Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2006年12月

新約聖書の書簡を読む会を始めます

皆さま

 新約聖書の書簡を読む会を始めます。

         井田 泉

 初回は次のとおりです。
 
とき・2007年1月11日(木)10:30〜12:00
ところ・京都聖三一教会 2階ベストリー

  〒604-8403 京都市中京区聚楽廻中町45
  (千本丸太町交差点より西南徒歩3分)

対象・新約聖書の書簡を読んでみたい人はだれでも。
   教会、教派、受洗の有無は無関係。

読む箇所・パウロによるテサロニケの信徒への手紙一

 講義風ではなく、解説を交えながら緩やかに一緒に読んでいきます。
 
 この手紙は、新約聖書に収められたパウロの手紙の中で最も古いものと言われます。紀元50年頃。パウロは第2回伝道旅行の際にマケドニアのテサロニケに立ち寄り、ユダヤ人の会堂を拠点にイエスの福音を宣べ伝えました。しかし激しい迫害に遭ってそこを脱出せざるを得ませんでした(使徒言行録16:1‐10)。

 パウロはテサロニケの人々のことを心配しながらテモテを派遣したのですが、テモテは吉報をもたらしました。

「わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。
 あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。」
      テサロニケ一 1:2‐3

日ごとの聖句245  主イエスの洗礼  2007/1/7〜13

2007年1月7日(日)顕現後第1主日・主イエス洗礼の日
イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。ルカ3:21‐22

1月8日(月)
すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。ルカ3:22

1月9日(火)
見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。イザヤ42:1

1月10日(水)
彼は、傷ついた葦(あし)を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。イザヤ42:3

1月11日(木)
神は天を創造して、これを広げ、地とそこに生ずるものを繰り広げ、その上に住む人々に息を与え、そこを歩く者に霊を与えられる。イザヤ42:5

1月12日(金)
主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った。イザヤ42:6

1月13日(土)
見よ、初めのことは成就した。新しいことをわたしは告げよう。イザヤ42:9

日ごとの聖句244  顕現  2006/12/31〜2007/1/6

2006年12月31日(日)降誕後第1主日
羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。ルカ2:20

2007年1月1日(月)主イエス命名の日
八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。ルカ2:21

1月2日(火)
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」マタイ2:2

1月3日(水)
彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。マタイ2:9

1月4日(木)
学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。マタイ2:10‐11

1月5日(金)
彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。マタイ2:11

1月6日(土)顕現日
実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。テトス2:11

クヴァンツ『わが生涯──フルートとともに』

 ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ『わが生涯──フルートとともに』という小さな本を読んだ。シンフォニア、1979年、1600円、62頁。


 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると──

「ヨハン・ヨアヒム・クヴァンツ(Johann Joachim Quantz, 1697年1月30日-1773年7月12日)はドイツのハノーバーの近くのオーバーシェーデンで生れポツダムで没した18世紀のヨーロッパを代表する名フルート演奏家で作曲家。フリードリヒ大王のフルート教師として有名である。」

 続きは次をどうぞ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%92%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%84

 作曲について次のように言っているのが印象的。

「繊細な創造力と熟練した判断力がその最初の着想を純化するのに必要……。そういう創造力と判断力とをよく結合させることが必要……。そうすることによって初めて、ある作品が一時的なものでなく、可能な限り長期にわたって人々に好まれるものになるうるものだということを確信するに至った。」

 これは他のことにも通じる大切なことだと思う。
 ひらめき、着想、インスピレーションは創造的働きの基礎である。それが適切な判断力と結合して、確かなものになる。

 信仰においても、聖書を読むことや祈り、黙想や人との出会いの中で与えられる感動が生きた力になる。
 と同時に、ある種系統だった聖書や教理の学びが、その信仰を確かなものとしていく。

