Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2011年12月

日ごとの聖句505  イエスの名 2012/1/1〜7

2012年1月1日(日)主イエス命名の日         ルカ2:21
八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。

1月2日(月)                   ヨハネ20:31
これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じてイエスの名により命を受けるためである。

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1月3日(火)
                 使徒言行録2:38
ペトロは言った。「イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」

1月4日(水)                  使徒言行録3:6
「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

1月5日(木)                  使徒言行録3:16
「あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。」

1月6日(金)顕現日               使徒言行録4:30
「主よ、どうか、御手を伸ばし聖なる僕イエスの名によって、病気がいやされ、しるしと不思議な業が行われるようにしてください。」

1月7日(土)                  エフェソ5:20
そして、いつも、あらゆることについて、わたしたちの主イエス・キリストの名により、父である神に感謝しなさい。

聖霊があなたに降り

ルカ1:26‐38

 数日前、わたしたちの教会から岸和田復活教会に行かれた林永寅司祭からクリスマスカードが届きました。その一部をご紹介します。

「世界のすべての人を救うためて来られた主の祝福がいつも共にありますようにお祈りします。……聖三一教会の教友(信仰の友人)の皆さんにもクリスマスのご挨拶を申し上げます。」

 そのカードの絵が、ちょうど今朗読した場面で、天使ガブリエルがマリアに神さまからの知らせを伝えているところです。天使から知らせを聞いたマリアは、驚きのあまり手に持っていた本を落としてしまった。本は聖書かもしれません。その本が落ちていくところが描かれています。大事な聖書を落としてしまうくらい、マリアは驚き衝撃を受けたのです。

クリスマスキャンドル

「天使は言った。『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。……』」ルカ1:30‐32

 マリアの驚きと困惑に対して天使は答えてこう言いました。

「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」ルカ1:35

 人の霊、人の精神力や影響力ではない。聖霊、神の霊があなたに降る。人の力ではなく、いと高き方の力があなたを包む。神の力があなたを陰のように覆うのです。そのゆえに、あなたに宿りあなたから生れる者は聖なる者であって、神の子と呼ばれるでしょう。

 マリアは驚き、困惑し、苦しみました。しかし天使の伝えた神の言葉を信じ、自分に託された使命を引き受けました。こうしておよそ9ヵ月後に、聖なる夜が訪れます。神の子イエスさまの誕生です。

 ところで今日思うのは、このマリアに臨んだこと、マリアが引き受けたこと、マリアにおいて実現したことを、マリアだけのことにしておいてよいのか、ということです。

 マリアに降った聖霊は、わたしたちにも降らないのか。マリアを包んだいと高き方の力、神の力はわたしたちをも包んでくださらないのでしょうか。

 マリアへの天使のお告げはイエスの地上の生涯に先立つことですが、今度は、イエスの地上の生涯が終わって後のことを思い起こしてみます。復活のあと、イエスさまは40日にわたって弟子たちの前に現れました。そして天に上げられようとするとき、イエスは弟子たちに言われました。

「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そしてあなたがたはわたしの証人となる。」使徒言行録1:8

 これは、マリアが天使から聞いたのと同じ言葉です。
 わたしたちはマリアのようには神の子を生みません。最初の使徒たちのように、直接復活の主の現れに出会ってはいません。

 しかしだからと言って、それがわたしたちには縁遠いことのように思うべきではありません。神さまは、マリアをとおして行われたことを、わたしたちをとおしても行いたいのです。最初の使徒たちをとおしてなさったことを、わたしたちをとおしても実行したいと願っておられるのです。

 旧約聖書・ヨエル書の言葉を聞きましょう。

「その後、わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。
あなたたちの息子や娘は預言し、老人は夢を見、若者は幻を見る。
その日、わたしは、奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。」3:1‐2


 「すべての人に」と言われています。神がわたしたちすべてに、神さまの霊を注いでくださるとの約束です。神の霊を注がれると、わたしたちはビジョンを見ます。目の前の現実だけに拘束されているわたしたちに、神がご自分の霊を注いでくださって、別の現実を示されます。わたしたちはまだ経験していないけれども、神が備えておられる良き現実です。

 マリアが経験したことは何でしょうか。天使の言葉をとおして神に出会ったこと、神の呼びかけに触れたこと、その呼びかけに身を委ねたことです。

 神さまはこの世界を愛しておられます。また教会を愛しておられます。愛しておられるから、この世界の現実を嘆かれる。嘆かれるばかりではなく、何とかしたいと思って行動を開始されます。

