岩 崎 建 築 研 究 室 ・ 日 誌

〜京都で数寄屋を学び、建築設計を考える〜

岩崎建築研究室

北嵯峨

お茶のお稽古造園班。今日は二人休みで、三人でお稽古。お稽古に使わせていただいている部屋は、造園の親方のご実家で、京間の八帖。いままでは、準備の段階も見えて指導できるように場所を設定して、茶道口を仮想襖(そこに襖があるものとして)でお稽古していましたが、そろそろ準備もできるようになってきたので、続き間も使わせていただいて、実際に襖を開け閉めしてできる位置に変更。又隠と同じ四帖半の間取りを想定した位置取りで、これで足の運びも正式にお稽古できる。既存の和室を、お稽古場として使うには、どのようにしたらよいか、というのは、私自身設計者として重要な仕事ですが、こうした実体験は、とてもよい勉強になる。

今日は場所も替わることもあり、わかりやすいようにと、最初に一度私がお点前をした。先生の模範点前と言うわけでもないのですが、私自身、お稽古場で先生に教えていただく他に、社中の先輩方のお点前を見て勉強をしていることが大きいように感じている。初心者しかいないお稽古場では、そうした機会がありませんので、先輩としてのお点前をしてみる。参考になったかどうかわかりませんが、それからお稽古。まだまだ手順でつまづく人もあり、先は長い。


今日用意したお菓子は、老松の北嵯峨。嵯峨野の風韻を小倉山の姿に借り、淡味に炊き上げた丹波大納言の粒餡を工夫の白雪糕に和した押菓子。造園屋さんたちは、嵯峨を拠点に仕事をされていて、北嵯峨の風景は日常茶飯事かもしれませんが、古くから歌に詠まれてきた北嵯峨の風景は多くの人にとっては憧れ。

ベルギーの大工さん

お茶のお稽古大工班。お稽古は先月に引き続き盆略点前。皆さんそろそろ手順は大体覚えられたところ。次のステップとしては、美しい点前を目指してどうするか。個人個人、クセはそれぞれなので、指導は難しいですが、やりがいのある先生の仕事。また、点前の一方でまだまだなのが、客振りのお稽古。お菓子のいただき方やお茶のいただき方、というのは、簡単なようで、滞りなく、様になるようにするのは意外と難しい。その時の状況により、お先に、お相伴といった挨拶をどのようにするか、なぜ茶碗を廻すのか、などは、作法通りすることも大切ですが、その意味を知った上で、気持ちがこもった、心のある所作にならなければならない。こちらも難しいことですが、それこそが大切なことのひとつのようにも感じます。

今日は親方の家にホームステイしているベルギー人の大工さんがお稽古を見学されました。親方が以前シンポジウムの実演でフランスに行ったときに知り合ったようで、アメリカで日本建築に出会って感動し(サンフランシスコで活躍する日本人棟梁がいるようです)、それ以来、そのような仕事に携わり、今では差し金の裏目を使いこなす仕事などもできるのだとか。すごい。


一時間半のお稽古をみっちり見学されて、最後には私が一服差し上げた。ちなみに今日のお菓子は、本家玉壽軒の「くず家」。茅葺きの民家のかたちをしたお菓子。大工さんたちにとって、家の形のお菓子は面白いかな、と思って。


細かな作法までお教えすることはできませんでしたが、丁寧に扱おうとされて、自然と両手で茶碗を引く。こうした気持ちは万国共通。


お茶を頂くベルギーの大工さん。廻りの大工さん達も興味津々。ちなみに数日前には、大工さんの作業場に、ヨーロッパからの団体さんが来られて、大工さんたちが自ら盆略点前でお茶を振る舞い、大変喜ばれたそう。お茶のお稽古が活かされているようで、先生として、とても嬉しい。

お稽古終了後には親方の家族も一緒に皆で食事に。ベルギーの大工さんに好きな日本建築を聞いてみると、「名前はわからないけど、商家で、土間があってこんな梁があって、浮いている鴨居があって、、、」というので、高山の吉島家かも、と写真を見せると、そうそれです!とのこと。岡崎の家を設計している時、吉島家のような梁ができればと、親方と一緒にわざわざ見に行った思い出深い建物。
その時のブログは→こちら
それ以前に一人で見に行ったときのブログは→こちら
チャールズ•ムーアも絶賛したという吉島家は、本当に世界に誇れる建築だと思います。建築家は誰?と聞かれて、すぐに答えられず反省。棟梁の名は西田伊三郎。もっと名を知られてもよいのかもしれませんが、建築の素晴らしさは、設計者の知名度と、本来関係のないことなのかもしれません。一方、ベルギーの建築と言えば、ヴィクトール•オルタのアールヌーヴォーが有名ですが(フランスで活躍したオーギュスト•ペレも実はベルギー生まれ)、他にも素晴らしい建築がたくさんあるのだと思います。機会があれば、ベルギーにもゆっくり訪れてみたい。

