Comfort Ye 井田 泉

Comfort Ye(慰めよ、あなたがたが) 旧約聖書・イザヤ書第40章1節

2012年01月

アンナさんのおはなし

ルカ2:36‐36

 昔エルサレムにアンナさんというおばあさんがいました。

 アンナさんは若いときに結婚したのですが、やがてそのだんなさんが亡くなってしまい、それからはずっとひとりでくらしていました。

 悲しいこと、つらいことがいっぱいありました。アンナさんはいっしょうけんめい祈りました。神さまが助けてくださいました。神さまが守っていてくださいました。アンナさんは毎日、聖書を読んで、毎日心からお祈りしながら暮らしていました。
WP_000227

 そうしているうちに、不思議なことにアンナさんにはやがて神さまの声が聞こえるようになりました。聖書から神さまのやさしい声が聞こえてくる。それでアンナさんは神さまの言葉を他の人に教えてあげました。するとみんなは元気になりました。

 それでみんなはアンナさんのことを「預言者」と呼ぶようになりました。預言者というのは、神さまの言葉を知らせてくれる人ですね。イザヤさんという人も預言者でした。救い主イエスさまの誕生のことを、ずっと前に教えてくれた人ですね。

 そのアンナさんはだんだん年が行って、84歳のおばあさんになりました。

 アンナさんは毎日毎日エルサレムの神殿(大きな礼拝堂です)でお祈りしていました。

 アンナさんは今日も神殿にお祈りにやってきました。するとそこに、おじいさんが赤ちゃんを抱いています。おじいさんはその赤ちゃんを、大切にそのお母さんに返しました。その赤ちゃんはだれかな(イエスさま)。おじいさんはだれかな(シメオンさん)。お母さんはマリアさん。赤ちゃんがあまりにかわいかったので、アンナさんはその赤ちゃんを抱かせてもらいました。

 するとアンナさんはとっても幸せな気持ちになりました。

 赤ちゃんを見ていると赤ちゃんを抱いていると、不思議なことにやさしい神さまの顔が見えてくるみたいなのです。

 アンナさんはわかりました。この赤ちゃんが、神さまがみんなを救うために、世界中の人を助けるために送ってくださった救い主だ。

 アンナさんは、この不思議な赤ちゃんのことを、エルサレムの町の人々に知らせてあげました。それを聞いた人々は、イエスさまが大きくなるのをとても楽しみに待っていました。

(2011/01/20 聖三一幼稚園)

モーツァルトの誕生日

今日1月27日はモーツァルト(1756〜1791)の誕生日です。

今日はピアノソナタ、ファンタジー( K.330、K.475など)をとおして、モーツァルトの深みに触れた思いです。

St
こんな詩がありました。

「モーツァルトの生誕日に」

日ごとの聖句509 憩い 2012/1/29〜2/4

2012年1月29日(日)顕現後第4主日          詩編16:9
わたしの心は喜び、魂は躍ります。からだは安心して憩います。

1月30日(月)                  詩編23:2‐3
主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。主はわたしを正しい道に導かれる。

WP_000312

1月31日(火)        詩編132:14
「これは永遠にわたしの憩いの地。ここに住むことをわたしは定める。」

2月1日(水)        イザヤ57:2
しかし、平和が訪れる。真実に歩む人は横たわって憩う。

2月2日(木)被献日                イザヤ63:14
谷間に下りて行く家畜のように、主の霊は彼らを憩わせられた。このようにあなたは御自分の民を導き、輝く名声を得られた。

2月3日(金)               エゼキエル34:14‐15
わたしは良い牧草地で彼らを養う。わたしがわたしの群れを養い、憩わせる、と主なる神は言われる。

2月4日(土)                  ダニエル12:13
終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。

白い畑──ルター訳ドイツ語聖書から

ヨハネ福音書第4章から

35 あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、36 刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。

ルター訳はこうなっていました。35節

Siehe, ich sage euch: Hebet eure Augen auf und sehet in das Feld; denn es ist schon weiss zur Ernte.

