Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2008年01月

ピアノ演奏会に寄せて 2007/1/26


モーツァルト と シューベルト

    ふたつの世界


 演奏会「プログラム」より

 私が最初に小野純子さんのピアノを聴いたのは2005年の6月半ばのある日の夕方だった。当時活動の中心にしておられた京都市北区紫野の2階の部屋だった。

 シューベルトの即興曲D899の第3番、アンダンテ。そのしばらく前から私のシューベルトに対する思いが再燃していて、CDをたくさん聴き、本もいろいろ読んで、彼の作品はドイチュ(D)番号で呼ぶのが自分にとって自然だと感じるようになっていたころである。

 そのD899‐3は非常にゆっくりだった。旋律線がたどれるかどうかというくらいゆっくりだった。その曲はよくなじんでいるはずのものであったが、全然違う曲のように聞こえた。聴き終わったとき、私は「音が生きている」と言ったと思う。その後、私が持って行った韓国の讃頌歌(チャンソンガ)337(慈しみ深い救い主よ)と543(あの高いところに向かって)を歌い、ピアノで弾いてもらった。

 その日から私の音楽の理解は変わった。技巧が優れているかどうか、もっと単純に言えば上手か下手かではなく、<音が生きているかどうか>が音楽にとって決定的である。そう思うようになった。

 昔、ルドルフ・ボーレンという人の本の中に「能弁の説教者」の悲劇が語られていたのを思い出す。彼は、ある訥弁の神学生の説教について批評しながら、「しかしそこには光があった」と言う。音楽もこれと同じである。ただむつかしいのは、説教は訥弁でも意味は伝わるし、何度でも言い直すことができるのだが、音楽においてはそれでは内容が十分現れないということである。

 小野さんのシューベルトを聴いていると、しばしば海の中で水が湧き立つのを感じる。深い海。海の中に光があって、水が動き光も動く。明るいところから、下のほうは次第に深い色になっていく。

 シューベルトの「3つのピアノ曲」(D946)は1828年5月、彼の死の数ヵ月前に書かれたものであるが、生前は知られず、40年経った1868年、ブラームスが編集して出版したという。

 シューベルトのピアノ曲には時折低い音のトレモロ(振動)があって、美しい旋律に浸っている最中に不思議な衝撃というか圧迫を与える。D946の第1曲にこれがあり、D899‐3にもある。シューベルトの魂の声なのだろうか。それとも天からの促しなのだろうか。

 D946の第3曲は、後半に人の祈りが天に向かって差し出されるように感じられるところがある。その祈りの橋を渡って向こうから来るのは天使たちだろうか。やがて祈りと天使の歌はひとつとなっていく。

 モーツァルトは、私の人生の時間の半分くらいの間、もうほかの音楽はなくてもいいと思うくらい熱愛していた作曲家である。今はそのような極端なことは思わない。しかしモーツァルトには天の光がある。K333の第2楽章アンダンテ・カンタービレを聴いていると、穏やかな光が差し、やがて陰ってくる。光は人と世界の傷を覆っていく。それが小野さんの演奏を聴いた印象である。ただ彼女の演奏は日ごと時ごとに変化する。今日はどんなふうになるのだろうか。

 私は最初の印象があまりに強かったために、この人はゆっくり弾く人だと思いこんでいた。ところがそれが大きな誤解であることが別の機会にわかった。けれども彼女がひとつひとつの音のいのちを確かめ、くみとろうとしながら弾く人であることは大切な事実である。演奏には当然解釈が反映する。しかし彼女の演奏は「自分はこう考え、こう演奏する」というようなものとは違う。モーツァルトが経験していた光(あえて言えば彼方の実在)に照らされ、その光が音と響きとなってくるような演奏である。

 モーツァルトのK333のフィナーレも、シューベルトのD946のフィナーレにも、祈りがあり、悲しみや嘆きが受けとめられている。しかしそれは無限の愛の中で光の輪舞となる。そのようなモーツァルトのシューベルトの生きた世界を、今夜一緒に味わうことができればと願っている。

 彼女の演奏はまだいつも安定しているとは言えず、成長の途上にある。しかし彼女のピアノをとおして現れるモーツァルトとシューベルトの光の世界、永遠のいのちの世界はかけがえのないものであり、多くの人々にふれてほしいと心から思っている。(井田 泉)

