Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2008年03月

日ごとの聖句309 主がわたしの右に 2008/3/30〜4/5


日ごとの聖句309 主がわたしの右に

2008年3月30日(日)復活節第2主日
しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。使徒言行録2:24

3月31日(月)聖ヨセフ日
イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。使徒言行録2:24

4月1日(火)聖マリヤへのみ告げの日
わたしは、いつも目の前に主を見ていた。主がわたしの右におられるので、わたしは決して動揺しない。使徒言行録2:25

4月2日(水)
だから、わたしの心は楽しみ、舌は喜びたたえる。体も希望のうちに生きるであろう。使徒言行録2:26

4月3日(木)
あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、あなたの聖なる者を、朽ち果てるままにしておかれない。使徒言行録2:27

4月4日(金)
あなたは、命に至る道をわたしに示し、御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。使徒言行録2:28

4月5日(土)
イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。使徒言行録2:33

岩城宏之『オーケストラの職人たち』


岩城宏之『オーケストラの職人たち』文春新書、2005
を読みました。前に紹介した『音の影』と同じく『週刊金曜日』に連載されたものです。

ステージマネージャーの仕事とは何か。

「……そして本番が始まる前には、指揮者や演奏家がリラックスできるようにお世話をするとかがあって、本番の時には、ステージのドアを開けてステージに送り出すタイミングを決め、曲が終わると、またドアを開けて指揮者をステージから袖に迎え入れる。その間、照明の指示とか、アナウンスの指示を出し、演奏会が終わったら……」

最近こういうことが少し分かるようになってきた。
礼拝の司式、説教者のためにもそのようなマネージャーがいてくれるといいのだか。
司式と説教は非常な精神集中とエネルギーを要する。そのことはもっと理解される必要がある。礼拝は神さまを経験する場所だから。

ピアニスト、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリのピアノの調律について。
瀬川宏氏はこう語ったとのこと。

「演奏会の終わったあと、先生(ミケランジェリ)はぼくをピアノの前に連れていって、ひとつの音をポンとたたき、怒った顔をして帰ってしまう。何も言ってくれないのです。翌日の演奏会に備えて、ぼくは徹夜してその鍵盤の何が先生を怒らせたのかを調べる。何日目かに、はじめて先生はうなずいてくれる。こうやってぼくは学んだのでした。」

「ミケランジェリ先生のような……ピアニストの調律で一番神経をつかうことは、鍵盤のタッチの感じです。……本物のピアニストの場合は、このこと(音程を整えること)から始まって、鍵盤のタッチや、弦をたたくハンマーを、その先生の音色感をつかんだうえで、ほぐしたり、固めたりとか、いろいろ大変な仕事があるのです。」

しばらく前に、調律師フランツ・モアの『ピアノの巨匠たちとともに(増補版)』というとてもすばらしい本を読んだ。そのうち紹介したいと思います。

日ごとの聖句308 復活 2008/3/23〜29


2008年3月23日(日)復活日
あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。マタイ28:6

3月24日(月)復活後月曜日
「あの方は死者の中から復活し、先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」確かに、あなたがたに伝えました。マタイ28:7

3月25日(火)復活後火曜日
婦人たちは、恐れながらも大いに喜び、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。マタイ28:8

3月26日(水)復活後水曜日
イエスが行く手に立っていて、「おはよう」と言われたので、婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。マタイ28:9

3月27日(木)復活後木曜日
あなたがたは、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。コロサイ2:12

3月28日(金)復活後金曜日
あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。コロサイ3:1

3月29日(土)復活後土曜日
あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。コロサイ3:3

人が辱めるられることは神の名が損われること──新入国審査について

「私は今月、中国での中日友好活動を終えて関西空港から再入国した。指紋採取のため両手の人さし指をそろえたとき、かつての指紋押捺の、あのいまわしい屈辱感に襲われた。日本は私を育んでくれた国であり、暮らしの場でもある。この国の人々のために役立ちたいと思ってきたのに、なぜこんな目にあわされるのか。裏切られ、傷ついた。」

