Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2004年09月

リルケ「風のように鳴り」

 昨日は教会バザー。多くの人々の協力に感謝。

 夕方、星野慎一、小磯仁『リルケ』(清水書院の人と思想シリーズ161)を読み終える。

「彼の人間存在の思索は、『風のように鳴り』brausen、『リズムのように響き』klingen、また『咆哮する』anheulenことによってのみ生まれ出たのである。」

 良い言葉だと思う。

 今、とても心が惹かれるのはヘルダーリン、リルケ、そして「楚辞」である。

楚辞/招魂/スプランクニゾマイ

f67886d1.jpg 詩への関心が戻ってきた。うつ病の数年は無感動、無関心、思考停止状態で音楽も聞く気がせず、詩にもまったく興味を失っていた。2年前くらいから音楽への関心が復活し、今年になってからは詩への関心が戻ってきた。万葉集、韓国・朝鮮の尹東柱、金素月、フランシス・ジャム、リルケ、ヘルダーリン、そして古代中国の「楚辞」。
 ある人と話しているうちに「招魂」の話題が出た。死んだ人の魂を招き返すことである。金素月の詩に「招魂」というのがあって、学生時代に、金サヨプ先生から講義を受けて印象があった。
 先年、韓国の親友を失ったとき、その一節「呼んでも主人のない名前よ、虚空の中に砕け散った名前よ」が思い出されて仕方がなかった。
 古代中国の「楚辞」に「招魂」という詩があることを聞き、ずっと気にはなっていたが直接触れる機会がないままで来た。
 先週9月17日、近くの書店で新書版の『楚辞』(星川清孝著、明治書院)を見つけて買った。その最後に宋玉の「招魂」が収められていて、初めて全文を読んだ。楚の国の王族、屈原が讒言されて追放され、ついには汨羅(べきら)という川に身を投じる。弟子の宋玉が、さまよう屈原の魂を呼び戻そうとして歌ったのがその「招魂」だという(異説あり)。こう結ばれる。

湛々(たんたん)たる江水、上に楓(ふう)あり
目は千里を極めて、春心を傷ましむ
魂(こん)よ、帰り来れ、江南哀し

 屈原を後世に伝えたのは歴史家司馬遷である。今日夕方散歩に出て、鴨川の近くの古本屋で別の『楚辞』(星川清孝著、明徳出版社)を見つけて買った。屈原の思いと司馬遷の思いが心に溢れ、はらわたが苦しい。
 イエスが人々の打ちひしがれたさまを見て「憐れまれた」というのは「スプランクニゾマイ」というギリシア語である。これは「はらわたが焼ける」といったニュアンスの言葉で「断腸」と同じである。
 屈原とエレミヤとイエスは「スプランクニゾマイ」で通じている。
「わたしのはらわたよ、はらわたよ。わたしはもだえる。」エレミヤ4:19

 そしてこれはパウロにも通じる。
「わたしが、キリスト・イエスの愛の心で、あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、神が証ししてくださいます。」フィリピ1:8
「愛の心」と訳されているところは原語が「スプランクノン」で「スプランクニゾマイ」と親戚語、「内臓、体のもっとも深いところ、感情の宿る座」を意味する。パウロが愛する信徒を思うとき、心配と悲しみを含む切ない思いが燃えていたことが分かる。

エレミヤの召命

エレミヤ  ──エレミヤ1
         2004/01/20

1.エレミヤ書には「霊」という言葉はほとんど出てこない(10:14など)。しかしエレミヤを預言者として召し出し、彼に言葉を語らせたのは神の霊である。

 エレミヤはベニヤミンの地アナトトの祭司、ヒルキヤの子。
 アナトト(エルサレムの北4km)は、ダビデを支持し後にソロモンに追放された祭司アビアタルの故郷。王を支えて神の言葉に従わせ、神のために権力に屈しなかった祭司アビアタルの精神が、そこには受け継がれていた。
 エレミヤの召命は紀元前626/627。

2.主の言葉が臨む 1:4

 アーモンドの木 1:11
 冬のアナトトの村を歩くエレミヤの目に入ったのは、春を告げるアーモンドの白い花であった。
 アーモンドをとおしてエレミヤは神の言葉を聞いた。

