岩 崎 建 築 研 究 室 ・ 日 誌

〜京都で数寄屋を学び、建築設計を考える〜

岩崎建築研究室

建築の日本展

東京出張。セルリアンタワーで打合せ。

充実した打合せを終えて、すぐにでも内容をまとめておこうと思いつつ、スマホを見ると、六本木の森美術館で「建築の日本展」が始まったという情報(「茶室」の文字が入ったニュースがあれば、メールが入るように設定している)。待庵が復元展示されていて、丹下健三自邸の模型もある、ということなので、急遽見に行くことに。


六本木ヒルズへ。


展示は古建築から現代建築まで盛りだくさん。駆け足で見るにはもったいないのですが、とりいそぎ待庵へ。


下地窓もよく写してある。


大きな躙り口。待庵の中には、一度入ったことはありますが、躙口からは入っていないので、楽しみ。


挟み鴨居と方立の納まり。挟んでないけど、こうだっけ?


左右の桁の高さが違うのがよく分かる。実際の待庵は植栽でよく見えない。

皆さん躙口に腰掛けて靴の脱ぎ履きをしていた。一般的な躙口の高さだと、それもしにくいと思いますが、待庵の躙口は大きく出入りがしやすい。カップルで見学した男性は、先に入った女性の靴を履きやすいように揃えてあげていた。お茶のお稽古をしていなくても、茶の心に通じるものを持っている方も多いと思う。後ろに並んでいた女性からは「優しい〜」と声が上がっていた(笑)。


鬼瓦。


棟木と桁は角、母屋は丸。なのかな?


飛び石が歩きづらい。こんな打ち方だったかな。


小舞が女竹じゃないと、節張って、ちょっとうるさい。だから小舞には女竹を使うんだ、ということがわかった。

内部は撮影禁止でしたが、よく出来ていた(塗料の匂いがちょっと鼻についたが)。落掛の床柱にとりつくあたりの皮の感じとか、床框、長いスサの入った黒ずんだ壁もけっこう感じが出ていた。後の人も待っているので、ざっと拝見して早々に退出したが、内部空間を体験して思ったのは、やっぱり茶室は、その中で茶事を体験してこそだなあということ。待庵での茶事の経験はもちろんないが、一畳台目や、二帖中板の小間で体験を思い出してみる。木漏れ日が障子に映る様を見ながら、木々を渡る風の音を聞き、釜の松風を聴きながら、湯気の舞い上がる様を見る。亭主の心配りを感じながら、濃茶をいただいた、あの濃密な空間体験こそが、茶室とは何か、ということを知る手がかりなのだと思う。


丹下自邸の1/10の模型も撮影OKだった。


内部の様子。


屋根の様子もよくわかる。


ピロティから上がる階段。この建物も実物を見たかったなあ。建築はやっぱり実物を体験してこそだと思う。



基礎工事着工

淡路の茶室、現場監理。三宮からバスに乗り、橋を渡る。現場は今日から基礎工事。


配置図で位置、高さなどを確認してから、いざ着工。


駐車場は完成済み。


糸を張って、現場に位置を出してゆく。


柱状改良に気をつけながら掘削。ちょっと発掘調査みたい。柱状改良も埋め戻しをせず、わかるようにしておいてくれたらよいのに、とも思う。


シマサルスベリと、隣家の鯉のぼり。


移植したシマサルスベリ、芽吹いてきた。今日は暑いくらいの天気。


大工さんの作業場へ。根石が無事到着している。


背割れの埋め木。


垂木。吉野産の赤杉。


再び現場へ。砕石が撒かれ始めた。基礎は一週間ほどで完成予定。

電気打合せ

古寺の家、現場監理+打合せ。今日は建築主さんと電気屋さんと現場にて、電気関係の打合せ。


図面を片手に、現場を廻り、スイッチ、コンセント、照明器具、エアコンなどの位置を確認してゆく。電気屋さんは今回初めて一緒に仕事をするが、細かなところまで確認をしてくれるし、色々と提案もしてくれて、とてもやりやすい。Iさん、良い方を紹介してくださり、有り難うございました。