 これは在日中国人2世で元化学技術者の林伯耀(リン・ボーヤオ)氏の言葉である(朝日新聞「私の視点」欄、「新入国審査──『テロ対策』が生み出す分断」2007年12月25日)。
 
 昨年11月20日から日本に入国、再入国する外国人に、指紋採取と顔写真撮影が義務づけられた。旧植民地出身者とその子孫である「特別永住者」などは除かれているが、しかし日本での永住許可を得た「一般永住者」である外国人にはこれが適用されている。

 具体的に言えば、たとえば私の高校時代の同級生の韓国人はこの義務を負わない。しかし20年来の韓国の友人は日本に来るたびに指紋と顔写真を取られる。今、一緒に本の編集をしている在日の牧師、研究者も、大韓聖公会から来て日本聖公会の中で働いておられる何人もの宣教師(宣教協働者)とその家族も、韓国を往復するたびに、あるいは他の国に出かけるたびに、これを強制されるのである。

 法務省入国管理局はこう説明している。
Q. どうして入国審査の時に指紋、顔写真を提供しなければならないのですか?
A. 指紋、顔写真という個人識別情報を利用して、別人の旅券を使っている人やテロリスト等の要注意人物を見つけることが可能となり、テロの未然防止に役立つからです。
Q. 指紋又は顔写真を提供しなかった場合、どのような措置がとられるのですか?
A. 入国審査官は、その外国人が免除対象者であるか否かについて慎重に審査しますが、外国人が免除対象者でないにも関わらず指紋等の個人識別情報を提供しない場合には、入国は認められず、日本からの退去が命じられます。

 果たしてほんとうに「テロの未然防止に役立つ」だろうか。「テロ対策」と称して他国に対して大規模に軍隊を送り込み、罪のないおびただしい人々の血を流させている国、それを支援している日本。こちらこそ巨大なテロ行為ではないのだろうか。

 日本で働いているある韓国人司祭はアメリカで講演することが決まっていたのに、指紋と顔写真を取られることを拒み、これをキャンセルした。彼は私にこう言った。「みんなが拒否すべきだとは思わない。でもそういう人がひとりくらいいてもいいのではないか」。彼は、自分の親が亡くなったとき、帰国するかどうか苦しむだろう。

 林伯耀氏は「あのいまわしい屈辱感」と述べた。これは小さなことではない。抑圧され、あるいは屈辱を受けた人々に対して忍耐を求め、さらに「人をゆるす」ことを求めるのが信仰的なのだろうか。

 かつて預言者エゼキエルをとおして神はこう言われた。

「わたしは熱情と憤りをもって語った。それはお前たちが国々から辱めを受けたからである。それゆえ、主なる神はこう言われる。わたしは手を上げて誓う。必ず、お前の周囲の国々は自分の恥を負う。」エゼキエル36:6‐7

 人が辱めを受けるとき、神は熱情と憤りを起こされるというのである。それは人の受けた屈辱を、神がご自分の受けた屈辱と感じられるからである。

 エゼキエルをとおして神は、イスラエルの君候たちの罪についてこう言われた。

「父と母はお前の中で軽んじられ、お前の中に住む他国人は虐げられ、孤児や寡婦はお前の中で苦しめられている。お前はわたしの聖なるものをさげすみ、わたしの安息日を汚した。」22:7‐8

 外国人が屈辱を受け、虐げられるとき、神の名は聖とされず、さげすまれ、汚されている。私たちが「み名が聖とされますように」と祈るとき、今、新しい入国審査制度によってこの地で主の名が損われていることに気づきたい。み名のための祈りをとおして、神と人の尊厳を回復したい。

(聖公会生野センター『ウルリム』第46号 2008年3月1日号)

日ごとの聖句307 わたしの手のひらに 2007/3/16〜22


2008年3月16日(日)復活前主日
彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。イザヤ53:5

3月17日(月)復活前月曜日
いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。イザヤ52:7

3月18日(火)復活前火曜日
彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え、救いを告げ、あなたの神は王となられた、と、シオンに向かって呼ばわる。イザヤ52:7