(ss は「エスツェット」です。)

見よ、わたしはあなたがたに言う。
「あなたがたの目を上げて、畑を見なさい。畑はすでに白く(!)、収穫に向かっている。」

畑が「白い」というのが驚きで、いろいろ調べました。

するとドイツ語の weiss にはもともと「明るい」「光を放つ」という意味があるようです。

そこでギリシア語を調べました。

「レウコス」
はやはり「輝く」「光を放つ」の意味があります。

イエスさまの目には、すでに収穫を待つ、輝く畑が見えたのですね。

山上の変容の場面(マルコ9:3)、イエスさまの衣の輝きも同じ言葉「レウコス」です。

※このブログでは多言語対応ではないので文字を正しく画面に出せないのが難点です。
同じ livedoor でも今は多言語対応になっているとのことですが、ブログの作り直しはむつかしいし……

ベートーヴェン ピアノソナタ 5-2

昨年(2011年)12月、福井県武生のブックカフェ「ゴドー」で、中川貴文展が開かれました。

12月28日の夜には、貴文君の絵に囲まれて、小野純子さんによるライアー・コンサートが開かれました。その中でわたしはライアーの響きとともに尹東柱の詩「序詩」を朗読しました。

深い静けさの中からいのちの営みを感じる大切な時間でした。これについてはぜひ次のサイトをご覧ください。

中川貴文web美術館GON

小野純子 ♪ 山の音楽室から

ところでその晩、ゴドーさんでCDを聞きました。その中からひとつ、ベートーヴェンのピアノソナタ第5番第2楽章についての印象を書き留めておきたいと思います。聞きながらわたしの中に起こったイメージです。演奏は小野純子さん。
WP_000290
 ♪
だれか、世慣れしていない、真実な魂を持った若者が初めての道を歩んでいます。

確信をもってまっすぐに進んでいるというよりは、ここはどこだろう、どうなるのだろう、という思いで歩んでいます。

暗い影がさして闇の中に置かれます。

不安と苦しみを辛抱して耐えているうちに、また光が射してきて歩み始めます。

何度か同じようなことを繰り返しますが、そのたびに前より深い闇に包まれ、手探りします。さらにまた新しい光を受けて進みます。

これを重ねて成長していくのでしょうか?

歩みにくい道をそれでもたどっていくうちに、やがて前が大きく開けてきます。

遠くまで広がった新しい地平に出た若者は、おだやかで確かな光の射す中を前に向かって進んで行きます。

……こうして2楽章が終わるのですが、一体に次は何が待っているのでしょう?

何という美しく深い曲でしょう。
この年で(27歳)ベートーヴェンはこの世界と人間と、地と天を知っていた!

けれどもこの2楽章の若者は、この旅を経ても、練達したというのではなく、なお初心者であるかのようです。うぶというか、世慣れない、真実の魂です。しかしその中でもしっかりと成長していくのです。
 ♪

日ごとの聖句508 パウロの回心 2012/1/22〜28

2012年1月22日(日)顕現後第3主日       コリント一 1:18
十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。

1月23日(月)          コリントの信徒への手紙一 3:6
わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。

1月24日(火)          コリントの信徒への手紙一 3:7
大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。

1月25日(水)使徒聖パウロ回心日        使徒言行録9:4
サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
WP_000309

1月26日(木)        使徒言行録9:5
「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。

1月27日(金)                 使徒言行録9:17
アナニアはサウロの上に手を置いて言った。「主イエスはあなたが聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」

1月28日(土)               使徒言行録9:18‐19
たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。

シメオンさん(幼稚園でのおはなし)

ルカ2:25

 この前はイエスさまが名前を付けられたお話をしました。12月25日にお生まれになったイエスさまは、1週間が過ぎて1月1日に、「イエス」という名前をつけられたのでした。今日のお話は、それからひと月ほどたった2月2日のことです。

 エルサレムにシメオンさんというおじいさんがいました。とても年をとっていました。悲しいこと、つらいことがたくさんありました。けれども神さまにずっと守られていました。シメオンさんは神さまを信じて、毎日聖書を読み、お祈りしながら暮らしていました。

 あるとき神さまの声が聞こえました。「シメオンさん、あなたはわたしが遣わす救い主に会えるでしょう。」

 シメオンさんはそれを毎日楽しみにしながら待っていました。神さまのところから来られる救い主はどんな方だろう。いつ、どこでお会いできるのだろう。神さま、早く救い主に会わせてください、とお祈りしながら待っていました。
WP_000219
 ある日のこと、シメオンさんは朝から、今日はお祈りしたい、という気持がとてもして、エルサレムの神殿(大きな礼拝堂)に出かけて行きました。シメオンさんがエルサレムの神殿にやってきたとき、そこに赤ちゃんを抱いた若い女の人と、お父さんらしい人がそこに入って来ました。

