以前設計事務所に勤めていた時にお世話になったNさんから、待庵と灯心亭が見学できるけど、どう?とお誘いをいただきました。ちょうどホテルオークラで灯心亭写しの天井を見たところだったので、是非にとお願いして行ってきました。まずは待庵の見学。今回でたしか三回目。どこまでが利休のオリジナルかわかりませんが、あの床の間はやっぱり洞窟みたいで面白い。床の間の天井は出来るだけ高く、というイメージがありますが、掛けるものが決まっていれば、自在なしであの位の高さでもよいのかも。隅炉は一尺四寸より若干小さく小板もなし。二帖の茶室のスケール感を確認、いつかこんな大きさの茶室を持ちたい。次に水無瀬神宮に移動して、月釜でお茶をいただいたく。宗匠自らのお点前を拝見できてラッキー。流派による細かな点前の違いも興味深く、お話も面白くざっくばらんな雰囲気がとても楽しい。そしていよいよ灯心亭へ。


記録はないようですが、後水尾天皇から下賜されたもの、とされる。元仙洞御所の北東にあったものを移築した可能性が高い、とのこと。近年葺き替えられた屋根が美しい。


建物の四周をぐるりと二段の石畳が巡る。


飛び石。奥に行くと蹲踞。


蹲踞。灯籠の宝珠がない。


踏分石から沓脱石へ。


三帖台目の茶室。とても開放的。


なんといってもこの天井。格天井の格縁は杉小丸太。格間には、葭、寒竹、萩、山吹、木賊、九十九草、竹、柿、桑などの草や小枝が張りつめられている。それらが灯芯となるものなので、灯心亭。


床の間は間口四尺(というより格天井の升目四つ分)で、床柱は松、蹴込は栂(あるいは焼杉)、床板は欅。床脇には違い棚と二段の天袋。壁は張り付けになっていて、書院風、貴族風。


天袋と床柱詳細。天袋下の段はハシバミをした板に革の引手。天袋上段は銀箔に、引手はなんと蜘蛛!引手というより蜘蛛そのもの。引き違いの襖なら、開けたときに当たらないよう、出っ張ったものにしないのが一般的ですが、そんなことはお構いなし。このアイディアは後水尾天皇自ら、直接職人に、あるいはとりまとめる担当者に、指示をだしのでしょうか。
「天袋上段の引手は蜘蛛じゃ。蜘蛛そのものを作って参れ。」
「しかし、出っ張ったものでは、開けたときに当たってしまいますが、、、」
「かまわぬ。蜘蛛そのものを作って付けるのじゃ。よいな。」
「はは〜」
なんて、やりとりがあったのかも。それにしてもなんで蜘蛛なのでしょうか。後水尾と蜘蛛で検索してみると、次のようなものがでました。


後水尾天皇の蜘蛛手の歌。七つ×七つの和歌を縦横に並べて、重なる部分は文字が重なり合ってゆき、さらに斜めに二つ、四角形の対角線も同じように和歌が並び文字が重なる。さらにさらに、右上から周囲の重なる24を拾い出すと「東照の宮、三十三回忌を弔う歌」だそうで徳川家康三十三回忌にちなんでの贈歌になっていうのだとか。すごい。すごすぎる。でも引手がなぜ蜘蛛なのかはわからない。蝙蝠なら中国語で幸福と同じ音で福を招くなどありますが、蜘蛛は?ご存知の方は教えてください。


違い棚の奥には、網目紋の透かし彫り。この辺りにも何か意味があるのかもしれない。


給仕口、茶道口、点前座。普通は中柱までで止まる敷居が茶道口の柱まで延びていて、三帖の席と、点前座を区切っている。点前座というより茶立所という感覚なのでしょうか。天皇自ら点前することなんてないのかな。給仕口の曲木も珍しい。片引きの鴨居が茶室側にも出ているのは、ちょっと疑問。


中柱は椎。面皮の柱は節だらけ。もともと京都西賀茂にあり今は鎌倉に移築されている旧一条恵観山荘にも、椎の柱が使われている。一条恵観は後水尾天皇の弟。


風炉先窓。見えませんが、袖壁の裏にある釣棚には吊竹がないらしい。


点前座の様子。曲がりのない中柱が全体のバランスのなかで相応しい。


障子の桟は縦も横も吹き寄せ。中央の横のみ三本組。面白いバランス。


茶室の廻りには畳の縁側。この建物には湯殿があり、お風呂上がりには、この畳縁で風にあたり、お茶を飲んだりお酒を飲んだり。いいなあ。室町時代には風呂で汗を流したのち、茶を飲み宴会をする、「淋汗茶湯(りんかんちゃのゆ)」が流行したそうです。侘び茶の祖、村田珠光が「心の文」を送った古市播磨法師(古市澄胤)の古市一族はこうした婆娑羅的な淋汗茶湯を盛んに行っていたとか。


灯心亭の間取り。三帖の茶室と三帖の水屋を台目巾で繋ぐ。その廻りを西南東と畳縁を廻し、東には湯殿。北側は柱のみが立つ土間になっていて、床の間、床脇、水屋はそこへ張り出して付けられている。シンプルかつ合理的な間取り。


障子の腰は、藤の水引飾り。


点前座の先、風炉先窓の向こうは畳縁からのくぼみになっている。


天井には釘。灯火を掛ければ、風炉先窓越しに点前座が照らされたのかも。


水屋の障子は腰高。


上の段は、茶事の時の料理を並べる棚、下の段は湯浴の時に脱いだ衣類や懐中物を置く棚とか。修学院離宮の霞棚を彷彿とさせ、日常動作の中に雅さを感じさせる貴族らしいデザイン。


湯殿の北側、裏の建具。


ここにも藤が使われている。当時の藤は禁制品。


水屋の建具を北側から見る。


張り出した水屋や床の間の塊。


欄間は枝。


畳縁突き当たりの建具。曼殊院の建具を彷彿とさせる。曼殊院門跡、良尚親王は後水尾天皇の猶子。


北側、土間の様子。


南側、畳縁の様子。


茅葺きの垂木は皮付の枝、削り木の角材、竹がランダムに。小舞も竹、女竹吹き寄せ、皮付きの枝など。垂木間で化粧野地の葭も葺き替えられている。