岩 崎 建 築 研 究 室 ・ 日 誌

〜京都で数寄屋を学び、建築設計を考える〜

岩崎建築研究室

祝上棟

作業場での仮組が進んでいた淡路の茶室。いよいよ現場での工事に進み、本日上棟式です。


高速バスで淡路島へ。インターチェンジのバス停で降りて、現場へ向かうとこの景色。


一昨日から現場での作業が始まり、もうすでに建物の形はできている。右手に見えるのはシマサルスベリ。大きな木ですが、今回造園屋さんに新たに入れてもらったもの。前からあったかのような雰囲気。


腰掛待合のベース付近から建物を見る。梅の木は仮の位置ですが、景色になっている。


足場に登ってみる。棟木の先は海。


母屋の間から見る水平線。


四畳半の茶室に祭壇が組まれ上棟式の準備が進む。


最初に、酒、米、塩、魚のヒレで棟木を清める。


酒で棟木を清める棟梁。


棟梁の祝詞奏上。私より若い大工さんですが、京都の有名数寄屋工務店で修行された立派な棟梁です。


「千歳棟・万歳棟・永々棟」のかけ声に応じて、かけやで棟木を納める。千年も万年も、末永く建物が丈夫でそこにありますように。


祭壇に向かって二礼二拍手をして、つつがなく上棟式が終了。梅雨時期に気持ちの良い晴れの日。


躙り口から中を覗いたところ。正面が床の間、左手が床脇の書院。


水屋の窓の取付位置を確認。ちらりと腰掛待合が見えて、進行確認ができる。


点前座から遠くに水平線を見る。海からの気持ちの良い風が建物を通り抜けてゆく。すぐにでも畳を敷いて、昼寝をしたいぐらい。


竹の花入を出していただき、中釘の高さを確認。躙り口からの見え、床前に座ったときの見えを確認していただく。




水辺の茶室、竣工写真

先日撮影をした、水辺の茶室の竣工写真が出来上がった。DVDで受け取り早速見てみると、やっぱりプロは違うなぁ、と感心。せっかくなので、さっそくブログでご紹介したいと思います。


水辺の茶室、内部。間取りは二帖台目。床柱は神代杉の角柱。小間の席に角柱の床柱、というのは、定石から外れると思いますが、寸法や面取りを調節することで、違和感なく納まったと思いますが、いかがでしょうか。かえって特色のある席になったと思いますし、ご亭主が既に入手されていた材を活かすことができて良かったのではと思います。


床の間と墨跡窓。墨跡窓と言えば下地窓に掛障子が一般的ですが、今回はコスト調整のため「けんどんの障子」に。それでも墨跡窓としての働きは十分してくれていると思います。ちなみにお軸は、金森宗和が上林に送った書状、とのこと。本物のお道具が飾られたときに、受け止められるかどうか、引き立てられるかどうか、で茶室の出来が分かると思う。


点前座から客座を見る。中柱は赤松皮付、よい曲がりのものがあってよかった。貴人口の障子二枚は、某所で解体される茶室から引き揚げてストックしておいたもの。二枚引違ではなく、左側に引き込んで全開することができる。


その障子を全開すると、深い庇の先の水盤と緑と、茶室内部とが繋がる。水の上を流れる新緑の気持ちのよい風が感じられるかのような良い写真。引き込んだ障子はぴたりと壁に納まる。出来上がってしまえば、何気ないことですが、既に寸法の決まっている古建具を使って、限られたスペースの中で各所がビシッと納まるようにできたのは、今回の茶室設計でうまくいったところのひとつ、と密かに自負している。


床框は、こちらもご亭主が持っておられた古材を使って。極侘の材。ご亭主はこれを使うことを少し心配されていたが、神代杉の床柱とのバランスでうまく納まったのではないかなと思う。こうした材を使うことで、骨董のお道具と調和がとれる。全部新材で作ったピカピカの茶室では、こうした味はなかなかでない。



濡れ縁と庇。あて丸太の柱は池の中に設置した石の上に載る。濡れ縁には古材の板を使って腰掛けを作る。手摺も古材。茶事のための腰掛けではないが、茶室を普段使いするときの、ほっと一息、ちょっと一服の場所として。


水盤の上の飛び石の上から。昨年秋に竣工して、撮影は新緑の気持ちの良い頃に、としていた。水面に落ちる木漏れ日。都合で「本当に瑞々しい新緑」からは少し過ぎてしまったが、それでも気持ち良さが感じられるような写真にしてくれた。


