Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2009年08月

日ごとの聖句383 救いの泉 2009/8/30〜9/5


2009年8月30日(日)聖霊降臨後第13主日     エフェソ2:10
わたしたちは、神が前もって準備してくださった善い業を行って歩むのです。

8月31日(月)                  イザヤ12:1
その日には、あなたは言うであろう。「主よ、わたしはあなたに感謝します。あなたはわたしを慰められたからです。」

9月1日(火)                  イザヤ12:2
見よ、わたしを救われる神。わたしは信頼して、恐れない。主こそわたしの力、わたしの歌、わたしの救いとなってくださった。

9月2日(水)                  イザヤ12:3
あなたたちは喜びのうちに、救いの泉から水を汲む。

9月3日(木)                  イザヤ12:4
その日には、あなたたちは言うであろう。「主に感謝し、御名(みな)を呼べ。諸国の民に御業を示し、気高い御名(みな)を告げ知らせよ。

9月4日(金)                  イザヤ12:5
主にほめ歌をうたえ。主は威厳を示された。全世界にその御業を示せ。

9月5日(土)                  イザヤ12:6
シオンに住む者よ、叫び声をあげ、喜び歌え。イスラエルの聖なる方は、あなたたちのただ中にいます大いなる方。

日ごとの聖句382 響き 2009/8/23〜29


2009年8月23日(日)聖霊降臨後第12主日      ヨブ記37:2
聞け、神の御声のとどろきを、その口から出る響きを。

8月24日(月)使徒聖バルトロマイ日         詩編18:7
苦難の中から主を呼び求め、わたしの神に向かって叫ぶと、その声は神殿に響き、叫びは御前に至り、御耳(おんみみ)に届く。

8月25日(火)                  詩編19:2、5
天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。その響きは全地に、その言葉は世界の果てに向かう。

8月26日(水)                  詩編29:3‐4
主の御声は水の上に響く。栄光の神の雷鳴はとどろく。主の御声は力をもって響き、主の御声は輝きをもって響く。

8月27日(木)                  詩編47:6‐7
神は歓呼の中を上られる。主は角笛の響きと共に上られる。
歌え、神に向かって歌え。歌え、我らの王に向かって歌え。

8月28日(金)                   詩編65:9
あなたがお与えになる多くのしるしを見て、地の果てに住む民は畏れ敬い、朝と夕べの出で立つところには、喜びの歌が響きます。

8月29日(土)                  詩編93:3‐4
主よ、潮はあげる、潮は声をあげる。潮は打ち寄せる響きをあげる。大水のとどろく声よりも力強く、海に砕け散る波。さらに力強く、高くいます主。

『昭和の遺言 十五年戦争──兵士が語った戦争の真実』


仙田 実・仙田典子『昭和の遺言 十五年戦争──兵士が語った戦争の真実』(文芸社、2008年、476頁)を読みました。

岡山県の元日本兵とその家族200名以上から直接聞き取りをして、それを中心にしながら十五年戦争を叙述したものです。戦争の具体的な事実を直接に示してくれます。

極めて貴重な労作。戦争の真実が鮮明に伝わってきます。多くの人に読まれることを願います。

日本人の経験した(させられた)戦争の悲惨と同時に、日本のなしたアジア諸国への残虐行為と戦争責任をはっきり指摘してあり、歴史叙述として大変すぐれたものです。

あまりの内容の重さに何度も押しつぶされる思いでした。

わたしは直接の聞き取り調査などはほとんどやらず、文献だけなので、自分ができないこうした働きをとうといことと感じます。

終わりのほうに書いてあるのですが、15年戦争による日本人の死者計310万人、日本が死なせた人々(著者は「日本軍が直接・間接に殺した人々」と書いています)は合わせて2000万人。

その一人ひとりとそれにつながる人々にどれほとの苦しみがあったことかと思うとき、戦争につながる思想、構造(世の中の仕組み、力関係、支配)、精神(生き方や心のありよう)を見つめると同時に、平和をつくりだす働きを思想、構造、精神にわたってしていくことの必要を思います。

これらすべてがイエス・キリストの十字架において引き受けられていることを信じます。また自分が生きて働くことが、何らかの意味でこの人々の死を無にしないものであるようにと念じます。


