公開を楽しみにしていた映画「日々是好日」。映画を見るにあたって、原作を読んでおこうと文庫本を購入した。次回のシンガポール出張中に読もうと思っていたが、パラパラとめくっている内に、ついつい引き込まれ、出発前に読了してしまった。


「タダモノではない武田先生」が、私の習った先代の先生に重なり、当時を思い出しながら、感慨深く読み進めた。先生には本当にたくさんのこと、生きる上で大切なことを教えていただいた。お茶にかかわるエピソードを読みながら、先生のお稽古を思い出し涙し、読みつかえながら、それでもあっという間に読了した。

読みながら、さすが作家、という文章にいくつも出会った。自分の経験した、ある体験を、記録として残したり、誰かに伝えるには、文学的な文章が書けなければ、複雑な深みのある体験は上手に伝わらない、ということがよくわかった。原作では、さまざまな気づきが素敵な文章とともに紹介されていたが、自分の場合は、悟りを開くかのような、劇的な気づきはそれほどなかったような。それよりも、小さな学びの蓄積を少しずつしているような感じ。まだそうした気づきの段階に到達していないのかもしれない。

タダモノではないと言われた武田のおばさん、著者がお稽古を始めた時、44歳だったとか。今の私とちょうど同じ歳。その年齢で「タダモノではない」感が出ていたというのは、すごいことだと思う。お辞儀ひとつでそれが表されていたということだが、お稽古で学んだことを、普段、日常生活の中で実践しているかどうか、が大きな差になっているのだと思う。お茶のお稽古は、お稽古の時だけ。日常生活は別、というのではなく、生活すべてが、人生すべてがお茶であるという、そういう覚悟のある人が「茶人」なのだと思う。

私の先代の先生も、人生をお茶に捧げた茶人だったのだと思う。ちなみに拙ブログのカテゴリ「お茶のお稽古」は現在記事数436、先代の先生が他界されるまでのブログ記事は79だった。できればもっとたくさん先生のお稽古を受けたかったが、当時の記事を読み返してみると、先生からいかにたくさんのことを学んだかを改めて思う。禅語、花、和歌、漢詩、陶芸などはもちろん、先生は私に向けて、特に茶室に関することを教えてくださっていた。先生からは時々お稽古中に宿題が出されて、それを調べるのも本当によい勉強になっていた。「楽家が灰器をつくりはじめたのは、何代目からでしょう」という宿題は、いまだ未提出。早く調べて報告しなきゃ。

今でもお稽古の度に、お仏壇の前の写真に手を合わせ御挨拶しているので、なんだか今でもいつも会っているような感じがしているが、本当に残念なことは、設計をした茶室を先生にひとつも見てもらえなかったこと。今こうして茶室の設計の仕事をさせていただいているのも、先生とのご縁があったからこそ。せめて自分のために作る茶室の茶席披きの時だけでも、戻ってきてくださらないかな。

すっかり先生との思い出に浸ってしまったが、映画が楽しみ。また見終わったら感想を書いてみたい。