Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2007年07月

ブログの更新

 ずっとブログのデザインをさわらず、もっとも単純なものにしていたのですが、ちょっと気が変わってデザインを変更しました。

 ところが字が小さかったり、文字の色が薄かったり、タイトルが消えたりするので、いろいろさわっているうちに、自分の意図とは別に何度も変更する羽目になりました。

 ブログの内容の更新は慣れてきましたが、デザインを自分で工夫、調整するには至りません。

 明日は参議院議員選挙。
 平和を実現するために行動しましょう。

 安倍晴明という陰陽師に興味が湧いて、夢枕獏の文庫本を読みかけています。こういうことを聖書と関連させて探求すると何かが開けてくるかもしれません。

 でも説教をつくらないと。

日ごとの聖句274 2007/7/29〜8/4 主の祈り

2007年7月29日(日)聖霊降臨後第9主日
イエスはある所で祈っておられた。ルカ11:1

7月30日(月)
祈りが終わると、弟子の一人がイエスに、「主よ、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。ルカ11:1

7月31日(火)
イエスは言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。』」ルカ11:2

8月1日(水)
わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。ルカ11:3

8月2日(木)
わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。ルカ11:4

8月3日(金)
わたしたちを誘惑に遭わせないでください。ルカ11:4

8月4日(土)
求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。ルカ11:9

「うつ」について

 うつに悩む人が多い。

 うつから自死に至る悲しい場合も身近に経験した。

 私自身がうつの経験者なので他人事とは思えない。
 人の役に立つならいずれ私の経験を詳しく書きたいと思っているが、いまは少しだけ。

<参考になった本>

笠原 嘉『軽症うつ病』講談社現代新書
 真っ先に勧めたい本。何度も読んだ。とても役に立った。

笠原 嘉『不安の病理』岩波新書
 これは古い本なので手に入れにくいかもしれない。うつに限らず、心の不調に苦しむ人に有益。この著者のものはとてもよいと思う。

竹脇無我『凄絶な生還──うつ病になってよかった』マキノ出版、2003年
 俳優の体験記。人の体験を知ることはすぐに自分の解決にならないとしても支え、慰めになる。

ピート・C・カイパー『うつ、その深き淵より──ある精神科医の闘病記録』創元社
 本格的な本。むつかしいがとても良かった。

これらとは別に聖書。特に旧約聖書・詩編は離せなかった。

また旧約聖書・出エジプト記の次の言葉をずっと頼りにしていた。

「わたしはあなたをいやす主である。」15:26


<病と癒しの三つのレベル>

1. 身体

 散歩、昼寝、ぼーっとすることは大変よい。
 景色を見ること、木、風、光……

2. 心(魂)

 急がないこと。
 精神科(神経科・心療内科)にかかること、薬を服用することを恐れない。腹痛に腹痛の薬を飲むのと同じ。
 精神科では最初は詳しく話を聞いてくれるが、後はたいてい状態を聞いて薬を処方してくれる程度。しかしこれが大事。
 心の深い話を継続的に丁寧に聞いてもらうには精神科ではなく、カウンセリングがよいと思われる。

3. 霊

 これは心と連続しているが、特に信仰と関わる領域。
 信仰者のいやしは最終的にこのレベルが重要になる。これは医師の範囲を超える。

 信仰者の中には「医者にはかからない。信仰でなおす」という人がまれにいるが、それは間違っている。次の聖書の言葉を聞こう。

 旧約聖書続編・シラ書第38章から

「医者をその仕事のゆえに敬え。主が医者を造られたのだから。」
「医者は薬によって人をいやし、痛みを取り除く。」

「子よ、病気になったら放置せず、主に祈れ。
そうすれば、主は治してくださる。」
「その上で、医者にも助けを求めよ。主が医者を造られたのだから。彼を去らせるな。お前には彼が必要なのだ。」

「医者もまた主に祈り求めているのだ。
病人の苦しみを和らげ、命を永らえさせる治療に成功することを。」

 神が人間の破れを引き受け、癒してくださる。聖書からその呼びかけを聞くことができる。
 
 うつ状態のときはその呼びかけを聞くこと自体が困難になるが、それでも聖書の言葉は支えとなる。

「恐れるな、わたしはあなたを贖(あがな)う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。」イザヤ43:1

「わたしはあなたを固くとらえて言った。あなたはわたしの僕、わたしはあなたを選び、決して見捨てない。」イザヤ41:9

「山が移り、丘が揺らぐこともあろう。
しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず、わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと、あなたを憐れむ主は言われる。」イザヤ54:10

「わたしは疲れた魂を潤し、衰えた魂に力を満たす。」エレミヤ31:25


<周囲の人への短い助言>

1. 時間は長くかかるが、必ず回復すると信じていること。
 苦しんで忍耐していた年月が長いほど時間を要するのは当然。

2. 励ましは禁物。まして叱ったりとがめたりすることはいけない。「がんばれ」などと言ってはならない。がんばり過ぎてうつになったのだから、それを言われると身の置き所がなくなる。

3. 問い詰めたり、説明を求めたりしない。ゆるやかに、ある程度距離をおいて支えている関係がよい。周りが深刻になりすぎないのがよい。

4. 祈って支えていることが長期的に大きな力になる。

5. 信頼できる人に助言を求めるのはよい。しかし「こうすればなおる」式のものは、宗教・非宗教を問わず危うい。

6. 周りの人自身が思い詰めず、自分のよりどころをもってしっかりしていたい。


説教者としてのわたしの歩み

説教者としてのわたしの歩み

                井田 泉

『福音と世界』2003年9月号に掲載されたものです。当時は京都復活教会牧師、復活幼稚園園長をしていました。4年前に書いたもので、立場も状況も気分もすっかり変わりましたが、基本的な考えは同じなのでここに掲載することにします。


1.御言葉への渇きから

 わたしは牧師になるつもりはなかった。なるべきでない、ならない、と繰り返していた。信仰が行き詰まって破滅するとき、もし自分が牧師なら人を巻き添えにしてしまうだろう。恐ろしいと思った。