3.煮えたぎる鍋  1:13

 台所での経験。傾く鍋を見て、迫り来る危機を知らされる。

・エレミヤが願ったこと(主が求められたこと)→22:3-4
・エレミヤの内に燃える神の火→20:9

4.神の言葉と霊は私にも臨む。それは自分の宗教的感性や信仰的力を越える/越えさせるもの。

ヘルダーリン

8eaae0dd.jpg 『ヘルダーリン詩集』岩波文庫

 ヘルダーリンという名前は学生時代に知っていた。ハイデッガーの著作集の中に「ヘルダーリンの詩の解明」という標題の巻を何度も見ていたのだ。不思議に気になる名前であった。しかし私の関心はハイデッガーではなく同時代の哲学者カール・ヤスパースのほうにあり、さらにキルケゴールに向かうことになって、ヘルダーリンがいつの時代のどういう人物かは何も知らないままであった。
 先日8月31日、北大路ビブレの大垣書店で文庫の棚をしゃがんで見ていたところ『ヘルダーリン詩集』があったので手に取ってみた。「パトモス」という詩があった。もしかしてあのヨハネ黙示録のパトモスなのか。

 「翼」「一個の霊」……
 「泉に富んだ キュプロスや その他もろもろの島のように
 輝かしくはないパトモスながら。」
 「島は嘆きを聞く……」
 「そのようにこの島は かつていつくしんだのだ 神に愛された預言者を。」

 あのパトモスだった。かつてローマ帝国の迫害の時代に捕らえられて、長老ヨハネはパトモスの島に幽閉された。その島で彼は幻を見た。ヘルダーリンはあのヨハネ、あのパトモスを歌っていたのである。
 翌日河原町の丸善に行き、ヘルダーリンのドイツ語詩集を捜した。「パトモス」が載っていれば買おうと思った。長い間ページを繰り、"PATMOS"を見つけた。ついでにリルケの詩の朗読CDまで衝動買いしてしまった。これは3900円もした。

 「世の喝采」
 「ああ! 世の人が好むのは 市(いち)にひさがれるものばかり」
 ほんとうに価値あるものはお金では買えないのだ。

 ヨハン・クリスティアン・フリートリッヒ・ヘルダーリン。ベートーヴェン、ヘーゲルと同じ1770年生まれ。テュービンゲン大学神学校に学ぶ。牧師への道を放棄、詩人として生きる道を選ぶ。32歳にして心を病む。長い精神の薄明の時を過ごし、1843年、73歳で死去。

 小磯仁『ヘルダーリン』(清水書院「人と思想シリーズ」)は妙につかえる文体で読みづらいが、内容は教えられるところが多い。

詩編第36編 あなたの翼の陰に

  詩編第36編             2004/09/01

  あなたの翼の陰に 36:8

1.悪に支配された人間の姿 36:2‐5

「罪が語りかける」36:2
「自分の目に自分を偽っているから、自分の悪を認めることも、それを憎むこともできない。」36:3
 これはイエスが直面しておられた人間の現実。神の愛と救いを阻止しているのは<悪>の力。
 イエスさまの愛と真実の語りかけを(権力や地位、富を持った)人々は憎んだ。ヨハネ8:40、15:18

2.あなたの翼の陰に 36:8

 6節からは祈りとなる。悪の救いがたい現実に苦しめられながら、詩人は祈る。
「あなたの翼の陰に人の子らは身を寄せ……」
「瞳のようにわたしを守り/あなたの翼の陰に隠してください。」詩編17:8
 神は私たちをみ翼の陰に守り憩わせてくださる。
──そのことを黙想し、感じてみよう。

聖歌189「3 みつばさのもとに やすけく 憩いて」

3.あなたを知る人の上に慈しみが 36:11‐

 人のためのとりなしと、自分のための祈り。
神を知り、神を信じ、神に従おうとする人が悪しき力によって踏みにじられてはならない。
 「慈しみが常にありますように」

最近の記事
Archives
最近の関心

 『日韓キリスト教関係史資料』第3巻の編集
 リコーダーの世界
 音と響き
井田 泉
奈良基督教会牧師
親愛幼稚園園長
富坂キリスト教センター・日韓キリスト教関係史研究会主事
聖公会平和ネットワーク共同代表

Mail
izaya*da2.so-net.ne.jp
(*を@に変更してください)

カウンター
最新刊
『これが道だ、これに歩め
──イザヤ書による説教』
かんよう出版
213頁 1500円+税

ここをクリックして
  ←左本文をご覧ください
ブログ内検索

WWW を検索 http://blog.livedoor.jp/izaya/ を検索