Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2008年07月

石原智是(ともよし) 個展(油彩)


2008年7月30日(水)〜8月4日(月)
   11:00〜19:00

 オープニングパーティー7月30日(水)17時から
   ミニコンサート予定

アートギャラリー北野(三条河原町東北角コーカビル2F)

http://www.gallery-kitano.com/information.aspx

 友人の友人の個展です。

以下で絵を見ることができます。
  ↓
http://www.gallery-kitano.com/gallery.aspx?no=15

日ごとの聖句327 平和1 2008/8/3〜9


2008年8月3日(日)聖霊降臨後第12主日
それゆえ、こう告げるがよい。「見よ、わたしは彼にわたしの平和の契約を授ける。」民数記25:12

8月4日(月)士師記6:24
ギデオンはそこに主のための祭壇を築き、「平和の主」と名付けた。それは今日もなお、アビエゼルのオフラにあってそう呼ばれている。

8月5日(火)サムエル記上25:6
次のように言うがよい。「あなたに平和、あなたの家に平和、あなたのものすべてに平和がありますように。」

8月6日(水)主イエス変容の日  詩編4:9
平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。主よ、あなただけが、確かに、わたしをここに住まわせてくださるのです。

8月7日(木)  詩編29:11
どうか主が民に力をお与えになるように。主が民を祝福して平和をお与えになるように。

8月8日(金)  詩編34:15‐16
悪を避け、善を行い、平和を尋ね求め、追い求めよ。主は、従う人に目を注ぎ、助けを求める叫びに耳を傾けてくださる。

8月9日(土)  詩編37:37
無垢(むく)であろうと努め、まっすぐに見ようとせよ。平和な人には未来がある。

日ごとの聖句326 執り成し 2008/7/27〜8/2


2008年7月27日(日)聖霊降臨後第11主日
どうか、善と悪を判断することができるように、この僕に聞き分ける心をお与えください。列王記上3:9

7月28日(月)ローマ8:26
“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。

7月29日(火)ローマ8:26
わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。

7月30日(水)ローマ8:27
“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださいます。

7月31日(木)ローマ8:28
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。

8月1日(金)ローマ8:31
もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。

8月2日(土)ローマ8:34
死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。

6月29日の黙想会のあらまし


(いまは概要のみを記します。追って講話要旨を掲載する予定です。)

2008年6月29日(日)午後1時〜3時  京都聖三一教会

テーマ「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝」ヨハネ15:5

講話・井田 泉司祭  ライアー奏楽・小野純子姉

13:00 聖歌567「歌え主に感謝」

黙想について


「わたしは主に望みをおき、わたしの魂は望みをおき、御言葉を待ち望みます。」詩編130:5

み言葉を思いめぐらす。聖書の言葉を心のうちにあたためる。

ゆるやか  安心  自由

み言葉そのものがわたしたちを求め、わたしたちの心に宿ろうとする。
神さまがわたしたちを求め、わたしたちのうちに宿ろうとされる。
インマヌエル(神がわたしたちと共におられる)がわたしにとっての事実となる。

第1講話と黙想「わたしはぶどうの木」



13:30 古今聖歌集増補版17「キリストはぶどうの木」(1)
第2講話と黙想「あなたがたはその枝」



14:00 増補版17「キリストはぶどうの木」(1〜2)
第3講話と黙想「願いなさい」


(沈黙)(紙に自分の思い、願いを書く。)


14:50 聖歌567「歌え主に感謝」
 まとめの言葉
 祈り
 祝祷


増補版17「キリストはぶどうの木」(1〜4)
  キリストは ぶどうの木
  キリストは いのちの泉
  キリストは この世の光
  キリストは 父への道

15:00 お茶・解散

日ごとの聖句325 エレミヤ5 2008/7/20〜26


2008年7月20日(日)聖霊降臨後第10主日
現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。ローマ8:18

7月21日(月)
彼らは喜び歌いながらシオンの丘に来て、主の恵みに向かって流れをなして来る。エレミヤ31:12

7月22日(火)マグダラの聖マリア日
彼らは穀物、酒、オリーブ油、羊、牛を受け、その魂は潤う園のようになり、再び衰えることはない。エレミヤ31:12

7月23日(水)
そのとき、おとめは喜び祝って踊り、若者も老人も共に踊る。わたしは彼らの嘆きを喜びに変え、彼らを慰め、悲しみに代えて喜び祝わせる。エレミヤ31:13

7月24日(木)
祭司の命を髄をもって潤し、わたしの民を良い物で飽かせると、主は言われる。エレミヤ31:14

7月25日(金)使徒聖ヤコブ日
主はこう言われる。泣きやむがよい。目から涙をぬぐいなさい。あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。エレミヤ31:16

