ローマ8:26‐34
聖書全体は言わば巨大な宝の山です。金か銀か銅か、あるいはダイヤモンドか、おびただしい宝が地中に深く埋蔵されています。表面を見ただけでは、ちょっと歩いただけでは、それがよくわからない。けれども今わたしたちが歩いているのは、深い鉱脈が地表に出ているところです。その鉱脈を掘り進めば、すばらしい宝に行き当たり、わたしたちの人生が一変するかもしれません。聖書全体の中でも、ロマ書第8章は特別なところなのです。
「同様に、"霊"も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、"霊"自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」8:26
「わたしたちはどう祈るべきかを知りません」
どう祈っていいかわからない。イエスさまの弟子たちもその思いがあったから、イエスさまに問いかけたのでした。それに答えてイエスさまは「主の祈り」を教えてくださいました。パウロにとってもある時期、「どう祈っていいかわからない」というのが重い苦しみでした。
祈って神さまに近づいて、神さまに解決していただかなくてはならないと思うのですが、近づけないのです。祈る言葉がない。言葉があっても空しいというか、とても無力を感じる。自分の内側もそうだし、自分をとりまくすべてももうどうしたらよいかわからない。どうすることもできない状態です。祈りの言葉はつかえて、とても神さまには届かない。神さまはどこにおられるのかわからない。
祈っても何の手応えもなく、まったく行き詰まって、あせりと疲労と失望の中で、命がすり減ってゆく気がする。
これはパウロ自身が経験し、多くの神さまに仕えた人々が一度は経験したことがらです。
そういうわたし自身も、これに身に覚えがあるのです。
今から27年くらい前のことです。当時わたしは聖公会神学院の構内に住んで、立教大学に通勤していました。文学部キリスト教学科の助手をしていたのです。そのころある問題を抱えていて、いくら祈っても事態は好転せず、祈り疲れて疲弊した状態になっていました。いつも胸の中に重苦しいものを抱えていて、祈っても甲斐がない。祈るほどに心は焼けただれるような状態でした。
そうしたとき、キリスト教学科の読書室の本棚で見つけた1冊の本を借りて帰りました。ドイツの神学者ハンス・ヨハヒム・クラウスという人の『力ある説教とは何か』(日本基督教団出版局)という題の本でした。
帰ってから、疲れていたので横になってその本を眺めはじめました。読んでいるうちに寝転んでいられなくなって、起き上がって真剣に読みました。それくらい自分に迫ってくるものがあったのです。
クラウスのその本の終わりのほうは、今日ご一緒に読んだ使徒書、ローマの信徒への手紙第8章26節以下の講解(解説)でした。
そこでわたしは初めて知ったのです。
自分ががんばって祈らなくてもよい。祈り疲れて、それでも祈らなくてはと自分を無理強いしなくてよい。わたしのために、わたしに代わって、聖霊が祈っていてくださる、ということを知ったのでした。
「"霊"も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、"霊"自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」8:26
祈ることの無力を感じるそのわたしの中で、神の霊がわたしと共にうめいておられる。祈りにならないわたしの苦しい胸のうちを聖霊が引き受けてうめかれる。
わたしが祈ることをやめても休んでも、聖霊はわたしの中でうめいて、神に向かって叫んでおられるのです。
わたしからは神に届かない、わたしの祈りはとうてい神に至らない、神は沈黙しておられると失望しているとき、わたしの焦り、苦しみ、失望、悲しみを聖霊が引き受けて、うめいて神に届けていてくださるのです。わたしが自分のことを知っている以上に、聖霊はわたしのことを知っておられます。
「人の心を見抜く方は、"霊"の思いが何であるかを知っておられます。"霊"は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。」8:27
わたしの祈りが衰えたとき、聖霊がわたしに代わって祈ってくださる。聖霊のうめきは神に届くのです。神は聖霊のうめきをとおして、わたしの深い思いを、わたしも知らないわたしの心の奥までも、汲み取ってくださいます。神は、わたしが自分のことを知っているよりももっと深く、わたしのことを知ってくださるのです。
聖霊がわたしのために切に祈って執り成していてくださる。──これが、わたしがその本をとおして知らされたことでした。
「"霊"も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、"霊"自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」
厳しい状態の中に苦しんで、祈れなくても心配ありません。聖霊が祈っていてくださるから大丈夫です。疲れたときは休んで、委ねておいていいのです。
しかしやがて聖霊はわたしを回復させてくださいます。わたしの中で神に向かってうめかれる聖霊はわたしを支えてくださり、やがて聖霊によって癒しが、治癒が起こります。聖霊のうめきはわたしを回復させてくださいます。そうしてわたしは元気づけられて、わたしはまた新しく、前とは違う思いで祈ることができるようになるのです。
神さま、わたしたちがどう祈ってよいかわからないとき、わたしたちの中で聖霊がうめき祈っていてくださることを教えてください。聖霊がわたしたちを癒してくださり、新しく祈るわたしたちにしてくださいますように。主イエス・キリストのみ名によってお願いいたします。アーメン
(2011/07/24 京都聖三一教会)