主な目次を紹介します。

序章 十五年戦争をどう書くか
第1章 満州事変
第2章 日中戦争
第3章 アジア太平洋戦争 第1・2期
第4章 アジア太平洋戦争 第3期
第5章 ソ連の満州侵攻と日本人抑留
終章 十五年戦争をふりかえって

ドイツミサ曲 第1曲 Zum Eingang


シューベルト「ドイツミサ曲」を以前訳しましたが、第1曲 Zum Eingang(入祭唱、序唱)の3節、4節を新しく追加しましたので再掲載します。
わたしの持っているウィーン少年合唱団によるCDは1、2節しか歌われておらず、楽譜を買って3、4節があるのに気づきました。

歌詞はヨハン・フィリップ・ノイマンによるものです。

なお「ドイツミサ曲」は讃美歌第二編に収録されています(232〜240)。

Zum Eingang入祭唱

1
どこへわたしはわたしを向けるべきでしょうか、
悲しみと悩みがわたしを押しつけるとき。
だれにわたしはわたしの歓喜を語るべきでしょうか、
わたしの心が喜びに鼓動するとき。

あなたに、あなたに、おお父よ、
わたしは来ます、喜びのときも苦しみのときも。
あなたは喜びを送ってくださいます。
あなたはすべての苦しみを癒される。

2
ああ、もしわたしがあなたを持たなければ、
何でしょうか、わたしにとって地と天は。
あらゆる場所は追放の地となり、
わたし自身は偶然の手に落ちてしまいます。

あなたこそは、わたしの道に
確かな目標を与えてくださる方、
そして地と天を聖別して
甘い故郷の地としてくださる方です。

3
けれどもわたしはあなたに近づくことができるでしょうか、
多くの罪を負っているのに。
だれが地上の道であなたの目に清いでしょうか。

子どものような信頼をもって、わたしは父の腕へと急ぎます。
悔いに満ちて切に祈ります、憐れんでください、
憐れんでください、主よ、わたしを!

4
あなたの言葉が甘く響きわたりました。
「わたしに来なさい、悩みに満ちた者たち!
わたしに来なさい! わたしはあなたがたを回復させよう!
あなたがたから心配と悩みを取り去ろう。」

わたしを助けてください、わたしは元気づけられました!
わたしを助けてください! わたしはうれしさあふれ、
感謝と賛美と歓呼をもって
わたしの神にあって喜びます。


注・最後のところは新約聖書・フィリピ書3:1を思い起こさせます。
「主において(主にあって)喜びなさい。」

奉仕へと招く神の愛の火


 大阪教区と京都教区の聖職養成委員会共催で<教会奉仕者のための黙想会>が昨日から明日にかけてカルメル修道会聖テレジア修道院(宇治)で開かれています。参加者はスタッフを含めて約30名。中日である今日の午後、「聖書の学び」の時間を担当しました。その要旨(レジュメ)を掲載します。

奉仕へと招く神の愛の火──三つの物語から
   教会奉仕者のための黙想会 2009/08/14

1.はじめに

2.山に燃える柴──モーセ


 紀元前13世紀、イエスさまの時代から1200年以上前、イスラエルの人々はエジプトで奴隷の生活を強いられていた。モーセは40歳の時にエジプトを逃れ、それからすでに40年が過ぎていた。

「モーセは、しゅうとでありミディアンの祭司であるエトロの羊の群れを飼っていたが、あるとき、その群れを荒れ野の奥へ追って行き、神の山ホレブに来た。そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない。」出エジプト記3:1‐2

 苦しむイスラエルの人々のために燃え続ける神の愛。その火がモーセを捕らえる。

3.神殿に燃える炭火──イザヤ

 それからおよそ500年過ぎた紀元前8世紀、ユダ王国の首都エルサレムの神殿で、若者イザヤは祈っているうちに神の顕現に接する。

「するとセラフィムのひとりが、わたしのところに飛んで来た。その手には祭壇から火鋏で取った炭火があった。彼はわたしの口に火を触れさせて言った。『見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。』」イザヤ書6:6‐7

 神の火はイザヤの唇を焼き、その魂を清めた。神の言葉を真実に聞いて伝える預言者が誕生した。

4.岸辺に燃える炭火──イエスと弟子たち

 ティベリアス(ガリラヤ)湖で、7人の弟子たちは夜通し漁をしたが何も取れなかった。

「さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。」
「さあ、来て、朝の食事をしなさい。」ヨハネ21:9、12


