Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2010年07月

楽譜集「ライアーのうた──ライアー・リコーダーのための小品集1」

楽譜集
「ライアーのうた──ライアー・リコーダーのための小品集1」
 小野純子 作・編曲

わたしの友人の作品集です。
全14曲。45頁。

内容は次をご覧ください。

「ライアーのうた」

お問合せ・購入は
olivetrump@gmail.com
まで

ヘルダーリン「僕が子どもだったとき」

ヘルダーリン(1770〜1843、ドイツ)
はわたしの愛する詩人のひとりです。

「僕が子どもだったとき」
Da ich ein Knabe war...
の初めのほうを訳してみました。

僕が子どもだったとき、
神さまが僕をしばしば助けてくれた──
人のわめき声とムチから。
僕は安全に楽しく遊んだ、
森の花々と。
そして天のそよ風が
僕と遊んでくれた。

Da ich ein Knabe war,
Rettet’ ein Gott mich oft
Vom Geschrei und der Rute der Menschen,
Da spielt ich sicher und gut
Mit den Blumen des Hains,
Und die Luftchen des Himmels
Spielten mit mir.

続きはいずれまた訳すつもりです。

日ごとの聖句431 キリストの平和 2010/8/1〜7

2010年8月1日(日)聖霊降臨後第10主日      コロサイ3:15
キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれたのです。

8月2日(月)                   ヨハネ14:27
「わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。」

8月3日(火)                   ヨハネ16:33
これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」

8月4日(水)                使徒言行録10:36
神はイエス・キリストによって――この方こそ、すべての人の主です――平和を告げ知らせて、御言葉を送ってくださいました。

8月5日(木)                    ローマ1:7
わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

8月6日(金)主イエス変容の日           ローマ5:1
わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ています。

8月7日(土)                  エフェソ2:14
キリストはわたしたちの平和です。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊してくださいました。

大韓聖公会 日常祈祷書

大韓聖公会の『日常祈祷書』の目次を翻訳しました。中身は今後少しずつ訳してご紹介します。

目次の印刷は次PDFファイルをご利用ください。
大韓聖公会日常祈祷書目次


編著者 金安基
発行人 大韓聖公会出版部
発行  2000年4月25日

 目 次

刊行の言葉
序文

第1編 主要祈祷
1. 聖号経
2. 栄光頌
3. 祝福文
4. 主の祈り[天主経]
5. 聖母頌
6. 使徒信経
7. ニケヤ信経
8. 聖アタナシオ信経

第2編 三主徳と告白の祈り
1. 三主徳の祈祷
 (1)信仰の祈り[信徳誦]
 (2)希望の祈り[望徳誦]
 (3)愛の祈り[愛徳誦]
2. 告白の祈り
 (1)悔い改めの祈り
 (2)痛悔の祈り
 (3)恩寵の祈り

第3編 個人の祈り
1. 朝の祈り
2. 夕の祈り
3. 食事の前の祈り
4. 食事の後の祈り
5. 聖堂入堂の祈り
6. 聖堂退堂の祈り
7. 聖水の祈り
8. 守護聖人に向かう祈り
9. 三鍾の祈り

第4編 家庭の祝福の祈り
1. 婚約式の祈り
2. 結婚式の祈り
3. 出産準備の祈り
4. 誕生の祈り
5. 産後の祈り
6. 百日の祈り
7. 誕生日の祈り
8. 還暦(七旬)の祈り
9. 成人の日の祈り

第5編 家族の祈り
1. 祖先のための祈り
2. 父母のための祈り
3. 子どものための祈り
4. 軍入隊者の祈り
5. 軍除隊者の祈り
6. 兄弟姉妹の祈り
7. 教父母の祈り
8. 家を所有して捧げる祈り
9. 夫のない妻の祈り
10. 妻のない夫の祈り
第6編 病人のための祈り
1. 救いのための祈り(キリストの霊魂経)
2. 子どもが病気のときの祈り
3. 入院患者の祈り
4. 手術を受ける人の準備の祈り
5. 一般病者の祈り
6. 自分の病気のための祈り
7. 病気が治ったときの感謝の祈り

