Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2010年12月

言は肉となって

(2010年のクリスマスの第4のメッセージです。)

ヨハネ1:1‐14

 ヨハネ福音書の冒頭は不思議な言葉の連続です。哲学的な表現が並んでいて、頭で理解しようとしてなかなかわかった気がしないことがあります。

 けれども今日は「言(ことば)」と訳された言葉(原語は「ロゴス」)を、1節から14節までたどってみることにします。特に「言」が主語になっているところに注目してみましょう。

1. 「初めに言があった」1節

 世界の初め、宇宙の原初に、言があった。歴史が始まる前、その言が響いて世界が造られていきました。創世記の最初、「光あれ」という神の言葉を思い起こします。
 まず「初めに言があった」。これが第1です。
 その言には命があり、光があって、人間を照らしています。

2. 「言は、自分の民のところに来た」11節

 その最初にあった言(ロゴス)はじっと動かないのではありません。「自分の民のところに来た」。物体が何かの拍子で動いたというのではありません。みずから意志を持って、決意して、自分の民のところに来た。本来、人間はこの言、この存在、この方が生きて働かれたからこそ、存在しているのです。しかし「民は受け入れなかった」。

3. しかしこの世界の拒絶、人間の拒絶に言(ロゴス)はひるまない。積極的に働きます。だれも何者も、けっして与えることのできないものを人に与えたのです。

「しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた」。12節

 人を神の子とする。言は人をとらえて神の子とする。呼びかけられて、愛を注がれて、人は自分からもその方を呼び、自分からもその方を愛する。高ぶることからも救われ、自分を卑下することからも解放されて、人々は自分が神の子であることを喜ぶ。神との間に幸せな交流が起こり、清められた命が充満する。自分が神の愛してくださっている子どもであることを知り、経験することは何という幸福でしょうか。言は、人々を神の子とするのです。これが第3です。

4. 「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」14節

 言はただわたしたちに接近しただけではなく、わたしたちに呼びかけるだけではなく、「肉となった」。神である方が人間となったのです。そして遠い別のところではなく、わたしたちの間に宿られた。わたしたちと一緒にいようとされるのです。これが第4、第5です。

 「肉」は生命活動を行うわたしたち人間のからだ、肉体です。あるときは元気に力を発揮するけれど、あるときは深く傷つく。破れ、弱り、やがて息を引き取って朽ちていく。この悲しい人としての実体、ありよう、現実を、言はみずからのものとして引き受けた。

 わたしたちと一緒にいようとしてみずから人間となり、肉となった方は、その生涯をベツレヘムの飼い葉桶の中に始められました。

「言」は、第1に「初めにあった」、第2に「ご自分の民のところに来た」、第3に「信じる者を神の子とした」、第4に「肉となった」、第5に「わたしたちの間に宿った」。
 これがヨハネ福音書冒頭に記された神の言の働きです。

 ずっとそう書いてあるから「言」と言ってきたのですが、この「言」とはキリストのことです。キリストは最初からおられて、わたしたちは元々このキリストに属するものなのです。けれども人間が背き、逆らって神から遠ざかっていったので、この方はわたしたちを迎えに来られました。
そして拒絶にあいつつも人々を呼び、招き続け、自分を受け入れた人々を神の子としていかれます。
そして究極的なことが起こりました。

「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」1:14

 肉となった言、人となられた神。これがイエス・キリストです。

 神の言は人となり、肉となったから、人の痛みを自分も痛み、人が病んでいるから自らも病み、人が苦しんで関係が破れ心も破れるからこの方の心も破れ、汗と涙と血を流して歩んで行かれます。
自ら痛んでわたしたちをやらわげようとし、自ら病んでわたしたちを癒そうとし、みずから破れて人の破れを結び合わせようとされる。

 反抗する者たちの怒り、憎しみ、反抗をご自身に引き受けて、この方は十字架への道を歩まれます。

 この方の誕生、この方の存在を曇りない目で見た人は思わず声を上げました。

「わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」ヨハネ1:14

 イエス・キリストの中に神の恵みと真理が充満しています。充満はそれを見る者、それに触れる者に恵みと真理をもたらします。充満がわたしたちに押し寄せて来ます。充満は広がっていきます。神の恵みと真理の充満の中で、癒しと救いと新生が起こります。

 この年の最後の主日に、神の言の受肉──神の恵みと真理の充満の出来事を聞きました。新しい年に、そのことをより深く知り、経験することができますように。

(2010/12/26 京都聖三一教会)

その出来事を見ようではないか

(2010年のクリスマスの第3のメッセージです。)

ルカ2:8‐20

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」2:11

 救い主の誕生の知らせを最初に聞いたのは、ベツレヘム近くの野原の羊飼いでした。
 ところで羊飼いというのはどういう人たちだったのでしょうか。

 第1に、羊を守り育てるために苦労する人たちです。苦労があり、危険があり、命をかけてする仕事です。雨、風にさらされ、日照りに遭い、羊のけがや病気の面倒も見ながら、草と水を求めて移動します。一つ間違えば、羊の群ればかりか自分たちの命も危険にさらされます。

