岩 崎 建 築 研 究 室 ・ 日 誌

〜京都で数寄屋を学び、建築設計を考える〜

岩崎建築研究室

さかい待庵と無一庵

現場監理のあと、少し足を伸ばして、堺のさかい利晶の杜へ。


フェニックス通りに面したガラス張りの建物。堺の生んだ偉人、千利休と与謝野晶子を紹介する施設。待庵の創建当初の姿を復元したという「さかい待庵」があり、見学することができる。

現在の待庵は、利休唯一の遺構とされながらも、一度解体されて妙喜庵に再建されたもの、とされている。炉の大きさが一尺三寸四分と、利休と紹鴎で決めたとされる定尺の一尺四寸より小さく、その理由がはっきりしていないが、ここでは、創建当初の床の間が幅五尺で、床の間と重ならないように、一尺四寸より小さくした、という説明だった。

係の方の説明付きで内部を見学できるが、撮影は禁止だったので、印象を文章でまとめておく。巾五尺の床の間は、さすがに二帖の部屋には大きいが、部屋全体として広々とした印象を与える。床柱は桐。現在の待庵の床框のような姿で、再建時に、床柱を床框に替えた、ということを意図しているのかもしれない。床柱の足下は太く、五尺の床にするために炉を一尺三寸四分にしたという説明なのに、結局炉縁に掛かってしまっていた。炉壇は中が隅丸に塗り廻されていて、現在の待庵と同じように、小板をいれずに、畳寄せからすぐに納められている。炉縁は赤松皮付きのものが入れられていた。床框は杉。床柱を五尺の位置にしているので、天井の納まりも変わり、点前座上の平天井がなく、掛け込み天井が端まで上がっている(これが現在の待庵よりも広々と感じさせるもうひとつの要因かもしれない)。壁は大きめの骨材とワラの入った荒壁風仕上げ。松墨を入れたという説明だったが、それほど黒くなく、これなら、いつも一緒に仕事をしている左官屋さんが作っていた待庵風黒壁のほうが、味がある。いつかあの壁を使ってみたい。茶道口の方立には、現在の待庵と同じようにはつり目をつけるなどしているが、躙り口上の障子窓の枠の角柄は、本歌より長めになっていた。床柱正面には、手燭などを掛けるためのものか、折れ釘が上下二カ所に打ってあり、花生釘は、床柱と相手柱の両方に打たれていた。障子の組子も待庵同様、皮付きの竹にしていあるが、ちょっと太く感じる。

もうひとつの茶室「無一庵」は撮影OKだったので、こちらは写真付きでまとめておく。


無一庵は、北野大茶会で利休が作ったとされる四帖半を復元したもの。床の間口は四尺三寸、奥行きは二尺六寸。大平壁は張り付け壁で薄墨色の紙(漉返紙)が張られている。


利休の茶室としては唯一、墨蹟窓が開けられたとされる。古い茶室をいくつか見ていると、墨蹟窓は袖壁の中心に入れられずに、少し手前に寄せているものが多い印象なので、奥壁ギリギリにもってきているのは少し違和を感じるが、こうしたほうがより墨蹟が照らされてよいのかも。


床柱はコブシの色付け、床框はツガの拭き漆っぽい。


落掛は待庵のように一部皮つき。


落掛中央には華鬘釘。先日お道具屋さんに聞いたところによると、現在はやはりここに吊り花入れを掛けるのだとか。啐啄斎七帖などに、床前に板がいれてあるのはそのためだ、という説明だった。


廻縁の上に枕竹をいれる古式な納まり。ここではもう一本竹をいれ隙間を作り、空調の吹き出し口にしている。


掛けけ込み天井側には吸い込み口。


ビルの中に仕込まれているので、躙り口の敷居が大きい。材はすべて子古色塗り、面皮柱の皮にも。


内法材は桧のように見える。こちらにも古色塗り。


丸太の桁と赤松の柱。竹にも色付けがしてある?