 わたしの学生時代は学園闘争と教会革新運動の嵐の吹き荒れた時代だった。ある年の夏、日本聖公会学生キリスト教運動(SCM)の「スタディ・カンファレンス」というのが野尻湖畔で開かれた。講師のT氏は「今どき、イエスの復活を本気で信じている者など一人もいない」と言い放った。ショックだった。

 それ以来、「復活」が分からないことが悩みの中心となった。礼拝には毎週出席し、サーバー(侍者=聖餐式で司祭を助ける役)をしていたが、礼拝の最初から最後までが「後から人間が勝手に作ったものではないか。神は存在しないのではないか」という疑問に苦しんだ。

 所属教会の牧師の説教はわたしの疑問と悩みに答えてくれなかった。いろんな神学者の言説が登場し、雑誌の社会評論が取り上げられたが、わたしの中には叫びがあった。「そのようなことを聞きたいのではない! 神が生きておられるなら、生きた福音の響きがあるはずではないか!」

 友人の教会の交わりに加えていただいて、かろうじて渇きを癒していた。

 大学(大阪外国語大学朝鮮語学科)を卒業する少し前、通学の電車の中でルカ24章の「エマオ途上」の物語を読んでいた。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」のところで、心の中に暖かいものが燃えた。それが何日経っても消えなかった。そうして、復活のイエスがずっと、悩むわたしと共に歩んでいてくださったことを知った。悩みであった「復活」が、生きる喜び、また命となった。

 その後、同志社の大学院(歴史神学専攻)で学ぶうち、そんなはずはなかったのに聖職志願を出し、東京の聖公会神学院に入学した。

 在学中、ひどいうつ状態になり、容易に回復しなかった。あれほど心を喜びで満たした復活のイエスのリアリティも感じられなくなった。神をふたたび見失った。恐ろしい不安がしばしば襲って来た。何とか救われたいと思って、祈祷書の末尾に収められている詩編(当時は文語)を一挙に数十編、声を出して読んだ。聖書と水筒だけ持って山に登り、神を呼んだこともあった。

 ボンヘッファーの『誘惑』を読んだ。自分の魂の苦しみを知ってくれる人がここにいる。ありがたかった。

「イエスもまた誘惑においてご自分の力をすべて奪われ、神と人間とから見捨てられてただひとりにされ、サタンの強奪を不安の中で忍ばなければならず、彼はまったくの暗黒の中につき落とされる。彼には、彼を固くとらえ、彼にかわって戦い、勝利するところの助け・守り・支える神の言葉以外に何も残っていない」。

 「彼にかわって戦い、勝利するところの助け・守り・支える神の言葉」。聖書を探求するほかないと思った。たとえ自分がそれを感じられなくても、マリアが「わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」と歌うのをどうして「うそだ」と決めつける権利がわたしにあろうか。マリアをそのように歌わずにはおらせなかったもの。それを確かめたいと思った。自分の中の信仰ではなく(そのようなものは「ある」とは言えなかった)、自分の外にある「証言」が重要だ。全聖書の、そして教会の歴史のあらゆる信仰の人々の「証言」を聴き、それを確認しつくすまでは死ぬわけにはいかないと思った。

 神学院の2年目。関田寛雄先生の説教学を受講した。自分の求めているものに出会った気がした。最初の講義で先生が「福音の言葉が生きて働かなければ、リタジーもサクラメントも意味と力を失ってしまう」(不正確な記憶だが)と言われた言葉は忘れられない。



2.説教者にして説教の教師

 信仰の問題が解決しないままに神学院を卒業し、京都の下鴨基督教会に派遣された。ひと月、いや数日を過ごす信仰もなかった。かつてイスラエルの民が荒野を旅したとき、朝ごとにその日のマナを受けたという。わたしもその日一日を生きて働くための御言葉と信仰を願い求めて、一日一日を生き延びた。バルトの「信仰は――朝ごとに新しく!――ひとつの歴史である」(『福音主義神学入門』)という言葉が励ましであった。

 雑用に追われ、説教の準備をする時間がなかった。土曜日の夜になると決まって不機嫌になり、家族に迷惑をかけた。

 一所懸命準備しても「先生、今日の説教はおもしろなかった」と言われることもあった。後から思い当たることがあった。それは、この言葉だけでは不十分と感じて、他の聖書の言葉をやたらと補強するように付け足した時だった。中心にしようとする言葉をもっと深く聴く必要があるのだ。いくら熱心に語ってもどこか空虚な気がすることもある。それはたいてい、語る自分がその言葉を自分のために味わっていない時である。

 司祭となって自分で聖餐式を司式するようになったとき、毎回感動を味わった。しかし月日が過ぎ、疲れがたまってくると、毎回先発完投を要求されるピッチャーのようで、「牧師とは毎週説教すべく呪われた存在だ」などと思ったりした。

 5年間下鴨で勤めた後、立教大学キリスト教学科の助手になった。助手の3年目、関田先生の後を任されて聖公会神学院の説教学を担当することになった。神学院の専任教員として過ごした15年を含め、計16年間説教学を担当したことになる。

 わたし自身は志願の時から御言葉の務めを聖職の働きの中心と考えていた。神学院を卒業する前に渡された概評には「聖書への関心に比して教会論や聖餐論への関心が薄い」と書かれ、それで何が悪い、と居直っていた。しかしこんなわたしは日本聖公会には珍しい存在であったようだ。

 聖書をろくに読まずに神学校に入ってくる者が少なくない。説教の重要性を強調すると、「説教は主要な務めとは思っていなかった」と言う学生がいる。なんと正直な、と思いつつため息が出る。1970年の改革まで聖公会神学院には独立した「説教学」の科目はなく、「礼拝学」に含まれていたという。

 聖公会は言わばローマ・カトリックとプロテスタントの中間にある教会である。宗教改革は行ったが、カトリックの伝統の多くを残した。両者の長所を生かすことができればすばらしいと思うのだが、実際には伝統的な儀式(主として聖餐式)に寄りかかって、御言葉と毎週新しく出会う努力を怠ってきたのではないか。

 自分の使命は日本聖公会の説教者を育成することにあると信じて努力した。聖書の釈義、黙想、会衆、今の時代また自分自身との関係など、説教の課題は多い。技術的なことも実は本質に関わることである。しかし説教の成否は、最終的にはわたしをとおして神ご自身が語ってくださるかどうかにかかっている。「心に汗をかき、原稿を書き、そして最後は恥をかこう(失敗を恐れずメンツにこだわらず勇気をもって語ろう)」。そう言って学生を励ました。