 第2に、町の裕福な人々からは軽んじられていた、軽蔑されていた人たちです。羊飼いたちは裕福な人たちからは、「貧しい」「荒っぽい」「きたない」「くさい」と言われて見下げられていました。

 しかし第3に、羊飼いは祈っていた人たちです。

「主はわたしの羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」
(「主はわが牧者なり われ乏(とも)しきことあらじ」)詩編23:1


 これは羊飼いたちの苦労の中から生まれてきた祈りに違いありません。

「主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い/魂を生き返らせてくださる。」23:2
「死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。/あなたがわたしと共にいてくださる。」23:4


 預言書にも羊飼いの祈りと思えるものがあります。

「あなたの杖をもって/御自分の民を牧してください/あなたの嗣業である羊の群れを。彼らが豊かな牧場の森に/ただひとり守られて住み/遠い昔のように、バシャンとギレアドで/草をはむことができるように。」ミカ7:14

 これらは羊を守っていた羊飼いであればこそ献げることのできた祈りではないでしょうか。漫然と過していたのではない。羊飼いたちは切に祈り求めつつ生きていた人々です。

 ベツレヘムの野原で、ある夜、特別な出来事が起こります。

「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。
『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
『いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。』」ルカ2:8‐14


 天使たちが天に去ったとき、羊飼いたちは互いに言います。

「さあ、ベツレヘムへ行こう。主がわたしたちに知らせてくださったその出来事を見ようではないか。」2:15

 新共同訳聖書には「わたしたちに」がありませんが、原文にははっきり「主がわたしたちに知らせてくださった」と書いてあります。

 「主がわたしたちに」

 この、苦労してきた人たち、軽んじられてきた人たち、しかし祈っていたこの人たちに、主がその出来事を知らせてくださったのです。

 羊飼いたちはベツレヘムを目指して行きます。そして飼い葉桶の中にその乳飲み子を発見します。天使が知らせてくれたとおりでした。

 飼い葉桶に眠る幼子は、神が人となって来られた方。

 実はこの方が、羊飼いたちを待っておられたのです。

 わたしたちも今、ベツレヘムの野原にいます。

 わたしたちも天使の知らせを聞きました。

「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。」

 遠い昔の物語にしておかず、わたしたちもベツレヘムに行きましょう。

 チャンセル(聖所)の奥、聖餐のレールは恵みの座。わたしたちのための飼い葉桶です。そこでわたしたちも救い主にお会いし、尊いいのちをいただくのです。

 羊飼いたちを待っておられた主は、そこでわたしたちを待っておられます。

(2010/12/25 京都聖三一教会)

ベツレヘムへの旅

(2010年のクリスマスの第2のメッセージです。)

ルカ2:1‐7

「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。」ルカ2:4

 イエスさま誕生の直前のことを、ルカ福音書は短くこのように伝えています。けれどもこの1行余りの事柄の中に、実はとても大きな困難と切なる祈りがあったのではないでしょうか。
 
 ガリラヤの町ナザレからユダヤのベツレヘムはほぼ真南の方角。直線距離にして約110kmと言われます。京都からすると南の方、奈良、天理、橿原を過ぎて五條、下市、吉野あたりの見当です。

 けれども直線距離を旅したわけではありません。そのころ、北のガリラヤと南のユダヤを往復するのに、多くの人々はその中間にあるサマリアを避けて東へと迂回することが多かったそうです。「ユダヤ人はサマリア人とは交際しない」と聖書のある箇所に書かれているとおりです(ヨハネ4:9)。

 マリアとヨセフが暮らしていたのはガリラヤのナザレ。ここは海抜約400メートルで高原のようなところです。ローマ皇帝の横暴な命令によって、もう臨月になろうとする身重のマリアとヨセフは、ユダヤのベツレヘムに行かなくてはなりません。

 サマリアを通らず、東へと迂回する道をたどったとすると、まずガリラヤの湖のほとりに出ます。ここが海面下200m。東へと旅しただけではなく高低差600mも道を下ったのです。それからヨルダン川にそってまっすぐ南へと下っていきます。また50mくらい下ることになります。エリコという町を経由して今度は西南へと山道を上っていきます。ベツレヘムはエルサレムのさらに南。海面下250mのヨルダン川付近から海抜800mくらいの山の町ベツレヘムまで、1000m以上の高低差。

 どんなに大変だったことでしょうか。オオカミに遭うかもしれない。強盗に遭うかもしれない。十分な装備もなく護衛のチームがあるわけでもなく、貧しい二人にはお金も十分にあったとは思えません。途中でどんな危ういことになるかもしれません。

 けれども二人には、別のものがありました。
 神の約束です。

「あなたは身ごもって男の子を産む。生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」ルカ1:31、35
 この約束に命がけで頼っています。


 二人には決意と祈りがありました。

「お言葉どおり、この身に成りますように。」ルカ1:38

 神の救いがやがて生まれようとするこの子をとおして実現する。絶対に実現する。そのために二人は自分を献げる決意です。

「主よ、お守りください。わたしたちを守り導いてくださるのはただ神さまおひとりです。どんなことがあっても、主が約束されたことが実現します。わたしをとおして、わたしたちをとおして。」
 