「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」

 聖霊はわたしたちの上にも臨みます。神の力はわたしたちを包みます。神は、このわたしたちの間に聖なる者を、神の愛する子どもたちを、生み出そうとされるのです。
「聖霊が降る」というと何か特別の異常な出来事のように感じられるかもしれません。しかし聖書の原文はもっと素朴で、「聖霊があなたの上に来る。いと高き方の力があなたを陰のようにおおう」と書いてあります。
 マリアに来た聖霊がわたしたちのところに、わたしたちの上に来て、神の力がわたしたちを覆ってくださるとき、わたしたちの間に神の現実が生れる。聖なる現実、神の子の現実が生れます。それをなさるのは聖霊ご自身です。

「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そしてあなたがたはわたしの証人となる。」

 わたしたちの上に聖霊が来ると、わたしたちは力を受ける。そしてわたしたちもイエスさまを現していく人となる。
 
 この世界はこのままでよいのではない。教会は天使の声が聞こえる場所でありたい。聖霊がわたしたちを慰め励ましてくださる場所であってほしい。人が現実に神の子とされていく場所であってほしい。それが神さまの願いです。
 
 御子の訪れを迎えようとするこのとき、マリアに臨んだ聖霊を祈り求めます。
 
 主なる神さま、わたしたちに聖霊を注いでください。わたしたちの間にあなたの願われる現実を造り出してください。聖なる者、神の子の現実を造り出してください。あなたの呼びかけを確かに聞き、それを受け入れそれに身をゆだねる者としてください。御子イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

(2011/12/18 京都聖三一教会)

わたしの民の一生は木の一生のようになる

イザヤ65:22

「彼らが建てたものに他国人が住むことはなく、彼らが植えたものを、他国人が食べることもない。わたしの民の一生は木の一生のようになり、わたしに選ばれた者らは、彼らの手の業にまさって長らえる。」イザヤ65:22

 今日の旧約聖書の一節です。

樫の木

 かつて神の民イスラエルは、他国に支配され、植民地とされ、土地を奪われ、自分たちが大切に育てて収穫したものを奪われる、という苦難を経験していました。そのような中で、神が言われます。

「わたしの民の一生は木の一生のようになる」

 これはどういう意味でしょうか。

 わたしは週報に次の週の説教題を載せています。土曜日に週報を作りながら1週間後の説教の題を考えます。何度か聖書日課を読んで思いめぐらし、この箇所、この言葉を大切にしたいとイメージが与えられると、あまりに考えずに説教のタイトルを週報を書きます。1週間その言葉を思い出しては忘れ、また思い出したりしながら、あっというまに土曜日になる。その繰り返しです。

「わたしの民の一生は木の一生のようになる」

 この言葉が気になりました。木の一生のようになる……、木のように……。

 ふと思い出した声があります。

「人が見えます。木のようですが……」

 イエスがひとりの盲人と出会い、その人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、「何か見えるか」と尋ねられたとき、その人が言った言葉です。

「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。」マルコ8:24

 人が見えた。それは木のようだった。大きな棒ではなく、杭(くい)でもない。木です。単なる物体ではなく、存在感のある何か生きたものをその人は見た、ということではないでしょうか。ひょっとしたらイエスさまがその人の前を歩いてみられたのかもしれません。そこでイエスがもう一度両手をその人の目に当てられると、何でもはっきり見えるようになった、と伝えられます。

 今日、関心を向けたいのは木です。

「わたしの民の一生は木の一生のようになる」

 木は生きたもの。苦しみを負った神の民は、しかし木のようだ。困難があり、忍耐がある。しかし……

「わたしの民の一生は木の一生のようになる」

 必ず生きて、成長していくのです。

 預言者エレミヤはこのように言いました。

「祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。
彼は水のほとりに植えられた木。
水路のほとりに根を張り、暑さが襲うのを見ることなく、その葉は青々としている。
干ばつの年にも憂いがなく、実を結ぶことをやめない。」エレミヤ17:7‐8


 その木は、暑さと寒さ、干ばつにも耐えて生き続け、実を結ぶことをやめない。

「祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。」

 主に信頼する人は主がよりどころとなられる。疲れても弱っても、やすむところがあり、命の源に根を張っているから大丈夫。必ず実を結ぶ。

 ここには招きがあります。あなたがたも主に信頼して、祝福を受けなさい。あなたがたのために主がよりどころとなってくださる。あなたがたも水のほとりに植えられた木だ。厳しい環境に耐えて必ず実を結ぶ──これが、神さまがわたしたちのために用意していてくださる人生です。木の一生のようなわたしたちの一生です。

