2009年12月26日

山とは、自然とは・・・

いつだったか、カレンダーにあった”一言”にやたら感銘し
メモってあったのを思い出した。

  山高き故に 貴からず
         樹あるを以って 貴しとなす


地球温暖化が憂慮されだして久しい・・・
そして、時間ばかり取られ大儀掲げ議論をした筈(?)なのに、一向に進展が
見られなかったCOP15。
人間が環境を破壊していることをもっともっと認識しなければならないのに。。

それでなくても各国各地で見られる大小の地震は、地球の歴史規模でいけば
次から次と間断無く起き、まるで地球そのものが悲鳴を上げているのかも
知れないし・・・

なんて、ちょっと憂えてみたりして・・・(゚∀゚)アヒャ Σ( ̄ロ ̄|||) 






  

2009年12月17日

言葉の真意

先ごろ、新聞のとあるコラムに「言葉の真意」というタイトルで興味深いことが書いてあった。
一部抜粋すると、"先生向けに記入文例集なる本が出版されており、例えば性格について、「落ち着きが無い」は「行動的な」、「がんこな」は「自分の意見を持っている」「意志が強い」、「騒がしい」は「活発な」、「いいかげんな」は「こだわらない」、「いばっている」は「自信に満ちている」" などとなっている。
表現の仕方一つで良くも悪くもなるということか・・・

何事も多面性があり、ちょっと角度を変えてみると全く違うことが見えてきたりする。
自分の目は信じるけれど、その目が曇っていては論外だが、真っ直ぐだけしか見られないとなると、つまり「誤解」してしまうことも往々にしてあるということだ。とても考えさせられる・・・

これは言葉ではなく行動においての”ある誤解”だが、超満タンの駐輪場でのこと、手荷物を前かごに入れて自転車を通路に出そうと両隣の自転車を少し押しやりやっとのことで引っ張り出すと、右側の自転車が倒れてきたので慌てて右手で押さえた。すると次は左側の自転車が向こう側へドミノ倒しになりそうになったので咄嗟に空いている左足で止めた。ホッとした瞬間、傍を通りかかったのであろう子供2人が「足で邪魔な自転車を蹴っている!」と言ったのだ。恐らく足で止めたところを見たのであろうが、こちらの意図しないことをほんの一部だけ見て、さもありなんの結果を出されてしまう恐ろしさを実感した。。と言うと大袈裟か・・・

ふと、問題になっている「冤罪」について思いを巡らしてしまった。
目撃者がいてもそれが全て真実とは限らない、物証があってもどんな経緯でそこにあるのかはよくよく調べてみないと分らない。
日常に於いての他愛の無いことでも行き違いや誤解が山ほどあるのだから、事故、事件等の当事者に不幸にしてなってしまったら、”人が何と言おうと自分が正しければ良い、他に恥じることが無ければ良い”などと言ってられないなと、空恐ろしい気分にさせられた・・・
天知る、地知る、人知・・・らないではやはり困るのだ。。。