 マリアとヨセフの決意と祈りは空しくはならず、神の約束が実現しました。

「ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」ルカ2:6‐7

 神の命がこうしてわたしたちの間に現れ出ました。

 マリアがヨセフとともに歩んだ厳しい旅。非常な労苦と献げた祈り。この厳しい道のりをとおして、神の子はわたしたちのところにおいでになりました。

 人々の祈りと労苦に守られてお生まれになった救い主イエスさまは、わたしたちの祈りと労苦の中においでになり、生きて働いてくださいます。

(2010/12/24 京都聖三一教会)

インマヌエル──東の国の博士から

(2010年のクリスマスの第1のメッセージです。)

マタイ1:23、2:1‐11

「『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」1:23マタイ

 ヨセフの夢の中で、主の天使はこのように告げました。

 もし人がわたしたちに質問して「キリスト教とはどういう信仰か」「聖書は一言で言うと何が書いてあるのか」と尋ねたら、このように答えればいいと思います。

「インマヌエル、『神はわたしたちと共におられる』ということが書いてあるのです。」

 そのインマヌエルということを思い浮かべるために、先週2回子どもたちにした東の国の博士のお話をします。
  (2010/12/17 聖三一幼稚園  2010/12/18 信愛保育園)

 イエスさまがお生まれになったころ、遠い東の国に星のことを研究している3人の博士たちがいました。
 博士たちは毎日毎日夜の空を見ていたのですが、ある夜、これまでに見たことのない不思議な星が西の空に輝きました。次の夜、博士が西の空を見ると、やっぱりその星が輝いています。不思議に赤く輝いています。その次の夜も、やっぱりその星は光っていて、何かお話ししているようです。

 これは何かがあるに違いない。博士たちはいろいろ本を調べてみました。するととても大切なことがわかりました。あの星は、世界中の人を幸せにしてくださるほんとうの王さまがお生まれになったことを教えていてくれるのだ。

 その頃の王さまはたいてい皆、いばっていて、人をいじめたり困らせたりしていました。けれども新しくお生まれになった王さまはそうではなく、皆を守ってくれるほんとうの王さまです。

 次の夜、また星を見ました。するとその星は「行きましょう」「行きましょう」「きっと会える」「きっと会える」「お生まれになったその王さまにきっと会える」とお話ししているようでした。

 その方を見たい、会いたい、拝みたい。3人の博士たちは決心しました。新しくお生まれになったその王さまを拝みに行こう。プレゼントに大事な宝物を用意して、ラクダに乗って出かけました。遠い遠い道を何日も何十日も砂漠を旅して出かけました。星を目指して進みました。

 道が分からなくなったとき、星が教えてくれました。

 そうして星に導かれて、ベツレヘムの馬小屋の飼い葉桶の中に、赤ちゃんを見つけました。イエスさまです。
 赤ちゃんから不思議な光がさしています。とてやわらかな、明るい光。博士さんたちはとてもしあわせな気持ちになりました。

 博士たちは三つの宝物を持って来ました。黄金、乳香、没薬です。

 黄金は王さまのしるし。「イエスさま、大きくなったらあなたがほんとうの王さまになってわたしたちを守ってください」

 乳香はお祈りのしるし。「イエスさま、どうかわたしたちのお祈りを聞いてください」

 没薬はお薬です。「イエスさま、おなかが痛いとき、頭が痛いとき、これを使って元気になってください。そしてイエスさまが、病気の人、弱った人を元気にしてあげてください。」

 イエスさまにお会いできて、博士たちはとても幸せで胸がいっぱいになりました。そうして、喜びながら東の国に帰って行きました。

 大きな星が導いてくれてよかった。これからはイエスさまが星になって導いてくださいます。

 だいたいこんなお話を子どもたちにしたのですが、この東の国の博士たちは、「インマヌエル」(神はわたしたちと共におられる)ということをはっきり経験しました。

 イエスさまに直接会う前、星を見た。星の呼びかけを聞き、心を動かされた。旅立たずにはいられなかった。これはすでに神が共におられて、彼らを招いておられた、彼らを引き寄せられた、ということです。

 博士たちはイエスさまにお会いした。喜びに溢れてイエスさまを拝んだ。どんなにうれしかったことでしょう。これは直接のインマヌエルです。神の子イエスを見て拝んだことの中で、博士たちはインマヌエルの事実に満たされています。

 博士たちは東の国に帰って行きます。けれども彼らの心の中に、イエスは留まり続ける。イエスさまにお会いした彼らはもうそのことから離れません。

 イエスさまに直接会う前、直接お会いしたとき、お会いした後。三重のインマヌエルの経験です。

 わたしたちをイエスは招かれた。聖書と祈りの中で神はわたしたちに出会われる。わたしたちは洗礼と聖餐においてイエスさまと直接お会いする。洗礼、聖餐を受けた後、イエスはわたしたちの中に留まり続けてくださいます。
そのインマヌエルの事実を、このクリスマスに新しく知ることができますように。

(2010/12/19 京都聖三一教会)