 イザヤ書に戻ると、もう一箇所、木が登場する箇所があります。

「彼らは主が輝きを現すために植えられた、正義の樫の木と呼ばれる。」イザヤ61:3

 神さまがその木を植えられた、というのです。その木には神がこめられた目的がある。それは「主が輝きを現すため」。神の輝きがその人をとおして現れ出るために、神が植えられた。

 そのような木にたとえられる人たちとはどういう人なのでしょうか。特別に立派な強い人たちなのかというと、そうではありません。

 それは「打ち砕かれた心の人々」(イザヤ61:1)、「嘆いている人」(イザヤ61:2)だというのです。「シオンのゆえに嘆いている人々」(61:3)だというのです。

 シオンとはエルサレム神殿の建てられた丘のことです。あるいは神殿そのもの、神のおられるはずの場所のことです。そのシオンが砕かれ、崩れてしまっている。神の臨在が見えなくなった。信仰の頼り、拠り所としている中心がもう形を失ってしまった。こんなに悲しくつらいことはありません。そのゆえに人々は嘆く。シオンのゆえに嘆く。

 しかし神さまは、その嘆いている人々こそが、「主が輝きを現すために植えられた、正義の樫の木」だと言われるのです。神のために嘆いているその人たちこそ、主が植えられた木。その木をとおして、神の輝きが現れる。
 その人たちは「正義の樫の木」です。混乱してしまった社会と、混乱してしまった教会の中で、はっきりと、くっきりと、何が正しく真実なことであるかが現れる。正義の樫の木はそれを示すのです。

 もしわたしたちに嘆きがあるとすれば、この社会と教会の現実は何とかならないのかと、もだえているとすれば、わたしたちもまた、「主が輝きを現すために植えられた、正義の樫の木」です。自分自身がしっかりと立てられて立ち、人を励ますのです。

「わたしの民の一生は木の一生のようになる」

 わたしたちのことです。わたしたちの一生は、神の民である教会の一生は、困難に耐えて生き続けます。年輪を重ねて生き続けます。天に向かって身を伸ばし、風雪と暑さと干ばつに耐えて実を結びます。神の御手の中で、必ずそうなると約束されています。

 神さま、あなたはわたしたちに約束してくださいました。「わたしの民の一生は木の一生のようになる」と。どうかそのようにしてください。風雪と暑さと干ばつに悩むかのようなわたしたちを憐れんでください。命の水の源であるあなたのもとに根を張り、実を結ばせてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

(2011/12/11 京都聖三一教会)

聖書の中の星めぐり

 先週、降臨節の始まりにあたり、東の国の博士とともに星を見上げて、クリスマスには必ず新しく救い主イエスさまにお会いしたいと切望して旅を始めたい、とお話ししました。

 そのことがずっと思いの中に続いていますので、予告を変更して、今日は聖書の中の星をめぐってみたいと思います。7箇所をめぐります。
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 皆さんは最近、星を見られましたか。

 心の中で星を思い浮かべながら進んで行きましょう。

1. 神は太陽と月と星を造られました。創世記1:16

 創世記の第1章によれば、天地創造の始め、神さまは太陽と月と星を造られました。

 後に、イスラエルのある詩人はこう歌いました。

「あなたの天を、あなたの指の業を、わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。そのあなたが御心に留めてくださるとは、間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。」詩編8:4‐5

2. アブラハムは天の星を仰いで神の声を聞き、新しく神を信じました。創世記15:5

 同じ創世記です。わたしたちの信仰の先祖は、アブラハムとサラです。遠い昔、アブラハムは、自分に呼びかけられた神の声に従って、家族、一族とともに住み慣れた世界を後にして、見知らぬ国に旅立ちました。しかし神が与えてくださった土地の約束も子孫の約束も実現せず、家族内の葛藤も抱えて、将来を思うと恐ろしく、夜、
 天幕の中でうずくまっていました。

