現在計画中のお茶室の建築主さんが久松真一氏のお軸を入手され、茶席被きには是非それを、ということで「それに相応しいお茶室を設計せよ」という難題を賜りました。なにか設計のヒントになることがあれば、と岐阜市福光の久松真一記念館を訪れました。

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久松真一記念館は、もともと久松真一が25歳の時、実父の大野定吉とともに建てた住居で、生家というわけではありませんが、岐阜に帰省した折には泊まり、亡くなるまで六年間はここで過ごしました。建設当時久松は京都にいましたから、父と相談をしながら建設を進めたようですが、この父大野定吉が結構な趣味人だったそうで、裕福な地主で茶を嗜み仏像を彫ったり漆を塗ったりと、この建物にもそうした父大野定吉の趣味が存分に伺えます。

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寄り付きに久松氏の書「空」。

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今日の見学は申し込みをした私一人でしたが、広縁の火鉢には炭をついでくださってありました。右上に見えるのは、久松氏が妙心寺春光院にいたときに、西田幾多郎から送られた「抱石庵」の額。久松真一記念館は、姪孫の久松定昭氏が、久松真一氏の業績を広く公開するため、耐震補修を行い、昨年開館されたもの。個人でこうしたことをするには大変な苦労があったとは思いますが、久松氏に縁のある方々や、禅の思想や建築を学ぶものにとっては大変有り難いことです。今日も館長久松定昭氏自ら丁寧な解説をしてくださいました。ありがとうございました。

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八帖の床の間。二帖の残月写しですが、写しそのままではなく、この場に相応しく上手にアレンジされています、写真では見にくいですが、付け書院奥には少し壁があり、そこは奥の茶室の台目構えのズレになっている、という全体計画もうまい。床柱は三寸五分角で面巾二分五厘。落掛の見附は一寸六分。高さはFL+六尺二寸八分。床の間の巾は内々で五尺六寸、奥行き五尺六寸六分。

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落掛上の垂れ壁が桐の欄間になっています。こうした例はあまり無いように思いますが、奇異な感じがせず、うまい。

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床の間横は火灯窓。よくよく見ると、かわったディテールにプロポーションですが、部屋全体として不思議にマッチしています。

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久松氏の書「大道」

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八帖の様子。こちらでお菓子とお薄をいただきました。

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建物全体の南西角にある茶室「抱石庵」。二帖大目(点前座は丸畳をずらした大目構え)。床の間は松板の踏込み床。床柱はあて丸太で元口二寸六分。花生釘の高さ三尺七寸四分。落掛は九分五厘×二寸一分五厘で、高さ四尺八寸三分。桁高さは五尺五寸七分、平天井の高さは壁留下端で五寸七分五厘、壁留めは赤松皮付きで一寸三分φ。

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床柱のあて丸太、節の表面。スパっと切らずにあえて跡を残す仕上げ。

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床の間左奥は、塗り廻し。わりと大きくおおらかなアール。ちなみに右奥は四分一(しぶいち)がみえています。

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躙口と連子窓。躙口の大きさは巾二尺一寸×高さ二尺二寸七分。方立は八分×二寸六分、中鴨居は七分五厘×二寸七分。連子窓の大きさは巾三尺七寸八分×高さ二尺六分。障子の縦枠は見附五分見込み六分五厘。桟は見附一分五厘見込み四分。桟割は巾四寸六分高さ三寸二分五厘で少し小さめ。

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なんと面戸は藁詰め。ひょっとしたら応急処置かもしれませんが、侘びた風情で面白い。

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茶道口。巾二尺一寸×高さ五尺二寸(低いところで四尺三寸)棚の高さは二尺七分五厘、奥行き一尺四寸五分。落天井、高さはゴマ竹の下端で五尺四寸二分。

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点前座、落天井、草。廻りは煤竹、北山小丸太。壁留めはゴマ竹一寸五分φ。竿縁は女竹の吹き寄せ、天井は菰(蒲葉?)。