 私自身は、今から30年も前に読んだカール・バルトの『教義学要綱』(使徒信条[信経]の講解)によってキリスト教理解の骨格を与えられたように感じている。

 時代の課題と取り組むことが私たちの信仰的責任であるが、それを深めて確かなものとしていくためにも、古典的なものにできるだけ触れていくことは大切である。

 このクリスマスをとおして、紀元前8世紀の預言者イザヤやミカの言葉がどれほど現代的であるかを知って驚いた。



みことばは人となり──クリスマス・イブのメッセージ

みことばは人となり

  ヨハネ1:14

 「みことばは人となり、わたしたちの間に住まわれた」
       改訂試用版2082  日本聖公会聖歌集(2006)441

 いま歌った歌は、クリスマスの意味を一言で言い表しています。

 「みことばは人となり、わたしたちの間に住まわれた」

 みことば=神の言葉が人となった。神の言葉、言い換えれば、語りかける神さまご自身が人となられた。

 神は、ただ遠くからこの世界を見守っているというのではなく、この世界の中に入って来られました。それは、この世界があまりにも痛ましく破れているからです。神さまはこの世界を見て心を痛められました。天から見ているだけでは耐えられなくなりました。この世界の痛みと破れを自ら引き受けるために、人となってこの世界の中に入って来られました。

 「人となって」。
神の言葉は、赤ちゃんになって来られた。肉体を持たれた。肉体とは、あるときは力に満ち、あるときは危くなるもの。人間が肉体を持ち、汗と涙と血を流すので、イエスも肉体を持ち、汗と涙と血を流す者として来られたのです。

 「わたしたちの間に住まわれた」
 わたしたちの間に、イエスは一緒にいようと決意されました。人の喜びのときも不安のときも、健康なときも病のときも、破れたときも罪を犯したときも、人の孤独のときも危険のときも、一緒にいることを選ばれた。わたしたちの間に宿り、わたしたちの間に留まり、わたしたちの間に住まわれた。

 この方によって、新しい世界が始まりました。見えない破れがあらわになるとともに癒しが起り、隠されていた罪があらわにされるとともにゆるしと清めが起りました。
 人と世界を損う闇の力の「滅びは定められ、正義がみなぎる」イザヤ10:23。

 闇の中に平和の光が輝きを増していきます。平和の君としておいでになったイエスの光が、わたしたち照らし導いてくださいますように。
               (2006/12/24 降誕日前夕)

京都聖三一教会 クリスマス礼拝のご案内

京都聖三一教会礼拝堂の十字架





「あなたの杖をもって
御自分の民を牧してください
あなたの嗣業である羊の群れを。」
             旧約聖書・ミカ書7:14

 これは長い間の人々の祈りでした。
 神が、ただ私たちを慰め支えてくださるばかりではなく、私たちと世界を統治してくださいますように。神が荒れ狂う世界をしずめ、私たちの心と生活を治め、導いてくださいますように。

 その祈りにこたえて、神の御子(みこ)がおいでになりました。イエス・キリストは、私たちを守り、治め、導く、王にして牧者です。京都聖三一教会礼拝堂の十字架は、王にして牧者なるこの方をあらわしています。

 このクリスマスに、新しく御子の訪れを迎え入れましょう。
 皆様の上に、イエスさまの恵みと平和がありますように。

      2006年 降臨節
                日本聖公会 京都聖三一教会
                  牧師 司祭 ヨハネ 井田 泉

礼拝のご案内

☆12月24日(日)
 午前10時30分 降臨節第4主日聖餐式
   礼拝後、クリスマス祝会

 午後6時30分 クリスマス・イヴ礼拝
       (キャンドルサービス)

 午後10時  クリスマス深夜聖餐式
      (ライアー<竪琴>伴奏)

☆12月25日(月)
 午前10時30分 降誕日聖餐式

☆12月31日(日)午前10時30分
 午前10時30分 降誕後第1主日聖餐式

☆2007年1月1日(月)
 午前10時30分 主イエス命名の日(元旦)聖餐式

クリスマス──待望と実現

 祈りと黙想のために


詩編 第130編1‐2節

 深い淵の底から、主よ、あなたを呼びます。
 主よ、この声を聞き取ってください。
 嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。


