Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2010年08月

「戦争をしない国日本」

「戦争をしない国日本」(ドキュメンタリー映画「シリーズ 憲法と共に歩む」第1篇)というDVDを見ました。

1945年、戦争しない国として再出発した日本が、どのような経過を経て戦争できる国へと変貌してきたかがよくわかる内容でした。

特にアメリカの軍事的世界支配体制に日本がしっかり組み込まれてしまっていることにあらためて衝撃を受けました。

人を殺傷するために莫大なお金、エネルギー、知恵……が投じられていることを、愚かな、また恐ろしいこととと感じます。

「わたしはあなたを見捨てない」

J.S.バッハは、カーロフという人による注解付きのルター訳聖書(カーロフ聖書)を愛読していました。

その聖書に彼はところどころ書き込みをしています。

旧約聖書・ヨシュア記1:5の「わたしはあなたを見捨てない」に彼はアンダーラインをしています。バッハの信仰や関心をこれによって窺うことができます。

この言葉は今日(2010/08/29)の使徒書、ヘブライ人への手紙13:5「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにしない」の元の箇所です。

カーロフ聖書については以下をご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/izaya/archives/51401018.html

http://blog.livedoor.jp/izaya/archives/51401008.html

日ごとの聖句435 風 2 2010/8/29〜9/4

2010年8月29日(日)聖霊降臨後第14主日     詩編18:10‐11
主は天を傾けて降り、密雲を足もとに従え、ケルブを駆って飛び、風の翼に乗って行かれる。

8月30日(月)                  詩編104:3‐4
主は雲を御自分のための車とし、風の翼に乗って行き巡り、さまざまな風を伝令とし、燃える火を御もとに仕えさせられる。

8月31日(火)                   詩編104:30
あなたは御自分の息を送って彼らを創造し、地の面(おもて)を新たにされる。

9月1日(水)                    アモス4:13
見よ、神は山々を造り、風を創造し、その計画を人に告げ、暗闇を変えて曙(あけぼの)とされる。その御名は万軍の神なる主。

9月2日(木)     アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌42‐43
もろもろの風よ、主を賛美し、代々にたたえ、あがめよ。
火と熱よ、主を賛美し、代々にたたえ、あがめよ。

9月3日(金)                  マルコ4:39
イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。

9月4日(土)                    ヨハネ3:8
風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。

ライアー アンサンブル コンサート

2010年9月11日(土)午後2時
京都聖三一教会1階ホール
演奏・プリモール

ライアーアンサンブルの美しい響きを
  どうぞ、聴きにいらしてください。
  牧師も一部笛で出演します。

曲目
ビゼー「アルルの女」
チャイコフスキー「アンダンテ・カンタービレ」
パラディス「シチリアーノ」
ほか

詳しくはここをクリック

日ごとの聖句434 風 2010/8/22〜28

2010年8月22日(日)聖霊降臨後第13主日       創世記3:8
その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。

8月23日(月)                   創世記8:1
神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。

8月24日(火)使徒聖バルトロマイ日     出エジプト記11:31
さて、主のもとから風が出て、海の方からうずらを吹き寄せ、宿営の近くに落とした。

8月25日(水)             サムエル記下22:10‐11
主は天を傾けて降り、密雲を足もとに従え、ケルビムを駆って飛び、風の翼に乗って現れる。

8月26日(木)                列王記上19:11 主は、「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われた。見よ、そのとき主が通り過ぎて行かれた。主の御前には非常に激しい風が起こり、山を裂き、岩を砕いた。

8月27日(金)                  ゼカリヤ5:9
わたしが目を留めて見ると、二人の女が翼に風を受けて出て来た。かの女たちはこうのとりの翼のような翼を持っていた。

8月28日(土)                ヨブ記37:21‐22
今、光は見えないが、それは雲のかなたで輝いている。やがて風が吹き、雲を払うと、北から黄金の光が射し、恐るべき輝きが神を包むだろう。

日ごとの聖句433 平和 2010/8/15〜21

2010年8月15日(日)聖霊降臨後第12主日      民数記25:12
「それゆえ、こう告げるがよい。『見よ、わたしは彼にわたしの平和の契約を授ける。』」

8月16日(月)主の母聖マリヤ日           士師記6:24
ギデオンはそこに主のための祭壇を築き、「平和の主」と名付けた。

8月17日(火)                    詩編4:9
平和のうちに身を横たえ、わたしは眠ります。主よ、あなただけが、確かに、わたしをここに住まわせてくださるのです。

8月18日(水)                   詩編29:11
どうか主が民に力をお与えになるように。主が民を祝福して平和をお与えになるように。

8月19日(木)                 詩編34:13、15
喜びをもって生き、長生きして幸いを見ようと望む者は、悪を避け、善を行い、平和を尋ね求め、追い求めよ。