 1980年代の特に後半から切実に思っていた課題がある。日本聖公会の戦争責任の問題である。『日韓キリスト教関係史資料供戞壁拑筌リスト教センター編・新教出版社)の編集に携わったこともあり、日本によって神社参拝を強制された朝鮮のキリスト者の叫びが自分の魂に突き刺さっていた。当時の日本聖公会の礼拝を調べてみると、侵略戦争と植民地支配を支持・協力し、天皇制国家の繁栄を願うものばかりである。

 たとえば教務院(現在の管区事務所=日本聖公会の執行機関)の名で作成・配布された「支那事変特別祈願式」という礼拝式文(1937年)の中には「『国民精神総動員』ノ趣旨併セテ非常時信徒ノ本分ニツキ説教ヲナス」とある。神の意志を伝えるべき説教が、国家の意志を代弁するものになってしまっている。説教者としてこれだけは許すことはできない、神への背信行為だと思った。聖書、ことにエゼキエル書は、日本聖公会の戦争責任を負うようにわたしを強制した。

 説教や講演でこうしたことに触れるのは辛かった。あるときの講演に対する聴衆の最初の反応は「今日の話は何の意味もない」というものであった。「過激で偏った教師たち」に支配(?)された神学校に学生を送るわけにはいかないという声が聞こえてきた。



3.ふたたび牧師として

 長い間のストレスのせいか、うつ病になり、精神科にかかった。本を読んでも意味が取れない。物を考えること、判断することができず、会合でも全く発言することができなくなってしまった。目の前にいる人と話すにも声が出にくく、ひどく疲れた。「礼拝のときに声が出ますように」と祈った。気力と意欲を失い、好きな音楽も聞く気がせず、書店に入ると吐き気がした。感情が(不安と悲しみと「死んだらどんなに楽だろう」という思いのほかは)動かなくなった。頭が「透明の箱」の中に入っているようで、人とのコミュニケーションが困難だった。

 2000年春、聖公会神学院を退職、母教会で1年間静養の時を過ごした。アパートに住み、日曜ごとに教会に通って聖餐式を司式し、月2回説教した。時間はあったので原稿は早めにできたが、原稿に書いてあることしか話せなかった。毎日夕方散歩に出かけ、公園のベンチに腰掛けて祈った。神はわたしを使い尽されて、この世にはもはや自分のなすべきことは何も残っていないのではないか、という気がした。

 2001年春、京都復活教会牧師に任命された。不安を抱えての赴任だった。相変わらず頭に「透明の箱」を被っていた。毎朝、人と会う前に必ず礼拝堂で時を過ごし、その日の聖書の一節を心に刻むようにした。

 2年と数ヵ月を経た今、猛烈に仕事をしている。ここまで回復したのは多くの方々の祈りがあったからだと思う。復活幼稚園の子どもたちの歌声は天使の歌声のようにわたしを慰める。今では、神が強制的にわたしを休ませ、長い時間をかけて癒してくださったのだと思えるようになってきた。しかし元気になった分、いろんな課題に気づくようになり、やりたいこと、やらなければならないことが急増した。

 今年になってからの7ヵ月の間に原稿を用意した説教は85回(幼稚園も含む)。原稿なしの説教やいろんな集まりでの話まで含めると200回以上になるだろうか。不思議に語るべき言葉が与えられる。これはとても自分の力ではない。ためらいながら言うのだが、聖霊の働きを感じている。しかし祈りの時をしっかり持たないと危ないと思う。

 神学生のとき読んだボンヘッファーの『説教と牧会』には「1回の説教の準備は12時間を目安とせよ」とあった。とても無理だと思った。一つの説教を作るのに30時間もかかったのだから。卒業後10年くらいして、12時間は妥当な線だと思えるようになった。けれども今、とてもその時間はかけられない。

 言い訳になるが、牧師と園長と、それに教会が持っているキャンプ場の事務もある。説教テキストの黙想は早くに始めるが、釈義的な作業が全くできないこともある。土曜の夜、床に就くのは平均午前3時である。

 今の願いは教会全体を「宣教的にする」ことである。礼拝を「神と人の出会う場」としたい。神の国(愛と正義と平和)の実現に参加する教会でありたい。各個人といろんな会や奉仕のグループが信仰的に自立していくようにしたい。それぞれの働きを責任的に引き受けるリーダーを育てたい。「牧師がいなくてもしっかり歩んでいける教会に」などと言うのは乱暴すぎるだろうか。

 牧師は多様で複雑な求めに応えることを迫られる。考えの違う人やグループの間に立って調整役を務める必要もある。困難を抱えた人を前にして、何の力にもなれないと感じることがある。「聞くだけでよい。一緒に悲しみを共にすることが大切で、言葉は必要でない」とも言われる。ほんとうにそうだ。しかしあえて問いたい。いつもほんとうにそれだけでよいのか。その人の苦しみを受けとめ、それを神の前に携えていくのが牧師の仕事ではないのか。聖書を開き、その人と共に聖書の言葉を聞く。救いの約束にすがって祈る。そして祈った以上は、神がその人の困難を一緒に負ってくださったと、そこまで伝えるのが牧師の働きではないか。具体的状況と聖書の言葉を仲介する役目が牧師にはある、ということだ。

 説教がどうしてもできないときのわたしの方法を要約する。_椎修陛慘呂鬚垢襦しかし自分に無理強いをしない。原稿を思い切って短くし、聖書テキストの大事にしたいところ一箇所をじっくり心に暖める。5分の説教でもいいではないか。説教の務めを全うできるように、貧しい言葉を通して聖霊が語ってくださるように、はっきりと具体的に祈る。本番においては神が働き用いてくださることを信じて誠実に語り、自分で力んだり気後れしたりしないようにする。主体的に働かれるのは聖霊なのだ。

 牧師自身が御言葉を必要としている。すでに救われてしまった者として、所有しているものを会衆に与えるのではない。自分が必要としている御言葉を、会衆と共に聴くのだ。そうして、説教しなければ与えられなかった命の言葉に出会う。

 今年の聖霊降臨日に一つのことに気がついた。それは、神の霊は神の国(愛と正義と平和)の実現に向かって歩むように私たちに情熱を注ぐ、ということである。戦争に向かって雪崩を打って走るこの国の中で、平和への神の情熱を聖書からくみ取りたい。神が人の目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる日を待ち望みつつ、御言葉と聖餐の奉仕に立ち続けたい。

命の水の川――聖書とはどのような本か?

