富樫 泰介(北海道青年国際交流機構)

 第9回日本青年海外派遣団中欧班は、幾多の先輩たちがしてきたように派遣50周年の集いを開催することができました。時は平成29年7月16~17日、場所は京都、メンバーの平均年齢は7475歳。おりしも祇園祭の華である宵山から山鉾巡行当日にかけての実施でした。集結した夜は当時のスライドを何度も繰り返し見ながら思い出話に時の経つのも忘れるほどでした。

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               京都での10名集合(筆者・正面奥右)       

 50年前の昭和42年は国際的には中東戦争が勃発し、国内では美濃部亮吉氏が東京都知事に、そしてミニスカートが流行し始めたといえばその時代をイメージできるかもしれません。 当時は7団103名、派遣のスタイルは行きが船、帰りが航空機というもの。わが中欧班の主要訪問国は西ドイツ、英国、ベルギーでしたが中東情勢の影響で、スエズ運河通行不可となったため、南回りコースから北回りコースに変更、横浜からソ連船バイカル号でナホトカへ、のち鉄道でハバロフスク、そして航空機でイルクーツク(バイカル湖)を経由してモスクワへ、そこからは鉄道で東欧諸国をめぐりウイーン入りするという超豪華かつ国の事業が始めて東欧圏に入る記念すべきものでした。1か月半の旅程で参加費はもちろん制服もスーツケースも支給という、現在では信じられないほどおおらかな時代でした。

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              50年前、総理府玄関の13人(筆者・右端)   

 団員は全国各地から選抜され、団長の菅野弘夫さんは(総理府参事官)後の東宮大夫。副団長の山下達雄さんは国立阿蘇青年の家課長。男性7人女性6人計13名ですが団長、 副団長と鮫田光夫団員は残念ながら亡くなっており現在は10名、国の代表だった自覚のもと国際的事後活動はもとよりそれぞれの地域で諸活動を継続しています。

 この団として自慢できるのは、会の名称と同じ回覧紙”あうとばあん”を帰国直後から各自回覧し近況を報告しながら50年間続けてきたことです。現在はなんと21冊目となっているので読み返すと「自分史」を知ることができます。そして5名以上参加の集いを、関東で21回、関西で11回積み重ねてきたという結束の強さであります。