武芸川にはお局道たるモノがある


時は関ヶ原後の話になる ここには春日局が ひっそりと隠れながら暮らして居たのかお屋敷跡があるのだ


井戸跡

(解説板)

関ヶ原合戦の時、春日局の夫、稲葉正成は豊臣秀吉の直臣となり文禄の役(一五九二)のあと小早川秀秋の家臣となった正成は政治的、軍事的手腕は相当なものだったらしく、小早川家では五万石を受け関ヶ原合戦では秀秋の東軍の寝返りに力があったといわれるが政道についてたびたび秀秋に諫言したが聞きいれなかったため、慶長六年、夫正成は春日局と子供を連れて弟の、「改田孫六清常」の住む美濃国「谷口の里」に閑居した。

春日局とって遠祖父の斉藤利永の創建した汾陽寺と春日局の大祖母にあたる加納藩主 斉藤利国の妻、利貞尼(細姫)の開基とする法泉寺あり春日局にとってもゆかりの深い「谷口の里」でもあった。


「谷口の里」のこと

武芸の谷口には守護代 前斉藤氏が代々庇護した禅刹汾陽寺の所在地である。

さきに甲斐武田氏へ内通を織田信長にうたがわれた西美濃三人衆の一人安藤守就父子は天正八年この地に閑居していたとされる、さらにそれ以前に守護代斉藤利国の没後、その妻、一条関白兼良の娘「利貞尼」閑居して、庵を結んだのもこの地で、その「庵」が今の法泉寺である。

美濃平野の多くの武将どもは、この「谷口の里」と云う地を法界であり地形上絶好の隠棲の地であると意識していたものらしい。








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