3月19日(水)復活前水曜日
わたしがあなたを忘れることは決してない。見よ、わたしはあなたを、わたしの手のひらに刻みつける。イザヤ49:15-16

3月20日(木)聖木曜日
奮い立て、奮い立て、力をまとえ、主の御腕よ。奮い立て、代々とこしえに、遠い昔の日々のように。イザヤ51:9

3月21日(金)聖金曜日(受苦日)
主に贖われた人々は帰って来て、喜びの歌をうたいながらシオンに入る。嘆きと悲しみは消え去る。イザヤ51:11

3月22日(土)聖土曜日
わたし、わたしこそ神、あなたたちを慰めるもの。なぜ、あなたは恐れるのか、死ぬべき人、草にも等しい人の子を。イザヤ51:12

日ごとの聖句306 祝福 2008/3/9〜15


2008年3月9日(日)大斎節第5主日
わたしの生涯を今日まで、導かれた牧者なる神よ。どうか、この子供たちの上に、祝福をお与えください。創世記48:15‐16

3月10日(月)
どうか、あなたの父の神があなたを助け、全能者によってあなたは祝福を受けるように。上は天の祝福、下は横たわる淵の祝福をもって。創世記49:25

3月11日(火)
あなたたちはイスラエルの人々を祝福して、次のように言いなさい。
主があなたを祝福し、あなたを守られるように。民数記6:23‐24

3月12日(水)
主が御顔を向けてあなたを照らし、あなたに恵みを与えられるように。民数記6:25

3月13日(木)
主が御顔をあなたに向けて、あなたに平安を賜るように。民数記6:26

3月14日(金)
彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう。民数記6:27

3月15日(土)
天地の造り主、主が、あなたたちを祝福してくださるように。詩編115:15

高田 宏『言葉の海へ』


高田 宏『言葉の海へ』を読んだ。

洋泉社新書。2007年(初版は1987年)。1700円。

最初の本格的日本語辞書『言海』を完成させた大槻文彦の伝記。

私は高校時代に、将来朝鮮語辞典をつくりたいという夢(夢想)を持っていたくらい辞書には関心があった。新しい辞書を買った時など、うれしくて食卓から枕元にまで携えていた。

江戸から明治に移る時代の激動の中で、洋学者の家系に生まれた大槻文彦がいのちをかけて『言海』の編集に取り組んだことがわかった。

祖父・大槻玄沢の次の言葉をみずからに言い聞かせていたという。

「およそ、事業は、みだりに興すことあるべからず、思い定めて興すことあらば、遂げずばやまじ、の精神なかるべからず。」

カバーに「ノンフィクション」とあったので、歴史書であると思い込んで読んでいたら、どうも著者が想像で創作していると思われるところがしばしばあり、居心地の悪さを感じた。しかしこれは小説であると理解して読めばとても有益である。

大槻文彦を知ってとても尊敬の念を持った。ただ彼が万葉集をはじめ恋歌を非難、否定するのは賛成できない。ただし彼がそう考えた理由は分かる気がする。

尹東柱の詩と信仰──立教時代に書かれた詩を中心に(4)


4. 「草のように萌え出る」(春)

「悲しむ人はさいわいである」
          八福──マタイ福音書5章3〜12 1940.12

 「八福」という詩があります。八つの幸福。マタイ福音書第5章、イエスの山上の説教冒頭。「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである」から始まって、「幸い」が8回繰り返されます。それで「八福」なのですが、尹東柱はこれを全部二つ目の幸い、「悲しむ人は、さいわいである」にしてしまいます。八つはすべて「悲しむ人」にまとめられるのです。

 そして「八福」の最後は

 「私たちは(あるいは、彼らは)永遠に悲しむであろう。」
 もしこの世界に悲しむ人が一人でもいるなら、自分もそのために悲しむ。この世界に悲しみが終らない限りは、自分の悲しみも終らない。

 この悲しみはイエスに通じます。

「彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。」旧約聖書・イザヤ書53:3(口語訳)

