憧れの茶会、光悦会についに行ってきました。


奈良の茶室の建築主、Kさんに臨時会員の券をご用意いただき、ご一緒させていただきました。Kさん、有り難うございました。


紅葉が始まった美しい庭の中、東京席、名古屋席、京都席と廻り、瓢亭の点心をいただいてから、大阪席、という順番で廻る。各地の道具屋さんが張り合うようにやるのかと思っていたが、結構入り乱れて、お道具屋さんたちが横の繋がりのなかで和気あいあいとやっている感じで、興味深かった。実際の商売でも、業者間のやりとりは頻繁なのだろうと思う。

寄り付きでお菓子とお茶をいただき、本席では道具をじっくり拝見する、というスタイル。基本的に道具は手に取れないが、限られた主茶碗などは、拝見に廻してもらえる。

境内に点在するたくさんの茶室については、基本的に大正期のもの。高橋箒庵ら当時茶人が設計したものや、どこからか移築したもの、後で手を加えたもの、などのようだ。本席と寄付が準備され、書院を多用して多くの道具が飾られるようになっていたのが印象的だった。岡田孝男著「京の茶室」によれば
「これらの茶室の多くは大正の初期に建てられたものなので古建築としての興味は薄いが、実際によく使われている現役茶室として別の意味の興味を覚える。(中略)これらの茶室は光悦会の茶会などのときにたくさんの客を相手にするという特殊な目的を持っているから、普通の家庭に建てる茶室とは多少趣きを異にする点も注意すべきではあるが、それにしても現役の茶室として模範とするに足るところも多いと信じる。」としている。

今回、個人的に特に印象的だったのは、名古屋席、太虚庵の本席。中柱のない三帖台目は少しイレギュラーな感じだが、床の間には、伝藤原公任筆石山切伊勢集。「(ふしみにて)なにたちて ふしみのさとと いふことは もみぢをとこに しけばなりけり」。床の間右手、墨跡窓からの柔らかい光で、料紙が美しく輝き、見る角度によって、その表情ががらりと変わり、それがまた字の美しさを引き立てる様子を体験できたのはとてもよかった。ちなみに書籍の写真を見ると以前、床脇は畳敷きで、墨跡窓がなかった様子だが、後の改修で墨跡窓を作ったようだ。この様子を見れば、するべき改修だったように思う。花入は大名物、三冊本所蔵、青磁、蕪無。秀吉が北野茶会で用いたもの、伝来は引拙、紹鴎、信長、秀吉、家康、永井信濃守。美術館のガラスケースの中で見るのではなく、実際に茶室の床の間に花が生けられた状態で見る、というのは、全然印象が違うもので、まさに眼福であった。お道具屋さんのストーリーのある解説も楽しく、特に印象的な席だった。

茶室、大虚庵は大正四年(1915)土橋嘉兵衛氏によって寄付、速水宗汲がその設計を引き受けたもの。現在、客入り口は躙り口になっているが、もともとは障子三枚立ての貴人口だったらしい。光悦会では大人数の客をさばかないといけないし、今回席中では、少し光りが足りないから、とお道具屋さんが障子を開けたりしていたが、貴人口のままであれば、障子紙越しの柔らかい光で明るく、より雰囲気もよかったのでは、と思う。ということで、こちらは躙り口に改変するより、元のまま、貴人口がよかったのでは、とも思う。

全体的に茶室は、光悦会で大勢の客に道具を見せ、客の流れをうまくさばくために、いろいろ工夫されたり、改変されたり、という印象で、小間の茶室の佇まいという意味では、少し散漫なものが多いような感じだった。

先日、大徳寺で松平不昧が再建した直入軒や山雲床で、不昧所縁の道具を拝見するという僥倖を得た。建物と道具の一体感、世界観の素晴らしさを体験したところだったので、それにくらべると、大正期の茶室はそれなりの時間がたってはいるものの、道具に比べると茶室の印象が弱いように感じた。床の間廻りに古材をいれる、というのは、時代を経たお道具を使う上で、結構重要なポイントであるのでは、という考えを新たにした。

お道具で気になったのは、炉縁。四席中三席が久以の沢栗で、またかという感じだった。炉縁は使用後洗って、うづくりになったところが鑑賞のポイントという解説だったが、古材としての味わいはそれほど特別なもののような感じがしなかった。というのも、先日あるお客様からのご依頼で、面白い炉縁を大工さんに作ってもらったところだったので、そちらのほうが、よっぽど面白いのではないか、と思ったり。伝来のある古いお道具は貴重なものだが、数は限られ入手は難しい。創意工夫で、新しいお道具を職人さんと一緒に作る、というのも楽しく、設計者としては、お客様と職人さんを繋げる、そんなお手伝いもできれば、と考えている。