聖書全体は言わば巨大な宝の山です。金か銀か銅か、あるいはダイヤモンドか、おびただしい宝が地中に深く埋蔵されています。表面を見ただけでは、ちょっと歩いただけでは、それがよくわからない。けれども今わたしたちが歩いているのは、深い鉱脈が地表に出ているところです。その鉱脈を掘り進めば、すばらしい宝に行き当たり、わたしたちの人生が一変するかもしれません。聖書全体の中でも、ロマ書第8章は特別なところなのです。
「同様に、"霊"も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、"霊"自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」8:26
「わたしたちはどう祈るべきかを知りません」
どう祈っていいかわからない。イエスさまの弟子たちもその思いがあったから、イエスさまに問いかけたのでした。それに答えてイエスさまは「主の祈り」を教えてくださいました。パウロにとってもある時期、「どう祈っていいかわからない」というのが重い苦しみでした。
祈って神さまに近づいて、神さまに解決していただかなくてはならないと思うのですが、近づけないのです。祈る言葉がない。言葉があっても空しいというか、とても無力を感じる。自分の内側もそうだし、自分をとりまくすべてももうどうしたらよいかわからない。どうすることもできない状態です。祈りの言葉はつかえて、とても神さまには届かない。神さまはどこにおられるのかわからない。
祈っても何の手応えもなく、まったく行き詰まって、あせりと疲労と失望の中で、命がすり減ってゆく気がする。
これはパウロ自身が経験し、多くの神さまに仕えた人々が一度は経験したことがらです。
そういうわたし自身も、これに身に覚えがあるのです。
今から27年くらい前のことです。当時わたしは聖公会神学院の構内に住んで、立教大学に通勤していました。文学部キリスト教学科の助手をしていたのです。そのころある問題を抱えていて、いくら祈っても事態は好転せず、祈り疲れて疲弊した状態になっていました。いつも胸の中に重苦しいものを抱えていて、祈っても甲斐がない。祈るほどに心は焼けただれるような状態でした。
そうしたとき、キリスト教学科の読書室の本棚で見つけた1冊の本を借りて帰りました。ドイツの神学者ハンス・ヨハヒム・クラウスという人の『力ある説教とは何か』(日本基督教団出版局)という題の本でした。
帰ってから、疲れていたので横になってその本を眺めはじめました。読んでいるうちに寝転んでいられなくなって、起き上がって真剣に読みました。それくらい自分に迫ってくるものがあったのです。
クラウスのその本の終わりのほうは、今日ご一緒に読んだ使徒書、ローマの信徒への手紙第8章26節以下の講解(解説)でした。
そこでわたしは初めて知ったのです。
自分ががんばって祈らなくてもよい。祈り疲れて、それでも祈らなくてはと自分を無理強いしなくてよい。わたしのために、わたしに代わって、聖霊が祈っていてくださる、ということを知ったのでした。
「"霊"も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、"霊"自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」8:26
祈ることの無力を感じるそのわたしの中で、神の霊がわたしと共にうめいておられる。祈りにならないわたしの苦しい胸のうちを聖霊が引き受けてうめかれる。
わたしが祈ることをやめても休んでも、聖霊はわたしの中でうめいて、神に向かって叫んでおられるのです。
わたしからは神に届かない、わたしの祈りはとうてい神に至らない、神は沈黙しておられると失望しているとき、わたしの焦り、苦しみ、失望、悲しみを聖霊が引き受けて、うめいて神に届けていてくださるのです。わたしが自分のことを知っている以上に、聖霊はわたしのことを知っておられます。
「人の心を見抜く方は、"霊"の思いが何であるかを知っておられます。"霊"は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。」8:27
わたしの祈りが衰えたとき、聖霊がわたしに代わって祈ってくださる。聖霊のうめきは神に届くのです。神は聖霊のうめきをとおして、わたしの深い思いを、わたしも知らないわたしの心の奥までも、汲み取ってくださいます。神は、わたしが自分のことを知っているよりももっと深く、わたしのことを知ってくださるのです。
聖霊がわたしのために切に祈って執り成していてくださる。──これが、わたしがその本をとおして知らされたことでした。
「"霊"も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、"霊"自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」
厳しい状態の中に苦しんで、祈れなくても心配ありません。聖霊が祈っていてくださるから大丈夫です。疲れたときは休んで、委ねておいていいのです。
しかしやがて聖霊はわたしを回復させてくださいます。わたしの中で神に向かってうめかれる聖霊はわたしを支えてくださり、やがて聖霊によって癒しが、治癒が起こります。聖霊のうめきはわたしを回復させてくださいます。そうしてわたしは元気づけられて、わたしはまた新しく、前とは違う思いで祈ることができるようになるのです。
神さま、わたしたちがどう祈ってよいかわからないとき、わたしたちの中で聖霊がうめき祈っていてくださることを教えてください。聖霊がわたしたちを癒してくださり、新しく祈るわたしたちにしてくださいますように。主イエス・キリストのみ名によってお願いいたします。アーメン
(2011/07/24 京都聖三一教会)
