Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2011年02月

『音楽家の自叙伝──クヴァンツ/ベンダ/E.バッハ/ツェルニー』

『音楽家の自叙伝──クヴァンツ/ベンダ/E.バッハ/ツェルニー』
東川清一 春秋社、2003

カール・ツェルニー(ピアノの練習曲で有名な)がこんなことを書いています。

ベートーヴェンを熱烈に愛する老ヴァイオリニストでクルムフォルツという人がいた。
クルムフォルツはほとんど一日中ベートーヴェンの家で過すという執拗さと献身ぶりで、ベートーヴェンは音楽の構想、アイデアを彼に教え、新作を彼の前で弾いて聞かせた。

クルムフォルツはどんなに厳しい反対に対してもひるまず、数多くいた敵対者たちに対してベートーヴェンの作品を擁護した。その忠誠ぶりにベートーヴェンも大きく心を動かされていた。
──
ベートーヴェンの友人の音楽家、シュパンツィクについてツェルニーはこんなことを言っています。

彼は揺るがぬ忠誠をもってベートーヴェンを支持し、そして自分のもつ演奏表現のためのすべての技術を駆使して、ベートーヴェンの作品の偉大さと美しさが余すところなく聴衆の前に披露されるように努めた。彼以上にベートーヴェンの作品の精神を深く洞察できる人はいなかった。」



日ごとの聖句461 苦難の日に 2011/2/27〜3/5

2011年2月27日(日)顕現後第8主日          詩編4:2
呼び求めるわたしに答えてください。神よ、苦難から解き放ってください。憐れんで、祈りを聞いてください。

2月28日(月 )                   詩編9:10
虐げられている人に、主が砦の塔となってくださるように。苦難の時の砦の塔となってくださるように。

3月1日(火)                    詩編32:7
あなたはわたしの隠れが。苦難から守ってくださる方。救いの喜びをもって、わたしを囲んでくださる方。

3月2日(水)                    詩編34:7
この貧しい人が呼び求める声を主は聞き、苦難から常に救ってくださった。

3月3日(木)                    詩編46:2
神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。

3月4日(金)                    詩編50:15
「わたしを呼ぶがよい。苦難の日、わたしはお前を救おう。そのことによって、お前はわたしの栄光を輝かすであろう。」

3月5日(土)                    詩編91:15
「彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え、苦難の襲うとき、彼と共にいて助け、彼に名誉を与えよう。」

日ごとの聖句460 喜び歌え 2011/2/20〜26

2011年2月20日(日)顕現後第7主日        エフェソ5:19
詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。

2月21日(月)                   詩編90:14
主よ、朝にはあなたの慈しみに満ち足らせ、生涯、喜び歌い、喜び祝わせてください。

2月22日(火)                出エジプト記15:2
主はわたしの力、わたしの歌、主はわたしの救いとなってくださった。この方こそわたしの神。わたしは彼をたたえる。

2月23日(水)                民数記21:16‐17
主は「彼らに水を与えよう」と言われた。イスラエルはこの歌をうたった。「井戸よ、湧き上がれ、井戸に向かって歌え。」

2月24日(木)使徒聖マッテヤ日         歴代誌上16:23
全地よ、主に向かって歌え。日から日へ、御救(みすく)いの良い知らせを告げよ。

2月25日(金)               歴代誌上16:33‐34
森の木々よ、喜び歌え、主を迎えて。主は地を裁くために来られる。
恵み深い主に感謝せよ、慈しみはとこしえに。

2月26日(土)                    詩編5:12
あなたを避けどころとする者は皆、喜び祝い、とこしえに喜び歌います。御名を愛する者はあなたに守られ、あなたによって喜び誇ります。

日ごとの聖句459 パウロの祈り 4 2011/2/13〜19

2011年2月13日(日)顕現後第6主日         マルコ1:35
朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた。

2月14日(月)                  コロサイ1:9
わたしたちは、絶えずあなたがたのために祈り、願っています。

2月15日(火)                  コロサイ1:9
どうかあなたがたが、“霊”によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟ることができますように。

2月16日(水)                  コロサイ1:10
あなたがたが、すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って、実を結ぶことができますように。

2月17日(木)                  コロサイ1:11
あなたがたが、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶことができますように。

2月18日(金)                テサロニケ一 5:23
どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。

2月19日(土)               テサロニケ一 5:23
平和の神が、あなたがたの霊も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守ってださいますように。