 主は彼を外に連れ出してこう言われました。

「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい」
「あなたの子孫はこのようになる」


 星の光の中にアブラハムは神の臨在を経験し、新しく神を信じて生き始めました。

3. ベオルの子バラムは、倒れ伏しつつ、救い主のしるしとしてひとつの星がヤコブから進み出、ひとつの笏がイスラエルから立ち上がるのを見ました。民数記24:17

 アブラハムから数百年、時代は下って、モーセによるイスラエルのエジプト脱出に続く旅のさなかです。

 約束の地を目指して旅してきたイスラエルをモアブの王バラクは非常に恐れ、東の国に使いを出してバラムという霊能者を招きました。ところがイスラエルを山の上から見つめたバラムは、イスラエルを呪うのではなく、反対に三度もイスラエルを祝福してしまいます。このように記されています。

「ベオルの子バラムの言葉。目の澄んだ者の言葉。
神の仰せを聞き、いと高き神の知識を持ち、全能者のお与えになる幻を見る者。
倒れ伏し、目を開かれている者の言葉。
わたしには彼が見える。しかし、今はいない。彼を仰いでいる。しかし、間近にではない。
ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり、モアブのこめかみを打ち砕き、シェトのすべての子らの頭の頂を砕く。」民数記24:15‐17


 今はいないけれども、やがて必ず来られる方をバラムは見ていました。

ひとつの星がヤコブから進み出る。ひとつの笏がイスラエルから立ち上がり、モアブのこめかみを打ち砕く」

 バラムは「倒れ伏し、目を開かれている者」と言われています。この世界と人の苦しみを知って倒れ伏すほどに苦しんでいたからこそ、彼は目を開かれて、やがて来られる救い主を見たのでしょう。

4. 星は喜々として、自分の造り主のために光を放ちます。バルク書3:35

 旧約聖書・続編バルク書の言葉。これは先週ご紹介しました。

 新約聖書に移ります。

5. 輝く星は東の博士らを救い主のもとに導きました。マタイ2:9

「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」2:9‐10

 わたしたちにも星があってほしい、と願います。
 
6. パウロは、苦難に耐えて福音のために戦う信徒を、世にあって輝く星にたとえました。フィリピ2:15

「だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。」2:12‐16

 この世の価値観に押し流されず、キリストを信じて福音のために労苦する者は、この世にあって星のように輝く。希望の星だというのです。

7. 長老ヨハネは「わたしは輝く明けの明星」と言われる主イエスの声を伝えました。ヨハネの黙示録22:16

 今日の星めぐりは、聖書の冒頭、創世記第1章から始めたのですが、最後は聖書の最後の書物、ヨハネの黙示録の最後の第22章です。

 キリスト教迫害の恐ろしい闇の中で、長老ヨハネは天に引き上げられて天上の礼拝を目撃しました。彼は、長い苦難と戦いを経て、悪の力が滅ぼされ、神の国が輝きわたる幻を示されました。

 そして最後に、ヨハネはイエスの声を伝えています。

「わたし、イエスは使いを遣わし、諸教会のために以上のことをあなたがたに証しした。わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、輝く明けの明星である。」22:16

 イエスは明けの明星。イエスさまは、「わたしはあなたがたの希望である」と言われます。「わたしがあなたがたを照らし導いているから、希望を失わずに歩み続けなさい」と言われるのです。

 希望の星、わたしたちにとっての希望そのものである主イエスさま、あなたを仰いで地上の道を歩ませてください。アーメン

(2011/12/04 京都聖三一教会)

星の招き──救い主に向けての出発

バルク書3:33‐35

 今日から教会の暦は新しい年に入りました。クリスマスに備える降臨節第1主日。今日から4週間を経て28日後にクリスマスを迎えます。今年は25日が日曜日。今、4週間後、28日後には必ず救い主にお会いすることを目指して旅を始めたいと思います。
ChristmasTree


 クリスマスに向かう旅と言えば、あの東方の3人の博士のことを思います。おそらく彼らはメソポタミア、今のイラク、チグリス・ユーフラテス川の中流から下流の都市の有力者だったと思います。

 星を見て、その星を頼りに旅立つ。仮におよそ1000キロの道のりで、ラクダに乗って1日平均36キロくらい進んだとすればだいたい28日かかります。

 そこでこの降臨節、わたしたちは救い主に会いたいと切望する者となって、4週、28日間を、博士たちとともに旅してゆきたいのです。

 博士が見たのは星、博士たちを導いたのは星です。聖書の中で星はどのように語られているでしょうか。まず最初に星は天地創造のところに出て来ます。

「神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。」創世記1:16
 
 星は神によって造られたもの。単なる物体ではありません。星は生きたもの。生きて光を放つものです。

 旧約聖書続編・バルク書にこのような言葉が出て来ます。

「その方が光を放つと、光は走り、
ひと声命ずると、光はおののいて従う。
星はおのおの持ち場で喜びにあふれて輝き、
その方が命ずると、『ここにいます』と答え、
喜々として、自分の造り主のために光を放つ。」3:33‐35


