医座寺住職の独り言

はじめまして医座寺住職の熊澤です。私の独り言をお聞き下さい。

わが桜の杜

 松山の冬は雪の積もることはなかったが、花のシーズン気温20度越えが何日も続けば、桜の木もたまらない大急ぎの開花となった。山を一色に染める山桜や従来のソメイヨシノが人々を優しく迎えてくれる。
わが桜の杜の品種は数えきれない。実生から育てた自慢の品種も、微妙に木の姿形花の色形と違いが楽しい。

 長年江戸の時代から君臨した染井吉野桜も、花の期間があまりに短く天狗巣病という厄介な病気もあって、
近年不満をもらす御仁も多くなった。どの時代も次なるヒーロー出現を期待するが、最近河津桜なる名花がたびたびマスコミで取りざたされる。静岡河津が誕生地、ソメイより開花が1ヶ月もはやく、それでいて寒さにも強く花持ちがいいとなれば、花好き桜犂のの日本人はたまらない。かく観光地も便乗したいところだ。この春も親戚の者から伊豆に行って来た見事だったと報告があった。触発されてわが寺も桜の杜や境内地に近年植樹に努めている。

 仏教用語に「散華」(さんげ)がある。辞書には仏の供養をするために華を散布するとある。第2次大戦で戦死された方々を悼み散華されたと表現した。日本人の無常観と相まって散り際の潔さを拡大解釈したものだ。
本来の意味はお釈迦様ご在世の時代、ある日ある時天から無数の花びらが舞い落ち人々を驚かせたことがあった。不思議に思い高僧に何故?を尋ねた。高僧は過去世こうした瑞相が現れた時、必ずやお釈迦様のご説法が行われたと説いた。その言葉通り御仏は出現し今に仏典に残る法を説かれたのでした。

 現在では、日本仏教かく宗派このエピソードを取り入れ、堂宇の落慶や仏像の開眼法要などに、多くの散華師が金属製の華籠(けこ)を持ち、ハスの華に似せた花びらを散らせ、御仏到来をお待ちする習わしが定着している。道も清め堂内の荘厳も終えました。どうかどうか、心からのおもてなしで御仏をお迎えいたします。
ご遠慮なくお越しくださいますようにとの意、仏事・法要も小さな?が分かり始めると絵解き謎解きが進み、
ただ有り難い勿体ないの世界からレベルアップしたいものです。
 
 ソメイ中心の桜も満開のピークを過ぎ、現在境内のボタン桜(樹齢50年)が満開、杜も黄色い花咲く御衣黄
(ぎょいこう)や各種のサトザクラが満開です。



 

シイタケ女子会

 椎茸の種駒を植えて見たい!そんな家内の友人達のオーダーに応えて,会場提供と相成った。シイタケと言ってもまず原木が必要、わが寺の雑木山には様々な木々が育っている。昨年10月末クヌギや桜を必要量伐採、100日以上乾燥させての運搬となる。チエンソーで各1辰棒效破椰瑤鰐鵤隠娃伊棔クヌギは椎茸、桜はナメコ用。種駒の総数シイタケ菌1500個、ナメコ1000個。

 彼女たち(と言っても還暦過ぎたご婦人方)、来山前日原木にドリルで穴開け、当然駒数の1500個開けねばならないのだ。何でも祭には準備が必要なのです。当日は気温15℃くらいかトンカチ持参でやって来た。
女子会4人だと仕事が早い、ワイワイガヤガヤ2時間足らずで打ち込み全て終了。

 ついでにサプライズで、桜の杜に植樹をして貰った。毎年多い本数のなか枯れたり傷んだりがある。この日はさいわい新しい場所が出来たので、2辰痢岷情しだれ」他に河津桜2本用意した。記念写真も勿論パチリ。
キノコの発生は2年後となるが、この日は運よく別のほだ木にシイタケが出ていたので、自らの手で収穫して頂いた。2年のはずが今日のキノコ狩りには大喜び。スーパーに並ぶタッパーに入った小粒は見慣れているが、
傘が開いたりどんこ状態の本物には興奮、まるで鬼退治の宝物積んでのご帰還と相成った。応援有難う。

 翌日直ぐそばの雑木山にのぼると、自然発生のシイタケ6枚発見。久しぶりの感動をカメラにも収めた。4〜5年前に倒した大クヌギだった。あまりに木が大きく放置してあった、よほど条件が整わないと難しい。その昔は開墾して掘り出されたクヌギの株にも出た。小粒だったが味は良かった。現在の種駒が発明される前は、おが屑菌もあったのだが、さらに以前は何もなく原木にナタ目を各所に入れていたのだ。第2次大戦前大分でこの光景に出会った、京都大学農学部出身の研究者森喜作氏が、発奮10年の研究を重ねて今日の種駒誕生になったのでした。

