2007年10月14日

『童蒙筌』53章と『梅園叢書』との対照

 和文随筆ですが、三浦梅園(1723〜1789)の著作としてたびたび活字になって多く読まれてきた『梅園叢書』についての文章を、これから3投稿分、記事にします。

 安政ニ年(1855)版行の『梅園叢書』奥付は、京都大学附属図書館・谷村文庫蔵本のそれがデジタル閲覧できます。三浦梅園の没年が寛政元年(1789)ですので、没後60年以上も経過した時期に、誰が『梅園叢書』との題で上中下の3巻にわけ、章に題目をつけて上梓するため尽力したのか(おそらく関西で進めたのでしょうが)、まったく解明されてません。ただ三浦梅園28歳にあたる寛延三年九月の跋文も刻されていて、そのころまでに執筆された和文随筆集とされています。
 そしてその跋は「これを反故といわんもよかるべし」という謙遜の辞でまとめられていて、しかも『梅園叢書』と同じ構成であるという写本『反故』が、大阪大学懐徳堂文庫・関西大学図書館・国東市の個人蔵書と、3部の伝存が報告されてます(わたしはまだ写本『反故』はみてません)。
 ところが大分県国東市安岐町の三浦梅園旧宅には写本『反故』も、さらには版本『梅園叢書』も伝えられていないのです。ただ『梅園叢書』とは後半部分の内容や構成がやや異なった自筆(とみられる)写本『童蒙筌』一冊が残されていました。ところが、いにしえ梅園家から伴侶を得た研究の大先達もそれが梅園の著作だと気づかず、別の研究機関が実施した昭和53年の蔵書調査でもたんに「梅園やその一統が集めた」教訓物の一般古書とみなされて分類整理されてしまったのでした。
 三浦梅園の自筆原稿の多くは、昭和43年に国から重要文化財の指定を受けています。所有者は梅園から7代めの三浦家ご当主で、いまだ文化財に指定されていない『童蒙筌』などをふくめすべてが「個人蔵」です。ただし保管は梅園旧宅に隣接して建てられた国東市 三浦梅園資料館が行っています。そして研究者から閲覧の要望があっても、収蔵庫から原本を出納してきてヂカに手で触れられることを避けようと、国東市成立以前の旧・安岐町教育委員会での事業として、大分市の業者「(株)さかもと」にフィルム撮影とそのデジタル化作業を発注。まずは三浦梅園資料館での館内閲覧を前提に、デジタル画像化がほぼ終了しています。
 実はわたしは、その資料館内で働いていた当時、梅園自筆の年次別の読書抄録冊子や『童蒙筌』をモノクロ写真で撮影してもらおうと、貴重な遺稿を収蔵庫から取り出して撮影技師の手元まで運んでまた戻すという補助作業の担当者だったのです。今はその職を離れましたので、それら天下に一冊の研究資料も、当時納品された試行版デジタル画像を通して閲覧を続けています。そして三浦梅園について、これまで明らかにされていなかったことを伝えたいと思ってます。それらの三浦梅園遺稿デジタル画像は、やがて正式に三浦家ご当主の許可のもと、国東市教育委員会文化財課が管理して三浦梅園資料館によって画像ならびにそのテキスト本文の公開にいたるはずです。わたしもそのように願い、かつ協力すべく努力中です。
 この場では、実質的に学会誌でも未公開が続いていた『童蒙筌』の目次を作成しましたので、提示してみます。

『童蒙筌』53章の『梅園叢書』との対照

行頭の洋数字はデジタル化『童蒙筌』コマ番号(全/83コマでマルチページ形式TIFF画像)
   筌01〜筌53は○などで明示された『童蒙筌』の章の一連番号(章の書き出しの2・3文字を添えた)
     上・中・下に続く数字は『梅園叢書』三巻での該当章番号(章名を添えた)