ピアノ演奏会 2008/1/26

20080126pianoconcert

   モーツァルト と シューベルト

      ふたつの世界






  モーツァルト ピアノソナタ 変ロ長調 KV333
          幻想曲 ニ短調 KV397

  シューベルト 3つのピアノ曲 D946
          即興曲 変ト長調 D899‐3

   演奏  小野 純子

 かつてふたりの音楽家とともにあった音と響きが
    わたしたちにもおとずれますように

 永遠のいのちの輝く世界が響きの向こうからやってきますように。

    会費 2000円

2008年1月26日(土)7:00pm(開場6:30)

京都市右京ふれあい文化会館 創造活動室

 京都市右京区太秦安井西裏町11-6
 (075)822-3349
 JR花園駅より南へ徒歩5分
 地下鉄東西線太秦天神川駅より北へ徒歩8分
 有料駐車場あり


お申し込み、お問い合せはEメールまたはFAXにてお願いします。
  Eメール klavierleierkm@gmail.com
  FAX  (077)529‐1703

 主催 プリモール

日ごとの聖句301 光3 2008/2/3〜9


2008年2月3日(日)大斎節前主日
イエスは、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。マタイ17:2

2月4日(月)
あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。光の子として歩みなさい。エフェソ5:8

2月5日(火)
光から、あらゆる善意と正義と真実とが生じるのです。何が主に喜ばれるかを吟味しなさい。エフェソ5:9‐10

2月6日(水)大斎始日 (灰の水曜日)
あなたたちの神、主に立ち帰れ。主は恵みに満ち、憐れみ深く、忍耐強く、慈しみに富み、くだした災いを悔いられるからだ。ヨエル2:13

2月7日(木)
夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。ローマ13:12

2月8日(金)
「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。コリント二 4:6

2月9日(土)
夕べになっても光がある。ゼカリヤ14:7

神の小羊を見た三人のヨハネ

ヨハネ1:29‐35

「その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。『見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。』」ヨハネ1:29
 イエスが自分の方へ近づいて来られます。
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」

 その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいました。そして、歩いておられるイエスを見つめて言いました。
「見よ、神の小羊だ。」

 洗礼者ヨハネはイエスに何を見たのでしょうか。「神の小羊」を見た。それはどういうことなのか。「神の小羊」とは何なのでしょう。

 小羊とは、神に献げられるいけにえです。羊を献げて礼拝することは、旧約聖書のレビ記などに記されています。人は悪いことを考え、悪いことをする。その結果神との間に自分から壁を造り、やがてその人は人を責め、あるいは自分を責めて滅びていく。しかし神はそのようなことを望まれません。礼拝をとおして神は人々を救おうとされ、人々は礼拝をとおして信仰の告白を献げ、罪の赦しを願い求めます。

 重要な礼拝においては、牛や羊を祭壇に献げます。いのちをかけるほどの真剣な礼拝です。神の前に動物を屠って、殺して血を流させて、それによって自分たちの罪を赦していただくのです。

 洗礼者ヨハネは、自分に近づいて来られるイエスに、神に献げられる小羊を見ました。この方は傷を受け、血を流して死なれる。私たちの赦しと救いのために屠(ほふ)られ、罪を引き受けて死なれる。それをイエスのうちに見てヨハネは言いました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」

 第二のヨハネはイエスの弟子、十二使徒のひとりのヨハネです。このヨハネも、神の小羊を見ます。

イエスさまは捕らえられて十字架につけられました。十字架の下に、母マリア、マグダラのマリアら女の人たちが立ってそれを見つめていました。ヨハネ福音書によれば、その中に弟子のヨハネがいました。イエスは母マリアをヨハネに託されました。(19:26-27)。

イエスが死なれた後、確認にやってきた兵士のひとりが、槍でイエスのわき腹を刺しました。するとすぐ血と水が流れ出ました(19:34)。

血が流れるのは分かります。血は命です。だが水が流れたとはどういうことでしょう。肉体に関する説明はできるかもしれませんが、今はそれは気にしません。この水には意味があります。水は清めです。イエスから発する水は、私たちを清めるのです。

