Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

あなたの優れた霊を授けて

IMG_4410

ネヘミヤ記9:16−20
2020年8月2日・聖霊降臨後第9主日
上野聖ヨハネ教会にて

 今日は初めに読まれた旧約聖書・ネヘミヤ記第9章の場面にご一緒に近づいてみたいと思います。場所はエルサレムの、水の門と呼ばれる門の前の広場。ここに朝早くから大勢の人が集まっていました。時は紀元前443年第7の月の24日──年はそこまではっきり言えるかどうかはわかりませんが、月と日はそう書かれています。イエスさまがお生まれになるより400数十年前のことです。第7の月というのはわたしたちの7月ではなく、秋の収穫の頃です。

 ここに早朝から集まったのは礼拝のためです。聖書の言葉を聞くため、そして祈るためです。皆はとても真剣な表情をしています。聖書の言葉を聞かなければ、そして祈らなければ、と感じています。

 この日に至るまでの経緯をあらましお話ししておかなければなりません。

 この日からおよそ百数十年前、イスラエル、ユダの人々は国を失いました。大帝国アッシリア、ついでバビロニアによって祖国は滅ぼされ、神殿は破壊され、エルサレムとユダの主だった人々は遠い異国に連れさられて行きました。これをバビロン捕囚と呼んでいます。そこで人々は悲しみと嘆きの中で数十年を過ごしました。ところが思いがけないことが起こりました。新しく起こったペルシア帝国がバビロニアを滅ぼし、帰国を許したのです。人々は喜びの帰国を果たし、破壊された神殿を再建しました。そのときは希望に満ちていました、

 ところがそれから約70年が過ぎた頃、重苦しい空気と無力感が人々を捕らえていました。ユダの人々は周囲から圧迫と侮辱を受け、独立を回復することもできず、エルサレムの城壁は焼け落ちたままで再建する気力もありません。生活も信仰もすっかり力を失った状態です。このような中にエズラとネヘミヤが前後して帰国しました。彼らは人々を励まして社会を立て直そうとしました。城壁の再建はその目に見えるしるしです。

 ところで、社会と人々の生活を立て直すために一番根本になるのは何か。それは、礼拝です。現に礼拝は続けられている。しかし命がありません。神さまとの生きた交流が失われてしまっているのです。そのもっとも深い問題は、自分たちが神さまに背き、神さまから離れてしまっているのに、それに気づかない、それに直面しようとしないことでした。

 しかし変化が起こりました。3週間ほど前のこの月の1日にエルサレムの水の門の前の広場で行われた礼拝が決定的でした。その日、人々は皆、夜明けから正午まで聖書の朗読に耳を傾けました。その間に自分たちがどんなに神さまを軽んじ背いてきたか、また隣人を無視してきたかを痛切に悟りました。にもかかわらず自分たちを見捨てられない神の憐れみが迫ってきました。その日から人々の生活と信仰は変化しはじめました。これを進め深めて行かなくてはなりません。

 そして今日、同じ月の24日、再び人々は早朝から集まり、聖書の朗読を聞きました。聖書の朗読を聞きながら、神が自分たちにはっきりと呼びかけておられるのを心に感じます。次第に人々は自分たちのうちに抱えている過ちを、背きを、言葉にして神さまの前に告白しなければもう耐えられないという状態になってきました。礼拝の指導者たちの祈りが始まりました。

 「とこしえより、とこしえにいたるまで、栄光ある御名が賛美されますように。いかなる賛美も称賛も及ばないその御名が。」
ネヘミヤ記9:5
 祈りは神への賛美から始まりました。これはわたしたちが礼拝のはじめのほうで「大栄光の歌」を歌うのと同じです。
 やがて祈りは、自分たちの先祖を導かれた神さまの働きを振り返っていきます。
 「あなたこそ、主なる神。アブラムを選んでカルデアのウルから導き出し、名をアブラハムとされた。」9:7

 次に祈りは700年ほども前の出エジプトの出来事、荒野の40年の旅を振り返ります。
 「あなたは先祖の目の前で海を二つに裂き、海の中の乾いた地を通らせ、追い迫る敵をあたかも石のように、荒れ狂う水の深みに投げ込まれた。昼は雲の柱、夜は火の柱をもって、わたしたちの先祖を導き、その進み行く道を照らされた。」9:11-12
 エジプトでの奴隷の生活からの解放も、荒野の危険な旅も、神がご自分の民を愛するがゆえに守り導かれたのです。