茶室へは水盤の上を渡って。途中、手口を清める立蹲踞も。別世界へのアプローチ。こうしたイレギュラーな仕事でも、きっちり結果を出してくれる造園屋さんに感謝。


沓脱石は、ご亭主のご実家から移設したもの。ここに納めるために、この大きな石の下面をカットしている。二階のスラブとの関係で庇の高さもギリギリ。沓脱石と濡れ縁の框とはわずか一寸(3センチ)の隙間だが、かえって緊張感のある構成になったのでは、と思う。矩計詳細図でのギリギリの検討が無事空間として納まってホッとした場面。


水屋はスペースも予算もなかったので簡易のもの、としている。実際に茶事、茶会で水屋をさせていただいて、概ね問題なく使えたと思うが、欲を言えば改良点もいくつか。今後の参考にしたい。


日が暮れ始めた頃の茶室内部、床の間。躙り口から覗くとこの景色。


外観、夜景。夜、ぼんやりと室内の明かりがこぼれる風情がなんともよかったので、カメラマンの方には無理を言って、夕暮れから夜の撮影もお願いした。刻々と変わる薄暮の明かりの中で、色々工夫をして何カットも撮ってくれたうちの一枚。水面にも障子の明かりが映り、素敵な雰囲気が出た一枚になったのではと思う。


おまけ。以前、茶室の竣工写真を見た方から「人が入っていたほうがいいんじゃない?」と言われたので、ご亭主にお道具を出していただき、自ら着物を来て、撮影してみた。本当は美しい着物姿の女性などが良かったのかも知れないが、やむを得ずの自作自演(笑)。それでも人のいない殺風景な点前座よりはちょっとはマシだったかな。


素敵な写真をたくさん撮っていただき、この茶室の様子が少しはお伝えできたかと思うが、やはり実際に見て体験していただくのが一番。もし見学を希望される方がいらっしゃいましたら、ご亭主に相談してみますので、岩崎までご連絡ください。

古材の梁、新材の差鴨居

浜松の家、加工が進む大工さんの作業場で打合せ。


ダイニングの上にかかる二本の古材の梁。


古材の梁を加工して作られた長ほぞと込み栓の孔。


こちらは蟻継ぎで。


綺麗な同心円。茅葺きの棟木を支える、建物中央にかかっていた梁を取り出し、再利用します。良い材が採れてよかった。


二本の梁を十字に組む。上の梁が乗るところ。


こちらは以前の梁が乗っていたところ。これはそのままにしておきます。


ホゾ孔があるので、蟻二箇所にした仕口。


大黒柱にささっていた鉄砲梁。表面のナグリ跡は、民芸品のような味わい。固く絞った雑巾で拭くだけでこの艶。おそらくこの部分は永い間きちんと手を入れられて磨き込まれてきたのだと思う。


同じ場所で再利用する梁。少しだけ使う位置を変えて、以前と同じように鼻栓を打つ。


大黒柱は位置を変えて再利用する。以前の仕口の穴は埋木をする。


こちらも埋木。スケールを当てて写真撮影。原寸でプリントアウトして、埋木のデザインを検討します。


虫喰いの部分は、鉋も鑿も新材のようにうまくいかない。より高度な腕が求められる。


新材の差鴨居。向きなどを検討する。


よいしょ、とひっくり返して(ちなみに杉の比重を0.38とすると、約75キロ)


四面すべてを見て、上下、向き、位置を決定する。


おそらく直径60センチほどの材。


鉄砲梁の表面。


各所原寸の打合せ。


ずらっと並んだ根石に、


三和土に埋まる位置を出してゆく。


軸組模型を見ながら施工の手順の打合せ中。


新人君も頑張ってる。職業訓練校を卒業して、実際にこうした作業ができる、というのは恵まれているのでは、と思う。現在いくつか現場が重なり、ちょっと人出が足りないかも。こうした無垢材の仕事、数寄屋、茶室の仕事をしたい、という大工さんがもしいましたら、ご一報ください。





茶室オートクチュール

古寺の家、現場監理。今日は小間の茶室の詳細について打合せ。


床柱はコブシ。背割れがないので正面を自由に決められるが、反り勝手があるので、それと景色とをあわせて考えて、正面を決定。


床柱のコブシと床框のエンジュ。


床框はエンジュのナグリ。原産の中国では、古来、高官に出世すると庭に植える風習があり、幸福を呼ぶ縁起のよい木とされた。日本では「延寿」の字が当てられ、病魔を払い、寿命を延ばす木として古くから親しまれている。