7月26日(土)
あなたの未来には希望がある、と主は言われる。エレミヤ31:17

神の子とする霊


     ローマ8:14‐15

「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、『アッバ、父よ』と呼ぶのです。」8:14 ‐15

 神さまは私たちを神の子、ご自分の愛する子としてくださいました。私たちは神さまの子とされました。でもそのことはどのようにして、何によって分かるのでしょうか。神の子とされたということを聞きつつ、そのことが私たちの心の中で響いてほしい。神の子であることを感じるようになってほしい。それが神さまの願いです。

 そのために神さまは「霊」を私たちに送ってくださいます。神の霊、聖霊を私たちの心に授けてくださるのです。

 イエスがご自分の町、カファルナウムにおられたある日のこと、大勢の人々がその家に集まっていました。そこに重い病気でずっと寝たきりの人が、ベッドに寝かされたまま、運ばれてきました。友人たちがどうしてもこの人をイエスさまに会わせたいと思って運んできたのです。しかし人がいっぱいで入れません。

 そこで友人たちはベッドごとその人を屋根に引き上げ、屋根に穴をあけてイエスのおられる前につり降ろしました。

 イエスがその人を見て最初に言われた言葉。

「子よ」
「子よ、しっかりしなさい」


 その人は子どもではありません。年齢の進んだ大人と思います。しかし年齢は関係ありません。イエスはその人に神の子を見出された。イエスさまの目には、その人が神の愛しておられる子であることがはっきりわかりました。神の子。その人は、自分が愛されている神の子であることを聞きました。だれもそんなことを言ってくれたことはなかった。これだけでこの人は安心できた。慰められ、救われたのです.(マタイ9:2、マルコ2:5)。

 それから2、3年たったある日のガリラヤ湖の朝です。弟子たちは魚を取ろうとして一晩中苦労し結局1匹も取れず、疲労困憊して舟の中に横たわっていました。

 すると岸辺から呼びかける声があります。

「子たちよ」

「子たちよ、何か食べるものはあるか」
「ありません」

 大人の漁師たちに「子たちよ」と呼びかけるのはだれか。

 イエスさまは、徒労に疲れた弟子たち、空腹の弟子たちのことを心配して声をかけられた。岸には魚が焼いてあり、パンもありました。イエスは朝ご飯を用意して弟子たちを迎えてくだいました。この人たちも、神の子、イエスの愛される子どもたちなのです(ヨハネ21:5)。

 「子よ、」「子たちよ」

 呼びかけられるその声を心に、私たちの魂に聞かせてくださるのが神の霊、聖霊です。

 「子よ」「子たちよ」とイエスは私たちを呼ばれます。呼ばれて、私たちは自分が神さまの、イエスさまの大切な子どもであることを知ります。イエスの呼ばれる声は私たちの中に留まる。こうして神の子イエスご自身がわたしの中に宿ってくださいます。

 子として呼びかけられた私たちは自分のほうからも、私に呼びかけてくださった方を呼びます。
 「アッバ、父よ」
「イエスさま」
 呼びかけられ、呼びかけて、いのちの交流が起こります。

 神さまは、私たちの心の中に聖霊を授けてくださいました。神が私たちをご自分の愛する子として呼びかけ、神の子として定められました。そのことが聖霊によって生きた現実になっています。神の子イエスさまが私の中に宿ってくださっています。神の子の霊が私たちの内側から働いて神を呼びます。神に呼びかけられ、神に呼びかける愛といのちの交流が起こります。

 その祝福が私たちに満ちますように。

(2008/07/13 京都聖三一教会)

神の愛とキリストの忍耐──「テサロニケの信徒への手紙2」

テサロニケはギリシアの都市。パウロは第2回宣教旅行のときにテサロニケ教会の基礎を築いた。パウロのテサロニケの宛てた第一の手紙に続くもの(異説もある)。地に足をつけた着実な信仰生活をするように促している。

1. 1:2「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」

 パウロ書簡に共通する冒頭の祈り。「恵み」はca,rij(カリス)。私たちの行いや功績によらない、無条件に注がれる神の愛。これが信仰と生活の土台。その土台の上に信仰と生活がある。「カリスマ」は恵みの賜物。

2. 1:3‐「あなたがたのことをいつも神に感謝せずにはいられません。……あなたがたの信仰が大いに成長し、お互いに対する一人一人の愛が、あなたがたすべての間で豊かになっているからです。」

