその団体名をあろうことか「△△△研究会」と言ってしまうという失錯行為だった。私はまたそれがツボで、そのときも「わ、面白い」と思ったし、それからもときどき思い出して「△△△研究会って。そんな研究会と一緒に中学生を泊まらせるわけには!」とちょっと笑いがこみあげたりしてた。でも傍らのA氏もBさんも全く反応する様子はなかったし、その言い間違いを実際口に出してつっこんだら、A氏とBさん及びCさんに品のない人だと思われてやはり社会生活上多少損をするので、結局言い出しはしなかった。
でもツボだった。おなかをかかえて笑い転げるっていうのではなくて、なんか面白さの量というかさりげなさが絶妙だった。3月のお別れ合宿で別の施設に打ち合わせと下見に行ったときも担当の人がツボだったことを思い出した。犬も歩けば棒に当たる、2回目。
2006年06月25日
すきになってもらえること。
人にすきになってもらえるのって、ありがたい。
「すき」以外のものが乗っかっていて、それが重かったり、受け入れ難いものだったりすると、嫌だなあと思ったりわずらわしいなあと思ったりすることもあるけど、それでも、その中に含まれてる「すき」の部分はよく考えてみるとやっぱりありがたい。
人にすきになってもらうだとか、人をすきになろうだとかいうことは、そうしようと思ってできるもんじゃないから、「すき」が出てくるというのはなんだかすごいこと。なかなかない(ありがたい)こと。
だからどうっていうのはよくわからないけど、ちょっとはそのことを念頭に置いて生きていくだろうと思う。これから。
「すき」以外のものが乗っかっていて、それが重かったり、受け入れ難いものだったりすると、嫌だなあと思ったりわずらわしいなあと思ったりすることもあるけど、それでも、その中に含まれてる「すき」の部分はよく考えてみるとやっぱりありがたい。
人にすきになってもらうだとか、人をすきになろうだとかいうことは、そうしようと思ってできるもんじゃないから、「すき」が出てくるというのはなんだかすごいこと。なかなかない(ありがたい)こと。
だからどうっていうのはよくわからないけど、ちょっとはそのことを念頭に置いて生きていくだろうと思う。これから。
2006年06月23日
タクシーに乗ってまで。
今日は朝からけっこういろんなことをした。
まずは非常勤先の遠足で民族学博物館というところに行った。いろいろ見て回って、おみやげ買って、楽しかった。(※鼻緒(?)のあるサンダルをはいてかなり歩いて足がひりひりするなあとは思ってたけど、シャワーに入ったら「!!!!」という感じで痛みが走った。とにかくたくさん歩いた。)
それから大学に戻って、研究室関係のビールパーティー。幹事だけど、当日の仕事は私は特になくて、ほとんど普通の出席者として過ごした。大勢で集まって飲むみたいなイベントはなんだか前から苦手で、身の置き場に困ることが多い。今日もけっこうその気はあったけど、まあそれなりに何人かとしゃべって、それなりにふつうに過ごしてた。
で、後かたづけを少し終えた段階でまだ8時半くらいだったので、たまらずタクシーに乗ってバンドの練習へ。15分くらいしか残ってなくって、楽譜もなかったけど、それでもちょっとでも弾けてうれしかった。なんなんでしょう、このモチベーションは。こういうのはこれまでにはなかったので自分でも不思議。
疲れ果てて家に帰って服のまま寝て、起きて、シャワーに入って、今に至る。サッカーみたいけど、みてたら朝起きられなくなって酒屋さんにビールサーバーを取りに来てもらうという仕事ができなくなるおそれがあるので、おとなしくまた寝ようと思う。