Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2011年06月

日ごとの聖句479 解放 2011/7/3〜9

2011年7月3日(日)聖霊降臨後第3主日         ローマ8:2
キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したのです。

7月4日(月)                  詩編118:4‐5
主を畏れる人は言え。慈しみはとこしえに。苦難のはざまから主を呼び求めると、主は答えてわたしを解き放たれた。

7月5日(火)                     詩編4:2
呼び求めるわたしに答えてください、神よ。苦難から解き放ってください。憐れんで、祈りを聞いてください。

7月6日(水)                ヘブライ2:14‐15
イエスが、子らと同様に血と肉を備えられたのは、死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。

7月7日(木)                  詩編68:20‐21
主をたたえよ、日々、わたしたちを担い、救われる神を。この神はわたしたちの神、救いの御業の神。主、死から解き放つ神。

7月8日(金)                    詩編138:3
呼び求めるわたしに答え、あなたは魂に力を与え、解き放ってくださいました。

7月9日(土)                  エレミヤ15:21
主はこう言われた。「わたしはあなたを悪人の手から救い出し、強暴な者の手から解き放つ。」

日ごとの聖句478 神の愛と永遠の命 2011/6/26〜7/2

2011年6月26日(日)聖霊降臨後第2主日        ローマ6:4
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。

6月27日(月)                   ローマ6:4
それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。

6月28日(火)                 ヨハネ3:14‐15
人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。

6月29日(水)使徒聖ペテロ・使徒聖パウロ日   ローマ8:38‐39
死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、神の愛からわたしたちを引き離すことはできないのです。

6月30日(木)                  ローマ8:38
高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、神の愛からわたしたちを引き離すことはできないのです。

7月1日(金)                   ヨハネ3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

7月2日(土)                   ヨハネ3:17
神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。

「至福にする」──ルター聖書

この2〜3年は、ほぼ毎朝ルター訳ドイツ語聖書を読むことを日課にしている。
もっともわたしの持っているのは16世紀のルター訳そのものではなく、1968年発行の現代における改訂版である。
購入は1976年6月25日と記入してあるので、神学生時代、35年前のことである。銀座の教文館で買ったのだと思う。

しばらく前に気づいたのだが、普通日本語で「救う」と訳されている箇所がルター訳ではところどころ
selig machen (至福にする、しあわせにする)
となっているのが非常に興味深い。

retten(救う)
という一般的な言葉に代えて、
selig machen (至福にする、しあわせにする)
という言葉を用いたところに、ルターの情熱というか魂の感動が込められている気がする。

今年になって iPad というものを購入し、聖書関連の膨大なアプリケーションが提供されていることを知ってだんだんと環境を整えつつある。

今日、iPad のBible Reader に入れたルター聖書(1984年)で

を検索してみた。
瞬時に窓が開いて、新約聖書から7箇所が表示された(retten と訳された箇所は35)。

その7箇所を新共同訳で列記してみる。

ルカ19:10
「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」

コリント一 1:21
「そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。」

テモテ一 1:15
「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。」

ヘブライ7:25
「それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。」
Evernote 20110620 085054


ヤコブ1:21
「だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。この御言葉は、あなたがたの魂を救うことができます。」

ヤコブ2:14
「わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。」

ヤコブ4:12
「律法を定め、裁きを行う方は、おひとりだけです。この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか。」

上記の「救う」となっている箇所を「至福にする」「しあわせにする」に置き換えたらどんな感じになるだろうか。

「人の子は、失われたものを捜してしあわせにするために来たのである。」

「そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を至福にしようと、お考えになったのです。」

イエス・キリストによる神の救いは、人を「至福にする」こと、「しあわせにする」こと。

そう思うと、しあわせな気持ちになる。

ルターが当初?「律法ばかりで福音がない」「わらの書」と言って嫌ったというヤコブの手紙の3箇所もが
selig machen
と訳されているのは興味深い。
命令、要求ばかりのように思えるヤコブの手紙の中に「至福にする」福音の響きを、ルターは翻訳作業において聞き取ろうとしたのだろうか。

