名古屋岩の上教会

わたしはこの岩の上に私の教会を建てます。 -マタイによる福音書第16章18節-

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8月21日


☆   先週、急きょ、中部中会の青年会の修養会に参加しました。最終日、半日の参加で、閉会の礼拝説教を担当しました。土曜日の依頼でしたから、焦りました。わたしは、―功罪があるのですがー説教のために必ず完全原稿を書きます。しかも、直前まで読み直しつつ手を入れます。ところが会衆の前に立つと、しばしば、原稿を読まず、さらには外れてしまうことも少なくありません。「あれほど準備したのに・・・」と、「何のためにしたのか・・・」と思うことも少なくありません。しかし何より、毎回のように繰り返される後悔の念があります。説教後、「ああ、まだまだだ・・・。時間不足だった。」とほとんど毎回思わされます。その意味で、本当の「説教原稿」が整うのは、説教した後、語った言葉と準備した原稿とを改めて書き起こしたそのときなのだろうと思っています。ただし、そのような暇は、まったくありません。すぐに、次主日の準備に心が向かわなければならないからです。心には、いつも「焦る」気持ちがあるからです。

★   今回の奉仕は、後から記録誌をつくると言うことで、原稿の寄稿が求められています。今回は、やはり「焦り」が先行し、家に戻ってすぐに、語った説教を基にしつつ、準備したのにちゃんと語れなかった原稿をもアレンジしつつ、その日に内に送信しました。修養会の出席者は、多くはありません・・・。それに比して、どれほど時間をかけているか・・・。その意味で、理想を言えば、皆さまにも、説教原稿を丁寧に読んで、噛みしめ、落とし込む、そのような格闘(作業)を重ねていただきたいということです。この修養会は、小さな集いです。しかし、三人の教師、二人の神学生のみ言葉の奉仕を受けられるのです。ものすごく「贅沢」(!!)です。この夏、さまざまなキャンプ、集会がなされました。明日の教会は、将来を担う人材の訓練なくしてありません。教会の子どもたち、中高生、大学生、青年たちは「ぜいたく」です。

☆   先週は墓地取得委員会が開催されました。委員長の渡辺長老の手配によって業者からの具体的なデザイン案が提示されました。たたき台があると、どんどん意見が出ます。墓地の委員会というと、なんとなく暗いイメージを持たれるかもしれません。しかし、ついに、ここまでこぎつけたということもあってか、笑い声が絶えない委員会です。「骨壺に収めたままにするのか」「土の中に混ぜてしまうのか」ひとり一人のイメージも分かち合われつつ整理されて行きます。第一回のデザイン案は、骨壺を50個収納できる、言わば、納骨堂のような墓石のイメージが提示されました。しかし、委員会としては、納骨型ではなく、同時に骨壺にどうしてもこだわりたい方のためにも配慮する(ハイブリッドな!?)墓石を再検討することとなりました。デザインの基本コンセプトは「シンプル」「み言葉中心」「豊明教会の墓石とある親和性を持たせる」等とりました。み言葉の候補として、「私はこの岩の上に私の教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」が示されました。今後、皆さまからの希望も受け付け、デザインに興味のある方の提案も受け付けるとのことです。来年の総会には、すべてを整え復活祭の完成を目指すこととなりました。
    (先週、最初の候補地だった墓園を見に行って来ました。多くの墓地が売れ残っているようでした。 紆余曲折がありましたが、神の導きを改めて覚えさせられました。教会はいつでもそうなのです!)

★   先週は、政治的ディアコニア室の学びと懇談の時を設けました。30分では無理を見越して、最初から40分の枠を持ちました。しかし、60分、費やしてしまいました。よき学びができたことは言うまでもありませんが、これからの歩みについてご意見が伺えたことは、とても貴重でした。当初、スタンディングに抵抗感をお持ちの会員もいらっしゃったこと。しかし、認識を深め、改めてくださったこと。それ以降、常に参加なさったこと。そのような「プロセス」の大切さを確認し合いました。共に歩むために、学びが必要です。時間をかける必要もあります。教会らしいプロセスが大切です。こうして、「信仰告白的事態を迎えた」との小会判断(決議)に基づいて、私どもはまさに教会の行動として担ってきたのです。