 創造主から光を受けると、星は自らも光を光を放ちつつ走る。星はおのおのの持ち場で喜びにあふれて輝く。神さまが呼びかけ命じると、「ここにいます」と答え、喜々として自分の造り主のために光を放つ。

 そのような星のひとつが、特別な使命を与えられました。

 生れた救い主のもとへと、遠い人を招く、外国人を招く、という使命です。その星の輝き、招き、呼びかけ、導きによって、博士たちは救い主にお会いできたのでした。

 ところで、実はわたしたちも小さな星です。神によって造られた星。造り主から光を与えられた星。造り主に呼ばれたら、「ここにいます」と答え、自らも喜々として造り主のために光を放つのです。
 
 星に導かれた博士を救い主が待っておられたように、このクリスマスに、救い主はわたしたちに会おうとして待っておられます。わたしたちも博士たちのように星を見上げて進み、救い主イエスさまに必ずお会いしたい。

祈ります。

 神さま、このクリスマスに、必ず救い主イエスさまに会わせてください。わたしたちも造り主の光、救い主の光を受けさせてください。光を受けてわたしたちも喜々として、光を放つものにしてください。そうして道に迷う人を導き、助ける者とならせてください。主のみ名によって、アーメン

(2011/11/27 京都聖三一教会)

京都聖三一教会 クリスマス案内 2011

☆12月24日(土)
午後6時30分 クリスマス・イブ礼拝(キャンドルサービス)
  合唱団京都エコーが参加してくださいます。

午後10時 クリスマス深夜ミサ
  ライアー(竪琴)による奏楽WP_000251

☆12月25日(日)
午前10時30分 降誕日聖餐式(総員礼拝)
礼拝後、クリスマス祝会

☆2011年1月1日(日)午前10時30分
主イエス命名の日(元旦)聖餐式

ご案内

日ごとの聖句504 平和の種が蒔かれ 2011/12/25〜31

2011年12月25日(日)降誕日            マタイ2:11
幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

12月26日(月)最初の殉教者聖ステパノ日     ゼカリヤ2:14
娘シオンよ、声をあげて喜べ。わたしは来て、あなたのただ中に住まう、と主は言われる。

12月27日(火)福音記者使徒聖ヨハネ日      ゼカリヤ2:15
その日、多くの国々は主に帰依して、わたしの民となり、わたしはあなたのただ中に住まう。

12月28日(水)聖なる幼子の日          ゼカリヤ2:17
すべて肉なる者よ、主の御前に黙せ。主はその聖なる住まいから立ち上がられる。

12月29日(木)                  ゼカリヤ7:9
万軍の主はこう言われる。正義と真理に基づいて裁き、互いにいたわり合い、憐れみ深くありなさい。

12月30日(金)                  ゼカリヤ8:3
主はこう言われる。わたしは再びシオンに来て、エルサレムの真ん中に住まう。エルサレムは信頼に値する都と呼ばれる。

12月31日(土)                 ゼカリヤ8:12
平和の種が蒔かれ、ぶどうの木は実を結び、大地は収穫をもたらし、天は露をくだす。わたしは、この民の残りの者に、これらすべてのものを受け継がせる。

日ごとの聖句503 主を畏れ敬う者たち 2011/12/18〜24

2011年12月18日(日)降臨節第4主日         マラキ2:5
レビと結んだわが契約は命と平和のためであり、わたしはそれらを彼に与えた。

12月19日(月)                   マラキ2:6
彼は平和と正しさのうちに、わたしと共に歩み、多くの人々を罪から立ち帰らせた。

12月20日(火)                   マラキ3:1
見よ、わたしは使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は、突如、その聖所に来られる。

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12月21日(水)使徒聖トマス日            マラキ3:3
彼は精錬する者、銀を清める者として座し、レビの子らを清め、彼らの汚れを除く。彼らが主に献げ物を、正しくささげる者となるためである。

12月22日(木)                 マラキ3:7
立ち帰れ、わたしに。そうすれば、わたしもあなたたちに立ち帰ると、万軍の主は言われる。

12月23日(金)                  マラキ3:16
そのとき、主を畏れ敬う者たちが互いに語り合った。主は耳を傾けて聞かれた。

12月24日(土)                 マタイ2:9‐10
彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。