ハバククの祈り

ハバクク3:1‐6、17‐19

 ハバクク書は十二小預言書のひとつです。
 今日の旧約聖書日課の冒頭を見ましょう。

「預言者ハバククの祈り。」ハバクク3:1

 紀元前7世紀、イエスさまよりも600年くらい前に、ユダの国にハバククという人がいました。エレミヤと同じ時代です。「預言者」と書いてあります。預言者は神の言葉を受けて、それを人びとに伝える人です。けれどもただ「神から人へ」という一方通行ではありません。預言者は神からの言葉を受けて伝えるばかりではなく、人の声を神に届けました。

 特にハバククはその時代の苦しみの中で、神に向かって嘆きの声を上げました。第1章からそれは非常に顕著です。

「主よ、わたしが助けを求めて叫んでいるのに
いつまで、あなたは聞いてくださらないのか。
わたしが、あなたに『不法』と訴えているのに
あなたは助けてくださらない。
どうして、あなたはわたしに災いを見させ
労苦に目を留めさせられるのか。
暴虐と不法がわたしの前にあり
争いが起こり、いさかいが持ち上がっている。
律法は無力となり
正義はいつまでも示されない。
神に逆らう者が正しい人を取り囲む。
たとえ、正義が示されても曲げられてしまう。」1:2‐4


 彼は自分たちの抱える現実の中に苦しんで、嘆き訴えて祈るのですが、しかしやがて沈黙します。神に向かって訴えたハバククは、今は神の前に静まって、神が何と言われるかを聞こうと願うのです。2章の終わりを読みましょう。

「しかし、主はその聖なる神殿におられる。全地よ、御前に沈黙せよ。」ハバクク2:20

 文語の祈祷書の「晩祷序式」の冒頭にこの言葉が記されていました。
「主はその聖なる宮にましませり、全地その御前に黙すべし」

 神の前に沈黙した後、やがて歌声が聞こえます。ハバククが再び祈り始めたのです。彼の祈りは歌になっています。なぜそんなことがわかるのでしょうか。

「シグヨノトの調べに合わせて」3:1

 これは歌です。音楽です。祈りの深まりと高まりは歌となり、音楽となったのでした。
 「シグヨノト」とは何か。はっきりしたことはわかりませんが、「変化のある情熱的な調べ」とも言われ、「嘆きの調べ」とも言われます。ルターはここをドイツ語で Klagenlied(嘆きの歌) と訳しました。
韓国の昔の映画をテレビで見たことがあります。遺体を葬るため墓地に運んでいく。野辺送りの道で行列する人びとが「アイゴー アイゴー アイゴー アイゴー」と歌うように嘆く声が続いていました。

 祈りは歌となりました。ハバククのシグヨノトの調べを再現することはできませんが、彼が歌いつつ祈っているのを聞きましょう。

「主よ、あなたの名声をわたしは聞きました。
主よ、わたしはあなたの御業に畏れを抱きます。
数年のうちにも、それを生き返らせ
数年のうちにも、それを示してください。
怒りのうちにも、憐れみを忘れないでください。」3:2

 
 数年のうちにも。
 わたしたちにとっての数年はどうでしょうか。
今すぐに聞いてほしい祈りがあります。反対にいつか将来神さまにかなえてほしい願いがあります。
 でもこの数年のうちにも、聞いてほしい祈りはないでしょうか。数年後わたしはどうなっているのか。家族は、教会は、世の中は……

「数年のうちにも、それを生き返らせ、数年のうちにも、それを示してください。」

 「それ」とは神の御業です。まるで今は神の業が死んだように停止していると思える。神が生きて働いておられるのを見ることができない。けれども数年のうちに、神さまがその御業をわたしたちに現してほしいのです。
「数年のうちにも、それを生き返らせ、数年のうちにも、それを示してください。」

 わたしにはこの祈りを祈って聞かれたことがあります。数年のうちにもと願って祈り、数年のうちに聞かれました。
 
 さてこの祈りの歌を聞いている間に、ただ独りハバククが祈り歌っているのではないことに気づきます。楽器の伴奏が聞こえます。

 聖書日課には印刷してありませんが、聖書を開いて本文を見ると、3章3節の2行目の下に「セラ」と書いてあります。9節、13節にも「セラ」とあります。
 「セラ」とは休符、ポーズ、休みのことだそうです。朗唱の区切り。歌を一度区切って休んで、思いを深めて次に進むということのようです。

