Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2008年12月

いと高き方の力があなたを包む


       ルカ1:26‐38

「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」ルカ1:35

 天使のお告げを聞くマリアの物語は、毎年のように耳にするなじみ深い物語です。それを聞くとわたしたちの心は、安心というか何かなつかしい温かい思いを与えられる気がします。

 けれどもひょっとしたらわたしたちはその一方で、この天使ガブリエルとマリアの出来事の中にある大事な面を忘れているかもしれない。それは、ここにはマリアの驚きがあり、戸惑いがあり、さらに否定・拒絶があるということです。

 実際マリアについては少しのことしか聖書には記されていません。ナザレの町に住む娘。親戚にはエリサベトという人がいる。ヨセフという人と婚約している。年は10代半ば。そして生活は貧しく身分は低い(ルカ1:48)。知られることはこれくらいですが、このわずかなことが大切です。

「天使は、彼女のところに来て言った。『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。』マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。」ルカ1:28‐29

 大きな驚きと戸惑いが起こっています。マリアには理解しがたいことです。

「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。」1:31

 わたしたちの聖書には訳されていませんが、元の聖書には「見よ」という言葉から始まっています。

見よ、あなたは身ごもって男の子を産む。」

 天使は「見よ」と呼びかけて、これが神からの言葉であることをはっきり示しているのです。

「その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」1:32 ‐33

 ここに至ってマリアは、それはあり得ないことと否定します。

「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」1:34

 神さまの恵み、神の大きな救いの働きがあることは信じています。けれどもそれが自分に起こる、自分をとおして実現していくようなことはあるはずがない。その内容はあまりに現実からかけ離れています。あり得ない。戸惑いは否定になりました。天使の告知をマリアは拒んだのです。
 
 これに対して大事な知らせを持ってきた天使はどう答えたでしょうか。

「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」1:35

 天使は戸惑いや拒絶にあってひるまないのです。天使はその言葉のとおり天からの御使いです。遣わされた者。自分の考えや何かの情報を提供するのではなく、神が必ずこのことを伝えなさいと託されて、それを相手にしっかり伝えるのが役目です。マリアの戸惑いや拒絶にあって、伝えるべきことを中途半端にして伝えないで帰るわけにはいきません。

 わたしたちの人生の中にはそういうことがあります。大事なことを相手に伝える場面。ところが相手がそれを受け入れない。それでひるんで黙ったり譲ったりするかもしれない。でもほんとうに大切なことは、断乎として伝えなくてはならない。それが相手を生かし、自分をも生かすことになる。そういう場合があると思います。

 天使はマリアに何と言ったでしょうか。

「聖霊が……」

 これが天使の答です。聖霊が、神の意志、神の決意、神の力が、それを実現される。いかに現実離れした、受け入れがたいことと思われたとしても、神がマリアをとおして良きわざを行われるのは確かなのです。

「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」1:35

「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』」1:38

 驚き戸惑いと拒絶を経て、マリアに大きな転換が起こりました。聖霊のわざを信じて、自分をそれに賭ける、それに自分を託する決意が起こりました。天使ガブリエルが、途中でひるまないで最後まではっきり伝えた命の呼びかけは、マリアのうちに命の応答を呼び起こしました。

 先ほど天使のお告げの最初の言葉が「見よ」という言葉で始まっていると言いました。
 「見よ、あなたは身ごもって男の子を産む」

 聖書の原文を見ると、マリアはここでこう答えています。

 「見よ、わたしは主のはしため。」

 天使が言ったのと同じように、今度はマリアが、「見よ」という言葉を言うのです。

「見よ」「ご覧ください。わたしはここにいます。わたしは主のはしため。お言葉どおり、この身に成りますように。」

 すでに聖霊が、いと高き方の力が、マリアを包んでおられます。

 マリアは天使から告げられた神の言葉を受け入れ、自分のいのちをかけて神の子を産み育てることを決意しました。どんなことがあってもやりとげなくてはならなりません。これはマリアにしかできないことです。

 けれどもこれを他人事と思わないでほしいと思います。神の子を産み育てることはマリアにしかできないとしても、わたしたちひとりひとり、みなさんひとりひとりに、わたしにしか、あなたにしかできない神のわざというのがあるのです。

「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。」

 これはマリアだけのことではありません。わたしたちのこと、皆さんのことです。
 寝たきりの人があります。病気や事故で働けなくなった方があります。もう何もできない、と嘆かれる方があります。