<預言>
旧約聖書ミカ書 第5章1‐4節

エフラタのベツレヘムよ
お前はユダの氏族の中でいと小さき者。
お前の中から、わたしのために
イスラエルを治める者が出る。

彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。
まことに、主は彼らを捨ておかれる
産婦が子を産むときまで。

そのとき、彼の兄弟の残りの者は
イスラエルの子らのもとに帰って来る。

彼は立って、群れを養う
主の力、神である主の御名の威厳をもって。
彼らは安らかに住まう。

今や、彼は大いなる者となり
その力が地の果てに及ぶからだ。

彼こそ、まさしく平和である。


<祈りと約束>
ミカ書 第7章14‐15節

あなたの杖をもって
御自分の民を牧してください
あなたの嗣業である羊の群れを。

彼らが豊かな牧場の森に
ただひとり守られて住み
遠い昔のように、バシャンとギレアドで
草をはむことができるように。

お前がエジプトの地を出たときのように
彼らに驚くべき業をわたしは示す。


<実現>
新約聖書 ルカによる福音書 第2章8‐14節

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。
「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

 すると突然この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」

日ごとの聖句243 2006/12/24〜30 降誕

2006年12月24日(日)降臨節第4主日
エフラタのベツレヘムよ、お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。ミカ5:1

12月25日(月)降誕日
彼は立って、群れを養う。主の力、神である主の御名の威厳をもって。彼らは安らかに住まう。ミカ5:3

12月26日(火)最初の殉教者聖ステパノ日
最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。使徒言行録6:15

12月27日(水)福音記者使徒聖ヨハネ日
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネ3:16

12月28日(木)聖なる幼子の日
「これらの小さな者を一人でも軽んじないように。彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいる。マタイ18:10

12月29日(金)
今や、彼は大いなる者となり、その力は地の果てに及ぶ。彼こそ、まさしく平和である。ミカ5:3‐4

12月30日(土)
あなたの杖をもって、御自分の民を牧してください。あなたの嗣業である羊の群れを。ミカ7:14

教育基本法について

 京都復活教会の松本 明(めい)さんが書かれたものを大変重要な内容であると考え、紹介させていただきます。
 なお文中の「亡き父」とありますのは、昨年夏に逝去された松本信一(李甲成)さんです。


  教育基本法の改悪について
 
                      2006年12月16日

                  松本 明(京都復活教会)

                     
 主の御降誕をお祝い申し上げます。

 遂に「教育基本法」の改悪と防衛庁を防衛省に昇格させる法案が成立しました。特に、後者は民主党までも賛成してのことです。今日の「朝日新聞社説」も書いていますが、戦後の体制の一大転換点であります。安部首相が祖父岸信介元首相ゆずりの極右体質をむき出しにしてきました。 
                                 私が恐れるのはマスコミを含めて,世間の関心が異常に低いことです。テレビも新聞も国会の動向よりも松坂大輔のレッドソックス入りの多額の契約金の方を大きく取り上げています。
 
亡き父は、生前「東京音頭」が流れると(ヤクルトの応援歌でもある)、「戦争が始まる」と言って、とても嫌がりました。この歌が大ヒットした1933(昭和8)年は、父が満14歳で日本に来て2年目でした。
旧制の中学へ入学した年で前年のクリスマスからモリス先生を慕って京都復活教会へ通い始めました。

2年前の1931年9月に始まった「満州事変」は15年戦争の発端となりましたが、それは終わってからの話で当時は東北地方の冷害による娘の身売りとか悲惨な現実をよそに、東京を始め大都市ではつかの間の享楽を楽しんでいました。
32年の血盟団事件や5・15事件など後の軍部独裁体制の基礎が着々整えられていました。

『歴史は繰り返す』ことは、まずあり得ないとは思いますが、行き着く先は「憲法改悪」、自衛隊に変わる正規の軍隊の創設=徴兵制の実施、陛下の赤子として国のために殉ずることを厭わない子どもを育てるための第一歩であります。