   命の水の川――聖書とはどのような本か?

 これは聖三一幼稚園保護者の集まり(2007/06/20)で話したもののレジュメです。

1. 聖書は物語の本である

物語(ストーリー Story)を物語る本である。教訓集ではない。
出来事(たとえば「マリアがイエスを産んだ」)が中心にあり、その出来事が口で伝えられ、やがて物語として書き留められた。3000年以上にわたってたくさんの物語が伝えられ、集められて、今日の聖書になった(紀元2世紀)。
「どうしても伝えたい」「ぜひとも聞いてほしい」「共有したい」内容があるから伝えられた。その内容とは「神の愛」「人の命の源」。

2. 聖書は大きく二つからなる

旧約聖書はイエス以前のもの 「創世記」から「マラキ書」まで39巻。
新約聖書はイエス以後のもの 「マタイによる福音書」から「ヨハネの黙示録」まで27巻
「三九 二十七」とおぼえるとよい。

聖書全体の中心は救い主イエス・キリスト。

旧約聖書はイスラエル民族の歴史(History)を語りつつ、やがて来られる救い主を予告する。

新約聖書はマリアから生まれたナザレのイエスがその救い主であることを語る。

3. 聖書全体を貫く命の水の川

(1) 創世記2:4‐15 聖書の初めに「命の木」が出て来、その付近から川が流れ出す。

(2) エゼキエル47:1-12 「これらの水は……海、すなわちよごれた海に入って行く。すると、その水はきれいになる。」47:8

(3)ヨハネの黙示録22:1‐5 聖書の最後に「命の木」が出て来、「命の水の川」が流れる。

世界と人類の最初に命の水の川が流れ出し、未来の救いの完成の場面に命の水の川が流れる。

この世界は言わば荒野、砂漠。人類は荒野を旅しているようなもの。私たちも砂漠を旅する旅人。命の水を得て、渇きをいやし、力づけられる。

言わば聖書全体の中に、見え隠れしつつ命の水の川が流れている。聖書は、その命の水(神の愛)がこれまで、どこに、どのようにあふれ出してきたか、人はどのようにそれを飲んできたかを語る。また今、私たちがどこでどのようにして命の水を汲むことができるかを指し示す。

4. イエス・キリスト――命の水(神の愛)の噴出

人類の歴史の中で、もっとも激しく豊かに、決定的に命の水が噴出した時と場所がある。
それがイエス・キリストの誕生、生涯、十字架の死と復活。

ヨハネによる福音書4:1‐15 サマリアの女性とイエスの出会いの物語。
イエスは、深いところに渇きを持っていた女の人と出会い、このように言われた。

「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」4:14 7:37‐38も同じ趣旨。

イエスが与えてくださる命の水は、私たちをうるおし、いやすばかりではなく、私たちをとおして周りの人をもうるおしていく。イエス自身が耐えがたい渇きを知っておられた。知っておられたがゆえに、人の渇きを知り、またいやすことができる。命の水を飲んだその人に、新しい人生が始まる。

日ごとの聖句273 2007/7/22〜28 マグダラのマリア

2007年7月22日(日)聖霊降臨後第8主日
イエスは週の初めの日の朝早く、復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。マルコ16:9

7月23日(月)マグダラの聖マリア日
このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。マルコ16:9

7月24日(火)
イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。ヨハネ19:25

7月25日(水)使徒聖ヤコブ日
マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた。マルコ15:47

7月26日(木)
週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。ヨハネ20:1

7月27日(金)
イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。ヨハネ20:16

7月28日(土)
マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。ヨハネ20:18

『スタインウェイ物語』ほか

 最近またいくつか音楽の本を読んだ。

斎藤信哉『ピアノはなぜ黒いのか』幻冬舎新書、2007

 著者は長年調律の仕事に携わってきた経験から、ほとんどヤマハ、カワイ(それにスタインウェイ)しか知らない日本の音楽関係者の貧弱さを嘆いている。
 ピアノそれぞれの音の違い、その楽器、その人の音そのものの美しさを感じていくことがいかに大切かを思わされる。
 ピアノを習わせる親の姿勢についても直言が記されている。

 私自身は、最近になってスタインウェイ、プレイエル、エラール、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファー、ツィンマーマン、といったメーカーのピアノの響きを知るようになった。メーカーの違い、メーカーが同じでもそれぞれの楽器の違い、同じ楽器でも弾く人による大きな違いに驚く。


村上輝久『いい音ってなんだろう──あるピアノ調律師、出会いと体験人生』ショパン、2001

 著者は長年ヤマハで音つくりをしてきた調律師。ピアニストにとって調律師がいかに大切かを知らされた。ミケランジェリ、ギレリス、リヒテルといったピアニストとの関係が具体的に語られていて興味深い。


辻宏『風の音──パイプ・オルガンと私』
日本基督教団出版局、1988/2005

 非常に興味深い本。楽器、演奏者、音そのもの、また特に礼拝との関係で教えられること、示唆されることが多かった。

「美しい音というのは、その音自身に魅力がある。」
「そこに鳴り響いている音が良い音であれば良いと、そのまま感じるような感受性が大事である。」
「オルガンは、笛をふいごで作られた風によって吹く。しかも鍵盤を通じて指で吹く楽器なのである。」

「教会オルガニストにとって大事なことは、皆を引き込むようにオルガンを弾くことである。」
「プロテスタントの場合、讃美歌、コラールや詩編歌や新しい讃美歌等を、オルガンによって人々の心を捉え、一つの歌にしていく、そういう能力がオルガンとオルガン演奏の伝統的な技術の中にあり、それがオルガンが教会の楽器として定着し、すたれずに現代まで生きている理由なのだと思う。」