第7編 逝去の祈り
1. 死が迫ったときの祈り
2. 臨終のときの祈り
3. 入棺の祈り
4. 逝去記念の祈り
5. 逝去した父母のための祈り
6. 逝去者のための祈り

第8編 聖書を学ぶ準備の祈り
1. 聖書の学びを始めるとき
2. 聖書の学びを終えるとき

第9編 訪問、伝道集会の祈り
1. 訪問準備の祈り
2. 伝道対象者のための祈り
3. 転居した家庭のための祈り
4. 開業の祈り
5. 新しい信者の家庭訪問の祈り
6. 主日聖守のための家庭訪問の祈り
7. 祈祷生活をよく行うための家庭訪問の祈り
8. 誘惑に陥った教友の家庭訪問の祈り
9. 異端から誘惑を受けている教友の家庭訪問の祈り
10. 迷信を信じる家の家庭訪問の祈り
11. 言葉の純化のための家庭訪問の祈り
12. 和解のための家庭訪問の祈り
13. 奉献のための家庭訪問の祈り
14. 聖召主日の祈り
15. 宣教主日の祈り
16. 徹夜祈祷会の祈り

第10編 個人の慰めの祈り
1. 自己奉献の祈り
2. 貧しい者の祈り
3. 孤独のときの祈り
4. 失敗のときの祈り
5. 成功のときの祈り
6. 感謝の祈り

第11編 議会のための祈り
1. 管区議会のための祈り
2. 管区常任委員会のための祈り
3. 教区議会のための祈り
4. 教区常置委員会のための祈り
5. 教会委員会のための祈り

第12編 教会の職分のための祈り
1. 大主教のための祈り
2. 主教のための祈り
3. 司祭のための祈り
4. 副祭(執事)のための祈り
5. 修道者のための祈り
6. 伝道師のための祈り
7. 区域長のための祈り
8. 教会職員のための祈り

第13編 伝道のための祈り
1. 開拓教会のための祈り
2. 区域伝道のための祈り
3. 祈祷院のための祈り
4. 研修院のための祈り
5. 奉献のための祈り
6. 教会連合主日の祈り
7. 海外同胞のための祈り
8. 海外韓人教会のための祈り
9. 本教会以外の教会のための祈り

第14編 教会団体のための祈り
1. 聖歌隊のための祈り
2. 教会活動団体のための祈り
3. アボジ会のための祈り
4. オモニ会のための祈り
5. 青年・大学生会のための祈り
6. G.F.S.のための祈り
7. 学生会のための祈り
8. 主日(日曜)学校のための祈り

第15編 教会機関のための祈り
1. 教会のための信者の祈り
2. 大学と神学大学院のための祈り
3. 出版部のための祈り
4. 特殊学校のための祈り
5. 幼稚園のための祈り‐入園
6. 幼稚園のための祈り‐卒園
7. 保育園のための祈り
8. 養老院のための祈り
9. ナヌメジップ(分ち合いの家)のための祈り
10. 総合社会福祉館のための祈り

第16編 公職者と勤労者のための祈り
1. 大統領のための祈り
2. 政治家のための祈り
3. 公務員のための祈り
4. 法曹関係者のための祈り
5. 軍人のための祈り
6. 検事と警察のための祈り
7. 教育者のための祈り
8. 作家と詩人のための祈り
9. 芸術、放送関係者のための祈り
10. 医療関係者のための祈り
11. 農民のための祈り
12. 技術者のための祈り
13. 勤労者のための祈り
14. 失業者のための祈り
15. 障がい者のための祈り
16. 監獄にある人のための祈り

第17編 告解のサクラメント(聖奠)
1. 序
2. 準備の祈り(十戒を通しての省察)
3. 告解の式
4. 告解の後の祈り

第18編 聖餐のサクラメント[聖体聖事]
1. 準備の祈り
2. 聖餐式の中での黙祷
3. 陪餐後の祈り
4. 心霊聖体拝領の祈り
5. 聖幕(聖櫃 タバナクル)訪問の祈り

