iwaiwaganのブログ 

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民主主義と現代日本の選挙制度について

1. 概要
民主主義とは何かといえばリンカーンがかつて言ったように、「人民の、人民による人民のための政治」であり、この現代資本主義のもとで生じる階層間の格差を縮小し国民の人権を保障するために必要不可欠な政治制度である。民主主義には政治資格のある人民が直接その国の政策決定に参画する直接民主主義と、選挙等の方法によって自分の意思に近い代表者を選出し、その代表者に政策決定を代行してもらうという間接民主主義が存在する。現在の日本では、政治資格を持つ国民が多いため直接民主主義の運用が困難であるため、間接民主主義、特に国民が選出した代表者が議会の議論によって政治を行う議会制民主主義が採用されている。それゆえに議会制民主主義が十分に機能するためには選挙制度の役割は極めて重大なものとなる。現在の日本の衆議院の選挙制度は小選挙区・比例代表並立制と呼ばれている。小選挙区制とは選挙区から一人議員を選出する選挙制度のことであり、総定員は300人である。一方比例代表制とはブロック(北海道、東北、北関東、南関東、東京、東海、北陸信越、近畿、中国、四国、九州)単位で政党の得票率に応じて議席配分を決定する選挙制度のことであり、総定員は180人である。また参議院の選挙制度も衆議院と同様に、選挙区と比例代表区が並立しているが(選挙区73人、比例代表区48人)、衆議院と異なり、選挙のたびに半数を改選するので参議院の総定員は242人である。
2. 日本の選挙制度の問題
 日本の選挙制度の問題としてまず挙げられるのが、小選挙区における得票率と議席が乖離しているということである。例として2009年8月の衆議院選挙および2012年12月衆議院選挙を挙げる。「前者の選挙では、比例代表で自民党は55議席、民主党は87議席であり、得票率は自民党が26.73%、民主党が42.41%と得票率と獲得議席数の関係はほぼ比例していた。しかし小選挙区で自民党は64議席、民主党は221議席を獲得し、民主党は自民党に圧倒的な差をつけたが得票数の割合は自民党が38.68%、民主党が47.43%と、明らかな乖離が見られた。それに加え民主党ほぼ半分の得票率で7割以上の議席を占めていた。後者の選挙ではこの乖離がさらに強まった。比例代表では自民党が57議席、得票率27.62%に対し、民主党が30議席、得票率16.00%と、議席の配分がうまく機能しているのに対し、小選挙区では自民党が237議席、得票率27%に対し民主党が27議席、得票率22.81%であった。」1)このように、小選挙区における死票の存在は無視できない割合になりつつある。
3. 日本国民の政治意識の問題
 選挙制度の問題以外にも日本の民主主義は問題を抱えている。現代の日本ではその国民が政治に参加しなくなりつつあるということである。それは投票率の低迷という形で明らかになっている。「2012年の衆議院選挙では全体の投票率が59.32%と2009年の衆議院総選挙の69.28%をはるかに下回った。特に20代の投票率は37.89%と極めて低い値にとどまった。2013年の参議院選挙ではこの傾向が更に顕著で全体の投票率が52.61%、20代の投票率が33.37%となった。」)2こういった政治意識の低さの原因として考えられるのが、まずどの政党に投票しても何も変わらないという諦観である。また国民一人一人の地道な政治参加によって社会を改革するのではなく、強力な指導者による抜本的な改革を望むという大衆心理、いわゆる「おまかせ民主主義」の影響も否定できない。
4. 問題の取り組み
 現在の小選挙区の死票の多さは直ちに是正する方法として以前の中選挙区制に戻す案が考えられるが1つの選挙区から複数人が当選するため死票が少なくなるというメリットがあると同時に、同時に派閥政治を助長する可能性がある上過半数を占める政党が存在しにくくなるため根本的な改革ができないというデメリットも存在するので、現在の日本のような改革を迫られているにもかかわらず自民党以外に現実的かつ適切な政策実行能力を持つ党がないように思われている社会状況下では不適だと私は考える。またすべての議席を比例代表制にするのも同様の理由で不適である。それゆえ当面の間は自民党が安定した政策(たとえそれが国民に犠牲を強いるものであっても)を行えるように小選挙区制を維持し同時に自民党に代わる確固たる政策を主張することのできる野党の誕生を促進するためにも小選挙区比例代表の割合を増やすことが一番現実的だと考える。国民の政治意識については国民に直接かかわりのある政策についての議論を活性化する他、教育に政治について真剣に考え議論する時間を取り入れて主体性を持った周りに流されない国民を育てるべきだと考える。
5. 引用文献
1.講義第7回目のプリント
2.総務省.”国政選挙における年代別投票率について”.総務省.更新時不明
  http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/nendaibetu/