 ところが──今日の旧約日課はネヘミヤ記第9章16節の「ところが」から始まっていました。
 「ところが、わたしたちの先祖は傲慢にふるまい、かたくなになり、戒めに従わなかった。聞き従うことを拒み、彼らに示された驚くべき御業を忘れ、かたくなになり、エジプトの苦役に戻ろうと考えた。」9:16-17
 この祈りをいま聞いている人たちは、昔の先祖の話とだけ聞いたのではありません。自分たちは先祖と同じ過ちを犯してきた、という思いがこみ上げてきます。
 「しかし、あなたは罪を赦す神。恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに溢れ、先祖を見捨てることはなさらなかった。」9:17
  「まことに憐れみ深いあなたは、彼らを荒れ野に見捨てることはなさらなかった。昼は雲の柱を取り去ることなく行く手を示し、夜は火の柱を取り去ることなく、行く道を照らされた。」
9:19

 「まことに憐れみ深いあなたは……」過去のことをこのように祈るとき、今祈っているわたしたちに対しても、「まことに憐れみ深いあなた」でいてください、という願いが起こります。「彼らを荒れ野に見捨てることはなさらなかった」神が、今のわたしたちを見捨てないでほしいのです。
 次の20節では神がかつて荒野を旅する民に与えられた具体的な恵みを想起して祈ります。
 「(あなたは)あなたの優(すぐ)れた霊を授けて彼らに悟りを与え、口からマナを取り上げることなく、渇けば水を与えられた。」

 ここで挙げられた神の恵みの賜物は三つです。「あなたの優れた霊」「マナ」「水」。いずれも貴くかけがえのないものですが、今は最初の「あなたの優れた霊」に心を向けてみましょう。

 神が荒野を旅する苦難の民に与えられたのは「あなたの優れた霊」。「霊」は神さまの息吹です。わたしたちはこの地上に生まれたとき、神の息をいただいて呼吸する者となりました。神の霊がわたしたちの中で希薄になれば、わたしたちは気力を失う。希望を失う。正しい判断ができなくなる。愛も信仰も危機に瀕します。その危機からわたしたちを守るために、神はご自分の霊をかつての信仰の先祖にお与えになった。それを神は今日の聖書の箇所、広場で祈る人々に与え、そして今のわたしたちに与えてくださるのです。

 与えられる霊は「あなたの」霊です。神さまご自身の息吹、神のいのちです。その霊は「優れた」霊です。良き霊、喜びをもたらす霊です。

 この霊が神から自分たちにも与えられていることを、人々は祈りつつ悟りました。痛みが、苦しみが起こりました。自分たちは神に忠実でなかった、神を悲しませてきたという痛みです。と同時に、決意が心の底から生じてきました。今こそ神を信じて罪を告白し、自分たちの苦しい現状を神に訴え、そして新しく出発しなければという決意です。
 
 この日、エルサレムの門の広場に集まった人々は、およそ3時間にわたって聖書の朗読を聞き、その後また3時間にわたって地にひれ伏して祈り続けました。昼が来て、6時間の礼拝は終わりました。そのとき、おもだった人々は前に出て、神を信じその掟を行うことを誓約し、署名しました。他の人々もこれに同意しました。
 こうして紀元前400数十年前の信仰共同体は、礼拝と生活において刷新され、新しく出発したのです。

 わたしたちもささやかではあったとしても同じ経験をしたい。この礼拝をとおして神さまの優れた霊を受け、み言葉と聖餐の糧をいただいて、新しく出発したいと願います。

 神さま、あなたはかつてわたしたちの信仰の先祖に憐れみを注ぎ、あなたの優れた霊を与えて人々を新しく力づけられました。同じ霊を今、わたしたちにも与えてください。わたしたちの祈りと信仰をよみがえらせ、あなたのみ業がわたしたちをとおして行われるようにしてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

日ごとの聖句953 あなたの霊 2020/8/2〜8

IMG_4284

2020年8月2日(日)聖霊降臨後第9主日
                詩編143:10
御旨を行うすべを教えてください。あなたはわたしの神。恵み深いあなたの霊によって、安らかな地に導いてください。

8月3日(月)         ネヘミヤ記9:20
憐れみ深いあなたは、あなたの優れた霊を授けて彼らに悟りを与え、口からマナを取り上げることなく、渇けば水を与えられた。