 祈りの姿は尊い、天地自然の恩恵に対して祈りの極致となる。老人の祈りは、シイタケよお前が出なかったら、ワシが村を出て行かねばならないと!祈りの力は素晴らしい。そして尊いその姿が多くの人を動かせる。


河津桜咲き初める

 商売人がひそかに恐れるのが「にっぱち」つまり2月と8月のこと。年間通じて他の月と比べ売り上げが落ちるらしい。毎年のことだから仕方がないと諦めるか、ではどう対処するかで違いが現れる。商売人はともかくわが寺の2月は正月月以上に忙しい。とくに今年は寒暖厳しく長引いて、冷凍週間の繰り返しであった。雪は降らなかったが伊予弁で「こう寒うちゃ何もでけん 温(ぬく)なるまで待とやのう」と、ボヤキ節を何度聞いたことか。寒さの厳しさに自慢の「イヨカン」にも苦味が入ったとか、そんなニュースも飛び交うのだった。

 こんな寒さにめげずわが桜の杜の、河津桜が咲き初めました。昨年より10日遅れは致し方なかろう。いよいよ桜シーズン開幕です。この河津桜は花期が長い、染井吉野だとせいぜい1週間10日ていどだが、ややもすると1ヶ月近く楽しめるのだからすごい。静岡は伊豆半島河津町で発見されたそうだ。専門家は大島桜と寒緋桜系
との自然交配種と推定される。昭和41年発見だとするとすでに50年を経過する。最近の情報では宮崎県では
この桜苗を4600本植樹したそうだ。10年もすれば素晴らしい桜の名所が誕生することになる。

 わが医座寺の桜の杜計画も、来月植樹開始から満15年を迎える。何と早いものだ。堀江校区、堀江小学校の6年生が卒業記念に植樹を始めたのが初年度だから、彼らも27才の青年淑女に成長したことになる。負けず各種の桜も雄々しく生長著しい、歳月の過ぎ去る恐ろしさと経過の喜びが交差するのだ。

 今年も植樹する予定だ。河津桜を5本、畑に宿してある枝垂れ桜5本、他にも求めて計15本以上にはなるだろう。植えるのは桜の杜の補植と境内地に隣接する小高い山など、校区の方々や町民の笑顔に後押しされて花咲か爺さんも結構忙しい。

畑仕事

 正月行事はほぼ順調に推移した。年の瀬は開き直ってインフルエンザ予防もしなかった。罹れば休めばいい!かえって日頃の疲れも癒せるから、ところが、家内は風邪で1週間10日臥せった。息子もひーひーぜーぜーだったのに、我輩は風邪からも見放され、仕方なくはけ口を野良仕事に求めて、頑張らざるを得なかったのだ。

 睦月も半ば過ぎ、境内近く道路沿いの畑を耕していると、通りかかった人からお褒めの言葉を頂く、これもご挨拶の延長なのだが、応援の声に励まされ気を良くし働き過ぎになった。日頃遣らない肉体労働は生かな筋肉をむしばむ。翌日から筋肉の痛みに加え偏頭痛も加わった。これでは無理と半日テレビの前でごろ寝して過ごした。どこかゆったり温泉にでも浸かってと、それとなく誘いをかけて見るが、家内の重い腰はそのままである。それでも3日目になればいくぶん身体も慣れて、日本人特有の済ます・こなす・一区切りの根性論が勝ることとなるのだ。

 畑仕事をしていると挨拶にやって来る小鳥がいる。ジョウビタキだとおもわれる、翼に白い班があり腰が橙色をしているから♂かも知れない。畑から掘り出される小虫が目的。ときには1メートル足らずまで近づくことがあり、ガードレールに脱いだ上着の上に陣取っての催促も可愛い。好物はコガネムシの幼虫、見付ければ投げてやるのだが、土と同じ色をしていると分からないことがある。暖かければ虫もすぐ動き出すが、寒いと丸まったままじっとして動かないだから食われない。2~3匹も食べれば十分だと思う。他の人が来るとすかさずいなくなる。たわいない野鳥との戯れも楽しいものだ、

 明後日(24日)予報では寒波襲来、気温も高いのが4度最低はマイナス2度と報じた。南国伊予にとってはまことに厳しい、日頃寒さ慣れしていないから悪影響は免れないだろう。いちばん寒さに弱いミカン類はレモン系統だろう。ほぼ10年周期に巡り来る寒波、1品種に頼り切ればことごとく枯死させてしまった苦い体験を古老が語る。若者の耳にはこの天の声がなかなか届きにくい。わが家も守る物は守らねばならない。せっかく丹精込めて育てている木々をみすみす枯らす訳にはいかない。経験と勘働きを活かそうではないか。