小泉政権下でいわゆる「勝ち組」、「負け組」の階層分化がいっそう進み、子殺し、親殺し、金銭を巡る殺伐とした事件が頻発する世の中を「いつか来た道」を歩むことで問題を解決しようとする発想、特に戦前の苦難に満ちた先人たちを顧みず、ひたすら自民党に協力する公明党の姿は我々クリスチャンにとっての「反面教師」であり、1937年東大をおわれた矢内原忠雄氏が唱えたように主の再臨によって今日の日本の現状に「最後の審判」を下すべき時だと思います。
   
クリスマスを前に率直な心情を述べさせて頂きました。
          
                 

日ごとの聖句242 2006/12/17〜23 羊飼い

2006年12月17日(日)降臨節第3主日
シオンよ、恐れるな。力なく手を垂れるな。お前の主なる神はお前のただ中におられる。ゼファニヤ3:17

12月18日(月)
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。ルカ2:8

12月19日(火)
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。ルカ2:9

12月20日(水)
天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。ルカ2:10

12月21日(木)使徒聖トマス日
今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。ルカ2:11

12月22日(金)
あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。ルカ2:12

12月23日(土)
突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ。地には平和、御心に適う人にあれ。」ルカ2:13‐14

教育基本法改悪 強行採決に反対します

 教育基本法の改悪が明日にも強行採決されようとしています。

 教育基本法は、罪なき人々のおびただしい血を流させた戦争を悔いて、「これからは絶対に戦争しない。国家に戦争をさせない。子どもたちを戦いに行かせない」という切なる決意をこめて定められたものです。これは日本国憲法と一体のものです。

 ところが今、「日本はそんなに悪くない」「お互いさまだ」「歴史とはそういうものだ」「国家として当然だ」「過去のことはすべて解決済みだ」というものすごい勢いで、大切なことが曲げられ、変えられようとしています。

 聖書は歴史の書であり、キリスト教は歴史に学ぶはずの信仰です。

 過去に対する責任、現在に対する責任、子どもたちの未来に対する責任を引き受けて今を生きることが信仰です。

 犯した過ちを合理化するのではなく、誠実に向き合い、悔い改めて再出発することは、預言者と使徒たちが、だれよりイエスさまが呼びかけつづけたことでした。それは、個人の場合も共同体の場合も国の場合も同じです。

 私たちはけっして自分では責任を負いきれません。しかしアダム以来の罪と悪の歴史の責任、また私自身の責任をイエス・キリストが引き受けてくださったがゆえに、私も生きることを許され、自分なりに責任を引き受けてイエスさまと一緒に歩んでいこうとする道が開かれました。
 
 ヨハネの黙示録の終わりのほう、第21章2節以下には、神の都について次のように記されています。

「この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりだからである。諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。都の門は、一日中決して閉ざされない。そこには夜がないからである。人々は、諸国の民の栄光と誉れとを携えて都に来る。しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。」

 私たち日本の民もまた、自分の栄光を携えて、言い換えれば、私たちの歴史、文化、美しいもの、よきものを携えて、神の都に集うように招かれています。
 しかし、悔い改めのないままに増長・膨張した姿では、その門は狭くて入れないことを恐れます。

美しい国へ?

美しい国へ?




美しい国へ?
──安倍政権誕生に思う


 9月26日、安倍晋三新政権が発足しました。スローガンは「美しい国、日本」です。安倍氏が7月に出した『美しい国へ』(文春新書)から一部をご紹介します。

 「日本の歴史は、天皇を縦糸にして織られてきた長大なタペストリー……。日本の国柄をあらわす根幹が天皇制である。」
 太平洋戦争末期、特攻隊員として死んでいったある青年の日記を引用して次のように言います。

「自らの死を意味あるものにし、自らの生を永遠のものにしようとする意志もあった。それを可能にするのが大義に殉じることではなかったか。……死を目前にした瞬間、愛しい人のことを想いつつも、日本という国の悠久の歴史が続くことを願ったのである。……戦後生まれのわたしたちは、……国家のためにすすんで身を投じた人たちにたいし、尊崇の念をあらわしてきただろうか。たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか。」