小舞の隙間からビスが見える。ついつい重箱の隅をつついてしまいますが、現場監理の仕事はそういうもの(職業病)。


点前座の壁。茶道口は櫛形(袴腰形)の塗り回りなのに、際に方立が入り、廻縁のすぐ下に付鴨居が入るのは、ちょっと違和感。


天井は真菰。真菰も色付けされていた。ところどころ塗り切れていないところも。


竿縁の竹を押さえる釘。巻頭というより頭巻。


水屋。材のほとんどが古色塗りされていて、現在計画中の茶室でも古色塗りをする予定なので、参考になってよかった。


さかい待庵は、外部は撮影OKということだった。屋根はチタン?


軒裏も古色塗り。


躙り口は古色を塗らず。連子の竹は、なぜか中鴨居に彫り込んでおらず、一部風に揺れてブラブラしていた。


腰板も古色塗り。


垂木掛けと竹の小舞の納まり。


立礼式茶室「南海庵」でお茶をいただく。立礼棚は三千家の家元が相談して作ったという、三千家共通のもの。堺は、千家が三つに分かれる前の利休自身のゆかりの地。三千家が一緒に何かをすることが多いのだとか。


建物二階から利休屋敷跡を見る。井戸「椿の井」の覆屋は金毛閣の古材が使われている。


現在はビルに囲まれ、建物もない。










瓦屋根

大阪の家、現場監理。建築主さんと現場でお会いして、細々とした打合せ。


瓦揚機がかかり、屋根の上では瓦屋さんの工事が進む。


入母屋、軒先のベタ万が並んだ。いい感じ。


足場を登って間近で見る。


松との距離はこんな感じ。風が吹いて当たらないようにつっかえをしなきゃ。


下から見上げる。瓦と松。


少し離れて全体を見る。ゆるやかな起くり。面取りが優しい雰囲気。


葺き上がりが楽しみ。

朔風払葉

二十四節気では「小雪」、七十二候では「朔風払葉」。冷たい北風が、木々の葉を落とす頃。朝の散歩、いつものように下鴨神社を抜けて高野川へ。


夜が明けるのが随分遅くなってきた。薄暗いなか、飛び石を渡る。


赤の宮で水を汲む。


法の字と錦秋の山。


葉がすっかり落ちた桜。


春に向けて、もう準備を進めている。


波紋を広げ泳ぐ鴨。


糺の森のモミジはまだ緑。


瀬見の小川のキセキレイ。


糺の森、朝の古馬場。

墨蹟と干菓子の盛りつけ

お茶のお稽古造園班。着物とお菓子を持参して、広沢の池へ。すっかり日が暮れるのが遅くなった。夜の池も美しい。今日のお稽古は5人全員揃って。大工班と同じように、今回からお軸のプリントを配布する。茶室に掛軸が掛けられるようになったのは、村田珠光が参禅の師一休宗純から授けられた圜悟克勤の墨蹟「与虎丘紹隆印可状」(東京国立博物館蔵)を床に掛けたのが始まりとされる。圜悟克勤(1063-1135「碧巌録」の編者)が弟子の虎丘紹隆に与えた印可状で、中国から桐の筒に入って、薩摩坊津に流れ着いたという伝説があり、通称「流れ圜悟」。現在の茶道では、掛軸は、その茶事のテーマを表すなどと言われますが、最初の掛軸は、遠い外国のお坊さんがもらった卒業証書(しかも漂着品)を、お寺のお坊さんからもらって床の間にかけた、というのであれば、現代において、それなりのセンスで選べば、もっと色々なものを飾ってもよいのでは、とも思う。ちなみに「古筆」を最初に床に掛けたのは武野紹鴎で、藤原定家の小倉色紙(阿倍仲麻呂「あまのはらふりさけみればかすがなるみかさのやまにいでしつきかも」)。なぜ茶室の床の間に掛軸が掛けられるのか、を初心者に説明しようするだけで、勉強しなければいけないことがたくさんだ。気になることは気軽に質問してもらうようにしていますが、そうした質問に的確に答えるのは本当に難しく、学ばなければならないことが多い。