聖霊の降臨(幼稚園親子礼拝)

 今日(2011/06/18)は土曜参観の日で、京都聖三一教会礼拝堂で親子一緒に礼拝をしました。そのときのおはなしです。子どもたちがおはなしを聞きながら、いろんな楽しいことを言ってくれたのですが、ここに再現できなくて残念です。

 ☆

 今日はおうちの方がたくさん来られて一緒に礼拝できることをうれしく思います。
 ところで今日は礼拝堂がいつもとちょっと違うのですが、わかるかな?
 そうです。いつもと色が違う。今日は赤い色ですね。前の真ん中の布も、右も左も、そして先生の掛けているストールも赤です。これはうれしい色、喜びの色、燃える火の色、聖霊の色です。今日はそのお話をします。

 弟子たちが大好きなイエスさまとさようならをするとき、みんなはとても心配でした。イエスさまがおられなくなったらどうしよう、と心配でした。するとイエスさまは「大丈夫。心配しなくていいよ。わたしが特別に神さまの力を送ってあげるから大丈夫。聖霊を送ってあげるから大丈夫。みんなはお祈りしながら、神さまの力、聖霊をを待っていなさい」とおっしゃいました。
 そこでそれから毎日、弟子たちは集まって、お祈りしながら待っていました。

 ある日曜日のこと、今日も皆で集まって、2階のお部屋でお祈りをしていました。聖書の言葉を聞いたり、聖歌を歌ったりして、お祈りしていました。
 するとどこからか風が吹いてくるような音がして、どこからか風が吹いてきて、その風が顔をなでて、体の中にも心の中にも入ってきて、何だかとても気持ちがよくなりました。

 ふと見ると上のほうから何か赤い、とても美しいものが降りてきます。燃える火のように見えるのは何だろうと、みんな不思議に思っていると、そのきれいな赤い火のようなものが、集まっているみんなの上に、ペテロさんの頭にも、ヨハネさんの頭にも、ヤコブさんの頭にも、マリアさんの頭にも、サロメさんの頭にも、不思議な赤いものが降りてきて、みんなの上に降りてきて……。するとみんな急に、とてもうれしくなってきました。元気が湧いてきました。なぜかというと、イエスさまが一緒にいてくださることがはっりわかってとてもうれしかったのです。

 それでみんなは、このうれしいイエスさまのことを世界中に知らせようと言って、出かけて行きました。これが教会のお誕生日です。

(聖書を読む台のところに掛けてある布にも、不思議な燃える火の模様があります。)

 イエスさまのうれしい知らせを運ぶ人は、インドにも行き、イギリスにも行き、中国にも行き、そして日本にも来ました。京都にも来ました。中京区にも来ました。聚楽廻中町45番地にもやってきました。
 ここにも不思議な風が吹いて、とてもきれいな火のようなものが燃えて、みんながうれしくなって、ここに教会をつくろう、といって聖三一教会ができました。ここに神さまの子どもが集まって楽しく遊べる幼稚園をつくろう、といって聖三一幼稚園ができました。それからおよそ80年、ずっと神さまが教会と幼稚園を守っていてくださったので、たくさんの人がここで楽しく過して、また出かけていました。

 赤い色は、聖霊の色、不思議な火の色、イエスさまのことがわかったうれしい色です。

 神さま、ここに聖三一教会、聖三一幼稚園ができてから80年のあいだずっとずっと守っていてくださったこと、ありがとうございます。昔集まってお祈りしていた人たちが、不思議な風と不思議な火で、とてもうれしくなって元気が湧いてきたように、わたしたちも不思議な聖霊で元気が湧くようにしてください。
今日は土曜参観でたくさんのおうちの方が来てくださいました。楽しい1日を過ごせますようにお守りください。このお祈りを主イエスさまによっておささげいたします。アーメン
(聖三一幼稚園 土曜参観)

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日ごとの聖句477 光 2011/6/20〜25

2011年6月19日(日)三位一体主日・聖霊降臨後第1主日
創世記1:3‐4
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。