 「教育の目的は、志ある国民を育て、品格ある国家をつくることだ。そして教育の再興は国家の任である。」

 手短に言えば、「天皇を中心とした日本の国柄を重んじ、ときには自分のいのちを投げ打ってでも国家に尽くそうとする志ある国民をつくり出そう」というのが新首相の方針です。

 ところで小泉純一郎前首相は、退任前の8月15日、靖國神社に参拝しました。靖國神社とは、天皇を中心とする日本国家の侵略戦争で死んだ軍人軍属を祭神としてまつっているところです。「護国の英霊246万6532柱」と言われます。

 靖國神社の本殿の前に二つの大燈篭があります。近現代において日本がアジアで行った戦争の場面を示すレリーフが合計16枚はめ込まれています。その趣旨説明文の終わりを現代語訳しますと──

「もし、石に彫りつけた皆殺しの戦いの奮闘の図を見て感激発憤して立ち上がり、天皇とお国のために忠義を尽くし勇を鼓して奉公しようとの念を新たにしてくれればと、後に続く強い兵に期待する。」

 戦死した人々を「神」としてまつり、「その尊い功績を覚えて、天皇と国家のために後に続け」と、いのちを差し出すように教育してきた機関がこの靖国神社です。これと安倍新政権の方針と、どれほどの距離があるでしょう。

 ところで靖國神社には2万1181名の韓国・朝鮮人が合祀されています。日本の戦争のために韓国・朝鮮から徴用されて戦死した人たちが、いまだに「護国の英霊」とされているのです。「軍人軍属ゆえに侵略の加担者とみなされ、苦痛を味わった遺族は、死んでなお愛する人の魂を侵略者に奪われ、苦痛を強いられている」(在韓軍人軍属裁判を支援する会)。

 2001年6月、韓国在住の元日本軍の軍人・軍属の生存者と遺族414名が、日本政府に対し「靖国合祀の取り消し」「遺骨返還」「未払い給料の返還」などを求めて裁判を起こしました。しかし今年5月25日、東京地裁はすべての請求を退ける判決を下しました。

 遺族のひとり李熙子(イ・ヒジャ)さんはこう話しています。「父親が靖国神祉に合祀されているということは、いまだに父親の霊魂が植民地支配を受けていることだと思います。……昨年8月15目に合祀取り下げを要請するために靖國神社を訪ねました。しかし日本の右翼たちが車で人を動員して阻止する光景を見て、父の霊魂が靖國神社に祭られていることに子としてなによりも胸が痛みました。日本の小泉首相は昨年8月に靖國神社を公式参拝し、これに反発して違憲訴訟を提訴した韓国の被害者と日本の良心勢力を『おかしな人たち』と罵倒しました。」

「それゆえ、主なる神はこう言われる。『わたしは、お前たちが、人々の魂を鳥を捕らえるように捕らえるために、使っている呪術のひもに立ち向かい、それをお前たちの腕から引きちぎり、お前たちが鳥を捕らえるように捕らえた魂を解き放つ。……お前たちは、わたしが苦しめようとはしていないのに、神に従う者の心を偽りをもって苦しめ、神に逆らう者の手を強め、彼らが悪の道から立ち帰って、命を得ることができないようにしている。』」エゼキエル13:20‐22

 人の腕を捕らえて戦争に送り出し、人の魂を捕らえてその死を「大義に殉じた」尊いものと信じさせ、次なる戦争へと備えさせる──これが靖國神社の呪縛です。

 神はこの呪縛を断ち切って腕と魂を解放しようとされる。「わたしが苦しめようとはしていないのに」と、この歴史と現実を嘆かれる主は、命を私たちに得させようとして情熱を注がれます。それが預言者エゼキエルが証しした神なのです。

      (聖公会生野センター「ウルリム」第41号 2006/11/20)

