2007年06月12日

岳友との出会い

1978年8月文登研一般山岳団体指導者夏山研修会は
小西政継氏、寺西洋治氏、島田靖氏、松本憲親氏との出会いであった。


<出会いと別れ>

小西氏との最初の出会いは1969年3月であった。
私が穂高・屏風岩東壁緑ルートを登って下山中のこと、釜トンネルで
山岳同志会20数名の先頭を歩く入山中の彼に出会った。精鋭揃いのその
グループはヒマラヤ遠征に向けて、冬の滝谷でトレーニングをすべく向う
途中であったが、規律正しい軍隊のようにも見えた・・・
2回目の出会いは1970年12月で、私がヨーロッパアルプス・グランドジョ
ラスウォーカー稜の冬季初登攀を目指して、仲間1名と渡欧していた時
だった。シャモニで同じくウォーカー稜に狙いを定めた山岳同志会6人の
メンバーに出会うが、その中の一人が小西氏であった。

その後、小西氏は登山用具関係の仕事をしていたために、展示会やらで
度々顔を遇わすことが多くなり何度か私の店へも訪ねて来てくれた。
1996年の初秋だったと思う、小西氏の何度目かの来店時に、彼は3冊の
コミック本を携えてきた。
「僕のことがマンガになったので読んでください」とプレゼントしてくれた。
”氷壁の達人”というタイトルで神田たけ志の描く小西政継氏の山に賭けた
厳しく激しい半生がそこにはあった。
「有難う、小西さん、早速拝読させてもらいますが、この3冊にサインを!」

その後、彼と二度と会うことが出来なくなってしまった。
それから幾日も経たない10月1日、ネパール・マナスルを登頂しての下山中に
行方不明となってしまったのだ。

研修会で出会ったもう一方の寺西氏とは、数度顔を遇わせただけではあったが
彼は日本を代表するクライマーであり、私とは同年代ということでとても親しみ
を感じていた。だがその彼も、1981年7月23日、中国のゴングルーブでやはり
行方不明となってしまった。  

2007年06月05日

山とは・・・

著名なアルピニストの名言

初夏の山の感触は、
食べつくしたくなる果物のいとしさのように、
およそ感覚的なものである。
官能的な印象である。

  村井米子<山の明け暮れ>




おっちゃんの迷言

山の美しさは、山の機嫌の良いときには誰にでも分かる。
だが真の美と恐さは、山に精通したものでも
なかなか分かるものではない。

  

2007年06月03日

岳友との出会い

1977年5月文部科学省登山研修所大学山岳部リーダー春山研修会では
十数年来の朋友である「コンチャン」こと近藤邦彦氏と、剱岳を舞台に
一週間を共にすることになる。

コンチャンとは、2人で「チーム・チャランポラン」を結成しているが、
今までも当ブログには再三登場して来ている彼には、これからも度々の
出演を願わねばなるまい・・・
何しろ我が山人生に於いて、彼抜きでは語ることが出来ない話しが正に
山ほどあるからで・・・(少し寒いかも・・・

さて、大抵は珍道中をしている2人だが、ある時ネパールに出かけた途中
での話しである。
バンコックの海鮮料理店でのこと、私とコンチャンの共通する大好物と
言えば魚と果物なので、先ずは大きなロブスターと果物を注文した。
テーブルには豪華な夕餉が次々と運ばれてきた。その中にはぴかぴかの
大きなステンレスボールにお茶がなみなみと注がれ、レモンの輪切りを
たっぷり浮かせた物も置いてあった。
ここの料理店はお茶の出し方も変わっている・・・?この時はそう思ったが、
勿論今ではボールのお茶は手を洗うためのものであることは分かっている。
その時、ボールのお茶を飲んだかどうかは2人の名誉のためにも触れない
でおこう・・・
ちなみにロブスターと言えば、まるで古タイヤに噛み付いているような味と
感触だった。

こんな若き2人の山行途中での珍妙な出来事は数えたら切りがない。