みなさま、こんにちは!
まだまだ残暑の淡路島です。
さぁ、明日から山本清次先生に学ぶ、1泊2日の明想合宿。
半年に1回なので、私にとってメインイベントです。
その日に向けて、体調を整えたり、エネルギー管理したりして、
まるでスポーツ選手が試合に出る前みたいに、整えてきました。
またとない機会なので、合宿でより深く1ミリでも深く、光を理解できるために、エネルギーを出来る限り、満ち溢れさせておきたい訳なのです。
明想とは、たった一つを見つめる、という行為です。
目に見えるあらゆるの根源、実体、親、本質、たった一つのそれを見つめる行為。
どうやって見るかというと、肉眼ではなく波動同調することで見る。
この「たった一つ」=光を理解するのに、さえぎりとなるのが、「大脳」です。
大脳は、目に見える次元、私たちが普段認識しているこの3次元のために生まれた器官。
だから、この大脳では5次元=光を理解することは出来ないのです。
日常生活の中でも、この大脳優位な生き方を見直していかないと、なかなか5次元=光には到達しないという…。
ということで、私もずいぶん「大脳」で世界を捉えないということを、ずいぶん練習したつもりでしたが、まだまだだなぁ〜〜〜、と痛感させられることが多い最近です。
大脳は、世界を分離・分断して捉えるのが仕事。
そしてそれを、自分の「損か・得か」「正しいか・間違ってるか」「いいか・悪いか」「好きか・嫌いか」など、2極に分けます。
毎瞬、毎瞬、瞬時にやってます。
これは、この3次元世界を生き抜くのには必要ですが、「分離・分断」なので、5次元=光=たった一つ、を理解するのとは真逆の方向性になる訳ですね。
そこで、日常生活の中で、「これが得」「これが正しい」「これがいい」・・・など、二つに分断して、どちらかに自分が点を打った瞬間に、「それ本当?」と自分に問いかけるようにしました。
「私の意見の方が正しい」
「それ本当?」
「うーん、もしかしたら違うかも。こっちの意見の方が正しいかもしれない・・・」
やり始めると、ものすごーーーーく、
心もとない感じ、
はっきりしなくて歯がゆい感じ、
不安定な感じ、
自信がない感覚、
霧の中にいるような感覚になりました。
うわー、大脳って、どちらかに決めたい、固定したいんやなぁーーーーとわかりました。
どちらかの箱に収めると、ほっとして満足。落ち着くんですね。
特に、私はその傾向が強いのだと思います。
固定するのが得意で、逆に柔軟に変化するのが不得意で、そこはただいまトレーニング中(昔よりは遥かに柔軟になりました)。
こう書くと、「固定」が悪いもので、「柔軟」がいいものに思えますよね。
これがまた大脳のシステムで、すべてを「正しい」か「間違ってるか」「いい」か「悪いか」、に分けるようになってて、そこに自動的に乗ってる訳で。
しかし、「固定」が弱いと、例えばチームで何かやってる場合、自分の意見がなくなって、すべてがオッケーになって、みんながそうだと、何も物事が進んでいかない。
逆に「柔軟性」が弱いと、意見がぶつかりあって、これまた何も物事が進んでいかない。
大事なのは、どちらがいい悪いじゃなくて、どちらがその時その状況にとって、適切なのかを見極めることですね。
今朝のこと。
秋になってきたので、足湯は朝にやり始めました。
「あやじー、足湯の準備ができたよ〜、入ってね〜♪」
と言った後に、続けて私が、
「ほかほかだよ〜、あたためることは体にとってもいいんだよ〜\(^o^)/」
と言いました。
その時のあやじのお返事は、
「でも、あたためちゃだめな時もあるよ〜」
でした。
その通りです。
夏の炎天下でクラクラになった後に、さらにあたためたら熱中症になってしまいます。
あたためることがいいこと、なのではなく、「あたためる=陽」「冷ます=陰」のバランスを、適切にとることが大事なのです。
私は寒がりで、冷えやすい体質なので、つい「体をあたためることは、いいこと」という認識が深く入っていて、そこから発言したので、
あやじには、違和感だったのかもしれませんね。
わ、私また「いい」「悪い」の二極でものを見てる、発言してる〜とはっとさせられた朝でした。
明日からは明想合宿。
たった一つを見つめて、光への理解や体験を、また一段、ぐっと深める時間にしたいと思います。
来週また気づいたこと、理解したことを書きますね。
みなさまも、素敵な1週間をお過ごしください。
また来週お会いできることを楽しみにしています(*^_^*)