 それから約半年後、彼は「十字架」と題する詩を書きました。

「追いかけてきた日の光が
いま 教会堂の尖端
十字架にかかりました。

尖塔があれほど高いのに
どうして登ってゆけるでしょうか。

鐘の音も聞こえてこず
口笛でも吹きつつ さまよい歩いて、

苦しんだ男、
幸福なイエス・キリストにとって
そうだったように
十字架が許されるのなら

首を垂れ
花のように咲きだす血を
暗くなってゆく空の下に
静かに流しましょう。」1941.5.31

 イエスに従って十字架を負い、血を流す静かな決意があります。

 イエスの最期は次のように記されています。

「さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、『この人はエリヤを呼んでいる』と言う者もいた。……しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。』」マタイ27:45‐50

 尹東柱の最期について、福岡刑務所の看守のひとりは次のように語ったと言われます。

 「東柱さんは、何の意味かわからぬが、大声で叫び絶命しました。」
 イエスの最期とあまりにも似ています。

 イエスは天を仰ぎ、尹東柱は天を仰いだ。イエスは悲しみ、尹東柱は悲しんだ。イエスは大声で叫んで絶命し、尹東柱は大声で叫んで絶命した。

 何のためか。訪れる朝(「たやすく書かれた詩」)を待つためです。民族に訪れる新しい朝を待つため、悲しむ人に訪れる新しい朝を待つため、「すべての死んでいくもの」に訪れる復活の朝を待つためです。

 「春」

 立教時代の最後の作品、つまり私たちに残された尹東柱の最後の詩です。

「春が血管の中に小川のように流れ
さら、さら、小川の近くの丘に
れんぎょう、つつじ、黄色ーい白菜の花、

長い冬を耐えてきたわたしは
草のように萌え出る。

楽しいひばりよ
どの畝(うね)からでも楽しく舞い上がれ

青ーい空(天)は
ゆら、ゆら、と高いのだが……」春 1942.6?

 この詩は立教大学の便箋に書かれています。
「青ーい空(天)は
ゆら、ゆら、と高いのだが……」
の彼の自筆の上に百合の立教の紋章があります。
 百合には平和、正義、純粋の象徴とされ、また復活、三位一体の神を意味するとも言われます。
「青ーい空(天)は
ゆら、ゆら、と高いのだが……」

 この詩は後に続きがあったけれども失われたと聞きます。尹東柱は東京から京都に移り、京都で逮捕されて福岡で獄死しました。彼の魂は北間島(プッカンド)の故郷に、そして青い空に、天に帰って行きました。

 地上の制約から自由になった彼は、ふたたびここに立ち、待っているのではないでしょうか。

「──ああ 若さは長くそこに残っていてくれ。」

 情熱、想像力、精神を持ってこの時代の課題と真実に向き合うように、尹東柱は私たちに呼びかけています。

 私には、立教大学の百合の紋章が剣(つるぎ)に見えます。闇を暴く剣です。尹東柱を、純粋な魂を踏みにじり殺した闇をふたたび許さず、真実と平和を実現するためにしっかりと立つ。それが、今日、尹東柱を記念する意味だと思います。

(<詩人尹東柱とともに> 2008/02/16 立教学院諸聖徒礼拝堂)

尹東柱の詩と信仰──立教時代に書かれた詩を中心に(3)

3. 「六畳の部屋はひとの国」(たやすく書かれた詩)

