Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2008年06月

日ごとの聖句322 エレミヤ2 2008/6/29〜7/5


2008年6月29日(日)聖霊降臨後第7主日
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られました。それは、わたしたちも新しい命に生きるためです。ローマ6:4

6月30日(月)使徒聖ペテロ・使徒聖パウロ日
主に向かって歌い、主を賛美せよ。主は貧しい人の魂を、悪事を謀る者の手から助け出される。エレミヤ書20:13

7月1日(火)
しかし主は、恐るべき勇士として、わたしと共にいます。それゆえ、わたしを迫害する者はつまずく。エレミヤ20:11

7月2日(水)
わたしは、わたしが主であることを知る心を彼らに与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは真心をもってわたしのもとへ帰って来る。エレミヤ24:7

7月3日(木)
彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らは真心をもってわたしのもとへ帰って来る。エレミヤ24:7

7月4日(金)
わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画である。エレミヤ29:11

7月5日(土)
それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。エレミヤ29:11

真理を渇望し、義に飢え渇く──大韓聖公会聖職按手式に参加して


 5月下旬、大韓聖公会ソウル大聖堂で行われた聖職按手式に2度も参加する機会が与えられた。わたしにとっては15年ぶりの韓国訪問である。

 5月22日(木)は旧知の金根祥(キム・グンサン)神父の主教按手式(韓国では「叙品式」)。日本からはすべての現職主教をはじめ30人以上が出席した。来年1月、正式にソウル教区第5代主教に就任される。新主教はいわゆる社会宣教を推進してこられた方のひとりであるが、夜の祝賀レセプションで第3代丁哲範(チョン・チョルボム)主教が温かく「活動が成果主義に陥ってはならない。霊的生活が大切であって、それを失えば教会の意味がなくなってしまう」と言われたのが強く印象に残った。

 按手式の中で奉献の第2聖歌として歌われたものが印象的だった。大韓聖公会聖歌487。
 作曲は羅運栄(ナ・ウニョン)。自由という言葉にひかれた。訳してみると──

1. 真理がわたしたちを自由にします
  愛がわたしたちの心を広くします
  (おりかえし)
  愛の主なる神、栄光の主なる神
  自由にしてください 愛させてください

2. 信仰がわたしたちをひとつにします
  聖霊がわたしたちを新たに生まれさせます。
  (おりかえし)

3. 希望がわたしたちを光とならせます
  み言葉がわたしたちを塩とならせます。

  (おりかえし)

4. 真理のみ言葉が自由にします
  愛のみ言葉が甲斐あるようにします
  (おりかえし)

 翌週、ソウル教区から京都教区に派遣されている京都聖ヨハネ教会の韓相敦(ハン・サンドン)執事の司祭按手式参加のため訪韓した。今回は京都教区からの25名の訪問団の一員である。式の始め、わたしは推薦の言葉を述べた。その後、「叙品式連祷」(聖職按手のための嘆願)が献げられた。その間、司祭候補者8名、副祭(執事)候補者4名は白衣を着て床に伏していた。以下は連祷の先唱の一部である。

主よ、わたしたちの主教(フランシス)とすべての主教、司祭、副祭(執事)たちを主の愛によって満たし、真理を渇望し、義に飢え渇く者としてください

主よ、教会のために召しを受けた聖職者たちのために祈ります。彼らが聖なる務めを忠実に遂行し、教会を打ち立て、主のみ名を聖とするようにしてください

主よ、聖霊が彼らの心におられるゆえに、彼らが助けと力を得て、最後まで耐え忍ぶことができるようにしてください

 主の愛、真理への渇望、義への飢え渇き──聖職のありようがこのような言葉で表現されている。何度か思わされるのは、韓国聖公会の式文が、神と人と世界に対して極めて率直な姿勢と言葉でつくられていることである。

 これは韓国の教会が、社会の困難と苦しみに直面しながら切に祈り取り組んできたことの反映ではないだろうか。

 ソウル大聖堂構内には「殉教追慕碑」があり、「6月民主抗争震源地」の碑がある。前者の碑には、かつての平壌の総司祭・李源昶(イ・ウォンチャン)神父(金根祥主教の祖父)ほか1950年に勃発した朝鮮戦争で殉教した人々の名前が刻まれている。

