Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2011年04月

しゅろの十字架の作り方

しゅろの十字架の作り方の動画です。



京都聖三一教会のHPにもコマ送り式でアップされています。
しゅろの十字架

京都聖三一教会の安田 肇さんの製作。

「聖三一」の名まえについて

「聖三一」とは「聖なる三位一体」の略で、キリスト教の神さまをあらわす言葉です。
英語では"Holy Trinity”と言います。

♪「サントサントサント」(聖歌561)
 聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな

神さまのすばらしさ、とうとさを喜びあがめ歌う言葉です。

♪「喜びあふれ、あなたをあがめる聖なる主よ」

三位とは「父」と「子」と「聖霊」の三つです。

1. 父 「造り主」

神さまは世界とわたしたちを造り、いのちを与え、祝福してくださいました。
神さまはご自分が造られたものを大切に思っていてくださいます。

♪「すばらしい造り主、神さまは、すべてを支えて守る方です」

「わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。」旧約聖書・イザヤ書46:4

2. 神の子イエス・キリスト 「救い主」

イエスさまは人となってわたしたちのところに来られました(クリスマス)。
イエスさまはわたしたちを招き、愛し、わたしたちの過ちをゆるし、いつも一緒にいてくださいます。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」マタイ28:20

3. 聖霊 「命の与え主」「慰め主」

聖霊はわたしたちの内に宿り、わたしたちを慰め、励まし、育んでくださいます。

「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです。」ペトロ 2:2

 聖三一、父と子と聖霊なる神さまは、<わたしたちを造り><わたしたちとともにおられ><わたしたちを励まし育んでくださる>神さまです。

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。」コリント 13:13

「交わり」は交流。神さまとわたしたちの心が通い合うこと。

2011/04/27

復活の朝

京都朝祷会が今朝、4月29日(金)(2011)、河原町カトリック教会で開かれました。
そのときのメッセージです。

聖書 マタイ28:1‐10
聖歌(聖公会) 176(1) 1〜3、6節
 ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ
 あまつ神の子ら いざ 歌いまつれ
 主はよみがえりぬ ハレルヤ

金曜日に十字架につけられて死なれたイエスは、アリマタヤのヨセフに引き取られ、岩に掘ったヨセフの新しい墓に葬られました。ヨセフは墓の入り口に大きな石を転がしておいて立ち去りました。マグダラのマリアともうひとりのマリアは、そこに残って、墓の方を向いて座っていた、とマタイ福音書には記されています(マタイ27:61)。
 夜の闇があたりを包みます。どれくらい遅くまで二人のマリアは墓に向かって座っていたのでしょうか。

土曜日は安息日。エルサレムでも大きな礼拝が行われたことでしょう。それに彼女たちは参加したでしょうか。イエスを捕らえ、死に至らせた人たちが指導する礼拝には、おそらく行かなかった。わずかな女の人たちだけで礼拝をしたかもしれません。男の弟子たちは皆逃げ去って、隠れてしまっていたのですから。

  しおるるこころに 悲しみふかし
  神のひとりご 墓にねむる(聖歌158)

深い悲しみの中で静かに過した土曜日が過ぎて、日曜日の朝、夜が明けようとするころ、マグダラのマリアともうひとりのマリアはイエスの墓を見に来ました。

すると大きな地震が起こりました。多くの人々を犠牲にする地震ではありません。世の秩序をひっくり返す地震、イエスを犯罪人として処刑した闇の力の支配を打ち砕く地殻大変動です。

主の天使が天から降った、と記されています。天から地上への介入、神さまから人の世界への働きかけです。
天使の姿は輝いています。その衣は雪のように白かった。かつて山の上でイエスの姿が変わったときも、その顔が輝き、その衣は光のように白くなったのでした(マタイ17:2)。
闇の力の道具として使われている番兵たちは、恐怖に陥り、死んだようになっています。

しかし天使は、二人のマリアには優しく告げます
「恐れるな。わたしは知っている──あなたがたが十字架につけられたイエスを探していることを」。

天使は神の代弁者です。

「わたしは知っている」
ギリシア語原典では「オイダ」という言葉が使われています。

神は知っておられます。彼女たちがどんなにイエスを愛していたか、いまもどんなに愛しているかを。十字架につけられたイエスをどんなに彼女たちが悼んでいるかを。
そしていま、あなたがたがそのイエスを探している、いまもイエスを切に求めていることを、わたしは知っている。