「窓の外には 夜の雨がささやいて
六畳の部屋は ひとの国。

詩人というのは悲しい天命であると知りつつも
1行の詩を書いてみるか。

汗のにおいと愛のにおいの ふくよかに漂う
送ってくださった学費封筒を受け取って

大学ノートを脇に抱えて
老いた教授の講義を聞きにいく。
考えてみれば 幼いときの友らを
ひとり、ふたり、みな 失ってしまい

わたしは何を願って
わたしはただ、ひとり沈むのか。

人生は生きがたいというのに
詩がこのようにたやすく書かれるのは
恥ずかしいことだ。

六畳の部屋は ひとの国。
窓の外に夜の雨がささやいているが、
灯火をともして 闇を少し追いやり
時代のように来る朝を待つ 最後のわたし、

わたしは わたしに 小さな手を差し出して
涙と慰めで握る最初の握手。」たやすく書かれた詩 1942.6.3

 立教大学で過ごす学生、尹東柱の姿をここにはっきり見出すことができます。

「六畳の部屋」は東京の彼の下宿でしょう。しかしこれはただ故郷を離れた青年の孤独を歌ったものではありません。自らの名前、歴史、文化、精神を葬ることしなければ生きること自体を許さない日本という国を、「ひと(他人)の国」と感じ、認識した言葉です。「ひとの国」日本は、異なるものを同化するか、それとも「よそもの」として排除するか、その二つしか知りませんでした。

 彼は詩の終わり近くで次のように言います。

「灯火をともして 闇を少し追いやり
時代のように来る朝を待つ 最後のわたし、」
 彼はすでに死を予感し、覚悟していました。この詩から1年と少しで彼は逮捕され、そして1945年2月16日、福岡刑務所の独房で獄死しました。

 ところで昨年11月20日から日本に入国、再入国する外国人に、指紋採取と顔写真撮影が義務づけられました。旧植民地出身者とその子孫である「特別永住者」などは除かれているが、しかし日本での永住許可を得た「一般永住者」である外国人にはこれが適用されています。

 具体的に言えば、たとえば私の高校時代の同級生の韓国人はこの義務を負わない。しかし20年来の韓国の友人は日本に来るたびに指紋と顔写真を取られる。今、一緒に本の編集をしている在日の牧師、研究者も、大韓聖公会から来て日本聖公会の中で働いておられる何人もの宣教師(宣教協働者)とその家族も、韓国を往復するたびに、あるいは他の国に出かけるたびに、これを強制されるのです。

 果たしてほんとうに「テロの未然防止に役立つ」のでしょうか。「テロ対策」と称して他国に対して大規模に軍隊を送り込み、罪のないおびただしい人々の血を流させている国、それを支援している日本。こちらこそ巨大なテロ行為ではないのでしょうか。

 日本で働いているある韓国人司祭はアメリカで講演することが決まっていたのに、指紋と顔写真を取られることを拒み、これをキャンセルしました。彼は私にこう言いました。「みんなが拒否すべきだとは思わない。でもそういう人がひとりくらいいてもいいのではないか」。彼は、自分の親が亡くなったとき、帰国するかどうか苦しむでしょう。

 日本に来るために尹東柱は、自分の名前を平沼東柱という恥ずかしい名前に変えなければなりませんでした。日本は彼に屈辱を与えました。
 今またこの国がしていることは、六畳部屋の尹東柱に与えたと同じように隣人に苦しみと屈辱を与えることです。

尹東柱の詩と信仰──立教時代に書かれた詩を中心に(2)


2. 「足跡の音」(白い影)

 尹東柱が日本に来て最初に作ったと思われる詩は「白い影」です。

「黄昏が濃くなってゆく街角で
一日中、疲れた耳を静かに傾ければ
夕闇の、移される足跡の音」

 私は奇妙な訳し方をしました。「夕闇の、移される足跡の音」。直訳です。「足跡の音」。

 尹東柱は今、夕闇の東京の街を歩いている。人の足音を聞き、自分の足音を聞いています。けれどもそこに、別の足音が聞こえます。すでにここを通って行っただれかの足跡があることに気づきます。過去のだれかです。その足跡からその人の足音が聞こえる。過去から今の自分に向かって、その足音が聞こえてきます。

 その人の足跡(そくせき)、その人が生きて死んだ人生の道と自分が関わりを持たなければ、キルケゴールの言う「世間の人」になっていく。しかしその足跡から足音が聞こえて、自分の耳と心に響いてくれば、世間の人にはなれず、ある種必然の道を歩むことにならざるを得ない。

 その人とはだれか。歴史上の何人もの人かもしれません。韓国・朝鮮の、中国の、あるいはヨーロッパのある人たちの足跡から足音が聞こえる。そしてその中に、決定的に聞こえるのはイエスの足跡の音です。