 でも何もできないことはない。他の人にはできない、その方だからこそできることがあります。わたしのために祈ってください。教会のために祈ってください。あなたの祈りをあてにしてわたしは働いているのです。あなたの祈りに支えられて、わたしたちの営みがあるのです。

 祈りましょう。
 主よ、マリアに注がれた聖霊をわたしたちにも注いでください。いと高き方の力でわたしたちを包んでください。わたしたちが自分の中に留まるのではなく、あなたの呼びかけによって生かされて、それに答えて生きることができるようにしてください。あなたがみ業をなさるとき、その働きに決意して身をゆだねることができますように。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン
(2008/12/21 京都聖三一教会)

日ごとの聖句348 イエスの名 2008/12/28〜2009/1/3


2008年12月28日(日)降誕後第1主日     マタイ1:23
「おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。

12月29日(月)聖なる幼子の日           ルカ1:31
「マリア、恐れることはない。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。」

12月30日(火)                 ヨハネ1:12
しかし、言(ことば)は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。

12月31日(水)               使徒言行録4:30
「どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」

2009年1月1日(木)主イエス命名の日     使徒言行録3:6
「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

1月2日(金)                使徒言行録3:16
あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。

1月3日(土)               フィリピ2:10‐11
こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。

京都聖三一教会 クリスマス案内


「闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰に地に住む者の上に、
光が輝いた。
あなたは深い喜びと
大きな楽しみをお与えになり
人々は御前に喜び祝った。
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。」
             旧約聖書・イザヤ書9:1‐2

イエス・キリストは夜の闇の中、ユダのベツレヘムにお生まれになりました。ベツレヘムはかつてのダビデ王の出身地、さらにさかのぼればラケルの死という深い悲しみの刻まれた場所です(創世記35:19)。

 世の闇と人の悲しみをご自身のものとして引き受けるためにおいでになった方は、今わたしたちを新しい光で包み、嘆きを喜びに変えてくださいます。

 このクリスマスに、新しく御子の訪れを迎え入れましょう。
 皆様の上に、イエスさまの恵みと平和がありますように。

      日本聖公会 京都聖三一教会 
            京都市中京区聚楽廻中町45
         (千本丸太町から西一筋目下がる。六軒町どおり)
            TEL 075-841-3281

☆12月24日(水)
 午後6時30分 クリスマス・イブ礼拝
(キャンドルサービス)
     合唱団京都エコーが参加してくださいます。

 午後10時   クリスマス深夜聖餐式
     小野純子さんによるライアー(竪琴)の奏楽があります。

☆12月25日(木)
 午前10時30分 降誕日聖餐式


☆12月28日(日)午前10時30分
 午前10時30分 降誕後第1主日聖餐式

☆2009年1月1日(火)午前10時30分
主イエス命名の日(元旦)聖餐式


 いずれの礼拝にもどなたでもご参加ください。
 聖餐式のとき、洗礼を受けておられない方も、前で司祭から祝福を受けることができます。

日ごとの聖句347 まことの光 2008/12/21〜27


2008年12月21日(日)降臨節第4主日        ヨハネ1:1
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

12月22日(月)使徒聖トマス日         ヨハネ1:2‐3
この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。

12月23日(火)                  ヨハネ1:4
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。

12月24日(水)                  ヨハネ1:5
光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

12月25日(木)降誕日              ヨハネ1:6
神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。

12月26日(金)最初の殉教者聖ステパノ日      ヨハネ1:7
彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。

12月27日(土)福音記者使徒聖ヨハネ日     ヨハネ1:8‐9
彼は光ではなく、光について証しをするために来た。その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

博士の祈り


今日は幼稚園の2学期最後の日。親子礼拝をしました。

おはなしはクリスマス物語のひとつ、東の国の博士たち。

「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」マタイによる福音書2:9‐11

博士たちが幼子イエスさまにささげた三つの贈り物には、お祈りがこめられていました。

黄金は王さまの冠
  イエスさま、あなたがほんとうの王さまになってわたしたちを守ってください。

乳香はお祈りのしるし
  イエスさま、わたしたちの祈りをお聞きください。

没薬(もつやく)はお薬
  イエスさま、弱った人、病気の人を元気にしてください。

イエスさまは大きくなってもずっと、博士たちがささげた大切な宝物を大切にしておられました。

第6回山の音楽会 山のクリスマス

第6回山の音楽会
2008年12月26日(金)午後 2:00より

大津市比叡平三丁目22-10
 小野宅・音楽室


京阪バス(比叡平行き)・比叡平3丁目または3丁目東下車徒歩5分
(バスは三条京阪発 13:00/大津京発 12:50があります。)