1/  【表紙に「童蒙筌」の外題】
2/  【表紙の裏と見返し(遊び紙)】
3/  【「童蒙筌」の題あるが後世の書入れか】
4//筌01 詩に  上01 詩を説て道に志す人に喩す
5/ 筌02○酒色慾 上02 酒食欲の誡
6//筌03○死生の 上03 生前死後の理
8//筌04○世俗  上04 禍福は命也といふの論
11/ 筌05△加賀  上06 雨森彦太郎軍功を譲る事
11//筌06△武田  上07 武田信玄の知言
11//筌07△今の人 上08 後世を願ふに心得違多き事
12//筌08△一邑の 上09 上たる人の心得下たる者の痛となる説
13/ 筌09△世話に 上10 恕の道の説
15//筌10○金銀は 上11 物毎に一得一失の理ありといふ説
16/ 筌11○権貴の 上12 交際の道こゝろえ有べき事
16/ 筌12○富貴の【上12末尾】
16//筌13○勝事を 上13 和歌を引て材芸ある人の箴を説
 《筌13後半》  上18 技芸勝れたる人慎かたの事
17/ 筌14○舜邇言 上14 人のあしきを捨よきを取といふ訓
17//筌15○世に  上15 継母と前家子との話
20/ 筌16○ぬすミ 上16 盗人の名目種々あるといふ説
21//筌17○浅野  上17 村松喜兵衛の辞世
22/ 筌18○西施  上19 劣れる者は見わけやすく勝れたる者は見わけがたしといふ説
23/ 筌19○贔屓と 上20 贔屓といふ言葉はいふまじきといふ説
23//筌20○物を  上21 物の命をたつもまた助るの理ありといふ論
26/ 筌21○今の人 上22 学に志し芸に志す者の訓
26//筌22○知事ハ 上23 知ることは易く行ふことは難しといふ説
27//筌23○毀誉ハ 上24 よしとほむるもあしゝと毀るも必察すべしといふ説
30/ 筌24○かり初 中01 早分別に後悔多しといふ説
31/ 筌25○理窟と 中02 理窟と道理との弁
31//筌26○老子  中03 分限相応こそ長久の術といふ説
33/ 筌27○庭に栽 中04 物に譬へて子たる者の教を説
34/ 筌28○蓬も麻【中04後半】 
34//筌29○大小の 中05 上たる者は下の邪正をよく察せよといふ説
37/ 筌30○宇治殿 中06 堂塔建立の説

37//筌31○予村行  【『愉婉録』に収録され『梅園叢書』に未見】
38/ 筌32○伊蒿子 下02 人の所長を択ぶべき事
【筌32後半『梅園叢書』に未見】
41/ 筌33○誠ハ偽 中10 誠といふの説

44//筌34○義ハ宜  【『梅園叢書』に未見】
45/ 筌35○霊験ハ 中08 物の怪の弁
54/ 筌36○書を  中12 書をよむは身を脩るのためといふ説

55/ 筌37○伏翼ハ  【『梅園叢書』に未見】
57//筌38○攻るに  【『梅園叢書』に未見】
59/ 筌39○物と  下01 五行家の説害多しといふ論

63//筌40○頼朝   【『梅園叢書』に未見】
64/ 筌41○吝薔ハ 下03 吝薔倹約の弁
66//筌42○易の謙 下04 謙を守れとの説
【末尾の例話を入れ替え】
70/ 筌43○惜へき 下06 陰悪必ず禍を蒙るの説
71/ 筌44○太閤  下07 分別なき者におぢよとの説
72/ 筌45○醫ハ仁 下10 医は仁の術といふ論
72//筌46○人一旦 下11 美服珍膳世の弊を矯るの説
74/ 筌47○施しせ 下13 施しをなしまた施しを受るの心得

74/ 筌48○温かに  【『梅園叢書』に未見】
75/ 筌49○銭(ぜに)と【『梅園叢書』に未見】
75/ 筌50○米ハ同 下12 米に譬へて五倫の道を喩す

77//筌51○宋の寇準 【『梅園叢書』に未見】
78//筌52○家に盗 上05 織田信長恩賞を賜ふ話

79/ 筌53○災祥は怪知【『梅園叢書』に未見】

  参考 『梅園叢書』にあって『童蒙筌』にない六条
    中07 おとし物したる主と拾たる者と曲直裁判の話
    中09 仏舎利の弁
    中11 碁将棋に遊ぶ人の箴
    下05 善人悪人盛衰夭寿の解
    下08 忠臣国の為に命を惜みまた身をおしまずといふ話
    下09 医に望聞問切の四ツありといふ説



iwami02 at 15:34│Comments(0)clip!

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