実測調査完了

前回二泊三日で行った古民家の実測調査。今回は一泊二日で行い、完了する予定。今日は前回詳しく採りきれなかった新座敷の展開図。「新座敷」とはいっても、江戸期の主屋に対しての「新」であって、いつ建てられたのかは詳しく分からない。建築各部の詳細を見ながら、いつ頃建てられたのか、を想像するのも楽しい。


床の間の袖壁にある下地窓。下部の横の葭は朽ちてしまっていますが、綺麗な印象。空きの寸法が一寸ほど、葭が細く本数が多いですが、全体としては、数寄屋のそれとして違和のない感じ。横一尺八寸、縦二尺三寸。窓との位置関係のバランスも良い。


藤蔓の巻き方もオーソドックス。色々な建物を見ていると、マス目が大き過ぎて間が抜けたものになってしまっていたり、藤蔓がグルグル巻きになっていたする下地窓もよく見かける。正解というものはないとは思いますが、個性を表現しながら違和感なく納めるには、ある程度のラインというものを守らなければならないのではと思う。


端部に葭を入れず、壁は蛤端で納められている。一般に端部には葭を入れて内外の壁の境目とするのを定石とすると聞きますが、待庵はそうなっていなかったりする。蛤端で納めるには、左官の高い技術が必要だったのでは。壁に柔らかな丸みがありながら、端部はシャープで、独特な印象を造りだすことに成功しているように思います。


廻縁は挿し廻しで納められていて、数寄屋を手掛ける棟梁が関わったことを伺わせる。なお杢目は、下端が柾目になっていますが、これまで関西で仕事をしてきて、竿縁は下端が柾、廻り縁は見付が柾とする、と聞いています。関東では、廻り縁は下端を柾にするとも。このあたりは一度詳しい人に教えて欲しい。


新座敷は、主座敷の八帖と、次の間の八帖の続き間。天井はどちらも竿縁天井ですが、よくみると微妙に違う。


主座敷は、天井板は柾板で12枚割、一枚は九寸七分、白木のままで、天井高さは七尺四寸五分。


次の間は、天井板が中杢で13枚割、一枚は八寸九分、廻縁と竿縁は色付けされていて、天井高さは七尺四寸、と主座敷より五分下げている。

微妙な差ではありますが、これが全く同じでは、どちらがメインでどちらがサブなのかの区別がありません。日本人は昔から「真行草」の「格」というものを大切にしてきていて、それをきちんと建築の中でも表現してきたのだと思います。体験者は、こうした細かな違いに気がつかなくとも、その違いをなんとなく感じ取るものなのではと思います。クラシック音楽でも、ソナタ形式の提示部と再現部とでは、ちょっとしたリズムが変わったり、楽器が入れ替わったり。作り手は細部に気を行き届かせながらも、全体のバランスも考えて、綿密に計画を練り、大きな流れを作り出していかなければならないのだと思います。


依頼主の御母様から、小さい頃はこの窓に腰掛けて、竹の隙間から足を出して、歌を歌ったのよ、というお話を聞く。今はありませんが、昔は窓に連子竹があったのかも、と思い、網が打ち付けてあった枠を取り外してみると、案の定、敷居には竹を打ち付けてあった跡が。しかもピッチは三尺五寸ほどと、茶室の連子窓の竹の標準的な寸法になっている。こんなところからも数寄屋に精通した棟梁が関わったのでは、と伺わせる。昔話からこうした事実を突き止めるのは謎解きのようで面白い。

ここの天井は舟底天井でいい天井なのよ、と祖母から聞いていた、というお話も伺う。しかし現状は竿縁天井。外観を見ると屋根は少し高く設定されていて、もしかして、竿縁天井の上に、かつても舟底天井があるのかも。