屋根の上では瓦工事が進んでいる。茶室棟の北面は葺き終わった。淡路の瓦、いぶし銀が美しい。


ビシっと揃った軒瓦。


ガルバリウム鋼板の庇と瓦屋根。


棟違い、破風板の納まりの部分。


足場のシート越しに古寺の屋根を見る。


正面、下屋も瓦が葺けた。葺き上がりがいよいよ楽しみ。


三角が並ぶ屋根。

二の丸茶室

掛川城御殿を見学したあとは、すぐ隣の二の丸茶室へ。


二の丸茶室は、平成十四年(2002)に竣工した公共茶室。中村昌生氏設計。


寄り付き。竹の床柱の原叟床、というのは、成巽閣の清香軒と同じだが、こちらのほうは板が延びていて、ちょっと間延びした印象。


受付では抹茶をお願いしましたが、席に入ると煎茶の用意がされていたので、せっかくなので、煎茶に変更していただいた。煎茶は右側に建水があるのだとか。いつか煎茶も習って、煎茶の茶室の設計もしてみたい。


変則の竿縁天井。


観世水の唐紙の襖。「流れる水は腐らず」。能楽の観世家が定紋に使ったことより。


床柱の背割れ位置。


狆潜り。


床脇の地袋は引手なし。


空調の吹き出し口。


十畳の広間。中央に一間巾の床の間。


細い立蹲踞。


栗の濡れ縁。


揚簀戸を通って庭園へ。


ナグリの柱と回転軸。


竹のつっかえ棒。


沓脱石は濡れ縁の下に入りこんでいたほうがよいように思う。


四つ目垣の向こうに小間席。


腰掛待合が躙り口の目の前。


丸太の柱と棟の納まり。


力竹の行く先。


桔梗庵、扁額。小舞ケラバ。


捻組。末と元を組み合わせるとこうなる。


三和土の犬走りと塵穴。


一番石、二番石、三番石。


躙口と連子窓、風炉先窓の下地窓。


躙口の高さは二尺二寸。


挟み鴨居の見付、一寸五分。釘は皆折釘の縦向き。


挟み敷居は見附、一寸四分、松柾目。北尾晴道の本を改めて見ていたら、躙り口が挟み鴨居、挟み敷居になっているのは、外から外されないように、建具を入れてから、挟み鴨居らを打ち付ける、のだとか。実際にはそのように施工をしたことはありませんが、そういう説もあるのか、という感じ。


貴人口の雨戸に方立はなし。


壁留下の栗は垂れている。間口一間飛ばしはやはり長かったか。


立礼席。中村先生好み、という感じ。


突き当たりに灯籠。


中村先生の言葉より。
「茶室というものは、いわゆる茶の湯の道具―例えばお茶碗とか、茶杓だとかと同じように、それを手にした時に、ジーンと茶の湯の世界というものが感じられるような、そういう造形でなければいけないとされています。そのように茶室というものも、それを眺め、そこに身をおいた時に、じわっと茶の湯というものが感じられる。そういうものでなければいけないという。難しく言いますと、茶の湯の心を造形化するという、こういう仕事だ、と私は思うんですね。」(平成十九年十一月十一日放映NHK教育テレビの「こころの時代」より)








掛川城御殿

葛布を見たあとは、掛川城御殿へ。


石段の上に起り破風。


鬼瓦、蕪懸魚、かえるまた。


御殿は、儀式や公式対面など藩の公式式典の場、藩内の政務を司る役所、藩主の公邸、という3つの機能を併せ持つ施設。現存する御殿建築は、掛川城の他は、二条城、川越城、高知城だけに残る貴重な建物。


掛川城御殿は、嘉永七年(1854)の大地震で倒壊、安政二年(1855)から文久元年(1861)にかけて再建された。


安政二年(1855)から明治二年(1869)までは掛川藩が使用、廃城と同時に勤番所と徳川兵学校に転用され、廃藩置県とともに聚学校となり、その後も、女学校、掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署などに転用され続けたとのこと。


蘇鉄。


竹の節欄間。


次の間から御書院上の間を見る。


直行する竿縁天井。


畳廊下の天井。


畳廊下から掛川城を見る。天守は平成六年(1994)の再建。日本初の木造復元天守。


無骨な障子。腰板の縦桟も太い。


床脇の天袋、葛布。


書院の床柱。


土間の三和土。


簡素な板張り。こんな床もありかも。


折れ曲がった竿縁天井。


こんな天井もありかも。


間口二間の真ん中に柱が残る。時代を出す表現手法としても、あり。


小屋裏が見えるところも。瓦下のトントンが見える。


飾られた甲冑。


一間半引き違いの大きな襖。


木製の引手。


式台の柱の足下。伊豆石?