神さまはわたしたちの信仰の故の労苦、悲しみ、求めを知っておられます。

しかし知っておられるだけではありません。天使は新しいことを告げます。

「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」マタイ28:6-7

「たしかにあなたがたに伝えました。」
天使の仕事は神のメッセージを伝えることです。たしかにいま、天使はその仕事を果たし終えた。伝えた相手、二人のマリアに念を押しています。

「すると、イエスが行く手に立っていて、『おはよう』と言われた……」28:9

走って行く二人のマリア。その行く手にイエスが立っておられます。出会おうとして待っておられます。彼女たちに出会って言われます。「おはよう!」

イエスは「おはよう」と言われた。聖書の元の言葉はギリシア語です。Cai,rete(カイレテ)。直訳すると「喜べ」という意味です。「喜べ!」 
イエスが喜んでおられます。マリアさんたち、あなたがたに再会できてうれしい。わたしが生きているのに何を悲しむ必要があるか。一緒に喜んでほしいと思って喜びを持ってきた。「喜べ!」

「婦人たちは近寄り、イエスの足を抱き、その前にひれ伏した。」28:9

うれしかった。もう絶対に離れない。離さない。このイエスさまに再会できたからには。
しかしふたりには今からすることがあります。イエスから託される使命があります。

 わたしがあなたがたに与えた喜びを仲間に持って行きなさい。わたしの兄弟姉妹たち、ほかのみんなにもわたしは出会おうとして待っているから、それを知らせに行きなさい。皆を励ましてほしい。

「イエスは言われた。『恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる。」28:10

わたしたちのためにも、イエスは会おうとして待っていてくださいます。
……

このあと、東日本大震災をおぼえてともに祈りをささげました。

日ごとの聖句470 光 2011/5/1〜7

2011年5月1日(日)復活節第2主日          ヨハネ8:12
イエスは言われた。「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。」

5月2日(月)福音記者聖マルコ日          ヨハネ12:46
「わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。」

5月3日(火)使徒聖ピリポ・使徒聖ヤコブ日      ミカ書7:8
たとえ倒れても、わたしは起き上がる。たとえ闇の中に座っていても、主こそわが光。

5月4日(水)                    ミカ書7:9
主はわたしを光に導かれ、わたしは主の恵みの御業を見る。

5月5日(木)                  ミカ書7:18-19
神は慈しみを喜ばれるゆえに、主は再び我らを憐れみ、我らの咎(とが)を抑え、すべての罪を海の深みに投げ込まれる。

5月6日(金)                    詩編27:1
主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう。

5月7日(土)                    詩編13:4
わたしの神、主よ、顧みてわたしに答え、わたしの目に光を与えてください

アヴェ・マリア(改訂)

「アヴェ・マリア」について以前に書いたものを少し改訂しました。
日本語訳の調整が中心です。

(ラテン語)
Ave Maria, gratia plena,
Dominus tecum,
benedicta tu in mulieribus,
et benedictus fructus ventris tui Jesus.
Sancta Maria mater Dei,
ora pro nobis peccatoribus,
nunc, et in hora mortis nostrae.
Amen

(日本語訳)

「おめでとう、マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女たちの中で祝福された方、
そしてあなたの胎の子イエスも祝福されています。
聖マリア、神の母よ、
祈ってください、罪あるわたしたちのために、
今も、死を迎えるときも。アーメン」


内容は次をご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/izaya/archives/51674916.html

ペテロと炭火

今日(2011年4月22日)、聖アグネス教会で行われた受苦日礼拝に出席し、聖書の朗読を聞きながら黙想したことです。

「門番の女中はペトロに言った。『あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。』ペトロは、『違う』と言った。僕や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、そこに立って火にあたっていた。ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。」ヨハネ18:17‐18

大祭司の屋敷の中庭で、ペテロは三度イエスを知らないと言いました。彼があたっていたのは、大祭司の僕たちがおこした炭火でした。炭火は、イエスを裏切った自責と一体となって、生涯彼を苦しめることになったかもしれません。

けれども同じヨハネ福音書にはもう一度炭火が出て来ます。

「イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、『主だ』と言った。シモン・ペトロは『主だ』と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。」ヨハネ21:7‐9