傷を受け、血と水を流して、私たちに命と赦しを与えてくださる神の小羊を、他の女の人たちとともにヨハネは見たのでした。

 第三のヨハネが新約聖書の最後、ヨハネの黙示録に登場します。キリスト教迫害の時代、長老ヨハネは捕らえられて、パトモスという地中海の小さな島に閉じ込められていました。ある日曜日、彼は祈っているうちに天に引き上げられました。そこで彼が見たのは天上の礼拝でした。

 長老ヨハネはこう語ります。

「わたしはまた、玉座と四つの生き物の間、長老たちの間に、屠られたような小羊が立っているのを見た。」5:6

「小羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を受け取った。巻物を受け取ったとき、四つの生き物と二十四人の長老は、おのおの、竪琴と、香のいっぱい入った金の鉢とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖なる者たちの祈りである。そして、彼らは新しい歌をうたった。
『あなたは、巻物を受け取り、
その封印を開くのにふさわしい方です。
あなたは、屠られて、
あらゆる種族と言葉の違う民、あらゆる民族と国民の中から、
御自分の血で、神のために人々を贖われ、
彼らをわたしたちの神に仕える王、また、祭司となさったからです。
彼らは地上を統治します。」』」5:7-10

「天使たちは大声でこう言った。
『屠られた小羊は、力、富、知恵、威力、誉れ、栄光、そして賛美を
受けるにふさわしい方です。』」5:12

 第三のヨハネは、このように天上の礼拝の中におられるイエスを、礼拝を受けられるイエスを見ました。それは屠られた神の小羊イエスでした。そこは光輝く世界です。

 神の小羊を見た三人のヨハネから私たちは祈りを与えられます。

神の小羊イエスは、洗礼者ヨハネに来られたように、私たちのところに来られます。ヨハネが見たように、世の罪を取り除く神の小羊であるあなたを見させてください。

第二のヨハネは、十字架の上に屠られた神の小羊イエスを見ました。
私たちの罪を担い、取り除かれる神の小羊イエスさま、私たちの罪を取り除き、赦しを与え、新しい生涯を送らせてください。

神の小羊の傷が私たちを癒すのです。

いかにこの世界は暴力が満ちていることでしょうか。傷つけ、破壊する力が、この世界にあり、また私たち自身の中にもあります。これが癒されなければ、破壊する力は外に向かって人を傷つけ、滅ぼし、あるいは内に向かって自分を傷つけ自分を殺します。

神の小羊イエスは、その一切の傷つけ滅ぼす力を身に受けて傷つき、死なれました。この方の受けられた傷が、私たちと世界を癒すのです。

第三のヨハネは、永遠の座におられる神の小羊を見ました。神の小羊イエスさま、私たちを守り、治めてください。統治してください。

神の小羊から光が照り渡ります。「小羊が都の明かり」(21:23)。

 私たちを照らす光は、私たちを守り導きます。

その光の中を歩ませてください。神の国の実現に向かって歩ませてください。

              (200/01/20 京都聖ステパノ教会)

日ごとの聖句300 光2 200/1/27〜2/2

2008年1月27日(日)顕現後第3主日
暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。マタイ4:16

1月28日(月)
神が光の中におられるように、わたしたちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。ヨハネ 1:7

1月29日(火)
あなたがたは世の光である。マタイ5:14

1月30日(水)
そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。マタイ5:16

1月31日(木)
主はその民を訪れて解放された。この憐れみによって、高い所からあけぼのの光が我らを訪れる。ルカ1:68、78

2月1日(金)
あけぼのの光が暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの歩みを平和の道に導く。ルカ1:79

2月2日(土)被献日
これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。ルカ2:31‐32

日ごとの聖句299 光 2008/1/20〜26

2008年1月20日(日)顕現後第2主日
初めに、神は天地を創造された。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。創世記1:1、3

1月21日(月)
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。ヨハネ1:1、4

1月22日(火)
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。ヨハネ1:9

1月23日(水)
イエスは再び言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」ヨハネ8:12

1月24日(木)
暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。ヨハネ12:35‐36

1月25日(金)使徒聖パウロ回心日
ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。使徒言行録9:3

1月26日(土)
わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。ヨハネ12:46

日ごとの聖句298 わたしが支える者 2007/1/13〜19

2008年1月13日(日)顕現後第1主日・主イエス洗礼の日
そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。マタイ3:17

