2010年01月26日
冬山研修再開
大学山岳部リーダー向けの冬山研修が再開されます。
雪庇崩落事故より10年。
訓練中の学生2人が死亡してからずっと休止されていましたが
この3月よりやっと再開されることになりました。
遭難しないための技術を少しでも多くの方がマスターし
より安全な登山が出来ますよう、後輩たちに伝え教え学んでください。
これからの発展を心から願っております。
2010年1月25日の讀賣新聞夕刊14面に
「大学山岳部向け冬山研修再開へ」という見出しを見付けた時は
正直、やっとこれで区切りが付いたか・・・と思いました。
10年。。この間には遺族側と国の損害賠償訴訟が長期化しそして和解
した後、冬山研修会再開に向け安全性構築のための時間が費やされ、
やっとこぎ着けた長い時間でした。
今後は大雪渓崩落のメカニズムを知るために、雪氷学者先生と協同で
大雪庇を掘り起こして研究を続けていきたいと思っています。
また昨年と同じく4月20日過ぎから立山室堂で調査の予定をしております。
雪庇崩落事故より10年。
訓練中の学生2人が死亡してからずっと休止されていましたが
この3月よりやっと再開されることになりました。
遭難しないための技術を少しでも多くの方がマスターし
より安全な登山が出来ますよう、後輩たちに伝え教え学んでください。
これからの発展を心から願っております。
2010年1月25日の讀賣新聞夕刊14面に
「大学山岳部向け冬山研修再開へ」という見出しを見付けた時は
正直、やっとこれで区切りが付いたか・・・と思いました。
10年。。この間には遺族側と国の損害賠償訴訟が長期化しそして和解
した後、冬山研修会再開に向け安全性構築のための時間が費やされ、
やっとこぎ着けた長い時間でした。
今後は大雪渓崩落のメカニズムを知るために、雪氷学者先生と協同で
大雪庇を掘り起こして研究を続けていきたいと思っています。
また昨年と同じく4月20日過ぎから立山室堂で調査の予定をしております。
やまっこブログが出来ました
”愉快な仲間・真剣に遊ぼう”をモットーに
会や組織に属さずに個人で出かけたり楽しんだりしている人達が
自由にそして安全に、また安心して出かけられるようにを信条として
やまっこが出来ました。
たまには一緒に山行きを楽しんだり集ったりと、
人生経験豊富で素敵な紳士淑女たちの、その時々に展開される愉快な出来事、
情景等の写真もUPされた楽しいブログです。
↓
こちらです。
会や組織に属さずに個人で出かけたり楽しんだりしている人達が
自由にそして安全に、また安心して出かけられるようにを信条として
やまっこが出来ました。
たまには一緒に山行きを楽しんだり集ったりと、
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2010年01月25日
滋賀岳連やまっこ遭難騒ぎ
やまっこ留守本部の対応
”1/23(土) 夫婦2人の日帰り山スキー登山。登山口:岐阜県坂内川上より土蔵岳へ。上原谷を滑降しラウンド登山にて登山口へ下山。早朝よりの予定所要時間7H。ビバーク用装備、予備食糧携帯”
このような内容の計画書が出されており、大抵は下山報告がその日のうちに入るのだが、今回はまだ無かった。
24日朝、連絡が取れなくて眠れなかったであろう家族より心配の声が上がり、警察へ届けて欲しいという依頼が留守本部へ回って来た。
前後して、常に山行時には当方へ登山届けを出して行く、岳友でもあるW夫妻より登山届け変更の連絡が入った。
生憎この日は、会長初め主だったやまっこ会員が入山中であったため、W夫妻に先の夫婦が置いているであろう車の確認のために、登山口へ回ってくれるよう依頼すると、快く引き受け確認後もそのままずっと待機をしてくれたのだ。
登山道には、24日早朝から入山をしたと思える幾組かの足跡が残っており、その中に土蔵岳までの予定者があるということなので、その帰りを待ち情報を得ようという算段であった。
人手も無く現場まで行けない身には実に有難いことだった。
さて、不明中である彼らの今までの山行状況から、今暫く待つ余裕はあるが、家族の心配と万が一の事も想定し、先ずは最寄の警察へ届けを出すことにする。
県境地域ではあるが、登山口、ルート等からすると岐阜側になるので揖斐警察に捜索願いを依頼する。