 後者はこの場所が、1987年、長年の軍政に終止符を打ち、民主化の実現をもたらした「6月民衆抗争」の始まりの地であることを示すものである。当時、機動隊がソウル大聖堂に乱入、主教館の一部を破壊し、また主任司祭・朴鍾基(パク・チョンギ)神父を殴打して負傷させるという事件があった。聖職団はソウル大聖堂に1週間こもって断食し、政府に「聖域侵犯」への謝罪を求め、またそのような社会と政治のありように許した自分たちの罪を悔い改める祈りをささげた。

 こうした歴史の中で現在の韓国聖公会が生きていることを思う。日韓の教会の交流がこれからいっそう豊かで意味深いものとなることを心から願う。

(聖公会生野センター『ウルリム』第47号 2008.6.20)

黙想会のご案内


 京都聖三一教会では6月末の主日の午後、黙想のひとときを持つことになりました。

 忙しい毎日、痛ましい出来事が続く中、しばらくのあいだ心とからだをゆったりと神さまの前に置き、沈黙のうちに聖書の言葉を思いめぐらし、イエスさまから慰めと導きと励ましを受けたいと思います。

 ご関心のある方はどなたでも自由にご参加ください。

(会の性格から遅刻はお避けください。聖餐式はいつもどおり10時30からです。)

2008年6月29日(日)午後1時〜3時

テーマ「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝」
ヨハネ15:5



講話:井田 泉司祭

場所:京都聖三一教会礼拝堂

    小野純子さんによるライアー(竪琴)の奏楽があります

プログラム(およその目安)
13:00 はじめの祈り
      第1講話と黙想「わたしはぶどうの木」
13:30 第2講話と黙想「あなたがたはその枝」
14:00 第3講話と黙想「願いなさい」
14:50 おわりの祈り
15:00 お茶・解散

○新約聖書をお持ちください。聖歌は教会で用意します。

日本聖公会京都聖三一教会
〒604-8403 京都市中京区聚楽廻中町45
TEL/Fax 075-841-3281  izaya@da2.so-net.ne.jp
http://www.nskk.org/kyoto/trinity/

日ごとの聖句321 エレミヤ 2008/6/22〜28


2008年6月22日(日)聖霊降臨後第6主日
「彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて、必ず救い出す」と主は言われた。エレミヤ1:8

6月23日(月)
もしあなたが真実と公平と正義をもって「主は生きておられる」と誓うなら、諸国の民はあなたを通して祝福を受ける。エレミヤ4:2

6月24日(火)洗礼者聖ヨハネ誕生日
わたしがあなたと共にいて助け、あなたを救い出す、と主は言われる。エレミヤ15:20

6月25日(水)
わたしはあなたを悪人の手から救い出し、強暴な者の手から解き放つ。エレミヤ15:21

6月26日(木)
祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。エレミヤ17:7

6月27日(金)
彼は水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り、暑さが襲うのを見ることなく、その葉は青々としている。エレミヤ17:8

6月28日(土)
主よ、あなたがいやしてくださるなら、わたしはいやされます。あなたが救ってくださるなら、わたしは救われます。あなたをこそ、わたしはたたえます。エレミヤ17:14

土肥昭夫先生の思い出

 2008年5月31日、同志社大学の土肥昭夫名誉教授(2008年3月31日逝去)追悼礼拝が神学館礼拝堂で行われました。土肥先生はわたしの恩師です。そのときに語ったものを掲載します。


 私は今から36年前の1972年4月に同志社大学大学院神学研究科歴史神学専攻に入学し、この建物、神学館で3年にわたって、ゼミを中心に土肥先生の指導を受けた者です。
 思い出のいくつかをお話しします。
 
 教室で待っていると先生が入って来られます。いつも黒い大きな鞄を持ってこられて、まずそれを机の上に置かれます。そこから必要なものを取り出して、話を始められます。髪の毛は中央から左右に均等に分けられていました。先生は40代半ば。

 授業の中で鮮明に覚えていることのひとつは、海老名弾正についての講義でした。「護教論的キリスト教」という言葉を使われたと記憶します。あまりに鮮明、説得的な内容だったので、わたしはいくつかのところで先生のお話の受け売りをしたことがありました。

 ちょうどわたしが入学した1972年、同じ土肥ゼミに韓国からひとりの方が入られて3年間一緒でした。わたしより15歳年上の金守珍(キムスジン)先生という長老教会の牧師でした。この方はその後ずっと親しくさせていただいています。