1月14日(月)
見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれる。イザヤ42:1

1月15日(火)
彼は、傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。イザヤ42:3

1月16日(水)
神は天を創造して、これを広げ、地とそこに生ずるものを繰り広げ、その上に住む人々に息を与え、そこを歩く者に霊を与えられる。イザヤ42:5

1月17日(木)
主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った。民の契約、諸国の光として、あなたを立てた。イザヤ42:6

1月18日(金)
初めのことは成就した。新しいことをわたしは告げよう。それが芽生えてくる前にわたしはあなたたちにそれを聞かせよう。イザヤ42:9

1月19日(土)
新しい歌を主に向かって歌え。地の果てから主の栄誉を歌え。イザヤ42:10

日ごとの聖句297 輝きを与える神 2008/1/6〜12


2008年1月6日(日)顕現日
彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。マタイ2:9

1月7日(月)
学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。マタイ2:10‐11

1月8日(火)
彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。マタイ2:11

1月9日(水)
起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。イザヤ60:1

1月10日(木)
見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。イザヤ60:2

1月11日(金)
そのとき、あなたは畏れつつも喜びに輝き、おののきつつも心は晴れやかになる。イザヤ60:5

1月12日(土)
それは島々がわたしに向けて送るもの。あなたの神、主の御名のため、あなたに輝きを与えるイスラエルの聖なる神のために。イザヤ60:9

御心(みこころ)の実現を望ませられる神


        フィリピ2:13

 今日、1月1日は主イエス命名の日です。この日、主イエスはお生まれになって8日目に「イエス」と名付けられました。「イエス」とは「主は救い」という意味です。このイエスさまをとおして、主なる神は救いをこの世界を実現して行かれるのです。

 神が救いを実現して行かれるのは、あのクリスマスの時だけではありません。主イエスの生涯だけのことではありません。それはその後ずっとそうであり、そして今のこの世界、私たちの間で、神は救いを実現しようと働いておられます。

 今日の使徒書を聞きましょう。フィリピの信徒への手紙第2章です。

「だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」2:12‐13

 「自分の救いを達成するように」
 神さまにとっては私たちひとりひとりが大切です。みんなひとりひとりが自分の救いを達成するように。自分を抑えつけ、押し殺してほしくない。私が祝福して造ったとおりにあなたは生かされて生きてほしい。それが神さまの願いです。

 私の心が、私の体が、私の生活が神から祝福を受けて満たされるようにと、神は願っておられます。

「あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。」

 主語は神です。神があなたがたの内に働いておられる。
 神が御心のままに望ませられる。言い換えれば、神さまには御心が、実現したい目標があるのです。その神の願いが実現していくように、私たちの中に「こうしたい」「こうしよう」という思いを、望みを抱かせられる。神の願いが私のうちに願いとなって働く。
「行わせておられるのは神」

 神が働いて、私たちに希望を与えて、願いを起こさせて、それが実現していくように私たちを行動させられる。

 パウロがこの手紙を書いたのは、人間的に言えば順調な時ではありませんでした。パウロは捕らえられて獄中からこの手紙を書いてフィリピの人々に語りかけたのです。パウロの内に神が働かれ、パウロに望みと願いを起こさせ、御心の実現に向けて彼を動かしておられました。

 私たちの状況が困難であればあるほど、神の願いと熱意は大きくなるのです。

 神が私たちの内に働いて、御心の実現を望ませられる。神が働かれるので、私たちは神の願いを実現したいと自分でも願うようになり、それを行うようになっていきます。

 先ほど歌った聖歌75番(飼い葉桶)の3節の言葉はこうでした。

「わたしたちにふりそそぐ
いつくしみの まなざしに
支えられて 祈ります
神の国の おとずれを」

 この新しい年、神さまのために、神の国の訪れのために、何かを願いましょう。大きいことであっても、ささやかなことであっても、何かを神のために願い、実現していきましょう。神がそれを望ませ、実現に向かって私たちを動かされます。
 人の目を気にせず、人の口を気にせず、ただ神に向かって目を注いでいきましょう。

 この教会がほんとうに私たちが神さまを経験する教会となりますように。神さまが私たちひとりひとりの内に良き願いを起こし、実現に向かわせてくださいますように。
 イエスの名は力を持っています。イエスさまの名の力が発動し、御心の実現のために私たちを動かしてくださいますように。

            (2008/01/01 京都聖三一教会)
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