お菓子は、亀屋茂廣の干菓子。大阪市阿倍野区の亀屋茂廣は、京都の亀末廣からの暖簾分けした名古屋亀末廣からの暖簾分け。お稽古では、この中から5つを選んで、丸い菓子器に盛りつけてもらった。大きなものを中央にどーんと置いて、その廻りに四つを並べるひともいたが、基本的に日本の美はアシンメトリー。ただ、どうアシンメトリーにするかが問題で、シンメトリーにするより、ずっと難しい。作庭の時には、まさにこうしたバランス感覚、センスが問われると思いますし、飛び石を打ったり、植木の手入れであっても、どの枝を残して、どの枝を切るか、バランス感覚が問われる時はたくさんあると思う。こうしたことをきっかけに目を開いて、仕事に活かしていってくれればと思う。

中間検査

大阪の家、現場監理。今日は中間検査。


予約時間15分前に現場についたのに、既に検査が始まっていた。検査員は二人、特に問題なし。古材の梁に感心して帰られた。


現場の掃除道具掛け。整理整頓が行き届いている。


今日から屋根の瓦工事。使用する瓦は淡路瓦、ゴンロクの面取。(56は一坪あたりの瓦の枚数。一般的な53形よりも、少し小振り。)


屋根の上では瓦屋さんが墨出し中。朱色の墨を使って割り付けを決めてゆく。


入母屋の屋根を見下ろす。


今回使う軒瓦は石持ち軒瓦、通称ベタ万。(普通の万十瓦は丸い部分が膨らんでいるのに対し、ベタ万十は前面が平ら。)京都で古い建物を見ていると、よくよく見かけるものですが、現在ではほとんど出ないのだとか。古いもの好きの建築主さんには、ありきたりの万十を使うより、こうした瓦のほうが喜んでいただけるのでは、と考えています。


ベタ万と松。葺き上がりが楽しみ。


瓦を葺く前の屋根と青空。







瑞峯院

神奈川の茶室の建築主さんが来洛。大徳寺の月釜を廻られるというので、ご一緒させていただきました。建物を設計して引き渡した後でも、こうして茶友として交流させていただけるのは、茶室設計の有り難く嬉しいところ。Kさん有り難うございました。京都に住んでいて、いつでもいけると思うと、意外と行かないもの。時にはこうして足を運んで勉強をしなきゃと反省。

朝から三玄院、大慈院、瑞峯院と三カ所を廻る。表千家は菓子二種二服点て千円なのに、裏千家は菓子一種一服点てで二千円とは、是以如何に。大慈院の席主は北九州、瑞峯院の席主は鎌倉の方だった。その地のお菓子もいただき、お茶もたくさんいただいた。


瑞峯院では、待ち時間の間に庭をゆっくりと鑑賞することができた。独坐庭、重森三玲の作。昭和三十六年(1961)に作庭。


この庭の写真は、チェリビダッケ指揮ブルックナー交響曲第6番のCDジャケットに使われている。チェリビダッケは日本に来ると静岡県三島の龍澤寺に参禅をしていたとか。「始まりの中に終わりがある」という演奏哲学は、禅の思想と響き合うものがあったようですし、ブルックナーの音楽もキリスト教がベースであるとはいえ、どこか禅的な響きがあるのかもしれない。またチェリビダッケはミュンヘンフィルとともに長い年月をかけて、そうした哲学的な思想を、高度な職人技をまとめながら、素晴らしい音楽へと結晶させていった。そんな風に建築も作っていければ、とも思う。