 疲れ果てた弟子たちのためにイエスは朝の食事を用意してくださった。その愛が炭火の中に燃えている。

5.おわりに

集まって祈っていた人たちに降った火──聖霊降臨(生きて働く教会の誕生)使徒言行録2:1‐4

「わたしが手を置いたことによってあなたに与えられている神の賜物を、再び燃えたたせるように勧めます。神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。」テモテ 1:6‐7

 聖職按手と信徒按手(堅信)

 神の愛の火、情熱の火は、わたしたちに注がれ、わたしたちを奉仕へと招く。
神の愛の火が、わたしたちにも現れ、わたしたちを清め、わたしたちの中に宿るように。
 わたしたちのうちに与えられる神の火が、わたしたちを生涯、困難のなかで支えてくれますように。

日ごとの聖句381 詩編第147編 2009/8/16〜22


2009年8月16日(日)聖霊降臨後第11主日         147:1
ハレルヤ。わたしたちの神をほめ歌うのはいかに喜ばしく、神への賛美はいかに美しく快いことか。

8月17日(月)                     147:2
主はエルサレムを再建し、イスラエルの追いやられた人々を集めてくださる。

8月18日(火)                     147:3
主は打ち砕かれた心の人々を癒し、その傷を包んでくださる。

8月19日(水)                    147:5‐6
わたしたちの主は大いなる方、御力は強く、英知の御業は数知れない。主は貧しい人々を励まし、逆らう者を地に倒される。

8月20日(木)                     147:7
感謝の献げ物をささげて主に歌え。竪琴に合わせてわたしたちの神にほめ歌をうたえ。

8月21日(金)                   147:10‐11
主は馬の勇ましさを喜ばれるのでもなく、人の足の速さを望まれるのでもない。主が望まれるのは主を畏れる人、主の慈しみを待ち望む人。

8月22日(土)                     147:14
主はあなたの国境に平和を置き、あなたを最良の麦に飽かせてくださる。

日本聖公会 8・15 平和メッセージ(転載)


                  2009年8月15日
主にある兄弟姉妹の皆さんへ

                  日本聖公会
                   首座主教 ナタナエル植松 誠
                   正義と平和委員会
                   委員長  主教 ダピデ谷 昌二

       8・15 平和メッセージ

 主の平和が、皆さんとともにありますように。
 日本聖公会宣教150周年を迎え、主に感謝いたします。今年も、8月15日、敗戦の日にあたり、心新たに、主にある平和への思いを深めたいと願います。

 今、私たちは激動の時を迎えています。100年に一度と言われる世界経済大恐慌は、各国政府の努力にも拘わらず、収まる気配を見せません。職を失った人、あるいは失うかもしれない不安の中にいる多くの人たちのことを、私たちは、自分のこととしてしっかりと受け止めたいと思います。この厳しい経済情勢の中で、わが国の政治もまた、大きな転換期を迎えています。

 このような社会情勢の変化、不安定な状況の中で、人々の心に平和への思いがどんどん薄れ、自国の利益のみを追求し、軍事化への傾向が加速されることは歴史の教えるところです。特に、若い世代に“平和ではなく戦争を,’との思いが広がっていると言われます。歴史の中で、社会の閉塞状態を打破するために、度々戦争が利用されてきました。現在も又、その危険性は、常に存在しています。若い人々が、自らの意志で戦争を希望する現実を、私たちは真摯に受け止めなければなりません。世の中に失望したとき、何をしても無駄だと言う自己破壊的な衝動が生まれ、それが他者を破壊する行動へとせき立てて行くのではないでしょうか。

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」
(ユネスコ憲章前文)

 私たちは、主イエス・キリストに救われ、主の十字架によって罪が赦され、−人ひとりがご復活の命に生かされていることを信じています。そして、その無限に尊い命が、み子のからだに結ばれ共に生かされる喜びの国=神の国が、この地に成就することを目指して歩んでいます。この命の喜び、み国の実現の希望こそ、平和の原点です。ここに、この世の様々な困難を乗り越えることができる和解と平和の道があると信じます。

 戦争・軍隊によっては平和を実現できないことは、今、世界各地の紛争を見れば明らかです。“軍事力によらない安全保障”を一刻も早く実現する必要性が、国連等によって提唱されています。それは「人間の安全保障」と「共通の安全保障」です。−人ひとりの命が、平等に尊ばれ、貧困、飢餓、病気、人権の抑圧等からの解放を目指す「人間の安全保障」の実現。そして、過去の戦争責任を自覚しながら、平和憲法を生かし、アジアでの「共通の安全保障」を築いていくこと。これが、私たちのこれからの課題であることを信仰をもって受け止め、反戦の誓いを新たにしたいと思います。

