Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2004年10月

朴鍾基神父のこと──日韓聖公会20周年大会(2)

 日韓聖公会宣教協働20周年大会で、私はできれば二つのことを話したく思っていました。

 ひとつは、立教大学で学び、同志社大学留学中に逮捕され、福岡で獄死した詩人・尹東柱のことです。これについては初日の夜の交流会で話す機会がありました。尹東柱については次をご覧ください。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/izaya/Yundonju.htm

 しかしもうひとつのことは話す機会がありませんでした。それは、大韓聖公会のステパノ朴鍾基(パク・チョンギ)神父のことです。 朴鍾基(パク・チョンギ)神父は今から12年前の1992年10月、逝去されました。朴神父は、第2回日韓聖公会宣教セミナーの韓国側準備委員の中心的存在でした。

 私は第1回日韓聖公会宣教セミナーに対しては仲間とともに反対運動をし、その後当時の木川田主教の強い求めによって日本側日韓協働委員になりました。そうして今度は、前回反対していた日韓セミナーの主催側になってしまったのです。一緒に反対運動をした友人たちを裏切った思いに苦しみ、その分どうしても第2回セミナーにおいて日本と日本聖公会の歴史的誤りの事実を取り上げなければならないと思いました。

 ソウルにおける日韓合同準備委員会の議論がなかなか結論に達しなかったとき、韓国側のひとり朴鍾基神父は「日本聖公会が戦争・植民地支配協力の罪を犯したとすれば、大韓聖公会も日本の支配に抵抗しなかったという罪を犯した」と発言されました。そうして「わたしは主に罪を犯した──両国聖公会の歴史をかえりみて」という主題が決まったのです。朴鍾基神父の「ネガ ハヌニムケ チェルル チオッソ」(わたしは主に罪を犯した)と言われた言葉の響きが今も耳に残っています。これはサムエル記下12:13にあるダビデの言葉です。

 韓国を訪問した私たち日本側準備委員は朴鍾基神父の司式されるソウル大聖堂での主日ミサに出席しました。そのとき朴神父は主イエスの変容貌の話をされました。非常に鮮明な説教でした。1985年11月、大阪で第2回のセミナーが開かれました。

 翌1986年7月、韓国民主化運動の高まりとそれに対する政府の弾圧の中、ソウル大聖堂に戦闘警察(機動隊)が突入し、大聖堂主任司祭・朴鍾基神父は殴打され負傷されました。

 その6年後、韓国の『聖公会新聞』第321号(1992.10.18)に次のような記事が出ました。

 ステパノ朴鍾基神父 逝去
 1992年10月5日 江華邑教会で

 ソウル教区朴鍾基(ステパノ・57歳)神父が10月5日夜、江華邑教会で、過労による心臓麻痺で逝去、10月7日午前10時、全国の多くの聖職者と教友たちが参加する中、金成洙主教の司式と文相尹神父の説教で、ソウル大聖堂において告別ミサが行われ、この日の午後、楊平郡延寿里の教会墓地に葬られた。 故朴ステパノ神父は、1964年司祭按手を受け、これまで30年間、清州、釜山、安仲、東大門、ソウル大聖堂、仁川内洞、江華邑の教会で牧会、教区常任委員、全国常任委員等を歴任しながら教会発展に大きく貢献し、また対外的にも韓国キリスト教教会協議会副会長および人権委員長を務め、エキュメニカルな活動に大きく寄与した。

 今回の20周年大会からの帰り道、思いもかけず『麦の種の信仰者 朴鍾基』という本を韓国の友人から見せられました。表紙は若い時の朴鍾基神父の写真です。他の人が皆後ろを向いているのに、朴神父のみは腕を組んで前を見ています。

 私はこの朴鍾基神父のことを、日韓聖公会の宣教協働にかけがえのない役割を果たされた方として、また韓国と大韓聖公会に与えられた現代の預言者として、永遠に記憶したいと思います。

日韓聖公会宣教協働20周年大会(1)

オモニ連合会聖歌隊
(写真は、ソウル教区オモニ連合会聖歌隊。福岡教会礼拝堂。10月20日夜の韓国側主催交流会にて)

 10月18日(月)〜21日(木)、福岡で「日韓聖公会宣教協働20周年大会」が開かれ、私は通訳として参加しました。

 いろいろありましたが、ほんとうに有意義な集まりでした。
 私自身もあらためて日韓聖公会の宣教協働の意義と必要性を再認識しました。特に、今後に向けての新しい希望と意志を共有できたことが良かったと思います。

 日韓両国語で一緒に礼拝をささげる中で私も何度も感動をおぼえました。

 同時に、日本語・韓国語対訳見開きの式文を使いながら、日本語の式文の問題点をいくつか感じました。少しメモします。「朝の礼拝」(日本聖公会祈祷書に基づく)からです。

1.「懺悔と赦しの祈り」

韓国語「罪の赦しを切に求めましょう(懇求)」
日本語「罪の赦しを祈りましょう」

 日本語本文は「求める」という言葉が入っていないのでイメージが曖昧です。「赦しを祈りましょう」ではなく「赦しを祈り求めましょう」とすべきです。
 日本が犯し続けてきた罪を痛切に自覚するならば、日本人は神と隣人(今回の集まりでは、在日を含む韓国・朝鮮人)に対して「赦し」を切に「求める」祈りをしなくてはなりません。