落掛の高さを確認。建築主さんにも見ていただき、天井とのバランスも考え、もうちょっと高い方がよいかも、ということで、図面にいれた寸法より一寸上げた。


茶道口の間口と高さを確認中。小間の場合は特に、このあたりはシビアに寸法を決めたいところ。現場にて実際に出入りの動作をしていただき、詳細な寸法を確認する、というのは、オーダーメイドで服を作るような感覚。結局、こちらも図面の寸法からちょっとだけ変えて、間口を二尺二寸、高さを五尺一寸とした。

「オートクチュール」は「注文により縫製されるオーダーメイド一点物の高級服」。せっかく茶室をつくるなら、安易に「どこかの写し」などにせず、ご亭主だけの「一点物」にしたい。そうはいっても茶室には色々な決まり事があったりするので、そこは設計者がフォローしながら、また丸太などを使う関係で施工上の問題も多いので、そこは大工さんがフォローをしながら。亭主、施工者、設計者が三者で一緒になって作り上げることで、納得のいく、満足のいく茶室になるのではないか、と考えている。


中柱は赤松。引き木の高さは、定石通り二尺二寸(台子の高さ)。削り木の見付は、六分と書いてある本もありますが、閑隠席などを参考に八分とする。


先日位置と大きさを決めた腰掛待合の刳り貫きの窓も下地が出来ていた。


リビングの天井も、下地のベニアが貼られた。


先日決めた曲線の通りに、出来上がった曲面天井。いい感じ。


使用したのは曲げベニア。普通のベニアでもある程度は曲がりますが、曲げることを前提で作られたベニアはこんな感じ。


天井の下地作業が進む。


庇の板金工事も完了した。外壁はこれから。


現場近辺の景色より。田植えの済んだ田と水面に映る瓦屋根。


ビヨウヤナギ。


ノウゼンカズラ。

社中の茶会と歌銘の茶杓

二年に一回ほどの割合で当番が廻ってくる社中の茶会。男性だけのグループでしていますが、最近男性が減ってきてしまって、今回は四人だけ、でちょっと寂しい。

待合掛は鷺、本席は日日是好日。お花は宗全籠に花七種。アキカラマツ、ノアザミ、ホタルブクロ、マタタビ、ムラサキツユクサ、シモツケ、デイゴ。デイゴの花、は歌で聞いたことがあっても見るのは初めてだった。勝手にハイビスカスのような草花を想像していたが、大きな木に咲く花とのこと。

お道具は持ち寄りで。季節も限られ、皆様に見ていただくようなお道具はなかなかありませんが、今回は以前、建築主さんからいただいたお茶杓を使わせていただいた。ゴマ竹の景色のよい茶杓、筒には歌銘がある。


茶室が完成して、何かの折に伺った時に、建築主さんからいただいた。「たぶんこの先夏の暑い時期に茶事はしないし、そうなるとこの茶杓も使わないだろうから、あなたに差し上げます」「作者の越沢宗見は金沢の茶人で、茶室の設計などもした人なので」とのことだった。夏云々の話は、私が受け取りやすいように、とのお気遣いだったのではと思う。「茶室の設計」にちなんだ人のもの、というのは、私にとってなによりのエピソード。

銘は「清涼」
堂きの於と 尓者の万つ可世 勢み能こえ
春ゝし幾ものを 可所へてや見む

滝の音 庭の松風 蝉の声
涼しきものを 数えてやみむ

時期的には少し早かったと思うが、茶杓にまつわるエピソードを楽しんでいただけたのではと思う。越沢宗見(太助/1886-1970)は金沢の呉服商「越太」、近代数寄者。高橋箒庵らと交流があり、茶事の銅鑼は必ず自ら打ったという箒庵が、最後の茶事だけは越沢宗見に任せたとか。また星岡茶寮といえば魯山人ですが、星岡茶寮は越沢宗見の所有で、魯山人は越沢宗見に見い出され、その後を任された、ということらしい。「金沢の茶室(金沢市企画発行)」によれば、金沢市東山に越沢邸があり、先代太助から受け継いだ茶室「竹窓庵(五畳半逆勝手丸炉向切)」があるらしい。いつか機会があれば見てみたい。

席は四席、すべてで半東をさせていただいた。席の流れに気を配りながら、正客との会話を弾ませるのは、なかなか難しい。四席だけでもとても疲れたが、月釜などでは、七席も八席もこなされる先生の大変さがちょっとだけわかったような気がした。