 人々の信仰が成長することがパウロの祈り、また感謝と喜び。それが神さまの私たちへの願い、また喜び。

3. 1:5「あなたがたも、神の国のために苦しみを受けているのです。」

 神の国の実現のために祈り、労苦する。これがイエスと共に歩むことの内容、意味また喜びである。「この人も神の国を待ち望んでいたのである」マルコ15:43(アリマタヤのヨセフ)。

4. 2:2「霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。」

 テサロニケの教会の中には、「すでに終末が来た」と主張する熱狂的グループがいたらしい。主の日(主イエスの再臨・神の国の完成)を切迫した将来に見て、それに備えそれに向かって歩むべきことをパウロは第一の手紙で説いた。ところが、すでにそれがここに到来していると恍惚状態で語る人々がおり、教会に動揺と混乱が起こっていた。

5. 3:2‐3、5「また、わたしたちが道に外れた悪人どもから逃れられるように、と祈ってください。……しかし、主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます。……どうか、主が、あなたがたに神の愛とキリストの忍耐とを深く悟らせてくださるように。」

 ここには「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです」(ヨハネ17:15)と祈られたイエスの祈りが反響している。

6. 3:12「そのような者たちに、わたしたちは主イエス・キリストに結ばれた者として命じ、勧めます。自分で得たパンを食べるように、落ち着いて仕事をしなさい。」

 主イエスの来臨を待ち望みつつ、この世で与えられた課題を果たしてしっかりと生きていくように、とパウロは勧める。                  
(2008/07/13)

日ごとの聖句324 エレミヤ4 2008/7/13〜19


2008年7月13日(日)聖霊降臨後第9主日     ローマ8:15
あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。

7月14日(月)エレミヤ31:3
遠くから、主はわたしに現れた。「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し、変わることなく慈しみを注ぐ。」

7月15日(火)エレミヤ31:4
おとめイスラエルよ、再び、わたしはあなたを固く建てる。再び、あなたは太鼓をかかえ、楽を奏する人々と共に踊り出る。

7月16日(水)エレミヤ31:6
見張りの者がエフライムの山に立ち、呼ばわる日が来る。「立て、我らはシオンへ上ろう、我らの神、主のもとへ上(のぼ)ろう。」

7月17日(木)エレミヤ31:8
見よ、わたしは彼らを北の国から連れ戻し、地の果てから呼び集める。その中には目の見えない人も、歩けない人もいる。

7月18日(金)エレミヤ31:9
彼らは泣きながら帰って来る。わたしは彼らを慰めながら導き、流れに沿って行かせる。

7月19日(土)エレミヤ31:9
彼らはまっすぐな道を行き、つまずくことはない。わたしはイスラエルの父となり、エフライムはわたしの長子となる。

「キリストの死にあずかるものとなった」


「わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、わたしたちも新しい命に生きるためです。」                        ローマ6:4
  
 もう30年以上も前になった自分の神学生時代のことを時々思い出します。

 信仰の上で非常に悩みの大きかったそのころ、カール・バルトという人の説教を読んでいてこんな言葉に出会いました。「あなたはすでに死んだのだ」。どこで死んだかと言うと、イエス・キリストの十字架においてだというのです。

 古い自分はキリストの死と共に死に、滅ぼされた。イエス・キリストは私たち人間の代理となられた。私たちの病、私たちの罪、私たちの死、私たちにふりかかる呪いはキリストが引き受けてくださった。

 私たちが過去を振り返れば、「あなたの罪はゆるされた」と、私たちを過去の呪縛から解放し、私たちをまったく受け入れてくださったキリストがおられます。そのキリストの復活の命をいただいて、私たちは今、キリストと共に、光輝く未来に向かって生きるのです。

     (京都聖三一教会「週報」2008/6/29 から)

日ごとの聖句323 エレミヤ3 2008/7/6〜12


2008年7月6日(日)聖霊降臨後第8主日   マタイ11:25
天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。

7月7日(月)エレミヤ29:7
わたしが、あなたたちを送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。

7月8日(火)エレミヤ29:12‐14
あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう、と主は言われる。

7月9日(水)エレミヤ30:17
さあ、わたしがお前の傷を治し、打ち傷をいやそう、と主は言われる。

7月10日(木)エレミヤ30:18
主はこう言われる。見よ、わたしはヤコブの天幕の繁栄を回復し、その住む所を憐れむ。都は廃虚の丘の上に建てられる。

7月11日(金)エレミヤ30:19
そこから感謝の歌と、楽(がく)を奏する者の音が聞こえる。わたしが彼らに栄光を与え、侮られることはない。

7月12日(土)エレミヤ30:21
ひとりの指導者が彼らの間から、治める者が彼らの中から出る。わたしが彼を近づけるので、彼はわたしのもとに来る。
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