♪ バッハ「わたしはあなたの名を呼ぶ」

あるコンサートでバッハ原曲のこの曲をピアノで聞く機会がありました。

(バッハのコラール前奏曲 BWV 639、ケンプによる編曲)

バッハがヨハン・アグリコラ(1494〜1566)の詩にもとづいて作曲したものだそうです。

アグリコラの詩に関心が起こったので訳してみました。


わたしはあなたに呼びかけます、主イエス・キリストよ
わたしの嘆きを聞き入れてください。
この時にわたしに恵みを与えてください。
わたしをくじけさせないでください。

正しい信仰を、主よ、わたしは思います。
それをあなたはわたしに与えようと望んでおられます。
あなたのために生き、
わたしの隣に益となり、
あなたのみ言葉をまっすぐに保つために。


詩は1530頃と言われるので、まさに宗教改革の時代です。
コラールのひとつとして会衆が一緒に歌ったことが想像されます。

Ich ruf zu dir, Herr Jesu Christ,
ich bitt, erhor mein Klagen;
Verleih mir Gnad zu dieser Frist,
las mich doch nicht verzagen;
den rechten Glauben, Herr, ich mein,
den wollest du mir geben,
dir zu leben,
dem Nachsten nutz zu sein,
dein Wort zu halten eben.

この原詩引用は不正確なので、次のサイトをご覧ください。

http://glaubensstimme.info/doku.php?id=autoren:agricola:ich_ruf_zu_dir

日ごとの聖句453 新しい歌を 2011/1/2〜8

2011年1月2日(日)降誕後第2主日         詩編33:3‐34
新しい歌を主に向かってうたい、美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ。主の御言葉は正しく、御業はすべて真実。

1月3日(月)                   詩編96:1‐2
新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え。主に向かって歌い、御名をたたえよ。

1月4日(火)                    詩編98:1
新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。右の御手、聖なる御腕によって、主は救いの御業を果たされた。

1月5日(水)                    詩編144:9
神よ、あなたに向かって新しい歌をうたい、十弦の琴をもってほめ歌をうたいます。

1月6日(木)顕現日                 詩編149:1
ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。主の慈しみに生きる人の集いで賛美の歌をうたえ。

1月7日(金)                   イザヤ42:9
見よ、初めのことは成就した。新しいことをわたしは告げよう。それが芽生えてくる前に、わたしはあなたたちにそれを聞かせよう。

1月8日(土)                 イザヤ42:10、16
新しい歌を主に向かって歌え。地の果てから主の栄誉を歌え。「わたしは行く手の闇を光に変え、曲がった道をまっすぐにする。」

2010 「ライアーで奏でるクリスマス」 当日プログラムと動画

12月11日(土)午後に京都聖三一教会でライアーアンサンブル・プリモールによるコンサートが行われました。


ここに当日プログラム(冊子内容)を掲載します。


当日の演奏から

バッハ「シンフォニアとフーガ」


「ノエルノエル」



日ごとの聖句452 イエスの名 2010/12/26〜2011/1/1

2010年12月26日(日)降誕後第1主日        マタイ1:21
天使は言った。「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」

12月27日(月)最初の殉教者聖ステパノ日    使徒言行録3:16
あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。

12月28日(火)福音記者使徒聖ヨハネ日       ヨハネ2:23
イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。

12月29日(水)聖なる幼子の日           ヨハネ20:31
これらのことが書かれたのは、あなたがたが信じて、イエスの名により命を受けるためである。

12月30日(木)                使徒言行録4:30
「どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」

12月31日(金)                使徒言行録21:13
パウロは言った。「主イエスの名のためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです。」

2011年1月1日(土)主イエス命名の日         ルカ2:21
八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

東の国の博士

 イエスさまがお生まれになったころ、遠い東の国に星のことを研究している3人の博士たちがいました。

 博士たちは毎日毎日夜の空を見ていたのですが、ある夜、これまでに見たことのない不思議な星が西の空に輝きました。次の夜、博士が西の空を見ると、やっぱりその星が輝いています。不思議に赤く輝いています。その次の夜も、やっぱりその星は光っていて、何かお話ししているようです。

 これは何かがあるに違いない。博士たちはいろいろ本を調べてみました。するととても大切なことがわかりました。あの星は、世界中の人を幸せにしてくださるほんとうの王さまがお生まれになったことを教えていてくれるのだ。
 その頃の王さまはたいてい皆、いばっていて、人をいじめたり困らせたりしていました。けれども新しくお生まれになった王さまはそうではなく、皆を守ってくれるほんとうの王さまです。

 次の夜、また星を見ました。するとその星は「行きましょう」「行きましょう」「きっと会える」「きっと会える」「お生まれになったその王さまにきっと会える」とお話ししているようでした。

 その方を見たい、会いたい、拝みたい。3人の博士たちは決心しました。新しくお生まれになったその王さまを拝みに行こう。プレゼントに大事な宝物を用意して、ラクダに乗って出かけました。遠い遠い道を何日も何十日も砂漠を旅して出かけました。星を目指して進みました。