第19編 十字架の道行きの祈り[十四聖路神功]
 1. 十字架の道行きの祈り
 第1留 イエス、死刑宣告を受ける
 第2留 イエス、十字架を負う
 第3留 イエス、最初に倒れる
 第4留 イエス、聖母マリアに会う
 第5留 イエスの十字架を負ったクレネ人シモン
 第6留 イエスの汗をぬぐったベロニカ
 第7留 イエス、二度目に倒れる
 第8留 イエスが女たちを慰める
 第9留 イエス、三度目に倒れる
 第10留 イエスの服を脱がせて嘲弄する
 第11留 イエス、十字架につけられる
 第12留 イエス、十字架に死なれる
 第13留 イエスの遺体を十字架から下ろす
 第14留 イエスを墓に葬る

第20編 連祷文(嘆願)
 1. イエス聖名連祷文
 2. イエス聖心連祷文
 3. イエス受難連祷文
 4. 聖霊祈願連祷文
 5. 聖母マリア連祷文
 6. 聖ヨセフ連祷文

第21編 教会期節特別祈祷
 1. 待臨節(降臨節)の祈り
 2. 聖誕節の祈り
 3. 公現節(顕現節)の祈り
 4. 四旬節(大斎節)の祈り
 5. 受難節の祈り
 6. 聖枝主日の祈り
 7. 復活節の祈り
 8. 昇天節の祈り
 9. 聖霊降臨節の祈り
 10. 聖三節(聖三位一体節)の祈り

第22編 黙珠(ロザリオ)の祈り
 1. 黙珠の祈りとは
 2. 黙珠の使い方
  (1) 黙珠の祈り 1
  (2) 黙珠の祈り 2
  (3) 黙珠の祈り 図による説明
  (4) 黙珠3日間の祈り

第23編 黙想祈祷
 1. 黙想の祈りとは
  (1) 黙想 神秘の15段
   1. 歓喜5段(場)
   2. 苦痛5段
   3. 栄光5段

第24編 祝福の祈り
 1. 聖水の祝福
 2. 建物の祝福
 3. 自動車(飛行機)の祝福
 4. 土地の祝福
 5. 機械の祝福
 6. 結婚の予告および祝福
 7. 産後感謝の祝福

第25編 名節の祈り
 1. 新年の祈り
 2. 元旦の祈り
 3. 開天節の祈り[10月3日 建国記念日]
 4. 三・一節の祈り
 5. 植樹の日の祈り
 6. 4.19の祈り[1960年 四月革命]
 7. 5.18の祈り[1980年 光州事件]
 8. 顕忠日の祈り[6月6日 国土防衛に命をささげた人を記念する日]
 9. 制憲節の祈り[7月17日 大韓民国憲法公布の記念日]
 10. 光復節の祈り[8月15日]
 11. 麦秋・秋収 感謝節の祈り 1
 12. 麦秋・秋収 感謝節の祈り 2
 13. 教会設立祝聖日の祈り
14. 聖書の主日の祈り

第26編 付録
 1. 聖教会の6規則
 2. 十戒
 3. 聖霊の七つの賜物
 4. 聖霊の九つの実り
 5. 罪悪に打ち勝つ七つの善徳
 6. 洗礼のときの三つの約束
 7. 善行の三つの要素
 8. 七つの聖奠(サクラメント)
 9. 十字架の七つのみ言葉
 10. 聖職の三つの位
 11. 聖公会の伝統精神
 12. 聖公会の中心的神学
 13. 聖公会の基本教理


記号表示: † 十字聖号(しるし)を切る
      ○ 司祭あるいは先導者
      ◎ 会衆

日ごとの聖句430 命に至る水 2010/7/25〜31

2010年7月25日(日)聖霊降臨後第9主日       ヨハネ4:14
「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

7月26日(月)使徒聖ヤコブ日            ヨハネ7:38
「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」