 現実はいかに厳しいものであっても、神の国は始まっています。聖霊の力によって、わたしたちをこの世に遣わし、み旨を行わせてください、平和がこの地に実現しますようにと、真剣に祈り求めていきましょう。

マナ──旅路の糧


「わたしは、天から降(くだ)って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」ヨハネ6:51

 遠い昔、エジプトを脱出したイスラエルの人々は、40年の間、約束の地を目指して厳しい旅をしました。

 その40年、人々を荒野で養ったのは、天から与えられたマナという食べ物でした。マナは毎朝天から降って地上に落ちている。人々は毎朝マナを集めて、その日の糧としました。マナは日を越すと腐って食べられなくなります。ですから必ずその日のマナはその日の朝に集めて、一日の糧としたのです。

 主の祈りで祈る「日ごとの糧」Daily Bread とはこのことです。

 それからおよそ400年がたって、イスラエル王国にエリヤという預言者がいました。「エリ」とは「神」という意味で、「ヤ」は「ヤハウェ」(主)の意味。「ヤハウェこそ神」「主こそ神である」という名前です。そのとおりエリヤは、信仰と生活の堕落した時代に「主こそ神であって、この方に立ち帰るしか生きる道はない」ということを命をかけて訴えたのでした。

 エリヤはただひとりカルメルの山の上で450人のバアルの預言者と対決し、勝利を収めました。誰の目にも、バアルではなく、主がまことの神であることが明らかになりました。しかしこのことでエリヤはかえって追われる身となってしまいました。捕らえられれば殺されます。彼は南へ南へと逃げました。列王記上第19章です。

 ベエル・シェバで従者をそこに残し、自分はひとり荒れ野に入ってさらに一日の道のりを行きましたが、もう疲れ果てて生きる力は残っていませんでした。
 エリヤは1本のえにしだの木の下に座り、自分の命が絶えるのを願って言いました。

「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。わたしは先祖にまさる者ではありません。」列王記上19:4

「彼はえにしだの木の下で横になって眠ってしまった。御使いが彼に触れて言った。『起きて食べよ。』
 見ると、枕もとに焼き石で焼いたパン菓子と水の入った瓶があったので、エリヤはそのパン菓子を食べ、水を飲んで、また横になった。
 主の御使いはもう一度戻って来てエリヤに触れ、『起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ』と言った。
 エリヤは起きて食べ、飲んだ。その食べ物に力づけられた彼は、四十日四十夜歩き続け、ついに神の山ホレブに着いた。」19:5‐8

 
 エリヤは死ぬところでした。死ぬことを願いました。しかし神は彼が生きることを願われました。
 あなたは死んではならない。まだ生きてなすべきことがある。

 神が生きることを願われたとき、願うだけで何もなさらないのではありません。
 神は天使をとおして、パン菓子と水を、天の糧を与えてエリヤを元気づけられました。そして言葉で励まされました。

「起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ。」

 エリヤは主の御使いによってパン菓子と水を与えられ、励まされて、40日40夜を歩き続けました。長い、耐えがたい旅。もはや自分の力によってではなく、神からのみ、力を与えられて、自分の足で歩いて、エリヤは目的地ホレブまでたどりついたのです。
 
 わたしたちには、マナはいらないでしょうか。
 エリヤが受けたパン菓子は、水は、わたしたちにはないのでしょうか。

 神さまはわたしたちが生きることを願っておられます。生きて目的地にたどりつくことを願っておられます。

 あなたがたは死んではならない。あきらめてはいけない。あなたがたには新しい使命が待っている。あなたがたをとおしてわたしが働こうとしている。

 そのようにわたしたちに対して神が願われ、それに必要なものを与えようとしておられます。

 エリヤが神から受けたものはパン菓子と水でした。
 わたしたちに神が与えてくださるものは聖餐のパンとぶどう酒です。これは天の糧です。

 しばらく前、この礼拝堂の聖卓の前に立って、聖別したチャリス(杯)がこの上なく美しいのを見ました。神の愛が込められています。
 聖餐のパンとぶどう酒がどんなにとうとくありがたいものであるか、わたしたちはまだ十分に知らないかもしれません。しかしイエスは、パンとぶどう酒によってご自身の愛といのちをわたしたちに与えてくださるのです。

