シンガポールのアパートのベランダに石庭を作った。プランター置き場だったところに、砂利を敷き、富士石の景色を五つ配しただけのシンプルなものだが、日が差し込むと面白い表情を見せ始めた。


南国の太陽が高い角度から差し込むと、ガラスの手摺を透過した光とともに三筋の帯ができ、思いがけず美しい景色を展開する。


朝には低い角度から差し込み景石は砂利の上に影を延ばす。刻々と変化する様子は見ていて本当に飽きない。


スコールが降り、風が吹き、雨が舞い込む。何もなかった時には「ただバルコニーが濡れるだけ」だったのに、石庭があることで、雨の跡が情緒的に見えるから不思議だ。


躙り口をくぐり茶室の中の静寂な世界に入った時、それまで気づかなかった虫の音、鳥の声が、急に感じられて驚くことがある。障子に貼られた手漉きの和紙は、雲の移り変わりや、葉が風に揺れる様を、美しい映像として伝えてくれる。石庭も、茶室も、自然をより繊細に、情緒的に感じるための装置、という面があるのではないか、と感じている。

シンガポールに来て改めて思うのは、日本の自然の美しさと恐ろしさだ。いつきてもシンガポールは夏。太陽はほぼ決まった時間に登り、沈んでゆく。地震もなければ、台風もない。暑いとは言え、京都の酷暑よりは断然過ごしやすく、一年が穏やかに過ぎてゆく。

一方日本は、夏は生命の危険を感じるほど暑く、冬は凍えるほどに寒い。地震は頻発し、台風は色々なものを吹き飛ばし、津波は建物を根こそぎ奪ってゆく。多くの自然災害と向き合わなければならないが、日本には四季折々に美しい景色があり、旬の美味しい恵みがある。春には様々な花々が咲き誇り、夏の暑さを様々な工夫でやり過ごせば、実り多い秋がやってくる。紅葉の美しさを遠い昔から様々な形で愛でてきたし、冬は寒いが雪景色はまた格別だ。

そんな美しい四季を、日本人は歌に詠み、絵に描き、日常生活の様々な場面に取り入れ、多くの自然災害を恐れながらも、美しい文化や芸術に昇華し、その恵みを享受してきた。日本人はそうして自然と共に生きてきたし、これからも、そのようにして生きていくしかないのだと思う。住まいの設計に携わるものとしては、安全で快適な家にしつつ、なおかつ、自然の美しさ、恵みを享受できるような住まいを作っていければ、とシンガポールで思いを新たにした。