7月27日(火)               ヨハネの黙示録7:17
「玉座の中央におられる小羊が彼らの牧者となり、命の水の泉へ導き、神が彼らの目から涙をことごとくぬぐわれる。」

7月28日(水)               ヨハネの黙示録14:7
「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい。」

7月29日(木)               ヨハネの黙示録16:5
そのとき、わたしは水をつかさどる天使がこう言うのを聞いた。「今おられ、かつておられた聖なる方、あなたは正しい方です。」

7月30日(金)              ヨハネの黙示録21:6
「わたしはアルファであり、オメガである。初めであり、終わりである。渇いている者には、命の水の泉から価なしに飲ませよう。」

7月31日(土)              ヨハネの黙示録22:17
これを聞く者も言うがよい、「来てください」と。渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。

ジェンダーに関する2冊

若桑みどり『お姫様とジェンダー──アニメで学ぶ男と女のジェンダー学入門』
  ちくま新書、2003、680円

コレット・ダウリング『シンデレラ・コンプレックス──自立にとまどう女の告白』三笠書房(知的生き方文庫)、1986、450円

いずれも女性の自立を束縛しているものを見つめさせ、自立と自由へと励ます書。

安重根と千葉十七

 今から26年前の1984年、立教大学の助手時代に「安重根とキリスト教」という論文を書いた。立教大学キリスト教学会『キリスト教学』第26号。

 安重根は1909年、伊藤博文をハルビンで射殺した人物である。

 安重根がキリスト教徒(カトリック)であると伝えられることから、彼がほんとうにキリスト教なのか、どの程度キリスト教なのかを、彼の自伝、取調べ記録、裁判記録などをとおして迫ろうとしたのである。

 その結果、彼が徹底的に真摯なキリスト教徒であることを発見して大変驚いた。

 それで安重根のキリスト教についてはほぼ調べ尽くした気になっていたが、最近必要があって彼に関する本を数冊読み、知らなかったことを発見し、新しく感動をおぼえている。

 その一番大きなことは、安重根と旅順監獄の看守・千葉十七(とおしち)との出会いと交流である。

 千葉は安重根から人格的に深い影響を受け、安の処刑後、また退官した後も生涯、安重根とその国の人びとに対して懺悔の気持ちを持ち、日ごとに安の霊に合掌していたという。

 遺族のひとり、千葉の姪にあたる三浦くに子はこう語ったという。

「生前のオジは、安さんは単なる殺人犯ではない。民族独立闘争のため、やむにやまれぬ心で一身をなげうった義士である。処刑するには余りにも惜しい青年だった。韓国が独立したときには、必ず民族の英雄として再評価されるだろう。」

 この言葉は、斎藤泰彦『わが心の安重根──千葉十七・合掌の生涯』(五月書房、1994)の中の一節である。著者は千葉の菩提寺、曹洞宗大林寺住職。

 

 

日ごとの聖句429 癒し 2010/7/18〜24

日ごとの聖句429 癒し

2010年7月18日(日)聖霊降臨後第8主日    出エジプト記15:26
主は言われた。「わたしはあなたをいやす主である。」

7月19日(月)                   マタイ9:35
イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。

7月20日(火)                   マタイ9:36
またイエスは、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。

7月21日(水)                  イザヤ57:19
わたしは唇の実りを創造し、与えよう。平和、平和、遠くにいる者にも近くにいる者にも。わたしは彼をいやす、と主は言われる。


7月22日(木)マグダラの聖マリヤ日         マルコ16:9
イエスは復活して、まずマグダラのマリアに御自身を現された。マリアは以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。

7月23日(金)                 エレミヤ17:14
主よ、あなたがいやしてくださるなら、わたしはいやされます。あなたが救ってくださるなら、わたしは救われます。

7月24日(土)                  エレミヤ33:6
見よ、わたしはこの都に、いやしと治癒と回復とをもたらし、彼らをいやしてまことの平和を豊かに示す。

