京都国立博物館で開催されている陽明文庫名宝展へ行ってきました。ちょうどそろそろ行こうかなというタイミングで岡山の茶室のお施主さんがチケットをわけて下さいました。Sさん有難うございました。


近衛家は藤原北家の流れを汲む家系。12世紀に摂政、関白、太政大臣を務めた藤原忠通(1097- 1164)の後、その長男・近衛基実(1143- 1166)を祖とする近衛家と、三男・九条兼実(1149- 1207)を祖とする九条家の2家に分かれ、その後近衛家からは鷹司家が、九条家からは二条家、一条家が分かれ、後に近衛、鷹司、九条、二条、一条の5家を「五摂家」と呼ぶようになった。応仁・文明の乱に際し、家伝の古文書を京都の北郊の岩倉に疎開させたり、比叡山の麓の坂本に疎開させたり、代々家伝文書の保存には意を払い、近代には30代当主の近衛文麿(1891-1945/12/16自殺)が陽明文庫を設立して貴重な資料が現代に伝えられています。

 展示前半は国宝「御堂関白記」をはじめとする関白記や消息などがたくさん。関白記は基本的に日記。日付が書いてあって、毎日きちんとその日あったことが書いてあるわけではなく、「晴」としか書いてなかったり、何も書いてない日も多かったり。伝藤原行成筆の倭漢抄(わかんしょう)は平安時代。縹(はなだ)色(薄水色)や橙(だいだい)など様々な色合いの料紙/唐紙の上に、流麗な墨文字。唐紙と言えば普段仕事では京唐紙を使いますが、本物の「唐」紙をじっくりみるのは初めてかも。千年近くたっても状態はとてもよく、保存環境さえよければ、長持ちするもだということがよくわかります。それにしても唐紙と墨文字の組み合わせの美しいこと。またいくつかの唐紙を継ぎ接ぎにするというのも何かの手法として面白いかも。

 安土桃山時代の17代当主は近衛信尹(のぶただ1565-1614)三藐院(さんみゃくいん)。本阿弥光悦、松花堂昭乗とともに「寛永の三筆」の一人に数えられる能書家で教養人。動乱の時代、幼少から武士と接する機会も多く、武士に憧れていたとも。秀吉の朝鮮出兵の時には京都を出奔し肥前名護屋に赴くなど奔放な行動をとり、薩摩の坊津に3年間配流となった。信尹には継嗣がなかったため、後陽成天皇の第4皇子であり、信尹には甥にあたる近衛信尋(のぶひろ1599-1649)を養子に迎えた。信尋も書道、茶道、連歌などの芸道に通じた教養人で、吉野太夫を争った灰屋紹益の恋敵。

 江戸時代中期、21代当主は近衛家熙(いえひろ1667-1736)予楽院(よらくいん)。詩書画、茶道等諸芸に優れた教養人。展示で面白かったのは、やっぱり茶杓箪笥。他の人たちはさらっと見る流れが出来ていたので、何度も並んで何度も拝見。(もうちょっとゆっくりみられたらよかったのだけど)。予楽院は官を辞した正徳三年(1713)から70歳で世を去る享保二十一年(1736)までの24年間に308回も茶会を催したとか。茶杓箪笥は、巾九寸、高さ一尺、奥行き一尺の慳貪蓋(けんどんふた)のついた溜塗りの木箱で、中は五段に仕切られ、儒教の教えである「五常」の 「仁・義・礼・智・信 」 の文字が書かれた白い紙が貼ってある。納められている茶杓は計三十一本で、後西天皇(5)、常修院宮(3)、細川幽斎(1)、利休(2)、一条昭良(1)、本阿弥光甫(1)、瀬田掃部(2)、小堀遠州(1)、古田織部(2)、百庵(細川三斎弟子)(1)、福島正則(1)、宗旦(1)、金森宗和(3)、佐久間将監(1)、殊徳(1)、織田有楽(1)、細川三斎(1)、他(2)。金森宗和から茶を学んだ常修院が、後西天皇や予楽院に香道、学識、詩歌など教えているので、後西天皇勅作・常修院宮作・金森宗和作がそれぞれ5・3・3と他に比べて多い。後西天皇は、天皇としてはお一人だけ「宸作茶杓」を残され、全部で六本が伝わっているそうなので、そのうち五本が茶杓箪笥にあることになるようです。
 今回展示されていたのは、後西天皇二本、細川幽斎、千利休、武野紹鴎、本阿弥光甫、福島正則、金森宗和、古田織部、織田有楽斎。後西天皇の茶杓のひとつは節から櫂先までが短い独特のプロポーションのもの、もうひとつも似たプロポーションでしたが、こちらは櫂先内側の皮目が少し窪むように削られて、そうした茶杓は初めて見ました。幽斎と千利休が並んでいましたが、幽斎の直腰と利休の蟻腰が対照的。紹鴎の留節の茶杓は、切留に節を残しているというより、節の真ん中で切断されているようで、節の山はひとつのみでした。ちなみに東京国立博物館にある紹鴎の茶杓の節は切留から五分上がりくらい。五島美術館にあるものは中節ですが、利休型に比べるとやや下の位置。徐々に上がっていってるのかな。
 表具裂も展示してあり、近衛家では、本紙と互角に並び立つような多彩で華やかな裂地を用いる例が多く、今回展示されている表装でも派手は刺繍のものが多く見られました。展示にはイラン、サファーヴィー朝の蒙流(もうる)もありました。
 青磁鳳凰耳花生の銘千声は、砧青磁の名品。銘は砧で布を打つ音から来ているそうです。後水尾天皇の指人形「気楽坊」もありました。「世の中をきらくにくらせ何事も思えば思え思わねばこそ」幕府の皇室への圧力に対する憤懣から、逆に居直った形での諦観のような心境。
 最後は近世近代の絵画のコレクション。酒井抱一から橋本雅邦、下村観山、横山大観、竹内栖鳳、橋本関雪、上村松園、堂本印象などなど。なかでも圧巻は酒井抱一四季花鳥図屏風。美しく移ろう四季の抒情が、華麗な金地濃彩の画面に組み合わされた屏風。細見美術館での酒井抱一展に行きそびれたところだったので、大作が見られて嬉しい。


帰り道は鴨川を北上。白鷺やカキツバタが見え、まさに酒井抱一の屏風の世界。写真は四条大橋付近のテイカカズラ。花が咲き甘い香りが漂っていました。