 わたしは入学の時点で韓国のキリスト教の歴史を学びたいと申し出ていました。土肥先生はわたしとこの韓国の方のテーマを受けとめてくださって、「日本・朝鮮・キリスト教」というゼミを在学中毎年連続で開いてくださいました。土肥先生のもとでわたしがまとめたのは「初期朝鮮キリスト教史」という修士論文でした。そのころはこれに関する日本語の文献は乏しく、内容上のことは先生はあまりおっしゃいませんでしたが、論旨の運び方、日本語の表現の仕方などについて細かいところまで助言をしてくださいました。

 土肥ゼミで3年お世話になった後、わたしは東京の聖公会神学院で2年間学んで京都にもどり、下鴨キリスト教会に勤めました。その2年目に結婚しましたときは、先生に新郎側、つまりわたしのほうの主賓として祝辞をお願いしました。とても緊張した披露宴だったのですが、先生のユーモア溢れるスピーチに場の空気が一変して和やかになったことを思い出します。

 何度か先生のお宅にお邪魔して、奥様、淳子(あつこ)さまが用意してくださったおいしい食事を一緒にいただいたこと、わたしが勤務していた教会、下鴨キリスト教会、京都復活教会、現在の京都聖三一教会に、いずれもバイクに乗って来てくださった姿を思い出します。

 研究会などで、何度か先生とご一緒する機会がありました。わたしが何か報告したり発言したりするとき、いつも決まって先生の呼吸が荒くなるのを感じました。それは弟子のわたしがちゃんとしたことを言うかどうかを気づかってくださっていたのだと思います。わたしは先生の息づかいを聞きながら、心の中で、先生に心配をかけてはいけない、と思ったり、あるときは「先生、今日は大丈夫ですから心配しないでください」と心の中で言ったりしていました。

 わたしは現在、日本聖公会京都聖三一教会の牧師ですが、同時に富坂キリスト教センターの日韓キリスト教関係史研究会の主事をしています。これは『日韓キリスト教関係史資料』の第3巻を編集・発行するための研究会です。土肥先生は長く日本と韓国のキリスト教の研究と交流に関わって来られ、すでに出版された2巻の『日韓キリスト教関係史資料』の続き、1945年以降、現代の日韓キリスト教関係史資料集の必要を強く訴えられ、その構想を書かれました。これは2006年に新教出版社から出版された先生の論文集『思想の杜──日本プロテスタント・キリスト教史より』に最後の章として収められています。

 その本が出る前、その最終章(第12章)「現代日韓キリスト教関係史資料集の構想を考える」の三校のコピーを読ませていただく機会がありました。

 その最後、ということはその本の本文最後でもあるのですが、こう先生は書かれています。

「もとよりその編纂作業には関係史に関する相当の知識と技術を必要とするので、誰でもできることではない。しかし、逆に知識や技術があっても、この作業に自らを賭ける熱意がなければ、これはできない。戦後半世紀以上にわたる日韓キリスト教関係史を省みるとき、償いの想いを秘めて韓国のキリスト者との間に新しい関係を創出しようとした日本のキリスト者は少なくなかった。その人たちの営みを語り伝え、また自らもそれに連なろうとする熱意がこの作業を可能にする。幸いにして富坂キリスト教センターがこれに協力されることになっている。時は縮まっている。筆者のあと、この編纂にかかわる人たちの現われることを祈る。」

 わたしはこの先生の文に動かされて、この資料集の仕事に加わる決意をしたのですが、いま「時は縮まっている。筆者のあと、この編纂にかかわる人たちの現われることを祈る」と言われた言葉が、このように現実になるとは思いもしませんでした。

 歴史から学ぶ先生の精神を継承したい。先生への感謝と、わたしたちに託されたことをお引き受けする決意をもって、記念の言葉とします。

天地を裂かれる神──三位一体によせて


          マルコ1:9‐11

 遠い昔、人々は天を仰いでため息をつき、嘆きました。
 イエスの時代より数百年前に人々の魂から溢れ出た言葉。それが旧約聖書のイザヤ書の中から聞こえます。

どうか、天から見下ろし
輝かしく聖なる宮から御覧ください。
どこにあるのですか
あなたの熱情と力強い御業は。
あなたのたぎる思いと憐れみは
  抑えられていて、わたしに示されません。」イザヤ63:15