留守本部対策としては、現地で待機しているW氏よりの報告を待ちつつ、警察からの情報を元に、実際に入山行動が出来る人員の準備を岳連側とやまっこ側の両方から進める。
そうこうする中でじりじりとした家族側から、居住区である彦根署へ遭難届けが出され、地元に当たる木之本署から応援として登山口へ10数名が駆けつけたという。
もちろん岐阜側の坂内からは、地元の消防隊員とボランティアの方々併せて30人ほどが現地に集合され、ここ一番に対処すべく準備をしてくださったと聞いた。
しかし、警察からはヘリが飛ぶも何の情報も得られず、本日の入山者が帰るのを登山口で待つのみではあったが、今にひょっこり帰って来るのではと期待もしていた。
午後3時ごろ、これ以上待てないので現地に駆けつけると言う家族側が車で向かう途中、警察より ”本人達の自力下山” 一報が入る。
さてさて、県警ヘリは飛ぶワ、警察各所よりの出動や現地の方々の協力体制と言い、マスコミのヘリまで飛び交い、取材電話が次々と入って来たりと、これだけの人々を巻き込む大騒ぎとなってしまったのだが、何はさておき、当事者達の無事は非常に喜ばしいことであった。
帰れなくなり連絡も出来なかった原因は、帰りのルートを誤ってしまい一晩やり過ごしたが、携帯電波の届かぬ所で連絡がつけられなく、やっとのことで本日帰り着いたということであった。
何よりも幸いしたのは、今回はしっかりとした装備、危急時に備えての用具、準備。そしてきっちりとした登山計画書が提出されていたことだ。だからこそ、スムーズに対応が出来たのである。
「あそこの山に行っているのは分るけど・・・」くらいでは、留守を託された方には何も把握出来ないことばかりで、困惑してしまう。
やはりしっかりとした計画書をきっちり関係者に提出しておくと言うことを忘れてはならないのである。
また今回、一報があった時に遭難か否か、つまり日帰り山行の流れの中で単に帰りが遅れただけと受け流すかではあったが、正直万が一の出来事に出遭っていた場合は一刻も早く手を打つべきであり、当日は天候がそんなに悪くも無いので視界が利くうちにヘリで確認をすることは、いざ現場へ踏み出す際には非常に有効であると考えた。
例えが古くて恐縮だが、かつてはどのような山行でも予備日を必ず幾日間設定していたものだ。
私が穂高より立山まで山スキー縦走をした時は、全行程14日間で予備日を10日間取っていた。
実際に費やした期間は、沢渡よりスキーで歩き始め途中スキー板を担ぎ北尾根を攀り立山千寿ヶ原に下山と相成ったのは19日間であったが、留守本部は何の動きもしなかった。4日間も予備日に喰い込んでいたにも関わらずだ。そう、予備日は10日間あるのだから、それを消化して何の連絡も無い時に始めて行動を起こすというのがその頃の定石であった。そんな訳で予備日は常に多めに設定していた。
だが、最近ではこのような計画は通用しなくなっている気がする。あまり予備日は取らないようだ。
山行に当たっては、全てに余裕を持ち(装備、登山計画はもちろん、自己体力、周囲への配慮等も含めて)他力本願にならぬよう心がけるべきと心得たい。
いつの時も、計画予定日に下山報告がなければ即捜索か、あるいは予備日いっぱい待っても下山しない時に捜索行動を起こすかは、議論の余地が大いにあるところだが、なかなか見極めは難しく、その都度考えさせられる課題であろう。
しかし、万が一の場合の後遺症無き早期社会復帰を考えると、特に冬山ではヘリでの救助は絶対、必要不可欠だと思う。更に言えば、救助依頼のタイミングを失ってはならないと言うことである。
”1/23(土) 夫婦2人の日帰り山スキー登山。登山口:岐阜県坂内川上より土蔵岳へ。上原谷を滑降しラウンド登山にて登山口へ下山。早朝よりの予定所要時間7H。ビバーク用装備、予備食糧携帯”
このような内容の計画書が出されており、大抵は下山報告がその日のうちに入るのだが、今回はまだ無かった。
24日朝、連絡が取れなくて眠れなかったであろう家族より心配の声が上がり、警察へ届けて欲しいという依頼が留守本部へ回って来た。
前後して、常に山行時には当方へ登山届けを出して行く、岳友でもあるW夫妻より登山届け変更の連絡が入った。