6月20日(月)                 エズラ記9:8‐9
エズラは祈って言った。「わたしたちの神はわたしたちの目に光を与え、生きる力を与えてくださいました。」

6月21日(火)                    詩編27:1
主はわたしの光、わたしの救い、わたしは誰を恐れよう。主はわたしの命の砦、わたしは誰の前におののくことがあろう。

6月22日(水)                   詩編31:17
主よ、御手をもって敵の手から助け出してくださいあなたの僕(しもべ)に御顔(みかお)の光を注ぎ、慈しみ深く、わたしをお救いください。

6月23日(木)                   詩編36:10 神よ、命の泉はあなたにあり、あなたの光に、わたしたちは光を見る。

6月24日(金)洗礼者聖ヨハネ誕生日         詩編56:14
あなたは死からわたしの魂を救い、突き落とされようとしたわたしの足を救い、命の光の中に、神の御前を歩かせてくださいます。

6月25日(土)                   詩編97:11
主は、神に従う人のためには光を、心のまっすぐな人のためには喜びを、種蒔いてくださる。

プリモール・コンサート「ライアーのうた」2011/06/11

6月11日(土)の午後、ライアーアンサンブル・プリモールによるコンサート「ライアーのうた」が京都聖三一教会礼拝堂で開かれました。

小野純子さん作のオリジナル曲で構成されたコンサートで、豊かな時間を過しました。


わたしたちに明るい光と風が
水が動くとき
星の呼び声
梢のまわりをたわむれる風
萌芽
土のうた - 春-
ホロコーストを体験した子どもたちの詩
光の3 部作Invitation/Sunrise/Celebration
主はわたしの光
ドナ・ノービス・パーチェム(編曲)


わたしは笛で3曲参加しました。

当日プログラムと「コンサートを終えて──ごあいさつと朗読した詩」は次をご覧ください。
大変良い曲ばかりなので、これからいろんな折りにご紹介したいと願っています。

当日プログラム

ごあいさつと朗読した詩

10月30日(日)の午後には「祈りの響き」と題して同じ場所でコンサートを行います。
これは京都聖三一教会主催になります。
ぜひおいでください。

日ごとの聖句476 聖霊 2011/6/12〜18

2011年6月12日(日)聖霊降臨日          ルカ3:21‐22
イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。

6月13日(月)                   ルカ10:21
そのとき、イエスは聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。」

6月14日(火)                   ルカ11:13
イエスは言われた。「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」

6月15日(水)                 ルカ12:11‐12
イエスは言われた。「何を言おうかと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」

6月16日(木)                  ヨハネ14:26
父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。

6月17日(金)                   20:21‐22
「あなたがたに平和があるように。」そう言ってから、イエスは彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。」

6月18日(土)                 使徒言行録2:4
すると、一同は聖霊に満たされ、"霊"が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

オリーブ山のイエス

使徒言行録1:8‐14

 今日はオリーブ山に登ってみたい。オリーブ山は主イエスがそこから天に昇られた山です。

 今日は昇天後主日です。イエスは復活の後、40日にわたってしばしば弟子たちに現れ、ご自分が生きていることを示されました。そうして弟子たちの前から離れて天に上げられました。今年は復活日が4月24日でしたので、その40日後、先週の木曜日6月2日が昇天日。今日はその後の日曜日なので昇天後主日といいます。

 今日の使徒言行録にこう言われていました。

「使徒たちは、『オリーブ畑』と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。」使徒言行録1:12

 使徒たちはオリーブ山からイエスを天に送って、戻って来ました。オリーブ山はエルサレムの東側にあります。エルサレムとオリーブ山の間にはキドロンの谷という深い谷があります。エルサレムで活動されたイエスは、夕方になるとしばしばキドロンの谷を越えてオリーブ山に退き、そこで夜を過されました。そこで祈られたのです。

 オリーブ山は、一言で言うと、イエスさまにとっての「祈りの山」です。イエスのエルサレムでの活動、エルサレムの神殿宗教を批判し、最後は捕らえられて死に至るほどの激しく大胆な行動は、オリーブ山での祈りに支えられたものでした。
 