 その赤ちゃんを見たとき、シメオンさんはなぜか胸がドキドキしてきました。喜びでいっぱいになりました。あまりにうれしくて目から涙が出てきました。
 シメオンさんは、赤ちゃんのお母さんに「その赤ちゃんを抱かせてください」と言って、赤ちゃんを抱きました。待っていてよかった。生きていてよかった。神さまを信じていてよかった。シメオンさんは今まででいちばんしあわせでした。神さま、わたしはもういつでも神さまのところに行くことができます。あなたが約束してくださった救い主にお会いできたのですから。

 するとシメオンさんの口から歌が生れてきました。

「主よ、今こそあなたはみ言葉のとおり、僕を安らかに去らせてくださる
わたしはこの目で 主の救いを見た。
これは主が 万民のために備えられた救い
すべての人を照らす光 み民イスラエルの栄光
栄光は 父と子と聖霊に
初めのように、いまも 世々にかぎりなく アーメン」

 その赤ちゃんとはだれでしょう。イエスさまです。お母さんはマリアさん、お父さんはヨセフさんです。

 イエスさまは世界中を幸せにするためにおいでになったのです。

 神さま、わたしたちに救い主イエスさまを送ってくださってありがとうございます。 
 イエスさまがどんなときも一緒にいてくださいますように。

聖三一幼稚園 2012/01/19

モーツァルト「戴冠ミサ」 ラテン語・日本語対訳

モーツァルト「戴冠ミサ」 ラテン語・日本語対訳を作成しました。2011/07/01

若干の調整を加えました。2012/01/17


対訳はここ!

(転載する場合はご連絡ください。)WP_000314

彼の上にわたしの霊は置かれ──主イエス洗礼の日に

イザヤ書42:1‐5

 今日、顕現後第1主日は主イエスの洗礼記念日でもあります。

 イエスさまが洗礼を受けられた。その事実を今日は見つめたい。そのとき何が起こったのか。何が見え、何が聞こえたのかを知りたいと思います。

 ところで皆さんは洗礼を受けられましたか。受けられた方にも、まだそうではない方にも、大切に考えてほしいことがあります。洗礼において何がいちばん重要なことか、です。

 今日の福音書を読んでみましょう。

「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて"霊"が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。」マルコ1:9‐10

 イエスさまの洗礼において何が起こったか。天が裂けたことです。天とは神さまの世界です。イエスの前に天が裂けて開いた。

 わたしたちはどこから来たかというと、天から来た。神さまから命をいただいて地上の生活が始まりました。わたしたちは本来天から来たのに、しかし天のことがほとんどわかりません。見るのはこの世界。聞くのは人の声。神の世界が見えないし、神の声が聞こえない。

 ところが、イエスが洗礼を受けられたとき、イエスの上に天が裂けて開いたのです。神の世界が見えたのです。美しく尊い、愛に満ちた世界です。そこから天の光が射してくる。イエスと一緒にいる人々も明るく温かく強い天の光に照らされます。人々の前にも天が開けました。

「天が裂けて"霊"が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。」

 イエスははっきりと見られました。霊が天からご自分に降って来るのを。ぼんやりとしたものではありません。鳩が天から降下してくるのを見るように鮮明にご覧になりました。霊というのは神の霊、聖霊です。神の愛、神の輝き、神の命、いや神さまそのものが降ってこられて、イエスにとどまった。

 イエスさまの洗礼において起こったのはこのことです。神の霊が注がれた。
わたしたちの洗礼も同じです。わたしの洗礼においても、わたしの前に天が裂かれ開かれて、神の霊がわたしに注がれた。これが決定的に大切なことです。

 このことがわたしの中ではっきりするように、他のことは一度全部棚上げにしてしまいたい。

 イエスさまの洗礼において最も大切だったことは、わたしたちにとっても最も大切なのです。
WP_000300

 その続きを読みましょう。

「すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適(かな)う者』という声が、天から聞こえた。」マルコ1:11

 いま目で見たことを今度は耳で聞く。神の声です。

「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」

 洗礼において神はイエスにはっきりと呼びかけられました。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と。