生憎この日は、会長初め主だったやまっこ会員が入山中であったため、W夫妻に先の夫婦が置いているであろう車の確認のために、登山口へ回ってくれるよう依頼すると、快く引き受け確認後もそのままずっと待機をしてくれたのだ。
登山道には、24日早朝から入山をしたと思える幾組かの足跡が残っており、その中に土蔵岳までの予定者があるということなので、その帰りを待ち情報を得ようという算段であった。
人手も無く現場まで行けない身には実に有難いことだった。
さて、不明中である彼らの今までの山行状況から、今暫く待つ余裕はあるが、家族の心配と万が一の事も想定し、先ずは最寄の警察へ届けを出すことにする。
県境地域ではあるが、登山口、ルート等からすると岐阜側になるので揖斐警察に捜索願いを依頼する。
留守本部対策としては、現地で待機しているW氏よりの報告を待ちつつ、警察からの情報を元に、実際に入山行動が出来る人員の準備を岳連側とやまっこ側の両方から進める。
そうこうする中でじりじりとした家族側から、居住区である彦根署へ遭難届けが出され、地元に当たる木之本署から応援として登山口へ10数名が駆けつけたという。
もちろん岐阜側の坂内からは、地元の消防隊員とボランティアの方々併せて30人ほどが現地に集合され、ここ一番に対処すべく準備をしてくださったと聞いた。
しかし、警察からはヘリが飛ぶも何の情報も得られず、本日の入山者が帰るのを登山口で待つのみではあったが、今にひょっこり帰って来るのではと期待もしていた。
午後3時ごろ、これ以上待てないので現地に駆けつけると言う家族側が車で向かう途中、警察より ”本人達の自力下山” 一報が入る。
さてさて、県警ヘリは飛ぶワ、警察各所よりの出動や現地の方々の協力体制と言い、マスコミのヘリまで飛び交い、取材電話が次々と入って来たりと、これだけの人々を巻き込む大騒ぎとなってしまったのだが、何はさておき、当事者達の無事は非常に喜ばしいことであった。
帰れなくなり連絡も出来なかった原因は、帰りのルートを誤ってしまい一晩やり過ごしたが、携帯電波の届かぬ所で連絡がつけられなく、やっとのことで本日帰り着いたということであった。
何よりも幸いしたのは、今回はしっかりとした装備、危急時に備えての用具、準備。そしてきっちりとした登山計画書が提出されていたことだ。だからこそ、スムーズに対応が出来たのである。
「あそこの山に行っているのは分るけど・・・」くらいでは、留守を託された方には何も把握出来ないことばかりで、困惑してしまう。
やはりしっかりとした計画書をきっちり関係者に提出しておくと言うことを忘れてはならないのである。
また今回、一報があった時に遭難か否か、つまり日帰り山行の流れの中で単に帰りが遅れただけと受け流すかではあったが、正直万が一の出来事に出遭っていた場合は一刻も早く手を打つべきであり、当日は天候がそんなに悪くも無いので視界が利くうちにヘリで確認をすることは、いざ現場へ踏み出す際には非常に有効であると考えた。
例えが古くて恐縮だが、かつてはどのような山行でも予備日を必ず幾日間設定していたものだ。
私が穂高より立山まで山スキー縦走をした時は、全行程14日間で予備日を10日間取っていた。
実際に費やした期間は、沢渡よりスキーで歩き始め途中スキー板を担ぎ北尾根を攀り立山千寿ヶ原に下山と相成ったのは19日間であったが、留守本部は何の動きもしなかった。4日間も予備日に喰い込んでいたにも関わらずだ。そう、予備日は10日間あるのだから、それを消化して何の連絡も無い時に始めて行動を起こすというのがその頃の定石であった。そんな訳で予備日は常に多めに設定していた。
だが、最近ではこのような計画は通用しなくなっている気がする。あまり予備日は取らないようだ。
山行に当たっては、全てに余裕を持ち(装備、登山計画はもちろん、自己体力、周囲への配慮等も含めて)他力本願にならぬよう心がけるべきと心得たい。
いつの時も、計画予定日に下山報告がなければ即捜索か、あるいは予備日いっぱい待っても下山しない時に捜索行動を起こすかは、議論の余地が大いにあるところだが、なかなか見極めは難しく、その都度考えさせられる課題であろう。
しかし、万が一の場合の後遺症無き早期社会復帰を考えると、特に冬山ではヘリでの救助は絶対、必要不可欠だと思う。更に言えば、救助依頼のタイミングを失ってはならないと言うことである。