岩 崎 建 築 研 究 室 ・ 日 誌

〜京都で数寄屋を学び、建築設計を考える〜

岩崎建築研究室

ブログ移転のお知らせ

2005年から、ライブドアブログにて「岩崎建築研究室・日誌」というブログをさせていただいてきましたが、この度、はてなブログにて「岩崎建築研究室・日誌II」として再出発することといたしました。


まだ設計事務所勤めだった2005年4月にブログを始めて、2007年11月の独立事務所開設を経て、2023年12月まで18年8か月。お茶のお稽古の記録や、訪れた建物の記録、設計をさせていただいたお仕事の記録を綴り、拙い内容ながらも、コメントをいただいたり、設計のお仕事をご依頼いただいたり、たくさんの貴重なご縁をいただきました。

2021年4月からはインスタも始めて、その手軽さから、ブログの更新が滞りがちになりましたが、ブログを通じて学ぶことは多く、ブログでのご縁を大切にできればと考え、50歳となったのを機に、新な形でブログをリスタートしたいと思います。

これまで通り、これまで以上に、ブログを通じて多くのことを学び、仕事の質を高めて、お茶に関わる方々のお役に立てれば、と思いますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

正覚庵旧白洲屋敷後編

旧白洲屋敷、後編。

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廊下の天井には、大きな一枚板がこれでもかと嵌められている。

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雪見障子の腰。桐板が楕円に刳り貫かれ、赤杉の柾板がはめられる。

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束の天端をそのままにしない。

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折り上げ格天井。高さの違う欄間は鴨居揃え。

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雪見障子、摺り上げ部の詳細。

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格天井の見上げ。十帖の天井は全てが格天井ではなく、八畳分が格天井、周りに少し平天井部分を入れる。

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十帖の四枚引き違いの障子、突き合わせ部分はあいじゃくりになっている。

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十帖の雪見障子の摺り上げは一番上まで上げたらバネで固定される仕組み。

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十帖の床の間。床の間よりの八畳分が折り上げ格天井になっている。

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奥書院から茶室を見る。生け込みの灯篭も白洲屋敷からだろうか。

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本堂の廊下の天井。

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同じく本堂の廊下。こちらは垂木並べ詰め。

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本堂の天井。格天井崩し。

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東福寺の大仏の蓮弁。

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本堂の欄間。

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本堂の欄間その2。

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茶室の床の間の束。四方柾で黒い何かで塗装。

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束と床框。

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床框、面部分にゴマ竹。

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茶室の軒裏、本堂の軒裏。

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踏み板のように加工された石。土台も丸太。

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敷瓦四半敷の端を素丸で納める。

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面皮の濡れ縁。

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伽藍石。

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烏の行水。

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行水の後。



正覚庵旧白洲屋敷前編

東福寺正覚庵の特別公開へ。筆塚があることで有名な寺院だが、奥には白洲次郎の父、白洲文平の屋敷を移築した旧白洲屋敷がある。

白洲文平(ふみひら/ぶんぺい1869-1935)は、兵庫県三田市生まれ。文平の父、次郎の祖父の白洲退蔵(1829-1891)は神戸女学院の創設者の一人。幼少期からアメリカ人家庭教師に学び、築地大学校を卒業後、ハーバード大学、ボン大学に留学。この時の留学仲間が、近衛篤麿、新渡戸稲造、樺山愛輔(白洲正子の父)。帰国後三井銀行や大阪紡績に勤めるが中途で退社し、神戸に貿易会社白洲商店を創業。綿貿易で巨万の富を築く。豪放傲慢な性格から「白洲将軍」と畏れられ、建築を趣味とし、阪神間にいくつも邸宅を建て「白洲屋敷」と呼ばれた。腕はあるが事情で京都を離れなければならなくなったという大工を家に住まわせ、腕をふるわせたらしい。

正覚庵に移築された屋敷は、大正六年(1917)文平48歳の時に伊丹市春日丘四丁目に建てられた。一連の白洲屋敷の最後の建物とも。大正十一年(1922)に一家は芦屋から引っ越し。敷地の広さは甲子園球場3.5倍、四万坪。敷地内にモネやマティス、雪舟、狩野派、土佐派の作品を収める美術館や牡丹園があり、公爵家出身の正子でもその豪華さに驚いたとか。父文平がこの豪邸を建設したのは、白洲次郎(1902-1985)が15歳の時。17歳でケンブリッジ大学に留学しますが、26歳の時に、父文平の白洲商店が昭和恐慌の煽りを受けて倒産し、帰国。27歳樺山正子と結婚。新婚の一時をこの白洲屋敷で過ごしたとも。鶴川の武相荘に移住したのは38歳、1940年。GHQ相手に憲法改正に奮闘したのが44歳、サンフラシスコ講和会議で吉田茂に随行したのが49歳。