ということで、無理を言って、押入の天井を外して、天井裏を覗いてみる、と、、、


残念ながら、舟底天井があった形跡は見つけられず。結局、舟底天井の謎は分からずじまいでしたが、御陰で小屋裏の様子がよくわかり、断面図が詳細に記録できます。


敷地内にある杉の大木。家の中からこうした幹が見えるのは庭の景色としてとても素敵ですが、管理が大変なので大きな木は徐々に減らしていく予定です、とのこと。家も大きすぎると管理が大変。生活様式も変わり、昔のままの家では現代生活は難しいですが、できればご先祖様が造り家族の記憶が沁み込んだ家を、新しい形で次へと引き継いでゆく、そんなお手伝いができればと思います。

地鎮祭

大阪の家の地鎮祭。当初は9/20(火)に行う予定でしたが、台風のため本日に延期となりました。


紅白の幕の下がるテントの中に設営された祭壇。左右四本ずつ足があるので、八足台(はっそくだい)とも。祝詞で名前を読み上げられると、改めて責任を感じ、身が引き締まる。


四方祓。土地の四隅をお祓いする。切麻(きりぬさ)・散米(さんまい)とも。


設計者の私が斎鎌(いみかま)を使って刈初(かりそめ)、建築主さんが斎鋤(いみすき)を使って穿初(うがちぞめ)、工務店の社長さんが斎鍬(いみくわ)を使って鍬入(くわいれ)を行う。写真は砂山に入られた鎮物。箱の中身は人型、玉、鏡、矛、盾、長刀子、小刀子の七種。これらを鎮めることで、建物完成後に暮らすご家庭に安穏と幸福をもたらす。

いよいよ着工。改めて気を引き締めて、工事を進めて行きたいと思います。

犬山城

所用のため家族で犬山へ。せっかくなので犬山城を見学。


お城を前に、戦国気分が盛り上がったのか、傘でチャンバラを始める兄弟。


あいにくの雨でしたが、入城直前に雨があがってよかった。


犬山城は、入母屋の建物の上に望楼を増築した望楼型天守。二重二層の入母屋の主屋は天文六年(1537)あるいは慶長六年(1601)に建てられ、望楼は元和六年(1620)の増築、その後唐破風などが追加され現在の姿になった。別名「白帝城」は荻生徂徠が李白の詩から命名。

朝辞白帝彩雲間
千里江陵一日還
両岸猿声啼不住
軽舟己過万重山

朝焼け雲に染まる白帝城に、朝早く別れを告げてから
千里も離れた江陵まで、一日で着いた。
川の両岸からは猿の鳴き声が絶えず聞こえ
その鳴き声がやまないうちに、舟はすでにたくさんの山々の間を過ぎていった。


大戸の木肌の風合い。


中に入ると石垣の上に大きな梁。


美しいはつり目。見られることを意識した丁寧な仕事。マツ、ケヤキ、ヒノキ、スギでもなさそう。材種がわかりませんが、一説には修理の時に取り替えられたもので、タイの木とも。


束を立て、床を支える。


各階外周の屋根を支える梁のケヤキは当初材?後の補修の時に替えられたのかも。


こちらは当初材っぽい。はつり目のある大きな柱。


1/10の模型。


天守からの眺め。


屋根の見下ろし。


台風の影響か木曽川の水位が高い。


千鳥破風の内側。こぢんまりした空間。段差に腰掛けて、ぼーとするのによさそうな、居心地のよい空間。


武具棚。板の傷が歴史を感じさせる。


同じく武具棚の框。使い込まれて節廻りに艶が出ている。茶室の床框に使いたいっ!


両開きの板戸。


雨後の石垣。

メサイア@ロームシアター京都

家内がメサイアを演奏するというのでロームシアター京都へ行ってきました。

メサイアは学生時代何度も弾いた思い出深い曲。大学生時代のクリスマスはいつもメサイアでした。大学四回生の時には、30回の記念の年、井上道義先生に指揮をしていただき、コンマスをするという、いま考えたら怖くてできないような、大変貴重な経験をさせていただいた。その年で京都会館は閉館、思い出のホールは無くなってしまいましたが、新しく生まれ変わったホールでの演奏会を楽しみにしていました。

今回の演奏会、指揮者は山下一史先生(四回生の定期演奏会でマーラーの巨人を振っていただいた)。ソプラノは、当時何度も歌っていただいた松下悦子先生。私にとってのメサイアのソプラノは先生のイメージが強く、今回二十年振り!に聴きましたが、先生の歌声を聴いたとたん、当時の記憶が鮮明に思い出されるような気がしました。第三部の一曲目、I know that my Redeemer liveth... 「わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる…」は本当に美しい曲。先生の美しい歌声に思わず涙腺が刺激される (もう年だな)。終曲は壮大で感動的。ヘンデルのメサイアはキリスト教に対する信仰心を問わず感動できる素晴らしい名曲だと改めて感じました。