「わたしの心に適う者」という訳は少しむつかしい表現です。単純に言えば「わたしの心はあなたを喜ぶ」ということです。

 ここで福音書が記録している神の声はただこの一言です。この一言の中に、神のイエスに対する愛と願いが込められています。けれどもわたしたちはもう少し詳しく、このときの神の声を聞くことができます。どこで聞くことができるかと言うと、今日の旧約聖書、イザヤ書第42章です。

「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。
わたしが選び、喜び迎える者を。
彼の上にわたしの霊は置かれ
彼は国々の裁きを導き出す。」イザヤ42:1


「わたしが選び、喜び迎える者」とは、「わたしの心に適う者」と同じ意味です。

 このことをルターははっきりと知っていました。ルターは

……an dem meine Seele Wohlgefallen hat. (Isa 42:1) 彼にわたしの心は喜びを持つ
……an dir habe ich Wohlgefallen. (Mar 1:11) あなたにわたしは喜びを持つ

と、二つの箇所を同じWohlgefallen(喜び。満ち足りた喜び)という言葉で訳しています。

「彼の上にわたしの霊は置かれ」

 神の霊が彼の上に置かれ、注ぎ込まれました。イエスの洗礼において起こったことそのものです。これはイエスさまより数百年前の預言者の言葉ですが、イエスの洗礼における神さまの言葉を伝えています。

神の霊を受けたこの方が国々を裁きます。

「主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び
あなたの手を取った。
民の契約、諸国の光として
あなたを形づくり、あなたを立てた。
見ることのできない目を開き
捕らわれ人をその枷から
闇に住む人をその牢獄から救い出すために。」42:6‐7


 洗礼において神がイエスを呼び、イエスの手を取り、イエスを人々の救いの使命のために任命されました。
「闇に住む人をその牢獄から救い出すために。」

 これは神の側からの呼びかけです。神の呼びかけは、呼びかけられた者のうちに応答を引き起こします。今度はイエスさまの側です。神の呼びかけを受け、神の霊を注がれ、神から使命を託されたイエス。洗礼を受けられたイエスさまの声を、同じイザヤ書から聞くことができます。聖書を開いてみましょう。

「主はわたしに油を注ぎ
主なる神の霊がわたしをとらえた。
わたしを遣わして
貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。
打ち砕かれた心を包み
捕らわれ人には自由を
つながれている人には解放を告知させるために。」イザヤ61:1


 これがイエスさまの声です。神の霊を受けたイエスは、はっきりとご自分の使命を自覚されました。

 貧しい人たちに良い知らせをもたらし、打ち砕かれた心を包む。見える牢獄、見えない牢獄につながれた人々を解放する。そのために神はわたしに霊を注がれた。

「主が恵みをお与えになる年
わたしたちの神が報復される日を告知して
嘆いている人々を慰め
シオンのゆえに嘆いている人々に
灰に代えて冠をかぶらせ
嘆きに代えて喜びの香油を
暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。
彼らは主が輝きを現すために植えられた
正義の樫の木と呼ばれる。
彼らはとこしえの廃虚を建て直し
古い荒廃の跡を興す。
廃虚の町々、代々(よよ)の荒廃の跡を新しくする。」61:2‐4


 こうしてイエスは洗礼において、天が裂かれ開かれて神の霊がご自分に降って来るのを見られ、神が呼びかける声を聞かれました。そしてご自分の使命をはっきり自覚し、そのために心を燃やされました。

 わたしたちの受けた洗礼はこのことと別ではありません。イエスさまと結ばれたわたしたちは、イエスさまに起こったことをわたし自身のこととして与えられたのです。

 わたしの洗礼においてわたしの前にも天が開いた。わたしにも神の霊が注がれた。わたしに対しても神は「あなたはわたしの愛する子。わたしの心はあなたを喜ぶ」と言われました。

 神はわたしを呼び、わたしに霊を注ぎ、わたしの手を取り、わたしを立てて大切な使命を与えられました。

 イザヤ書が告げるように、わたしが受けた洗礼をとおして、わたしも良い知らせを聞き、砕かれた心を包まれました。見えない牢獄から神のもとにある自由へと招き入れられました。そしてわたしも、この地の嘆いている人たちの力となるように使命を受けました。そして救い主とともに、廃墟のように損なわれた地に正義を建て直すようにと招かれ、その働きの中に入れられたのです。
 