8月20日(金)                   詩編55:19
主は、闘いを挑む多くの者のただ中から、わたしの魂を贖い出し、平和に守ってくださる。

8月21日(土)                   詩編37:37
無垢であろうと努め、まっすぐに見ようとせよ。平和な人には未来がある。

「愛する子どもたちよ」ルター聖書から

「子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。」
ヨハネ13:33

最後の晩餐においてイエスが弟子たちに呼びかけられるところです。
「子たちよ」

ルター聖書の現代改訂版ではこれが

Liebe Kinder(愛する子どもたちよ)

となっています。ギリシア語原文にない「愛する」という言葉をあえて入れていて、これだけでも驚きなのですが、

古い(おそらく元の)ルター聖書(亀の子文字、ひげ文字、フラクトゥール)を見ていたら

Lieben Kindlein(愛する幼子たちよ)

となっていて大変びっくりしました。

Kindlein は「幼子」「赤ちゃん」「かわいい子」の意味です。

ルターはきっと聖書を原語からドイツ語に訳しているうちにイエスさまの気持ちを感じて、自分が感じたとおりに訳したのでしょう。

ルターは情熱の人で、聖書を原文に忠実に訳そうとしつつ、あふれてくる思いを訳にこめずにはいられなかったのです。



『沖縄基地とイラク戦争──米軍ヘリ墜落事故の深層』

伊波洋一、永井 浩『沖縄基地とイラク戦争──米軍ヘリ墜落事故の深層』
岩波ブックレットNo.646 2005、480円

伊波洋一氏は普天間飛行場(米軍基地)を抱える宜野湾市長。

これを読んで、沖縄の人びとが「わたしたちはもう戦争の被害者にも加害者にもなりたくない」と言われることの意味がわかった気がする。

米軍海兵隊またそのヘリ部隊が普天間基地から大挙飛び立ち、イラク攻撃に参加してきたことを具体的に明らかにしている。

イラク戦争ばかりではなく、対ベトナム、アフガニスタン戦争もそうであった。

沖縄国際大学構内に米軍ヘリコプターが墜落(2004.8.13)しても、大学関係者を含め日本側は閉め出されて調査に関わることもできない。

普天間米軍基地は宜野湾市のど真ん中、人口密集地にある。ここで多いときは1日に200回、300回の飛行が行われる。

どんなに危険でやかましいことか。

けれども今日の大手マスコミは沖縄の現実と訴えをしっかり報道しない。

ブックレットの中で有益なメディアとして次の三つが紹介されているので、リンクを記しておく。

インターネット新聞『日刊ベリタ』

『琉球新報』

『沖縄タイムス』


恐れるな、アブラムよ

創世記第15章

 わたしたちの信仰の先祖はアブラハムです。今から4000年くらいも前でしょうか。アブラハムの生涯は175年と伝えられますが、その生涯の半ばで神さまを決定的に経験する出来事が起こりました。それが今日朗読された創世記第15章に記されています。今日はある日の夜から次の日の夜まで、およそ24時間の間に起こったことを見つめてみることにします。

  1. 星を仰ぐ

 アブラハム(当時はまだアブラムと言いました)は主なる神の言葉に促され、その約束のみを頼りとして、自分の国を出て、親族と別れて、主が示された地にやって来ました。カナンの地。今のパレスチナです。しかしこの地での生活は容易ではありませんでした。飢饉を避けてエジプトに逃れ、カナンに戻って今度は、おいのロトと別れるという悲しみを味わいました。

年月が過ぎるにしたがって、アブラハムは何とも言えぬ孤独と不安、空しさを感じるようになりました。幾度も厳しい試練に会い、多くの困難をかかえて、安住しうる土地を見出せず、約束の子どもも与えられないままに年老いていく。自分をここに導いたのはほんとうに生ける神であったのか、それとも愚かな自分の思い込み、幻想であったのか、という疑いを、彼は心の奥底に感じることがありました。家族、一族の安全と将来に責任を持つ彼としては、それを表に現わすことはできません。疑いが大きくなると、恐ろしい不安が彼を押し包みました。
神は長く沈黙しておられます。

 この日の夜遅く、暗い天幕の中で彼の心は重く沈んでいました。突然、主の言葉が幻のうちに彼に臨みました。

「……『恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。』アブラムは尋ねた。『わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。』……見よ、主の言葉があった『その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。』」。15:1‐4

 けれども、アブラハムは容易にその言葉を受け入れることができません。そのようなことがありうるでしょうか。

 主は彼を外に連れ出されました。暗い天幕から出たアブラハムはあまりの明るさに驚きました。満天の星。

「主は彼を外に連れ出して言われた。『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。』そして言われた。『あなたの子孫はこのようになる。』
 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」。15:5‐6