8月4日(火)         ネヘミヤ記9:30
長い年月、あなたは忍耐し、あなたの霊を送り、預言者によって勧められたが、彼らは耳を貸さなかった。

8月5日(水)           詩編139:7
どこに行けば、あなたの霊から離れることができよう。どこに逃れれば、御顔を避けることができよう。

8月6日(木)主イエス変容の日  イザヤ書34:16
主の書に尋ね求め、読んでみよ。これらのものにひとつも欠けるものはない。それは主の口が命じ、主の霊が集めたものだからである。

8月7日(金)          テモテ二 4:22
主があなたの霊と共にいてくださるように。恵みがあなたがたと共にあるように。

8月8日(土)           知恵の書1:7
主の霊は全地に満ち、すべてをつかさどり、あらゆる言葉を知っておられる。

うめきをもって執り成してくださる聖霊

IMG_4395

ローマ8:26
2020年7月26日・聖霊降臨後第8主日
京都聖三一教会での説教

全文PDF → うめきをもって執り成してくださる聖霊

 今日の福音書の中でイエスさまはこう言われました。天の国のたとえです。
 「畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。」マタイ13:44
このたとえを話されたとき、イエスはどういう気持ちで話されたのでしょうか。
「畑に宝が隠されている。」見つけてほしい。すばらしい宝が眠っている。いや、発見されるのを待っている。だからそれを見つけて、自分のものにしてほしい。そしてわたしと一緒に喜んでほしい。これがイエスさまの思いです。

 さてその畑とはどこにある、どんな畑でしょうか。わたしたちの前にある聖書。これが畑です。聖書の中に宝が隠されている。それを発見して喜んでほしいのです。今日は聖書の中から一つの大切な宝を、ご一緒に発見できることを願います。
 もう初めに言ってしまいますが、今日の聖書の中にわたしたちのために用意されている宝とは、“霊”です。神の霊、聖霊、その働きです。
今日の使徒書はこう始まっていました。
「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執(と)り成(な)してくださるからです。」
ローマ8:26

 “霊”、神の霊、聖霊がわたしたちのためにおられる。よくわからないなあと思っても気にしないで、ここに何と書いてあるかに近づいてみましょう。
 まず「“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。」
 神の霊、聖霊はわたしたちを助けてくださる。これが第一に心にとめたいことです。聖霊が助けてくださるのはわたしたちです。しかも「弱いわたしたち」。
 わたしたちは強かったり弱かったりします。しかしここで言われているのは、わたしたちは皆、祈ることにおいて弱い、ということです。続きにこう言われています。

「わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが……」
 課題、困難、心配、不調、不安を抱えて、わたしたちは祈ります。祈りたいと思います。けれども十分に祈れない。この祈りが確かに神さまに届いているかどうか自信がない。いくら祈ってもつらい状態が変わらない。何をどう祈ればいいのかわからない。──これがわたしたちの弱さです。しかしこの、信仰において弱い、祈ることにおいて弱いわたしたちを、聖霊が助けてくださる、というのです。

「わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自(みずか)らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」
 ここで大切なことは「“霊”自らが」です。わたしたちがしっかりしているからではなく、わたしたちがこう努力するからではなく、わたしたちがどうであれ、霊自ら、聖霊ご自身が自ら働いてくださる。その際、聖霊は「言葉に表せないうめきをもって」働かれる、というのです。聖霊が、神の霊がうめかれるとはどういうことなのでしょうか。

 ここでイエスさまがその生涯においてうめかれた場面をひとつ思い出します。マルコ福音書第7章に記されている話。イエスは遠く外国まで巡回して、またガリラヤ湖に戻ってこられたときのことです。
「人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、『エッファタ』と言われた。これは、『開け』という意味である。」マルコ7:32-34
 ここでイエスが「天を仰いで深く息をつき」というところ、「深く息をつき」は、ギリシア語原文を見るとローマ書第8章と同じ「うめき」「うめく」という言葉が使われています。

 イエスは、自分のところに連れて来られたその「耳が聞こえず舌の回らない人」に出会って、深く心を痛められました。この人の言葉にできない苦しさを感じて、この人のつらさがご自分のつらさになって、深くため息をつかれた。その人の苦しみがイエスの苦しみになってご自身がうめかれた。
 そうしてこの人に向かって「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である、と書いてあります。
「すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。」7:35
 この人のためのイエスの祈りはうめきとなって天に届き、イエスの言葉はこの人を助けて新しい人生を開きました。