この石、正面からみると大きいですが、


横から見ると薄い!見かけは立派でも、裏に廻れば薄っぺらい、そんな人間になっていませんか、と問いかけられているかのよう。


石庭の際まで苔が迫り、彫りが深くダイナミックな庭。


腰掛待合の飛び石。鞍馬石。


露地の飛び石。


北側の庭、閑眠庭。「閑眠高臥して青山に対す」より。七個の石組みは十字架になっている。


奥には平成待庵。以前特別公開の時に一度見学しましたが、また機会があれば見てみたい。


安勝軒は逆勝手の席。入母屋や庇の招き、屋根の重なり。


腰掛待合は杮葺き。


雨の孤篷庵と志戸呂焼

遠方からのお客様とともに雨の孤篷庵へ。志戸呂焼の陶芸家、鈴木青宵氏の展覧会が開催されるというので、ご一緒させていただきました。


苔と紅葉。


門の石畳。


雨の孤篷庵。

志戸呂焼は黄色がかった地に飴色の釉がかかった渋みのある陶器。室町後期にその起源があるとされ、天正年間には徳川家康が美濃から陶工を招き、志戸呂焼を復興、江戸初期には小堀遠州が遠州七窯のひとつとして取り上げられました。

ちなみに遠州七窯は
あ 朝日焼(京都)
あ 赤膚焼(奈良)
あ 上野焼(福岡)
こ 古曽部(大阪)
し 志戸呂焼(静岡)
た 高取焼(福岡)
ぜ 膳所(滋賀)

(先代のお茶の先生は、お稽古中に突然「遠州七窯をひとつずつ言なさい」と生徒に言わせ、全部でないと「来週までに調べておくこと!!」とても緊張感のあるお稽古場でした。)

展示は方丈、忘筌から直入軒、山雲床までを使って、畳の上に、茶碗、水指、蓋置、茶入、花入などが置かれていた。雨で早い時間帯だったからか、人も少なく、また忘筌と山雲床では、点前座に茶碗、水指、茶入が荘られ、実際にそこへ座って、まるで茶事の時のように茶陶を体験できる、という、とても贅沢な展示だった。作品を手にとってふと見上げると「探幽」の字が見える襖紙であったり、実際に床柱に花入が掛けられたり、袖壁の下の吹き放し越しに樹皮肌の水指を見たり。ビニールクロスの壁で蛍光灯の部屋で見るのと違い、こうした空間で作品を見ると作品が映えて良く見えると思いますし、こうした空間に負けていなかった作品は素晴らしかったのだと思う。

鈴木青宵氏は、小堀小堀卓厳老師から窯名「直透」と陶名「青宵」を拝受されており、忘筌 と山雲床の床の間には、「直透萬重関」「不住青宵裡」(臨済録)の軸が掛けられていた。志戸呂焼の釉薬は地元の山で採取される「丹石(にしい)」と呼ばれる鉄分を多く含む赤石を使い、濁黄、濁緑、萌黄、梨子地、飴釉、柿釉による、虎斑、重ね、掛分、叩き掛が特色。遠州流を習っておられるとのこと、茶碗を手に取るとしっくりと馴染み、高麗写しの茶碗も素晴らしかった。お財布がもう少し肥えていたらなあ(お腹は肥えているのに)。


孤篷庵はこれまで何度か特別公開で見学したことはありますが、いつもすごい人でゆっくり見られないので、今回はとても貴重な経験をさせていただいた。忘筌の床の間は落掛が内法の鴨居と同じ高さで、長押(長押蓋あり!)が部屋中ぐるりと廻る、ありそうでない納まり。床柱は四寸一分角で面巾は三分ほど、正面は目の詰まった柾(四方柾というわけではなかった)、花生釘は床柱にはなく相手柱に、しかも高さが割と低かった。点前座にある削り出しの丸柱は、側(そば)に、こちらも三分程の面がつけてある。落掛、床柱、丸柱の面、と直線の構成が繊細に意識されているように感じる。
忘筌と縁側との間に障子が入っているのは、初めて見た。二段になった縁側に腰掛けて、庭を眺める。軒先の那智黒だけが雨に濡れ艶やか。三国灯籠は、笠が朝鮮・火袋が中国・竿が天竺、と三つの国に由来するとされますが、笠は五輪塔の水輪を半分にしたもののように見えた。
直入軒の床柱も角材だった。落掛は長押の上に直接載る納まり(これは山雲床も同じ)。忘筌の床上長押廻しもそうだが、あえて定石を外して、直線の構成によって一寸違う雰囲気を醸し出すことを意識しているように感じる。(現在計画中の小間の茶室の床柱をあえて角材にしようかということになっているが、武家流の茶室として、こうした方法があるということを体感する貴重な経験になった。)