外国人訪問

 クリスマスイブの24日、尼崎に住するオーストラリア人男性から、当寺の仏像拝観のアポが入った。どうにか調整出来そうなので翌日の午前9時を約した。当日は松山も寒かったが彼は時間よりも早く現れた。飼い犬もテツがやたら吼えるのですぐに分かった。大柄な男性が一人だけ、どんな方法で来られたのかと問うと、堀江駅から徒歩40分かかったそうだ。格別な挨拶は除いて、早速目的の「郷三世明王像」前に案内した。リュックから懐中電灯を出し了解を求める、勿論OK。

 10分以上熱心に観察されたようだ。像に関し格別な質問はなかった。不思議なのはカメラを持たないことだ、
日本人ならほぼ100%カメラに収めようとする。あとでお茶を飲みながら話すと、世界の仏像を拝観するのが趣味らしく、インド・中国・日本各地、目ぼしい所はほぼ行ったという。何処の国が良かったかと尋ねると、いちばんにインドを挙げた。次に行きたいのはガンダーラだと、私はまだ行っていないが、若い頃ニューデリー博物館で仏像の数々との出会いを思い出した。どれもが石像だが西方ギリシャ文化の影響が色濃く表現されている。日本人旅行者は旅の土産として押し売りされるのだが、祈りの対象でなく飾りアクセサリーと割り切れば、問題ないかも知れない。
 
 彼は別れの際に一言、仏教は中道を説くが、なぜご本尊の秘仏扱いが多いのだろう?言われてみるとなるほどとうなずける。ここはどうかと聞くから、ここは60年に一度のご開帳で、約40年前に行ったからプラス20年後ですと応えたら、オーノーと両手を広げた。彼との約束の後急な法要が舞い込んで、長く対応出来なかったのは残念だったが、自らの肉眼を信じての拝観に驚いたのと、目から鱗が落ちる思いにかられた。町まで来るまで送ろうかと言うと、歩くのもご修行とニッコリ微笑んだ。何だか久しぶりに本物の旅人に出会った気がした。
旅人に幸いあれ。

 今年もいよいよとなった。皆様にとりましても良き年となりますように。

悲喜こもごも

 全国障害者スポーツ大会(28〜30日)に合わせて皇太子さま御来県、昨日雨天のなか開会式が開催された。雨天に加え台風22号が迫って来る。今も雨が降ってときおり風も強まっている。誰もが晴天下でと祈るが、祈りがしばし届かないことが多々あるものだ。

 神無月の後半もう台風も来ないだろうと思っていたら、愛媛 松山に吹き荒れた21号の被害は大きかった。
境内の大イチョウ(樹高20m)の上部の枝が無数折れ、それが車庫や露坐の石像の地蔵さま(2m)の上に落ちたからたまらない。右手を痛め持っていた金属製の錫杖もひん曲がり、折れた石片を周囲の堀から探し出す、業者に頼めばいつになるか分からない。それなら自分でと、参拝者が気が付かない間に半日かかりの大騒動、こんなことがあるから予備の瓦も確保しておかねばならない。

 境内の外に設置してある自家製ボーリング井戸は、今回畑の路肩崩落で半分埋まった。土砂の量は素人が見積もっても2トン車5〜6杯分、町区の役員さんや市の防災関係者が、土砂やビワの大木を処理してくれるらしく安堵している。予備のポンプだから生活に支障はない。

 恐る恐る園地のミカンを見回ると、樹齢50年の大木が根元から真っ二つに裂けて、たわわに実っている晩成みかんが痛々しい。寄る年波の寿命を物語っているようだ。ご法事依頼に来られた近所の男性が、家内にうちも山小屋の屋根が飛んだ儂も齢じゃけん直さんでもええわい。そう呟いて帰られたそうな。誰もが願わくはわが家に良いことのみ迎えたい。同じ思いなのだがそんな我儘は決して許されない。南海地震の予想だって60〜70%に上昇しているのだから、次は我が身を思わねばなるまい。

 まさに今が旬の西条柿(渋)や富有柿(甘)がものの見事に落下してしまった。周辺も同様らしく木守柿もないようだ。先日この西条柿をキャリ箱2杯収穫してドライアイスで渋抜き、近所や知人に喜んで貰ったが、第2回めは無くなってしまった。辛うじて晩生の愛宕柿(渋)は残った。当地ではこれを干し柿にするのが風物詩、手間はかかるが霜月の半ばから皮むきが始まる。柿のれんが参拝者を喜ばせることだろう。