「足跡の音を聴くことができるように
私は聡明だったのでしょうか。」

 その足跡からその人の音を聴いてしまった。聴くことができるように聡明にされてしまった。

 すると自分にとって大切だったいろんなものを放棄することになります。大切な人やものと別れていくことになります。

「いま愚かにもすべてのことを悟った次に
長く心の奥深くに
苦しんでいた多くの私を
ひとつ、ふたつ、私のふるさとへ送り返せば
街角の闇の中へ音もなく消えゆく白い影、

白い影たち
ずっと愛していた白い影たち、

私のすべてのものを送り返した後
うつろに裏通りをめぐり
黄昏のように色づく私の部屋へ帰ってくれば

信念の深い堂々たる羊のように
一日中憂いなく草でもはもう」白い影 1942.4.14

 最後の1行は突然の変化です。すでに決意をしたから、大きな存在に守られて安心して堂々としていられる。いま詳しくお話しできませんが、ここには旧約聖書・イザヤ書第65章25節とミカ書第7章14節の草をはむ羊が反映しているのではないか、と私は感じます。
 
 「足跡の音」に関連して、尹東柱のそれまでの詩から「道」に触れているものをいくつか年代順に読んでみます。

 「新しい道」

「川をわたって森へ/峠を越えて村へ
昨日も行き、今日も行く/わたしの道、新しい道
タンポポが咲き、かささぎが飛び/娘が通り、風が起こり
わたしの道はいつも新しい道/今日も……明日も……
川をわたって森へ/峠を越えて村へ」1938.5.10

 「道」

「なくしてしまいました。
何を どこで なくしたのか わからず
両手がポケットをさぐり/道に出て行きます。
石と石と石が 果てしなくつづき/道は石垣に沿って行きます。
垣は鉄の門を固く閉ざし/道の上に長い影を落として
道は朝から夕べへ/夕べから朝へ通じました。
石垣を手探りして 涙ぐみ/見上げると 天は恥ずかしいほど青いのです。
草一本ないこの道を歩くのは/垣の向こうに私が残っているからで、
私が生きるのは、ただ、/なくしたものを見出すためなのです。」1941.9.31

 「序詩」

「死ぬ日まで天を仰ぎ/一点の恥なきことを
木の葉に起こる風にも/わたしは苦しんだ。
星をうたう心で/すべての死んでゆくものを愛さなければ
そしてわたしに与えられた道を/歩みゆかねば。

今宵も 星が 風に吹きさらされる。」1941.11.20

 1943年7月14日、尹東柱は京都で、治安維持法違反容疑で捕らえられ、懲役2年の判決を受け、1945年の冬、福岡刑務所で獄死しました。今日2月16日がちょうどその日。63年前です。
 尹東柱は福岡の獄中から故郷の家に『英和対訳新約聖書』を送ってほしいと頼みました。聖書が読みたかったのです。送られてきたその聖書を獄中で読んでいました。英語と日本語対訳の聖書。

 朝鮮語聖書はどうしたのでしょうか。彼がいちばん大事にしていたのは朝鮮語の聖書のはずです。京都の下鴨警察に押収されて読めなくなったのではないでしょうか。聖書で生きている人間にとっては、聖書が読めないことは魂が死に瀕することです。
 彼には聖書が必要でした。けれども朝鮮語の聖書は許されない。それで『英和対訳新約聖書』を求めたのではないかと想像します。
 
 「序詩」の冒頭、「ハヌルル ウロロ」について、「(死ぬ日まで)空を仰いで」と訳すか「天を仰いで」と訳すかという議論があります。詩は、唯一の正しい解釈というのはないと思うので、「ハヌル」は「天」でも「空」でも読み手にまかされていると考えたい。ただこういうことがあります。

「ハヌルル ウロロ」という言葉。これは新約聖書に出て来る言葉です。マルコによる福音書第7章にこう語られています。

「人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、『エッファタ』と言われた。これは、『開け』という意味である。すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。」マルコ7:32‐35