徹夜して漁をし、疲れ果てた弟子たちのために、イエスは朝の食事を用意して待っておられました。真っ先に駆けつけたペテロが見たのは、魚が載せられた炭火でした。

炭火についてのペテロの苦い記憶は癒され、炭火はイエスの愛とゆるしと一体となっていつまでも彼の心に残ったのではないでしょうか。

プリモール・ライアーコンサート 2011/6/11

primor concert20110611


「ライアーのうた 」
2011 年6 月11 日( 土) 2:00 開演(1:30 開場)
          京都聖三一教会 礼拝堂
               
ライアーアンサンブル・プリモール


わたしたちに明るい光と風が
水が動くとき
星の呼び声
梢のまわりをたわむれる風
萌芽
土のうた - 春-
ホロコーストを体験した子どもたちの詩
光の3 部作Invitation/Sunrise/Celebration
主はわたしの光
ドナ・ノービス・パーチェム
      ( 作・編曲/ 小野 純子)
  
ちいさな曲たちが集まって
楽譜集「ライアーのうた」が生まれて
1 年たちました。
ライアーは膝に乗せて奏でる小さな竪琴。
あたたかな音色、透明の響きが生まれます。
震災からちょうど3 ヶ月の日、
響きの中に光が宿りますように
心から奏でたいと思います。
どうぞお越しください。
 (復興支援のための小さなバザーもします。)

入場無料

小野純子プロフィール
神戸に生まれ、京都で育つ。幼少よりピアノを始め、学びを深める過程でライアーに出会う。音の世界の奥深さとその働きを実感し、自宅音楽室を拠点としてピアノ、ライアーの指導、演奏を行っている。ライアー・アンサンブル<プリモール>主宰。楽譜集「ライアーのうた」(2010)、CD「星の呼び声」(2010コンサートライブ録音)。同志社大学文学部英文学科卒。ライアー響会運営委員。大津市比叡平在住。
                     
<会場へのアクセス>
京都聖三一教会
〒604-8403 京都市中京区聚楽廻中町45
  千本丸太町の交差点を西へ100m、
  一つ目の信号を南へ100m 西側
  最寄り駅:JR 嵯峨野線・地下鉄東西線「二条」北へ徒歩12分
        市バス「千本丸太町」5分
               
お問い合わせ・連絡先
T/F 077-529-1703
E-mail : olivetrump@gmail.com

日ごとの聖句469 主イエスの復活 2011/4/25〜30

2011年4月24日(日)復活日             ヨハネ11:25
イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。

4月25日(月)復活後月曜日             マタイ28:6
天使は言った。「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」

4月26日(火)復活後火曜日            マタイ28:7 「急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』」

4月27日(水)復活後水曜日             ヨハネ6:39
わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。

4月28日(木)復活後木曜日           使徒言行録2:24
神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。

4月29日(金)復活後金曜日           使徒言行録4:33
使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。

4月30日(土)復活後土曜日          使徒言行録13:37
神が復活させたこの方は、朽ち果てることがなかったのです。

東日本大震災のための祈り・嘆願

(日本聖公会)

東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)のため

慈悲の神、天の父よ、
東日本大震災によって命を失った人びとの死を悼みます。
どうか主の深い慈しみのうちに、この人びとを安らかに憩わせてください。
また、愛する者を失って悲しむ人びとがみ力により、あなたの愛の慰めのうちに生きることができますように。
この震災によって離散させられた人びと、住まいを失った人びと、傷つき病のうちにある人びと、弱い立場に置かれている人びと、ことにしょうがいのある人びと、ご高齢の人びと、外国からの人びとを愛のみ手をもって守り支えてください。
また悲しみ、悩み、苦しみ、孤独のうちにある人びと、希望を失いかけている人びとを慰め、生きる勇気と希望をお与えください。
今、避難生活を余儀なくされている人びとや不自由な生活を強いられている人びとに、必要な保護が与えられますように。
また、震災復興のために働くすべての人びと、ことに危険な作業に従事する人びと(、――)を導き支えてください。
そしてわたしたちが心を合わせて祈り、いつもともにおられる慰めの主のみ姿を見出すことができますように。
これらの祈りを主イエス・キリストのみ名によってお献げいたします。アーメン


東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)のための嘆願

司式者 
慈悲の神、天の父よ、東日本大震災によって命を失った人びとの死を悼みます。どうか主の深い慈しみのうちに、この人びとを安らかに憩わせてください。また、愛する者を失って悲しむ人びとがみ力により、あなたの愛の慰めのうちに生きることができますように

会衆 
主よ、お聞きください

司式者 
この震災によって離散させられた人びと、住まいを失った人びと、傷つき病のうちにある人びと、弱い立場に置かれている人びと、ことにしょうがいのある人びと、ご高齢の人びと、外国からの人びとを愛のみ手をもって守り支えてください