 イエスがその人のためにされたことを、聖霊がわたしたちのためにしてくださる、というのが今日の聖書です。
「わたしたちはどう祈るべきかを知りません」
 どう祈っていいかわからない。
 祈って神さまに近づいて、神さまに解決していただきたいと思うのですが、それができない。祈っても神さまには届かない気がする。あせり、疲れて、無力を感じる。しかしそのようなわたしの中で、神の霊がわたしと共にうめいてくださるのです。祈りにならないわたしの苦しい胸のうちを聖霊が引き受けてうめかれる。わたしたちのために、聖霊が神に向かってうめかれる。これが二つ目に心にとめたいことです。

「"霊"も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、"霊"自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」8:26

 三つ目に心にとめたいことは「執り成し」です。聖霊はわたしたちのために、わたしたちのことを神に執り成してくださる。執り成すとは、間に立って結び合わせることです。神さまとわたしたちの間の橋渡しをし、わたしたちの抱えているどうにもならない事柄をわたしに代わって神さまにしっかり届けてくださる。
 わたしが祈ることをやめても休んでも、聖霊はわたしの中でうめいて、神に向かって叫んでおられる。わたしが自分のことを知っている以上に、聖霊はわたしのことを知っておられます。聖霊がわたしのために切に祈って執り成していてくださる。──これが、今日、わたしたちが発見すべき聖書の中の宝です。
 
 三つのことを聞きました。聖霊はわたしたちを助けてくださる。聖霊はうめかれる。そして聖霊はわたしたちのことを神に執り成してくださる。

 厳しい状態の中でひどく苦しんで、祈れなくなってもよい。聖霊が祈っていてくださる。疲れたときは休んで、委ねておいていいのです。しかしやがて聖霊はわたしを回復させてくださいます。わたしの中で神に向かってうめかれる聖霊はわたしを支えてくださり、やがてわたしを癒してくださる。聖霊による治癒が起こります。聖霊のうめきはわたしを回復させてくださいます。そうしてわたしは元気づけられて、わたしは新しく祈ることができるようになるのです。

 聖霊はわたしの誕生において、そして洗礼をとおして、わたしの中に吹き込まれました。貴い宝は聖書のみならず、わたしの中に与えられていたのです。

 神さま、わたしたちがどう祈ってよいかわからないとき、わたしたちの中で聖霊がうめき祈っていてくださることを教えてください。聖霊がわたしたちを癒してくださり、新しく祈るわたしたちにしてくださいますように。主イエス・キリストのみ名によってお願いいたします。アーメン

日ごとの聖句952 霊の働き 2020/7/26〜8/1

S__78897176

2020年7月26日(日)聖霊降臨後第8主日
                  イザヤ26:9
わたしの魂は夜あなたを捜し、わたしの中で霊はあなたを捜し求めます。

7月27日(月)            詩編51:12
神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください。

7月28日(火)            詩編51:14
御救いの喜びを再びわたしに味わわせ、自由の霊によって支えてください。

7月29日(水)            ローマ8:16
この霊こそは、わたしたちが神の子どもであることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。

7月30日(木)            ローマ8:26
“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。

7月31日(金)            ローマ8:27
“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださいます。

8月1日(土)           テモテ二 1:14
あなたにゆだねられている良いものを、わたしたちの内に住まわれる聖霊によって守りなさい。

日ごとの聖句951 うめきと執り成し 2020/7/19〜25

4620693218527195169.a672a7806f57788ed8037a19cd7164bb.20071204

2020年7月19日(日)聖霊降臨後第7主日
               出エジプト記2:23
その間イスラエルの人々は労働のゆえにうめき、叫んだ。労働のゆえに助けを求める彼らの叫び声は神に届いた。

7月20日(月)         出エジプト記6:5
わたしはまた、エジプト人の奴隷となっているイスラエルの人々のうめき声を聞き、わたしの契約を思い起こした。

7月21日(火)           トビト記3:1
彼女のこの言葉を聞いて、わたし(トビト)は心に深い悲しみを覚え、涙を流した。そしてうめきながら祈り始めた。

7月22日(水)マグダラの聖マリヤ日
                トビト記3:11-12
彼女(サラ)は、両手を広げてこう祈って言った。「憐れみ深い神よ、今わたしは、あなたに向かって顔を上げ、あなたを仰ぎ見ます。」