 

栄吾米収穫

 愛顔つなぐえひめ国体と銘打って、第72回大会が64年振りで、先月30日開幕10月10日まで、松山市の県総合運動公園陸上競技場を中心に各競技が行われた。前回の昭和28年(1953)第8回大会は、最初愛媛が会場の名乗りを挙げ最終四国四県開催に決着。戦後8年まだ予算も乏しくゆとりが無かったから、選択は正しかったのだろう。まだ近くの国道(196号)も舗装整備されてなかった。両陛下も24年振りの来県、宿泊は当然道後の「老舗旅館ふなや」だと思ったら、意外や意外全日空ホテルだった。夜歓迎の県民・市民が数千人、子どもたちの提灯行列にホテルの窓から手を振られるお姿がテレビにアップされた。後日来られた皇族の方は「ふなや」に宿泊なさったらしい。いずれにせよ関係者のご苦労は大変だったことだろう。今後も計り知れない経済効果が及ぶことだろう。最終結果は天皇杯・皇后杯いずれも2位は立派な成績と言えるだろう。

 医座寺が種子保存に努める幕末嘉永の米「栄吾米」(えいごまい)を10日収穫。収穫と言うととてもカッコいいが、貴重なモミダネの確保が目的だから、あまり大げさにも喜べない。ただ、再発見されてから40年ばかり守って来れたのは誇れることだ。願わくは昨年のようにネズミの被害に遭わないことを願いたい。

 松山市では今年が「子規・漱石・極堂」生誕150年祭で盛り上がっている。誕生の明治元年は栄吾米が発見されて20年に満たない時代。世にもてはやされる頃と重なる。この米は当時道後平野一帯で耕作され、後には関西一円に広がり高い評価でもてはやされたと言う。それなら彼らは間違いなくこの「栄吾米」を食し大成したことに矛盾はない。秋山兄弟もそうだ。学生時代子規が漱石を案内し、自宅で「おもぶり飯」を馳走した記録も、
主役は栄吾米であったろう。さらに漱石は松山中学で教鞭についたことからも、100%栄吾米を食したことは間違いないと言えるだろう。種子保存もただ守るのでなく、過ぎし歴史を睨みながら夢描かねばならない。

 この数日一気に秋が深まろうとしている。野良仕事もやる気十分なのだが、連日の雨には閉口する。
外がダメなら内の片付けがある。倉庫もよし堂内の片付けも、要らない物は極力捨てることにしよう。
なるべく広く使おう。雨も有り難い。その間に秋野菜は順調に育つことだろう。

台風一過

 台風一過今朝は後片付けに追われそうだ。鹿児島に上陸した大型の台風(18号)は、さらに進路を高知の宿毛に向け、松山方面も大変なことになると案じていたが、100个鯆兇昂辰澆留は水不足の松山にとって、石手川ダムの水量が50%強、玉川ダムは60%強、取水制限が続いていただけに、特に関係者は胸なでおろしたことだろう。
 
 わが家も天地の恵みに感謝です。園地の果樹も水を得てニッコリのはず、遊びの畑もこれで秋野菜の種まきができる。ただ誰もが作る品目は作らないのがモットー。あまり人様が作らない野菜を楽しむことにしている。
天邪鬼と言われればその通りと言っておこう。春夏秋冬この「遊び心」を大切にしたいものだ。そんなことから園地に高級ミカンの品種は皆無だ。究極植えっぱなしで実が生る品種を探すがこれが難しい。今のところ、柚子やカボス、スダチなど香酸柑橘が向いている。ただ中身で勝負無農薬を掲げても、顔である表面も傷だらけには閉口する。特に日本人は見てくれに弱い。あばたもえくぼは難しいのだ。

 そんなことを口実に園地を放任状態にしておけば、イノシシやハクビシンがわがもの顔でのさばるから頂けない。今年は甘柿の大木をまったく剪定せず農薬も一切かけず、生るがままに摘果もしないで放置した。何とたわわに実が生って見知らず柿の名もあるように、枝も折れるほどになったが、このところへた虫の影響か落ちる落ちるこれをシシ達は食するのだ。夜な夜な現れては運動会だ。駆け巡るものだから幼い苗木などひとたまりもない。