エリサベトの物語──洗礼者聖ヨハネ誕生日に寄せて

 6月24日は洗礼者聖ヨハネ誕生日です。その誕生の事情はルカによる福音書の最初に語られています。ヨハネの父は祭司ザカリア、母はエリサベト。二人はユダの山里に暮らしていました。

 エリサベトは夫ザカリアとともに長年、子どもが与えられることを願っていたのですが、すでに年をとり、それを諦めてしまっていました。ところが主の聖所で仕えていたザカリアに天使ガブリエルが現れてこう告げたのです。

「あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子は既に母の胎にいるときから聖霊に満たされていて、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる。」ルカ1・14─16

 エリサベトは身ごもりました。

「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」
 子どもが生まれないのは何か罪があるせいだ、と世間から非難されてきたのです。不当なことです。

 ある日、突然、親戚のマリアが訪ねて来ました。マリアの挨拶の声を聞いたとき、エリサベトの胎内の子がおどりました。エリサベトは聖霊に満たされ、声高らかに言いました。

「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。……」

「わたしの魂は主をあがめ……」
 マリアの歌に和しつつ、エリサベトはいま起こりつつある大きな神の憐れみの業に、自分も共に引き入れられていることに魂を揺さぶられていました。

 月が満ちてエリサベトは男の子を産みました。近所の人、彼女の親戚の人たちが集まってきて、彼女とともに喜びました。八日目、その子に割礼を施すために来た人々が「ザカリア」と名付けようとすると、エリサベトは「その子の名はヨハネ」と言って譲りませんでした。あの日以来口がきけなくなっていた父ザカリアが板に「ヨハネ」と書いたので人々は驚きました。

 ヨハネは成長し、、やがて家を出て荒れ野で過すようになりました。ヨハネは人々に神の国の到来を伝えて悔い改めを呼びかけ、集まって来たおびただしい人々に洗礼を授けました。イエスも彼から洗礼を受けました。

 ヨハネはガリラヤの領主ヘロデ・アンティパスの悪事を責めたために投獄され、やがて殺されました。しかしヨハネの精神と働きはイエスに継承され、彼はイエスの中に生き続けます。

 彼女は、マリアに先立ってわが子の命を奪われました。どれほどの悲しみと怒りを味わったことでしょうか。しかしヨハネの中にはっきりと神の働きを見てきた彼女は、ヨハネが命をかけて証ししたイエスをいっそう一心に見つめたことでしょう。そしてヨハネと同じく、多くの人々を「主のもとに立ち帰らせる」ために祈り働いたのではないでしょうか。

 「その子の名はヨハネ」

 ヨハネは「主は恵み深い」という意味です。今もエリサベトは「主は恵み深い」とわたしたちに告げ知らせています。

「つのぶえ」2010年6月号掲載




安重根(アン・ジュングン)の祈り

※時のしるし

(聖公会生野センター『ウルリム』掲載予定)

安重根の祈り──韓国併合100年をキリスト者の立場から考える

 1909年10月26日、安重根(アン・ジュングン)はハルビン駅で伊藤博文を射殺した。彼はその場で逮捕され、旅順監獄に護送された。

 当時、日本聖公会の機関誌であった『基督教週報』は「朝鮮の伝道」と題する社論の中で次のように述べた。

「伊藤公を狙撃したる安応七[注・安重根の字]はカトリック教徒なりと某新聞は伝えたり。日本天主教の大主教は直に電報を以て調査せしめたるに彼はカトリック教徒にあらざることを確め得たりとも称す、由来平壌付近には利害の上より基督教会に入る朝鮮人寡(すくな)からずと称せらるゝが故に安応七にして教徒たらずとするも教徒たるの価値なき幾多の所謂信徒其辺に発見さるゝやも知るべからず。仮りに安応七をして教徒の名簿に名を列するものならしむるも、朝鮮国の為めに尽したる元勲を暗殺したる罪は安の罪にして基督教の責を負ふべきものにあらざるは言迄もなき事なり。」(同年11月12日)