7月23日(木)            ローマ8:22
被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。

7月24日(金)            ローマ8:23
“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。

7月25日(土)使徒聖ヤコブ日     ローマ8:26
同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。

詩人・尹東柱の命を奪った治安維持法

Yun3


平和を実現するキリスト者ネット ニュースレター
 208号 2020年7月10日発行

【PDF 全文】詩人・尹東柱の命を奪った治安維持法


 今から77年前の1943年7月14日、同志社大学英文科に留学していた尹東柱(ユン・ドンジュ)は、下鴨警察署特高刑事によって逮捕されました。「治安維持法違反」の容疑でした。治安維持法とはどういう内容だったでしょうか。

第1条
「国体ヲ変革スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シタル者又ハ結社ノ役員其ノ他指導者タル任務ニ従事シタル者ハ死刑又ハ無期若ハ7年以上ノ懲役若ハ禁錮ニ処シ情ヲ知リテ結社ニ加入シタル者又ハ結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ3年以上ノ有期懲役ニ処ス」
第5条
「第1条乃至第3条ノ目的ヲ以テ其ノ目的タル事項ノ実行ニ関シ協議若ハ煽動ヲ為シ又ハ其ノ目的タル事項ヲ宣伝シ其ノ他其ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ1年以上10年以下ノ懲役ニ処ス」

 彼が自分の民族の言葉で詩を書き、また日本からの独立への願いを友人と語り合ったことが重大な犯罪とされたのでした。彼は京都地方裁判所で懲役2年の判決を受け、1945年2月16日未明、福岡刑務所の独房で絶命しました。拷問と寒さによる衰弱。満27歳でした。

 尹東柱(ユンドンジュ)は、1917年12月30日、中国吉林省明東(ミョンドン)に生まれ、幼児洗礼を受けました。日本による朝鮮植民地支配の時代です。彼はソウルの延禧(ヨニ)専門学校時代に多くの珠玉の作品を書きました。そのひとつが「星を数える夜」です。

  季節が移りゆく空には
  秋でいっぱい 満ちています。
  わたしはなんの憂いもなく
  秋の中の星々をみな数えられそうです。
  ……
  星ひとつに 追憶と
  星ひとつに 愛と
  星ひとつに 寂しさと
  星ひとつに 憧れと
  星ひとつに 詩と
  星ひとつに お母さん、お母さん、
  ……


 自筆原稿を見ると、コクヨの400字詰め原稿用紙に万年筆で書かれたこの比較的長い詩は、次の言葉でいったん終わり、(一九四一・十一・五)という年月日が付されています。

  この星の光が降る丘の上に
  わたしの名まえの字を書いてみて、
  土でおおってしまいました。
  夜を明かして鳴く虫は
  恥ずかしい名を悲しんでいるからです。

 日本渡航のために「平沼東柱」と改名せざるを得ない。その名を彼は恥ずかしく思い、書いてから土で覆ってしまったのでしょうか。しかしこの後、彼は次のような言葉を書き足しました。

  けれども冬が過ぎて わたしの星にも春が来れば
  墓の上に青い芝草が萌え出るように
  わたしの名まえの字がうずめられた丘の上にも
  誇らしく草が生い繁るでしょう。


 まるで彼は自分を待ち受ける死を予感し、しかしそのかなたに新しい命の輝きを見ていたかのようです。今も尹東柱の生涯と詩は、闇の中に美しい光を放っています。

 いわゆる「共謀罪」を含む改正組織的犯罪処罰法が、2017年7月に施行されました。これは尹東柱の命を奪った治安維持法の再来です。治安維持法によって彼が逮捕された同じ月。この国の暴走を許してはならないとの思いを新たにします。

日ごとの聖句950 種蒔く人 2020/7/12〜18

IMG_2542

2020年7月12日(日)聖霊降臨後第6主日
                 イザヤ55:10
雨も雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせる。

7月13日(月)           イザヤ55:10
それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせる。種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。

7月14日(火)           イザヤ55:11
そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も、わたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。

7月15日(水)           イザヤ55:12
あなたたちは喜び祝いながら出で立ち、平和のうちに導かれて行く。山と丘はあなたたちを迎え、歓声をあげて喜び歌う。

7月16日(木)            マタイ13:3
イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。」

7月17日(金)           マタイ13:3-4
「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。」