 道が分からなくなったとき、星が教えてくれました。

 そうして星に導かれて、ベツレヘムの馬小屋の飼い葉桶の中に、赤ちゃんを見つけました。イエスさまです。
 赤ちゃんから不思議な光がさしています。とてやわらかな、明るい光。博士さんたちはとてもしあわせな気持ちになりました。

 博士たちは三つの宝物を持って来ました。黄金、乳香、没薬です。

 黄金は王さまのしるし。「イエスさま、大きくなったらあなたがほんとうの王さまになってわたしたちを守ってください」

 乳香はお祈りのしるし。「イエスさま、どうかわたしたちのお祈りを聞いてください」

 没薬はお薬です。「イエスさま、おなかが痛いとき、頭が痛いとき、これを使って元気になってください。そしてイエスさまが、病気の人、弱った人を元気にしてあげてください。」

 イエスさまにお会いできて、博士たちはとても幸せで胸がいっぱいになりました。そうして、喜びながら東の国に帰って行きました。

 大きな星が導いてくれてよかった。これからはイエスさまが星になって導いてくださいます。

(2010/12/17 聖三一幼稚園、2010/12/18 信愛保育園でのおはなしを元にしたものです。)

日ごとの聖句451  ベツレヘムの野原 2010/12/19〜25

2010年12月19日(日)降臨節第4主日          ルカ2:8
その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。

12月20日(月)                    ルカ2:9
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。

12月21日(火)使徒聖トマス日            ルカ2:10
天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」

12月22日(水)                   ルカ2:11
「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」

12月23日(木)                   ルカ2:12
「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

12月24日(金)                 ルカ2:13‐14
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

12月25日(土)降誕日                ルカ2:15
羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。

「あなたがたは、何を見に出てきたのか」

マタイ11:2‐11

 ここは荒れ野、ヨルダン川のほとりです。ヨルダンの河原には丈の高い葦が生えていて、風に揺れて音を立てています。

 たくさんの人々が集まって来ています。イエスさまの話を聞きたいからです。いつもの光景です。

 けれども今日は、特別に人々を興奮させていることがあります。それは洗礼者ヨハネの弟子たちがイエスのところにやって来たことです。イエスは、このヨルダン川でそのヨハネから洗礼を受けたのです。そんなに遠い昔ではありません。1年になるかならないか。人々の関心の的は洗礼者ヨハネでした。

 しかしそのヨハネは今は捕らえられて、獄中にあります。ここから東南の方向に10キロくらいでしょうか。死海の東、マケルスの砦。砦と言っても簡素なものではありません。ヘロデ大王の建てた要塞兼用の宮殿です。日本の大名の築いた城と似ています。標高1000メートルを越す山の上。その獄中のヨハネのところからヨハネの弟子たちがやってきました。ヨハネのイエスに対する質問を持って来たのです。

「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」

 洗礼者ヨハネは、自分の死が近いかもしれないことを感じています。彼の生涯の使命は、来るべき神の裁きを告げて人々をまっすぐに神に向かわせること、救い主の到来を指し示すことでした。ヨハネは自分が洗礼を授けたイエスこそがその方であると信じて、人々の関心が自分ではなくイエスに向かうようにと心を砕いてきました。自分は衰えてやがて生涯の終わりの日が来たとしてもかまわないのです。救い主イエスが生きていてくださるのだから。

 ところがヨハネの中に、イエスへの信頼が揺らぐ材料があります。自分が信じて伝えてきた審判者かつ救い主のイメージとイエスの言動との間にはどうもずれがあると感じるのです。

 ヨハネはこの堕落した世界を神の火でもって焼き尽くすほどの厳しい審判者を予想していたのに、イエスは優しすぎる。非常に厳しいところがある一方で、イエスはあまりに愛の人でありすぎる。すでにヨハネは獄中にあってイエスの言動を直接確かめることができません。いつ自分の人生が終わるかわからないヨハネはゆっくり待ってはいられません。どうしても心にひっかかる疑問を直接イエスにぶつけようとして、今日弟子たちを送ってよこしたのです。

「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」

 ヨハネの弟子たちが持って来た問いに対するイエスの答は、「あなたがた(ヨハネの弟子たち)が実際に見聞きしていることをそのままヨハネに伝えなさい」というものでした。

 目の見えない人が見えるようになり、足の不自由な人が歩けるようにり、貧しい人々が喜ばしい神の言葉を聞いている。自分の持ってきた固定観念に縛られずに、現に人々の間で起こっている事実を見て判断してほしい。

 イエスは、数百年前の預言者イザヤの言葉を引用しながら語られたのでした。ちょうど今日の旧約聖書の箇所です。

「『神は来て、あなたたちを救われる。』
そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。
そのとき、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。」イザヤ35:4‐6


 神が来ておられるから、このことが今起こっている。

「わたしにつまずかない人は幸いである。」

 心配しなくてよい。疑わなくてよい。ヨハネの熱望と使命はわたしが引き受けている。

 ヨルダン川のほとり、イエスのもとに集まった群衆は、目の前で交わされるヨハネの弟子たちとイエスのやり取りを聞いていました。けれどもヨハネの弟子たちが帰って行くと、イエスは集まって来ている群衆に、ヨハネのことを意識しつつ問われました。