会衆 
主よ、お聞きください

司式者 
悲しみ、悩み、苦しみ、孤独のうちにある人びと、希望を失いかけている人びとを慰め、生きる勇気と希望をお与えください

会衆 
主よ、お聞きください

司式者 
今、避難生活を余儀なくされている人びとや不自由な生活を強いられている人びとに、必要な保護が与えられますように。また、震災復興のために働くすべての人びと、ことに危険な作業に従事する人びと(、――)を導き支えてください

会衆 
主よ、お聞きください

司式者 
わたしたちが心を合わせて祈り、いつもともにおられる慰めの主のみ姿を見出すことができますように

一同 
これらの祈りを主イエス・キリストのみ名によってお献げいたします アーメン

京都聖三一教会 2011年 イースターご案内

「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」
ネヘミヤ記8:10

3月11日の大地震によって引き起こされた東日本大震災に直面してわたしたちも大きな打撃を受け、嘆きと不安のうちに過しています。なぜこのようなことが起こるのか、問いは果てしがありません。

けれども十字架に不条理の死をとげて三日目によみがえられたイエスさまは、人々の困窮と死の中におられ、そこにおいて再生の希望となり命となってくださることを信じます。

今こそわたしたちは、十字架に死なれたイエスさまをまっすぐに見つめ、復活された主イエスさまに出会うことを切望しようではありませんか。復活の主ご自身がわたしたちのうちにおいでになり、わたしたちの喜びとなり力となってくださいますように。そこからわたしたちは励ましを受けて、困難のうちにある人々を支えることができるでしょう。このイースターを大切な時として一緒に迎えましょう。
   2011年3月27日
          日本聖公会 京都聖三一教会
          牧師 司祭 ヨハネ 井田 泉 


4月17日(日)午前10時30分 復活前主日(しゅろの主日)聖餐式
4月22日(金) 正午 受苦日の礼拝 説教・三浦恵子司祭(聖アグネス教会にて)
4月23日(土)午後2時 4月の逝去者記念聖餐式
      引き続き 復活のろうそくの祝福
  (大きいろうそくに火を灯してキリストの復活の光を仰ぎます。)

イースターの礼拝
4月24日(日)
9時30分〜10時 子どものイースター
  れいはい、たまごさがし ほか
10時30分 復活日聖餐式・祝会

2011イースターのご案内

モーツァルト「レクィエム」

先日(2011年4月9日)、京都復活教会礼拝堂でアンサンブル・ヴォーチェによる合唱を聴きました。
曲はモーツァルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」「戴冠ミサ」「レクィエム」。いずれもパイプオルガン伴奏によるもの。すばらしい演奏でした。

モーツァルトのレクィエムは、私にはあまりに厳しいというか恐ろしいというイメージがあって、かつてとても凝った時期があるものの、この頃はほとんど聞くことがありませんでした。

今回これを聞いて新しく理解したことがあります。

それは、この曲が「レクィエム」である以上は、ただ厳しい、恐ろしいというような受けとめではいけない、と感じたことです。(これは演奏に対する批評ではなく、私自身の新しい認識です。)

モーツァルトのレクィエムは、作曲者が完成を見ずになくなったため、弟子のジュスマイアーが補作しました。それもあってか、冒頭と最後は同じ曲、同じ歌詞が用いられています。けれども今回、「レクィエム」という趣旨からして、最初と最後は同じでありつつもはっきり違わなくてはならないのではないか、と感じました。

レクィエムは「安息」という意味のラテン語で、死者のためのミサ(逝去者記念聖餐式)を指します。
礼拝とは別に、音楽会として演奏されるのが一般的ですが、本来は礼拝のための声楽曲です。ケネディ大統領の葬儀に際しては、実際にこのモーツァルトのレクィエムが用いられました。

ミサ(聖餐式)とは、イエス・キリストの最後の晩餐を記念して、パンとぶどう酒をキリストの命としていただく、キリスト教において最も重要な礼拝です。

私自身が聖公会の司祭として、毎月レクィエム(逝去者記念聖餐式)を司式している立場から、モーツァルトのレクィエムをたどりつつ、意味とイメージを重ねていくことにします。