7月18日(土)            マタイ13:8
「ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。」

ほめたたえます、あなたを

IMG_4293

マタイ11:25
2020年7月5日・聖霊降臨後第5主日
上野聖ヨハネ教会にて

全文PDF → ほめたたえます、あなたを


 今日の使徒書と福音書には、思いのほとばしりの言葉が出て来ました。
 使徒書でパウロはこう言いました。
 「24 わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるでしょうか。25 わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします。」ローマ7:24-25

 日本語として整えた訳になっていますが、25節をギリシア語原文の語順のままに訳せば、「感謝、神に」(カリス……)です。
 この惨めなわたしを神が救ってくださった──イエス・キリストによって。その思いが溢れてきて、パウロは思わずそう言ったのです。

 今日の福音書にはイエスの思いのほとばしりがあります。
「そのとき、イエスはこう言われた。『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。』」マタイ11:25
 今日の福音書の冒頭で、このようにイエスは祈っておられます。その祈りは賛美のほとばしりです。
 ここは原文では「ほめたたえます、あなたを」で始まります。

 このとき、イエスさまはどのような表情をしておられたのでしょうか。
 イエスさまの表情──そんなことを思ってみたことはあるでしょうか? わたしたちは聖書の中でイエスさまの教えを聞き、その行いを知ります。そのとき、イエスさまは無表情であるはずはありません。わたしたちは聖書の中に生きておられるイエスさまを見たい、生きた声を聞きたいのです。

 この場面のイエスさまの表情を想像してみます。イエスは喜びに満ちてほほえんでおられた。場所は戸外かもしれません。その目は開いて天に注がれ、両手は開いて上に向けられた……。
 「ほめたたえます、あなたを!」
 
 その後に「父よ、天地の主よ」と続きます。
 なぜそういう順序かというと、このとき急にイエスの内側から、喜びと神への賛美がほとばしり出たからです。
 祈ろうとしてまず父なる神に呼びかけて、その後に祈りの内容が続く、という普通の順序ではありません。
「ほめたたえます、あなたを。父よ、天地の主よ……」
 
 今イエスご自身が何かに出会われた、経験された。それに感動して、喜びと賛美の祈りがほとばしり出た。そして神への呼びかけが続いた。それが今日の場面です。

 何があったのでしょう。そこまでイエスが喜ばれたのは何なのでしょう。具体的には書かれていないのですが、その賛美の祈りの続きを聞きましょう。

「これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」マタイ11:25

 「これらのこと」が何かわかりませんが、もっとも大事なことに違いありません。神はそのもっとも大事なことを「知恵ある者や賢い者には隠して」。
知恵、学識、力、社会的立場や名声を持った立派な人たちには、神はそれを隠された。そしてそのもっとも大事なことを「幼子のような者に」お示しになった。

 神さまが何かとてもとても大事なことを幼子に示された。幼子の中に神さまの賜物、神さまの愛の働きがはっきり存在する。それに今、イエスは触れて、感動して、思わず喜びと賛美の声を上げられた。
「ほめたたえます、あなたを。父よ、天地の主よ……」

 イエスの表情は喜びに輝き、神への感謝と賛美に溢れました。

 ところでその直前、今日の箇所の前の11章24節まで、イエスの表情は悲しみと怒りに曇り、こわばっていました。

「今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。
『笛を吹いたのに、
踊ってくれなかった。
葬式の歌をうたったのに、
悲しんでくれなかった。』」マタイ11:16-17

 イエスは神の国の訪れを伝え、神の愛を示されたのに、冷たい反応しか返って来ませんでした。世と人の悲しみを共にして嘆かれたのに、無関心の壁が立ちはだかっていました。
 コラジン、ベトサイダ、カファルナウム──これらガリラヤの町々で人々を招かれたのに、傲慢な人々は耳を貸そうとせず、自分たちの知恵と力を誇り、過ちを認めるどころかかたくなに居直るような態度を続けています。

 愛の呼びかけと働きかけに対して、返ってきたのは無関心と傲慢と反抗。イエスは人々を愛されるからこそ、悲しみと憤りに耐えなければならなかったのです。

 そうした中で、幼子の中に働く神の愛に思いがけず触れたとき、イエスのうちから感動と賛美の祈りがほとばしり出た。これが今日の箇所です。

 わたしは現職中、長く幼稚園に関わって子どもたちに触れる機会がありました。その中で、「ああ、ほんとうに神さまがこの子らのうちに働いておられる」と感じて、涙することがありました。
 たとえば、子どもたちがクリスマスの歌を歌ってくれたとき、天使の歌を聞く思いでした。