今回は、会記も書かせていただいた。ちょうど前日が書道の教室だったので、事前に先生に連絡をして、無理を言って教室で会記を書かせていただいた。先生がわざわざお手本を書いておいてくださっていて、とても助かった。こちらもなかなか褒められるような出来にはなりませんが、こうして恥を掻いてちょっとずつ上達してゆくしかないと思う。いつかは、宗見の茶杓の筒のような字が書けるようになりたい、茶杓の筒書きや箱書きを自らして遊んでみたい、と思っている。

窓のかたち

古寺の家、現場監理。現場では順調に工事が進んでいる。時々大工さんから電話があり、詳細な打合せをして問題なく進んでいるが、やはり現場でなければ、決められないことがある。


広間の茶室、八帖の縁側、腰掛待合が出来つつある。古建具の一枚硝子の建具が入れられ、戸締まりができるようになった。左端に見える外部の袖壁に刳り貫きの窓を開けるので、今日はその位置、大きさを決定する。


ざっと炉の位置を出して、亭主が座る位置にスタイロを敷く。靴を脱いで正座すると、、、


こんな眺め。ちょうど古寺の屋根が見えるのです。いまは壁の下地が外されているので、柱から柱まで、全部が開いていますが、これをどれだけしぼって刳り貫きの窓にするかを決めていきます。


刳り貫きから見える眺めだけでなく、壁に刳り貫かれた窓自体のバランス、景色もあるので、離れて眺めてみたり。


ちなみに奥は建具や畳の収納になります。


点前座に座って眺め「壁から四寸、いや五寸で」などと言って、テープを張ってもらう。ざっと決め大きさを計ると、横が二尺一寸、縦が一尺七寸三分。
 茶室の寸法には「七九の曲割(かねわり)」と言われるものがあるという(「数寄屋の実践」番匠設計の30年、小町和義氏と高野康男氏の対談より)。京間の畳の長辺は六尺三寸で七×九、炉の大きさは一尺四寸で七×二など。わずかなことだが、寸法を尺寸で考えこうした数字に揃えることで、全体的なバランスがとれてゆくように考えている。
 ざっと決めた寸法から七分調整して、二尺一寸×一尺八寸として決定。また、上の角は隅丸にするので、その半径も指示した。
 当初図面を描いていたときには、縦長の窓にしていたが、現場でみると横長にするのが自然だった。やはり現場でしか決められないことがある。


ちょっとわかりにくいですが、こんな感じ。建築主さんにも確認していただいて、決定。


腰掛待合に使う濡れ縁の袖壁にも窓をあけます。


壁全体とのバランスも考えて。こちらは一尺二寸×一尺五寸を、この位置に開けることにしました。


正客は茶室に近い袖壁の近くに座る。刳り貫きの窓から内露地の様子が垣間見えて、座って見上げると庇の化粧軒裏が楽しめる、という算段。


リビングでは、勾配天井の曲面を決める。当初図面では、まっすぐな掛け込み天井にしていたが、現場で見てわずかではあるが曲面にしたほうがよさそうだ、と判断した。


壁の一部に先行してボードを張ってくれて、寸三をあてがい、曲線を見る。そこを留めて、これぐらい曲げて、と指示して具合を見る。実際には面になってみないとわからない部分もありますが、よさげな感じ。ちなみにこの曲面天井は、飛騨高山の吉島家からヒントを得たもの。普段からたくさんの建物を見て、より良いものにするためのヒントを蓄えておくのも設計者の仕事だ。



#
建築主さんとともにこうした作業を現場でスムーズにするために、大工さんは段取りを考えて作業の前後を検討してくれたり、現場を整えてくれたりしてくれている。腕が良いだけでなく、こうした気配りのできる大工さんというのは、本当に素晴らしい。結果、それが最終の仕上がりの質の高さや、建築主さんの満足度に繋がってゆくと思う。設計者もそれに見合うような仕事をしなければ、と気を引き締める。

一条恵観山荘(後編)

一条恵観山荘、後編。その前に、一条恵観、及び、一条恵観山荘についての情報のまとめ。

一条恵観(1603-1672)は、後陽成天皇の第九皇子で、五歳のときに一条家の養子となり一条兼遐(かねとお)となり、後に昭良と改名、さらに出家して恵観となる。後水尾天皇在位中に関白となり、上皇となった時には摂政となり、光明天皇の代にも摂政関白となっている。後水尾天皇は、後陽成天皇の第三皇子、近衛信尋(のぶひろ)は第四皇子、なので、いずれも恵観の兄になり、八条宮智仁親王は叔父、智忠親王と良尚法親王は従兄弟になる。