「彼の上にわたしの霊は置かれ」イザヤ42:1

「主はわたしに油を注ぎ
主なる神の霊がわたしをとらえた。」イザヤ61:1


 洗礼を受けてから歳月が経ち、今に至りました。これまでが、今がどうであるにしても、わたしたちが洗礼において聖霊を受けた事実は変わりません。そのことを大切に思い返しましょう。

 わたしにも注がれた神の霊が、わたしに中で新たに働いてくださいますように。聖霊がわたしを通して働いてくださいますように。

 イエスの洗礼を今日は見つめ、その意味を確かめました。そこからわたしたちの受けた洗礼の意味を新しく受けとめなおしましょう。

 祈ります。
 主イエスの洗礼においてご自身の霊を注がれた神さま、あなたはわたしたちにも、洗礼においてご自身の霊を注いでくださいました。わたしたちに注がれた聖霊が、わたしたちのうちで燃え立つようにしてください。神さまの声を聞かせてください。「愛する子」と呼んでください。そうしてわたしたちにあたえられた使命を担わせてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン

(2012/01/08 京都聖三一教会)

2012年 説教予定(京都聖三一教会)

2012年3月までの説教予定です。
当日の福音書(ヨハネまたはマルコ)に基づいています。

「 」内は聖書からの短い引用です。

1/15 「わたしに従いなさい」弟子フィリポ ヨハネ1:43

1/22 「わたしについて来なさい」召命と信従 マルコ1:17
WP_000306

1/29  「この人から出て行け」汚れた霊の追放 マルコ1:25

2/5  「イエスがそばに行き」癒し マルコ1:31

2/12  「よろしい、清くなれ」清め マルコ1:41

2/19  「イエスの姿が目の前で変わり」変容 マルコ9:2

2/26  「40日間そこにとどまり」誘惑 マルコ1:13

3/4  「人の子は必ず多くの苦しみを受け」苦難と復活の予告 マルコ8:31

3/11  「あなたの家を思う熱意が」宮清めと再建への熱望 ヨハネ2:17

3/18  「イエスはパン取り」聖なる食事 ヨハネ6:11

3/25  「わたしはすべての人を引き寄せよう」一粒の麦 ヨハネ12:32

日ごとの聖句507 真実な方 2011/1/15〜21

2012年1月15日(日)顕現後第2主日         ヨハネ1:47
イエスは、ナタナエルを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」

1月16日(月)             ペトロの手紙一3:10‐11
「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、平和を願って、これを追い求めよ。
WP_000214

1月17日(火)        マルコ16:20
主は弟子たちと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。

1月18日(水)          コリントの信徒への手紙一 1:9
神は真実な方です。この神によって、あなたがたは神の子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。

1月19日(木)         コリントの信徒への手紙一 10:13
神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。

1月20日(金)         コリントの信徒への手紙一 13:4‐6
愛は忍耐強い。愛は情け深い。自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。

1月21日(土)         テサロニケの信徒への手紙二 3:3
しかし、主は真実な方です。必ずあなたがたを強め、悪い者から守ってくださいます。

「君が代」は伴奏できない

──東京都人事委員会を傍聴して

 去る2011年10月5日、都庁で開かれた東京都人事委員会を傍聴しました。岸田靜枝さん(元小学校音楽科教員、清瀬聖母教会信徒)が停職処分を不当として審査請求をされたものです。中央に人事委員会審査員と審査補佐員二人、右手に東京都教育委員会の代理人二人と弁護士、左手には岸田さんと弁護士。傍聴者は40名弱で、私はその中央最前列でした。

 東京都教育委員会は2003年、入学式・卒業式などの学校行事において「日の丸・君が代」を強制する、いわゆる10.23通達を出しました。これにより「君が代」斉唱の際の不起立、伴奏拒否によって処分される教職員が続出することになりました。岸田さんもそのひとりです。

 岸田さんは音楽の教員として、入学式、卒業式のたびに「君が代」の伴奏を命じられてきましたが、良心に従ってこれを拒んでこられました。その結果数度の懲戒処分を受け、さらに定年退職間際には「停職1ヵ月」の処分を受けました。昨年2010年3月31日、教員生活35年の最後の一日は、停職の中で迎えられたのです。

 人事委員会で岸田さんは「天皇を君主としてたたえ、その国が万年も繁栄するようにと歌ったり、それを子どもたちに促すことはできない」「天皇を頂点として生れながらに身分の序列をつけるのはおかしい」「君が代が戦争の道具として使われてきた記憶は今もアジアの人々に強く残っている」と証言されました。最後に勤務された豊島区立豊成小学校は児童の三分の一が外国人だそうです。