……
神の厳しい審判を畏れつつ、祈ってミサが進行していきます。

畏れ(恐れ)つつ招かれて近づくのは、私たちを愛して命を差し出してくださった神の小羊イエス・キリストです。

どんなに不安や罪責感を持っていたとしても、聖餐を受けて礼拝を終える際には、赦しと解放と祝福を受けて派遣されるのです。

そういうミサ曲たるレクィエムの理解をするとすると、サンクトゥスの後くらいから明るい暖かい光が差してきてほしい……

【サンクトゥス】【ベネディクトゥス】

サンクトゥス(聖なるかな)は言わばイメージとしては天上の礼拝です。
天の高い広がりがあります。

それがベネディクトゥス(ほむべきかな)になると救い主が地上に来られ、私たちに近づいてこられます。私たちはイエスを歓迎します。

ベネディクトゥスは元々は旧約聖書・詩編の言葉ですが、イエスさまがエルサレムに来られたとき、人々はこの言葉を用いてイエスを喜び迎えました。

ミサにおいてここで私たちは、私たちのところに来られたイエスを喜び迎えたいのです。

「Benedictus」はそういう喜びと温かさがあってほしい。やわらかく歌ってほしい、というのが私の希望です。

【サンクトゥス】
【ベネディクトゥス】
【アニュス・デイ】

この三つは
イメージとしては、天上の(あるいは天的広がりを持つ)礼拝、天上からの地上への降下、(イエスの到来と喜び)、食卓への集中というふうに進みます。

聖卓の上に(パンとしてぶどう酒として)現実に臨在し、ご自身を私たちの食する糧として差し出しておられる神の小羊キリストを感じて、この方に向かって呼びかける。これがアニュス・デイです。

「世の罪を除く神の小羊よ あわれみたまえ」
「世の罪を除く神の小羊よ あわれみたまえ」
「世の罪を除く神の小羊よ 主の平安を与えたまえ」

ミサ、レクィエムとしてはこの時点で審き、恐怖、嘆願が中心ではなく、祈り求める私たちの叫びが中心でもなく、私たちを愛し迎えてくださるキリストが中心です。

このようなイメージと理解を、今回合唱を聴きながら与えられたのでした。

それで私のモーツァルトのレクィエム理解ははっきりしました。

冒頭は苦悩をもって安息を求めたのですが、
終曲は同じ曲、同じ言葉の祈りではあっても、信頼に満ちた平安の中で祈りたい。
……
新しくモーツァルトのレクィエムの理解を与えられて感謝でした。

日ごとの聖句468 主の僕の歌 2011/4/18〜23

2011年4月17日(日)復活前主日           イザヤ42:1
見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。

4月18日(月)復活前月曜日             イザヤ42:3
わたしの僕は、傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。

4月19日(火)復活前火曜日             イザヤ49:3
主はわたしに言われた、「あなたはわたしの僕、イスラエル、あなたによってわたしの輝きは現れる」と。

4月20日(水)復活前水曜日             イザヤ49:4
わたしは思った。空しく力を使い果たした、と。しかしわたしを裁いてくださるのは主であり、働きに報いてくださるのもわたしの神である。

4月21日(木)聖木曜日               イザヤ49:5
主の御目(おんめ)にわたしは重んじられている。わたしの神こそ、わたしの力。

4月22日(金)聖金曜日(受苦日)          イザヤ50:4
主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え、疲れた人を励ますように、言葉を呼び覚ましてくださる。

4月23日(土)聖土曜日               イザヤ50:4
主は、朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし、弟子として聞き従うようにしてくださる。

「ラザロ、出て来なさい」

ヨハネ11:43

今日聞いた三つの聖書から気づくことがあります。それはわたしたちを捕らえて閉じ込めてしまう三つのものがある、ということです。そして聖書が語るのは、その三つの閉じ込め、封じ込めるものから、神さまはわたしたちを解放してくださるということです。

わたしたちを閉じ込める第1のものは絶望です。

「我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる」エゼキエル37:11

 絶望がわたしたちを閉じ込めます。絶望はわたしたちの墓です。しかし神は言われます。

「それゆえ、預言して彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。わたしが墓を開いて、お前たちを墓から引き上げるとき、わが民よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。また、わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。」エゼキエル37:12‐14

 遠い昔エゼキエルは、神が人々の中に霊を吹き込んで、人々を絶望の墓から解放されるのを見たのでした。

 わたしたちを閉じ込める第2のもの、それは罪です。わたしたちの犯す罪はわたしたちを閉じ込める。また罪の負い目、心の咎めは、わたしたちを閉じ込める。これが第2の墓です。
 しかし今日の使徒書でパウロはこう言います。