日ごとの聖句502 新しい天と地 2011/12/11〜17

2011年12月11日(日)降臨節第3主日        イザヤ65:17
見よ、わたしは新しい天と新しい地を創造する。初めからのことを思い起こす者はない。それはだれの心にも上ることはない。

天柱峰a


12月12日(月)          イザヤ65:18
代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして創造する。

12月13日(火)                  イザヤ65:18
わたしは創造する。見よ、わたしはエルサレムを喜び躍るものとして、その民を喜び楽しむものとして、創造する。

12月14日(水)                  イザヤ65:19
わたしはエルサレムを喜びとし、わたしの民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない。

12月15日(木)                  イザヤ65:16
この地で祝福される人は、真実の神によって祝福され、この地で誓う人は真実の神によって誓う。初めからの苦しみは忘れられる。

12月16日(金)                イザヤ65:21‐22
彼らは家を建てて住み、ぶどうを植えてその実を食べる。わたしの民の一生は木の一生のようになる。

12月17日(土)                  イザヤ65:24
彼らが呼びかけるより先に、わたしは答え、まだ語りかけている間に、聞き届ける。

聖書の中の星

博士を導いた星を思いつつ〜

1. 神は太陽と月と星を造られました。創世記1:16

2. アブラハムは天の星を仰いで神の声を聞き、新しく神を信じました。創世記15:5

3. ベオルの子バラムは、倒れ伏しつつ、救い主のしるしとしてひとつの星がヤコブから進み出、ひとつの笏がイスラエルから立ち上がるのを見ました。民数記24:17

4. 星は喜々として、自分の造り主のために光を放ちます。バルク書3:35

5. 東の国の博士らは、輝く星に導かれて、救い主にお会いすることができました。マタイ2:9

6. パウロは、苦難に耐えて福音のために戦う信徒を、世にあって輝く星にたとえました。フィリピ2:15

7. パトモス島に幽閉されていた長老ヨハネは、「わたしは輝く明けの明星」と言われる主イエスの声を伝えました。ヨハネの黙示録22:16

星の招き──救い主に向けての出立

 クリスマスに備える降臨節に入りました。このクリスマスに、必ず新しく救い主にお会いすることを目指して旅を始めたいと思います。

 クリスマスに向かう旅と言えば、あの東方の3人の博士のことを思います。おそらく彼らはメソポタミア、今のイラク、チグリス・ユーフラテス川の中流から下流の都市の有力者だったと思います。しかし彼らは、安定した生活と社会的地位を守ろうとせず、遠く危険な道に旅立ちました。星を仰ぎ、星を頼りに進みます。救い主にお会いすることを切望したのです。この降臨節に、わたしたちも救い主に会いたいと切望する者となって、博士たちとともに旅してゆきたいと思います。
Venus

 ところで旧約聖書続編・旧約聖書続編・バルク書に次のような言葉があります。

「その方が光を放つと、光は走り、
ひと声命ずると、光はおののいて従う。
星はおのおの持ち場で喜びにあふれて輝き、
その方が命ずると、『ここにいます』と答え、
喜々として、自分の造り主のために光を放つ。」3:33‐35 


 創造主から光を受け、星は自らも光を放ちます。星はおのおのの持ち場で喜びにあふれて輝く。神さまが呼びかけ命じると、「ここにいます」と答え、喜々として自分の造り主のために光を放つ。そのような星のひとつが、特別な使命を与えられました。生れた救い主のもとへと、遠い人を招く、外国人を招く、という使命です。その星の招きと導きによって、博士たちは救い主にお会いできたのでした。

 ところで、実はわたしたちも小さな星です。神によって造られた星。造り主から光を与えられた星。造り主に呼ばれたら、「ここにいます」と答え、自らも喜々として造り主のために光を放つ星です。

 星に導かれた博士を救い主が待っておられたように、このクリスマスに、救い主はわたしたちに会おうとして待っておられます。わたしたちも博士たちのように星を見上げて、救い主イエスさまに必ずお会いしたい。

 神さま、わたしたちも造り主の光、救い主の光を受けさせてください。光を受けてわたしたちも喜々として、光を放つものにしてください。そうして道に迷う人を導き、助けとならせてください。主のみ名によって、アーメン
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井田 泉
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