 豊成小学校・小久保校長と豊島区教育委員会・朝日教育指導課長(当時)が「学習指導要領に従って適正に」を繰り返したのに対し、岸田さんが子どもたちへの愛と教育への熱意を、信仰を交えつつ語られたのが印象的でした。

 この数年間に受けた精神的苦痛は大変なもので、退職後も苦痛、恐怖がしばしばよみがえってくるそうです。けれども、自分が祈ることができないほど辛いときにも、祈っていてくれる人がいることによって支えられた、と言われました。「祈りは力だ」とはっきり感じると。

「『日の丸・君が代』を国旗・国歌と認める人を否定したのではありません。私が主張し続けたのは、国旗・国歌と認められない私に対して、職務命令を出してまで認めさせ、私のこの手で伴奏をさせ、子どもたちに歌うことを強制させないでほしいと訴え続けただけです。」

 聖書の言葉を思い出します。

「兄弟としていつも愛し合いなさい。…… 自分も一緒に捕らわれているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり、また、自分も体を持って生きているのですから、虐待されている人たちのことを思いやりなさい。」ヘブライ人への手紙13:1、3

 今、大阪でも橋下知事と維新の会によって「強制」「処分」の嵐が吹き荒れて
います。

 私たちは礼拝において「立つこと」「歌うこと」を繰り返し行っている
のですが、これが単なる形式ではなくまごころからの行為であることを再認識したいと思います。そして信仰的良心から「立つこと」「歌うこと」「伴奏すること」の強制に苦しめられている人々、「心と行為は別物ではない」「私のこの手と、私の『君が代』への思いを切り離すことはできない(良心に逆らって自分の手で伴奏することはできない)」と訴えている人のことを大切に心にとめていたいと願います。

PDFファイルで読めます。
  
「君が代」は伴奏できない(聖公会生野センター『ウルリム』第54号)

「正義を打ち立てよと」

旧約聖書・イザヤ書42:6
樫の木

韓国の『共同翻訳』聖書は次のようになっていて驚きました。

「わたしヤハウェがあなたを呼ぶ。
正義を打ち立てよとあなたを呼ぶ。
わたしがあなたの手を取って守り、
あなたを立てて人類と契約を結ぶ。
あなたは万国の光となれ。」

日本の『新共同訳』聖書は次のように訳されています。

「主であるわたしは、恵みをもってあなたを呼び
あなたの手を取った。
民の契約、諸国の光として
あなたを形づくり、あなたを立てた。」

新共同訳で「恵み」と訳された言葉はヘブライ語「ツェデク」で、意味の中心に「義」「正義」があって、そこから「神の救い」「恵み」という意味の広がりを持つようです。

虐げられ、抑圧された人にとって、正義が実現することが救いであり、恵みです。

韓国の『共同翻訳』は大胆な訳ですが、よく聖書の精神を伝えていると思います。
この翻訳・編集が、韓国の民主化運動の時代の中でなされたことは意味深いと感じます。

日ごとの聖句506 洗礼 2012/1/8〜14

2012年1月8日(日)顕現後第1主日・主イエス洗礼の日  ルカ3:21
民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。

鳩

1月9日(月)      ルカ3:22
すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適(かな)う者」という声が、天から聞こえた。

1月10日(火)    使徒言行録2:38
ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。」

1月11日(水)               使徒言行録9:18‐19
すると、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。

1月12日(木)                   ローマ6:3
キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちは、皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたのです。

1月13日(金)                   ローマ6:4
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。

1月14日(土)                   ローマ6:4
それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
最近の記事
Archives
最近の関心

 『日韓キリスト教関係史資料』第3巻の編集
 リコーダーの世界
 音と響き
井田 泉
奈良基督教会牧師
親愛幼稚園園長
富坂キリスト教センター・日韓キリスト教関係史研究会主事
聖公会平和ネットワーク共同代表

Mail
izaya*da2.so-net.ne.jp
(*を@に変更してください)

カウンター
最新刊
『これが道だ、これに歩め
──イザヤ書による説教』
かんよう出版
213頁 1500円+税

ここをクリックして
  ←左本文をご覧ください
ブログ内検索

WWW を検索 http://blog.livedoor.jp/izaya/ を検索