連日の四君子苑。今日は造園屋さんと。昨日の大工さん同様、こちらもお茶の生徒さんが全員揃ったので、お茶のお稽古の代わりとさせていただく。

四君子苑の庭は、石造美術の宝庫。作庭は佐野越守。ネットで調べても、代表作が四君子苑と出るだけで詳細はわからない。越守の弟、佐野旦斎は昭和二十九年(1954)にニューヨークの近代美術館に日本庭園を作り、俵屋旅館の庭も彼の作品。旦斎の子息の佐野精一氏が「植重」の六代目ということらしい。越守、旦斎兄弟の父、栄太郎は一般に光悦寺垣と呼ばれる竹垣を作ったとのこと。うずくまる牛の背骨の湾曲をヒントに光悦寺に創作したもの。栄太郎の先代は重次郎といい、屋号「植重」の始まり。その以前も龍安寺の門前で庭師を代々していたらしい。

灯籠から、礎石、五輪塔、三重石塔、石仏、宝篋印塔、水鉢など、約60点の石造物があり、「それぞれがきちんと所を得て、庭全体の調和が美しく保たれているのは、ひとえに、北村の美意識の高さと、佐野越守の見事な仕事ぶりの結晶といえるでしょう。」(配布されたパンフレットより)。ひとつひとつ見て行くと、どれも見応えがあり、あまり数が続くと、途中から、もうお腹一杯。茶の露地としては、石造物が多すぎるのではないか、というのが正直な感想。

重要文化財に指定されているものは次の三つ。

□ 八角型石灯籠(西陣、報恩寺伝来)
敷地の一番奥、看大の広間、続き間の六帖の奥に据えられている。鎌倉時代中期の作で、報恩寺形の本歌。京都系石灯籠の代表作。下から上までそろった完存品であることも貴い。

□ 六角型石灯籠(大阪、鴻池家伝来)
石灯籠で重要文化財に指定されているものは、数十基あるが、基本、全部社寺の所蔵で、個人蔵は二基のみ、その両方ともが四君子苑にある。この灯籠は鴻池家伝来で、鴻池では、庭石、灯籠にいたるまで茶道具として気を配ったものらしい。


□宝篋印塔「鶴の塔」
宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、中国の呉越王銭弘俶(948-978)が延命を願って、諸国に立てた8万4千塔(金塗塔)が原型だとされ、インドのアショーカ王が釈迦の入滅後立てられた8本の塔のうち7本から仏舎利を取り出して、新たに銅で造った8万4千基の小塔に分納したものだといい、日本にも請来されて現在国内に10基ほどあるそうです。(写真は奈良国立博物館HPより転載)


石造の宝篋印塔は銭弘俶塔を模して中国において初めて作られ、日本では鎌倉初期頃から制作されたと見られ、中期以後に造立が盛んになった。銭弘俶塔の要素を最も残すのが、ここの宝篋印塔別名「鶴ノ塔」とされる。

たくさんある石造物の中からどれか一つを選ぶとしたら。ひとつに決めるのは難しいが、個人的に欲しいのは、玄関の延べ段の金棒石かな。奈良に作る家の門から玄関にいたるアプローチに、こんな石が使えたら最高。

改めて庭の動線を見てみると、あちらからこちら、こちらからあちらへと飛び石があり、どのように茶事で使ったのか、を想像するのも楽しい。「京•四季の茶事」によれば、各茶会、茶事で、次のように部屋を使っている。

観桜の茶  寄付、本席(広間)
大文字の茶 寄付、洋室、懐石(仏間)、本席(広間)
名残の茶  寄付、本席(小間初座)、本席(小間後座)
紅葉狩の茶 寄付、本席(小間)
年賀の茶  寄付、洋室、本席(仏間)
還暦の茶事 寄付、本席(小間)、本席(広間)
古希の茶事 寄付、本席(小間初座)、懐石(広間)、本席(小間後座)、続き薄
喜寿の茶事 寄付、本席(小間)、広間席
傘寿の茶事 寄付、本席(小間)、広間席
(「古希の茶事」は正式には「古希、金婚式、美術館開館記念の茶事」)

寄付は寄付としか書いていないので、数寄屋棟の玄関の寄付のことだと思うが、畳二帖の小部屋なので、人数が多い時は、洋室を寄付として使ったのでは、と思う。小間を使わず、広間のみを使った場合の動線が気になるが、案内図を見ると腰掛待合から広間へ続く飛び石もあるので、そのルートを使うこともあったのかもしれない。仏間から広間へ行くときなどは、池にかかる橋を使ったのだろうか。見るからに華奢な石橋で、中央で飛んだら折れそうなくらいだが、一度渡ってみたい。腰掛待合から小間にいたる露地も実際にあるいて、その景色を感じてみたい。


見学の時に配布されるパンフレットより。珍散蓮の舟の間、忘筌写しの障子は西向きで、近くにあるモミジが紅葉した秋、西日に照らされると、障子にその様子が映し出される。風でも吹けばゆらゆらと揺れる様まで写しだされ、それは美しい景色なのでは。一度見てみたいし、いつかこうした仕掛けのある茶室を設計してみたいとずっと思っている。造園屋さん達には「いつかこれをしたい」と伝えておいたので、その時には抜群のヤマモミジをこんな感じに植えてもらいたい。