安楽死と尊厳死について

 紀元前の「ヒポクラテスの誓い」の中で「医師は患者から頼まれても死に導くような薬を与えてはならない」と書かれているように安楽死は認められないという考えが世界中の医師の伝統的な倫理観であった。ところが、医療技術が進歩し人権意識が高揚するに伴い従来の医療を支えてきたパターナリズムに代わって、インフォームドコンセントやQOLといった概念が医療の主流になってきた。この概念はもちろん終末期医療にも適用され、その結果として「安楽死」と「尊厳死」という考え方が生まれた。
 安楽死とは死期の近い患者の苦痛を除去、緩和するために死に至らしめることを言い、苦痛を緩和する処置をした結果死期を早める「間接的安楽死」と、苦痛を除去、緩和するために生命を縮める処置をとる「積極的安楽死」がある。また尊厳死とは患者の人としての尊厳を第一に考え、延命治療を拒否し患者が死にゆくに任せることである。
 まず安楽死の考えについて述べる。私は安楽死については患者の意思が絶対であると考える。それゆえ間接的安楽死に比して積極的安楽死の法制化は困難であると考えている。なぜなら、間接的安楽死は患者本人の延命治療の拒否という意思表示を尊重すれば法的な根拠が得られるのに対し、積極的安楽死はやはり患者を直接死に至らしめるため倫理的に問題があると考えるからである。それに加えて積極的安楽死を行う条件についても問題があり法制化してもその判断に曖昧さが付きまといかねない。例えば平成七年に起こった東海大学安楽死事件については横浜地裁が積極的安楽死の条件として、「ヾ擬圓琉媚廖↓耐え難い苦痛、I埃・末期状態、ぢ召紡悗┐襪戮方法がない」1を挙げたが、患者が末期状態で痛みを訴え、患者の意思があったとしても代替案がないかどうかの判断は極めて難しく、またその判断は各々の病院に任されるわけであるから、画一的な判断は不可能である。オランダやベルギーでは厳格な諸条件の下で積極的安楽死を合法化しているという反論があるかもしれないが、この問題はそれぞれの国の歴史、伝統、文化によってつくられた固有の倫理観を重視すべきなので、単純に外国の事例を参考にすることはできないと考える。よって私は間接的安楽死が違法とはされない現在の日本の状況を支持し積極的安楽死については法制化に反対である。
 次に尊厳死について述べる。私は尊厳死については患者の意思及び家族の意思を尊重すべきであると考える。よって尊厳死自体は患者の意思を尊重しているため法的根拠があってしかるべきである。しかし、未解決の問題が残されている。例えば患者の意思が明確で家族の同意があった場合については尊厳死が適用されるべきである。だが、患者の意思が明確で家族の同意が得られなかった場合と患者の意思が不明確で家族の要請があった場合はどうすればよいのだろうか。私はいずれの場合も延命治療を継続するべきであると考える。前者の場合は、人間の尊厳を尊重するのであるならば、患者のみならず家族の尊厳も尊重されるべきである。後者の場合は患者の意思が不明確であるため、患者の以前の意思や家族の証言を用いた「代行判断」が考えられるが、この方法は治癒の見込みがない患者には延命治療が無駄であるという「弱者切り捨て」の論理を助長しかねないため非常に危険であり患者の生命を保護する責務を有する医師としては延命治療を続けるべきだと私は考える。また延命治療の打ち切りの時期についても、それぞれの医師の判断に任せる他なく、曖昧化は必至である。


1)医療教育情報基盤センター編集.2006.「尊厳死を考える」中央法規出版株式会社 第20ページ参照

参考文献
医療教育情報基盤センター編集.2006.「尊厳死を考える」中央法規出版株式会社

結果

 何とか神戸大学医学部医学科に合格することができた。阪大医学部にはセンターが悪く、去年の体験もあって、受験を躊躇してしまった。志望校変更を後悔はしていないといえば嘘になるが、それでも元来文系人間(今でも一番好きな教科は世界史である)で、高1まで官僚を志していた人間にはここら辺が関の山であろう。何しろ来年からは指導要領が変わってしまい、浪人の経験量が必ずしもアドバンテージにはならないからだ。特に医学部の場合は全教科で得点せねばならないから尚更であろう。ここでもう過ぎ去ったことなので、今年のセンター試験の結果でも曝すことにしよう。