 40日40夜の旅路のためにエリヤを力づけたのは天の糧、彼を励ましたのは天使の言葉でした。わたしたちの旅を力づけるのは聖餐、励ますのは主の言葉、聖書です。

 天の糧とみ言葉によって、わたしたちも耐えがたい旅路を、しかし神が願っておられる旅路を歩み、約束の地に至ることができるのです。

(2009/08/09 京都聖三一教会)

「踏み絵」としての斉唱、国旗・国歌法 成立10年(転載)


朝日新聞本日(2009年8月8日)の記事です。
聖公会信徒のことが出てきます。
非常に重要と思うので転載します。

──

 国旗・国歌法が成立して、9日でちょうど10年を迎える。法案審議中は、国歌斉唱などを強制しない旨の政府答弁が繰り返された。しかし現実に起きたのは教職員に対する校長の職務命令や教育委員会の監視であり、従わない場合の処分であった。

 強いられた斉唱は「踏み絵」に例えられることがある。だが、まさに踏み絵と感じるキリスト教信徒の教職員がいる。

 東京都の公立小学校に勤める岸田静枝さん(59)はその一人。音楽教員で、英国国教会系の日本聖公会の信徒である。君が代の歌詞は天皇制をたたえる内容であり、入学・卒業を祝う場にはそぐわないと思っている。有無を言わせずに強いられると、まるで天皇を「神」とする宗教のように感じてしまう。君が代のピアノ演奏を命じられることは棄教を迫られるのに等しく、思想・良心の自由とともに、いわば信教の自由の問題にもかかわる問題という。

 それでも、心は揺れた。遠藤周作の小説「沈黙」に出てくる司祭ロドリゴの姿に自分を重ねる。踏み絵を前に追い詰められ、ついに「生涯の中で最も美しいと思ってきたもの」に足をかける司祭。その弱さに共感する。

 戒告と減給の処分を計4回受けたが、次に予想される停職1カ月の処分は避けたかった。定年を来春に控えた彼女にとって児童と過ごす時間は宝物のよう。わずかの間でも引き離されるのは耐えられなかった。

 そこで05年4月以降は入学式と卒業式の当日、休みを取ったり、君が代斉唱が終わったあとに途中入場したりした。式典で起立や演奏を拒否したのではないため、処分はなかった。

 しかし「私は子どもたちを式場に残したまま逃げたのです」と自分を責め続けている。「イエス様にどうすればよかったのでしょうと尋ねても答えてくれません。『沈黙』の中のイエス様は『踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている』とおっしゃる。私がもし演奏しても、悲しげなまなざしで見てくれるでしょうけど……」

 日本聖公会東京教区の人権委員会は、岸田さんのほかにも君が代を受け入れることができない教員の信徒がいることを知った。2人の苦しみを分かち合うため、昨秋から連帯の意志を示す「祈りの会」を開き始めた。これにはプロテスタントの信徒らも加わっている。

 君が代を受け入れることができない教職員は、校長や同僚から「ちょっとの間、がまんすればいいじゃないか」などと説得されることがある。それは、あの司祭ロドリゴにささやかれる「形だけ踏めばよいことだ」という言葉と同じ響きだ。

 公立小・中・高での斉唱率はほぼ100%に達する。また、校長の職務命令などが思想・良心の自由を侵すと見るかどうかは、裁判官によっても判断の分かれる問題ではある。だが命令に痛みを感じる者がわずかでもいる限り、その心に思いを巡らすことが民主主義には決定的に大切であるはずだ。(磯村健太郎)

日ごとの聖句380 安息 2009/8/9〜15


2009年8月9日(日)聖霊降臨後第10主日     創世記1:1、3
初めに、神は天地を創造された。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。

8月10日(月)                  創世記2:2
第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。

8月11日(火)                  創世記2:3
この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。

8月12日(水)              出エジプト記23:12
あなたは六日の間、あなたの仕事を行い、七日目には、仕事をやめねばならない。それは、あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである。

8月13日(木)                 マタイ11:28
イエスは言われた。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」

8月14日(金)                 マタイ11:29
「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」

8月15日(土)主の母聖マリヤ日         マタイ11:30
「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

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