春日丘の白洲屋敷はその後大阪栄養工業の八崎治三郎の所有になるが、昭和四十年(1965)に解体、敷地は住宅地として分譲。建物の半分が、正覚庵に昭和四十八年(1973)に移築。その後も屋敷のシンボルだった給水塔のみが残っていたが、平成元年(1989)に解体。門は伊丹市東野の民家に移築され現存。全長9mの瓦葺き、腰部分は琵琶湖の船板が使われているらしい。

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斜面の上に建つ旧白洲屋敷(本堂)

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本堂へと続く階段。

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本堂左手に茶室。この茶室も旧白洲屋敷からの移築。青字の扁額が珍しい。

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内部。おそらく右が水屋、茶道口。炉の位置は、おそらくどの流派であっても間違っているのでは。

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床の間、落掛はなく塗り回しで、わずか曲線になっている。

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柱も丸太、桁も丸太。小丸太の垂木、並べ詰め。

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櫛型の欄間は寒竹。

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窓からの眺め。角に塔屋があるが、中には入れず完全に飾りらしい。

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濡れ縁はケヤキ。

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桁の下に何かの古材が入れられている。

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本堂と奥書院へ。廊下は一枚板と縁甲板が貼り混ぜられている。四枚引き違いの真ん中など、人の出入りする部分に一枚板を持ってきている。

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奥書院、八畳。床柱は赤杉の四方柾。三寸五分で少し細いか。内法は六尺。鴨居見付は一寸四分、赤杉柾の長押は三寸二分。

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床の間は板。床框の成は四寸。

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付書院。

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ガラス戸は吹寄の格子。障子の桟に近い寸法で、内外にあり、間にガラスを落とし込んでいる。

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床脇の天井。下端を尖らせた格縁が特徴的。

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隣の主室、十帖の書院は肥松中杢。

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床前の地板も美しい松。

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十帖から八畳を見る。

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十帖の床の間。こちらも床柱は赤杉の四方柾、三寸五分。掛け軸は堂本印象の龍。

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落掛、十帖は桐、八畳は杉。

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襖絵の詳細はわからず。

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白菊と女竹の四つ目垣。

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八畳側の引手。

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軒裏は全て小丸太。










名水点

八月のお茶のお稽古。寄り付きの床の間には阿似波の団扇。お店は「阿似波(あいば)」ですが、元禄二年(1689)の創業以来代々受け継ぐのは饗庭(あいば)家、現在十代目。絵柄は俵屋宗達の松島図屏風の写し(ネットで調べたら価格176,000円!)。松島図屏風は尾形光琳のものもありますが、見比べてみるとこの団扇の絵は確かに宗達の写し。宗達のものはワシントンDCのフーリア美術館、光琳のものはボストン美術館。日本にあれば確実に指定されたであろう幻の国宝。松島とありますが、日本三景の松島ではなく、大阪住吉付近の海岸を描いたものとのこと。もともと荒磯屏風と呼ばれていたものを酒井抱一が松島図屏風と呼んだようです。ダイナミックな荒磯にカラフルな岩と松はモダン。光琳は宗達のものを再構成しながら何度も模倣をしたようです。いつか実物の屏風がみてみたい。
八畳のお稽古場に入ろうとすると、中は薄暗く、着物姿の先生が静かに佇んでおられる。障子を開けると空調の効いた涼しい空気。明かりを消して薄暗くすることで、より涼が感じられるような気がする。床の間には深養父の「夏の夜は、」のお軸。わずかな自然光でかなが美しく見える。明るくしないとよく見えないと人はいうけれど、ほのかな明かりの中でしか見えない美しさ、というものがあると思う。お花はムクゲと萩の江戸絞り。花入は出雲焼きの小さな鶴瓶。松江藩の御用窯の楽山焼。鎖は先生が合わされたもの。以前よりヤフオクで鎖をずっと探しているのですが、なかなか良いものが見つからない。弘法さんや天神さんでも時々良い鎖が出ていますから、一度見に行ったら良いですよ、と先生。近々また行ってみよう。

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お稽古は名水点て。ずっとお稽古で使わせていただいていた桧の鶴瓶だが、しばらく使っておらず乾燥したからか、水が漏れてしまった。名水の問答では、「波爾井の御神水」とした。普段から水を汲みに行っている赤の宮(賀茂波爾神社)のは、下鴨神社での境外摂社で、波爾井(はにい)の御神水は、下鴨神社の御供水として神前に奉られていた湧き水。飲用可を示すの保険所の試験成績書も掲げられている。実際ここの水を使って炭を使って釜や鉄瓶で沸かしたお湯でいただくお茶が一番美味しい(ような気がする)。名水点ての後は平花月。平花月とはいえ、なかなかノーミスとはいかない。





茶室の仮組

マンションフルリノベの茶室計画。工事が進む現場監理の後、仮組が進む大工さんの作業場へ。建築主さん、全体設計者、現場監督さんとともに。

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作業場の中に、三畳の茶室が組み上がっている!