 天を見上げて嘆いています。神は沈黙しておられる。昔の人々が経験したはずの神の
情熱、力ある神の働きは示されない。

「なにゆえ主よ、あなたはわたしたちを
  あなたの道から迷い出させ
わたしたちの心をかたくなにして
あなたを畏れないようにされるのですか。
立ち帰ってください、あなたの僕たちのために。」63:17


 こう祈っている人は、自分たちが迷い出ていることを知っているのです。心がかたくなになり、神を畏れないようになったこの世界の現実に苦しんでいます。
 そして神はそれを放置してしまわれた。去って行ってしまわれた。「立ち帰ってください」と神に訴えています。自分たちの過ちを嘆きつつ、沈黙の神に訴えているのです。

「あなたの聖なる民が
  継ぐべき土地を持ったのはわずかの間です。
間もなく敵はあなたの聖所を踏みにじりました。」63:18


 国は外国の軍隊によって占領され、尊い場所は踏みにじられた。外国によって占領され、支配されたままです。

「あなたの統治を受けられなくなってから」
 別の力が支配しています。
「あなたの御名で呼ばれない者となってから
  わたしたちは久しい時を過ごしています。
どうか、天を裂いて降(くだ)ってください。
御前に山々が揺れ動くように。」63:19


 神は天を閉ざして沈黙しておられ、自分たちは地上に取り残されたまま。何も自分たちを守ってくれる者はなく、支えも希望もなく、ひたすら神に向かって祈っています。

「どうか、天を裂いて降ってください。」63:19

 この嘆きと切なる訴え祈りは空しくなりませんでした。神が天を裂いて降られた出来事。閉ざされた天が開いて、神の業が地上に始まりました。あの嘆きから数百年して、ユダヤのベツレヘムの地に、神の子が天から降った。それがクリスマスです。

 そのイエスが30歳になったとき、人々の前で活動を開始されます。その始まりの直前、イエスはヨルダン川で洗礼を受けられました。先ほど読んでいただいた箇所です。

 洗礼は水の中に全身浸ってしまいます。言い換えると水没する、水の中で溺れて死んでしまうことをあらわします。溺れて古い人が死んで、水から上がるのは新しく生きること。神から赦されて、重荷を解かれて楽に自由になって、新しく生き直すのです。

「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。 水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降(くだ)って来るのを、御覧になった。」1:9 ‐10

 ここに「天が裂けて」と書いてあります。「天を裂いて降ってください」と祈ったイザヤ書のあの訴えが聞かれ、実現しました。

 “霊”が、神の霊が降ってきて、イエスの上にとどまった。聖霊は神の力、神の命の働きです。人のうちに生きて人を力づけ、人を通して働く神。これを聖霊と呼びます。

「すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた。」マルコ1:11

 これは神の声です。昔からの言葉を使えば、父なる神がその独り子イエスに呼びかけたのです。父と子と聖霊を、キリスト教信仰では三位一体と言いますが、その三つがこのイエスの洗礼の場面に現れています。

 3日前の日曜日、5月18日は教会の暦で三位一体主日(Trinity Sunday)でした。その日、私たちの教会、京都聖三一教会では洗礼を行いました。
 「あなたはわたしの愛する子」
 わたしはあなたを喜ぶ。

 神のイエスへの呼びかけは、私たちみんなへの呼びかけです。洗礼を受けるとき、その人は「あなたはわたしの愛する子」という呼びかけを、自分のこととして聞きます。すべての人にあてはまることを、ほかでもなく自分自身のこととして、神さまから受け取ります。この呼びかけを心に聞かせるのが聖霊です。

 天が裂けたというのは、沈黙しておられるかに見えた神が語り出されたこと、神と人の間に交流が起こったことを示しています。神から慰めと励ましと導きを受けて、人はしっかりと歩み始めます。

 イエスの前に天が裂けてからおよそ3年後、天ではなく、別のものが裂かれます。

 それはイエスのからだです。人のために労苦し、人を生かし支えるために心を砕いたイエスは、当時の力を持った人々に憎まれ、迫害を受け、捕らえられ、裁判により死刑の判決を受けました。イエスのからだはエルサレムの城門の外、ゴルゴタという死刑場で木にかけられました。両手両足は釘で打たれました。イエスのからだは裂かれて、血が流れました。マルコ福音書によればおよそ6時間の十字架の上での苦しみの果て、午後3時に息を引き取られました。

「しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。」15:37 ‐38

 垂れ幕の上から下までが真っ二つに裂けた。上は天、下は地を象徴するのかもしれません。

 マタイ福音書にはさらに不思議なことが書いてあります。

「そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。」27:51 ‐52

 イエスの十字架の死の直後、「岩が裂け……」

 長い間わたしは、こんなことはあり得ないと思っていました。けれども、これは物理的な客観な報道ではないとしても、別の意味を持っているのではないでしょうか。

 今から70年前の1938年当時、日本は朝鮮半島を植民地支配していました。あのイザヤ書の時代と似ています。人々は日本統治下の苦しみの中で、天を仰いで嘆き祈っていました。

「あなたの統治を受けられなくなってから
わたしたちは久しい時を過ごしています。
どうか、天を裂いて降ってください。」

 日本は朝鮮の人々を政治的に支配するだけではなく、文化も歴史も言葉も支配しようとしました。天皇の忠実な僕とするための皇民化政策。そのひとつが神社参拝の強制でした。これによって朝鮮の人々の心、魂までも屈服させようとしたのです。キリスト教のこれに対する抵抗は非常に激しかったのですが、日本は警察を総動員してキリスト教系の学校、次いで教会に神社参拝を強制し、むりやりにそれを受け入れさせました。最後まで抵抗を続けた長老教会が神社参拝決議をしたのが、1938年の9月です。

 抵抗した牧師・信徒は捕らえられ、拷問を受けて、50名前後が獄死し、数百の教会が閉鎖されました。

 その時代、平壌(ピョンヤン)の山亭峴(サンジョンヒョン)教会に朱基徹(チュ・ギチョル)という牧師がいました。彼は神社参拝に抵抗して獄中生活をし、釈放されて夜行列車で朝、平壌に到着。それが日曜日で、そのまま教会に直行して説教をしました。「五つのわたしの祈願」という題です。長い説教なのですが、その最初と最後をご紹介します。

「私は彼らの手によって何度目か逮捕され、この度は長い囚われの身となっていましたが、この山亭峴(サンジヨンヒヨン)の講壇に再び立つこととなりました。神様の恵みを感謝しつつ、私のために祈りつつ待っていてくださった教友の皆さんの前で、再び説教しようとしておりますが、感慨無量です。といって特別違った説教ではなく、囚われのうちにあっていつも祈っていた五つの題目、すなわち『五つの私の祈願』という題でお話ししようと思います。

「 私は今まさに、死に直面しています。私の命を奪おうとする黒い手は、時々刻々と迫っています。死に直面した私は、『死の権勢に打ち勝たせてください』と祈らないわけにはいきません。」

「イエスの御名によって死刑場に出ていくのは、キリスト者の最大の祝福であります。主のために十回、百回死ぬのはよい。しかし、主を捨てて百年、千年生きるといって、それが一体何の長命でしょうか! ああ! 主よ! この命を惜しんで主を辱めることがないようにしてください。このからだが潰れて粉となろうと、主の戒めを守らせてください。」

「この朱牧師が死ぬからといって悲しまないでください。私はわが主のほかに、別の神の前にひざを屈しては、生きることができません。汚れて生きるよりはむしろ死んで、死んで主に対する貞節を守ろうと思います。主に従って、わが主に従って死ぬことは、私の祈り、私の願いです。私には一死覚悟があるのみです。」

 最後です。

「 ああ! 主イエスよ、わが魂を主に委ねます。十字架を固く保って倒れるとき、わが魂を受けてください。獄中であれ、死刑場であれ、わが命が絶えるとき、わが魂を受けてください。
父の家は私の家、父の国はわが故郷です。汚れた地を踏んできた私の足を洗い清めて、私を天国の黄金の道を歩む者としてください。罪の世で苦しんできた私を清めて、栄光のみ前に立たせてください。わが魂を主に委ねます。アーメン」

 朱基徹牧師はやがて獄死しました。

 しかしこの説教は聴き手の心の刻みつけられ、数年後、ある人によって復元されました。日本の敗戦、韓国・朝鮮の解放の後です。

 葬られ、口も存在も封じられていた人が語り始める。岩が裂けて、死んだ人が生き返り、今に呼びかけ、働きかけるのです。

「地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。」

 マタイ福音書は事実を告げています。

 天が裂かれて、神の声が聞こえる。

「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」

 日本語訳はちょっと固いと思います。これは「あなたはわたしの喜びだ」ということです。わたしはあなたを喜ぶ。あなたの中にわたしの喜びがある。あなたのことがうれしい。

 天が裂かれて神の呼びかけが聞こえて、私たちを生かす。岩が裂かれて、沈黙させられた人々の声を聞くことができるようになる。それをさせてくださるのが、父と子と聖霊の三位一体の神です。