☆   先週の説教では、教会自身の利益を考えれば、やらない方が得かもしれない。しかし、教会は神の栄光と人々に仕えるために存在し、生きる(行動する)のだと申しました。いちばん、教会の利益を考えるのは牧師だろうと思っています。確かに室の働きは、いわゆる教勢にはメリットはないでしょう。むしろ、主日の貴重な時間を捧げる等デメリットがあるでしょう。しかし、ディアコニアに生きる教会の形成と正しいと実践あるのみです。神学的かつ実践的判断を高度に両立させる為、小会と室員の為に祈りましょう。

★   明日から、信州夏期宣教講座に参ります。久しぶりです。信仰告白的事態に即して、教会の足腰をいよいよ鍛えるためにも、出席したいと考え、どなたかがいっしょに言って下さるなら、行こうと、呼びかけたのです。このような集会に長老と執事と共に参加できることは、極めて幸いです。還元できますように。

8月14日

★   牧会通信の字数は、原稿用紙5枚です。かなりの時間を費やしています。どうしても共有したい信仰の「知識」があるからです。そのため、今回より一回り大きいA3用紙に拡大したものを、必要な方に配布する事が執事会決議されました。この奉仕は、地味です。しかし、教会活動の心臓部とも言えるものだと思っています。説教印刷用原稿を整えるのは、8時過ぎ。(説教作成作業はなお続きます!)月に一度、土曜日の夜の奉仕。ちなみに、週報は、一つは、パソコンからダイレクトで「リソグラフ」(輪転機)に繋ぐと鮮明となること、もう一つは、B4サイズ用の印刷機がないと言う理由で、私が印刷しています。かつてすべてを牧師から奉仕者にと、議論しました。やはり、困難です。時に、十数枚を印刷、折、ポスティングされます。奉仕者に感謝しつつ読みましょう。  なお、A3サイズは、内面だけの印刷になります。

☆  先週は、小会を前週に開催しましたので、執事会との合同協議会に出席した後、〇長老と久しぶりに牧会訪問させて頂きました。〇姉は、病院に行かれるとのことで次回となりました。〇兄には、アポなしで伺いました。小会の一つの反省は、主日に会議が多いことです。長老も牧師も可能な限り、教会の諸会議、集いに陪席する務めを負うという共通理解を持っています。いきおい、主日はそれで終わってしまうことになります。「牧会」の務めを与えられている私共として、課題です。〇兄と主にある親しい交わりが与えられ、最後に聖書を開き、そして〇長老にお祈りしていただきました。長老と共に訪問することの素晴らしさ、大切さを改めて実感させられました。

★   信州夏期宣教講座に〇長老と〇執事と共に参ります。震災以来、遠ざかっていました。主題は「神への従順とキリスト者の抵抗権」です。まさに、信仰告白の事態に至っている日本の政治状況にふさわしい主題となります。超教派の牧師と信徒が集います。講演は、毎年必ず、いのちのことば社より公刊されています。何よりすばらしいのは、その後の討議にあります。40代のとき、日本キリスト教会の大大先輩の牧師に、言いたい放題(!?)を言いながら、個人的にも教えられたことは、わたしの宝です。

☆   フクシマそしてオキナワ(高江における政府の弾圧の現場)に行かなくてよいのか・・・という問いがいつもあります。オキナワ、辺野古のためには、かつて週報に祈祷課題の欄を設けていた時代には、常に掲げられていました。それなのに、一度も足を踏み入れたことがないのです。もう、負い目以外の何ものでもなくなっています・・・。しかし、神学(み言葉)の学びや研鑽なしに、み言葉の実りとしての正しい実践にならないことをも深く思っています。(もとより、これを言い訳にしては断じてなりません!)