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床柱、床框、落掛、相手柱はすべて古材。床柱、床框は栗、相手柱は松。栗と思われていた落掛は、削ってみると栗ではなさそう。はっきりとわからないがエンジュかもしれない。

昔からエンジュは厄除けの力があるとされ、敷地の一角に植えらることも多かったとか。中国、周代の朝廷では、三公(臣下で最高位の三人の官吏)が位置する所には三本の槐(エンジュ)を植え、九卿(九人の大臣)の位置する所には九本の棘(いばら)を植えたことから、国政の最高幹部のことを槐門棘路(かいもんきょくろ)と呼んだ。ちなみに三公は日本では太政大臣、右大臣、左大臣にあたり、源実朝の歌集「金槐和歌集」の「金」は「鎌倉」の鎌の字の「かねへん」を表し「槐」は大臣を表し、鎌倉の右大臣であった実朝の歌集であることを表している。近衛家熙の言行を、その侍医であった山科道安が記した日記は、はじめは「槐下与聞」と題され、のちに「槐記(かいき)」とされるが、これも家熙が太政大臣であったことによる。

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栗古材の床柱と芽付竹の垂木の取り合い。

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掛け込み天井。天井材はゴギョウの予定。マンションのスラブギリギリに設計をしていて、うまく施工できるか検討が必要。

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垂木は芽付竹、小舞は女竹の吹寄、間垂木も女竹だが、小舞よりわずか細い手にしてみた。

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客座より点前座を見る。壁留は赤松の皮付き。落ち天井の竿は煤竹。天井材は、現場より生け捕りした網代の予定。

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一般的に、茶道口は方立口、給仕口は火灯口とすることが多い。今回は茶道口と給仕口を一つで両方を兼ねるので、方立口にしても火灯口にしても良いかと思うが、ご亭主と相談の結果、火灯口に。

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茶室露地大事典によれば「火灯形の曲線には、茶人の好みが現れ、例えば千利休は頂部を抑えるような曲線を、小堀遠州は袴腰に近い輪郭か、やや尖り気味の形を好んだ」のこと。今回のご亭主は小堀遠州流ということもあり、袴腰で。ただし尖り気味ではなく、隅切りに近い形の方が良さそう、ということでこんな形に。

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引手は、最近入手した真向兎。真向き兎(まむきうさぎ)は兎の姿を正面から見たもので体を桃の形に描く。家紋などで古くから使われていた意匠だと思いますが、大工頭中井家関係資料には、遠州の伏見奉行邸所々釘隠引手之図として真向兎の絵があり、釘隠や引手にこの意匠を使ったのは遠州のアイディアなのでは。

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廊下部分の天井、掛け込み天井が続き一体感を出す。






















作業場打ち合わせ

マンションフルリノベの茶室計画。今日は埼玉の大工さんの作業場にお邪魔して詳細打ち合わせ。京都から送った銘木、銘竹を開封、確認して、使い方の詳細を相談する。

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京都の銘竹屋さんから送ってもらった竹の数々。落天井の竿縁用の煤竹、掛け込み天井の垂木用の芽付竹、間垂木や小舞用の女竹、藤蔓など。

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銘木屋さんからは面皮の柱、北山丸太の桁、敷居の松、鴨居の杉など。

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壁留用の赤松。節の様子や太さ、曲がり具合を見ながら、使う場所を決める。

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桁の元末を大工さんと相談。セオリーがあるようなないような。毎回悩みながら、その場所にふさわしいものを考えます。

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ほぼまっすぐに見える北山杉でも、やっぱり元は太く、末は細い。

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元で三寸五分。

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末で三寸ほど。

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敷居用の松。

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メインとなる敷居をとった残りも有効に使えるよう考える。

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垂木掛け用の赤杉。竹は彫り込むのかイモにするのか、も大工さんと相談。

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掛け込み天井の垂木用の芽付竹。一本一本よく見て、使う場所を決める。壁際の垂木の回転具合も確認。

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芽の切る具合も確認。

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藤蔓の編み方も確認。

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現場から生け捕りした網代の上に竿縁を置いて見る。

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当初図面では落天井の竿縁は女竹吹寄としておいた(写真は天井に見えるよう上下反転してあります。)