「あなたがたは、今は罪から解放されて神の奴隷となり、聖なる生活の実を結んでいます。行き着くところは、永遠の命です。」ローマ6:22

 罪、あるいは負い目がわたしたちを閉じ込め支配していたのが、今はキリストがわたしたちを捕らえていてくださいます。罪と負い目に引きずり回されるのではなく、今やわたしたちは喜んで神に仕え、永遠の命に向かって生きているのです。

 そしてわたしたちを閉じ込める第3のもの、それは死です。
 ベタニアの村に、イエスの愛しておられたマルタ、マリア、ラザロの3人の姉妹兄弟がいました。イエスがベタニアに行かれたとき、ラザロは死んで墓に葬られてすでに4日もたっていました。イエスはその墓に行かれます。

「イエスは、彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、心に憤りを覚え、興奮して、言われた。『どこに葬ったのか。』彼らは、『主よ、来て、御覧ください』と言った。イエスは涙を流された。」ヨハネ11:33‐35

「イエスは涙を流された」とあるように、イエスは深く悲しんでおられます。しかしそれだけではありません。

「イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。イエスが、『その石を取りのけなさい』と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、『主よ、四日もたっていますから、もうにおいます』と言った。」ヨハネ11:38

 イエスが「憤りを覚え」られたと2回も言われています。それは、人々が絶望と嘆きと死の中に閉じ込められている現実が、イエスにとって耐えがたいからです。人がいくらがんばっても無駄であり、すべての労苦は空しい、結局人は死んでそれですべてが終わりだ思わせる現実。その背後にサタンがほくそ笑んでいる。人を閉じ込め滅ぼそうとする闇の力が勝ち誇っているかのような現実を、イエスは絶対に許すことができないのです。

「『ラザロ、出て来なさい』と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、『ほどいてやって、行かせなさい』と言われた。」11:43‐44

 あり得ないことと思わないでください。墓に葬られ、石で閉じ込められたラザロとは、わたしのことです。イエスはわたしたちを絶望と、罪と、死から呼び出される。イエスはわたしを墓から呼び出されます。
 
あなたの絶望はわたしが引き受ける。だからあなたは絶望するな。
 あなたの罪と咎めはわたしが引き受ける。だからあなたは罪と咎めの中にとどまるな。
 あなたの死はわたしが引き受ける。わたしが死んで墓に入るのだから、あなたは生きて墓から出なさい。
 十字架に死んで葬られる主イエスは、わたしたちがそこから解放されるためにその苦難を負われたのでした。

 わたしたちのために苦しみを受けられた主イエスさま、わたしたちを絶望と、罪と咎めと、死から解放してください。アーメン
(2011/04/10 京都聖三一教会)

日ごとの聖句467 永遠の命 2011/4/10〜16

2011年4月10日(日)大斎節第5主日         ヨハネ5:39
「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。」

4月11日(月)                   ヨハネ3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

4月12日(火)                   ヨハネ4:14
「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」

4月13日(水)                   ヨハネ5:24
「わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、死から命へと移っている。」

4月14日(木)                   ヨハネ3:17
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

4月15日(金)                   ヨハネ6:68
ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。」

4月16日(土)                   ヨハネ6:40
「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることである。」

ライアーのミニコンサート 2011/5/1

中川貴文展 Dear World
のなかで

♪ 5月1日(日)午後2時から

ライアー(小さな竪琴)のミニコンサート
が東京・銀座画廊で開催されます。

  演奏は小野純子さんです。
  小野純子さんのライアーの特別な響きを
  作品とともに、どうぞ味わってください。

(中川貴文展 Dear World の案内から)

中川貴文展 Dear World

とき   2001.4.26(TUE)-5.2(MON) open 11:00-19:00
     (5.1/5.2は17:00まで)

ところ  銀座煉瓦画廊   

     東京都中央区銀座4-13-18 医療ビル2F
     TEL 03-3542-8626
     歌舞伎座(工事中)徒歩1分です。


お問い合わせ  TEL 090-4329-3075
メール  dear-gon@kind.ocn.ne.jp

詳しくはこちらをどうぞ

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子どもの祝福

今日はダニエル鈴木恵一聖職候補生の執事按手式が京都教区主教座聖堂(聖アグネス教会)で行われ、わたしは「第2パテン」担当(「パテン」とは皿のことで、パンを分餐する役)として参加しました。

体調は必ずしもすぐれなかったのですが、分餐中に子ども(複数)を祝福することになり、手を頭に置いて祝福すると同時に喜びが自分の中に湧き起こり、力を与えられました。

子どもに助けられたと感じ、大変感謝でした。

2011/04/02
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井田 泉
奈良基督教会牧師
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