R.K.リーバーマン『スタインウェイ物語』法政大学出版局、1998 

 本文だけで460ページもある大著。芸術の本質に触れるような内容ではなく、その点はやや期待はずれ。しかしピアノとピアニストをめぐる社会の現実を知る点で有益だった。
 戦争中、他のメーカーも同様だが、スタインウェイはピアノではなくグライダー、次いで棺桶を造らされていたという。経営の困難、ピアノ労働者の待遇も考えさせられた。
 ホロヴィッツらピアニストとスタインウェイの関係も興味深かった。

 私の知っているあるピアニストのスタインウェイは広く深い海の中を感じさせる。音と音楽の本質に迫るようなスタインウェイ論を読みたい。

日ごとの聖句272 2007/7/15〜21 導き

2007年7月15日(日)聖霊降臨後第7主日
主は魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく、わたしを正しい道に導かれる。詩編23:3

7月16日(月)
主よ、恵みの御業のうちにわたしを導き、まっすぐにあなたの道を歩ませてください。詩編5:9

7月17日(火)
我らは火の中、水の中を通ったが、あなたは我らを導き出して、豊かな所に置かれた。詩編66:12

7月18日(水)
神は孤独な人に身を寄せる家を与え、捕われ人を導き出して清い所に住ませてくださる。詩編68:7

7月19日(木)
あなたはモーセとアロンの手をとおして、羊の群れのように御自分の民を導かれました。詩編77:21

7月20日(金)
イスラエルを養う方、ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ、御耳を傾けてください。ケルビムの上に座し、顕現してください。詩編80:2

7月21日(土)
苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと、主は彼らを苦しみから導き出された。詩編107:28

尹東柱(ユン・ドンジュ)詩抄

  尹東柱(ユンドンジュ)詩抄

                 井田 泉訳

 新しい道

川をわたって森へ
峠を越えて村へ

昨日も行き、今日も行く
わたしの道、新しい道

タンポポが咲き、かささぎが飛び
娘が通り、風が起こり

わたしの道はいつも新しい道
今日も……明日も……

川をわたって森へ
峠を越えて村へ
(1938.5.10)


 弟の印象画

赤い額に冷たい月が差し
弟の顔は悲しい絵だ。

歩みをとめて
そっとあどけない手を握り
「おまえは大きくなったら何になる」

「人になるよ」
弟の悲しい、ほんとうに悲しい答だ。

そっと握っていた手を放し
弟の顔をもう一度見つめる。

冷たい月が赤い額にぬれて
弟の顔は悲しい絵だ。
(1938.9.15)

 コスモス

清楚なコスモスは
ただひとりのわたしの少女、

月の光が冷たく寒い秋の夜になれば
昔の少女がたまらなく恋しく
コスモスの咲いた庭へ たずねてゆく。

コスモスは
こおろぎの鳴く声にもはじらい、

コスモスの前に立ったわたしは
幼いころのようにはずかしくなって、

わたしの心は コスモスのこころ
コスモスの心は わたしのこころだ。
(1938.9.20)


 自画像

山の麓をめぐって 田んぼのそば ぽつんとある井戸を ひとり尋ねて行っては、そっとのぞいて見ます。

井戸の中には、月が明るく、雲が流れ、空(天)が広がり、真っ青な風が吹き、秋があります。

そして ひとりの男がいます。
なぜかその男が憎らしくなって、帰って行きます。

帰ってから考えると、その男がかわいそうになります。ふたたび行ってのぞいてみると、男はそのままいます。
またその男が憎らしくなって、帰って行きます。
帰ってから考えると、その男がいとおしくなります。

井戸の中には、月が明るく、雲が流れ、空(天)が広がり、真っ青な風が吹き、秋があり、追憶のように 男がいます。
(1939.9)


 八福
 ──マタイ福音書5章3〜12

悲しむ人はさいわいである
悲しむ人はさいわいである
悲しむ人はさいわいである
悲しむ人はさいわいである
悲しむ人はさいわいである
悲しむ人はさいわいである
悲しむ人はさいわいである
悲しむ人はさいわいである

我らは永遠に悲しむだろう
(1940.12)


 十字架

追いかけてきた日の光が
いま 教会堂の尖端
十字架にかかりました。

尖塔があれほど高いのに
どうして登ってゆけるでしょうか。

鐘の音も聞こえてこず
口笛でも吹きつつ さまよい歩いて

苦しんだ男、
幸福なイエス・キリストにとって
そうだったように
十字架が許されるのなら

首を垂れ
花のように咲きだす血を
暗くなってゆく空の下に
静かに流しましょう。
(1941.5.31)


 目を閉じて 行く

太陽を慕う子どもたちよ
星を愛する子どもたちよ

夜が暗くなったが
目を閉じて行きなさい

持った種を
蒔きながら行きなさい

足先に 石が当ったら
閉じていた目を かっと開きなさい
(1941.5.31)


 もうひとつの故郷

ふるさとへ帰ってきた日の夜に
わたしの白骨がついて来て 同じ部屋に臥した。

暗い部屋は 宇宙へ通じ
天からか 音のように 風が吹いてくる。

闇の中で きれいに風化する
白骨を覗きながら
涙ぐむのは わたしが泣いているのか
白骨が泣いているのか
美しい魂が泣いているのか

志操の高い犬は
夜を徹して闇に吠える。

闇に向かって吠える犬は
わたしを追うのだろう。

ゆこう ゆこう
追われる人のように ゆこう
白骨の知らぬまに
美しいもうひとつのふるさとへ ゆこう。
(1941.9)


 

なくしてしまいました。
何を どこで なくしたのか わからず
両手がポケットをさぐり
道に出て行きます。

石と石と石が 果てしなくつづき
道は石垣に沿って行きます。

垣は鉄の門を固く閉ざし
道の上に長い影を落として

道は朝から夕べへ
夕べから朝へ通じました。

石垣を手探りして 涙ぐみ
見上げると 天は恥ずかしいほど青いのです。

草一本ないこの道を歩くのは
垣の向こうに私が残っているからで、

私が生きるのは、ただ、
なくしたものを見出すためなのです。
(1941.9.31)