 「アブラムは主を信じた」と記されています。

 十分理解し、納得したというのではありません。自分の心は闇です。しかし神が示されたのは満天の星でした。星々の輝きがあなたの将来を示している、と主が言われます。満天の星に照らされて彼は主の臨在を感じ、彼は恐れつつ信じました。自分の将来を主の御手に委ねました。主を信じて従う歩みが、ここでもう一度始まります。

 神は私たちにも「外に出なさい」と言われます。自分の自信と気負い、自分の不安とあせり、自己卑下、揺れ動く自己評価から外に出なさい、と言われます。アブラハムとともにわたしたちも聞きます。「外に出なさい。天を仰いで、星を数えてみなさい」。あの無数の星の輝きがあなたの将来です。


  2. 禿鷹

 満天の星を仰いで、アブラハムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。

「主は言われた。『わたしはあなたをカルデアのウルから導き出した主である。わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる。』
アブラムは尋ねた。『わが神、主よ。この土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか。』」15:7‐8。


 アブラハムは主の言われる言葉を一心に信じたい。そのまますべてを受け入れたい。しかしあまりに現実は重くて、今の生活もしばしば脅かされる状態です。ほんとうに神の約束が真実である、という確証がほしい。しるしがほしいのです。
 神はそれを拒まれませんでした。
 夜が明けた頃でしょうか。主は言われました。

「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とをわたしのもとに持って来なさい。」15:9。

 牛と山羊と羊を用意する。アブラハムは主が意図しておられるかがわかりました。これは契約の儀式の用意です。

「アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせて置いた。」15:10

 当時の契約のやり方です。契約の両当事者が、このように裂いて置いた動物の間を通ります。これによって、もし契約を破るならば呪われて自分の体がこのように裂かれてもよい、ということを表すのです。「呪いを含む契約」とも言われます。そのように契約は命をかけるものでした。神は、ここにご自分の命をもって臨もうとしておられる。アブラハムもまた、自分の命をここにかける思いで牛と山羊と羊を用意し、それらを二つに切り裂いてそれぞれを互いに向かい合わせに置きました。

 アブラハムは待っています。神が次に何をせよと言われるかを待っています。暑い日中を緊張しながら待っています。時間が過ぎていきます。
 空に動く影があります。いやな予感がしました。禿鷹です。禿鷹が、切り裂いて置いた動物の死体をねらって降りて来るのです。

 これは違う。アブラハムが心をこめて、自分の命をかける思いで神に献げたものなのです。それを食い荒らそうとは何たることか。

「禿鷹がこれらの死体をねらって降りて来ると、アブラムは追い払った。」15:11。

 何事も起こりません。禿鷹を必死で追うだけの長い一日が暮れていきます。
昨夜はろくに寝ておらず、禿鷹を追い払う日中の戦いで疲れが出たのでしょうか。アブラハムは深い眠りに襲われました。

「日が沈みかけたころ、アブラムは深い眠りに襲われた。すると、恐ろしい大いなる暗黒が彼に臨んだ。』」15:12‐16

 眠りの中での恐ろしい大いなる暗黒。その恐怖の中で神の語られる声が聞こえました。それは、彼とその子孫が将来経験する苦難の予告と、にもかかわらず必ず与えられる神の救いの約束の言葉でした。


  3. 契約の火

 この夜は前夜とは打って変って、全くの闇夜です。前夜、明るい星の光の中で主なる神を経験したアブラハムは、この夜は恐ろしい暗黒の中で主なる神の声を聞いたのです。

 暗黒の中に、突然火が燃え上がりました。燃える松明が、あの切り裂いて置いた動物の間を通って行きます。

「日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と燃える松明が二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。『あなたの子孫にこの土地を与える。……』」15:17‐18。

 恐ろしい暗黒の中に、突如として火が燃え上がるのをアブラハムは見ました。その火、燃えるたいまつは、あの裂いて互いに向かい合わせて置いてあった動物の間を通り過ぎました。

 燃える松明が動物の間を通って行く。これは何でしょうか。それは神です。愛に燃える神です。

 眠っているのか目覚めているのか。アブラハムはただ燃える松明が通って行くのを見ています。

 神が契約の当事者となられた。割かれた動物の間を通って行かれる神は、その契約に背くなら自分が割かれてもよい。自分に呪いが降りかかってもよい。神がそう示しておられます。

 神はアブラハムとその子孫を必ず守り抜く。その生涯と使命をまっとうできるように神が命をかけて責任を持たれるのです。

 これが契約ということです。これが神のわたしたちに対する愛です。

 神が主導権を持たれます。けれどもわたしたちはただ傍観者なのではありません。わたしたちが献げたものの間を通って行かれるのです。わたしたちは神の断乎たる決意の手でわたしたちを掴まれました。わたしたちもまた、アブラハムのように迷いと不安を持ちながら、困難をいっぱい抱えながら、しかしわたしたちを愛してわたしたちを決して見捨てられることのない神を信じて、従っていくのです。愛によって神に掴まれたから、わたしたちも愛によって神を掴み返します。