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客座、平天井、真。矢羽根網代、網代の巾は二寸一分五厘。竿縁は白竹七分φ。

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客座、掛込天井、行。 垂木は赤松皮付き、間垂木は白竹、小舞は女竹、藤蔓巻き。なお真行草については、掛込天井を、屋根裏を見せるという理由で草とする説もあるようですが、草というには手が込んでいますし、落天井に使われる蒲や菰などは、まさに「草」。ということで、ここでは、落天井を草、掛込天井を行としました。そのほうが座の秩序にも対応しますし、素直な見解のように思います。

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点前座からの眺め。太鼓襖は巾四尺八寸五分×高さ四尺五寸。

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中柱は赤松?。枝を残して袋釘に見立てています。

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茶道口の壁は薄壁。厚さ八分!

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水屋。

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二階は十二帖。急な階段を上がるとゆったりとした広縁に出ます。広縁の巾は五尺八寸。

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床の間。軸は西田幾多郎。

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床脇。かわった違棚天袋に、地袋なしの蟻桟の見える棚のみ。

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天井高さは廻り縁下端で六尺九寸とかなり低い。内法は五尺九寸と、あえて一階より一寸あげているのは、天井の低さを軽減させるための工夫かも。広縁が広いこともあって、開放感があります。

久松真一(1889-1980)は、西田幾多郎や鈴木大拙に並ぶ日本を代表する近代哲学者で、お茶の世界では淡々斎宗匠とともに京都大学に心茶会を創設したことでも有名です。私にとっては、七年間茶道の手ほどきをしていただいたお茶の先生が心茶会の指導をされていたこともあって、お稽古場での先生の言葉の向こうには、今思えば久松先生の思想もあったかのように思います。何度も読み返して、少しずつ理解をしたつもりになっている著書「茶道の哲学」には、茶道を学びながら建築設計をする者にとって、とても有意義で、進むべき道を導いてくれるような言葉があるように感じています。

「茶道は、狭隘なるささやかな住居のなかで、宗教的にも、道徳的にも、礼儀作法的にも、芸術的にも、食事から掃除に至るまでも、実によく洗練された文化的生活がなされるのであります。そうしう点で、茶道は日本に特有な、少なくとも一つの高い文化生活の見本であるといってよいだろうと思います。」

そして、こうした文化生活に相応しい住宅を造ること。茶道をはじめてから住宅設計を考えた時に、もやもやとしていためざすべき住宅像。こうした言葉が進むべき道を見つけるヒントになるように思います。

「小屋を建てるにしても、ただ雨露を凌げばよいというだけでなしに、住み良いとか、あるいは見て非常に感じがよく、そこに落ち着いて住めるというような全体的人間の心にかなう積極性がなければならない。むしろ金も十分にあり材料も十分にある場合よりも、かえってそれ以上のものを創り出すというところに侘びの精神がなければならない。これは人間の非常に大きな創造的精神であると思います」

侘びという美意識、精神を過去のものや非日常のものとせず、現代における創造的な活動に結びつける、ということは、現代の建築設計者にこそ必要なことのように感じます。

「極則とは、既成の法則に拘わらないで、しかもそういうさまざまな法則をつくり出すもとになる創造的主体的法則である。だから、かような意味での極則を体得した人は、そこから今までになかったような法則をつくり、新しい芸を生み、いわゆる本当の新機軸を出してくることができる。しかもその新機軸は、決して根本から逸脱したものではない。そういうのが本当の意味での創造、創作である。極則を体得した人でないと、新機軸を出すとか創造するとかいっても、それは一時の思いつきとか、流行とか、模倣とかに堕し、真に根底のある創造ということにはならない。本当の創造とは根源から出てきた根の深いものであり、本質に違わずして、しかも新しいものを生み出すことなのである。」

なにかと目新しいものばかりがもてはやされる建築界への批判のようにも感じます。一方で、やはり真に新しいものを創造するには、生半可な努力ではいけないと身が引き締まる思いです。