 星をかぞえる夜

季節が移りゆく空には
秋でいっぱい 満ちています。

わたしはなんの憂いもなく
秋の中の星々をみな数えられそうです。

胸の中の ひとつ ふたつと 刻まれる星々を
今すべて数えきれないのは
すぐに朝が来るからで、
明日の夜が残っているからで、
まだわたしの青春が尽きていないからです。

星ひとつに 追憶と
星ひとつに 愛と
星ひとつに 寂しさと
星ひとつに 憧れと
星ひとつに 詩と
星ひとつに お母さん、お母さん、

お母さん、わたしは星ひとつに美しい言葉をひとことずつ呼んでみます。小学校のとき机を並べた子らの名まえと、佩(ペ)、鏡(キョン)、玉(オク)、このような異国の少女たちの名まえと、すでに赤ちゃんのお母さんとなった娘たちの名まえと、貧しい隣人たちの名まえと、鳩、小犬、兎、らば、鹿、フランシス・ジャム、ライナー・マリア・リルケ、このような詩人の名まえを呼んでみます。

これらの人たちはあまりにも遠くにいます。
星がはるかに遠いように、

お母さん、
そしてあなたは遠く北間島(プッカンド)におられます。
わたしは何か恋しくて
この星の光が降る丘の上に
わたしの名まえの字を書いてみて、
土でおおってしまいました。

夜を明かして鳴く虫は
恥ずかしい名を悲しんでいるからです。

けれども冬が過ぎて わたしの星にも春が来れば
墓の上に青い芝草が萌え出るように
わたしの名まえの字がうずめられた丘の上にも
誇らしく草が生い繁るでしょう。
(1941.11.5)


 序詩

死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥なきことを
木の葉に起こる風にも
わたしは苦しんだ。
星をうたう心で
すべての死んでゆくものを愛さなければ
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。

今宵も 星が 風に吹きさらされる。
(1941.11.20)


 懺悔録

青い緑がついた銅の鏡の中に
私の顔か残っているのは
ある王朝の遺物だから
こんなにも恥となるのか。

私は私の懺悔の文を一行にちぢめよう。
──満24年1ヵ月を
  何の喜びを願って生きてきたのか

明日か明後日か そのある喜びの日に
私はまた一行の懺悔録を書かなければならない。
──その時 その若い年に
  なぜそのような恥ずかしい告白をしたのか。

夜になれば夜ごとに 私の鏡を
手のひら 足のうらで磨いてみよう

するとある隕石の下へひとり歩いてゆく
悲しい人の後ろ姿が
鏡の中に現れてくる。
(1942.1.24)

付記 これは日本への渡航前の最後の詩。


 白い影

黄昏が濃くなってゆく街角で
一日中、疲れた耳を静かに傾ければ
夕闇の、移される足跡の音

足跡の音を聴くことができるように
私は聡明だったのでしょうか。

いま愚かにもすべてのことを悟った次に
長く心の奥深くに
苦しんでいた多くの私を
ひとつ、ふたつ、私のふるさとへ送り返せば
街角の闇の中へ
音もなく消えゆく白い影、

白い影たち
ずっと愛していた白い影たち、

私のすべてのものを送り返した後
うつろに裏通りをめぐり
黄昏のように色づく私の部屋へ帰ってくれば

信念の深い堂々たる羊のように
一日中憂いなく草でもはもう
(1942.4.14)


 たやすく書かれた詩

窓の外には 夜の雨がささやいて
六畳の部屋は ひとの国

詩人というのは悲しい天命であると知りつつも
1行の詩を書いてみるか

汗のにおいと愛のにおいの ふくよかに漂う
送ってくださった学費封筒を受け取って

大学ノートを脇に抱えて
老いた教授の講義を聞きにいく

考えてみれば 幼いときの友を
ひとり、ふたり、みな 失ってしまい

わたしは何を願って
わたしはただ、ひとり沈むのか

人生は生きがたいというのに
詩がこのようにたやすく書かれるのは
恥ずかしいことだ

六畳の部屋は ひとの国
窓の外に夜の雨がささやいているが

灯火をともして 闇を少し追いやり
時代のように来る朝を待つ 最後のわたし

わたしは わたしに 小さな手を差し出して
涙と慰めで握る最初の握手
(1942.6.3)



 尹東柱さまにささげる歌
(作者未詳)

あなたの天は どんな色だったので
あなたの風は どこへ吹いたので
あなたの星は 何を語ったので
あなたの詩は このように息をするのでしょうか

夜通し 苦しんで 夜明けを迎え
恋しさに傷ついた風が ふるさとに駆けていくとき
あなたは遠い空 冷たい冷たい空気の中で
あなたの息を 引き取らねばならなかったのですか

死んでいくすべてのものを 愛したあなたは
むしろ 美しい魂の光たれ
木の葉に起こる風にも 苦しんでいたあなたは
むしろ むしろ 美しいいのちの光たれ

あなたの地、あなたの所に
天を飛ぶ星が揺れる

六畳の部屋はひとの国──尹東柱の詩を読む

これは2007年7月10日に「豆ランチパーティー」で話したもののレジュメです。

1.はじめに

「序詩」1941.11.20(尹東柱数え24歳、満23歳) 日本に来る4ヵ月前の作。
その3年3ヵ月後に、日本で亡くなった。満27歳。7月14日は京都で逮捕された日。
この詩には「風」という言葉が2回出る。当時の日本の支配という時代の風(闇の風)に吹きさらされつつ、彼の中に別の風が吹き、詩の中に「風」が吹き、彼は風を日本に運んできた。その風は、「死んでゆくすべてのものを愛」させる風(光の風)。

2007年──尹東柱生誕90年
 第3次日韓協約100年(1907年7月24日)
  ──日本により大韓帝国高宗(コジョン)強制退位、韓国軍解散、韓国政府有名無実化

2.北間島(プッカンド)・明東(ミョンドン)

1917.12.30 誕生(父・尹永錫(ユン・ヨンソク)、母・金龍(キム・ヨン) 独立運動とキリスト教精神の地
  幼児洗礼を受ける(長老教会)
1919.3.1 独立運動起こる
1925.4 明東小学校入学
  同級生に宋夢奎(ソン・モンギュ)(いとこ)、文益煥(ムン・イックァン)(後に牧師)
(1925.10 ソウル南山に朝鮮神宮創立──祭神は天照大神と明治天皇)
1932.4 龍井(ヨンジョン)の恩真(ウンジン)中学校に入学  詩を書き始める