ロームシアター京都は、前川国男設計の京都会館(1960)を香山壽夫建築研究所によって改修された(2015)。建て替えが発表された時には解体中止を求め住民監査請求が提出されたりと色々とありましたが、京都会館全体としては、以前会議場として使われていたところに、TSUTAYAやスタバが入ったりして、全体の雰囲気は今時で良い方向に変わったように思う。


メインホールへの階段。メインホールは2005席。先日の兵庫県立芸術センターの床は無垢のマホガニーでしたが、こちらはウレタン塗装された合板フロアで少し残念。一階席側壁はいぶし瓦(脂症の人が触ると跡が残り少し気になる)、バルコニー席の後壁は金属スタッコの左官仕上げ。せっかく左官仕上げにするなら、腕利きの職人を集めて大津壁にするとかのほうが格好良かったのでは、とも思う。


右はサウスホール舞台幕(部分)、狩野永徳の上杉本洛中洛外図(住江織物)、左は杭迫柏樹氏の「悠」「創」「遊」。


改修発表時にはその高さも問題になりましたが、出来上がってみると、それほど高さは気にならないようにも思います。古い部分と新しい部分の調和もまずまずよさそうに見えます。またじっくり見に行ってみたい。

ブルックナー@兵庫県立芸術文化センター

西宮北口の兵庫県立芸術文化センターへPACの定期演奏会を聴きに行ってきました。兵庫県芸術文化センターには、学生時代の友人が創設当初からステマネをやっていて、行きたい、行きたいと思いながら、なかなかいけずにいました。そんなところに、昨年姪っ子がPACに入団。在籍は三年までという期限もあるので、友人と姪っ子がいるうちに是非ということで、行ってきました。しかも演目はブルックナーの9番!

指揮の佐渡さんはバーンスタインの弟子として有名ですが、そのバーンスタインが、ウィーン・フィルと最後に取り組んだのが、このブルックナーの第9番、しかも佐渡さんは、そのリハーサルから本番まで全のセッションに立ち会ったとか。友人が用意してくれたチケットは一階席のど真ん中、理想的なポジション。各パートがバランスよくクリアに聞こえて、素晴らしい演奏を存分に楽しめました。ありがとう。

PACは世界各地でオーディションを行い、若い人たちが世界中から集まるインターナショナルなオケ。演奏を聴きながら、音楽に国籍は関係ないということを改めて感じる。キリスト教徒でない人間に本当にブルックナーが理解できるのか、とも思いますが、音楽は音楽。世界中でたくさんの日本人音楽家も活躍していますし、お茶の世界では、外国人のお茶人さんもたくさんいます。もし外国人の数寄屋棟梁や左官職人がいても、志と技術さえあれば、問題なく一緒に素晴らしい建築が作れるのでは、とも思います。


兵庫県立芸術文化センターは2005年10月開館。設計は兵庫県県土整備部まちづくり局営繕課設備課と日建設計(江副敏史)。西宮北口駅から直接アクセスできてとても便利。


四弁の花のような断面形状をしたPC柱の列柱。足下は少しくびれてスレンダー。震災復興のシンボルなら、もっとマッシヴな表現という方向性でもよかったのでは、とも思う。


入り口脇にはブールデルのベートーベン像。大ホールの内装はマホガニーの無垢板で非常に贅沢。中ホールの内装は兵庫県産の杉のようなので、次の機会に是非体験してみたい。









埋蔵文化財調査

大阪の家。今回の敷地は埋蔵文化財包蔵地に指定されていて、工事にかかる前に試掘をして、文化財が出てこないかどうかを見てもらわなければなりません。何か発見されると発掘の費用は土地の所有者が負担しなければならず、工事も延期となってしまうので、何も出てこないことを祈るばかり。


解体工事が終了して更地になったところへ、ユンボを使って1m×1m×1mの穴を掘ってもらいました。


長靴を履いて大阪市役所から自転車で来た(!)という係の方が、穴の中に入って調査をする。場合によって古墳時代の層が出ることもあるようですが、今回は明治期と思われる層からレンガが出たり、その下は田畑だった層が見える程度で、発掘の必要はありません、ということで、ほっと一安心。






profile
岩崎建築研究室
岩崎 泰

住宅,茶室,店舗の設計等について
ご質問,ご相談がございましたら
まずは、電話やメール にて
お気軽にご連絡ください。
TEL 075-724-2354
iwasaki1201@syd.odn.ne.jp
Archives
  • ライブドアブログ