 4000年前のアブラハムのとき、動物の体が裂かれました。暗黒のうちに火が燃えて、神の愛が注がれました。
 2000年前、真昼の暗黒の中、神の小羊、主イエスの体は十字架の上で裂かれました。裂かれた主イエスの体と心のうちに、愛がわたしたちのために燃え上がりました。

「わたしはけっしてあなたがたをわたしは見捨てない。わたしは呪いを引き受けてでも、あなたがたを守り導く。だから恐れるな。」

「『山は移り、丘は動いても、わがいつくしみはあなたから移ることなく、平安を与えるわが契約は動くことがない』とあなたをあわれまれる主は言われる」イザヤ54:10。

(2010/08/08 京都聖三一教会)

尹東柱「風が吹いて」

風が吹いて

風がどこから吹いてきて
どこへ吹かれていくのか。

風が吹いているが
わたしの苦しみには理由がない。

わたしの苦しみには理由がないのか。

ただひとりの女を愛したこともない。
時代を悲しんだこともない。

風がしきりに吹いているが
わたしの足は岩の上に立っている。

川の水が絶え間なく流れているが
わたしの足は丘の上に立っている。

1941.6.2

尹東柱「恐ろしい時間」

恐ろしい時間

そこ、わたしを呼ぶのはだれですか。

枯れ葉、その葉が青くなって出てくる陰ですが、
わたしはまだここに息が残っています。

一度も手を挙げてみたことがないわたしを
手を挙げて示す天もないわたしを

どこにわたしの身を置く天があって
わたしを呼ぶのですか。

事が終わってわたしが死ぬ日の朝には
悲しくもない枯れ葉が散るでしょうが……

わたしを呼ばないでください。

1941.2.7

(1941年、延禧専門学校の時代、尹東柱は信仰的決意をしたように思えます。この詩はそれに至る重要な過程を示すもので、召命に対する恐怖をあらわしているようです。
「青くなって出てくる陰」は直訳に近いもので、「青々とよみがえってくる陰」くらいにしたほうがわかりやすく日本語としても落ち着くかと思うのですが、そこまでいくと度を超えた意訳になりそうなので、今はこうしておきます。)

尹東柱「マンドリ」

マンドリ

マンドリが学校から帰ってきて
電信柱のあるところで
石ころ五つをひらいました。

電信柱をねらって
1番目の石を投げました。
──コーン──
2番目を投げました。
──はずれ──
3番目を投げました。
──コーン──
4番目を投げました。
──はずれ──
5番目を投げました。
──コーン──

5個に3個……
それくらいなら大丈夫。
あしたの試験、
5問で3問できたら──
指折りして数えてみても
そのまま60点だ。
気にすることあるか、ボール蹴りに行こう。

次の日マンドリは
身じろぎもできず先生に
白紙を出したでしょうか
そうでなければほんとうに
60点を取ったでしょうか。

1937.3月(推定)

(尹東柱の面白い詩を見つけたので訳してみました。コンクリートの電柱なら「カーン」ですが、当時は木だったと思うので「コーン」としました。)

日ごとの聖句432 キリストの平和 2 2010/8/8〜14

2010年8月8日(日)聖霊降臨後第11主日        マタイ5:9
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。

8月9日(月)                  エフェソ2:17
キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。

8月10日(火)                  フィリピ4:6
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。

8月11日(水)                  フィリピ4:7
そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。

8月12日(木)                   イザヤ53:5
彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

8月13日(金)                   イザヤ57:19
わたしは唇の実りを創造し、与えよう。平和、平和、遠くにいる者にも近くにいる者にも。わたしは彼をいやす、と主は言われる。

8月14日(土)                 ペテロ一 5:14
愛の口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。キリストと結ばれているあなたがた一同に、平和があるように。

中川貴文展「BIRTH─はじまりのひかり」

中川貴文君は福井市に生まれ、敦賀市で育ち、京都市立芸術大学美術学部に学び、2008年4月に永遠の世界に旅立った青年です。

このたび中川貴文展「BIRTH─はじまりのひかり」(絵画)が京都で催されます。

2010年8月10日(火)〜15日(日)

ギャラリーヒルゲート

 (京都市寺町通三条上る)

12:00〜19:00(最終日は17:00まで)

ギャラリーヒルゲートのHP
http://www.hillgate.jp/

次の頁に中川貴文君の絵が出ています。
http://www.hillgate.jp/tenrankai.html
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