 「天を仰いで深く息をつき」。ここにはイエスの深いため息があります。人の、何ともならないうめきに触れて、イエス自身がうめく。天を仰いでため息をつく。ため息をつきながら神に訴える。そういう場面です。このイエスの「天を仰いで」が「ハヌルル ウロロ」なのです。尹東柱当時のハングルの聖書も調べてみましたが、やはり「ハヌルル ウロロ」です。これはおそらく偶然の一致ではないでしょう。

 尹東柱は聖書を読んでいました。耳が聞こえず舌の回らないその人とイエスの出会いの物語を知っていたはずです。イエスがその人の悲しみを感じつつ天を仰いだその姿は尹東柱の心に刻まれ、その言葉「ハヌルル ウロロ」は彼の耳に残った。そして彼がやがて「序詩」を作るとき、意識してか意識せずかはともかく、マルコ福音書のあの箇所、あの言葉が彼の中に共鳴していた。そのように私は思うのです。

 「ハヌルル ウロロ」は同じマルコ福音書の今の箇所の前、第6章:41節にも出てきます。

「そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。」

 「天を仰ぎ」(ハヌルル ウロロ)によって尹東柱とイエスがつながってきましたので、イエスの生涯の最後の道を新約聖書から引用します。

「ちょうどそのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。『ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。』イエスは言われた。『行って、あの狐に、“今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える”とわたしが言ったと伝えなさい。だが、わたしは今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。』」ルカによる福音書13:31‐33

「死ぬ日まで天を仰ぎ/一点の恥なきことを
……
星をうたう心で/すべての死んでゆくものを愛さなければ
そしてわたしに与えられた道を/歩みゆかねば。」

「自分の道を進まねばならない。」ネガ カル キルル カヤハリニ
「わたしに与えられた道を/歩みゆかねば」ネハンテ チュオジン キルル コロガヤゲッタ

 尹東柱の思いとイエスの思いは、尹東柱の決意とイエスの決意は響き合っています。 イエスがエルサレムで死ぬことを覚悟していたように、尹東柱も日本で死ぬことを覚悟していたのでしょうか。日本への道は必然であったように思われます。

尹東柱の詩と信仰──立教時代に書かれた詩を中心に(1)


 2008年2月16日、立教大学諸聖徒礼拝堂で行われた尹東柱記念のつどい<詩人尹東柱とともに>での講演を掲載します。
 詩の訳は私訳です。

1. 「若さは長くそこに」(いとしい追憶)

 今日は、この立教大学で、聖公会の式文による祈りをとおして尹東柱を記念することができ、感謝いたします。

 先ほどの祝辞の中に「彼は自由のための歴史の犠牲になってしまった」という言葉がありました。尹東柱はひとりで勝手に犠牲になった訳ではありません。誰が彼を犠牲にしたのか。日本と日本人が彼を犠牲にしたのです。それを明確にしておかなくてはなりません。控えめに言っても、私たちは彼を守ることができなかった。しかし彼が今、私たちを支え、導いてくれる。この大切な名前を、私たちが自分のために利用することは恥ずかしいことであり、許されないことです。

「春はみな行き──東京郊外のある静かな下宿部屋で、昔の街に残ったわたしを希望と愛のようになつかしむ。

今日も汽車は何度も無意味に通り過ぎ、

今日もわたしはだれかを待って停車場近くの
坂を行ったり来たりするだろう。

──ああ 若さは長くそこに残っていてくれ。」いとしい追憶

 尹東柱は今から66年前の1942年春、海を渡って日本に来ました。東京のここ、立教大学文学部(英文科)で学びました。
 私事ですが、それから40年後の1982年、私はその立教大学文学部(キリスト教学科)助手になり、3年をそこで過ごしました。そのころキリスト教学科と英米文学科は隣でしたからしばしば行き来することがありました。けれどもまだ尹東柱のことはほとんど知りませんでした。

 1986年に韓国に行ったとき、『尹東柱全詩集──空と風と星と詩』(하늘과 바람과 별과 詩)を書店で見つけて購入し、伊吹郷さんの訳書と読み合わせて次第に引き込まれるようになりました。
 私の母校のひとつは同志社大学、京都・今出川キャンパスですので、尹東柱とは立教と同志社と二重の重なりがあります。