後水尾天皇   修学院離宮
八条宮智仁親王 桂離宮
良尚法親王   曼殊院
一条恵観    一条恵観山荘

素晴らしい建物が、寛永文化の盛り上がりの中、この一族によって建てられ残されている。

一条恵観山荘は、十七世紀半ばに一条家の別邸内に建てられた「御茶屋」。
早川正夫氏によれば、
「”御茶屋”はいわゆる”茶室”とはかなり性格の違ったもので、茶を点てるという機能を備えているという点では、”茶室”の一類ではあるが、現在の”茶室”の用語は茶の湯専用の施設を意味していて、”御茶屋”の持つ多用途の機能とはやや離れている。それが建築表現としてどのように表れてくるかを見定めることが、数寄屋の伝統を認識する大きなポイントなどではないか、というのが現在の私の感懐である」

恵観没後、二男冬基が醍醐家を起こし、西賀茂の山荘は醍醐家の別邸として引き継がれた。戦後荒廃していた建物を、醍醐家と縁のあった山田宗遍流家元の尽力で、
昭和三十四年(1959)に鎌倉に移築
昭和三十九年(1964)に重要文化財指定
昭和六十一年(1986)に同じ鎌倉のより適切な敷地に再移築


建物内に入れず、その空気感が感じられず残念ですが、とりあえず外から見られるとこだけでも。


山荘の飛び出した雨戸の戸袋。


戸袋の裏側。飛び出したところをうまく利用して腰掛も作っている。


瓦をこば立てにしたつたい。


礎石。


腰掛。


高さは一尺三寸。


奥行きは一尺七寸。


板巾は、壁際から、二寸、


二寸三分、


三寸二分、


三寸四分、


三寸、


框は二寸四分。ランダムな屑張りではなく、奥から手前に徐々に幅広になる感じ。


床下。


濡縁。端部は傷んだところと継いである。


こちらも建物側がわずか巾狭になってそう。


軒天。竹の垂木、間垂木は黒竹、小舞は削り木と女竹。


苑内の様子。杉の巨木。


ドウダンツツジの刈り込み。


流れを渡って四阿へ。


根石が真黒、差石は伊勢ごろ太。


差石と壁留の空きは一寸五分。少し大きいか。先日現場では一寸で指示をしたところ、個人的にはもう少し絞ったほうがよいと思う。


腰掛けと円座。


腰掛の踏石。


腰掛けの竹部分。


板部分、隅の納まり。


天井は杉皮の網代。侘びた雰囲気ながら手間のかかった上品な雰囲気。


壁は引き摺り仕上げ。


すだれは葦ではなく竹で、ざっくりした感じ。


四阿からの眺め。モミジ越しに建物を見る。


軒天も杉皮。


苑内はあじさいが見頃。土佐のまほろば。


滑川。護岸工事がされてしまっている部分が多いなか、こうした自然な姿が残っているのは貴重なのだとか。


四阿の見上げ。


苔むした四角い石。


石の筧。


カフェ楊梅。


大きな岩越しに四阿を見る。


カフェ楊梅の濡れ縁。


高欄のデザインは四君子苑。


井戸と釣瓶。


モミジ。


カフェ楊梅からの眺め。恵観は楊梅を愛し、天皇へ献上したエピソードもあるとか。


カフェ内部。素敵な現代数寄屋空間。


額装された裂地。


網代天井の廊下を抜けると、もうひとつの客席。


こぢんまりして心地よい空間。


席に着くと目の前に井戸。


廊下の収納の襖には七宝の蝶の引手。廊下に使うなんてもったいない。


向かい合った蝶の引手。


主菓子と薄茶をいただきました。茶碗は沈壽官。


木製ガラス窓の金具。


おいてあった雑誌より、山荘内部の月の引手の写真の写真。宮津藩主の京極高広の娘の字らしい。ちなみに桂離宮の月は男性の筆とも。「の」の字の引手も見てみたい。


同じく雑誌よりの転載。山荘内部、金森宗和好みの棚。実物をこの眼で見てみたい。


スタッフの方には貴重なお話をたくさん伺いました。ありがとうございました。


時雨席の障子窓と灯籠。


絨毯敷きの立礼席。最近は結婚式もできるらしい。時代が変わるなか、建物を維持監理していく方法が試行錯誤されている。


雨に濡れた真黒の延べ段。


庭の赤松。


残念ながら今回は山荘内部に入れませんでしたが、現代数寄屋の部分も大変すっきりしていて気持ちの良い空間でした。また庭は大変丁寧に手入れがされているようで、関東でこれほど京都風の庭園というのも珍しいのでは、と思う。次回は是非内部に入って「数寄屋建築の伝統を認識する大きなポイント」を体感したい。