 イエスの最後のエルサレム入城は日曜日であったとされますが、そのとき、このオリーブ山を通って来られたと伝えられます。ルカ福音書を見てみましょう。

「イエスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。
『主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光。』
すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、『先生、お弟子たちを叱ってください』と言った。イエスはお答えになった。『言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす。』」ルカ19:37‐40


 オリーブ山を下って、西の方角、キドロンの谷の向こうにエルサレムが見えたとき、イエスは泣かれました。

「エルサレムに近づき、都が見えたとき、イエスはその都のために泣いて、もしこの日に、お前も平和への道をわきまえていたなら……。しかし今は、それがお前には見えない。」ルカ19:41‐42

 この都は平和への道を知らない。弱い者を踏みつけて破滅の道をたどっている。その将来の姿がイエスの心の目には見えたから、イエスは泣かれたのです。泣かれたのは、エルサレムを愛しておられたからです。

 それから数日後の木曜日、エルサレム市内でイエスは弟子たちとともに最後の食卓を囲まれた後、賛美を歌い、弟子たちを連れてキドロンの谷を渡ってオリーブ山に登り、その一角にあるゲッセマネで祈られました。真夜中、剣や棒を持った一群の人々がやってきてイエスを捕らえました。弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまいました。人々はイエスをエルサレムに連行し、そこで不当な裁判が行われて、イエスは死に定められたのでした。

 オリーブ山はこのように、イエスが泣かれた山、祈られた山。そして弟子たちにとっては、イエスを見捨てた悲しみと悔恨の山となったのでした。

 しかしその後、事態は一変します。40数日後、今、復活されたイエスはあの時とは反対に、弟子たちを集めて、エルサレムから東へ、オリーブ山へと導かれます。ご自分の祈りの山へと導かれたのです。

 その間もずっと、弟子たちのためにイエスは祈り続けておられます。

 何を祈っておられたのか。それが今日の福音書に語られています。

「父よ、彼らのためにお願いします。世のためではなく、わたしに与えてくださった人々のためにお願いします。」ヨハネ17:9

「わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。」ヨハネ17:11


 あの最後の食卓を囲まれたときも、その後オリーブ山のゲッセマネで祈られたときも、イエスは弟子たちのために祈っておられました。イエスは今もわたしたちのために祈っていてくださいます。

 ルカ福音書によれば、イエスはオリーブ山で、祈りつつ、弟子たちを祝福しながら天に昇られました。両手を挙げて祝福しつつ天に上げられたイエスの姿は、弟子たちの目と心に刻まれました(ルカ24:50‐51)。

 危うい弟子たち、しかしイエスの道を受け継ごうと願って苦労している人たちのために、イエスは祝福しつつ祈り続けておられます。わたしたちのためにも、イエスは祈り続けておられます。

 わたしたちにとってのオリーブ山はどこでしょうか。
 エルサレムの現実をイエスが見つめて泣かれたように、わたしたちがこの世界、この社会の不義不正を嘆くなら、わたしたちがだれか弱った人を思って心配し、心を痛めるとすれば、平和の道を切望するとすれば、そこがわたしたちのオリーブ山です。
 
「使徒たちは、『オリーブ畑』と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。」1:12‐14

 オリーブ山でイエスを天に送った弟子たちは、キドロンの谷を渡ってエルサレムに戻ってきました。とある家の二階に集まって彼らは熱心に祈っていました。

 小さな群れです。富も力も社会的地位も持たない、ただイエスの思いと祈りとを自分たちの胸に宿した人々の群れです。けれどもこの群れは、この世界に正義と平和と愛が実現していくことを切望している群れです。イエスは決してこの群れを放置せず、特別な約束を与えられました。

「わたしはあなたがたに力を送る。あなたがたは力を受ける。」(使徒言行録1:8)

 弟子たちはイエスの約束を信じて待ち、祈って待ち続けます。そして聖霊降臨の日を迎えます。

 わたしたちもまた、イエスによって祈られ、イエスの思いと祈りを宿す群れです。わたしたちも約束を受けています。
 
 祈ります。

 救い主イエスを復活させ、天に昇らせられた神さま、イエスさまがわたしたちのためにも祈っていてくださることをわたしたちに教えてください。わたしたちにも祈ることを教えてください。弟子たちに約束された聖霊をわたしたちに注いでください。主の御名によってお願いいたします。アーメン