「あなたがたは、何を見にこの荒れ野に出てきたのか。風にそよぐ葦か。」

 いま群衆のそばで葦が風に揺れています。風に揺れてなびく葦。これは、世の中の風、時流になびく人を連想させます。ヨハネはけっしてそうではなかった。あなたがたは、権力になびかずに捕らえられたヨハネをこそ尊いと思っている。
 風になびく葦を見に出かけてきたのではないとすれば、では何を見に出かけてきたのか。

「しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。」

 しなやかな服とは、言い換えると柔らかな服です。庶民が着ることのできない高価な柔らかい服を着た人はここにはいない。それはヨハネを捕らえたマケルスの砦、要塞兼宮殿にいる。

「では何を見に出てきたのか。預言者か。そうだあなたがたに言う。預言者以上の者である。」

 預言者。神の声を聞かせてくれる人です。あなたがたが求めてきたのはこれだ。立派に着飾った偉い人たち、地位や権力を持った人たちではなく、神の言葉を語ってくれる人をこそあなたがたは求めてきたのではないか。時流になびかず、断乎として権力者の罪を責めたあのヨハネこそがあなたがたの心を捕らえたのだ。預言者にして預言者以上の者。ヨハネをとおしてあなたがたは神の声を聞いたのだ。

 イエスはわたしたちにも尋ねられます。

「あなたがたは、何を見にここに出てきたのか。風にそよぐ葦か。しなやかな服を着た人か」

 わたしたちは何のために今日この礼拝堂に来たのでしょうか。風にそよぐ葦を見るためか。しなやかな服を着た人を見るためか。そうではありません。わたしたちが求めているのは、世の中の時流に流されない本当の生き方、命の源です。わたしたちが必要としているのは神の言葉です。神さまに近づきたくて、イエスさまに触れたくてわたしたちは今日ここに集まったのです。

 イエスは、わたしたちが心に持っているけれども必ずしも自分ではっきりさせていないほんとうの求め、わたしたちの魂の渇望を自覚させられます。

 洗礼者ヨハネは人としてこの上なく偉大であった。けれども今は洗礼者ヨハネを超えて進むべき時です。ヨハネが指し示したとおりに進む時です。洗礼者ヨハネ自身が渇望した救い主をイエス・キリストのうちに見出したい。ヨハネとともにほんとうの救い主と出会いたい。

 救い主は、わたしたちと出会うために来られました。わたしたちを見出そうとして来られました。救い主はわたしたちに関心を注いでおられます。わたしたちを守り導こうと心を砕いておられますわわたしたちのほうはどうでしょうか。

 今日、ヨルダン川のほとりで、葦を揺らす風の中におられたイエス・キリストをわたしたちは心にとめました。そこから足を南の方角に向けて、ベツレヘムの野原に行きたい。そこで天使のお告げを聞いて、羊飼いたちとともに飼い葉桶のイエスさまを見出したいと願います。

(2010/12/12 京都聖三一教会)

日ごとの聖句450 光 2010/12/12〜18

2010年12月12日(日)降臨節第3主日        創世記1:3‐4
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。

12月13日(月)                   イザヤ9:1
闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。

12月14日(火)                  イザヤ60:1
起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。

12月15日(水)                  イザヤ60:19
主があなたのとこしえの光となり、あなたの神があなたの輝きとなられる。

12月16日(木)                   ヨブ33:28
「神はわたしの魂を滅亡から救い出された。わたしは命を得て光を仰ぐ」。

12月17日(金)                  ヨハネ1:1、4
初めに言(ことば)があった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。

12月18日(土)                   ヨハネ1:9
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

京都聖三一教会 2010 クリスマスのご案内

たえなる み歌の
聞こえし その夜
貧しきユダヤの
まきびとらは
まぶねに 臥(ふ)したる
主に まみえぬ
   (聖歌 93)

遠い空のかなたから不思議な美しい歌声が響いてきました。やがてその歌声は近づき、羊飼いたちははっきりと天使のお告げを聞きました。

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」ルカ2:11

ベツレヘムの羊飼いたちが飼い葉桶に見出した救い主を、わたしたちも見出し、共に喜ぶことができますように。
イエス・キリストの降誕を感謝し祝うことから、世界の平和を実現する祈りが広がっていきますように。

どなたでもおいでください。

2010年 降臨節

               日本聖公会 京都聖三一教会
                 牧師 司祭 ヨハネ 井田 泉

                   京都市中京区聚楽廻中町45
                   TEL 075-841-3281
                   http://www.nskk.org/kyoto/trinity/
                   izaya@da2.so-net.ne.jp

☆12月24日(金)
 午後6時30分 クリスマス・イブ礼拝
(キャンドルサービス)
 合唱団京都エコーが参加してくださいます。

 午後10時   クリスマス深夜ミサ
    ライアー(竪琴)による奏楽

☆12月25日(土)
 午前10時30分 降誕日聖餐式(総員礼拝)
 礼拝後、クリスマス祝会
☆12月26日(日)午前10時30分
 午前10時30分 降誕後第1主日聖餐式