無双窓。


板張りの外壁の出隅部。


その見上げ。


屋根勾配は五寸。軒の出は二尺。桁天は十五尺五寸。


松と御殿。


二つの屋根の接合部。増築の結果。


反りのある屋根。



葛布

浜松での確認申請業務が無事終了したら、掛川へ。建築主さんが教えてくださった情報を元に、駆け足で廻ります。

最初は、葛布のお店。掛川といえば葛布、葛布と言えば掛川。葛布の歴史は古く、中国の江蘇省呉県草鞋山遺跡から葛布が発見されたほか、論語にも葛布の記述があり、司馬遷の史記にも夏の衣として葛衣が用いられたとあるそうです。掛川の葛布の始まりは、掛川の西方の山中(森町、葛布の滝)で庵にいた行者が葛の蔓を見つけ、信徒の老婆に繊維を採る方法を教えたのが最初だと伝わる。既に鎌倉時代には掛川の産物となっていて、江戸時代には掛川藩藩主が葛布を特産として保護し、武士の裃、陣羽織などに用いられた。明治以降は襖や壁紙に転用され、アメリカやイギリスに高級壁紙として輸出された。太平洋戦争で輸出が止まり、戦後は原料供給地となっていた韓国からの輸出が禁止され、昭和三十年代をピークに衰退し、現在では葛布店は数軒しか残っていない。


その一軒の小崎葛布さんに立ち寄ってみる。アポなしでしたが、丁寧に対応をしてくださった。


葛の繊維の束。葛の蔓からこの状態になるまで大変な手間がかかっている。


二階にある織機も見せていただいた。


左は新しい葛布、右は三十年ほど経過したもの。ビニールクロスのように古びてゆくのではなく、味わいが増してゆく、というのが、良質な自然素材の素晴らしいところ。


葛布の簾。アメリカなどにたくさん輸出されたそうだ。


地袋の葛布。浜松で計画中の家の襖にも是非使ってみたいが、やはり価格がネックかな。建築主さんはまだ若いので、先の楽しみにとっておいてもよいと思う。

着工前現場打合せ

淡路の茶室。今日は現場にて、大工さん、基礎屋さん、電気屋さん、水道屋さんと打合せ。JRとバスで現地へ。


現場では土木屋さんが駐車場に入るためのブリッジを作っている。この工事が済んだら、いよいよ基礎工事にかかります。

現場にて、基礎工事、水道工事、電気工事の詳細を確認。工務店を通じて、とか、現場監督を介して、とかでなく、設計者が直接各業者と話をしたほうが、話が早く、確実な仕事につながると思う。


その後は、大工さんの作業場にいって、詳細な打合せ。ベニアに原寸が描かれ、準備が進んでいる。


瓦についても現物を用意してくれて打合せ。細かな要望にも応じますので、何でも言ってください、とのこと。さすが淡路。これを機会に、瓦についても色々と勉強したい。


松のゴロンボも用意されている。


墨付けもだいぶん進んでいる。化粧の赤杉などは吉野から、それ以外は徳島から。


バスで橋を渡って、明石からJRで帰ります。


中間検査

古寺の家、中間検査。瑕疵担保保険の検査と、確認申請+住宅性能証明の検査が同日に。


いつもの確認申請だけなら特に問題なかったのですが、今回は住宅性能評価もあったので、指摘されたのは、桁、梁の継ぎ手。申請時からわかっていたことなのですが、追掛大栓継ぎでは、数値化できないので、認められません、とのこと。書類提出時にも、同様のやりとりがあったのですが、こうしたことはいくら訴えても制度が決まっている以上どうにもなりませんので、とりあえず言われるがままに、書面上は「金物を使用する」ということにしておいたのですが、現場でも、そのようになっていないので指摘された、というわけ。検査員の方も、これで十分だとは思いますが、一応決まりなので、、とのこと。

 国の制度で、こうした技術を継承できるように支援してくれるならまだしも、認められない、というのは、本当にひどい話だ、といつも思う。普段から大工さんたちの仕事ぶりを間近に見ていて思うのは、大工の仕事、というのは、本当に素晴らしい仕事だということ。古来からの技術を習得し、自然のものを相手にして、額に汗して働き、お客様が喜ぶ顔が見られるという仕事が、どんなに素晴らしいことか。こうした仕事に、多くの若者が就けるようにすることこそが、働き方改革なのでは、とも思う。


松のゴロンボと床柱の取り合い。こちらも建築基準法に則るならば、ボルトで引かなければならない。


金物で固定された筋交いや柱。阪神大震災や東日本大震災を経験し、そこでの検証を重ねた結果をすべて否定することはありませんが、伝統的な手法をもう少し認めてくれてもよいのに、と思う。


屋根の上では、瓦屋さんが仕事を進めてくれている。


検査が終わると、ちょうど葺き始めたところ。軒先はベタ万十。


葺き上がりが楽しみ。

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岩崎建築研究室
岩崎 泰

住宅,茶室,店舗の設計等について
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