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古材の床柱などが決まってきて、そうなるとここの竿縁は煤竹の方が良いのではと思い始めた。

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煤竹も、よくある色の濃いものではなく、「蔵さび」と呼ばれるような浅い色合いのものが合うのでは。このあたりはご亭主の趣味にもよるので、写真をお送りしてご相談。


マンションフルリノベの茶室

計画を進めていたマンションフルリノベの茶室工事。全体の計画はハクアーキテクツスタジオさんが、茶室部分は岩崎建築研究室が担当で計画を進めてきましたが、この度無事契約も済み、いよいよ着工。今日から解体工事です。

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建築主さんは小堀遠州流のお茶をされていて、以前にもマンション内にお茶室を作られていましたが、今回のフルリノベにあたり、より本格的な三畳の茶室を作ることとなりました。

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既存の網代天井。へぎ板が本当に貴重になってきた昨今。この天井を再利用すべく、大工さんに来てもらい、生け捕りする計画です。

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吹寄の竿縁の女竹はフィニッシュネイルで止められていて(本来なら巻頭釘などで打ち上げ)引っ張ると簡単に取れる。

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回縁にもトン付けで彫り込まれておらず取り外しが容易。

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墨の跡はありますが、焼けもほとんどなく、竿縁のピッチが変わっての再利用もできそう。

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竿縁を全部取ったところ。2050×2500の網代天井。全体そのまま外すのは難しそうなので、、

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二つに切断することに。新しく作る落天井は京間一畳分なので、それが余裕を持って取れる大きさと、その残りに切断。

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丸ノコで切断して、桟を手ノコで切断すると、

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無事、生け捕り成功。落天井に使わない方ですが、きれいに捕れました。

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釜蛭釘は栓差で、栓を抜かないと天井が取れないかと思いましたが、そうではなく、、、

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あらかじめ天井に付けたものを設置したようで、蛭釘を外さずとも天井が取れました。下で網代を編んで釜蛭釘も取り付けたパネルを、ボンドとフィニッシュで施工したようです。

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5.5mmのメーターサイズのベニアに桟をつけて、釜蛭部分には板が入れてありました。

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無事、釜蛭釘も生け捕り。こちらも再利用します。

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時間を経て色艶を増した網代の天井。手間をかけて外して再利用する価値のあるものだと思います。建築主さんのこれまでの思い出も一緒に。

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ベニアに挟んで養生。この大きさではエレベーターには載らないので、

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階段でおろします。踊り場も周りきらないので、

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ここからは、上下で受け渡し。

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落とさないように気をつけて、

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渡したらすぐ下に降りて受け取り。

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無事下ろせたら、車に積んで大工さんの作業場へ。

八勝館後編

八勝館後編、庭の手入れをされている八勝館の方の案内で庭を散策。

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松の間と梅の間は茅葺き。

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残月の間に入る躙口。もちろん本歌の残月には躙口はない。広間に入るのに躙口というのは少し違和感。

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御幸の間は見学できず。8月の見学会に参加しよう。

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苑内にはいくつも鉄灯篭がある。雨ざらしで大丈夫だろうかと思ってしまう。これまで建築主様がお持ちの鉄灯篭は軒下に置くようお勧めしてきた。

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光悦寺垣。八勝館には元庭師の従業員がいるらしい。

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御幸の間棟と鉄灯篭。

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田舎家の内部。400年ほど前のものを昭和初期に滋賀県甲賀郡より移築。

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田舎家のかまど。

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田舎家の水屋。左側に釜据と底洗いがあるので、表千家か。

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瓦小端立て。

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印の押された瓦。

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再び御幸の間を外から見る。

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屋根は銅板葺き。昭和二十五年(1950)築なので、73年。しっかりと緑青となっているが、最近は酸性雨で変色する前に穴が空くのではとも。

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なぜか鬼がいない。南蛮漆喰が塗られている。

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遠くから見たら「八」に見えるのかと思ったが、勝手な思い込みだった。こちらも鬼瓦なし。

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再度詳細。鬼が落ちたわけでもなさそう。

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窓ガラスはおそらく真空ガラスに変えられているのだと思う。Low-e膜のミラー効果で庭がきれいに映っている。

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美しいハマグリ。

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庭を一段上がって菊の間を見る。

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白い棗形の立蹲踞。

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竹の間。欄間も竹(笹)、引手も竹。

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杉皮の網代に下地窓。

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六角の鉄灯篭。

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緑の瓦。

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ベタ万十と切落の瓦。

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外腰掛け待合。

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銅板一文字葺き、素丸の棟。

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渡り廊下の潜り。

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八勝館の鬼瓦。
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岩崎建築研究室
岩崎 泰

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