☆2011年1月1日(土)午前10時30分
 主イエス命名の日(元旦)聖餐式

光の武具を身につけよう

ローマ13:11‐14

 今日は降臨節第1主日、クリスマスへの備えをする最初の日曜日です。今日ご一緒に耳を傾けたいのは本日の使徒書、ローマの信徒への手紙13章の言葉です。

「更に、あなたがたは今がどんな時であるかを知っています。あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。
夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。」ローマ13:11‐12


 もし将来がはっきりしないなら別のあり方が可能かもしれません。目標がないなら、わたしたちはどう生きようが生きまいがどうでもいいかもしれません。けれどもわたしたちには将来がある。わたしたちには目標がある。やがてお会いする大切な方がある。だからわたしたちは今を大切にして、お会いするその日に備えるのです。だれとお会いするのか、イエス・キリストです。クリスマスにひとたび来られたイエスさまは、やがてふたたびわたしたちを迎えに来られます。

「夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。」

 わたしたちには光があるのです。光を浴び、光を身にまとう。その光は、わたしたちを守るもの、攻撃から身を守ってくれるものです。攻撃が多いからあなたは危うい。だから光を浴びて、光をまとって、それを身を守る武具としなさい。
 この手紙を書いたのはパウロです。宛先はまだ見ぬローマの信徒たち。パウロはこの世の攻撃がいかに恐ろしいものであるかを知っていました。だからあなたがたは必ず光の武具を身に着けるようと言ったのです。この手紙を書いたパウロは数年後、そのローマで投獄されました。そして数年のうちにローマで処刑されたといわれます。

 しかしパウロは光を浴びていました。光を身にまとっていました。それで彼の体はローマの牢獄で滅びたとしても、彼の言葉はこの世に向かって光を放ち続けました。そのゆえにキリスト教は命をもって世界に広がり、今日に至ったのです。その光とはイエス・キリストご自身です。

 パウロの武具となり、またわたしたちの武具となる光。その「武具」と訳された言葉は新約聖書のギリシア語では?πλον「ホプロン」という言葉です。これは身を守る「武具」という意味と同時に、相手を攻撃する「武器」という意味を持っています。パウロはこの世に身をさらして攻撃を受けつつ、光の武具で身を守られた。そればかりではなくパウロは、福音を抹殺しようとするこの世の力に対して光をもって打って出た。闇を破る光を発していたのです。

 ところでパウロが伝道旅行をとおして教会を起こした町の一つはエフェソです。今のトルコの西海岸。エーゲ海に面する港町です。その北にやはりエーゲ海に面する港町、スミルナという町がありました。現在のイズミル。当時も現在も大都会です。現在の人口は260〜270万人といいますから、大阪と似ています。スミルナは海を西に控えた大都市、政治・経済と文化の一大中心地という面でも大阪と共通したところがあるように感じます。

 ここスミルナにも早くから教会が形成されました。直接パウロが伝道した町ではありませんが、おそらくパウロの息吹がかかっていたでしょう。それとともにスミルナの教会には、ヨハネの息吹もかかっていたと思われます。というのは、2世紀前半、スミルナの主教であったポリュカルポス(祈祷書ではポリカープ。2月23日が記念日)は、福音記者・使徒ヨハネの弟子だったと伝えられるからです。

 年代からすると使徒ヨハネの直弟子というのはむつかしいかもしれませんが、ポリュカルポスがヨハネの黙示録の著者、長老ヨハネの弟子であったということは十分考えられます。大阪とスミルナとは共通点がありますので、ここ大阪聖ヨハネ教会で特にこのことを意識してみたいと思います。
 
 ヨハネの黙示録第2章の中で、キリストがスミルナの教会の天使にこう書き送るようにと命じておられます。それぞれの教会には天使がいて、天使がその言葉を責任をもって受け取るのです。長老ヨハネはそれを聞いています。大阪聖ヨハネ教会にも関係のあることが含まれているかもしれません。


「スミルナにある教会の天使にこう書き送れ。『最初の者にして、最後の者である方、一度死んだが、また生きた方が、次のように言われる。「わたしは、あなたの苦難や貧しさを知っている。だが、本当はあなたは豊かなのだ。自分はユダヤ人であると言う者どもが、あなたを非難していることを、わたしは知っている。実は、彼らはユダヤ人ではなく、サタンの集いに属している者どもである。あなたは、受けようとしている苦難を決して恐れてはいけない。見よ、悪魔が試みるために、あなたがたの何人かを牢に投げ込もうとしている。あなたがたは、十日の間苦しめられるであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。」ヨハネの黙示録2:8‐10

 スミルナの教会の人々はこの言葉を聞いたでしょう。

 この手紙が書かれてからおよそ60年後、このとおりのことがスミルナに起こりました。ローマ帝国の迫害のもと、スミルナの主教ポリュカルポスが捕らえられて殉教したのです。その経緯を目撃した、おそらくスミルナのある無名の信徒が『ポリュカルポスの殉教』を書き残しました。