3.平壌(ピョンヤン)

1935.9 崇実(スンシル)中学校3年に編入
(11.14 平安南道知事、公私立中等学校校長会議で神社参拝を命令)
1936.3 神社参拝拒否により崇実は当局より弾圧を受け、学校紛糾のため退学
  故郷に帰り、光明(クァンミョン)学園中学部に編入
(1937 朝鮮総督府「皇国臣民の誓詞」 を制定。)

4.ソウル(当時、京城)

1938.4.9 延禧(ヨンフィ)専門学校文科に入学
(1938.9.10 朝鮮イエス教長老会総会、当局の強制により神社参拝を決議)
1941.12.27 戦時学制短縮により延禧専門学校を卒業
(1941.12.8 日本、真珠湾を攻撃、太平洋戦争始まる)
1942.1.29 日本渡航のため「平沼(ひらぬま)東柱(とうちゅう)」と改名した名まえを延禧に届け出る。

「新しい道」1938.5 「弟の印象画」1938.9 「コスモス」1938.9 「自画像」1939.9 「八福」1940.12 「十字架」1941.5 「目を閉じて行く」1941.5 「もうひとつの故郷」1941.9
「星を数える夜」1941.11 「序詩」1941.11 「懺悔録」1942.1.24

彼の詩は、自らの死を予見しつつ、民族の再生の希望を信じるもの。
日本渡航前、キルケゴール(デンマークのキリスト教思想家)を耽読。

5.東京

1942.3 日本に渡る
1942.4 立教大学文学部英文科に入学
「白い影」1942.4 「たやすく書かれた詩」1942.6

6.京都

1942.10 同志社大学文学部英文学科に転入
1943.7.14 京都下鴨警察署(特高)に逮捕される
1944.3.31 京都地方裁判所で懲役2年の判決を受ける(治安維持法違反 )
 
尹東柱は韓国の歴史、言葉、文化が奪われ、失われていく状況に対して、民族の独立を願った。しかしハングルで詩を書くこと自体が犯罪であった。「独立思想の鼓吹」
 
7.福岡

  福岡刑務所に収監される
  拷問、虐待、人体実験?
1945.2.16 午前3時36分 福岡刑務所北三舎2階独房で絶命(解放6ヵ月を前にして)

8.その後

1948.1 ソウルで遺稿詩集『空と風と星と詩』が刊行される
1968.11.2 ソウル・延世大学校内に詩碑建立
1995.2.16 京都・同志社大学内に詩碑建立

9.おわりに

文益煥牧師「東柱兄の追憶」

現代の悪しき風(闇の風)──首相の靖国神社参拝、平和憲法の破棄、戦争する国づくり
靖国神社──日本の侵略戦争と植民地支配の歴史を美化・正当化し、再生産する教育施設
 国と民族の分断の風

尹東柱の風(光の風)──真実、平和、和解へと招く風  「死んでゆくものを愛させる風」
 交流・協力・連帯の風

尹東柱はその生と死をもって今、私たちに呼びかける。彼の詩は日本人を悔い改めに導き、お互いの間の壁を砕いて、日韓在日の相互理解と協力へと私たちを招く。

     (楽天堂豆ランチパーティー 京都・乾窓院)

自由を得るために──「ガラテヤの信徒への手紙」

 もし人がキリスト教について「優しさ」「穏やかさ」といったイメージを持っていたとしたら、「わたしはあきれ果てている」(1:6)、「呪われるがよい」(1:9)、「あなたがたのことで途方にくれている」(4:20)といった言葉に驚き、当惑するだろう。

 しかしこのような激しい言葉は、人を本気で愛して、その人の中にキリストの福音が宿るために奮闘したパウロのほとばしる思いから出たものである。この書の中にはイエス・キリストの福音が凝縮されている。
 ガラテヤは小アジア中央部。成立は諸説あるが、54年頃か。

1. 1:4「キリストは、わたしたちの神であり父である方の御心に従い、この悪の世からわたしたちを救い出そうとして、御自身をわたしたちの罪のために献げてくださったのです。」

 神の御心は漠然としたものではない。「御心」と訳されるギリシア語「テレーマ」は、「意志」「熱望」という意味である。神は、この世界が悪に満ちているとご覧になり(イザヤ59:15参照)、その悪の支配下に閉じ込められている私たちを救い出すことを切に願い、決意された。

 そのような神の意志と熱望がイエス・キリストをとおして働き、実現した。「主は……熱情を上着として身を包まれた。」イザヤ59:17
 私たちが罪の負い目から解放され、また罪の影響力から自由になって神に向かって生きるために、キリストは人の罪を引き取り自分に引き受けて死なれた。「世の罪を取り除く神の小羊」ヨハネ1:29

2. 1:12‐13「わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。」

 この福音(人と世界をしあわせにする良きおとづれ)は、パウロが自分で考え、探求の末に獲得したものではない。自分の外から(自分の内面をとおしつつ)イエスが自分に出会ってくださり、自分に示してくださったもの。
 「啓示」 アポカリュプシス=覆いを取り除く。心の目と耳が開かれ、それまで見えず聞こえなかった神の現実と呼びかけがはっきりと見え、聞こえるようになる──神がそうしてくださるのが「啓示」ということ。

 これによってパウロに回心が起こった。古い自分が破れてキリストの十字架と共に滅び、新しい自分がキリストの復活と共に神によって創造された。「大切なのは、新しく創造されることです」(6:15)とは、他人事や一般論を言っているのではなく、自分の身に起こったことがガラテヤの人々にも起こってほしいと願って語っている。

3. 2:16「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。」

 自分の正しい行いの積み重ねによっては人は救われない。「ただイエス・キリストへの信仰によって」救われる。ここは直訳すれば「イエス・キリストの真実によって」。私たちの信仰によってではなく、イエス・キリストが真実を貫いて生きて死んでくださったその真実によって──とも理解できる。私たちは無力であってよい。