★   先週の説教で、ギリシャ語の「専念する」という言葉に「追いやる」という意味があることを知りました。そして、それはまさに神学的にも決定的なメッセージだと、感動しました。私どもの奉仕(ディアコニア)その究極の福音「伝道」は、神の御言葉に追いやられて、追い立てられるように促されなければ、できないからです。教会のすべての営みは、み言葉そのものの力によって結実させられるものです。もとより、厳密に言えば、私どもの未熟なみ言葉理解がありますし、言わば「本能」的に動いた、行ったということもあります。しかし、すべて例外なく、神に仕える働きは聖霊の働きであり、必ず、み言葉の保証、支えが「後から」でも、なされてまいります。

☆   使徒パウロは、み言葉に追いやられてテント造りをしながら伝道しました。同時に、み言葉に追いやられてみ言葉の宣教に専心したのです。牧師も信徒もみ言葉に追いやられ、福音を伝道し、テント造りに専心し、家族に仕え、地域社会に仕えます。そして、遊ぶ(休暇・レジャー)こともなすのです。

★   プリスキラとアキラ・・・。キリスト者夫婦の鑑です。はるかな目標ですが、目指しましょう。この夫婦のおかげで、世界宣教が達成できたとも言えるのです。それにしても夫君のアキラは「できた」夫です。妻を心から愛し、尊敬していたのでしょう。脱帽です。2000年も前にして、女性を優先するこの男女関係!は見事です。この夫婦関係に、21世紀はなお追いつけていないように思います。残念ながら、キリスト者(教会)もまた・・・。しかし、女性長老や牧師の出現によって、改善される「かも」しれません・・・。いえ、このような男性中心的視点(上から目線)に立った文章こそ、根本的な批判が求められるのです!!

☆   キリスト者の「テント造り」(=職業)の目的は、3つ。 1、自分の生活を支えるため。 2、教会の働きのため。3、隣人を助けるため。 使徒的(=聖書的)な職業生活のあり方を、真似(学び)ましょう。

★   本日の墓地委員会は、墓地のデザイン他が議案とのこと。私の関心は、「墓碑銘」にあります。委員会に陪席された方には、お分かちします。どなたでも陪席可能です!墓地取得のために祈りましょう。

8月7日


★   礼拝説教において、時に、「今日の箇所から学びましょう」と申します。説教は、聖書の教えを学ぶ場で「も」あるからです。一週間の中で説教においてしか、神の御言葉に共同で向き合えない状況であれば、この「学び」は決定的に、生命的に重要であり、生きて行くために不可欠とも言えます。そのためにも、「説教原稿」を印刷してます。ひとりひとりが、掘り下げ、自分の心の底に落とし込んで、応答するためです。ちなみに、水曜日の祈祷会では、すっかり忘れ(!?)、あるいは忘れかかっている主日の説教のテキストを改めて読みます。少し思い出します。そして、そこで語られたことをさらに掘り下げたり、語れなかったみ言葉を語ります。そのようにして、あの貧しいわたしの説教を、何とかして、教会形成のための生きた言葉としたいのです。

★   アレオパゴス説教は、聖書の神を知らない未信者(異邦人)のためのまさに純粋な伝道説教です。しかも、その聴衆は見知らぬ他人です。信徒職の神髄は、大衆に福音を語ることではなく、むしろ、生活の中で個人的な信頼関係を結んで、その人のためにみ言葉を告げる点にあります。しかし、同時に、皆さん御一人おひとりが、この説教に学んで、未信者に対する伝道の自分なりの語り口や内容を獲得してほしいと強く願っています。皆様は、自分がキリスト者であり教会員であることを周囲に告げておられると思います。しかしそこから、普段の会話の中で、神さまや教会の話題に「引っ張」られる方は、まだ多数とは言えないだろうと思っています。最も大切なことは、伝道の熱心、熱意です。絶えざる祈りです。

★   しかし、その内的課題と同時に、技術の面での「装備」「訓練」が不足していることも、見逃せない課題です。この点もまた、私自身の力不足を認め、共に祈っていただきたいと思います。「伝道のために、わたしを鍛えて下さい。あの人を、信仰に、福音に導きたいので、何とか、訓練して下さい。」皆さんから、このような声が挙がれば、わたしのような拙い器でも、少しはお役に立てるだろうと思います。パウロの伝道説教、そしてそこからのわたしの説教・・・。できれば、何度も、読み直してくださればと願います。