 現在の祈祷書を含め、日本聖公会の礼拝の中には「懺悔と罪の赦しを求める祈り」の切実さが不足しているように感じます。形式的に流れることが多いように思うのです。
 京都復活教会では導入していませんが、聖餐式の冒頭で「懺悔と赦しの祈り」を用いる場合があります。私はこれを用いる時に、司祭の執り成しの祈りがないととても落ち着かないのです。
 罪の赦しを受けることは、私たちが人として再創造されることだと思います。
 マルコ福音書2:12によれば、イエスの赦しは命を回復し、人を立ち上がらせました。「懺悔と赦し」を礼拝の中で生命的に(妙な日本語)回復したい願います。

2.使徒信経における「わたしたちの」の欠落
 これは大会の中で発言したことですが、古代から継承してきた大切な使徒信経に、現在の日本聖公会祈祷書の本文では重大な欠落があります。

韓国語「その独り子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。」
日本語「その独り子、主イエス・キリストを信じます。」

 このように日本聖公会のほうには「わたしたちの」がないのです。
 韓国、日本、在日が共に集って、これまでの加害、被害、痛みと葛藤の歴史を抱えつつ、それでも「<わたしたちの>主イエス・キリストを信じます」と共同で告白できることの幸いを、私たちはこの使徒信経によって与えられています。
 ところが日本語本文にその「わたしたちの」がないとは何たることでしょうか。
 英語ではour、ラテン語ではnostrum、日本聖公会でもずっと「我らの主イエス=キリスト」となっていました。
 私は1992年11月に、この脱落について当時の首座主教様宛に質問を出し、「わたしたちの」を回復してほしいと要請しました。当時の主教会はこれをちゃんと取り上げてくださいましたが、しかしその返答の要旨は「日本語としての簡潔さを考え、ある方の英断によってこうしたのだ」とのことでした。
 しかし信経というものは一字一句に命がかかっているものであり、一語たりとも内容的吟味をせずに変えたり省略をすべきものではありません。
 このたびの20周年記念大会においてあらためて「わたしたちの」の欠落に痛みを覚えましたので、多くの方々に関心をもって議論していただきたいと思います。

3.「恵みのため」

韓国語「危険に遭うとき、いつもあなたの道へと導いてくださり」
日本語「危険にもあわず、たえず主の導きにより」

 韓国語本文が、危険に遭うことを覚悟しつつ主の導きを祈り求めているのに対して、日本語本文は初めから危険を回避することを願う祈りになっています。
「危険にあわせないでください」という祈りの切実さを私も知っているつもりですが、しかし現実には危険なしに人生は生きられず、まして主イエスを信じて従おうとするときにはいっそう危険に遭うことが避けられなくなる場面があります。
 主イエスが最後の晩餐の席で祈られたのは
「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。」
という祈りでした。イエスは世に残る弟子たちが、この世から憎まれ、迫害されることを知っておられました。主イエスの祈りを継承するために、日本語本文は改正する必要があると考えます。

 礼拝は聖霊が働いてくださる場所です。一つの言葉の選び方、一つの音の発し方で、そこに命が宿りもし、言葉のみが過ぎ去ることもあります。

 このことを具体的に気づかせてくれた日韓聖公会宣教協働20周年大会と参加された皆様に感謝します。

鈴木雅明パイプオルガン演奏会

 10月3日(日)夕方、日本キリスト教団丸太町教会で開かれた鈴木雅明さんのオルガン演奏会に行った。
 昨年来同氏の『バッハからの贈りもの』『わが魂の安息、おおバッハよ!』を読み、大変尊敬(敬愛)している方である。「ヨハネ受難曲」「マタイ受難曲」をはじめCDも何枚も購入している。
 一言で言って音楽と信仰が生き方の中で結びついている方だと感じてきた。「礼拝においては賛美するかしないかのどちらかであって中間はない」といった趣旨を読んだのが印象的であった。

 今回初めて実演に接することができた。第1部で感じたのは「躍動」である。音楽が躍動している。一番印象的だったのは第2部最初の超有名曲「トッカータとフーガニ短調」。あまりにポピュラーになりすぎ、しかもバッハの自作かどうかも確証がないとのことで一部玄人筋からは好まれないようにも聞いていた。
 冒頭が鳴り出したとたんに、聞き慣れたはずの曲がまったく新しく聞こえてきた。これまでただ荘重、荘厳といったイメージしかなかったのが、意外性の発見の連続。表現は適切ではないかもしれないが、こんなに面白く楽しい曲だったのか! 岩に当たり石をまろばせながら雪崩落ち、飛び散りながら光かがやいて川は流れていく……。それが次第に大きなうねりとなって最後はすべてを飲み込み滔々たる大河となっていく、といった印象であった。この曲1曲で十分に来た価値があった。
 続いて「小フーガ」の名で知られる「ト短調」。私はこの曲を愛してやまない。鈴木雅明さんの演奏は私が持っているCDよりはるかにテンポが速く、弾むように進んでいった。
 
 終わってからある人の引き合わせで鈴木さんと出会って握手。
 願わくは「ミサ曲ロ短調」の録音が近い将来に実現することを祈る。
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井田 泉
奈良基督教会牧師
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富坂キリスト教センター・日韓キリスト教関係史研究会主事
聖公会平和ネットワーク共同代表

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