祈られるイエス──「ルカによる福音書」

「ルカによる福音書」はマルコ福音書を元にしつつ独自の資料を加えて書かれました。その点はマタイ福音書と同じです。

 マタイ福音書がイスラエルの伝統を強く意識して書かれているのに対して、ルカ福音書は目標を広く世界に置いています。イエスの系図はマタイではアブラハムから始まる(マタイ1:1‐2)のに対して、ルカでは人類の始祖アダムにさかのぼります(ルカ3:38)。
 ルカ福音書と使徒言行録の著者は同一人物です。

 ルカ福音書には祈られるイエスの姿が目立ちますので、それを中心に見ていくことにします。

1. 3:21‐22「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」
 

2. 6:12‐13「そのころ、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた。朝になると弟子たちを呼び集め、その中から十二人を選んで使徒と名付けられた。」

 イエスが祈って選ばれたのが12使徒であり、また私たちもイエスの祈りによって招かれた者です。

3. 9:28‐30「この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。」
 

4. 10:21「そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。』」

 イエスの祈りの言葉そのものが記されている箇所は多くありません。その貴重な箇所の一つです。ここには神への賛美が溢れています。
 詩編115:15「天地の造り主、主が、あなたたちを祝福してくださるように。」が思い出されます。

5. 11:1‐2「イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、『主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください』と言った。そこで、イエスは言われた。『祈るときには、こう言いなさい。“父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。……”』」

 「主の祈り」はこことマタイ6:9‐が元になっています。祈ることそのものと祈りの内容を、私たちはイエスさまから学ぶのです。

6. 22:17‐19「そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。『これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。』それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。』」

 最後の晩餐の場面。この祈りと分ち合いから聖餐式が始まりました。

7. 22:39‐46「イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、『誘惑に陥らないように祈りなさい』と言われた。そして自分は、石を投げて届くほどの所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。『父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。』〔すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。イエスは言われた。『なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。』」

 イエスの命がけの祈りです。この祈りをとおして、イエスは十字架の苦難を受け入れられたのです。

8. 23:33‐34「『されこうべ』と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。〔そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。」

 十字架の上での執り成しの祈り。

9. 23:44‐46「既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。イエスは大声で叫ばれた。『父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。』こう言って息を引き取られた。」
 

10. 24:50‐53「イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」

 祈るイエスは、ここで祈られる(祈りを受ける=礼拝の対象)イエスとなります。
 イエスは私たちのために祈り、私たちと共に祈ってくださる方であるとともに、私たちの祈りを聞いてくださる方なのです。

               (京都聖三一教会「聖書の会」2006/12/10)

エッサイの根より──「ライアーのクリスマス」メッセージ

 1 エサイの根より おいいでたる
   くすしきはなは さきそめけり
   わが主イエスの  うまれたまいし
   このよき日よ

 2 イザヤのつげし すくいぬしは
   きよきははより うまれましぬ
   主のちかいの   いましもなれる
   このよき日よ

 3 たえにとうとき イエスのみなの
   かおりはとおく 世にあまねし
   いざやともに  よろこびいわえ
   このよき日を          (聖歌19)

 イエスさまの時代からさかのぼること七百数十年、紀元前8世紀、ユダ王国にイザヤという預言者がいました。預言者とは、神の言葉を預る人、神の声を聞いて人に伝える人です。

 当時、ユダのアハズ王は外国の脅威を理由に軍備を拡大し、戦争準備を進めていました。イザヤはアハズ王に面会し、「武力によっては国の安全は守れない。平和の道を求めよ」と訴えましたが、王は耳を貸そうとはしませんでした。
 イザヤは、このままでは国は滅亡すると知って嘆きましたが、そのとき神から将来の救いのビジョン(幻)を示されました。

「見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」旧約聖書イザヤ書7:14

「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。」11:1

 エッサイを始祖とするユダ王国は滅亡する。しかし倒れた木の根元から新しい芽が出るように、エッサイの子孫から救い主が誕生する。滅びのはるかかなたに、救いの実現をイザヤは見たのです。