 ある知人は柵をめぐらせてと忠告するが、遊びに大金はたいて果たしてどうかと躊躇するのだ。その結果が
野の動物との共生の難しさ、こうしてボヤキ節になってしまうのだ。

 本日は敬老の日、宴に招かれたから午後参加することにする。その昔老人は棄老、食老と呼ばれ嫌われた。
棄てる対象であり、食うばかりの生産性なしと見られたのか、四国遍路だって本当は口減らしの死出の旅だったのだ。なかなか良い爺ちゃんにはご修行が必要な気がする。

大賀ハスの絵はがき

 春の彼岸過ぎに従姉妹たちと参拝に来られたご婦人から、自筆の「大賀ハス」開花を描いた見事な絵はがきを頂いた。あれはハスの株分け植え替えを終えた頃だった。残ったハスの苗を捨てるのは勿体なく思案中、貰って頂いたことを思い出した。それが咲いたのだと!!何だか嫁がせた娘の宅から吉報が舞い込んだような!
捨てる神もあり拾う神もおいでになるのだ。連日猛暑の日暮しに爽やかな有り難い知らせ。何でも植えればでは済まない。勿論好きだから出来るのだが、相手は植物まして水を切らせてはならないのだから、家族丹精の賜物だったとエールを贈りましょう。

 この春ニワトリ(地鶏)の「抱卵」を止めると決めていたのに、何羽もが場所を代え「すねる」ものだから根負けして、三羽の親鶏に20個ばかりの有精卵を持たせた。孵化するには21日かかる。生まれたヒナは可愛い。
1ヶ月もすれば親離れ子離れさせるが、ヒナたちも「ケンカ」も「イジメ」も知らないタイミングが好ましい。数が多いと案外寂しさを知らず泣き叫ばないものだ。ところが、1週間も過ぎると落ちこぼれか弱いヒナが出て来る。
放置すれば自然淘汰しかない。そこで野外に放した親鶏に弱いヒナを任せるのだ。もう仕事は終わったと近寄らない親鶏もいるが、実の親なのか育ての親なのか皆目分からないが、弱いはずのヒナが親(?)の愛情を独占して見る見る元気になり、食欲増進走り回るから不思議である。

 人間界では、生まれ落ちたばかりの、何ら罪とがのないみどり児が、へその緒ついたまま捨てられた。埋められた。見つかった。命に別状なく一命とりとめたと報じられた。人間が畜生界ニワトリの母性本能に学ばねばならないとは、ついボヤキ節が出てしまう昨今。

梅雨明け宣言

 四国地方の梅雨明けはこの19日頃と、気象庁は歯切れの悪い発表を行った。個人的にはそれよりも1週間早く明けていたのではないか?そんなことを多くの知人にメールした後だった。九州の甚大な被害を思えばあまり大声出せないが、松山地方はまだ雨不足なのです。このままだと今から23年前(平成6年)の大干ばつがほろ苦く思い出される。今後はタイムリーな雨と、台風が期待の雨をいかにして運んでくるかにかかっている。

 夏の土用に入った3日目(21日金)、当地では地区の区長さんが中心となり、当山本堂で「虫祈祷会」が開催された。なぜ土用の3日目なのかはいまだ不明のままである。ほんの少し涼しさを感じられる午後5時から、
住職が導師となって、ご本尊お薬師さまに五穀の豊穣を念ずるのだ。堂内には多くの参拝者、ご宝前にシーズンの野菜や果物に献花、三方にはそれぞれ農家から持ち寄った稲束。

 導師の加持祈祷が終わると、今度は参拝者の先達が音頭をとって、「壱百万偏」の念仏を唱えるのだから大変。堂内に大数珠を囲んで和気あいあい、むかしの人々は質よりも量、数に頼ったところもあったのかも知れない。独特の雰囲気のなか南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ ナムアミダブツが繰り返される。打ち鳴らされる鉦や太鼓のリズムは心の琴線を刺激する。すべての法要が終了すると、虫害は五如来幡に封印され、稲束も吊るされる。役に当たった人はこれを担いで町外のはずれの川に運ぶ。寺を出てから一切振り返ってはならないのと、一切無言でとかたく戒められている。さらにこの日参拝できなかった人々は鉦のリズムに合わせて家庭から手を合わせ祈る。

 むかしは子供たちも多かった。子どもたちは法要の時間帯奇声歓声をあげて走り回った。怒る大人はいなかった。現在子どもも少なくなり専業農家も減った。法要後頂ける煎餅1袋子どもたちはこれが目的であった。大人はそれを見こしてのスキンシップ、これこそ親・子・孫3世代にわたる文化の伝承、先人大人の知恵恐るべしが解るのだ。いよいよ夏本番体調管理にも気をつけねばならない。
Archives
QRコード
QRコード
Recent Comments
Recent TrackBacks
  • ライブドアブログ