 ちょうど明後日は7月7日、七夕です。何年か前のことです。子どもたちがそれぞれ自分の願いを書いた短冊を笹の葉につけて、それを表の門のところに掲げます。ある朝、わたしが子どもたちを出迎えていたとき、ある女の子が「園長先生、わたしの書いたのどれかわかる?」と言うので、探しました。
「ケーキ屋さんになりたい。」違う。「お花屋さんになりたい。」違う。その子が書いた願いは「世界中が平和になりますように」でした。
 ケーキ屋さんもよい。お花屋さんもほほえましい。けれども「世界中が平和になりますように」という願いがこの子の中にあるのを知ったとき、神さまの愛の働きを知って感動したのでした。

「ほめたたえます、あなたを、父よ、天地の主よ。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。」 

 神さまはわたしたちに愛を注ぎ、一番大切なことを、神の真理を悟らせようとしておられます。けれどもそれを妨げるものがあります。それは、謙遜でない知恵と知識、自分を誇る賢さです。もしそれらがわたしのうちにあるなら、それを捨ててしまいたい。たくさんの知識を得て賢くなったとしても、それによって神からのもっと大切なものが見えなくなったとしたら不幸です。幼子のようになりたい。幼子のようになって主イエスとともに神さまを賛美したいと願います。
 
 神さま、わたしたちを幼子のようにしてください。ほんとうに大切なものを知り、経験できるようにしてください。そしてイエスさまご自身がそうであったように、神さまがわたしたちの間に働いていてくださることに触れて、心を熱くして喜ぶわたしたちにしてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

日ごとの聖句949 幼子 2020/7/5〜11

IMG_3396

2020年7月5日(日)聖霊降臨後第5主日
                 マタイ11:25
天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。

7月6日(月)             詩編8:2-3
主よ、わたしたちの主よ、天に輝くあなたの威光をたたえます。
幼子、乳飲み子の口によって。

7月7日(火)            詩編131:2
わたしは魂を沈黙させます。わたしの魂を、幼子のように、母の胸にいる幼子のようにします。

7月8日(水)           詩編148:12-13
若者よ、おとめよ、老人よ、幼子よ。主の御名を賛美せよ。主の御名はひとり高く、威光は天地に満ちている。

7月9日(木)             哀歌2:19
立て、宵の初めに。主の御前に出て、水のようにあなたの心を注ぎ出せ。両手を上げて命乞いをせよ、あなたの幼子らのために。

7月10日(金)            マタイ2:9
彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。

7月11日(土)           ルカ2:28-29
シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたはお言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます。」

日ごとの聖句948 神に対して 2020/6/28〜7/4

IMG_4181

2020年6月28日(日)聖霊降臨後第4主日
                  詩編16:8
わたしは絶えず主に相対しています。主は右にいまし、わたしは揺らぐことがありません。

6月29日(月)使徒聖ペテロ・使徒聖パウロ日
                  ローマ6:4
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。

6月30日(火)            ローマ6:8
わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、キリストと共に生きることにもなると信じます。

7月1日(水)            ローマ6:10
キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。

6月2日(木)            ローマ6:11
このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。

7月3日(金)             詩編16:11
あなたは命の道を教えてくださいます。わたしは御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い、右の御手から永遠の喜びをいただきます。

7月4日(土)        サムエル記下22:22,24
わたしは主の道を守り、わたしの神に背かない。
わたしは主に対して無垢であろうとし、罪から身を守る。
最近の記事
Archives
最近の関心

 『日韓キリスト教関係史資料』第3巻の編集
 リコーダーの世界
 音と響き
井田 泉
奈良基督教会牧師
親愛幼稚園園長
富坂キリスト教センター・日韓キリスト教関係史研究会主事
聖公会平和ネットワーク共同代表

Mail
izaya*da2.so-net.ne.jp
(*を@に変更してください)

カウンター
最新刊
『これが道だ、これに歩め
──イザヤ書による説教』
かんよう出版
213頁 1500円+税

ここをクリックして
  ←左本文をご覧ください
ブログ内検索

WWW を検索 http://blog.livedoor.jp/izaya/ を検索