★   先週は、「悔い改めと信仰」について学びました。伝道説教の結論が、神の審判(裁き)であったことを確認しました。わたしこそ、この説教で最も問われました。自分の伝道説教との「差」です。ここは、まさに言い訳は不必要です。お祈り下さい!彼は、福音の神髄をしかもまっすぐに語りました。彼は、神の代弁者としての自己理解と自己規制をもって、語ったのです。

★   「悔い改め」これこそ、救いの恵みです。日本人は、神に悔い改める幸いを知らないゆえに、何度も、同じ過ちを繰り返してしまいます。8月。あの戦争の責任を、日本人はどこで悔い改めたのでしょうか。神と人に対して、アジアの人々と国民に対して。何より、教会の戦争責任という比べられない大罪に対する悔い改めはどうでしょうか。私どもの教会は、「ここ」から出発しました。「この日本に神の教会を」教会さえも天皇を神とする罪を犯したこの日本に、キリストだけを主と告白するまことの教会共同体の形成を目指し続けています。救いとしての、恵みとしての悔い改めを告げましょう。そのために、十字架のイエスさまを告げましょう。赦しを証ししましょう。「再生・新生」の道がすでに整えられていることを証ししましょう。そして二度と同じ過ちを繰り返さないように、今、すべきことを力を合わせてしましょう。28日の読書会に出席しましょう。先週「教会と戦争」(川端純四郎著2500円)を読みました。日本基督教団の信徒の講演記録です。講演録が主で、すっと読めます。心からお勧めいたします。   

★都知事に小池氏が、防衛相に稲田氏が。二人とも「日本会議」に属す国会議員。女性のナンバー2。「日本会議」とは、国家神道体制こそ日本の「国体」であるとの信仰(信念)に基づいて結成された団体です。まさに旧日本回帰を主導するエンジンです。彼らは、日本国憲法を呪詛して認めず、大日本帝国憲法を復元させることによって日本の独立がなると信じ、戦争を主導した為政者たちを擁護しようして、戦後一貫して働いてきた者たちによる団体です。これは、今上天皇への尊敬心がない点で、いわゆる「右翼」少なくとも「保守」の範疇を決定的に越えています。まさに極右、カルト集団と言うべきです。(ドイツでは、ヒトラー支持、侵略戦争を肯定することは許されていません。ネオ・ナチの存在もありますが、政権を担う状況には完全にありません・・・。)ところが、現在の日本政府の中枢はほとんどこの集団に属し、支持を受けています。私どもが、参院選において改憲勢力の三分の二をとられないようにと、路傍に立ったことは決して無意味ではなくもとより間違いでもありません。しかし、この事態を覆すためには、彼ら以上の熱心が必要になるのではないでしょうか。私どもは、今まさに、信仰告白の事態を迎えています。

7月31日


★   もう何年前になるでしょうか。滋賀県にある重度知的・身体障がい者の施設である止揚学園のスタッフが教会をお訪ねくださるようになり、今では、毎年、祈祷会に来ていただき報告や証しをお伺いするようになりました。創設者の福井達雨先生と止揚学園の実践は、そのまま日本における知的、身障者の福祉の歴史とモデルそのものとなっていると思います。今回の事件は、止揚学園が目指す社会、思想の真逆です。関係者がどれほど心を痛めておられるかを思うとさらに暗澹たる思いに陥ってしまいます。

☆  先天的「障がい」の問題は、まさに、主イエスが生まれながらの盲人の目を開かれたヨハネによる福音書第9章の物語において示されている通り、です。つまり、そこに神の栄光の現れを見、神の尊厳、つまり人間の尊厳を見るのが、神のまなざしなのです。これに対して、現政権の「まなざし」はどうでしょうか。「ナチスの手口に学んだらどうかね」と麻生副総理は公言しました。自公政権は、「ナチス・ドイツ」の手口を学んで解釈改憲を重ね、暴力的な国会での採決を重ね、遂に本丸の憲法改正に「王手」をかけています。彼らが改正しようとする「憲法」なる者は、そもそも日本国憲法が禁じる、憲法の基本原則、普遍的価値観を真正面から破棄するものです。およそ自民党草案なるものは、憲法の名で呼ぶことができないものです。大日本帝国憲法の方がまだましであるとすら思える代物です。そこでは、主語は「個人」から「国」に変更されます。ヨウスルニ、戦前戦中の国家神道体制に復古させることにあります。かつて御国(おくに)のために有益でない者、つまり生産性のない人間は不用とされました。このまま行けば、在日の方々はもとより後期高齢者と呼ばれる方々の尊厳すら否定されかねなくなるでしょう。今回の事件は、決して、一人の特別な犯罪者の問題に矮小化すべきではないと思います。