(2011/06/05 京都聖三一教会)

大阪府の「日の丸・君が代強制条例」に反対する

本日(2011年6月3日)、大阪府議会は、大阪府立学校及び府内の市町村立学校における教職員に対する「君が代」の起立による斉唱を義務化する条例を可決しました。

これはきわめて不当なものであると考えます。

わたしが共同代表を務めている聖公会平和ネットワークが5月30日付で声明文を発表しましたのでその内容を掲載します。

聖公会平和ネットワークのホームページもぜひご覧ください。

https://sites.google.com/site/seikokaiheiwanetwork/what/satatement/20110530

「日の丸・君が代」の強制に、私たちは信仰に基づいて反対します

 私たちは、大阪府の施設における「日の丸」掲揚と、大阪府立学校及び府内の市町村立学校における教職員に対する「君が代」の起立による斉唱を義務化する条例案を可決しないことを求めます。

 かつて「日の丸・君が代」は、アジア諸国を侵略する天皇制軍国主義の象徴でした。天皇の統治する御代が永遠に続き、栄えるようにと祈願する天皇賛美の歌「君が代」を歌い、「日の丸」の旗のもとに、日本は近隣諸国を侵略、植民地化し、多くの人々の命や人生を奪ったのです。その歴史と意味は、今も消えることも変わることもありません。
 その「日の丸・君が代」に対して、さまざまな思いを抱く人々が存在することは当然のことでありましょう。

 1999年8月9日に「日の丸」、「君が代」を「国旗」、「国歌」と定める「国旗および国歌に関する法律」(「国旗・国歌法」)が、強行採決され成立しました。当時、内閣総理大臣や文部大臣は、法制化審議中に繰り返し「強制もしないし、生徒、職員の思想、良心の自由を制約するものではない」と説明しました。しかし昨今、この説明に反して、「日の丸」の掲揚や「君が代」の起立斉唱を強制する動きが各地で強まっています。

 特に、「大阪維新の会」大阪府議会議員団が大阪府議会5月定例会に条例案を提出し、府立学校および府内の市町村立学校の教職員に対して「君が代」斉唱時の起立を、府の条例によって義務づけようとしていることは、人一人ひとりの考えや思い、信仰などをないがしろにし、心を押し潰すものであって、人々の「思想及び良心の自由」を保障する日本国憲法第19条、および「信教の自由」を保障する日本国憲法第20条に違反するものです。

 さらに、「大阪維新の会」代表である橋下徹大阪府知事の「(起立しない教員は)絶対辞めさせる」「辞めてもらう」等の発言は、人の生活をも脅かして無理やり従わせようとするものであって、知事としてあるまじき言動です。

 そもそも、権力によって一つのものに強制的に従わせ、それに従えないものを排除する行為は、国際社会の中にあり、国籍、思想信条、宗教などにおいて多様な人々が生活する日本の教育現場にふさわしいものではありません。

 私たちの属する「日本聖公会」は、先の十五年戦争時に日本国家による植民地支配と侵略戦争を支持し、天皇への忠誠を示すための神社参拝強制を容認することによってアジア諸国の人々への弾圧に加担した責任を痛感し、その罪責を告白しました。そして、その戦争の象徴でもある「日の丸・君が代」の「国旗・国歌」法制化に反対し、「日の丸・君が代」のいかなる強制にも反対してきました。

 私たちは歴史に学ぶ信仰者としての責任から、このたびの「大阪維新の会」大阪府議会議員団の「君が代」起立斉唱を義務化する条例案の提出の取り下げと、代表である橋下徹大阪府知事の発言の撤回を求めるとともに、大阪府議会がこの条例案を可決することのないよう求めます。

 そして私たちは、「日の丸・君が代」のいかなる強制にも反対することを改めて宣言します。

2011年5月30日

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