2012年02月28日

よもやま話し

”言葉の多面性”でも書いたように、思うこと言いたいことは多々あるのだが、
とても表現し切れるものでは無い、というより乏しい表現力では限界があり
何事も受け取り側次第というのが情けない話しである。

何処ぞやらの政治家のように、言葉のやり取りだけで難局を乗り越えようと
しないで、先ずは一つでも行動を。そして言葉の裏に隠された真逆の成り行き
(既に決定事項?)をさも議論と検証を重ねたかのように、あたかも正論で
あるかのような「ふり」をしないで欲しい。

まるでワイドショー並みの話しで恐縮だが、随分と前(10〜15年前?)の事で
状況等はうろ覚えだが、その時感じた違和感は未だに思い出す。
知り合いの山岳会の男性(50代?)が、残雪期の低山で滑落事故により死亡
した。同行者(女性40代)の証言が有り、自己責任に因る軽アイゼンの取り
扱いだったか装着していなかったかであったがここの所は記憶が定かで無い。
某新聞の地方版片隅に小さく載っていた、その記事を見た”違う山岳会”所属の
知人が「亡くなった方は直接知らないけれど、あの会も大変やったなぁ・・・」
と労いの言葉を世間話を交えて言っていた。
が、その後に「それよりこの二人っきりの関係が気になる・・・?」と
宣もうた。。^^;
数人のグループでの参加であり、たまたま後を歩いていた女性が状況説明を
しただけで勘ぐられるような話しでは全く無いのだが、こんな見方をする者も
居るのだとビックリしたものだ。
普段は優しげで紳士然とした人の口から聞いたので余計ギャップを感じたの
かも。
所謂「出来事」の真実は一つだが、それに繋がる事柄は発信者あるいは受け
取り側次第でどうにでも変わって行ってしまうのだなぁと妙に感心してしまっ
たものだ。