 「〜と知って」とあるのは重要。信仰とは勝手な自分の思いこみではなく、神の事実・現実を知らされて知ること(認識)。

4. 3:26‐28「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」

 「神の子」という祝福を、私たちは信仰をとおして確実に受ける。
 キリストを着ている──キリストは私たちを包み守るあたたかい外套。生きて働く作業服。
 神の前の平等(優劣、上下はなく、高慢になることも卑下することもない)──自分を価値あるものと認め、人のことも認める。そこから豊かな交流が起こる。

5. 4:6「あなたがたが子であることは、神が、『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送ってくださった事実から分かります。」

 「アッバ」お父さん! イエスがゲッセマネで神を呼ばれた声がここに反響している。マルコ14:36、ローマ8:15。

6. 4:19「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます。」

 これは真実の吐露。

7. 5:13‐14「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。」

 「自由」こそは聖書の中心的メッセージ。ひとりの神を愛し畏れることによって私たちは世と人の恐れから解放され、この世に生を受けたことの意味と使命を感じつつ、義務的にではなく、許され励まされ、充実をもって生きることができる。

8. 6:17「これからは、だれもわたしを煩わさないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に受けているのです。」

 焼き印。パウロの魂(からだ?)には「イエス」という焼き印が押されている。「あなたはわたしのもの」というしるしである。私たちも洗礼を受けた/受けるとき、十字架のしるしを額に記されたが、それはこれと同じ。私たちはキリストのものとされ、キリストの保護と導きのもとにあってキリストの業を行う。

○ガラテヤ書は、パウロが自分個人の経験や心情を率直に表現するとともにイエス・キリストの福音の中心を明確にした極めて重要な書簡である。
                   (2007/07/08)

日ごとの聖句271 2007/7/8〜14 自然・海

2007年7月8日(日)聖霊降臨後第6主日
主よ、わたしたちの主よ、あなたの御名は、いかに力強く、全地に満ちていることでしょう。詩編8:2

7月9日(月)
あなたの天を、あなたの指の業を、わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。詩編8:4

7月10日(火)
天よ地よ、主を賛美せよ、海も、その中にうごめくものもすべて。詩編69:35

7月11日(水)
海も主のもの、それを造られたのは主。陸もまた、御手によって形づくられた。詩編95:5

7月12日(木)
いかに幸いなことか、主なるその神を待ち望む人。天地を造り、海とその中にあるすべてのものを造られた神を。詩編146:5‐6

7月13日(金)
水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる。イザヤ書11:9

7月14日(土)
新しい歌を主に向かって歌え。地の果てから主の栄誉を歌え。海に漕ぎ出す者、海に満ちるもの、島々とそこに住む者よ。イザヤ書42:10

援助職としての牧師

 これは佛教大学社会福祉学科のゼミで話した際のレジュメにいくらか手を加えたものです。


2007/07/02  


機ゼ己紹介

 京都聖三一教会牧師・聖三一幼稚園園長

 1950年、滋賀県大津市に生まれる。大阪外国語大学朝鮮語学科、同志社大学大学院神学研究科、聖公会神学院に学ぶ。1979年、司祭按手。下鴨キリスト教会・下鴨幼稚園、立教大学助手、聖公会神学院教員、京都復活教会・復活幼稚園を経て現職。専門領域は教会史、特に日本統治下の朝鮮ににおける神社参拝強制問題。
 関心(の一部)──モーツァルト、シューベルト、笛、万葉集、菅原道真、平和憲法

供ニ匯佞了纏(私の場合)
 1.主な内容
  礼拝(日曜日の礼拝のほか、結婚式、葬儀なども含む)の司式、説教
  教育(集会の指導・運営を含む)
  訪問(家庭、病院、施設、学校ほか)、相談・面談、環境の整備、事務……
  社会、平和への取り組み(戦争責任問題の引き受けをともなう)

 2.関わりの過程
 (1)人の話を聞く
個人的相談  グループ  集まり
病気、進路、結婚、自殺……

(2)一緒に考え悩む
 精神的なこと、身の回りのこと、人生の将来、経済的なこと……解決困難なことが多い
 悲しみ、打撃、葛藤、不安……

(3)聖書を一緒に読む

(4)語る・助言する

(5)祈る

(6)出かける・交渉する
 家庭、学校、病院、地方自治体、警察、市、保険会社、葬儀場……

3.人の一生の全体に関わる
 誕生前から死と葬り、逝去者記念まで

4.リーダーシップとメンバーシップ
 責任者であることと、全体の一員であること。ひとりひとりの可能性を引き出すこととそれを協力関係につなげること。


掘ダ蚕颪ら
For unto us a Child is born, unto us a Son is given: and the government shall be upon His shoulder: and His Name shall be called Wonderful Counsellor, The Mighty God, The Everlasting Father, The Prince of Peace.
「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は『驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君』と唱えられる。」
ヘンデル「メサイヤ」第1部 旧約聖書・イザヤ書9:5
 救い主誕生の預言──援助者、カウンセラーとしてのイエス・キリスト


検ヌ榲・願い
 1.人が慰めと励ましを受けること。癒されること。状況が改善されること。
   自分の主体性を回復し、希望を持って前向きに人生を生きるようになること。
 
 2.人と人とがつながること 信頼 交流 協力

 3.平和と正義の実現につながっていくこと
  人権──人が人として尊ばれること
悪に対する感覚
  安心・自信・自由
  (子どもの大切な権利──CAP Child Assault Prevention 子どもへの暴力防止プログラム)


后ケ臀職(牧師)自身について
 「傷ついた癒し人」ヘンリー・ナウエン
  うつ病の経験
 状況への対応・関与・介入を求められるが、弱さと危うさを自分のうちに抱えている。
 誤りを犯すことがある。
 どのように自分を形成し、保つか。支え、援助を必要とする自分。
 狭義の学習と実際の経験の両方の必要性(机上で学んだことが30年後に役立つ)
 成功、失敗の両方の経験の大切さ。
 大切にしたいこと──柔軟に学び、成長していくこと。自由と情熱。美しいものへの感受性。


此ケ臀職相互の協力の必要
 
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井田 泉
奈良基督教会牧師
親愛幼稚園園長
富坂キリスト教センター・日韓キリスト教関係史研究会主事
聖公会平和ネットワーク共同代表

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