 先ほど朗読したのは、彼の残された最後の詩、立教時代の五つの詩の一つ、「いとしい追憶」の最後のところです。

「──ああ 若さは長くそこに残っていてくれ。」

 彼が「若さ」と言ったとき、それは何でしょう。残っていてほしいと彼が願った「若さ」とはどういうものだったのでしょうか。その手がかりを探ってみたいと思います。

 尹東柱はソウルの延禧(ヨンヒ)専門学校の学生時代の終わり頃、日本に来る直前ですが、デンマークの思想家キルケゴール(1813〜1855)を耽読していたと言われます。キルケゴールの何をどんなふうに読んでいたのか分かりませんが、しかしたとえば次のような言葉を読んでいたのではないか、と想像してみます。キルケゴールの代表作のひとつ『死に至る病』の一節です。

「ところで絶望はただ青年期にのみ固有なものであるというような見当違いに至っては、これは全く絶望的である。……精神に関しては人々は年とともに自ずから何物かを失うということがきわめて容易に起るのである。おそらく人々は年とともに自分のもちあわしていた僅かばかりの熱情・感情・想像力と僅かばかりの内面性を失う、それから人々は無論また自ずから何物かに――すなわち世間人特有の処世術に到達するのである。」(岩波文庫)

 私は今から35年くらい前の学生時代にキルケゴールを読みふけっていたのですが、今の言葉が鮮明に心に響いたのを覚えています。
「年とともに自分のもちあわしていた僅かばかりの熱情・感情・想像力と僅かばかりの内面性を失う、それから世間人特有の処世術に到達する」。

 これを尹東柱は望んでいなかった。そんなふうになるなら、彼にとってそれは生きることそのものを失うことであったと思います。

 66年前、1942年の5月、尹東柱は東京のある駅の近くの坂道を行ったり来たりしていました。故郷を、過去の自分を思い出して懐かしみながら、今を生きています。だれかを待っています。だれかが汽車を降りてくるのを待っています。でも待っているそのだれかは降りてこない。

「今日も汽車は何度も無意味に通り過ぎ、」

 でも毎日毎日待っています。当てはないけれど、停車場の近くの坂を行ったり来たりしながら待っています。
 
 それから66年経って、彼は今も待っているのではないでしょうか。

「──ああ 若さは長くそこに残っていてくれ。」

 彼が長くそこに残っていてほしいと願った若さは、ここに残っているだろうか。私たちの中に残っているでしょうか。たとえ絶望を繰り返すことがあったとしても、熱情・感情・想像力と内面性、精神を、失わずにいたいと願います。

 尹東柱は幼い頃からキリスト教信仰を持って成長しました。1917年12月30日に生まれた彼は、まもなく幼児洗礼を受け、幼い頃から家族とともに明東(ミョンドン)教会に通いました。延禧専門学校時代は、故郷の龍井(ヨンジョン)北部教会の夏期聖書学校で教師をしました。ソウルでは協成教会に通い、英語聖書班に参加していました。

 もうふたつキルケゴールの『死に至る病』から引用します。

「キリスト教的なるものが口にされはしたが、それが、人々の多くはそれを聞いても結局何も考えないような仕方で口にされたという点に不幸が存するのである。」
「信ずるというのは実に神を獲得するために、正気を失うことにほかならない。」

 尹東柱は学生時代に信仰について懐疑を抱いたと言われます。これは消極的なことではなく、自分が生きて死ぬこととキリスト教信仰がどう関係するのかをめぐって苦闘した、ということではないでしょうか。

 「それを聞いても結局何も考えないような仕方」ではなく、生き死に関わることとして苦しみ求めて聖書を読み、またキルケゴールを読みふけった。そのように思うのです。

 尹東柱はキルケゴールをとおして、自分が、人生が、根本的に問われる経験をしたでしょう。厳しい道を行くか楽な道を選ぶか。それが日本渡航に深く関わっていたのではないかという気がするのです。


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井田 泉
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