(……以前から平壤付近には利益を得るためにキリスト教会に入る朝鮮人が少なくないと言われているから、安重根がキリスト教信徒でないとしても、信徒たる価値のない多くの「いわゆる信徒」がそのあたりに見つかるかもしれない。仮に安重根が信徒の名簿に載せられていたとしても、朝鮮の国のために尽くした元勲を暗殺した罪は安重根自身の罪であって、キリスト教が責任を負うべきものではないのは言うまでもないことである。)

 安重根は仮にキリスト教徒であるとすれば「教徒たるの価値なき信徒」、「有名無実の雑信者」と『基督教週報』は決めつけ、伊藤を「朝鮮国の為めに尽したる元勲」と称賛したのである。

 かつて私は、キリスト教徒と言われる安重根がその内実においてどの程度キリスト教なのかを知りたいと思い、公判記録等を読みふけったことがある。そして得た結論は、彼は伝道意欲も強く、自分の長男ブンドを必ず将来神父とならせてほしいと母と妻に遺言するほどの正真正銘のクリスチャンである、ということだった。伊藤博文射殺も、その是非はともかく、韓国の独立と東洋の平和のためにそれしかないと決意し、祈って実行したものであった。

 安重根は伊藤博文の罪状15ヵ箇条を申し立てている。「伊藤さんは、東洋の平和を攪乱しました。その訳と申すのは、すなわち日露戦争当時より東洋平和維持なりと言いつつ、韓皇帝を廃位し、当初の宣言とことごとく反対の結果を見るに至り、韓国民二千万人皆、憤慨しております。」(第12)

 死刑が確定した後、安重根は自分に洗礼を授けたウィルヘルム神父(フランス人宣教師)との面会を切望。主教の反対を押し切ってやってきたウィルヘルム神父から告解と聖体拝領の聖事(サクラメント)を受け、喜びと感謝に溢れたという。

 死刑執行直前、「最後に言い残すことはないか」と尋ねられて、彼はこう答えた。「自分の行為は、東洋平和のためである。韓・日両国民が、互いに一致協力して、平和を図ることを望む。なお、最後に絞首台で東洋平和のために祈願したい。」

 彼は絞首台の階段を七つ上った後、やや広くなった所で3分ほど静かに祈り、そして息絶えたという。1910年3月26日午前10時15分、イースター前日の聖土曜日であった。

 看守として5ヵ月を旅順監獄で安重根と共に過した日本人憲兵、千葉十七(とうしち)は、安から深い人格的影響を受け、退職後も日々、安の霊に向かって合掌し、「安重根と、その国の人々」に対して懺悔する毎日であったという。

 安重根の死から5ヵ月後の8月29日、日本は韓国を併合した。それから100年の夏を迎える今、東洋の平和と日韓の一致協力を願った彼の最後の祈りを無にすることのないようにしたい。

聖霊の導きの下に──「ユダの手紙」

「ヤコブの兄弟」(1)という言葉から、ユダは主イエスの兄弟(マルコ6:3)とも言われるが確実ではない。執筆の動機は、教会にある影響力を持った人たちが入り込んで信徒の信仰と生活を混乱させている現実を見かねてのことである。旧約聖書外典偽典からの引用が多い。2世紀初めの頃に書かれたものか。

1. 1 「父である神に愛され、イエス・キリストに守られている召された人たちへ」

 宛先の人びとは、このように「愛され」「守られ」「召された」人たち、と三重の動詞で呼ばれている。逆に言えばそれだけ事態が危うかったのではないだろうか。

2. 2 「憐れみと平和と愛が」
 これも三重である。

3. 3 「愛する人たち、わたしたちが共にあずかる救いについて書き送りたいと、ひたすら願っておりました。」

 「愛する人たち」という呼びかけは17、20節にも出る。
救いは「共にあずかる」もの。個人のもの、ほかでもないわたしのものでありつつ、一緒に受け、共有してこそ命が溢れるものとなる。そのことを書き送りたいと著者は切望している。