一条恵観山荘(前編)

鎌倉の一条恵観山荘。数寄屋の古い遺構が少ない関東に置いて貴重な存在なだけでなく、桂離宮や修学院離宮とも並ぶ寛永文化の香りが感じられる数少ない建物。その存在を知りながら、なかなか見られる機会はないなあと思っていましたが、最近から公開を始めた、とNさんから聞いて、早速行ってきました。


鎌倉駅からバス、浄明寺で下車、徒歩すぐ。バスの車窓から眺めていると、鎌倉にも素敵な家がたくさんありそう。


木賊張りの塀の入り口。


上手に金物が取り付けてある。堀金物。


木賊張りの塀の足下。木賊張りは側(そば)を落とした簡易なタイプ。


入り口の軒天。


現代数寄屋の「幽軒」


大きな沓脱石。


勝手口のつたい。切り石の使い方。


腰板と根石と差石。根石は鞍馬、差石は真黒。


入り口を入ったところ。


古材の板を使った扁額「知音」。中国の春秋時代、琴の名人伯牙は親友鍾子期が亡くなると、自分の琴の音を理解する者はもはやいないと愛用していた琴の糸を切って再び弾じなかったという「列子」湯問などの故事から。


玄関棟の腰掛。


框も束も小丸太。


腰掛、奥行きは一尺五寸八分。


高さは、一尺三寸五分。


腰掛けてみたときの眺め。


苔むした台座の水鉢。


吹き抜けの伝い廊下。足下の透け感。


腰部分、内側は杉柾板の大和張り。


外側は土壁。


玄関は片引戸、吉田五十八風。設計者は板垣元彬(いたがきもとよし/1940-)。東京芸術大学建築学科卒業後、吉田五十八研究室に勤務。


大きな槙の木。


竪樋はなく、棕櫚と鎖。


前庭の見返し。


いよいよ一条恵観山荘へ。


根石と敷居と真黒。


真黒は、京都で見るものと比べ艶がある。何か艶出しの仕上げをしているのかもしれない。


敷居の下に並ぶ、四角い真黒。


六角形の水鉢。丸く囲って一段下げて。


角は欠けて、中には蟹。六角の各面には香狭間、大きな灯籠の基礎の部分か。


真黒の延べ段。


延べ段の厚み、高低差。


御幸門。あべまきの柱を触らないようにカバーがしてある。


鞍馬の踏み石。


竹の垂木、広小舞と巻頭で固定。


桁、棟はあべまき、垂木は竹、小舞は女竹、軒天は葦。垂木に藤蔓。


砂利敷きと瓦。


低い石垣と羊歯。


山荘へと続く守山石の延べ段。守山石と言えば、小川治兵衛が琵琶湖疎水を使って運んだことで有名ですが、江戸初期から庭石として使っていたんだ。艶のある真黒から侘びた守山石、しかも苔目地。草履や草鞋ならば、足の裏からもその変化がより感じられ、山荘へと訪れる気分が高揚する。


山荘の玄関は三枚引き。


内部の見学は事前申し込みが必要とのこと。次回は必ず内部を見学しよう。


背の低い枝折り戸。内露地の石は建物と一緒に京都から来ている。


編笠門の足下。


編笠門の屋根。


食い込むように配置された二つの延べ段。


編笠門の屋根。


棟、巴瓦、けらばの詳細。すごい板金仕事。


軒先の詳細。


けらばの見上げ。


軒天は竹敷き詰め。


苑内を廻る。


山荘の縁側。


縁側の束。


飛び石の妙。こっちからあっちに行ったり、あっちからそっちに行ったり。


障子紙は石垣張り、外に雨戸の一本溝。

後半につづく。

profile
岩崎建築研究室
岩崎 泰

住宅,茶室,店舗の設計等について
ご質問,ご相談がございましたら
まずは、電話やメール にて
お気軽にご連絡ください。
TEL 075-724-2354
iwasaki1201@syd.odn.ne.jp
Archives
  • ライブドアブログ