まだまだ残暑の淡路島です。
さぁ、明日から山本清次先生に学ぶ、1泊2日の明想合宿。
半年に1回なので、私にとってメインイベントです。
その日に向けて、体調を整えたり、エネルギー管理したりして、
まるでスポーツ選手が試合に出る前みたいに、整えてきました。
またとない機会なので、合宿でより深く1ミリでも深く、光を理解できるために、エネルギーを出来る限り、満ち溢れさせておきたい訳なのです。
明想とは、たった一つを見つめる、という行為です。
目に見えるあらゆるの根源、実体、親、本質、たった一つのそれを見つめる行為。
どうやって見るかというと、肉眼ではなく波動同調することで見る。
この「たった一つ」=光を理解するのに、さえぎりとなるのが、「大脳」です。
大脳は、目に見える次元、私たちが普段認識しているこの3次元のために生まれた器官。
だから、この大脳では5次元=光を理解することは出来ないのです。
日常生活の中でも、この大脳優位な生き方を見直していかないと、なかなか5次元=光には到達しないという…。
ということで、私もずいぶん「大脳」で世界を捉えないということを、ずいぶん練習したつもりでしたが、まだまだだなぁ〜〜〜、と痛感させられることが多い最近です。
大脳は、世界を分離・分断して捉えるのが仕事。
そしてそれを、自分の「損か・得か」「正しいか・間違ってるか」「いいか・悪いか」「好きか・嫌いか」など、2極に分けます。
毎瞬、毎瞬、瞬時にやってます。
これは、この3次元世界を生き抜くのには必要ですが、「分離・分断」なので、5次元=光=たった一つ、を理解するのとは真逆の方向性になる訳ですね。
そこで、日常生活の中で、「これが得」「これが正しい」「これがいい」・・・など、二つに分断して、どちらかに自分が点を打った瞬間に、「それ本当?」と自分に問いかけるようにしました。
「私の意見の方が正しい」
「それ本当?」
「うーん、もしかしたら違うかも。こっちの意見の方が正しいかもしれない・・・」
やり始めると、ものすごーーーーく、
心もとない感じ、
はっきりしなくて歯がゆい感じ、
不安定な感じ、
自信がない感覚、
霧の中にいるような感覚になりました。
うわー、大脳って、どちらかに決めたい、固定したいんやなぁーーーーとわかりました。
どちらかの箱に収めると、ほっとして満足。落ち着くんですね。
特に、私はその傾向が強いのだと思います。
固定するのが得意で、逆に柔軟に変化するのが不得意で、そこはただいまトレーニング中(昔よりは遥かに柔軟になりました)。
こう書くと、「固定」が悪いもので、「柔軟」がいいものに思えますよね。
これがまた大脳のシステムで、すべてを「正しい」か「間違ってるか」「いい」か「悪いか」、に分けるようになってて、そこに自動的に乗ってる訳で。
しかし、「固定」が弱いと、例えばチームで何かやってる場合、自分の意見がなくなって、すべてがオッケーになって、みんながそうだと、何も物事が進んでいかない。
逆に「柔軟性」が弱いと、意見がぶつかりあって、これまた何も物事が進んでいかない。
大事なのは、どちらがいい悪いじゃなくて、どちらがその時その状況にとって、適切なのかを見極めることですね。
今朝のこと。
秋になってきたので、足湯は朝にやり始めました。
「あやじー、足湯の準備ができたよ〜、入ってね〜♪」
と言った後に、続けて私が、
「ほかほかだよ〜、あたためることは体にとってもいいんだよ〜\(^o^)/」
と言いました。
その時のあやじのお返事は、
「でも、あたためちゃだめな時もあるよ〜」
でした。
その通りです。
夏の炎天下でクラクラになった後に、さらにあたためたら熱中症になってしまいます。
あたためることがいいこと、なのではなく、「あたためる=陽」「冷ます=陰」のバランスを、適切にとることが大事なのです。
私は寒がりで、冷えやすい体質なので、つい「体をあたためることは、いいこと」という認識が深く入っていて、そこから発言したので、
あやじには、違和感だったのかもしれませんね。
わ、私また「いい」「悪い」の二極でものを見てる、発言してる〜とはっとさせられた朝でした。
明日からは明想合宿。
たった一つを見つめて、光への理解や体験を、また一段、ぐっと深める時間にしたいと思います。
来週また気づいたこと、理解したことを書きますね。
みなさまも、素敵な1週間をお過ごしください。
また来週お会いできることを楽しみにしています(*^_^*)