 神は天を裂いて降られました。神の子イエス・キリストは自分のからだを裂かれました。

 聖霊は私たちの心を開く。神と人の声を、私たちの心に聞かせます。三位一体の神は、天と地と私たちの心を開くのです。

 私たちをご自分の愛する子として喜ばれる神。その喜びがわたしたちの喜びとなりますように。

  (同志社大学水曜チャペル・アワー 2008/05/21 同志社クラーク・チャペル)

日ごとの聖句320 愛のための労苦 2008/6/15〜21


2008年6月15日(日)聖霊降臨後第5主日
神よ、あなたの道が世界に知られ、救いがすべての国に知られるように。詩編67:2(祈祷書)

6月16日(月)
わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。テサロニケ 1:2

6月17日(火)
あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦していることを、わたしたちは神の御前(みまえ)で心に留めているのです。テサロニケ 1:3

6月18日(水)
神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、わたしたちは知っています。テサロニケ 1:4

6月19日(木)
母親がその子供を大事に育てるように、わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。テサロニケ 2:7‐8

6月20日(金)
わたしたちは、父親がその子供に対するように、あなたがた一人一人に呼びかけました。テサロニケ 2:11‐12

6月21日(土)
わたしたちはあなたがたに、神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めたのでした。テサロニケ 2:12

嘆き悲しまないために──「テサロニケの信徒への手紙1」

パウロが書いた最初の手紙で50〜52年ころに書かれた。テサロニケはギリシアの都市。パウロは第2回宣教旅行のときにテサロニケ教会の基礎を築いた。紀元49年ころである。テサロニケにおけるパウロの活動と受けた迫害については使徒言行録17:1‐9参照。

1. 1:6‐7「そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり……。」

 教会の創立は迫害の中でなされた。苦しみの中で祈り、耐え、信じた人々は、聖霊による喜びを経験した。聖霊によってみ言葉は生きて働く。「“霊”の火を消してはいけません。」5:19

2. 2:7‐8「ちょうど母親がその子供を大事に育てるように、わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。あなたがたはわたしたちにとって愛する者となったからです。」

 神の愛がパウロの中に燃える。伝道者が経験する思い。11節は「父親」。

3. 2:12「御自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなたがたを招いておられます。」

 神が私たちを招いておられることをはっきり知りたい。神を遠くから推測したり議論したりするのではなく、私たちに近づき、私たちを招き、私たちとともに働かれる神を知り、経験したい。

4. 3:7‐8「それで、兄弟たち、わたしたちは、あらゆる困難と苦難に直面しながらも、あなたがたの信仰によって励まされました。あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら、今、わたしたちは生きていると言えるからです。」

 これが信仰の交わり。「あなたがたが主にしっかりと結ばれているなら」は原文は「あなたがたが(強調)主のうちにしっかりと立っているなら」。

5. 4:13‐14「兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。」

 大切な人を失った人のことを深くパウロは思いやり、救いの希望をはっきりと示す。

6. 5:23‐24「どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。」

 神の真実、真実の神が、私たちのことを責任をもって実現していかれる。

「聖なる者」とは、区別されて「神のもの」とされること、この世の価値観と影響のもとから自由になって神の愛と平和と正義の中に生かされて生きる者となること。清められ、神の愛に守られつつ、神を反映する者となること。イエスの山上の変容。    (2008/06/08)