 それから七百数十年が過ぎて、イザヤの預言は実現しました。
 イザヤの告げた救い主は、おとめマリアから生まれました。エッサイの流れを受け継ぐイエスは、平和を実現するために来られました。

 今の時代、この世界に、イザヤが願ったように平和の花が咲き、かぐわしい香を放ちますように。
イザヤの告げた救い主が、私たちすべてを支えてくださいますように。
天に栄光が満ち、主イエスの降誕の喜びが地に溢れますように。アーメン

(プリモール「ライアーのクリスマス」 2006/12/10 右京ふれあい文化会館)

☆プログラム

日ごとの聖句241 2006/12/10〜16 ベツレヘム

2006年12月10日(日)降臨節第2主日
ヨセフもダビデの血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。ルカ2:4

12月11日(月)
エフラタのベツレヘムよ、お前の中から、わたしのために、イスラエルを治める者が出る。ミカ5:1

12月12日(火)
彼は立って、群れを養う。彼らは安らかに住まう。今や、彼は大いなる者となり、その力が地の果てに及ぶからだ。ミカ5:3

12月13日(水)
あなたの杖をもって、御自分の民を牧してください、あなたの嗣業である羊の群れを。ミカ7:14

12月14日(木)
死の陰の谷を行くときも、わたしはわざわいを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。詩編23:4

12月15日(金)
彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。ルカ2:6‐7

12月16日(土)
主よ、天に輝くあなたの威光をたたえます。幼子、乳飲み子の口によって。詩編8:2‐3

夕べになっても光がある

Adventskranz



                   ゼカリヤ14:7

 「夕べになっても光がある。」

 このような言葉を今日、旧約聖書日課から聞きました。
 旧約聖書全39巻の終わりから二つ目、ゼカリヤ書の言葉です。12の小預言書が集められているその11番目、ゼカリヤ書の最後、第14章の言葉でした。

 「夕べになっても光がある。」

 この言葉が語られ、聞かれた時代がどのような時代であったかは必ずしもはっきりしていませんが、紀元前4世紀、アレキサンダー大王がイスラエル、パレスチナを征服、支配した頃とも言われます。

 12章に描かれているのは大きな嘆きです。

 「その日、エルサレムにはメギド・リモンの嘆きのように大きな嘆きが起る。大地は嘆く。」12:11‐12

 深い悩みと嘆きの時代であったことが分かります。社会の堕落、戦争、信仰の腐敗がありました。

 これは今の時代と似ている気がします。
 特に、今国会では教育基本法の改定、共謀罪の新設、防衛庁の防衛省への格上げがなされそうです。国家への忠誠を求める教育が求められ、自由な議論が監視され、戦争をよりしやすくする仕組みができていく。しばらく前には予想もされなかったことでした。国会周辺では連日、これに対する抗議行動「スタンディング」、ハンガーストライキ、祈りが行われています。聖公会の信徒も加わっています。

 わたしはこのごろ、イエスさまの嘆きを聞く思いがします。
「エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、言われた。『もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。』」ルカ19:41‐42

 預言者ゼカリヤの時代は、社会の堕落、戦争の恐怖、信仰の腐敗の中で、世界がますます暗黒に包まれていくように感じられた時代でした。希望がまったく見えない、凍りついたような愛のない世界。人々の気力は萎えてしまっています。

 しかしその悩みと嘆きの中で、神さまは約束を語りかけられます。
 ゼカリヤ書12、13、14章からそれぞれ一つずつ、三つの神の約束を聞きましょう。

「わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。」12:10
 「わたしは」。神が行動を開始されるのです。「わたしは霊を注ぐ」。憐れみの霊、祈りの霊。神の力が私たちの内側に注がれて、神の憐れみが私たちの心をひたし、私たちの魂に祈りが起るのです。

「その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れを洗い清める一つの泉が開かれる。」13:1
一つの泉が開かれ、湧き出し、流れ溢れて、罪と汚れを清めていく。神がその泉を開いてくださるのです。