曲目 :

小聖歌(古いクリスマスのうた) F.Liszt   ピアノ
Neue Pastorel-Orgelstucke Theodor Grünberger  チェンバロ

パイジエッロの歌劇「哲学者気取り」の「主に幸あれ」による6つの変奏曲 K.398  Mozart  チェンバロ
ゴルトベルク変奏曲より  Bach  ライアー

ヘンデル オラトリオ「メサイア」より ソプラノとアルトのアリア
               G.F.Händel  リコーダーとチェンバロ

   He shall feed His flock like a shepherd.
   主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。旧約聖書・イザヤ書40:11

クリスマスキャロルほか

甘き喜びのうちに(聖歌87)


聖公会の新聖歌集87

「もろびと声あげ 喜びたたえよ」

の原詩・原曲は、14世紀にさかのぼる In dulci jubilo(イン ドゥルチ ユビロ) というラテン語・ドイツ語まじりのキャロルです。

私訳してみます。

In dulci jubilo,      甘き喜びのうちに
Nun singet und seid froh!  いま歌え、そして喜べ!
Unsers Herzens Wonne    私たちの心のこの上ない喜びは
Leit in praesepio,     飼い葉桶のうちにある。
Und leuchtet als die Sonne 輝け、太陽として
Matris in gremio,      母の胸に。
Alpha es et O, Alpha es et O!
    あなたはアルファにしてオメガ、アルファにしてオメガ


「喜び」とは幼子イエスのこと。

最後の「あなたはアルファにしてオメガ」は聖書から来ています。

旧約聖書・イザヤ書44:6
「イスラエルの王である主、イスラエルを贖う万軍の主は、こう言われる。わたしは初めであり、終わりである。わたしをおいて神はない。」

新約聖書・ヨハネの黙示録22:13
わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後の者。初めであり、終わりである。」

 アルファはギリシア語アルファベットの最初の文字、オメガは最後の文字。

 イエスがわたしたちの最後の責任を引き受けてくださる。オメガ
 イエスがわたしたちの新しい始まりとなってくださる。アルファ

 わたしたちの喜びとなるために生まれた方は、わたしたちの喜びと労苦の一切を引き受け(オメガ=終わり)、この世界とわたしたちの人生のアルファ(新しい始まり)となられるのです。


 これは、プリモール☆ライアーのクリスマス(2008/12/12 日本キリスト教団ゴスペルハウス)で話したもののあらましです。

日ごとの聖句346 恐れるな、ヨセフ 2008/12/14〜20


2008年12月14日(日)降臨節第3主日       イザヤ65:17
見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。

12月15日(月)                 イザヤ65:18
代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを、その民を喜び楽しむものとして、創造する。

12月16日(火)                 マタイ1:20
主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。」

12月17日(水)                 マタイ1:21
「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

12月18日(木)                 マタイ1:23
見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は「神は我々と共におられる」という意味である。

12月19日(金)             汽灰螢鵐16:22‐23
マラナ・タ(主よ、来てください)。主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。

12月20日(土)            ヨハネの黙示録22:20
以上すべてを証しする方が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。

日ごとの聖句345 救い主の預言2 2008/12/7〜13


2008年12月7日(日)降臨節第2主日       ルカ1:76‐77
幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。

12月8日(月)                イザヤ11:1‐2
エッサイの株からひとつの芽が萌えいで、その根からひとつの若枝が育ち、その上に主の霊がとどまる。

12月9日(火)                イザヤ11:2
それは、知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、畏れ敬う霊である。

12月10日(水)                イザヤ11:4
彼は弱い人のために正当な裁きを行い、この地の貧しい人を公平に弁護する。

12月11日(木)                イザヤ11:9
わたしの聖なる山においては、何ものも害を加えない。水が海を覆っているように、大地は主を知る知識で満たされる。

12月12日(金)                イザヤ12:2
見よ、わたしを救われる神。わたしは信頼して、恐れない。主こそわたしの力、わたしの歌、わたしの救いとなってくださった。

12月13日(土)                イザヤ12:3
あなたたちは喜びのうちに、救いの泉から水を汲む。

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