山雲床は密庵写しですが、密庵床はなく、床横の違い棚もない。床脇の北面は四枚引違の障子。遠州好みの二子桟(ふたごさん)で、東端を開けば茶道口、西端を開けば給仕口。障子紙から射し込む柔らかい光で点前座が照らされて、点前座に人が座ると道具とともに、とても絵になる!

あいにく時間が限られていて、止む無く途中で退席。それでも大変貴重な経験をさせていただいた。ご案内いただいたKさんありがとうございました。


孤篷庵近くでみつけた石碑。寸松庵ってここにあったんだ。

真之行台子と鉄瓶

着物を着てお茶のお稽古。お軸は、「山答月楼鐘」。鏡分金殿燭 山答月楼鐘。鏡は金殿の燭を分かち、山は月楼の鐘に答う。鏡の前に蝋燭を置けば、鏡には あたかも二つの蝋燭があるように見える。夕暮れに響く鐘の音は、山に反射して響く。別々の場所で二つの鐘をついているように聞こえる。すべての対立を超越した世界があり、区別はない。不一不二(ふいつふに)の世界。お花は青磁の花入に西王母と照葉。西王母は、早い時期から花をつけ、花の時期も長いとのことで、是非持っていたほうがよい椿らしい。鉢よりも、やはり地植えのほうがよいらしいので、そのうちに求めて庭に植えたい。

お稽古は、真之炭を拝見してから、真之行台子。茶碗の仕覆と台の扱いが、まだしっかり身についていないうえに、先代の先生から習ったことと、現在先生が業躰先生から教わっていることが、微妙に違って混乱する。お点前をした後は、先輩のされる真之行台子のお点前を、客振りのお稽古をしながら、じっくり拝見する。お点前をされた先輩は、男性で私のちょうど一回り上、12歳上。先代の先生の時代にみっちりお稽古されているので、点前や所作に安定感があり、私にとって男性点前のこの上ないお手本。帛紗捌きはこうするんだと、以前にも気がつきながら実践できていないところを改めて感じる。12年後、こうしたお点前ができるだろうか、というのが、自分にとって具体的な目標。こうした環境でお稽古できることをありがたく思うとともに、次は自分が手本となるようなお点前をしていかなければいけないなあと思うと、お稽古は自分のためだけではないんだな、と思う

準備の段階で、次の間の六帖で茶箱ができるように、瓶掛けに炭を入れ、鉄瓶をかける。いま自分の仕事場に火鉢を導入する計画を進めていて、先日鉄瓶を購入したところ。お稽古場の鉄瓶はこれまでに、十年以上何度となく使っているのに、改めてじっくり見たのは、初めて。お道具を持つということはこういうことか、と思う。いろいろと調べてみると、鉄瓶にもいろいろあって、いま中国人に「南部鉄瓶」が人気のようですが、他に「京鉄瓶」というのもあって、蓋が茶釜と同じような銅蓋で、底には鳴金があり、かたちも茶釜を本歌にしたものが結構ある。せっかく持つなら、やはり茶味のあるものがよいので、ネットで探したり、天神さんで探したりして、結局、大講堂型の鉄瓶を購入した。実際に使うのが楽しみ。


お稽古の帰り道。だん王の銀杏。


バスの車窓より。昼時の賀茂川。


今出川通りからみる大文字。

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岩崎建築研究室
岩崎 泰

住宅,茶室,店舗の設計等について
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