そして今日の14章。

「その日には、光がなく
冷えて、凍てつくばかりである。
しかし、ただひとつの日が来る。
その日は主にのみ知られている。
そのときは昼もなければ、夜もなく
夕べになっても光がある。」14:6‐7

この世界が悩みと嘆きに満ちて、闇が世界を呑み込もうとするとき、しかし「夕べになっても光がある。」
この人生に悲しみが多く、人の心は冷えて凍てつくばかりの中で人生の夕暮れを迎えようとするとき、それでも「夕べになっても光がある。」

 神が光を用意してくださるのです。神自らが光となって来られる。凍てつくばかりの冷たい世界と人の心の中に来られて、あたたかく優しい神の光が宿るので、私たちは生きていくことができる。
 これが、神のみ子が人となっておいでになったことの意味です。

 今日から降臨節。主の降誕を祈り迎える期節に入りました。

「夕べになっても光がある。」

 その光の到来をまっすぐに感じて受け容れることができるように、クリスマスのよき備えをしましょう。
              (2006/12/03 京都聖三一教会)

京都聖ステパノ教会「おしゃべりコンサート」

Oxford - Chicago





  京都聖ステパノ教会
  ~ リードオルガンを囲んで ~
  「おしゃべりコンサート」


とき  12月 10日(日) 午後1:30 〜

ばしょ 京都聖ステパノ教会 礼拝堂

出演  オルガン  末松玲子(京都聖マリア教会)
     う た    安藤邦子(聖光教会)

★大中寅二作曲 オルガン作品集より
★大中恩作曲  童謡、日曜学校のころ より
★リードオルガン伴奏による懐かしい童謡・唱歌 と 聖歌・ゴスペル
★クリスマス キャロル より
「新しい聖歌集の歌、クリスマスソングをみんなで歌いましょう。」
※どなたでも、お越しください。入場無料です

 ステパノ教会に8月から新しいリードオルガンが入りました。
 OXFORD ORGAN Chicago U.S.A 73 1890
声と調和してやわらかい響きを奏でます。
 
ステパノ教会ではこれまで、大切にしてきたオルガンが弱りましたので、新しく礼拝で聖歌を歌うのにふさわしい、声と調和して柔らかい響きを奏でる、中古のリードオルガンを購入しました。このコンサートを機会に是非お越しください。


日本聖公会 京都聖ステパノ教会
〒615-8196 京都市西京区川島尻堀町38−9
電話・Fax  075−391−1393

ライアーのクリスマス

Leier




  プリモール           
    ライアーのクリスマス 
      2006



ライアーの清らかで澄んだ響きで
クリスマスのよろこびを分かち合う
安らかなひとときを持ちたいと思います。
小さな私たちの音に
恵みの光が添えられますように

ぜひ、いらしてください。
(ライアーはひざの上にのせて演奏する小さなたてごとです)

参加費 1、000円(お菓子と飲み物を御用意します)

演奏 プリモール ライアーの集いのメンバー
 
            お問い合わせ&連絡先 小野 純子
            T/F (077) 529 – 1703

12月10日 午後2:00開演(1:30開場)
右京ふれあい文化会館 創造活動室 (075) 822 - 3349
       (JR嵯峨野線「花園駅」より南へ徒歩5分)

               主催 プリモール

(私は後半に短い礼拝を担当し、またリコーダーを吹く予定です。)

☆プログラム

日ごとの聖句240  2006/12/3〜9  お告げ

2006年12月3日(日)降臨節第1主日
夕べになっても光がある。ゼカリヤ14:7

12月4日(月)
六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ルカ1:26

12月5日(火)
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」ルカ1:28

12月6日(水)
すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。ルカ1:30

12月7日(木)
「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。」ルカ1:31

12月8日(金)
天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。ルカ1:35

12月9日(土)
マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」ルカ1:38
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 『日韓キリスト教関係史資料』第3巻の編集
 リコーダーの世界
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井田 泉
奈良基督教会牧師
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