 紀元155年、スミルナのクリスチャンは「神々を拝まない」として迫害を受けました。目に見えない神を礼拝するクリスチャンは形ある神々を拝まないからです。スミルナ教会の指導者、ポリュカルポス主教は86歳になっていました。信徒たちは彼をかくまい、主教は幾度か隠れ家を移しました。けれどもポリュカルポスはやがて、逮捕されることが神の意志であると確信するに至り、それ以上の逃亡を拒んで官憲が来るのを待ちました。

 やがてある日の夜、武器を持った(『ポリュカルポスの殉教』にはあの光の「武具」と同じ「ホプロン」という言葉が使われています)官憲の一隊がやってきて彼を捕らえました。ポリュカルポスはスミルナの競技場に引き立てられ、ローマ皇帝の代理人たる総督から裁判を受けました。

 総督は、彼を説得しました。
「あなたは高齢だから無理をせず、ローマ皇帝を拝んで命を全うすべきではないか」。
 彼はこれを拒否しました。
群衆は次第に興奮し「無神論者を殺せ!」と絶叫します。さら総督は説得を試みて言いました。
「もしローマ皇帝の名によって誓い、キリストを呪うなら釈放しよう。」

 ポリュカルポスは答えて言いました。
「わたしは86年間あの方に仕えてきましたが、あの方から不当な扱いを受けたことはありません。それなのに、わたしを救ってくださった、わたしの王であるあの方を、どうして冒?することができるでしょうか。」
 棄教しなければ生きたまま火あぶりにすると総督は脅迫しました。

「あなたつける火はしばらくの間燃えるだけですが、永遠の火は消えることがありません。総督閣下、あなたは永遠の裁きの火をご存じない。」

 彼は薪の中の棒に縛られ、天を仰いで祈りました。
「全能の神である主よ、今日この時に、わたしも殉教者の数に加わることをお許しくださり、あなたのキリストの杯にあずかることをお許しくださったがゆえに、あなたを賛美いたします。」

 火が付けられました。しかしなぜか火はポリュカルポスの体は焼き尽くせなかった。それで死刑執行人は剣で彼を突き刺しました。おびただしい血が流れて、その血は火を消してしまったので、群衆は非常に驚いた。──これが『ポリュカルポスの殉教』に記された彼の最期です。

 ヨハネの黙示録の中で、キリストはスミルナの教会の天使にこう言われました。
「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう。」

 ここに、42年前、わたしが堅信式に際していただいた「生命の履歴」があります。その表紙にはこう書いてあります。
「なんじ死に至るまで忠実なれ さらば我なんじに生命の冠を与えん」黙二2の10
 皆さまが持っておられる「生命の履歴」はどうでしょうか。

 パウロとともにポリュカルポスは光を浴びていました。光の武具を身に着けていました。その死のとき、光であるキリストご自身が彼の武具となり武器となって生きて働いておられました。

 彼を滅ぼそうとする火が彼を包んだとき、彼を生かそうとするイエス・キリストの愛の火が彼を包んでいました。彼が突き刺さされて血を流したとき、彼を愛しておられるキリストの血がともに流れ出ました。

 パウロの殉教があって、ポリュカルポスの殉教があって、イエス・キリストの光はわたしたちに届きました。わたしたちに与えられているのはこの光です。

 わたしたちはこの尊い光を浴びています。光を身にまとい、光の武具を身に着けましょう。そうしてクリスマスを迎え、やがて再び来られるイエス・キリストを迎えましょう。

 祈りましょう。
 主なる神さま、あなたはイエス・キリストの尊い光をわたしたちに与えてくださいました。その光を身にまとわせてください。あらゆる危険や困難からわたしたちを守ってください。わたしたちをまっすぐにして、クリスマスの向こうから再びおいでになる主に向かって歩ませてください。尊い主の御名を賛美いたします。アーメン

(2010/11/28 大阪聖ヨハネ教会)

日ごとの聖句449 近づき 2010/12/5〜11

2010年12月5日(日)降臨節第2主日         ローマ13:11
あなたがたが眠りから覚めるべき時が既に来ています。今や、わたしたちが信仰に入ったころよりも、救いは近づいているからです。

12月6日(月)           ローマの信徒への手紙13:12
夜は更け、日は近づいた。だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。

12月7日(火)                    ルカ1:76
「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整えるからである。」

12月8日(水)                  ルカ1:76‐77
「幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主の道を整え、主の民に罪の赦しによる救いを知らせるからである。」

12月9日(木)                  ヘブライ4:16
だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか。

12月10日(金)                 ヘブライ7:25
この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。

12月11日(土)              ヨハネの黙示録22:20
以上すべてを証しする方が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。
最近の記事
Archives
最近の関心

 『日韓キリスト教関係史資料』第3巻の編集
 リコーダーの世界
 音と響き
井田 泉
奈良基督教会牧師
親愛幼稚園園長
富坂キリスト教センター・日韓キリスト教関係史研究会主事
聖公会平和ネットワーク共同代表

Mail
izaya*da2.so-net.ne.jp
(*を@に変更してください)

カウンター
最新刊
『これが道だ、これに歩め
──イザヤ書による説教』
かんよう出版
213頁 1500円+税

ここをクリックして
  ←左本文をご覧ください
ブログ内検索

WWW を検索 http://blog.livedoor.jp/izaya/ を検索