英語 172
リスニング 44
数学A  81
数学B 88
国語 140
物理 96
化学 100
世界史 97

とまあこんな具合である。今から考えれば、よくこんなもので神大を受ける決心をしたものだなあと思う。国語が三分の一を占めるところに国語が悪いから受けるという逆転の発想である(笑) 後期は二次で一発逆転をかけて、当初は奈良県立医大を受けようと思っていたが、東大理靴筺京大医学部落ちが殺到しそうだったので、諦めた。ここらへんが医学部受験の柔軟さを表していると思う。京大や東大を目指していた同級生たちは、センターが良きにせよ悪しきにせよ志望校を変えることができない。それに比べて医学部は医者になってしまえばどこ行ったって皆同じだから最終的にはどこか入ればよいのだ。だからかないそうにもない相手が受けそうだったら、堂々と戦いを放棄すればよいのだ。とはいえさすがにセンター試験重視のところには出さず、学科試験がある信州大学にした。
 言い訳がましいが、私はセンターより二次試験のほうが好きな男である。特に京大の英語の問題など大好物だし、何だかんだ言って阪大の問題も結構好きだった。確かに得意科目でほかを補うという戦法もありだったかも知れないがそれは医学部受験では通じないと私は考えていた。最大の不確定要素たる数学の存在が大きいからだ。数学は得意な人間であろうとなかろうと、その時の頭のさえ、問題の向き不向きなどといったものに左右され安定しない。去年の阪大では私は数学の新傾向に圧倒されほかの教科まで引きずってしまったのだ。その経験もあって浪人中数学の点数安定に心血を注いできたが、まったく意味はなかった。こういうこともあって、私は数学が安定して取れる神大を受けたのである。神大は、問題が簡単である分高得点を取らねばならないが、阪大みたいに(旧帝大全般に言えることだが)、簡単な問題を完答したうえで、難しい問題をある程度までと解ききらねばならないわけではないので、楽であった。
 もっとも、防衛医科大の一次試験が通っていなければ、神大すら受けることができなかったであろう。前受受験は結構役立つものである。防衛医大以外にも、練習として大阪医大を受けたが、これは受験料六万円を払う価値があったと思えるほど、私に良い教訓を与えてくれた。すなわち、問題傾向が変わっても焦らずに、できる限りのことをすれば受かる、他のみんなも条件は一緒なのだからということである。
 この教訓は神大でも大いに役立った。今年の英語の問題は問題文がすべて英語で、自由英作文が登場し、例年より明らかに難化したが、私は落ち着いて受けることができた。そのおかげもあって数学には結構自信がなかったが(合格発表前には怖くて解答速報を見られなかった)、ほぼ満点を取ることができ、二次試験で挽回できたのだと思う。
 前期試験終了後、発表までまったく勉強に身が入らなかった。それまでは予備校で朝から晩まで勉強できたのに、信州大学の過去問1年分を解くだけで、もう勉強する気が起きなくなって、友人とベラベラ食事室で喋ったりしていた。小論文の勉強だったら尚更身が入らなかったろう。防衛医科大が正規で受かっていたから、心のどこかに余裕があったのかもしれない。人間の心というものは恐ろしいものである。ちなみに信州大学の数学の問題は、極めて相性が良かった。私は自分が解ける問題を勝手に良問認定する癖があるので、信州大学の数学の問題は最高の良問であると思っている。とはいえ範囲外の確率変数を出すのは反則だと思った。


再挑戦

 記事を書くのも久しぶりである。一年前あんなことを言っておきながら、見事に失敗した。やはり実力不足だったようだ。この一年浪人生活は本当にいろんなことがあった。なぜ自分は医学部を目指すのか、本当に医師になりたいのか、なぜ六年間勉強してこなっかたのかというさまざまな思い、そして叩きつけられる現実。同じ大学を志望する前の人との圧倒的な実力差に意気消沈したり、価値観の違いに驚いたり、新しいことの連続であった。

受験

 気がつけば、入試前日を迎えることとなった。思い返せば、去年の今ごろ、身分不相応の大学、学部を志望したとき、こんなにも受験が苦しいとは思ってもみなかった。特に苦手な科目は現実逃避をし続け、夏休みまで殆どを手を付けなかった。そのため、夏休み、二学期は本当に大変だった。得点源の数学、英語ですらその退潮が散見され、二学期のいわゆる「三模試」とやらでは、あまりの悪さに諦めかけた。もし11月の第一志望の大学の模試も悪かったら投げ出していただろう。そんな中でも、半ば現実逃避的に勉強し続けたのが、功を奏したのか、センター試験が終わったあと、過去問や模試の演習のする中で、合格点を取れる可能性が生まれてきた。
 
 浪人したとしても、この受験を後悔はすまい。できる限りのことをしたのだから。高2の終わりまで勉強というものをせず、冬休みに突然目覚めてその後ずっと伊達と酔狂で周りの人達から不可能だの厳しいだの言われながらやってきたのだ。どうして恐ることがあろうか?、という具合に自分奮い立たせている。今年の14日にこんな自分を受け入れてくれてきた学校を卒業して、温室から追い出された人間はこんな虚勢をはらないと精神を保てない。

 とにかくも明日頑張ってきます。明日、受験される方々もご健闘を祈ります。
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