4. 3 「あなたがたに手紙を書いて、聖なる者たちに一度伝えられた信仰のために戦うことを、勧めなければならないと思ったからです。」

 福音の真理と信仰の生活、教会の秩序が乱されるとき、「聖なる者たちに一度伝えられた信仰のために戦う」必要が起こる場合がある。著者は今がその緊急事態であると感じて訴えている。

5. 20‐21 「聖霊の導きの下に祈りなさい。神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、わたしたちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい。」

 この呼びかけを大切に心にとめ、実行したい。ここに三位一体の神の働きが語られている。

6. 24‐25 「……わたしたちの救い主である唯一の神に、わたしたちの主イエス・キリストを通して、栄光、威厳、力、権威が永遠の昔から、今も、永遠にいつまでもありますように、アーメン。」

 大きな頌栄、賛美。「アーメン」で綴じられる文書は少ない(ペトロ第二)。アーメンは「真実」の意味。「アーメン(真実)の神」イザヤ65:16。

放置できないほどの福音の歪曲、混乱、秩序破壊、不道徳がユダの見ていた教会の現実にあった。信徒を愛し、その信仰と生活を憂える著者のまごころと情熱にふれたい。

(2010/07/11)

日ごとの聖句428 イザヤ書42章 2010/7/11〜17

日ごとの聖句428 イザヤ書42章

2010年7月11日(日)聖霊降臨後第7主日       イザヤ42:1
見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。

7月12日(月)                   イザヤ42:5
神は天を創造して、これを広げ、地とそこに生ずるものを繰り広げ、その上に住む人々に息を与え、そこを歩く者に霊を与えられる。

7月13日(火)                   イザヤ42:6
主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び、あなたの手を取った。

7月14日(水)                   イザヤ42:10
新しい歌を主に向かって歌え。地の果てから主の栄誉を歌え。海に漕ぎ出す者、海に満ちるもの、島々とそこに住む者よ。

7月15日(木)                  イザヤ42:16
わたしは目の見えない人を導いて知らない道を行かせ、通ったことのない道を歩かせる。

7月16日(金)                  イザヤ42:16
わたしは行く手の闇を光に変え、曲がった道をまっすぐにする。わたしはこれらのことを成就させ、見捨てることはない。

7月17日(土)                  イザヤ42:23
あなたたちの中にこれを聞き取る者があるか。後の日のために注意して聞く者があるか。

「星の呼び声〜宇宙に響く音の世界」 ライアーコンサート 当日プログラム(3)

彼方からの音 ── ライアーコンサートに寄せて

 わたしがライアーというものに初めて触れたのは5年前の5月の土曜日の午後、ある教会でのコンサートだった。複数のプログラムで、後半が小野純子さんによるライアー演奏だった。別の用があって、途中休憩の頃に到着したわたしは、礼拝堂のずっと後ろのほうでそれを聞いた。音量は小さかったが、不思議な静けさを経験した。それがきっかけになってご自宅でピアノやライアーを聞かせていただいたり、またご自身が主宰されているライアー・アンサンブルにつながりを持たせていただくようになった。

 小野さんのライアーは特別な世界である。
 「自分はこの音楽をこのように解釈しこのように表現する」というのとは違う世界。もちろん解釈も表現もあるのだが、自分がその中心というのではなく、彼方に太初から存在する生きた世界(それは「天」といってもいい)があって、そこから音が到来して、彼女の心とからだの営みをとおしてここにそれが実現する──そういう世界である。

 彼方から到来する音は、物理的に音が発せられる以前に静けさをもたらす。日常とは別の空気に入って行く。やがてその静けさの中から音が響く。その音は光をもたらし、風を運び、水が湧いて流れ、いのちが息づきはじめる。音が止み、やがてその響きが聞こえなくなった後に、あらたな静けさの中にわたしたちはいる。そのようにわたしは感じてきた。