日ごとの聖句319 わたしの力 2008/6/8〜14


2008年6月8日(日)聖霊降臨後第4主日
主よ、その人が病の床にあるとき、支え、力を失って伏すとき、立ち直らせてください。
詩編41:4

6月9日(月)
主よ、わたしの力よ、わたしはあなたを慕う。主はわたしの岩、砦(とりで)、逃れ場。わ
たしの神、大岩、避けどころ。詩編18:2‐3

6月10日(火)
主のほかに神はない。神のほかに我らの岩はない。神はわたしに力を帯びさせ、わたしの
道を完全にされる。詩編18:32‐33

6月11日(水)使徒聖バルナバ日
主よ、あなただけは、わたしを遠く離れないでください。わたしの力の神よ、今すぐにわ
たしを助けてください。詩編22:20

6月12日(木)
死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。
詩編23:4

6月13日(金)
主はわたしの力、わたしの盾、わたしの心は主に依り頼みます。主の助けを得てわたしの
心は喜び躍ります。詩編28:7

6月14日(土)
どうか主が民に力をお与えになるように。主が民を祝福して平和をお与えになるように。
詩編29:11

大韓聖公会 聖職叙品式 連祷


 大韓聖公会ソウル大聖堂で行われた5月22日(木)の主教叙品式、5月27日(火)の計12名の聖職叙品式の両方に参加しました。

 その式の中で用いられた「聖職叙品式連祷」(聖職按手式嘆願)を訳してみましたのでご紹介します。

 強く感じたのは、日本に比べ大韓聖公会の式文が世界と人の状況に対して非常にはっきりした姿勢をもっているということです。

「主よ、わたしたちの主教(──)とすべての主教、司祭、副祭(執事)たちを主の愛によって満たし、真理を渇望し、義に飢え渇く者としてください」

このような姿勢をもって働きたいし、またそのように祈られるなら何と心づよいことでしょうか。

 今日6月1日の説教で約30分、5月27日の按手式を中心に韓国訪問の話をしました。その中でこの連祷を紹介しました。


大韓聖公会聖職叙品式式文 叙品式連祷

先唱 天と地を造られた聖父なる神よ
応答 主よ、憐れみをお与えください(以下繰り返し)

先唱 この世界を救われた聖子なる神よ
先唱 信者を聖としてくださる聖霊なる神よ
先唱 聖にして栄光ある、賛美を受けられる三位一体の神よ

先唱 主イエス・キリストよ、わたしたちは主に祈ります。神の聖なる教会を真理と愛によって満たし、主が来られる日に恥じるところのないようにしてください
応答 主よ、わたしたちの祈りをお聞きください(以下繰り返し)

先唱 主よ、キリストのすべての教会が聖所と司牧の務めを遂行し、真実で敬虔な生活をもって主に仕えるようにしてください

先唱 主よ、わたしたちの主教(フランシス)とすべての主教、司祭、副祭(執事)たちを主の愛によって満たし、真理を渇望し、義に飢え渇く者としてください

先唱 主よ、教会のために召しを受けた聖職者たちのために祈ります。彼らが聖なる務めを忠実に遂行し、教会を打ち立て、主のみ名を聖とするようにしてください

先唱 主よ、聖霊が彼らの心におられるゆえに、彼らが助けと力を得て、最後まで耐え忍ぶことができるようにしてください

先唱 主よ、彼らの家族がキリストのすべての徳性を着るようにしてください

先唱 主よ、神を畏れ敬い、キリストを信じるすべての人が分裂することなく、父と子と聖霊がひとつであるようにひとつとならせてください

先唱 主よ、教会がこの世の果てまで福音を伝える働きを忠実に行うことができるようにしてください

先唱 主よ、まだ主を信じない人たちと冷淡にしている人たちが、再び福音の光を受けるようにしてください

先唱 主よ、世界の平和のためにすべての国の国民の間に尊敬と寛容の精神がいっそう育つようにしてください

先唱 主よ、公職にある人たちが正義のために奉仕し、個人の尊厳と自由を増し加えるようにしてください

先唱 主よ、すべての人類の労働を祝福し、創造されたものが正しく用いられ、この世界が貧窮と飢饉と災難から脱するようにしてください

先唱 主よ、貧しい人々、迫害を受けている人々、病にうめく人々、災難を受けている人々、監獄に捕らえられた人々、そのほかすべて危険に直面している人々を顧み、彼らを保護し、お救いください

先唱 主よ、わたしたちのすべての罪を赦し、聖霊の恵みによって変えられた生活をさせてください

先唱 主よ、教会の交わりの中で世を去ったすべての人々が、苦しみも悲しみもなく永遠の命のみがあるそのところで、聖人とともに平安に憩うようにしてください

先唱 永遠にさいわいなるおとめマリアと聖ニコラとすべての聖人の交わりの中で、わたしたち自身とすべての命を、神であられる主イエス・キリストにおささげします
応答 アーメン
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 『日韓キリスト教関係史資料』第3巻の編集
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井田 泉
奈良基督教会牧師
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富坂キリスト教センター・日韓キリスト教関係史研究会主事
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