 わざわざ「セラ」(休み)と書いてあるのは、ハバククが独りで祈っていたのではない。おそらく、一緒に礼拝していて、楽器が伴奏していたからでしょう。解説書を見ていると「ここで歌は休み、楽器も休む」と書いてあるのもあれば、「歌は休み、楽器は奏でる」と解釈しているものもありました。

 さらに3章の終わり、ハバクク書の終わりを見ます。
「指揮者によって、伴奏付き」3:19

 ハバククにおいて祈りは歌となりました。礼拝において音楽は力を与えます。歌によって力を与えられ、伴奏によって支えられた祈りは、嘆きでは終わりません。神が何かをなさるのを祈る人は見つめます。

「神はテマンから
聖なる方はパランの山から来られる。〔セラ
その威厳は天を覆い
威光は地に満ちる。」3:3


 テマンは南のほうの乾燥地帯、パランも南方の荒野です。神は荒野から来られる。荒野で、かつて祖先は神との出会いを経験したのでした。

「主は立って、大地を測り
見渡して、国々を駆り立てられる。
とこしえの山々は砕かれ
永遠の丘は沈む。
しかし、主の道は永遠に変わらない。」3:6


 神は立ち上がられる。立ち上がって行動しようとされる神の姿が見えます。永遠に動かないと見えた地上の支配は砕かれ、不動のものと思えた悪しき力の基盤は沈んでゆきます。永遠なのは主の道、永遠なのは神の統治です。
 今は状態は厳しく、希望の確かなしるしは見ていなくても、歌と音楽によって励まされた信仰は、やがておいでになる主を見て喜びます。

「しかし、わたしは主によって喜び
わが救いの神のゆえに踊る。」3:18


 どうかこのことを、主なる神さまがわたしたちのうちに実現してくださいますように。わたしたちの祈りも歌となりますように。

 祈ります。
 主よ、数年のうちにも、あなたの救いの業をわたしたちに現してください。たとえ今、わたしたちがどのような困難を抱えているとしても、あなたの救いを見て喜ぶ者にしてくしださい。わたしたちの祈りが歌となるようにしてください。主の御名によってお願いいたします。アーメン
(2011/02/06 京都聖三一教会)

日ごとの聖句458 パウロの祈り 3 2011/2/6〜12

2011年2月6日(日)顕現後第5主日        テモテ一 1:17
永遠の王、不滅で目に見えない唯一の神に、誉れと栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

2月7日(月)                  エフェソ3:17
どうか御父(おんちち)が、信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、愛にしっかりと立つ者としてくださいますように。

2月8日(火)                  エフェソ3:18
どうか御父があなたがたに、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解させてくださいますように。

2月9日(水)                  エフェソ3:19
どうかあなたがたが、人の知識をはるかに超えるキリストの愛を知るようになり、神の満ちあふれる豊かさによって満たされるように。

2月10日(木)                エフェソ3:20‐21
わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

2月11日(金)                  エフェソ6:23
平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟たちにありますように。

2月12日(土)                  テモテ一 1:2
父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和がありますように。

ション・ウェスレー「律法と福音とを共に語ること」

『説教をめぐる知恵の言葉』上(キリスト新聞社、2010)という本を読んでいて

ジョン・ウェスレー(1703〜1791)の「律法と福音とを共に語ること」
という文が目にとまった。


神の命令、促し、「こうしなさい」「こうすべきだ」「こうしよう」
──これが律法です。

内容は……
──
神が、祝福に満ちた律法をさらに深く知るように導かれるとき、神が一段上の光を与えて
くださるとき、神は同時に新しい段階の強さ(力)も与えてくださる。

言い換えれば、新しい課題を引き受けさせられるとき、それをする力を与えてくださる、
ということ。

神の命令に直面して、わたしたちは自分がいかにその命令から遠いかを知る。
と同時に謙遜にされて、その命令によりよく従えるようになりたいと心から願うようにな
る。

このようにして神は、律法(命令)によってわたしたちを砕き、励まし、育てられる。

説教者が聞き手に甘いものばかりを提供していると、聞き手はほんとうの栄養ある食物を
求めなくなり、嫌うようになる。
そのような説教者は(初めはそのように見えないのだが)聞き手の間に命ではなく、死を
振りまく。

「神はあなたを愛しておられる。だから、神を愛し、従いなさい。」
これが重要。
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