安宅英一は、陶磁器のコレクションのみならず、クラシック音楽のパトロンとしても有名です。東京芸大に設立された安宅賞は、プロとしての道を進む上での輝かしいステイタスとなっていて、後に世界的な活躍をする多くの音楽家が受賞しています。その他にも多くの音楽家に海外留学や滞在などの財政面での援助も行っていたようです。展覧会では中村紘子のエピソードが紹介されていました。

例えばある日、来日中のボリショイサーカスに招待される。なぜサーカスなのか分からないけれど、子供だから胸をわくわくさせて見入っていると、安宅さんがふとつぶやく。「シューマンの謝肉祭には道化がたくさん出て来ますよね。」そのころ私が練習していたこの組曲にはピエロ、アルルカン、パンタロンとコンビーヌなどそれぞれキャラクターの異なった道化たちが登場する。でも本場のサーカスなど見たことのなかった私は、絵や写真などで想像するほかなかった。そんな私に安宅さんは「本物」を見せてくれようとしたのである。

単にお金を出すだけでなく、教養豊かな人生の先輩として若い芸術家を導く、こうした「本物」のパトロンは現在にもいるのでしょうか。ちょっと長くなりますが、せっかくなので中村紘子のエピソードの引用を続けます。

こうして手にとって見せていただいたものは、ある時は国宝に指定された中国の壷や鉢、ある時は速水御舟の牡丹の花の精緻なデッサンであったりルノワールを初めとした西欧の名画であったりしたが、そこでいつも話題がいきつくところは「ピアノの音」であった。あの李王朝の白磁のように、凛として冒しがたい気品を備えた音。そんなイマジネーションに私の心を向けてくれた人など、それまでにいただろうか。私は生まれて初めて、がむしゃらにピアノを弾くことから、森羅万象に目を向けて心を開き、そして「音」に耳ばかりでなく心を傾けることを覚えた。あたかも見えない何かに目を見張るように、沈黙に耳を澄ますように、私は美術品ばかりでなく、空の雲の流れ、風の運ぶ香り、雨のリズムにも立ち止まるようになった。

「森羅万象に目を向けて心を開き、心を傾けること」は、建築にとっても同じように重要なことだと思います。出来上がる空間に「品」というものを備えさせるには、やはりこうした目と心で感性を磨いていくほかに道はないように思います。