 しばらく前に小野さんは『ライアーのうた──ライアー・リコーダーのための小品集1』という自作曲集をまとめられた。その序文にこう書かれている。

  こころをしずかにしていると
  すーっと透き通った空気がやってきて、
  身体が深く呼吸をはじめます。
  ……そして、ライアーはうたいはじめます。

 ライアーの響きの中で非日常の世界に招かれ、普段見失いがちな何か大切なものを、奏でる人と聞く人が一緒に経験し、そこからわたしたちの日常が新たにされるようなひとときとなることを願っている。(井田 泉)

「星の呼び声〜宇宙に響く音の世界」 ライアーコンサート 当日プログラム(2)

プログラム

< 1 >


星の呼び声

梢のまわりをたわむれる風

ワルツのように(カバレフスキー)

水が動くとき

ちいさな歌(カバレフスキー)

トロイメライ(シューマン)


< 2 >

プレリュードとフーガ(J.S.バッハ 平均律ピアノ曲集より)

アルマンド(J.S.バッハ フランス組曲 第五番より)

アリア(J.S.バッハ アンナ・マグダレーナのための曲集より)

ラルゴ(J.S.バッハ クラヴィーアコンチェルト ヘ短調より)

主はわたしの光

たなばた

 (作曲者名のない曲は、オリジナルです)

「星の呼び声〜宇宙に響く音の世界」 ライアーコンサート 当日プログラム(1)

2010年7月1日(木) 午後7:00 
京都市北文化会館・創造活動室

2010年7月3日(土) 午後3:00 
比叡平・小野 音楽室



ごあいさつ

今日は、ようこそお越しくださいました。心から、ありがとうございます。

ライアーは1926年にヨーロッパで生まれました。木の枠に弦を張っただけのシンプルな楽器です。紀元前の遠い昔、神話の時代、奏でられていた竪琴は、その後文明の発達と共に様々な楽器へと形を変えて発展し、それと共に昔の竪琴は世の中から消えていきました。太古の時代、人々が素朴に奏でていたであろう喜びや悲しみ、祈り、大いなるものへの畏敬と讃美を、音楽の原点に戻ってもう一度、素朴に奏でることを体験しよう、何か大切なことが失われてしまったとすれば、それを思い出すことのために、しかし、過去に還るのではなく、未来に向けての楽器として…、ということから、ライアーが生まれたということです。

さて、そのようにして生まれたライアーを、ある勉強会で知り合った友人が20年ほど前に、わたしに貸してくださいました。それがわたしとライアーの出会いです。そして、ピアノを学んでいたわたしは、まだほとんど知られていなかったライアーの演奏法や響きと出会い、新鮮な感動と共に、ライアーがもたらしてくれる世界を体験することになりました。

ライアーは、一本ずつの弦をていねいに撫でるように奏でるという演奏法なので、他の楽器のようにみごとな演奏を楽しむというものではありません。静かにその響きや、響きの向こうから来るものを味わってくださいましたらさいわいです。深くて静かな世界がライアーを通って降りてきてくれることを願って、たいせつに奏でたいと思います。遠いところをおいでくださったみなさまにとってもわたし自身にとっても意味のある時間となりますことを祈りつつ…。

ライアーという楽器の性質上、こころを静かにして奏でたいので、曲のご紹介やおしゃべりなしに、プログラムを進めさせていただきます。どうぞご了承ください。


                       小野 純子

日ごとの聖句427 詩編第95編 2010/7/4〜10

2010年7月4日(日)聖霊降臨後第6主日         詩編95:1
主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。

7月5日(月)                    詩編95:2
御前(みまえ)に進み、感謝をささげ、楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。

7月6日(火)                    詩編95:3
主は大いなる神、すべての神を超えて大いなる王。

7月7日(水)                  詩編 95:4‐5
深い地の底も御手(みて)の内にあり、山々の頂も主のもの。海も主のもの、それを造られたのは主。陸もまた、御手によって形づくられた。


7月8日(木)                    詩編95:6
わたしたちを造られた方、主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう。

7月9日(金)                    詩編95:7
主はわたしたちの神、わたしたちは主の民、主に養われる群れ、御手(みて)の内にある羊。

7月10日(土)                    詩編95:7
今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。
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