★  主イエスは、 「これらの小さな者の一人にしたのは、私にしてくれたことなのである」と仰って、最も小さな者、小さくされた者とご自身とを重ね合わせてご覧になられています。そうであれば、教会は今回の事件と、それをもたらしたこの国に蔓延しつつあるおそるべき「空気」をはねのける、霊的な戦いにひるむわけにはまいりません。

☆   先週は夜の祈祷会の時間も利用して、政治的ディアコニア室の会議を開催致しました。室の組織は、〇室長、〇長老、〇兄、〇兄の4名です。牧師は、他の室や委員会どうよう出来る限り出席致します。8時〜9時までの枠を設定していました。そのためにメールで議案を提示し各々の意見も分かち合うこととしていました。ところがなんと10時閉会となりました。詳細は、文書(記録)で報告されるはずです。一年の歩みを総括すれば、想像を越えて豊かな実りを与えられたものと最大限に評価しています。そもそも、一人の会員から、「今、行動すべきではないか」との提言を受けたことが発端です。そもそも、「この日本に神の教会を」との志と祈りで出発し、日本という国における教会の責任をコツコツ、学び続けて参りました。しかし、具体的な行動は昨年が初めてとも言えたかもしれません。人生初のデモの日が、夜の祈祷会に重なっていました。小会は、祈祷会チームとでもチームをそれぞれ分担して活動することと致しました。こうして、教会の働きとして出発したのです。

☆   長老主義教会は常に、小会の監督の下にすべての活動が担われます。確かに、ディアコニア室の主導ではありますが、小会、つまり教会としての働きです。同時に、室員方は常に、「行動は有志で担います」とくどいくらいに繰り返されました。(もとよりすべての教会奉仕は、有志によって担われるものです。)こうして、当教会は、地域の方々とほとんど初めて行動を共にすることとなって行く事となりました。先週の戦争法を許さない緑区の会の1周年記念の集いは、大盛況となりました。何より、信頼と評価を受けていることに驚かされました。もとより、問題もあるでしょう。どうぞ、異見をお持ちの方は、どんな些細なことでも質問して下さい。牧師か室員にお尋ね下さい。教会の営みのすべては主にある交わり、つまり愛と信頼なくして、豊かで善き実りを結べないからです。

★   名古屋岩の上教会がこの世の真ん中で、どこに立つべきかを端的に言いあらわしたいと思います。【右でも左でもなくましてや中立でもなく、ただ「この岩の上」に立つ。】つまり、イエス・キリストとそのみ言葉の上に立ち、イエスを主とする「告白教会」たらんとすることです。ただし、特定状況においては、必ず、右、左、中立と言うように明瞭な立ち位置を明らかにせざるをえません。告白する教会の必然性です。教会は支持政党を持っていません。ただし、その政党、政治家を支援することが、大悪(全体主義)に対して小悪となる場合、躊躇せず、小悪となる政党、政治家を支援してもよいし、すべきでしょう。
目次
名古屋岩の上教会
〒458-0021
名古屋市緑区滝ノ水2-2012
TEL&FAX:052-895-6701 
メール:iwanoue■me.ccnw.ne.jp
※■を@に変えてください。
牧師紹介
□牧師 相馬伸郎□
下記の定例集会にどなたもお気軽にお越しください!心から歓迎いたします。
求めるあなたに、かならず、救いが与えられます。


□主日礼拝式□
毎週日曜日
10:30〜12:00

□子どもの教会□
毎週日曜日 
嬰児から高校生まで
9:00〜10:00

□祈祷会□
毎週水曜日 
朝 10:00〜11:30
夜 19:30〜21:00

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【子供と父母のハートステーション】が始まっています。 詳しくは、ニュースをごらんください!

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